すべての人は、幸せを追い求めています。
すべての人は、幸せに成ることを望んでいるのです。
多くの人は、幸せを良いものだと考えています。
幸せを良いものだと考えているから、追い求めているのです。
あなたも幸せを望んでいるはずです。
多くの人にとって、幸せとは最善の状態なのです。
あなたが考えなければならないのは、幸せというものが人生において本当に最善なのか?ということです。
あなたは何のために生まれたのでしょうか?
あなたは、人生において何をしているのでしょうか?
“これ”は何ですか?
人生の目的とは何でしょうか?
あなたは、人生の意味を考えなければなりません。
人生の意味を考えなければ、人生において何が最善なのか?という問いに答えを導くことは出来ないのです。
残念ながら、すべての人は未熟に生まれます。
すべての人は、人生の意味を知らないのです。
自分が何のために生まれ、何をしているのか?何を果たすべきなのか?ということを知らないのです。
多くの人は、何も知らずに生きているのです。
それが、“普通”なのです。
多くの人は、何も知らずに生きていることに疑問を持ちません。
なぜなら、それが“普通”だからです。
多くの人が何も知らずに生きているから、自分も同じように何も知らずに生きていることに疑問を抱かないのです。
多くの人は、“普通”に生きることが幸せだと思っているのです。
人生に対して疑問を持つことは、“普通”ではありません。
多くの人は、人生に疑問を抱くことなく生きているのです。
それは、人生に疑問を抱かなければ、幸せでいられるからです。
幸せとは、偏見です。
偏ったものの見方が、幸せを見せるのです。
幸せに生きていたいのであれば、目を開かないことです。
自分にとって都合の悪いことに目を瞑(つぶ)り、都合の良いことに目を向けていれば、幸せに生きることが出来るのです。
幸せに生きることは簡単です。
誰もが、心掛け一つで、今すぐに幸せに生きることが出来るのです。
あなたが、幸せに成りたければ、都合の悪いことを見なければ良いだけなのです。
幸せに生きていきたいのであれば、人生の意味を探さないことです。
自分にとって都合の良い小さく歪んだ世界に閉じこもり、好き勝手に生きていれば良いだけです。
人生の意味や目的について考え始めると、人は幸せには成れないものなのです。
幸せに生きるためには、人生に対して深入りせずに、幻想を生きることが求められるのです。
何も知らずにいることが幸せなのです。
多くの人は、幼い頃を幸せと思います。
それは、何も知らなかったからです。
付き合いの浅い恋人との関係に幸せを感じるのは、相手のことを知らないからです。
結末を知らないから、その物語は面白いのです。
結末を知っていれば、それを面白いとは思わないでしょう。
知らない方が、幸せを感じられるのです。
多くの人は、幸せを頭の中で好き勝手に作り出しているのです。
知らないから、好き勝手に作り出すことが出来るのです。
知っていれば、好き勝手に作り出すことは出来ないのです。
人生の意味や目的を知れば、あなたは幸せに成ることが出来ません。
なぜなら、人生の意味や目的を知れば、幸せに偏ってはいられないからです。
人生の意味や目的を果たすためには、偏りなく生きなければなりません。
何かに偏り、執着(しゅうちゃく)することでは、人生の意味や目的を果たすことは出来ないのです。
何かに偏って執着してるような者には、人生の意味や目的を果たすことは出来ません。
残念ながら、あなたは幸せに成るために生まれたのではありません。
幸せにも不幸にも成るために生まれたのです。
あなたは、様々な経験や立場を通じて、人生の意味と目的を果たさなければなりません。
幸せを追い求めているだけでは、人生の意味や目的を知ることは出来ないのです。
幸せに生きることと、豊かに生きることは違います。
幸せとは都合の良い幻想であり、その実態は空しさです。
豊かさとは、都合の悪い現実であり、その実態は喜びなのです。
豊かに生きることは、人生を満喫(まんきつ)することです。
人生を味わい尽くすためには、都合の悪いことも受け入れなければならないのです。
幸せという、自分に都合の良い偏った経験をするだけで、人生を満喫していると言えるのでしょうか?
全体を経験していないのに、人生を味わい尽くしたと言えるのでしょうか?
残念ながら、そのようなことはないのです。
人生の醍醐味(だいごみ)は、不幸にあるのです。
不幸をどのように受け入れ、どのように学ぶか?ということが、人生の醍醐味なのです。
あなたは、人生を味わい尽くしましょう。
美味しいところを残して捨ててはなりません。
幸せという、表面的な部分だけを食べて、不幸という、内面的な部分を捨ててはなりません。
どちらかと言えば、内面的な部分に価値があるのです。
家にとって、最も重要であり、価値のあるのは基礎(きそ)や柱や梁(はり)などの見えない部分です。
見た目が綺麗でも、基礎が歪(ゆが)んでいたり、柱や梁が白蟻に食われているのであれば、その家には価値が無いのです。
外観は綺麗でも、基礎や柱や梁に問題があるのであれば、その家に価値を見出すことは出来ないでしょう。
見た目が良くても、見えない部分が悪ければ悪いのです。
幸せに生きることは、見た目には良く思えます。
しかしながら、幸せに生きるだけでは、見えない部分が悪いのです。
幸せも大切です。
しかしながら、不幸の方が大切だと理解しなければなりません。
幸せに生きていたいのであれば、何も知らずに生きていきましょう。
しかしながら、あなたが人生を豊かに生きたいと願うのであれば、人生の意味や目的について考え、不幸を得ましょう。
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