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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年3月31日日曜日

利益の姿

あなたは利益というものの本当の姿を見失ってはなりません。
それは本当の豊かさや幸福を得るためにはどうしても必要なことなのです。
それは利益の本当の姿を見失ってしまうのであれば、本当の豊かさや幸福を手にすることはできないからです。
あなたは自らが掴むものによって人生を構成します。
あなたが掴むものは、あなたが自ら選択したものです。
どのようなものを掴むにしてもそれは自らの選択であるということを理解しなければならないでしょう。
あなたの選択によって自らが掴むものが決まります。
あなたは人生に好きなものを選択し、それを掴むことができるのです。
あなたは自らの人生を自由に築く権利を得ています。
人生は好きなように築くことができるのです。
あなたは自らの選択が人生においては重要であるということを理解しなければならないでしょう。
あなたは人生から様々なものを受け取っています。
受け取っているからこそ命が存続し、人生が継続するのです。
受け取るものがなければ、あなたという存在も、人生も続いていくことはないのです。
しかしながら、何を受け取ってもそれ(命、人生、状況)が存続するということではありません。
何かが存続するためには、それが存続するために必要なものを受け取らなければならないのです。
それが存続するために不要なもの、もしくは不利になるようなものを受け取るのであれば、それが存続することは難しくなってしまいます。
覚えておかなければならないのは、この世界に存続するものは「必要なもの」だけであるということです。
必要性の無いものは存在することを許されないのです。
必要でないものは存続することができないのです。
あなたはそのことを理解しておかなければなりません。
世界に存在しているものは、それが何かに対しての必要性を満たしているということです。
それがあなたにどのように映っても、そんなことは関係ありません。
個人的な見解によって世界が動いている訳ではないのです。
あなたが認めようが認めまいが、それが存在しているということはこの世界にとって必要であるということなのです。
世界にとって必要であるためには、世界に対して貢献する必要があります。
この世界に存在するためには何かの役に立っていることが求められるのです。
何の役にも立たないものは自然淘汰(とうた)されて消滅するのです。
それはこの世界が成長と発展を目的としているからなのです。
役に立たないものは成長と発展を導くことはできません。
役に立たないものは滅びます。
この世界には成長と発展に対して必要なものだけが残るのです。
現在の世界にある状況や存在は、どれも必要によって満たされています。
この世界のどこを探しても不要なものは存在しません。
あなたが何かを存続させたいと考えているのであれば、何かに対して貢献する必要があるのです。
何かに対して貢献することが無いものが存続することはありません。
成長と発展の役に立たないものを存続する必要性がないのです。
あなたは何をするにしても「世界に貢献しているか?」ということを意識しておかなければなりません。
世界に対して何の貢献もすることができなければ、必要性を認められることはありません。
必要性がなければ存続することも、存在することもできないのです。
あなたにとって、世界にとって必要なことは、それが貢献するということです。
あなたは何かに対して貢献することを目指さなければなりません。
貢献することから得られる利益こそが、この世界においては有益であるということを覚えておかなければなりません。
あなたに豊かさと幸福をもたらす本当の利益は、何かに対して必ず貢献するという形をしています。
貢献することから得られる利益こそが、豊かさや幸福を導く本当の利益なのです。
あなたは何かに対して貢献することができる自分でなければなりません。
それがどのようなことでも良いのです、何かの役に立ちさえすればそれで良いのです。
何かに貢献することが、あなたに豊かさと幸福を運びます。
何かに貢献したことによって得た利益というものは、あなたに可能性を与えることはあっても、それを奪い去るということはありません。
あなたが人生に可能性を必要としているのであれば、とにかく役に立つという意識を保たなければならないのです。
何かに対して貢献することを忘れた時点から豊かさや幸福への道は途絶えてしまうのです。
あなたがどのような気持ちを持とうとも、それはあなたの自由です。
人生に何を掴み、どのように構成するのかもあなたの自由なのです。
貢献こそが伝える利益の本当の姿を見失ってはなりません。
何かに貢献することで得られた利益以外を信用してはなりません。

2013年3月30日土曜日

人生との競争

大切なのは確実に進むことです。
先にさえ進んでいれば人生は必ず発展し、向上します。
それがどのように小さな一歩でも構わないのです。
しかしながら、どのような状況においても先へと進むことを忘れてはなりません。
人生は思い通りには進まないものです。
すべては自らにとっての必要性によって満たされていますが、その順序や方法が自らの理想に沿うとは限りません。
そのため、人は問題や壁などの何らかの困難に巡り会います。
人は人生に苦悩するのです。
人生には可能性が溢れていますが、いつの時もその可能性に気が付けるとは限りません。
時には、目の前の状況に対して何の可能性も感じることができないこともあるかもしれません。
先へ進むことが困難な状況というものが多々あることでしょう。
しかしながら、あなたは先へと進むことを決して諦めてはなりません。
どのような状況にも必ず可能性は存在しています。
それは探せば必ず見付かるものなのです。
可能性は探し続けることに意味があるのです。
困難な状況において、可能性が簡単に見付かることはありません。
困難な状況というものを目の当たりにする時というのは、その状況の中に存在している可能性を見失っている状態です。
問題や壁に出会した時は、あなたが可能性を見失っている状態であるということを理解しなければならないでしょう。
それは自らの考え方や方法が、状況に対して未熟であるということが言えるでしょう。
自分自身が状況に対して力不足であるからこそ、可能性を見失ってしまうのです。
あなたは常に自らの成長を求めていなければなりません。
それがどのように小さな成長でも構いません。
ただし、確実に成長することが求められるのです。
人はどのような状況においても必ず成長することができます。
人生はいつの時にもあなたに必要な学びを用意しており、あなたはいつでも学ぶことができるのです。
成長を実現させるのはあなた次第です。
あなたの姿勢が自分自身と人生を変えるのです。
あなたはどのような状況にも成長を諦めてはなりません。
どのような困難を目の当たりにしても、先へと進むことを諦めてはなりません。
人生が提供する状況を信じ、目の前のことを楽しまなければならないでしょう。
自分自身を信じること、目の前の状況を信じること、人生を信じることができなければ、成長を得ることはできません。
それは、状況を受け入れることでしか、人は成長することができないからです。
状況の中に可能性を見出すことで人は先へと進むことができます。
どのような状況の中にも何らかの可能性を見出すことが重要なのです。
状況を否定し、拒絶しているのであれば、状況を理解することはできません。
状況を理解することができなければ、そこに存在している可能性を理解することはできないでしょう。
否定や拒絶はあなたから可能性を奪ってしまいます。
それがどのような状況であろうとも、否定や拒絶の感情によってそれに向き合ってはなりません。
苦しいことを我慢してやれということではありませんが、どのようなことにも意味が存在することを理解し、それを信じることができなければ、可能性を見出すことはできないのです。
あなたは目の前の状況と協力しなければなりません。
あなたの状況は常にあなたのために働いています。
人生があなたを苦しめるということはありません。
人生は常にあなたを思い続けているのです。
あなたの前には気に食わない状況もあるでしょう。
それは思想とは違うかもしれませんが、理想へと向かって進んでいます。
人生は常にあなたの成長と自らの向上を求めて進み続けているのです。
あなたは自らの人生に負けないように自分自身を成長させなければなりません。
人生に遅れたら、そこには何らかの問題が生じてしまいます。
大切なのは人生に遅れないことです。
成長こそがあなたを先へと進ませます。
向上心を見失わず、小さなことにでも努力を諦めなければ必ず成長を得ることができます。
どのようなことにも意味があります。
あなたがやったことには必ず意味があるのです。
どのようなことも無駄にはなりません。
大切なのは確実に進むことです。
どのような状況にも可能性を諦めてはなりません。
道は必ず存在しています。
それを探し続けなければならないでしょう。

2013年3月28日木曜日

大事なこと

人生に求める結果というものは人それぞれに違っているものです。
人は皆、それぞれの価値観や立場によってそれぞれの求めるものが違います。
それは決して悪いことではありません。
人それぞれに違うことを求めることは良いことであるということを忘れてはならないでしょう。
人は誰しも、自分自身の求める正義のため、豊かさのため、幸福のために生きなければならないのです。
自分自身の求めるものを求めることができなければ、生きる意義を見出すことはできないでしょう。
人は皆、自分自身の求める結果のために生きていかなければならないということを理解しましょう。
あなたは自らの求める結果のために心血を注がなければなりません。
必要だと思えるものを手にするために尽力しなければならないのです。
あなたが必要だと思えるものを手にするということは、その人生を正義と豊かさと幸福によって満たすということです。
人は自分自身が求めるものを満たすことがなければ、人生に豊かさや幸福を得ることはできないのです。
状況や環境があなたに豊かさや幸福を与える訳ではありません。
あなたの心の状態こそが、あなたに豊かさや幸福を与えるのです。
誰かや何かに豊かさや幸福を求めたところで、それを得ることはできません。
豊かさや幸福というものは、自分自身の力で掴み取らなければならないのです。
あなたは自分自身の求める結果を手にしなければなりません。
それはあなたが自分自身で必要とするものでなければなりません。
自分自身が求めるものでなければ、何を手にしたところで人生に豊かさや幸福を感じることはできないのです。
人はそれぞれの価値観や立場を持っています。
必要なものや求めるものに違いが出るのは当たり前のことです。
あなたが求めなければならないものは、誰かや世間が求めているものではなく、自分自身にとって必要であり、自分自身が求めるものでなければならないでしょう。
人は違いを所有しています。
それが自然(普通)です。
誰もが同じものを求めていることこそ不自然なことはないのです。
価値観や立場が違うのだから、求めるものは違ってくるのです。
求めるものに違いがあって良いのです。
あなたは人と同じである必要はありません。
むしろ、人とは違わなければなりません。
本当の自分を押し殺してまで生きることに豊かさや幸福は存在しているのでしょうか?
自由に自分自身を表現することができることこそが、あなたにとっては豊かさであり幸福であるということに気が付かなければならないのです。
人生は自由に生きてこそ素晴らしいのです。
自分自身の本当に求めるものを手にすることが豊かさであり幸福であるのです。
あなたは自分自身に必要な結果を手にしましょう。
求める結果は人それぞれに違います。
しかしながら、それを手にする方法は同じでなければなりません。
あなたが必要なものを手にするためには、必要な条件を満たさなければならないのです。
それはどのような人物にも共通している方法あり、条件です。
あなたが自分自身が必要とする正義や豊かさや幸福を手にするためには、その心が穏やかであり、建設的でなければなりません。
冷静な判断と積極的な姿勢、そして、困難を乗り越える熱意がなければ、どのような必要も満たすことはできないのです。
あなたが必要なものを手にする条件というものは、何も物質的な条件に限ったものではないのです。
必要な資金があれば必要なものが手に入るというものではありません。
大切なのは、その心(の状態)が豊かであるということなのです。
どのような人物も、すべての原動がその心にあります。
必要なものを手にするためには、それを手にするための必要な条件を満たさなければなりませんが、その最たるものが自分自身の心であるのです。
自分自身という条件が整っていなければ、どのような条件も満たすことができないということを理解しなければならないでしょう。
どのような価値観のどのような立場の人物も、自然の法則に逆らうことはできません。
すべては自然の恩恵なのです。
自然の法則に逆らってはならないのです。
すべての結果は、その原因から導き出されます。
結果にそぐわない原因は存在しません。
そして、あなたは人生の結果として、自らの心を得ます。
あなたが受け取るものは、自らの心の中に存在しているもの(原因)であるということを理解しなければなりません。
あなたの心が原因となります。
人生に求めるものは人それぞれに違いますが、その心は常に思いやりや平和、豊かさや幸福という共通のものを持っていましょう。
それぞれが同じ目的を持ち、違う方向へと進んでいくのであれば、世界は無限の可能性を導くことでしょう。

2013年3月27日水曜日

大切な部品

人生が導く状況を信用することができなければ、人生に豊かさはないということを理解しなければならないでしょう。
人生が導くすべての状況は、あなたにとって必要不可欠なものです。
それはあなたが豊かさを手にするためには欠かせないものなのです。
人生におけるすべての状況は、あなたが豊かさを得るための条件と言えます。
その状況を乗り越えてこその豊かさであるということを理解しなければならないでしょう。
それがあなたにとって有利な状況であれ、不利な状況であったにしても、その先にこそ豊かさが存在しているということを覚えておかなければならないでしょう。
人生には様々な状況というものが存在しています。
それはあなたにとって気楽ものであったり、幸福を感じるもの、そして、厳しさや苦しみを感じるものであったりします。
状況はあなたの感情の数だけ存在しているのです。
あなたは自らの持つすべての感情に関連する状況を受け取らなければなりません。
それは、あなたが自らの感情を克服し、そして、成長するためです。
人は感情を克服する度に成長することができるのです。
様々な状況はあなたに自らの持つ感情を知らせているのです。
あなたは状況に対して感情を刺激されます。
そして、己を知るのです。
すべての状況はあなたを幸福や豊かさへと導くための手助けに他なりません。
あなたが成長し、人生に幸福や豊かさを得るためには、状況を受け入れ、そこに導き出される感情を克服しなければならないのです。
感情を克服することのない者に成長はありません。
それがどのような感情であろうとも、感情に支配されていては幸福や豊かさを得ることはできないのです。
人生における幸福や豊かさというものは自らの力によってコントロールしなければなりません。
どのような状況においても、そこに幸福や豊かさを導き出すことができる自分自身という存在こそが必要なのです。
目の前の状況において幸福や豊かさを得ることのできる感情を導くことが必要です。
感情をコントロールすることができず、感情に支配されてしまえば、人生に豊かさはないということを覚えておかなければならないのです。
多くの人は自らにとって不利な状況に対して嫌悪感を持っています。
目の前に存在している状況が自らにとっての問題や壁であるのならば、多くの人はそこにネガティブで破滅的な感情を用います。
不満という怒り。
不安や心配という恐れ。
諦めや絶望という悲しみ。
このように、目の前のそれが問題や壁などの自らにとって不利な状況であるのならば、ネガティブで破滅的な感情を抱いてしまうのです。
その状況においてそうすることが幸福や豊かさを導くというのであれば、そのように選択することが望ましいでしょう。
しかしながら、それがコントロールされた感情でなければ注意する必要があるのです。
コントロールされた怒りや心配や悲しみはネガティブで破滅的な感情にはなり得ません。
ポジティブで建設的な怒りや心配(心配り)や悲しみという感情もあるのです。
あなたは状況に対して、幸福や豊かさを得るために必要な感情を導き出さなければなりません。
自分自身でコントロールすることがなければ、人生は幸福や豊かさを得られないのです。
人生が勝手に幸福であり、豊かであるというのは幻想です。
自らで管理(コントロール)することがなければ、どのような幸福も豊かさも手には入らないのです。
しかしながら、問題や壁を前にして感情をコントロールすることは容易ではありません。
問題や壁に対する心構えが必要です。
あなたは問題や壁を嫌悪してはなりません。
あなたは問題や壁に対する嫌悪感が一切存在しない自分自身を想像しなければならないでしょう。
もしも、人生に何の問題や壁も存在しないのであれば、人生は味気無いものになってしまいます。
変化のない世界には魅力はありません。
何の変化もない、ただ単調に過ぎる時間に対して夢中になることができますか?
そこに問題や壁が存在しているからこそ緊張し、それを乗り越えることで緊張が緩和して変化が生まれるのです。
その変化こそが人を夢中にさせ、世界には魅力が溢れるのです。
問題を「問題」として嫌悪してはなりません。
問題こそがあなたを「暇」から救い出してくれるのです。
問題があるからこそ人は行動します。
問題があるからこそ人は工夫します。
問題があるからこそ人は協力します。
問題があるからこそ人は未来を夢見るのです。
問題こそがあなたの大切なパートナーでしょう。
すべての状況が必要によって満たせれています。
それが問題であろうと、壁であろうとも、それがあなたの幸福や豊かさには欠かすことのできない部品なのです。
あなたは幸福や豊かさの部品を粗末に扱ってはなりません。
それが一つ足りないだけで幸福や豊かさが完成しないこともあるからです。
自分自身をコントロールし、必要を満たしましょう。
人生におけるすべての状況を信用しなければなりません。
なぜなら、すべては例外なく幸福や豊かさへと続いているからです。

2013年3月26日火曜日

逆境

人生は必要によって満ちています。
人生のどのような状況も、それがあなたにとって必要であるからそこに存在しているのです。
あなたにとって必要のないものがあなたの目の前に存在することはありません。
それがどのようなものであったにしても、あなたにとっては必要であるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生が必要で満たされているということを忘れてしまっては、そこに存在している豊かさを受け取ることはできません。
どのような人物も、人生の豊かさというものは目の前の状況の中から受け取る以外に方法はないのです。
目の前の状況から豊かさを得ることができないのであれば、人生の豊かさを得ることはできないのです。
人が豊かな人生を手にするためには、状況の中に豊かさの可能性を見出さなければならないのです。
あなたはそれがどのような状況であろいうとも、その中に豊かさの可能性を見出すように努めなければなりません。
どのような状況であっても、あなたにとっての必要性を帯びています。
必要性のない状況は存在しません。
どのような状況にも必ず必要性があるのです。
あなたはそれを常に意識しながら、状況に向き合わなければならないでしょう。
状況の中に必要性を見出そうと努めれば、何らかの必要性が必ず見えてきます。
必要性を見出そうとしなければそれは叶いません。
自分自身が意識することが重要なのです。
状況は必要性を帯びていますが、それを露骨に誇示することはありません。
どのような状況においても、その必要性というものは自分自身で見出さなければならないのです。
人生はあなたを大切に思っていますが、あなたを甘やかそうとは思っていません。
そのため、状況が持つ必要性やその意味というものは、自分自身の力によって読み取らなければならないのです。
あなたは自分自身で考えなければなりません。
自分自身で考え、推(お)し量ることができなければ、状況が持つ必要性を見出すことはできないのです。
どのような状況も必ず必要性を帯びています。
あなたはそれを汲み取ることによって状況から大切な学びを得ることができます。
それはあなたを成長させ、人生を発展させるための学びなのです。
状況から必要な学びを得ることができなければ、人は人間的に成長することはできません。
状況の中に存在している学びを理解し、それを自分自身の成長に繋げることが重要なのです。
どのような状況の中にも、あなたの人間性を高める可能性が存在しています。
それがどのような状況であろうとも、決して無駄ではありません。
人生を豊かに生き、必要な成功を収めている人は特別な力や環境があった訳ではありません。
どのように恵まれた環境の中にいても失敗を導く人はいます。
どのように劣悪な環境においても成功を収める人はいるのです。
あなたもその他の人たちも、特別に違いがある訳ではありません。
どのような人物も自分自身を磨き、鍛えてきたからこそ、必要な成功を掴むことができたのです。
人間性(自分)を磨くということは、状況の中に必要性を見出そうと努めることです。
人間性(自分)を鍛えるということは、それを諦めないということです。
どのような状況の中にも自らにとっての必要性を見出そうと努め、それを見出すことを諦めることがなければ、人は人間性を高めることができるのです。
人間性を高めれば、必要な成功を掴むこともできるでしょう。
必要な成長を遂げなければ、必要な成功を得ることはできません。
あなたが必要な成功を得るためには、必要な成長を遂げる必要があるのです。
必要な成長を得るためには、目の前の状況の中に存在している必要性を見出す必要があります。
それを得ずに、人間性は高まらないのです。
あなたは状況を直接的に考えてはなりません。
問題を前にした時、それが「逆境」であるということを忘れてはなりません。
苦しみを感じている時、それはそれを苦しみだと感じる自分の弱さを克服するためのものであるということを理解するのです。
寂しい時は、寂しさを克服するため。
不満がある時は、そのような考え方を改めるため。
状況は逆の意味を以てあなたに大切なことを伝えているのです。
逆境をそのまま素直に捉えてはなりません。
表面的なところではなく、その本質的な部分を見なければならないのです。
状況の本質的な部分こそが、あなたにとっての必要性なのです。
表面的な部分には大切なことは見えません。
あなたにとっての大切なことは、いつの時も深い場所に隠れているものなのです。
人生は必要によって満ちています。
あなたはそれを忘れてはならないでしょう。

2013年3月25日月曜日

小さな充実

人生を豊かなものにしていくために必要なことは、目の前のその状況を満たしていくことです。
あなたが過ごす時間、作業、場所、相手、そして、自分自身の心を充実させる必要があるのです。
あなたの状況が充実することがなければ、人生が豊かさを得るということはありません。
状況(自分自身と環境)が充実してさえいれば、人生は豊かなものになるのです。
あなたが努めなければならないことは、状況の充実です。
どのような状況も、それをできる限り充実させるように努めなければならないでしょう。
状況の充実なしに、人生の豊かさはないということを覚えておかなければなりません。
状況の充実は自らの努力に比例しています。
状況を充実させるためには、それを充実させるための努力をしなければならないのです。
それは、状況の充実が自らの心の充実に依存しているからです。
どのような環境にいても、それを充実させるのは自らの心でしかありません。
例えどのように整った環境にいようとも、その心が充実していなければ整った環境を崩してしまうことになるでしょう。
そして、人生が豊かなものになることはないのです。
どのような状況も自らの心が原因になるということ、すべては自分自身が主体であるということを忘れてはならないでしょう。
あなたの状況の充実と、人生の豊かさはあなたの心の状態にかかわっているのです。
あなたは自分自身という存在を無視することはできません。
自らの心が充実を求めて積極的に努力をすることがなければ、状況を充実させることはできないのです。
あなたはいつの時も自分自身の状態を意識しておきましょう。
自分自身の状態を意識もせず、状況を充実させる努力もしないで人生が豊かになるのであれば、世界中のすべての人が人生を豊かなものだと感じているはずです。
しかしながら、現実はそうではありません。
人生に不幸と苦しみを感じている人は数え切れないほどいるのです。
人生を豊かなものだと感じている人は一握りしかいないのです。
多くの人は人生に苦しみを感じているのです。
それは、その人が決して努力をしていないという訳ではありません。
努力の方向性や方法が「それ」と違っている可能性があるのです。
人生には様々な状況が存在しています。
それは必ずしもあなたにとって優しいものではありません。
苦痛や苦悩を伴うような困難や問題が行く手を阻むこともあるのです。
そのような状況の中で人は、間違った方向や方法に対して努力をしてしまいがちなのです。
それは、人が困難な状況の中に恐怖を見るからです。
大切なことは状況の充実です。
現状がどのような状態であろうとも、そこからその状況を充実させるためだけに意識を集中し、それを実現さるための方向性や方法を見出し、努力をしなければならないのです。
状況を充実させるためには、自分自身がそれだけを望んでいなければなりません。
状況の充実以外を望んでいるのであれば、充実以外のものを実現してしまうのです。
人は自らの心が望み求めるものを実現します。
あなたが望み求めるものは、状況の充実(人生の豊かさや心の平和や幸福)だけです。
それ以外(不幸や苦しみなど)を望み求めてはなりません。
あなたは現状の中に満たしていくことができることを探しましょう。
今の状態で、あなたが充実させられることは何ですか?
それは小さなことでも構いません。
大切なのは今のあなたが充実させることができることです。
今のあなたが充実させることができること以外は、どのように励(はげ)んでもそれを充実させることはできません。
目標を大きく持つことは良いことですが、あなたの状況に「高望み」を持ち込んではならないのです。
今のあなたにできないことを考えても意味がありません。
それが夢や希望を考えることならば良いですが、大抵の場合はそうはいきません。
問題の中では余計な苦しみを考えてしまうのです。
余計な苦しみを考えるくらいならば、今できる小さなことを実行する方が有意義だと気付きます。
今のあなたにできることが小さなことであっても、それを充実させるように努めなければなりません。
小さなことも充実させるのであれば、それはいつか大きく育つのです。
小さなことも充実させることができないのに、大きなことを充実させることはできないのです。
目の前の状況を充実させることもできない人物が、人生を豊かなものにすることなどできはしないのです。
今のあなたにできるのがどのようなことでも気にすることはありません。
満たしていくことができるものから、次々に満たしていくことです。
そうすれば、いつの間にかに全体が満たされていることでしょう。
人生は小さな状況の充実の積み重ねで豊かさを得ます。
どのような充実をも望み求めなければならないでしょう。
人生はあなたが幸福を得るための世界です。
あなたは豊かな人生を求めなければならないのです。

2013年3月24日日曜日

心の世界

人生を築くのはあなたの意思に他なりません。
人生を決めているのはあなた自身なのです。
あなたが求めるものが状況に対して反映されます。
あなたが求めていないものはどのような状況に対しても反映されることはないのです。
それがどのような状況であったにしても、それはあなたの求めるものに関係するものであるということを覚えておかなければならないでしょう。
それがどのような状況であったにしても、あなたが求めるものを導くための過程に過ぎません。
すべての状況があなたの求めるものに向かって進んでいるのです。
あなたはそのことを理解しなければならないでしょう。
あなたが目の前の状況が自らの求めるものに向かっているということを信じることができなくても、人生はどのような時もあなたの求めているものをあなたに導くために働き続けているのです。
あなたのおかれている状況は、過去にあなたが求めたものがもたらした結果であるということを覚えておかなければならないでしょう。
人の心は広くて深いものです。
自分自身であっても、その心をすべて把握することはできません。
あなたが把握しているのは心の一部に過ぎません。
ほとんどの人は表面的な部分の心以外は把握していないのが現状なのです。
あなたは未熟です。
完全な人間など、どこを探しても存在しません。
誰もが未熟であり、誰もが成長の段階にあるのです。
自らの心を完全に把握している人は存在しません。
人が把握するには、その心は広く深過ぎるのです。
しかしながら、人生はあなたの心の中に存在している欲求を実現させるために働き続けています。
あなたの心の中には、あなたが把握してはいない欲求というものが存在しているのです。
その(理想に反する)欲求を知っていても、自らを正当化することによってそれを見失っているということがあるのです。
あなたが見失っていようとも、その欲求が心の中に存在しているのであれば、それは状況に対して反映され、人生には何らかの形で実現してしまうのです。
あなたが豊かな人生を得るためには、自らの心の中(の欲求)をできる限り把握しておかなければなりません。
自らの心を知らずに、人生を豊かなものにすることはできないのです。
あなたが求めているものが状況に反映され、人生に実現します。
あなたの心が抱えるものが、あなたの求めているものとして認識されるのです。
あなたが求めているものは、あなたの希望する何かではありません。
あなたの心が抱えているものこそが、あなたの求めているものなのです。
現状こそがあなたの未来を築くのです。
あなたが心の中に幸福を抱えているのであれば、わざわざ幸福になろうとはしなくても幸福を実現することができます。
あなたが心の中に不幸を抱えているのであれば、不幸を避けていたとしても不幸を実現することになるのです。
人生はあなたの意思を判断はしません。
あなたの心が抱えるものがあなたの理想だと考え、それを素直に実現させているのです。
あなたの心は、自らがそれを把握することができるほど小さなものではありません。
しかしながら、ある程度ならばそれを確認することはできるのです。
心のすべてを把握し、コントロールすることはできないかもしれませんが、それをより把握してコントロールする気持ちを持っておくということは必要なのです。
あなたはできる限り、自分の理想に沿った心境を所有しなければなりません。
理想に沿った心境こそが、理想の状況を導き、理想の人生を実現させます。
あなたが理想の人生を実現させるためには、理想の心境を保つ必要がありますが、理想の心境を保つためにはその努力をしなければなりません。
理想の心境を所有するためには、自らの理想を実行する必要があります。
自らの行動が、自らの心に多大なる影響力を持っているのです。
そして、自らの心が自らの行動に影響しているのです。
あなたは自分が受け取りたいと思うことを行動に移さなければなりません。
自分が他人にして欲しいことを、他人に対して施(ほどこ)さなければならないのです。
誰かに対してやったことが、自らに何らかの形で返ってきます。
穏やかな心境を以て人に優しく接すれば、人はあなたに穏やかな気持ちで接することでしょう。
慌ただしい心境によって人に接すれば、人は慌ただしい気持ちであなたに接するのです。
自分が所有している心こそが世界を築きます。
あなたはどのような世界を築きたいのかを考えましょう。
そして、欲しいものを与えましょう。
あなたの心の中にあるものが実現します。
現状に不満があるのであれば、自らの心境を変えることです。
人は心に従う生き物です。
あなたの原因はその心にあるのです。
あなたが世界に対して見ているものは、あなたの心の中に所有している世界です。
すべてが心によって導かれるということを忘れてはならないでしょう。

2013年3月23日土曜日

ドラマチックな人生

人生は常にあなたを豊かさへと導いています。
人生は常にあなたの理想を実現させるために働きかけているのです。
それがどのような理想であろうとも、人生はそれを無条件に実現させようと努めるでしょう。
しかしながら、人生がただ単にあなたを豊かさへと導くことはありません。
何の味気も無しにあなたを導くことはないのです。
人生という場所はとてもドラマチックな場所であるということを理解しなければならないでしょう。
人生はあなたにドラマチックな状況の展開を導きながら、豊かさへと案内することでしょう。
それは、この人生がとても楽しい場所であるということを理解してもらうためです。
人生には素敵な可能性というものが存在しているということをあなたに教えたいと思っているのです。
人生はあなたに楽しみながら豊かさへと向かって欲しいと願っています。
そして、どのような問題も必ず豊かさへと向かって進んでいるということを理解して欲しいと思っているのです。
人生は学びの場所です。
あなたは様々な状況から様々な学びを得ることによって成長と発展を得なければならないのです。
状況から学びを得るためには、その学びが強く印象として残る必要があります。
心に刻み込まれるような強い印象でなければ、あなたはそこに存在している学びに気が付くことはできないでしょう。
人生はできる限りの力を使って、状況の中に存在している学びをあなたに伝えたいと考えています。
状況の展開をドラマチックにすることによって、それを成そうとしているのです。
ドラマチックな状況とは、印象的な感動体験です。
すべての状況は感動を備えています。
あなたの目の前のどのような状況にも、必ず感動的な学びが備わっているのです。
それは、いつも表にある訳ではありませんが、それを備えていない状況というものは存在しないのです。
あなたはどのような状況においても印象的な感動体験をすることができるということなのです。
大切なのは自分自身の捉え方です。
あなたが状況の中に感動を探せば、どのような状況であってもドラマチックな展開をすることになるでしょう。
しかしながら、すべての状況の中に感動体験が備わっていることを知らず、またはそれを信じることができず、それを探さないでいるようであるのならば、人生がドラマチックな展開を見せることはないでしょう。
人生は常にあなたの理想を実現するために働いていますが、あなた自身がそれに気が付くことがなければ、理想を実現させることなどできるはずもないのです。
人生がドラマチックになるためには、状況に様々な変化が必要です。
何の変化もなく、淡々と進む状況に感動することなどできるでしょうか?
状況が様々な変化を見せるからこそ、そこに感動を得ることができるのです。
状況の変化はあなたにとって都合の良いものばかりではありません。
それは問題や壁、困難や試練としてあなたに厳しさと苦しみを覚えさせるでしょう。
人生には厳しく苦しい状況が必ず存在しているのです。
多くの人はそれを嫌っています。
自らにとって厳しく苦しい状況をできる限り遠ざけようと考えているのです。
しかしながら、何の変化もない状況にどのような感動体験が存在しているというのでしょうか?
あなたは何の変哲もない日常に感動することができますか?
同じことの繰り返しの中に感動を得ることができるでしょうか?
感動を得るためには、状況に変化が必要です。
緩急こそが感動を導くのです。
あなたは自らにとっての厳しい状況や苦しい状況をどのように扱いますか?
それらを嫌い、遠ざけるのはあなたの自由です。
しかしながら、何の厳しさも苦しみも無く、安心と安全に守られた状況の中に感動を得られるでしょうか?
あなたが感動を求めていないのであれば構いませんが、もしも、ドラマチックな人生を求めているのであれば、厳しさや苦しみを安易に拒絶していてはなりません。
どのようなことにも大切な役割と意味があります。
問題も壁も、ただあなたを苦しめるために存在している訳ではないということです。
すべてが感動のための演出であるということを理解しなければならないでしょう。
失敗を続けていることを努力によって成功に導くことができれば、あなたはそこに感動を得ることができるでしょう。
失敗することもなく、初めから成功だけを積み重ねていては感動することもないのです。
感動を演出するのは問題や壁となる状況です。
人生に問題や壁が存在しなければ、それはどれほど味気のない人生になることでしょう。
問題を嫌うことは、感動を嫌うことです。
それがあなたの嫌う問題であっても、必要な意味が必ず存在しています。
どのような状況も決してあなたを苦しめようとはしていません。
あなたはどのような状況の中にも感動を探しましょう。
すぐには見付からなくても、探せば必ず見付かります。
人生というものはとてもドラマチックな場所です。
そのことを忘れてはならないでしょう。
味気無い人生を生きてはなりません。
楽しく豊かな人生を生きましょう。

2013年3月22日金曜日

自分自身の声

自分自身を大切にすることができない者は、どのように努めても幸福を手にすることはできません。
残念ですが、それは仕方のないことです。
自分自身という存在を大切にすることができない者にはどのような幸福も微笑みかけはしないのです。
あなたが幸福を手にしたいと考えているのであれば、自分自身という存在を大切にしなければなりません。
どのような人物であっても、自分自身を大切にすることがなければ、人生という場所において幸福を得ることはできないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは自分自身を大切にしなければなりません。
それは、自分自身を幸福にすることなく、人生を幸福にすることなどできないからです。
あなたはどのような状況においても自分自身を蔑(さげす)んだり、軽んじてはなりません。
あなたはどのような状況においても自分自身を尊重しなければならないのです。
自分自身を大切にすることがなければ、分からないことはたくさんあります。
あなたが分からないことは自分自身に聞かなければなりません。
自分自身というのは、自らの心や魂を指します。
あなたが自分だと思っているのは自我というものです。
それはあなたの選択と行動を司っているために、自分自身であると錯覚しがちです。
しかしながら、自我というものは経験や習慣などによって自分自身で操作して作り上げたものであるということを忘れてはならないでしょう。
残念ながら、あなたは「自分自身」という存在を理解してはいません。
あなたが頼りにして従っている自我は、過去の経験や習慣によって築かれたものです。
しかしながら、人には過去の経験や習慣によって導かれるよりも大きな使命というものを持っているのです。
あなたはその使命がどのようなものであるのかを知らなければならないのです。
あなたには果たすべき役割というものが存在しています。
その役割を果たすことなく心は満たされず、人生が豊かなものになることもありません。
あなたが幸福を得るためには、自らの持つ役割がどのようなものであるのかを理解しなければならないのです。
あなたは自らの使命を知る必要があります。
目的もなく生きていても、人生を幸福を得ることはできないのです。
何らかの使命感に従って生きることで、人は幸福を得ることができるのです。
どのような人物も、自らの持つ使命を初めから知っている訳ではありません。
必要な条件を満たす者だけがそれを知る権利を得ることができるのです。
どのような人物にも、果たさなければならない使命が存在しています。
それはあなたの心の中に存在しています。
あなたの心が、あなたの果たすべき使命が何であるのかを知っているのです。
あなたが自らの使命を理解するためには、自らの心にそれが何であるのかを聞く必要があるのです。
自らの心に聞くことなく、自分自身がどのような使命を持って生まれたのかを知ることはできません。
あなたが自らの使命を果たすためには、それがどのようなものであるのかを自らの心に問わなければならないのです。
自分自身を大切にしていない者は、自分自身の声を聞くことはできません。
それは、思考や感情などの意思として現れることでしょう。
自らの心が求めるものを聞き入れ、それを実現させることこそが自らの使命を果たすことに繋がるのです。
自分自身を蔑み、軽んじている者にはその声は届きません。
自分自身の本心に従うことができずに、それを歪めているような者には聞くことができないのです。
あなたは本心の大切さ、自分自身によって生きること、自分自身を大切にすることを理解しなければならないでしょう。
あなたは普段から自分自身を尊重し、その意見に耳を傾けなければなりません。
あなたの心は、あなたが自らの持つ使命を果たすことができるように努めています。
自らの心が求めるものを素直に手にすることができる者は、自らの使命に辿り着くことができるでしょう。
自分自身のことを大切に扱わず、求めるものを掴もうとしなければ自らの使命に辿り着くことはできないでしょう。
それがどのような選択であろうとも、あなたは自らの本心に従わなければなりません。
過去の経験や習慣がそれを拒絶したとしても、あなたの本心がそれを求めているのであれば、その気持ちを優先しなければならないでしょう。
自分自身を大切にするということは、自らの本心を大切にするということなのです。
自分を偽り、心を歪めてはなりません。
それがどのような状況であろうとも、自分自身の心を信じておかなければならないのです。
自分自身を信じることこそが自分自身を大切にすることでしょう。
あなたの進むべき道はあなたの心が知っています。
自分自身の心を大切にし、進むべき道を理解しましょう。
あなたの使命(幸福)は、自分自身の心に聞く以外に方法はありません。
あなたの使命を他の誰かが知ることはできないのです。
あなたの使命は、あなたのために特別に作られたものです。
それはあなたでなければ果たすことができません。
あなたが人生に幸福を得るためには、自分自身と協力しなければなりません。
自分自身と協力することなく、自らの持つ使命を果たし、幸福を得ることはできないということを理解しなければならないでしょう。
あなたは自分自身を大切にしなければなりません。

2013年3月21日木曜日

人知の及ばない力

あなたはどのような状況も大切にしなければなりません。
それは、人生におけるすべての状況があなたにとってはとても大切なものであるからです。
あなたがどのように思おうとも、それは向上や発展へと続く道のりであるのです。
どのような状況もあなたを支えるものであります。
すべての状況があなたの向上と発展を支援しているのです。
あなたにはそのように思えないこともあるでしょうが、この世界には人知の及ばない力が働いています。
あなたが予想するよりも、人生は向上と発展に向けて進んでいるのです。
そのことを信じることができなければ、人は向上と発展を実現させるチャンスを逃してしまうでしょう。
人生はあなたの意思が築いていきます。
人生は常にあなたを向上と発展に向けて導いていますが、あなた自身がそれを求めて進んでいくことがなければ、それを実現させることはできないのです。
人生が向上と発展のために必要な状況を導いたとしても、あなたの意思がそれを拒絶するのであれば、目の前の状況を向上と発展へと導くことはできないのです。
人知の及ばない力が世界には存在しており、あなたに対して「良い」影響を与え続けていますが、それでもあなたの人生を勝手に操作することはできません。
例え人知を超えた力であっても、人の意思を超えて人生に手出しをすることはできないのです。
奇跡が起きて人生が勝手に向上と発展を導き、あなたに豊かさや幸福を実現することはありません。
人生が向上と発展を実現し、それが豊かで幸福なものになるためには、自らの意思によってそのように操作し、掴み取る必要があるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたがそれを掴むこともないのに、手にしているということはありません。
人知の及ばない力はあなたに方向性を示すことはありますが、あなたの人生を操作する力は持ちません。
人知の及ばない力が導く向上や発展の可能性を生かすのはあなたの意思なのです。
あなたが向上と発展に興味があるのであれば、目の前の状況がどのような様相を呈(てい)したとしても、それに逆らってはなりません。
すべての状況があなたにとって向上と発展を導く可能性を秘めているのです。
それはわずかな可能性かもしれませんが、そのわずかな可能性を無駄にする者には大きな可能性など得ることはできないのです。
目の前の状況が気に入らず、不満を以て進むのであれば、そこに存在している向上や発展に対する可能性を得ることはできないのです。
どのような状況にも、何かしらの向上と発展の可能性が存在しています。
それが存在しない状況というものは存在しません。
あなたはどのような状況においても、安心してそれを学ぶことができるのです。
人生には人知に及ばない力が働き、常に向上と発展をサポートしています。
そのため、あなたは如何なる状況においてもそれらを得ることができるようになっているのです。
あなたが目の前の状況から向上と発展を得ようとする意思がそれを人生に実現させます。
目の前の状況がどのようなものであっても、それに不満を以て歯向かうのであれば、大切な向上と発展の可能性を手にすることはできないでしょう。
人生は自らの意思と力(努力)によって切り開いていかなければなりませんが、自らの人生(状況)とも協力して築いていかなければならないのです。
自分独りの力で人生を築いていると思い込んではなりません。
自我が強くなり過ぎてしまうと、視野が狭まってしまって大切なものが見えなくなってしまいます。
人生というものは、自分自身の力と状況(人知の及ばない力)とが連携することによって豊かに築かれるのです。
目の前の状況が気に入らないという理由によってそれに憤慨(ふんがい)し、拒絶しているのであれば、向上と発展の可能性を掴むことはできないのです。
それがどのような状況であろうとも、冷静に見詰めることが重要なのです。
物事の表面を撫でただけで分かった気でいてはならないのです。
自分にとっての都合の良い状況など、滅多にある訳ではありません。
大抵の状況が逆境であるということを覚えておかなければならないでしょう。
人生には必ず何らかの問題が存在しています。
それは、現状から向上や発展を実現させるためには、問題となるものを解決しなければならないからです。
人生に向上と発展を求めている人は常に何らかの問題と向き合うことになるでしょう。
それは逆境として現れます。
多くの人はそれを嫌い、遠ざけようとするのです。
しかしながら、逆境の中にこそ向上や発展の可能性が備わっています。
見方を変えれば見付かるものなのです。
逆境に対して嫌悪感を抱いているのであれば、その考え方を正さなければならないでしょう。
人生は常にあなたの向上と発展のみを望んでいます。
すべての状況はそんな望みから生まれたものなのです。
あなたを大切に思う気持ちから導き出された状況です。
あなたはそれを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
どのような状況に対しても、そこから向上や発展の可能性を汲み取ることがあなたの成すべきことです。
すべての状況と協力しなければなりません。
あなたが争いの気持ちを捨てた時、そこには豊かさが導かれることでしょう。
自我に捉われて状況と協力することを忘れてしまったなら、あなたは苦しみを掴まなければならなくなります。
目の前の状況における向上と発展の可能性がどこにあるのか?
それを見極めなければならないでしょう。

2013年3月20日水曜日

未開の領域

人の心は広がりを感じることで満たされます。
広がりというのは可能性です。
それは、向上や成長であるとも言えます。
世界が広く見え、それを実感することができれば、人の心は満たされるのです。
あなたは自らの心を満たさなければなりません。
心が求める広がりを与えなければならないのです。
それは、心を満たすこと以外の方法によって、充実感や幸福感を得ることができないからです。
人生を豊かに生きるためには、充実感や幸福感を得る必要があります。
それらの感情を得ることなく、人生を豊かに生きることはできないのです。
あなたが何をしていても、その心が満たされることがなければ、空しさを感じてしまうでしょう。
空しさは心に穴を開け、その力を奪ってしまいます。
心の力が奪われてしまえば、人は抱える問題を解決し、人生を豊かに開拓していくことができなくなるのです。
問題を解決し、人生の可能性を広げることがなければ、人生が豊かな場所になることはありません。
状況が持つ可能性と、それを感じ取る心の広がりは一つに繋がっています。
人生がその可能性を広げることがなければ、心が広がりを見せることはありません。
心が広がりを見せることがなければ、人生が広がりを見せることもないのです。
あなたが豊かに生きるためには、心の広がりと人生の広がりを同時に求めなければならないでしょう。
心の広がりと人生の広がりを実現させるためには、そのどちらにも向上や成長を求めていなければなりません。
自らの意思が広がりを求めていなければ、その心が広がりを認識することも、人生が実際に広がりを見せることもないのです。
すべての人が人生に豊かさを、心に幸福を求めています。
しかしながら、多くの人はそのために心や人生を広げることを恐れています。
心や人生に広がりを求めながら、どこかでそれを恐れているのです。
それは、未知に対する恐怖です。
自分の知らないことに対しては、誰でも何らかの恐怖を覚えているのです。
心や人生が広がるということは、今までには足を踏み入れたことのない領域にまで踏み入るということです。
それを人はプレッシャーに感じてしまうのです。
恐れを抱かない人は存在しません。
誰であろうと、何らかの恐怖を抱くでしょう。
誰だって恐いのです。
誰もが恐れるのです。
しかしながら、その恐怖を克服した先に存在する未開の領域に足を踏み入れなければ、充実感や幸福感を得ることはできないのです。
あなたが必要な豊かさを得るためには、それ相応のリスクを負う必要があります。
豊かさを得るためには恐怖心を克服しなければならないのです。
恐怖を克服することがなければ、豊かさという宝物は手に入らないのです。
向上や成長を実現させるためには、どのような状況に対してもそれを意識しておかなければなりません。
どのような状況も向上や成長に結び付けなければならないからです。
状況に対する見方によって、それがあなたにとってどのようなものになるのかが決まります。
あなたがどのように結び付けるのかによって、受け取る結果に違いが現れるのです。
どのような状況に対しても向上や成長を意識し、そのように結び付けようとするのであれば、それがどのような状況であろうとも、そこから向上や成長を受け取ることができるでしょう。
状況を苦しみに結び付ければ、苦しみを受け取ることになるのです。
どのようなもの(原因)を結び付けるのかはあなた次第です。
ただし、あなたが結び付けるものを結果として受け取ることになるということは覚えておかなければならないでしょう。
心と人生が広がりを見せ、あなたに新たな世界(新たな状況や環境や価値観や自分)を見せることによって心は満たされ、人生は充実していきます。
豊かに生きるためには、心と人生が広がりを持たなければならないのです。
居心地が良いからといって習慣の中(小さな世界)にとどまっているのであれば、やがてその場の酸素を使い果たして窒息してしまうでしょう。
窒息する前に世界を広げていかなければならないのです。
あなたは習慣に依存してはなりません。
恐怖が道を塞いだとしても、未開の領域に足を踏み入れなければなりません。
それは、あなたが生きるためです。
生きて人生に後悔を残さないようにするためなのです。
誰もが豊かに生きていかなければなりません。
誰もが幸福を求めて豊かに生きなければならないのです。
誰もが心と人生に広がりを感じて生きていかなければなりません。
習慣の中に長く居過ぎることに注意を払わなければならないでしょう。
未開の領域に足を踏み入れることは気楽なことではありませんが、リスクを冒し、恐怖に立ち向かうことよりも大きな利益が得られるということを忘れてはならないでしょう。
未開の領域に足を踏み入れる機会があるのであれば、あなたは恐怖を克服し、一歩を踏み出さなければならないでしょう。

2013年3月19日火曜日

理想の人生

すべての原因は、それに見合った結果を導きます。
原因は必ず必要な結果をもたらします。
原因が結果を無視することはありません。
どのような原因も必ず結果として現れることを理解しなければならないでしょう。
すべての結果には、それに見合う原因が存在しています。
結果を見れば原因が分かり、原因を見れば結果が分かります。
人生においての原因と結果の法則からは逃れようがありません。
どのような人物も、原因と結果の法則に支配されているのです。
あなたの人生における原因とは、あなたの生き方です。
それは思考に始まり、感情や選択や行動によってもたらされます。
あなたがどのように生きるのか?ということが人生の原因となるのです。
あなたは人生において、自分にとっての必要な結果を得ることができます。
それは、すべての原因をあなた自身が所有しているからです。
あなたの生き方が人生を決めていくのです。
あなたは自らの理想に沿った生き方をしなければならないでしょう。
あなたが欲しいものを手に入れるためには、あなたが欲しいものを与える必要があります。
この世界においては、あなたが与えたものを受け取ることができるのです。
それは、あなたの与えるものこそが生き方であり、原因であるからです。
あなたはどのようなものを求めていますか?
どのようなものを受け取りたいと考えていますか?
あなたが受け取りたいものは、それを原因として所有しておかなければなりません。
原因が存在しなければ、必要な結果を受け取ることはできないのです。
あなたが優しさを欲しているのであれば、人に対して優しさを与えなければなりません。
あなたが心の平穏を望んでいるのであれば、どのような状況下においても心を乱してはならないのです。
あなたが与えたものが返ってきます。
多くの人はこの原因と結果の法則を知らずにいます。
自らが原因であるということに気が付かずにいるのです。
そのため、誰かや何かが悪いと決め付けて、外に原因を探すのです。
外に原因を探すということは、自らを正当化しているということが言えます。
自らを正当化すれば、正しいものの見方をすることができなくなってしまいます。
原因がそれに見合った結果を導くということを理解することなく、正しいものの見方をすることはできないのです。
あなたの人生を築いているのは紛れもなく自分自身です。
あなたの生き方が人生を決めるということを否定するということはできないでしょう。
あなたの考え方や感情、そして、選択や行動こそがあなたの状況と人生を決めているのです。
あなたが豊かな状況や人生を求めているのであれば、豊かな原因を所有しなければなりません。
豊かな原因(生き方や心境)を所有することがなければ、豊かな人生を得ることはできないのです。
多くの人は豊かな原因(生き方や心境)を持たずに生きています。
その度量が小さく、何かに対して常に恐怖と危機感を抱いているのです。
恐怖と危機感に根差した心は、「守り」に入ります。
それは自己防衛であり、結果としてそれは争いの心なのです。
恐怖や危機感に根差した心は、何かを与えるということを忘れてしまいます。
守ること、これ以上減らさないこと、より多く得ることなど、自らの権利を守ろうと働くのです。
自らの権利を守ろうとする時、人は自分のことを最優先に考えています。
自分のことを考えることは悪いことではありませんが、それが行き過ぎてしまい、自分の権利を守るために他人の権利を侵害してしまうことになれば、結果として自らの権利が侵害されてしまうということになってしまうのです。
それは、どのような状況に対しても原因と結果の法則が働いているからです。
他人の権利を侵害するという原因は、自らの権利が侵害されるという結果を導きます。
誰かに危害を加えれば、いつかは報復されることは予想することができるでしょう。
誰かの権利を侵害すれば、いずれは自らの権利が侵害されてしまうのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、豊かな原因(生き方や心境)を所有しなければなりません。
争いや恐怖などのネガティブで破滅的な原因(生き方や心境)を所有してはならないのです。
あなたは自らが欲するものを誰かや状況の中に与えるようにしましょう。
あなたの与えたもの(原因)はそれに見合った結果として必ず返ってきます。
人生には自らの生き方以外の結果を受け取ることはできません。
それがどのような結果であれ、自らの生き方がもたらした当然の結果であるということを理解しなければなりません。
すべての結果が自らの原因から導き出されることを理解すれば、あなたは自らの原因(生き方や心境)に対して意識を傾けることになるでしょう。
原因を変えることで結果は変わります。
生き方を変えることで人生は変わるのです。
あなたの求めるものは何だって手に入るのです。
問題は自らの生き方であるということを理解しなければならないでしょう。
自らの生き方を見直し、理想の人生に向かって進んでいきましょう。

2013年3月18日月曜日

生きた学び

学びとは、あなたを成長させ、人生の問題の解決と豊かさを導く手助けをするものです。
あなたにとって学びというものはとても大切なものです。
あなたは学びを得なければなりません。
学びを得ることがなければ、人間が本当の意味で成長することはできません。
そして、成長することができなければ、問題の解決と豊かさを導くことはできないのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、とにかく学びを得ることが必要であるということを理解しなければならないでしょう。
あなたの成長とは、その人格が向上することです。
人格が向上することがなければ、本当の意味での成長を遂げることはできないのです。
本当の意味での成長を成すことがなければ、人生の豊かさを得ることはできないでしょう。
学びとは、その人格を向上させる経験を言うのです。
あなたを人間的(人格的)に成長させるものは「生きた学び」でだけです。
それ以外の学びはあなたを人間的に成長させることはありません。
人伝(ひとづて)や文面などから得られる机上の情報だけでは、あなたの人間性は向上しないのです。
あなたは生きた学びを得ることを心掛けなければなりません。
生きた学び、それは命を宿す学びです。
命を宿す学びとは、実際の体験から得ることのできる経験や知識のことを言います。
あなたが実際に得た体験こそが、あなたにとっての生きた学びであるのです。
あなたが実際の経験の中から得た情報は大切な教訓となり、あなたに対して強い力を与えます。
それはあなたの抱えるどのような問題も問題にしない力を持っています。
あなたが生きた学びから得る力は、あなたの抱える問題を凌駕(りょうが)する成長を導くのです。
生きた学びを受け取る人は、人間的な成長を果たすことができます。
それは、人格を向上させ、その度量を大きくするのです。
度量が大きければ、問題を問題とも思わなくなります。
それは問題に捉われる心を救います。
問題に捉われて進めない時間を取り戻します。
狭量はあなたの可能性を潰してしまいます。
器の小さな人間は、抱える問題も小さなものです。
小さなこと(問題)に捉われ、慌てているのであれば、物事を先へと進めることはできないのです。
あなたは大きな器(広量)を築かなければなりません。
小さな器では抱える問題も小さなものになってしまいます。
大きな器であれば、小さな問題、大したことのない問題を問題にすることはないのです。
小さなことにわざわざ立ち止まっていてはなりません。
人生には問題が付き物です。
すべての問題を相手にしているのであれば、時間がいくらあっても足りないのです。
あなたはすべての問題の相手をしなくても構いません。
小さな問題に多くの時間を割いているほどの余裕はないのです。
小さな問題は問題にならないくらいの大きな器を持ちましょう。
問題にいちいち反応して耳を貸していたら、得られるものも得られなくなります。
問題を軽んじろと言っているのではありません。
小さな問題を大きく捉える必要はないということを言っているのです。
あなたにとっては大きな問題も、冷静に捉えてみれば小さな問題であるということがあります。
大抵の問題はあなたが抱え切ることのできる規模です。
それが大き過ぎて、あなたを潰してしまうということは滅多にあるものではありません。
あなたのネガティブな考え方(狭量)が、問題を実際よりも大きく見せていることがあるということを覚えておかなければならないでしょう。
ポジティブな考え方(広量)を所有している人は、目の前の問題が永遠でないことを知っています。
そして、それが自らにとって問題ではないことも知っているのです。
そのため、問題にいつまでも捉われていることはありません。
問題よりも、次の可能性を追い続けているのです。
経験不足に陥ってしまうほど、人は狭量な人間になっていきます。
経験不足が人間的な成長を妨げるからです。
あなたは机上の空論に頼って人生を築いてはなりません。
経験に頼って人生を築くように心掛けなければならないのです。
経験こそが人を育てます。
あなたは何事にもチャレンジしなければなりません。
そのような気持ちを持っていれば、問題は問題ではなくなるでしょう。
頭で考えるだけ、想像するだけでは足りません。
実際に試行錯誤する中でその度量を育てましょう。
生きた学びというものは、あなたの意思が導きます。
あなたが経験を欲しない限り、生きた学びは手に入りません。
あなたは経験することを欲しましょう。

2013年3月17日日曜日

求める生き物

すべての原因はあなたの中に存在しています。
あなたの意思こそが世界を築きます。
あなたが注目すべきは自らの内側の状態です。
原因に注意しなければ、理想的な結果を導くことはできないのです。
あなたは自分自身の意思の状態に注目しなければなりません。
あなたの意思は、欲求によって導き出されます。
欲求とは意思の原因です。
欲求に従って意思が生み出されるのです。
欲求が存在しなければ、そこにはどのような意思も存在しないということを理解しなければならないでしょう。
欲求が意思を生み、意思が更なる欲求を生みます。
欲求と意思は互いに結び付き、協力して人生を築いているのです。
欲求と意思の質を変えることが自らの選択と行動を変えることに繋がります。
欲求と意思の質を変えることがなければ、あなたの選択と行動には変化が生み出されることはないのです。
選択と行動はあなたの生き方を形作ります。
あなたの選択と行動は欲求と意思によって決められています。
あなたの生き方の根源は、その欲求と意思にあるのです。
何を求め、何を掴むのか?
人生にとってそれはとても大切なことです。
あなたは必ず何かを求めなければなりません。
何かに対する欲求が尽きることはないのです。
そして、あなたは何かを掴まなければなりません。
それがどのようなものであろうとも、あなたは何かを手にしなければならないのです。
どのような人物も欲求と意思に逆らうことはできません。
欲求とそれを実現させる意思を拒絶することは誰にもできないことなのです。
人間というものは求める生き物です。
常に何かを求めなければ成り立たないのです。
その心は常に何かを求めています。
あなたが人間である以上、欲求が尽きることはありません。
どのような選択に対しても、そこには欲求が存在しているということを忘れてはなりません。
人は誰もが何らかの欲求を所有することは避けられないことですが、その欲求の質をコントロールすることはできます。
欲求の質をコントロールすることでのみ、人生は変化を導くのです。
人は立ち止まることを許されていません。
時間は進み続け、状況は変わり続けます。
あなたは欲求を強制され、何かを必ず掴まなければなりません。
人生は休むことが許されない世界です。
常に動き続けていなければならないのです。
あなたがどのように思おうとも、何かを求め、何かを手にしなければなりません。
「絶対に」何かを求め、手にしなければならないのであれば、それを良いものにすることが求められます。
それは、人生を楽しく豊かな場所にするためです。
人生は、求めるものと手にするものの質によってその姿が決まります。
どのようなものを求め、どのようなものを手にするのか?ということ以外には違いがないのです。
欲求と意思の違いこそが、それぞれの人生に変化を導いているのです。
あなたは良い欲求と意思を持たなければなりません。
良い欲求と良い意思とは、それがポジティブであって建設的であり、何かに対して貢献することができるものです。
その欲求や意思が何かに対して貢献するようなものでなければ、あなたや世界にとってそれが良い欲求や意思であるとは言えないのです。
あなたは、欲求や意思をポジティブで建設的なものになるように誘導しなければなりません。
利己的な欲求や意思によって人生を築いてはならないのです。
人は欲求を避けることはできませんが、それが自らにとって破滅的な影響を与えることを避けることはできます。
どのような欲求に従い、どのような意思を貫くのか?人生にとってそれはとても大切なことです。
幸いなことに、あなたは自らの意思でその欲求をコントロールすることができます。
人生は自らの意思によって築いていくものです。
すべての原因はあなたの中に存在しています。
どのような欲求に従うべきなのかを決めておかなければなりません。
自らの理想に沿った欲求を見極めなければなりません。
あなたの欲求が選択と行動を決めます。
人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、ポジティブで建設的な欲求に従うようにしておきましょう。

2013年3月16日土曜日

素敵な一日

素敵な一日は素敵な人生に繋がっています。
素敵な一日を生きることこそ、素敵な人生を送るためには必要なことです。
素敵な一日を生きることができない者が、素敵な一生を送ることはできません。
どのようなことも、小さな一つひとつの積み重ねなのです。
どのように大きなことでも、小さなものを積み重ねることがなければ実現しません。
残念ながら、大きなものが初めから手に入ることはありません。
あなたが手にすることのできるすべてのものは、初めは小さなものであるということ、そして、その積み重ねであるということを理解しなければならないでしょう。
小さなことを完璧にこなせない者には、大きなことをこなす力はありません。
あなたは小さなことを軽んじてはならないのです。
どのようなことも小さなことの積み重ねであるということを忘れてはならないのです。
あなたの人生は、小さな一日の結果であります。
日々の積み重ねこそが人生を築きます。
どのような人物のどのような人生も、その一日を抜かして達成されることはありません。
どのような一日でも、それは人生に成り得るのです。
あなたがどのように一日を過ごそうとも、それはあなたの人生を形作る大切な材料となります。
あなたがどのように否定しても、あなたが過ごした一日を取り消すことはできないのです。
あなたがどのように過ごそうとも、それはあなたの大切な一日です。
そのすべてがあなたの人生の評価であるということを理解しなければならないのです。
あなたが素敵な人生を望んでいるのであれば、素敵な一日を積み重ねなければなりません。
素敵な一日の積み重ねは、素敵な人生を築きます。
あなたは一日の持つ重みを知らなければなりません。
どのような一日もあなたの人生に影響力を持っています。
しかしながら、多くの人はそのことを実感として持ってはいません。
過ぎていく日々に何の目的も持たず、ただ時間を潰すように生きている人が多いのです。
時間は貴重な資源です。
この世界において、時間ほど価値のあるものはありません。
どのような力も時間を必要としています。
例えば、どのように大量の金銭を所有していようとも、時間を持っていなければ使い用がないのです。
すべての力を有益なものにするためには時間が必要不可欠であるということを理解しなければならないでしょう。
時間を無駄にすることは、持てる力や豊かさを無駄にしていることと同じことです。
あなたは自らの力や豊かさを無駄にしたいと思いますか?
それが力や豊かさであるのならば、無駄にしたいなどとは考えないはずです。
むしろ、それが力や豊かさであるのならば、より多く欲しいはずなのです。
時間を必要以上に所有することはできません。
一日は誰にとっても一日でしかありません。
残念ながら、人よりも多くの時間を持つことなどできはしないのです。
誰もが同じ時間の制約の中で一日を生きているのです。
しかしながら、充実した一日を送る人もいれば、そうでない一日を送る人もいるのです。
同じ一日を生きているにもかかわらず、そこには(充実感や幸福感に対する)差が生まれてしまうのです。
人はそれぞれに状況や環境、そして立場が違うと反論するかも知れませんが、どのような状況下においても、充実した一日を送る人はそうするでしょう。
充実した一日を送ることができない人は、どのような状況下においても、それを充実させることはできないのです。
状況や環境や立場というものは言い訳にしかなりません。
どのような立場のどのような人物にも、不利な場面や苦しい状況は必ず存在しているのです。
あなたの隣にいる人が、あなたと違う条件で生きているでしょうか?
あなたの隣にいる人が、あなたよりも多くの時間を得ているでしょうか?
素敵な一日を生きるためには、素敵な一日を生きるために努めなければなりません。
どのような日も、あなたにとってそれが初めからどのような一日になるのか決まっている訳ではありません。
あなたがその日一日をどのようなものにするのかを決めなければならないのです。
素敵な一日とは、充実した一日のことを言います。
あなたにとって充実した一日ならば、そこに充実感を得ることができるでしょう。
充実感を得ることができれば、それは素敵な一日になるのです。
自分次第ですべてが決まります。
あなたの目の前の一日は、人生を築くための大切な一日です。
それを素敵なものにしなければなりません。
不満や不安に支配されるような一日にしてはならないのです。
夢や目的のある一日を生きることを目指しましょう。
素敵な日々の積み重ねこそが、素敵な人生を築くことを忘れてはならないでしょう。

2013年3月15日金曜日

幸福の積み木

あなたはどのような状況に対しても、その気分を害してはなりません。
どのような状況に対しても、あなたにとってそれがどのようなものになるのかを決めるのはあなたの意思です。
あなたの意思によって、状況があなたとあなたの人生に与える影響が変わるのです。
あなたは状況が人生やあなた自身に与える影響がどのようなものになるのかを好きに決めることができます。
状況にどのような結果を受け取るのかを自らの意思選択によって決めることができるのです。
しかしながら、あなたが受け取るべき出来事は既に決まっています。
状況においてどのような変化を受け取るのかは、あなたの原因(生き方)によって既に決まっていることなのです。
原因は必ず、それに相応する結果として導き出されます。
それを変えることはできません。
あなたは自らの行いから得られる結果を受け取らなければならないのです。
そのため、状況が導く変化を否定することはできません。
あなたは状況のすべての変化を受け取らなければならないのです。
すべての出来事を受け止めることが、自らの人生を生きることなのです。
あなたは自らの人生を生きなければなりません。
それは、自らの人生を豊かなものにするためです。
あなたは幸福を手にしたいと願っています。
しかしながら、ただ願うだけでは幸福を得ることはできません。
この世界においては、欲しいものは望んでいるだけでは手に入りません。
あなたが欲しいと願うものは、自らの手で生み出していかなければなりません。
そして、自らの手で掴むことがなければ、何も手に入ることはないのです。
幸福を手に入れるためには、とにかく幸福な気分を手に入れる必要があります。
幸福はその心の状態であるということを理解しなければなりません。
どのように恵まれた環境にいようとも、そこで心が満たされないのであれば幸福を得ることはできないのです。
何不自由ない生活をしていたとしても、そこで良い気分を保てなければどのような幸福も手にすることはできないのです。
幸福とは形ではありません。
幸福とは心の状態なのです。
それは自らの力でのみ得ることができる状態なのです。
あなたの心は、あなたが管理しています。
あなた以外の誰かや何かがそれを管理することはできません。
最終的な決定権はあなたにのみ与えられているのです。
あなたが自分自身で自らの気分を決めているのです。
あなたはそのことを理解しなければならないでしょう。
自らの心を自らが決めていることを理解することなく、あなたは幸福を手にすることはできないのです。
状況(問題)によって心が乱され、ネガティブで破滅的な感情によって心を染めてしまえば、幸福な気分を保つことなどできないでしょう。
感情的な心では、幸福を得るための選択をすることはできません。
感情に任せてしまえば、あなたは理想とはかけ離れた結果を受け取ることになるのです。
受け取る結果(出来事)を積み上げていかなければ幸福には手が届きません。
しかしながら、あなたが受け取る結果が積み上げるのに適した形であるとは限りません。
問題や壁に感じる状況などのは積み上げるのには適しません。
あなたにとっての問題や壁に感じる状況を幸福に導くのは簡単なことではないことは理解することができるでしょう。
どのような結果も、あなたにとってはとても大切なものです。
残念なことに、それらを積み上げなければ幸福には手が届かないのです。
問題や壁に感じる状況に対して気分を害しているのであれば、あなたは幸福を手にすることなどできないのです。
それが問題でも何でも、起った出来事を変えることはできません。
起きてしまったことは変更のしようがないのです。
それがどのような結果であれ、あなたはそれを積み上げなければなりません。
あなたはどのような状況に対しても気分を害してはなりません。
不満や不安を抱えてはなりません。
良い気分でなければ、状況を上手く積み上げて本当の幸福に辿り着くことはできません。
それがどのような状況であろうとも、そこには必ず大切な意味が存在しています。
それは、幸福へと繋がる積み木です。
問題や壁という積み木は歪な形をしていますが、使い方一つで高く積み上げることができます。
平凡な状況は平凡な形をしていて積み上げ易いですが、一つひとつが薄っぺらい形をしているので高く積むのには時間が必要なのです。
問題は人生からのボーナスであるということを理解しなければならないでしょう。
問題に気分を害するのは、自らその宝を放棄しているようなものです。
逆境の中にこそ幸福が存在しているということを忘れてはならないでしょう。
幸福は気分によって決まります。
どのような状況の中でも、気分を害してはならないでしょう。
どのような結果も、良い気分によって上手に積み上げましょう。

2013年3月14日木曜日

心の広がり

心の広がりと人生の広がりは比例しています。
心の広がりと共に、その人生は広がりを見せます。
それは、人生というものをその心が築いていくからです。
心によって人は導かれます。
あなたの選択や行動はその心によって導かれているのです。
人は自らの心に逆らうことはできません。
誰もが自らの心を無視することはできないのです。
それは、自らにとって心というものが何よりも大切であるということを知っているからです。
人は誰もが自らの心と共に生きています。
どのように自らを装っても、その心(本心)を装うことはできません。
表情や言葉によって誰かを騙すことはできても、自分自身を騙すことはできないのです。
本心によって生きることは、自由に生きるということです。
自由に生きるということは、どのような状況下にあっても、それを楽しむことができるということです。
自らにとっての気楽な状況だけを楽しむことが人生を楽しむということにはなりません。
それは人生には決して気楽な状況だけではないからです。
自らにとって厳しく、苦しいと感じる状況もあってこその人生なのです。
人生を楽しむためには、それなりの努力と工夫が必要になってくる訳です。
ただ気楽な方に流れていくだけでは人生を本当の意味で楽しむことはできません。
問題や壁を遠ざけ、そこから逃げ出しているようでは人生を楽しみ、自由に生きることはできないのです。
気楽な方に流れていても、いつかは必ず問題や壁と向き合わなければならない状況に陥ることになります。
どのような気楽な道も、いつかは必ず問題や壁に突き当たるのです。
人生とはその問題や壁との闘いでもあります。
問題を解決し、壁を乗り越え、価値を生み出すことこそ、人生の豊かさであり幸福なのです。
あなたが人生を本当の意味で楽しく、そこに豊かさや幸福を感じるためには、問題や壁などの厳しく苦しい状況をも含めて楽しみを見出す必要があるのです。
心を広げるためには、問題や壁を乗り越える必要があります。
問題や壁に阻まれてしまえば、心の広がりは得られないのです。
何の障害もなく広がることこそが大切なのです。
あらゆる分野に向かって広がりを見せる心というものは、あなたの気分を退屈にさせることはありません。
あらゆる分野に向かって広がりを見せる心は、常に何かを学ぼうとするため、積極的な意思によって満たされ、常に躍動的でいられるのです。
何かを学ぼうという意思によって世界を解明することこそがあなたの使命です。
あなたはできる限り、この世界を解明しなければならないのです。
あなたが必要としている豊かさや幸福を得るためには、世界には多くの障害が存在しています。
あなたはその障害を一つひとつ取り除き、豊かさや幸福を手にしなければならないのです。
必要な条件を満たすことがなければ、必要な結果を得ることはできません。
あなたの豊かさや幸福に対して障害になっているものを取り除くことがなければ、それらを受け取ることはできないのです。
あなたは問題や壁になるものから逃げていてはなりません。
あなたの目の前に問題や壁が生じるのは、その心が広がりを見せているからです。
心が広がりを見せるから、問題や壁となるものに触れることになるのです。
心が広がりを見せることがなければ、問題や壁となるものに触れることもないのです。
問題や壁が向こうから出向くということはありません。
あなたがどのような選択をしようとも、少なからず人生は進んでいるのです。
あなたは確実に一歩ずつその歩みを進めているのです。
どこに向かうのかは個々の意思によって違いますが、人は皆、歩み続けているのです。
問題や壁に突き当たることは決して不運などではありません。
それはあなたにとって、豊かさや幸福に向かうために心を広げる絶好の機会であるのです。
あなたはその期を逃してはなりません。
問題や壁となるものと向き合うことは簡単なことではありません。
そこには恐怖が存在し、あなたの気持ちに関係なく心に苦しみを与えるからです。
しかしながら、それを克服することができなければ、豊かさや幸福を手にすることなどできないのです。
心を広げるということは、人生を広げるということです。
問題や壁と思えるものは、あなたが自らの心を広げる絶好の機会です。
問題や壁を嫌ってはなりません。
それらはあなたを苦しめる原因などではないのです。
それらはあなたにより良い状況や状態を導いてくれる大切なものなのです。
問題や壁によって心の広がりを妨げてはなりません。
あなたの考え方、捉え方次第で状況は大きく変わるのです。
あなたは心を広げなければなりません。
心を広げるということを諦めてはなりません。
問題や壁を乗り越える努力を諦めてはなりません。
あなたはより広大に人生を広げなければならないでしょう。

2013年3月13日水曜日

豊かさへの扉

すべての状況は向上を以て発展へと向かっています。
どのような状況も必ず豊かさへと向かっているのです。
人生があなたから幸福を奪い去るということはありません。
人生は常にあなたに対して豊かさと幸福を与え続けているのです。
あなたが苦しみを受け取り、不幸を感じるのであれば、それはあなたが苦しみや不幸を選択している以外には考えられないことです。
あなたが苦しみや不幸を選択しているために、それらを受け取っているということを理解しなければなりません。
あなたは自らの意思によって人生を選択し築いていきます。
どのような状況も、あなたがそれを目指して歩みを進めたのです。
あなたの選択があなたをその場所へと導いたのです。
あなたが違う道を選択していたのであれば、あなたは違う場所に辿り着いていたのです。
それがどのような問題であっても、それはあなたが選択して歩むことによって導き出された結果であるのです。
すべては必ず豊かさへと向かっています。
あなたがどのように感じようとも、あなたは豊かさへと向けて進んでいます。
現状が豊かさに向かう気配を所有してはいなくても、あなたが向かう先には必ず何らかの豊かさが存在しているのです。
どのような状況においても、そのことを理解しなければなりません。
人生があなたを豊かさへと導いていることを理解することができなければ、あなたはそこへと辿り着くことはできないのです。
それは、どのような状況においても豊かさへと続く道を選択することがなければ、あなたは豊かさへと辿り着くことはないからです。
人生は常にあなたを豊かさへと導いてはいますが、あなた自身の意思や選択がそれを求めていないのであれば、豊かさへと辿り着くことはできないのです。
人生はあなたの意思によって築かれていきます。
あなたがどのような道を選択するか?ということが重要であるのです。
あなたは必ず問題に向き合うことになります。
それは豊かな場所へと辿り着くための扉のようなものです。
豊かさへの扉は初めはいつも閉ざされています。
あなたが豊かな場所に辿り着くためには、その扉を開くための鍵を探さなければなりません。
その鍵を探すことなく、扉が開くことはありません。
豊かさへの扉を開く鍵は簡単には見付かりません。
それが見付かったとしても、それを手に入れることが難しい場合もあります。
それがあなたにとっての問題として目の前に現れるのです。
あなたが対峙する問題というのは、豊かさへの扉を開くための鍵探しです。
鍵を手に入れ、豊かさへの扉を開くことが、問題の解決であり、豊かさの取得です。
問題の中には必ず豊かさへの扉を開く鍵が存在しています。
それがどのような問題であったにしても、そこには必ず豊かさへの扉を開く鍵が存在しているのです。
重要なのは、諦めずにその鍵を探し、見付け出すということです。
多くの人は問題を無価値なもの、更には損害として扱っています。
問題をそのように扱う人は問題を避けているために、豊かさへの扉を開く鍵を得ることができません。
豊かさへの扉が開かないがために、同じ場所に止まり続けなければならないのです。
同じ場所にいるということは、進歩がないということです。
それは停滞や現状維持という状態を引き起こします。
そこには退屈という感情が導かれ、豊かさや幸福を感じることはできないでしょう。
あなたはどのような問題を前にしても、そこに存在している価値(豊かさへの扉を開く鍵)を探し続けなければなりません。
価値を見出そうとしないにもかかわらず、豊かさを得ることなどできないのです。
あなたは問題に対して争いの気持ちを持ってはなりません。
問題を歓迎しなければ、そこに存在している価値を見出すことなどできはしないのです。
人生は必ずあなたを豊かさへと導いています。
その過程において、あなたが解決しておかなければならない問題が存在しているだけです。
その問題を抱えた状態では、豊かさへは辿り着くことができないのです。
豊かさへと辿り着くためには、豊かさに対して問題となるものは解決しておかなければならないのです。
あなたはいつの時も自らの意思によって選ばなければなりません。
あなたは苦しみへと向かう道を選ぶことも、豊かさへと向かう道を選ぶこともできます。
どちらを選ぶのもあなたの自由なのです。
人生はあなたに何の禁止もしてはいません。
あなたは好きに選択することができるのです。
問題に対してどのような考えや感情を持つのか?それはとても重要なことです。
人生を豊かなものにしたければ、問題の中に価値を見出さなければなりません。
それができなければ、豊かさへの扉は固く閉ざされたままであるということを忘れてはならないでしょう。

2013年3月12日火曜日

心の力

豊かな人生を手に入れるためには、自分自身の意思で自由にそれを築いていくことのできる状態を手にしなければなりません。
自分自身の意思によって選択し、築いていくことのできない人生に豊かさを感じることはできないでしょう。
どのような人生であっても、それを自分自身の意思で築いていくことができることほどの豊かさは存在しないのです。
どれほどのお金や物に囲まれ、何不自由ない暮らしを得たとしても、そこに選択の自由が存在していないのであれば豊かな人生と感じることはできないでしょう。
人生における豊かさとは、自分自身の意思選択によって築いていくことのできる自由を得るということです。
あなたは自由を得るために行動しなければなりません。
その自由とは、身勝手に生きるということではありません。
自分の心を満たすことのできる状況や環境の中に身を置くことができる、選択の自由を得るということなのです。
あなたの心はポジティブで建設的な気分によってのみ満たされます。
それは思いやりや優しさなどの愛情によって得ることのできる充足感です。
あなたが心を満たすためには「良い気分」を味わうことが求められるのです。
「良い気分」を味わうことなく、その心は満たされることはありません。
あなたは「良い気分」を味わうために、人や世界に対して尽力し、何らかの形によって貢献しなければならないのです。
人は何かに対して貢献することによって可能性を得ることができます。
そして、あなたが何かに貢献するためには「自分自身」であることが求められます。
自分自身を見失ってしまった人物は、自分自身の力によって人生を築くことができず、そこに自由を感じることはないでしょう。
自由を失ってしまった心は萎縮(いしゅく)し、本来の力を発揮することはできないのです。
その心が力を発揮することができなければ、誰かや何かに対して貢献することは難しいでしょう。
心には大きな力が存在しています。
それは、あなたを恐怖や苦しみから解放し、人生に自由と豊かさを導くことのできる力です。
あなたの心には自由と豊かさを得ることのできる力が備わっているのです。
あなたは自らの心が備える力を知らなければなりません。
あなたはその力を使って自由と豊かさを手にすることができるのです。
しかしながら、多くの人は自らの心が備える力が人生に自由と豊かさを導くことを知りません。
それを知識としては知っていたとしても、信じることはできていないのです。
あなたは自らの心が備える力が、あなたを恐怖や苦しみから解放し、自由と豊かさを導くということを知っていますか?
それを信じていますか?
心が備える力が恐怖や苦しみから自らを解放し、自由と豊かさを導くことを知らなかったり、それを信じていなければ、それらを実現することはできません。
残念ながら、恐怖や苦しみに縛られた心が幸せを感じることはありません。
幸せを掴むためには、自由と豊かさによって満たされる豊かな心が必要なのです。
あなたの心には、あなたを恐怖や苦しみから解放し、自由と豊かさを導く力が備わっています。
あなたはそれを信じなければなりません。
自らの心の力を信じることができていない者は、安易に「自分自身」を手放してしまいます。
自分自身の自由な選択を放棄してしまうのです。
それは恐怖や苦しみから逃れるための方法です。
自らの力を信じることができない者は、その恐怖や苦しみを自分自身の力によって解決しようとは思っていません。
誰かや何かに依存することによって、苦しみや恐怖から解放されようと考えるのです。
依存とは、自分以外の存在に頼り切ることです。
自分以外の存在に頼ることは決して悪いことなどではありません。
しかしながら、そのことによってあなたが「自分自身」を見失ってしまうことには問題があるのです。
大切なのは「自分自身」によって人生を築いていくことです。
どのような状況においても、自分自身を見失わずに生きることです。
誰かや何かに頼る気持ちが強く、依存してしまうと、やがては「自分自身」というものが分からなくなってしまいます。
そのような状態では自由に人生を築いていくことなどできないのです。
互いが頼る依存ではなく、互いが支える協力を目指しましょう。
依存は足の引っ張り合いです。
それは自分を少しずつ削る行為なのです。
協力は背中の押し合いです。
それはあなたを次第に大きく成長させてくれるでしょう。
どちらがあなたに自由と豊かさを導くことができるでしょうか?
「自分自身」で生きることほどの豊かさはありません。
誰かや何かに頼ることは避けられないことではありますが、その状態にいつまでも甘んじてはなりません。
恐怖や苦しみに対して背を向けず、それらを乗り越える方法を探し続けましょう。
あなたは自らを恐怖や苦しみから解放する力を持っています。
それを引き出さなければなりません。
あなたは「自分自身」によって自分自身の人生を生き、人生を豊かなものにしましょう。

2013年3月11日月曜日

正しい絆

あなたは人を否定してはなりません。
誰かに対して否定の心を持ってしまうと、そこから絆の綻(ほころ)びが生じてしまいます。
人と人との間に存在している絆というものは、その繋がりが太く強く結び付いているほどに、互いの間に多くの利益と豊かさを導くことができます。
それは、絆という結び付きが強いほどに、互いに利益や豊かさに対して協力することができるからです。
あなたが必要としているどのような利益も豊かさも、あなた独りの力では達することはできません。
どのような利益も豊かさも、誰かとの間に絆を築き、互いに協力し合うことによって初めて導かれるということを覚えておかなければならないでしょう。
独りで上げることのできる利益は存在しません。
独りで得ることのできる豊かさなど存在しないのです。
どのような利益や豊かさを得るにも、誰かの協力が必要不可欠であるのです。
残念ながら、自分独りの力で利益や豊かさを手に入れた人はいません。
何らかの利益や豊かさを手にする人の傍(かたわ)らには必ず、自分以外の誰かの協力が存在しているのです。
この世界では、どのような人物も自分独りでは何も得ることができないようになっています。
何かを得るためには、必ず誰かや何かの協力が必要なのです。
それがどのような利益や豊かさであろうと、自分以外の誰かや何かの協力がなければ成り立ちはしないということを忘れてはなりません。
あなたが命を維持することでさえ、誰かの協力や、他の命の協力があってこそのものなのです。
命を維持する、生きていくという当たり前のことですら、誰かや何かの協力なしには実現しないということです。
あなたはどのような状況においても、自分が独りで生きているという考えを持ってはなりません。
自分以外のすべての存在と協力しなければ、必要なものは何も手に入らないという事実を理解しなければなりません。
どのような事や人に対しても、あなたはそれを否定するような考えを持ってはなりません。
この世界においては、敵に見える者はいても、本当の敵はいません。
相手がどのような意思を持っていたとしても、それがあなたを本当の意味で脅かすということはないのです。
相手が敵に見えることがあるでしょうが、決して敵などではありません。
誰かや何かがあなたを脅かすように思えても、結局のところそれはあなたの成長のためになっているからです。
人は皆、逆境という苦しい状況を嫌います。
問題を嫌悪し、敵を憎みます。
しかしながら、一見すると自分に不利だと思えることも、その本質には自らを成長に導くヒントが隠されています。
状況に問題が発生し、それが逆境として現れた時、状況は必ず発展へと向かっています。
その方法や状態が豊かさに対して逆らっているからそこに問題が生じるのです。
問題というものは、その方法や状態を利益や豊かさに対して正しい方向付けを持たせるための人生からの手助けであるということです。
問題を否定すれば、利益や豊かさに対する正しい方向性や、それを得るためのヒントを得ることができなくなってしまいます。
向き合わなければ、何事も正しく理解することはできないのです。
人は人と協力し、その絆を活用することによって互いの利益や豊かさを状況に対して導かなければなりません。
人に対して何らかの否定する気持ちを持っているのであれば、人を正しく理解することはできません。
目の前の人を正しく理解することができずに、互いの間に利益や豊かさを導く力を持つ正しい絆を築くことなどできないのです。
否定する気持ちは、あなたから正しい視点を奪い去ってしまいます。
それは、思いやりの視点です。
否定する気持ちは思いやりを遠ざけます。
そこには、怒りや疑いの感情が芽生えてしまうのです。
そのようなネガティブで破滅的な感情によって築かれる絆では、互いの利益や豊かさを得ることはできないのです。
思いやりというポジティブで建設的な感情から離れてしまうと、正しい絆、そして利益や豊かさを得ることはできないということを決して忘れてはなりません。
人はそれぞれに独自の価値観を所有しています。
それは文化の違いです。
人によってその価値観が異なるのは当たり前のことです。
それを否定してはなりません。
人を否定すれば、それ以上その人の可能性を広げることができなくなってしまいます。
相手がどのような価値観を持ち、どのような理想に対して力を注いでいたとしても、それを否定する気持ちを持ってはなりません。
相手の言動を深いに感じることがあってもそれを否定するのではなく、相手を一旦は容認して、そこから正しい道に導いてやるということが大切なのです。
否定する気持ちを以って接すれば、相手はあなたに心を閉ざしてしまうでしょう。
心を閉ざした相手は、あなたの話を聞こうとはしません。
相手があなたの話を聞き、協力することがなければ、利益や豊かさを生み出すことはできないでしょう。
相手を認め許すことが、相手とあなたの可能性を広げることになるということを理解しなければなりません。
どのような相手にも、先ずは容認することが大切です。
安易に否定して、互いの間に存在(潜在)している可能性を潰してはならないでしょう。

2013年3月10日日曜日

主観と客観

人生はあなたの主観によって築かれていきます。
人生のどのような状況も、あなたを中心として成り立っているのです。
あなたの人生にとっては、あなたがその中心であるということを理解しなければならないでしょう。
あなたは自分自身という主観を所有しているということを忘れてはなりません。
あなたは自分自身を見失ってはならないのです。
それは、自分自身でなければ、その心を満たすことはできないからです。
心を満たすことができなければ、どのような状況においても豊かさを得ることはできません。
結局、豊かさとはその心が満たされるかどうか?というところにあるのです。
心が満たされなければ、どのように恵まれた環境や状況にいようとも、豊かさを感じることはできないのです。
どのような乏しい環境や状況にいようとも、そこにその心を満たす要因が存在しているのであれば人は豊かさを得ることができるのです。
人生の豊かさにおいては、その心が満たされることが第一であり、物質的な豊かさはそれ以降になるのです。
あなたは心が満たされることを第一の目的としておかなければならないでしょう。
あなたが心を満たすためには、状況の中に豊かさへの可能性を見出さなければなりません。
豊かさへの可能性を見出すことなく、その心を満たすことはできません。
状況とは、あなたにとって都合の良いものばかりではありません。
そこには空虚を感じることもあるでしょうし、逆境だと思えることもあるのです。
自らにとって都合の良い状況の中に豊かさの可能性を見出すのは簡単なことです。
誰であっても、都合の良い状況には豊かさの可能性を見出すことができるでしょう。
しかしながら、それが空虚に思える状況や逆境であるのならば簡単にはいきません。
そこでは、豊かさの可能性は物事の奥に潜み、簡単には見付けることができないからです。
空虚に思える状況や逆境の中では、そこに存在している豊かさの可能性を見付ける努力をしなければならないのです。
大抵の場合、豊かさの可能性は自らが探さなければなりません。
探しもしないのに手に入るほど、豊かさの可能性というものは容易なものではないのです。
あなたは、どのような状況の中にも豊かさの可能性を探さなければなりません。
豊かさの可能性を見出し続けなければ、人生が豊かさを得ることはできません。
豊かな人生を歩む人は、その心が常に豊かさの可能性によって満たされており、心が豊かで穏やかであるということを知らなければならないでしょう。
どのような状況に対しても、豊かな心を実現しなければなりません。
状況に豊かな心を実現させるためには、豊かさの可能性を見出さなければなりませんが、それを見出すためにはそれを見出すための視点を得なければなりません。
視点を持たないのに、それを見出すことはできないのです。
ここで言う視点とは、認識のことです。
心の目が捉えるということです。
人は眼球で捉えただけではそれを認識することはできません。
見たものを理解(認識)するためには、それを心が捉えなければならないのです。
心が捉えることがなければ、そこに認識は生まれません。
認識が生まれないものは、その目がいくら映していてもあなたにとって有効ではないのです。
人は物事を視力によって捉えている訳ではありません。
その心がそれを捉えることで初めて、それが認識としてもたらされるのです。
あなたは人の行為を見なければなりません。
そして、その話を聞かなければなりません。
それは、他人はあなたとは異なる主観を以て世界を捉えているからです。
人の行為を見るだけ、その話を聞くだけではなりません。
それらを心によって認識しなければならないのです。
それは他人の行為や話を心から受け入れるということなのです。
ただし、人の意見に自らの人生の選択権を譲り渡すということではありません。
自分自身の主観を保ちながら、人の行為や話に意識を傾け、それを参考にするということです。
人の行為や話を鵜呑みにして、自らの主観を見失ってはなりませんが、人の主観というものは自分とは異なる角度や方向から状況を捉えています。
それは、あなたが気付くことのない豊かさの可能性を教えてくれる大切な道しるべになる可能性があるのです。
他人の行為や話を無視してはなりません。
しかしながら、それを鵜呑みにしてもなりません。
自分自身という主観を見失うことなく、広く人の主観(行為や話)に意識を傾け、どのような状況の中にも豊かさの可能性を見出すことを実現しなければならないでしょう。
あなたには見えていない角度が存在しています。
しかしながら、同じ状況下にあっても、他人には見えていることもあるのです。
主観と客観を使い分け、どのような状況の中にも豊かさの可能性を見出さなければなりません。
人生を豊かな場所にするのはあなたの力です。
あなたの心を中心に世界は形成されます。
どのような状況にもその心が豊かさを見失うことのないようにしておかなければならないでしょう。

2013年3月9日土曜日

理想の形

人生を築くのは、あなたの思想です。
あなたの心が信じるように人生は築かれるのです。
それは、あなたが信じる人物をあなた自身が目指すからです。
あなたは自らの思想によって導かれます。
どのような方法を用いようとも、自らの思想を否定することはできません。
あなたは自らが考え、自らが思う人になるのです。
あなたの人格はあなたの思想が司っているということを理解しなければならないでしょう。
あなたは環境や状況、そして、周囲の人間から様々な影響を受けていますが、その影響もあなたを変える力はありません。
外からの力というものは、あなたに選択肢という可能性は与えても、決定を与えるということはないのです。
人生(外の世界)はあなたに可能性を導きます。
あなたがそれをどのように解釈しようとも、それがあなたにとっての可能性だということには違いないのです。
どのような状況もあなたにとっての可能性であるということを忘れてはならないでしょう。
それが逆境であったとしても、そこには必ず可能性が存在しているのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、外の世界には常に可能性が存在しているということを理解し、それを忘れないようにしておかなければなりません。
そして、どのような状況も自らの思想によって築かれていくということを忘れてはならないでしょう。
あなたはどのような状況や環境にあったとしても、そこには可能性が存在しているということを理解しなければなりません。
その可能性を見出すことができるかどうか?というところに重点があるのです。
あなたがそこに可能性を見出すためには、可能性を見出そうとする思想を持たなければなりません。
可能性を見出そうとする思想を持つことがなければ、それを得ることはできないからです。
それは、人生やあなた自身がその思想によって築かれるからです。
どのように思い、どのように考えるのか?それによってあなたが掴む可能性には大きな違いが現れてくるものなのです。
あなたは人生をどのように考えていますか?
自分という存在をどのように思っているでしょう?
あなたの思想の形がすべてを決めると言っても過言ではありません。
外の状況や環境がすべてを決めるのであれば、あなたは思想を持つ必要などないのです。
状況や環境がすべてを決めるのであれば、あなたはわざわざ考えることも、悩む必要もないのです。
しかしながら、あなたは考えます。
そして、苦しみ悩みます。
それは、あなたの置かれた状況や環境があなたを十分には満たせていないということを意味しているでしょう。
状況や環境に従うだけでは、人は自らの思う豊かさを得ることはできないのです。
自らの思う豊かさを得るためには、自らの思う豊かさを得るために必要な可能性を求めなければなりません。
そして、それらを掴まなければならないのです。
人生は自らの力によって切り開かなければ、自らの思う豊かさを得ることはできません。
どのような状況にも、可能性は様々な方向性を以て溢れています。
あなたがどのような方向性を持つ可能性を選択するかによって人生は大きく変わるのです。
可能性の選択は、普段からのあなたの思想によって決定します。
普段、あなたが考え、思っていることがあなたに必要な選択を導くのです。
人生を築くのはあなたの思想に他なりませんが、それは思い込みであるということを理解しなければならないでしょう。
一時的な思想はあなたの人生の決定権を持ちません。
ころころと変わる表面的な思想には力がないのです。
あなたが信じている思想(信条)こそが、あなたに決定権をもたらすのです。
信じることは心に大きな力をもたらします。
あなたが信じていないことは、あなたにとって大した影響力を持ちません。
あなたが信じていることは、あなたにとって大きな影響力を持っているのです。
思い込みには大きな力があります。
すべての人は思い込みによって世界(心や人生)を築いているのです。
あなたが幸福を思い込めば、その世界は幸福によって満たされます。
あなたが不幸を思い込めば、その世界は不幸によって満たされるのです。
あなたはどのような自分自身と人生を求めていますか?
あなたが必要としているものは、自らの力によって手にしなければなりません。
あなたの力とはその思想です。
あなたは自らがどのようなものを信じるのかを、自らの意思によって決めなければなりません。
どのような思い込みを所有するのかによって選択に違いが現れます。
あなたは幸福で豊かな思い込みを所有しなければなりません。
すべての状況が豊かさへと繋がってるということを理解して、どのような状況にも理想の自分を思い込みましょう。
人生は思い込みによって築かれます。
そのような思想を信じるか?その選択を大切にしましょう。

2013年3月8日金曜日

人生の選択

人生はあなたに何の制約もしてはいません。
人生はあなたに何も禁止などしていないのです。
人生があなたを制約することはありません。
人生はあなたの意思に従って築かれていくのです。
あなたが人生に制約を感じ、自由を手にすることができていないというのであれば、それは人生(状況や環境)のせいではありません。
人生に制約を設け、何かを禁止しているのはあなた自身なのです。
あなたが自らそれを制約する意思を持っているからこそ、それが制約されるのです。
人生に制約を設けているのは他の誰かや何かではなく、自分自身であるということを理解しなければならないでしょう。
あなたが何かに不自由を感じているのであれば、それはあなたの中に存在している価値観がそれを制約している可能性があります。
人生はあなたに何も禁止などしていません。
正確には、人生にはあなたを食い止めるほどの権限はないのです。
人生は常にあなたの意思を尊重しています。
あなたの意思こそが、人生において最も強い力なのです。
あなたは自分の人生を好きに生きることができます。
人生という場所では、あなたは何をしても良いのです。
あなたは何も禁止などされてはいません。
それを禁止している心(価値観)が存在するだけなのです。
極論を言えば、犯罪などの法律に反することも、それを実行することは禁止されてはいないのです。
ただし、罪を犯したのならば、その責任は必ず果たさなければなりません。
何をしても責任を果たすことが求められます。
それは自由とは責任であるからです。
あなたは何をしても良いですが、その責任は必ず負わなければならないということを覚えておかなければならないでしょう。
人生の豊かさとは、何の制約も受けることなく好きなことを好きなだけすることのできる自由を得ることです。
自らの心が本当に満たされる状況を自由に得ることこそが、人生の豊かさなのです。
あなたが人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、自由を得るということを考えておかなければならないでしょう。
自由を得るためには、その自由を実現させるための選択と行動を実行する必要があります。
自由を実現するための選択と行動を実行しない限りは、それを受け取ることはできないのです。
あなたは自由を得るための選択と行動をしていかなければなりませんが、それをするにはある程度の勇気が必要です。
人生に対して自分自身の意思を貫くということは簡単なことではありません。
それは、自分らしく生きるということが他のどのような存在や困難に対しても、自分という存在が勝っていなければならないからです。
自分自身を保つこと、貫くことができずに人生の自由を実現することはできません。
自分の意思を貫くということ、自分自身で在るということは、その責任を自分自身が背負うということなのです。
多くの人は、その責任を背負うということに対して恐怖を覚えています。
そのため、自分自身が求めるものに対しても、それを得るための選択や行動に対して制約を設け、それを禁止しているのです。
自分自身に対して制約や禁止を設ければ、責任から逃れることができます。
しかしながら、責任から逃れるようなやり方では自由を得ることはできないのです。
責任と自由は同じものです。
責任と自由が別の場所に存在することはないのです。
自由を得るためには責任を果たさなければなりません。
責任を果たせば自由が得られるのです。
あなたは自らの意思によって責任を果たすことができます。
それは、自らの意思によって人生に自由を得ることができるということです。
自らに制約と禁止を設ければ、人生が自由と豊かさに満ちるということはないでしょう。
あなたはどのようなことにも柔軟な姿勢を以て挑戦しなければなりません。
どのようなことも愛する気持ちを持たなければなりません。
制約や禁止が自由を妨げているということは多くあります。
しかしながら、多くの人がそのことに気が付いてはいません。
自らの設けた制約と禁止が、自らの可能性と自由を奪っているとうことを念頭に置いておかなければならないでしょう。
あなたは可能性のために行動しなければなりません。
制約や禁止によって可能性を潰してはなりません。
あなたが制約や禁止を設けていることは、本当にあなたの可能性を広げていますか?
それらがあなたの自由を支えているでしょうか?
あなたはそれを見極めなければならないでしょう。
あなたが何をしようとも、その責任を果たすことさえできるのであれば自由を得ることはできるでしょう。
人生に自由を得るために、自らの制約や禁止を見直しましょう。

2013年3月7日木曜日

豊かさの種

行動を起こすことで、人生は展開を見せます。
あなたが行動することがなければ、目の前の状況には何の変化も導かれることはありません。
状況に変化を求めているのであれば、行動を起こすことの大切さを忘れてはならないでしょう。
どのような目的、どのような目標、どのような理想の達成にも、あなたの行動が必要です。
行動することがなければ、あなたはその場から動くことはできません。
人生はあなたを中心にして動いているため、あなたが動いたり変わることがなければ、人生というものが動き、更には変わることはないのです。
人生は常にあなたの意思を尊重します。
あなたが成りたいと考える人物に成るための状況を導き、その願望を達成しようと協力しているのです。
あなたは自らの人生によって常に背中を押されているということを理解しなければならないでしょう。
あなたの意思は何らかの形によって必ず実現します。
その方法や順番があなたの理想の形ではないこともあります。
しかしながら、あなたの考えていることはあなたに実現するのです。
人生は大抵の場合、理想的には進まないものです。
それは人生があなたにとって都合の良いだけの場所ではないからです。
しかしながら、理想通りには進まない人生も、上手くは進んでいます。
あなたの思惑に沿う形で人生が進むとは限りませんが、あなたの思惑を実現させるために人生は進み続けているのです。
人生はあなたのことを何よりも大切に思っています。
人生は様々な状況(成功や失敗)を使ってあなたを「自らの考える人物像」へと近付けているのです。
あなたの思惑は何らかの形で必ず実現します。
それがあなたの理想に沿うものだとは限りませんが、人生は確実にあなたを理想へと押し進めているのです。
あなたは自らの人生が自らの思惑を実現させるために働き続けているということを忘れてはなりません。
あなたのどのような行動も決して無駄にはなりません。
あなたにとっては無駄に思える行動もあったかも知れませんが、それが人生において無駄になるということは決してないのです。
あなたの行動はすぐには結果として現れないかもしれませんが、それはベストなタイミングで状況に反映されるのです。
時期が違えばどのようなことも表立つことはありません。
寒い冬に種を蒔いても、芽が出るのは暖かい春であるのです。
しかしながら、蒔かれた種は芽を出す条件が整うのを待ち続けているのです。
必要な条件が整わなければ、結果というものを得ることはできません。
結果は常にベストなタイミングによってもたらされるのです。
あなたは必要な条件が整うまで、待ち続けなければなりません。
行動は必ず意味を成しますが、それが結果として導かれることを待ち切れずに投げ出してしまえば、いつまで経っても必要な結果を得ることはできないのです。
結果がすぐには出なくても、あなたがそれを求めているのであれば、それを得るための建設的な行動(努力)を続けなければなりません。
どのくらいの行動(労力と時間)を注ぎ込めば、それが結果として状況に導かれるかを判断することはできません。
必要な結果を導くためには、結果が出るまで諦めずに行動し続けることが求められるのです。
行動しなければ何も動きはしません。
行動しなければ何も変わりはしません。
人生は常にあなたを応援しています。
人生は何があってもあなたを見捨てることはありません。
人生が導くすべての状況は、あなたにとっての必要です。
すべてはあなたが豊かさを得るための状況なのです。
人生に不要は存在しません。
あなたが無意味に思うことでも、それはあなたには見えていないだけであって、確実に結果を導くための原因として人生に影響を与えているのです。
現状に理想の結果を得ることができなくても、それはそれで構わないのです。
大切なのは理想通りに事が進むということではなく、理想通りでなくても理想が実現することなのです。
理想通りに事が進むことばかりに気を取られていれば、あなたは目の前の小さな世界に捉われてしまうことになります。
目の前の小さな世界に捉われてしまうと、焦りや不満を覚えてしまうことを覚えておかなければならないでしょう。
焦りや不満などのネガティブで破滅的な感情は、あなたから建設的な行動を奪ってしまいます。
それでは、必要な行動を起こすことができないのです。
どのような状況においても、それが必要な意味を成すということを覚えておかなければなりません。
目の前の状況や自らの行動のすべてが無駄にならないことを理解するなら、焦りや不満を持つ必要などないのです。
焦りや不満はあなたから行動力を奪ってしまいます。
どのような状況に対しても、未来の可能性に対して行動することを忘れてはならないでしょう。
人生と協力しましょう。
人生は恐怖に打勝ったあなたが行動を起こすことを待っています。
人生に展開が必要であれば、行動することを忘れてはならないでしょう。

2013年3月6日水曜日

小さな光

どのような状況にも諦めを選択してはなりません。
人生に諦めを選択してしまえば、そこからの可能性というものが広がってはいかないということを理解しなければならないでしょう。
そこにどのような理由があるにしても、諦めという選択は可能性の放棄でしかありません。
可能性を放棄した者は、その先にどのような可能性も得ることはできないのです。
あなたが状況に対して可能性を求めているのであれば、諦めを選択してはなりません。
人生に可能性を求めるのであれば、諦め以外の方法を探さなければならないということを覚えておかなければならないでしょう。
どのような状況も、いつかは問題を抱えて行き詰まります。
何もかもが問題を抱えずに進むということはありません。
どのようなことでも必ず問題が生じるのです。
それは自然なことです。
問題も行き詰まることも決して悪いことではありません。
どのような人物にも、問題と行き詰まる状況は訪れるのです。
この世界に生きる存在が問題や行き詰まる状況を拒絶することはできないのです。
何を志しても、あなたは必ず問題や行き詰まる状況を得ることになります。
状況が厳しく、それが如何に苦しくても、諦めを選択してしまった時点からあなたの可能性は扉を閉ざしてしまいます。
厳しく苦しい状況の中にも諦めることなく可能性を探し続けなければならないのです。
諦めを選択することなく可能性を探し続ける人は、そこに必ず諦め以外の方法を見付け出すことができるでしょう。
それは方法や方向性の変更であるかも知れません。
あなたの状況が終わりを迎えたり、終わらせることを選択しなければならなくなったとしても、それは諦めではない方法によって実行することができるのです。
その状況を諦めではなく、次の状況に対する方向性の変更という形によってそれを成すことができるのです。
諦めは道を途絶えさせてしまいます。
それでは可能性が続くことはないのです。
絶望による諦めではなく、明確な目標や目的を持ってその状況を見限るということは同じように今の状況を終わらせることですが、絶望による諦めと希望による変更ではその先の結果というものには大きな違いが出てくるのです。
諦めなくても何らかの方法が存在しているはずです。
人生はあなたから何かを奪い去っていくかもしれませんが、すべてを奪い去ってしまうということはないのです。
人生があなたから奪うものは、あなたにとって不要なものだけです。
あなたがそのように感じなくても、人生はそのように計らっているのです。
人生は完璧です。
人生は常にあなたに豊かさを与えています。
あなたが何かを失うことも、人生があなたに与える豊かさであるということを理解しなければなりません。
状況に問題が生じ、何かを失うことは自らにとっての損失であり、豊かさの欠落だと考える人がいます。
目の前の状況(損失)だけを見ると確かにそう思うでしょう。
何かを失うことは豊かさとは反比例しているように思えます。
しかしながら、長期的な観点からそれを眺めると、何かを失うことが豊かさにも繋がっているのだということを理解することができるでしょう。
視野が狭まってしまうと、人は目の前のことに翻弄(ほんろう)されてしまいます。
目の前のことだけに左右されているようであれば、その本質に存在している豊かさを手にすることができないでしょう。
人生には、失うことで初めて得られる可能性というものが存在しているのです。
どのような状況にも諦めを選択してしまったのであれば、失って初めて得ることのできる可能性に気付くこともできないのです。
可能性を掴むためには諦めないことです。
人生は思い通りにはいかないものです。
しかし、それは確実に豊かさへと向かって進んでいます。
あなたは問題を抱えることがあるでしょう。
悩みに苦しむことがあるでしょう。
状況に絶望し、失うことを恐れてしまうこともあるでしょう。
しかしながら、諦めだけは選択してはなりません。
諦めを選択した時点から可能性は広がりを失ってしまいます。
どのような状況にも必ず希望が存在しています。
それはとても小さな光かもしれません。
時には、その光に気が付かないかもしれません。
しかしながら、それは確実にあなたの目の前に存在しているのです。
あなたはそれを探し続けなければなりません。
存在するものは探せば必ず出てきます。
人生が希望を奪い尽くすことは決してありません。
どのような逆境にも好機が存在しているということを忘れてはならないでしょう。

2013年3月5日火曜日

心配が導くもの

この世界は常に完璧な姿で動いています。
あなたがどのように感じていようとも、この世界に無駄はありません。
すべてに必要な意味が存在し、無意味なものなど存在しないのです。
世界の姿、そして、人生におけるすべての状況が必要性で満たされているということ。
そこには豊かさを得るために必要な学びというものが存在しているということを理解しなければならないでしょう。
何一つとして例外なく、すべては豊かさへと進んでいきます。
いつの時にも人生はあなたをより高みへと導こうとしているのです。
世界は常に向上と発展を目指しています。
あなたが世界(現状)をどのように感じていようとも、それは豊かさへのステップであるということを覚えておかなければならないでしょう。
どのような状況も豊かさへと繋がっているということを知らなければ、後の人生の豊かさを手にすることはできません。
それがどのような状況であれ、豊かさに繋がっているということを理解しているのであれば、人はポジティブで建設的な思考と感情を保つことができます。
ポジティブで建設的な気分は、状況の問題を解決し、更にはそこに豊かさを与えるのです。
ポジティブで建設的な気分を保つことができれば、必ず豊かさを手にする方法を得ることができるのです。
目の前の状況(特に問題)が人生の豊かさに繋がっているということを理解していなければ、人はそこにポジティブで建設的な気分を生み出すことも、それを保つこともできないのです。
人生におけるすべての状況が豊かさへと繋がっているということを理解することができなければ、怒りや心配などのネガティブで破滅的な気分に飲み込まれてしまうのです。
ネガティブで破滅的な気分に飲み込まれ、自らの人生(目の前の状況)を信用することができなければ、その位置から自らを成長させ、状況を向上させることはできません。
大切なのはすべての状況が豊かさへと繋がっているということを信じることです。
すべての状況が豊かさへと繋がっているということを信じることができなければ、そこには疑心が生まれてしまいます。
その疑心は心配というネガティブで破滅的な気分を導いてしまうのです。
心配することは、それだけで物事の可能性を潰してしまう行為です。
心配する気持ちは自らの心の可能性を殺します。
心配は自由で積極的な心を縛り付けてしまうのです。
心配に苛(さいな)まれた心は、恐怖によってその扉を閉ざしてしまいます。
それは心の不自由と消極性を意味しています。
心配によって不自由と消極性を得た心は発想力と行動力を失ってしまいます。
発想力と行動力は人生の豊かさにとってとても大切なものです。
ただ生きるだけ、与えられた物事をこなしているだけでは人生を豊かにすることはできません。
自らの発想力や行動力を使って目の前の問題を解決し、更にはそこに価値を生み出し、自分自身の意思によって人生を築いていかなければならないからです。
自分自身の人生を生きることができなければ人生の豊かさなど有り得ないのです。
自分自身の意思によって人生を生きる(築く)ためには、心配のない自由な心を所有しなければなりません。
心配する気持ちを所有すると、好きなことや本当にやりたいことができません。
達成したいことがあったとしても心配に飲み込まれるのであれば、それを達成することなどできはしないのです。
あなたが自分自身の人生を生きるということは、自分自身がやりたいことをして生きるということなのです。
好きなこともできないような状態では、自分自身の人生を得ることはできないのです。
心配はあなたから自分自身を奪い去ってしまいます。
心配はすべての自由を奪います。
あなたが自分自身の人生を生きたいと考えているのであれば、どのようなことに対しても心配する気持ちを持ってはならないということを覚えておかなければならないでしょう。
本来、人生というものは心配を持たなくても良いようにできています。
心配しなくても、自分のやるべきことさえやっていれば、人は自ずと豊かさへと辿り着くことができるようになっているのです。
しかしながら、自分のやるべきことをするということが多くの人には簡単なことではないのです。
それは、多くの人が恐怖に怯えているからです。
心配する気持ちが人から自分のやるべき使命を奪ってしまうのです。
あなたはどのような状況に対しても心配してはなりません。
それがどのような局面を見せていたとしても、あなたの努力次第でそれは必ず最善の形となって導かれます。
最善を尽くす努力を怠らなければ、状況は必ず豊かさを得るのです。
あなたがしなければならないのは、自らの人生を信用することです。
自らの状況がどうであれ、最善と思える努力を続けているのであれば状況は必ず上向きます。
心配している心では、最善の努力をすることはできないのです。
心配はあなたの力を潰してしまいます。
心配に思うことがあったとしても、それがいつまでも心配であるということはありません。
一つ一つ積み重ねていけば必ず解決し、豊かさを導くものなのです。
心配に飲み込まれてはなりません。
人生は常にあなたの為に存在しています。
その問題はあなたの豊かさのためにだけ存在しているということを忘れてはならないでしょう。

2013年3月4日月曜日

歪んだ心

人は心を満たすことができなければ、人生に豊かさを得るということはできません。
人生の豊かさとはその心の豊かさに比例しているからです。
人生とその心は密接に繋がっていて、高度な関係性を持っているということを知らなければなりません。
その心の充実を無視して、人生の豊かさを得ることはできません。
人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、その心が豊かに満たされる方法を探さなければならないのです。
心を満たすためには、その心が本当に求めているものを与えなければなりません。
心が本当に求めているものを得ることができなければ、心が満たされることはないのです。
心が本当に求めているものは、その本心が知っています。
本心に聞けば、心が何を求めているかを知ることができます。
あなたが心を満たし、人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、本心の声を聞き、本心が欲するものを与えなければならないでしょう。
あなたは本心に従い生きなければなりません。
本音で生きることができなければ、その心を満たすことも、人生を豊かにすることもできないということを覚えておかなければならないでしょう。
自らの心(本音)に背く方法で、人生を豊かにした人物はいません。
それは、人生の豊かさが心の充実(豊かさ)に比例しているからです。
どのような状況においても、あなたは自らの心を裏切ってはなりません。
どのような時も本音で生きなければならないのです。
本心が求めるものは、その心に合致します。
本心が求める以外のものは、その心に合致することはありません。
心に合致するものでなければ、心を本当の意味で満たすことはできないのです。
形の合わないものを心にあてがっても、それが心に響くことはないのです。
心に響かないものをいくら集めても、それを価値として認識することはできないのです。
大切なのは数でも量でもありません。
大切なのはその質であるということを理解しなければならないでしょう。
多くのものを持てば心が満たされると考えてはなりません。
どれだけのものを持っていたとしても、それがその心に合致しなければ価値はなく、その心を満たすことはできないのです。
それがたった一つのものであったにしても、それが心に合致して価値のあるものであるのであれば心を満たすことができるのです。
多くのもので心を満たそうとするのは効率が良くありません。
本心が求めているもの以外をどれだけ集めて心に宛(あ)てがっても、それではその心を満たせないのです。
あなたは本音で生きることの大切さと素晴らしさを理解しなければなりません。
多くの人は自らの本音を押し殺しながら生きています。
多くの人が自らを誤摩化し、その心を裏切りながら生きているのです。
それはあなたが本当に求めているものですか?
本当に言いたいことですか?
本当にやりたいことですか?
本当に欲する生き方なのでしょうか?
本音を歪め諦めやネガティブな感情によって偽りを容認していると、歪んだ心がいつの間にかに自らの意思として認識されます。
人生はあなたの意思を尊重します。
それはあなた自身が自らの抱える考えや感情によって物事を選択する以外に方法がないからです。
あなたは自らの考える人になります。
それが本音ではない思いであっても、あなたがそれを考えているのであればそのような人物と人生を得るということなのです。
この世界は原因と結果の法則によって厳重に管理されています。
どのような人物であってもそれを無視することはできないのです。
あなたの原因とはその思考や感情です。
あなたの言行こそが人生を築いてしまうということを覚えておかなければなりません。
それが本心からくる言行であろうと、本心を歪めた言行であろうと、それは世界には関係のないことです。
世界はただ原因と結果の法則に従うだけです。
あなたは自らの言行に注意を払いましょう。
それが自らを誤摩化し、本心を歪めたものであるのであれば注意しなければならないでしょう。
歪めた感情でも、いつの間にかに人はそれを正当化するようになります。
歪んでいるにもかかわらず、それを心地の好いものとして認識してしまうのです。
白を黒と思い込めば、それは黒になってしまいます。
それは良くも悪くも世界を変える力です。
歪んだ思いはそれを正さない限り、後の人生に対して歪んだ影響力を与え続けてしまいます。
それでは本当の意味で豊かな人生を生きることはできないのです。
あなたは本音で生きることの重要性を理解しなければなりません。
恐怖に従って自らを偽ってはなりません。
本心に従っても生きる道は必ずあります。
その心地好さ、豊かさを知らなければならないでしょう。

2013年3月3日日曜日

「絶対」の世界

人生に豊かさを得るためには、豊かさに向かって歩んでいかなければなりません。
豊かさという場所に辿り着くことができなければ、豊かさを得ることはできないのです。
この世界では、何かをすれば必ず何かの問題が生じます。
それは、行動することには必ずリスクが伴うからです。
リスクの伴わない行動は存在しません。
行動というものは常に時間や労力や安全を消費しているのです。
そのため、行動すれば何かを失うことを避けることはできません。
報酬を得るためには、それに相応する代償を支払わなければならないのです。
利益を得るためには、その利益に相応する働きをしなければなりません。
利益に相応する働きをすることなく、それを得ることなどできないのです。
この世界は原因と結果の法則によって支配されています。
どのような存在もそれを無視することはできないのです。
代償に相応する報酬を得ることができるということを覚えておかなければならないでしょう。
「上手い話」というものなどないということ、奇跡など存在しないということを理解しなければなりません。
あなたが受け取ることのできる報酬は、あなたが捧げた代償に相応します。
例えば、利益は解決した問題と創出した(与えた)価値によって得ることができます。
解決した問題や創出した価値に比例した利益が得られるのです。
働きに応じて報酬が得られるのが道理なのです。
時に人は、働き以上の利益を得ようと知恵を絞ります。
それが道理に合った知恵ならば良いですが、働き以上の利益を求める場合には大抵が悪知恵です。
多くの人は楽をする中で、より小さな代償によってより大きな報酬を求めているのです。
しかしながら、あなたにはそれが道理に反していることであるということが分かるでしょう。
必要な働きをしない者がその働き以上の報酬を得ているということをあなたは心地好くは感じないでしょう。
それはこの世界であっても同じことが言えるのです。
この世界は常に正しい形であろうとします。
曲がったことは必ずまっすぐに伸ばします。
すべてが道理に従うようにできているのです。
原因と結果の法則は道理です。
それは何よりも正確で正しい力なのです。
この世界ではすべてが道理を貫きます。
どのような存在も正しい道を歩まなければならないのです。
正しい道を歩もうとしない者は、原因と結果の法則に従ってその代償を支払わなければならないのです。
道理に反する者はその罪を背負い、責任を果たさなければならないのです。
すべての存在は成長や向上のために存在しています。
人はその精神を成長させ、文化を向上させるために生きています。
魂(人間性、人格)の成長や向上というものが最大の目的であるのです。
物事はそれを中心に考え、選択するようにしなければならないのです。
楽をして、働き以上の利益を得ようと考えてはなりません。
豊かになることは狡(ずる)や楽をすることではありません。
不正を働いて豊かになれる人間など存在しないということを覚えておかなければならないでしょう。
すべては必ず白日の下に晒される時がやってきます。
どのようなことも必ず報われるのです。
あなたが努力をしたのであれば、それは何らかの利益となって必ず報われます。
あなたが不正を働いたのであれば、それは罰として必ず報われるのです。
原因と結果の法則は、すぐさま状況に反映されるとは限りませんが、必ず状況に対して反映されます。
あなたはすべてが報われるということを信じておかなければなりません。
すべてが報われるということを信じることができずに、道理に反する不正に手を染めるようであれば豊かさを得ることは絶対にできないということを覚えておかなければならないでしょう。
この世界には「絶対」というものが存在しています。
原因と結果の法則は世界の「絶対」なのです。
あなたはどのような状況においても、正しく努力をするということを忘れてはなりません。
現状が苦しいからといって、不正を働いてはなりません。
豊かな人生を求めているのであれば、豊かな場所に辿り着かなければなりません。
その精神が豊かな者以外が豊かな場所に辿り着けることはありません。
行動することには必ず何らかのリスクが伴いますが、それでも努力することを止めてはなりません。
苦しい状況にこそ、正しくあるということの大切さを理解しなければならないでしょう。

2013年3月2日土曜日

心を縛り付けるもの

人生の可能性というものは、自らの力で手にしなければなりません。
あなたが可能性を掴むことができなければ、人生に可能性が存在することはありません。
ただ何となく生きているだけでは、人生に可能性を掴むことはできないのです。
可能性は目に見える形でその辺に転がっているようなものではないということです。
可能性というものは、努力によってそれを目に見える形にまで昇華させなければならないのです。
可能性というものはあなたがそれを形成しなければ形を成しません。
可能性というものは自らの力によって状況の中から組み立てなければならないということです。
この世界には、何も手の加えられていない可能性など存在しないのです。
可能性というものは、必ず人の手が築いていくものなのです。
可能性を築くためには、様々な材料(知識、経験、技術など)を使って一から作り出さなければならないのです。
可能性というものは、何も無いところから作り上げていくものなのです。
誰かが用意してくれるようなものではないのです。
自分自身の手で可能性を掴まなければ、それを得ることはできないのです。
可能性を得るためには、その状況に対して自らの力をうまく練り合わせなければなりません。
十分に力を使うことができなければ、可能性を築くことはできません。
力のある者だけが状況に対して可能性を見出すことができるのです。
あなたは力を持たなければなりません。
可能性を見出し、それを築いて掴む者は、やがて成功を手にすることができます。
可能性を手にするということはそれに見合うだけの力というものが必要なのです。
可能性を見出し、築き、掴むためには、それに応じた実力がなければならないのです。
実力がなければ、その状況に可能性を掴むことなどできるはずもないのです。
あなたの力はその心にあります。
その心が力です。
心に力を持つ者が、状況に可能性を見出し、人生に成功を収めることができるのです。
心に力を持つためには、その心が自由を得ていなければなりません。
自由な心こそが柔軟な発想と革新的なアイデアを生み出します。
それに加えて、自由な心は恐れを知らず、積極的で力強いのです。
恐怖は心の自由を奪い去る力を持っています。
恐怖は心を縛り付け、その自由を奪うのです。
自由を奪われた心はその力を発揮することはできません。
恐怖は心の足枷(あしかせ)となってしまうのです。
恐怖の感情が強いほど、その足枷は足首に食い込みます。
強く食い込んだ足枷は足先に血液を送ることを許さず、血液の流れが止まった足先はやがて腐ってしまうでしょう。
恐怖というものはあなたの心を腐らせ、殺します。
それはあなたの可能性を奪うということです。
そして、豊かさや幸福を見失わせてしまうのです。
恐怖に怯える心が掴む豊かさや幸福というものは存在しません。
恐怖に怯える心が掴むのは、怒りや不安などの争いや苦しみであるということを覚えておかなければならないでしょう。
恐怖を抱えたままで幸福を手にすることなどできるはずがないのです。
あなたは恐怖を克服する方法を考えていなければなりません。
恐怖を克服するためには、とにかくその恐怖の対象に対して向き合い続ける以外に方法はないでしょう。
乗り越えることができなければ、恐怖の対象は永続的に恐怖を覚えさせるのです。
どのような問題もそれを放置しているのであれば、問題は問題としての影響力を与え続けることでしょう。
問題に向き合い、それを解決しようと努めるのであれば、それがどのような問題であろうとも必ず乗り越えることができるのです。
上手くできないことは、それを上手くするための経験値が足りないだけです。
何度も問題に向き合っているのであれば、必ずそれを上手く扱うことができるようになるのです。
問題は問題ではなくなるということです。
自由な心を持てば、問題に対しても捕われることはなくなります。
問題に対して足を取られることはあるでしょうが、それに捕われるということはなくなるのです。
あなたは自らの心を恐怖によって縛り付けてはなりません。
恐怖はあなたの自由を奪い去ってしまいます。
自由こそがあなたに可能性と豊かさを導きます。
自由な心がなければ柔軟な発想や革新的なアイデアを導くこともできず、問題を解決することもできないのです。
あなたは可能性を自らの力で手にしなければなりません。
そのためには自由な心が必要不可欠です。
恐怖を考え、思い浮かべ、飲み込まれてしまってはなりません。
常に楽しみと喜びなどの可能性を追い求めることができるようにしておきましょう。

2013年3月1日金曜日

自由な心

あなたは無限に広がる人生の可能性を手にしなければなりません。
自らの人生において自由を手にしなければならないのです。
それは、自由こそが豊かさであるからです。
自由とは無限の可能性です。
何物にも捕われることなく、自らの意思を実現することができることこそが自由であり、豊かさなのです。
あなたは自らの心に思い描く理想や、その心が信じる豊かさを実現しなければならないのです。
心を実現しない世界に豊かさは存在しないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたの人生において、豊かさというものは外にはありません。
外に可能性は存在しないのです。
そのように見えているだけです。
その可能性や豊かさはあなたの内側にこそ存在しているということを理解しなければならないでしょう。
可能性はそれを可能性として認識する価値観の中にこそ存在しています。
豊かさは、あなたがその状況に対して豊かさを認識し、それを実現することで得られるのです。
自らの中に状況に対する豊かさを認識する力がなく、それを実現させる力もないのであれば、豊かさを手にすることなどできないのです。
自分自身が豊かさを生み出すということが重要であるということです。
あなたの目の前に存在しないものは、自らの力で作り出さなければなりません。
自らの意思によってそれを手にしなければならないのです。
ただ待っているだけでは何も得ることはできません。
大切なのはその目的を得るために、その目的を得るための行動をするということです。
豊かさを手にするためには、実際にそれを手にするために行動するということが重要であり、必要であるということを忘れてはなりません。
自らの生き方が人生を築きます。
何もしていないのに目的地には辿り着けないのです。
あなたはその手に可能性を掴まなければなりません。
目的地に辿り着き、そこに存在している可能性を掴むためには、目的地に辿り着くための準備をしなければなりません。
目的地に辿り着くための計画を練り、必要な道具を準備し、その意思を実際の行動に移さなければならないのです。
行動したことで、計画通りに目的地に辿り着くことができるとは限りませんが、行動したことによって何らかの可能性を手にすることができることは確かです。
あなたが何らかの行動によって得られる何らかの可能性というものが重要であるということを理解しなければならないでしょう。
突如として大きな可能性を手にすることなどできません。
何の前触れもなく豊かさを手にすることができる者など存在しないのです。
その状況の中に存在しているのが小さな可能性かもしれませんが、それを確実に辿った者だけが可能性を手にして、豊かさを得るのです。
豊かさを手にする者は、その小さな可能性を無駄にしなかった者なのです。
人生の豊かさというものは自分自身で築くものです。
外の世界に豊かさが準備されているということはありません。
決められた豊かさがどこかに転がっていて、奇跡的にそれを手にすることができるなどという考えを所有してはなりません。
すべてには原因が存在し、それが必要な結果を導くのです。
可能性と豊かさを手にする者は、それを導く原因を所有しているということです。
豊かさというものが特別な力や方法によって導かれている訳ではないのです。
誰にでも、豊かさを導くことはできるのです。
可能性や豊かさは自分自身で生み出していかなければなりません。
誰もが自分自身の意思で歩まなければ、目的地には辿り着くことができないのです。
人生に自由を手にするためには、自由な心を所有しなければなりません。
何物にも捕われることなく自由な心で生きていかなければならないのです。
自由な心を所有すれば、それは自由の原因となります。
自由な原因は自由な結果を導きます。
何事も無闇に規制してはなりません。
制限というものは、可能性を打ち止めてしまいます。
自らが状況に対して制限を設けてしまうのであれば、その状況はそれ以上の可能性を導くことはできないのです。
あなたの中には恐怖に怯える価値観が存在しています。
恐怖は自分自身の心に規制を設けます。
規制された心は自由を失い、その結果として状況は可能性を失ってしまうのです。
人生に豊かさを求めるのであれば、心を制限してはなりません。
危険だからと、リスクや失敗ばかりを心配して可能性を諦めてはならないでしょう。
どのような状況に対しても、その考え方が心の在り方を決めます。
心が自由であることが最高の豊かさであるということを忘れてはなりません。
心が自由でなければ人生の豊かさはないということです。
あなたはいつの時にも心の自由を手にするために、状況に対して可能性を見出し、それを無限に広げていかなければならないでしょう。