すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
すべての人は、無知を生きているのです。
それは、人生には果たすべき目的が存在するからです。
人生に目的が存在するのは、あなたが無知であり、未熟であるからです。
あなたが未熟でなければ、人生に目的は存在しないのです。
あなたには、人生において学ぶべきことがたくさんあるのです。
人生における学びは、あなたの考えているようなものとは異なります。
人生の学びは、あなたの考えているよりも深いものなのです。
多くの人は、人生を幸せに生きることが最善だと考えています。
多くの人は、人生に幸せを実現するために努力しているのです。
しかしながら、人生において幸せが最善であるとは限りません。
もしも、幸せが最善であるのならば、あなたは常に幸せを感じているはずだからです。
人生には、最善が実現します。
最善以外のものが導かれることはないのです。
あなたの目の前に導かれているものは、それがどのようなものであれ最善です。
あなたは、目の前の現実が最善であるということを理解しなければなりません。
現実が理想とは異なり、受け入れ難いものであったとしても、導かれているものは最善に他ならないのです。
あなたの理想が最善である根拠はありません。
残念ながら、あなたは未熟に生まれるのです。
あなたは、何も知らないのです。
人生が何か?ということすら知りません。
自分とは何か?ということは、見当も付かないのです。
多くの人は、人生について考えません。
多くの人は、人生が何か?分からないのです。
そして、多くの人は、自分についても考えることをしません。
多くの人は、自分が何か?分からないのです。
あなたは何も知りません。
何も知らないのに、物事を判断しているのです。
あなたの追い求める幸せは、幸せとは限りません。
あなたの拒絶する不幸が不幸であるとも限らないのです。
なぜなら、あなたは何も知らないからです。
人生は何で、自分が何か?知らないのです。
何も知らないのに、どうやって判断しているのでしょうか?
あなたの判断は間違っています。
あなたは誤解を抱えながら生きているのです。
あなたが追い求めたり、手にしている幸せは、真(まこと)の幸せとは限りません。
あなたは幸せだと思いながらも追い求めたり、手にしている幸せは、不幸であるかも知れないのです。
不幸を幸せと取り違えている可能性があるのです。
残念ながら、多くの人は、不幸と幸せを取り違えています。
多くの人は、不幸を幸せと思い込んでいるのです。
しかしながら、そのことには気が付きません。
人生に対して、幸せを追い求めることは不幸です。
なぜなら、幸せという理想を追い求めることによって、目の前の現実を否定するからです。
あなたの目の前には、最善が導かれています。
目の前の現実を否定するということは、最善を否定するということだからです。
目の前の現実こそが最善の学びです。
目の前の現実を受け入れることが出来なければ不幸なのです。
しかしながら、多くの人にはそのことが分かりません。
多くの人は、理想が実現したり、幸せと思うものを手に入れることが最善だと思い込んでいるのです。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
残念ながら、何も知らないあなたが、正しいということは有り得ません。
正しいのは、すべてを知っている人生の方なのです。
人生は、あなたの果たすべき目的を知っています。
人生は、あなたが生まれた理由を知っているのです。
人生よりも、あなたの方が知っているということは有り得ません。
何も知らないあなたは、謙虚(けんきょ)に学ばなければならないのです。
何も知らないのに、学びを受け入れない態度ではなりません。
そのように、傲慢(ごうまん)に生きてはならないのです。
何も知らないのだから、学ばなければならないのです。
あなたは、教えられる立場であるということを知りましょう。
何かを知っているなどと考えてはなりません。
そのように思い込んではならないのです。
何も知らないあなたは、人生における様々な経験を通じて何かを知ることが出来ます。
人生は、人生は様々な経験を通じて、あなたに最善を教えるのです。
知らないことは、知らなければなりません。
経験したことのないことは、経験しなければならないのです。
あなたは、知らずにいることは出来ません。
知らずに生きることは、人生の目的ではないのです。
知らなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、知らなければなりません。
知るためには、様々な経験を受け入れなければならないのです。
経験を選(え)り好みしていてはならないのです。
幸せだけを追い求めるような生き方では、理解を深めることは出来ません。
幸も不幸も受け入れなければ、必要な学びを得ることは出来ないのです。
幸せから学べることは、不幸からは学べません。
不幸から学べることは、幸せからは学べないのです。
理解を深めるためには、幸せと不幸の区別なく学ばなければなりません。
学ばなければ、理解が深まることはないのです。
理解を深めることは大切です。
なぜなら、理解が深まらなければ、人生や自分を知ることが出来ないからです。
人生や自分を知らなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生は、あなたに必要な学びを導きます。
人生は、あなたに目的を果たさせようとしているのです。
それは、あなたのためを思ってのことなのです。
人生は、あなたのために最善を導きます。
人生における様々な問題や苦しみも、あなたにとっての最善です。
最善だから導かれたのです。
必要の無いものは、導く必要がないのです。
意味の無いことを実現しても、意味が無いのです。
そのため、人生には意味のあることが実現するのです。
大切なのは、その意味を理解することです。
苦しみには意味が無いと考えるのは浅はかです。
なぜなら、苦しみにこそ意味があるからです。
甘やかされて育った子どもは、自分勝手で我が儘(まま)です。
それは、甘やかされて育ったから、思い通りにしようとするのです。
残念ながら、甘やかされて育った子どもは悲惨(ひさん)です。
なぜなら、人生は思い通りにはならないからです。
優しさや穏やかさだけでは、人は磨かれません。
人が磨かれるためには、厳(きび)しさが必要なのです。
人生が幸せで満ち溢れていると、人は自分勝手で我が儘に育ってしまうのです。
苦しみは、あなたを磨くために導かれるのです。
自分勝手で我が儘に育った人間が、本当に幸せなのか?ということを考えましょう。
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