どのような状況にも諦めを選択してはなりません。
人生に諦めを選択してしまえば、そこからの可能性というものが広がってはいかないということを理解しなければならないでしょう。
そこにどのような理由があるにしても、諦めという選択は可能性の放棄でしかありません。
可能性を放棄した者は、その先にどのような可能性も得ることはできないのです。
あなたが状況に対して可能性を求めているのであれば、諦めを選択してはなりません。
人生に可能性を求めるのであれば、諦め以外の方法を探さなければならないということを覚えておかなければならないでしょう。
どのような状況も、いつかは問題を抱えて行き詰まります。
何もかもが問題を抱えずに進むということはありません。
どのようなことでも必ず問題が生じるのです。
それは自然なことです。
問題も行き詰まることも決して悪いことではありません。
どのような人物にも、問題と行き詰まる状況は訪れるのです。
この世界に生きる存在が問題や行き詰まる状況を拒絶することはできないのです。
何を志しても、あなたは必ず問題や行き詰まる状況を得ることになります。
状況が厳しく、それが如何に苦しくても、諦めを選択してしまった時点からあなたの可能性は扉を閉ざしてしまいます。
厳しく苦しい状況の中にも諦めることなく可能性を探し続けなければならないのです。
諦めを選択することなく可能性を探し続ける人は、そこに必ず諦め以外の方法を見付け出すことができるでしょう。
それは方法や方向性の変更であるかも知れません。
あなたの状況が終わりを迎えたり、終わらせることを選択しなければならなくなったとしても、それは諦めではない方法によって実行することができるのです。
その状況を諦めではなく、次の状況に対する方向性の変更という形によってそれを成すことができるのです。
諦めは道を途絶えさせてしまいます。
それでは可能性が続くことはないのです。
絶望による諦めではなく、明確な目標や目的を持ってその状況を見限るということは同じように今の状況を終わらせることですが、絶望による諦めと希望による変更ではその先の結果というものには大きな違いが出てくるのです。
諦めなくても何らかの方法が存在しているはずです。
人生はあなたから何かを奪い去っていくかもしれませんが、すべてを奪い去ってしまうということはないのです。
人生があなたから奪うものは、あなたにとって不要なものだけです。
あなたがそのように感じなくても、人生はそのように計らっているのです。
人生は完璧です。
人生は常にあなたに豊かさを与えています。
あなたが何かを失うことも、人生があなたに与える豊かさであるということを理解しなければなりません。
状況に問題が生じ、何かを失うことは自らにとっての損失であり、豊かさの欠落だと考える人がいます。
目の前の状況(損失)だけを見ると確かにそう思うでしょう。
何かを失うことは豊かさとは反比例しているように思えます。
しかしながら、長期的な観点からそれを眺めると、何かを失うことが豊かさにも繋がっているのだということを理解することができるでしょう。
視野が狭まってしまうと、人は目の前のことに翻弄(ほんろう)されてしまいます。
目の前のことだけに左右されているようであれば、その本質に存在している豊かさを手にすることができないでしょう。
人生には、失うことで初めて得られる可能性というものが存在しているのです。
どのような状況にも諦めを選択してしまったのであれば、失って初めて得ることのできる可能性に気付くこともできないのです。
可能性を掴むためには諦めないことです。
人生は思い通りにはいかないものです。
しかし、それは確実に豊かさへと向かって進んでいます。
あなたは問題を抱えることがあるでしょう。
悩みに苦しむことがあるでしょう。
状況に絶望し、失うことを恐れてしまうこともあるでしょう。
しかしながら、諦めだけは選択してはなりません。
諦めを選択した時点から可能性は広がりを失ってしまいます。
どのような状況にも必ず希望が存在しています。
それはとても小さな光かもしれません。
時には、その光に気が付かないかもしれません。
しかしながら、それは確実にあなたの目の前に存在しているのです。
あなたはそれを探し続けなければなりません。
存在するものは探せば必ず出てきます。
人生が希望を奪い尽くすことは決してありません。
どのような逆境にも好機が存在しているということを忘れてはならないでしょう。
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