すべての人は、幸せを追い求めています。
すべての人は、幸せに成ることを願っているのです。
多くの人にとって、幸せに成ることが最も重要なことです。
多くの人は、幸せを手にするために生きているのです。
幸せに成ることは、良いことのように思えます。
多くの人は、幸せに成ることが人生の目的だと思っているのです。
多くの人は、幸せに成るために、試行錯誤(しこうさくご)を繰り返すのです。
多くの人は、幸せに成ることが良く、不幸に成ることを悪いと考えます。
多くの人は、不幸を嫌い、幸せを好むのです。
それは、偏(かたよ)りに他なりません。
偏ることは、真(まこと)の道ではないのです。
大切なのは、偏らないことです。
偏ると真が見えなくなります。
偏ると偽りが見えてしまうのです。
多くの人は、幸せを求めるあまりに偏ってしまいます。
多くの人は、真が見えなくなっているのです。
それは不幸なことだと理解しなければなりません。
しかしながら、幸福を追い求める人は、自らが不幸に陥(おちい)っているということに気が付かないのです。
多くの人は、不幸を生きています。
不幸を生きているから、幸せを追い求めているのです。
しかしながら、幸せを追い求めると不幸を得ます。
多くの人は、この矛盾(むじゅん)に気が付いてはいないのです。
多くの人が、不幸を生きているのは、幸せを追い求めるからです。
あなたは、幸せを追い求めるという不幸を生きているのです。
大切なのは、幸せを追い求めないことです。
幸せを追い求めてしまうと、どうしても不幸を嫌ってしまいます。
不幸を嫌えば、不幸を手にしてしまうのです。
それは、不幸を嫌う思いが、幸せを求める思いに勝るからです。
多くの人は、幸せを求めていますが、幸せを求める気持ちよりも、不幸を恐れる気持ちの方が強いということを知りません。
多くの人が、幸せを求めるのは、不幸を恐れているからなのです。
不幸を恐れる気持ちがあって、後に幸せを求める気持ちが生じたのです。
純粋に、幸せを追い求める人はいません。
あなたが真に幸せな時、不幸には気が付かないのです。
あなたが不幸に気が付くのは、その幸せが偽りであるからです。
あなたが真の幸せを生きているのであれば、不幸を気にすることはありません。
また、幸せについても気にする事はないのです。
赤ん坊は、自分が何者かを知っています。
そのため、自分について疑問を持つことはありません。
しかしながら、成長すると、多くの人は自分が何者かを見失ってしまうのです。
そのため、自分について疑問を持つことになります。
多くの人が、自分が何者かを知らずに生きているのです。
そして、多くの人が、自分が何者かを知らないから、それを探して思い悩むのです。
それは、自分が何者かを知っていれば、抱えることのない悩みなのです。
幸せな者には、幸せを追い求める努力も、不幸から遠ざかる努力も必要ではありません。
幸せでないから、努力をしているのです。
あなたは、赤ん坊のように純粋に生きましょう。
純粋に生きれば、幸せや不幸について思い悩むこともないのです。
純粋に生きるというのは、現状を受け入れるということです。
現状を受け入れるのであれば、幸せや不幸を考える必要はないのです。
現状を受け入れることが出来ないから不幸を嫌い、幸せを追い求めるのです。
現状を受け入れるのであれば、幸せや不幸などと気にすることはないのです。
あなたは、純粋に生きましょう。
不幸を嫌い、幸せを追い求める生き方を捨て、現状を受け入れる生き方に変えるのです。
しかしながら、それは決して簡単なことではありません。
多くの人が失敗している生き方なのです。
あなたは、純粋に生きることが難しいと理解しましょう。
無意識の内に生じる不幸に対する恐れと、幸せを追い求める欲求は、あなたが思っているよりも強いということを知らなければなりません。
幸せを追い求める気持ちが悪いという訳ではありません。
しかしながら、幸せを追い求めるだけでは満たされません。
幸せと不幸のどちらも大切に扱う気持ちが大切なのです。
一方を重んじるのであれば、一方を軽んじなければなりません。
それでは、偏ってしまうのです。
あなたは、片足で目的地へと辿り着くことは出来ません。
幸せと不幸の両足で歩まなければならないのです。
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