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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年3月2日土曜日

心を縛り付けるもの

人生の可能性というものは、自らの力で手にしなければなりません。
あなたが可能性を掴むことができなければ、人生に可能性が存在することはありません。
ただ何となく生きているだけでは、人生に可能性を掴むことはできないのです。
可能性は目に見える形でその辺に転がっているようなものではないということです。
可能性というものは、努力によってそれを目に見える形にまで昇華させなければならないのです。
可能性というものはあなたがそれを形成しなければ形を成しません。
可能性というものは自らの力によって状況の中から組み立てなければならないということです。
この世界には、何も手の加えられていない可能性など存在しないのです。
可能性というものは、必ず人の手が築いていくものなのです。
可能性を築くためには、様々な材料(知識、経験、技術など)を使って一から作り出さなければならないのです。
可能性というものは、何も無いところから作り上げていくものなのです。
誰かが用意してくれるようなものではないのです。
自分自身の手で可能性を掴まなければ、それを得ることはできないのです。
可能性を得るためには、その状況に対して自らの力をうまく練り合わせなければなりません。
十分に力を使うことができなければ、可能性を築くことはできません。
力のある者だけが状況に対して可能性を見出すことができるのです。
あなたは力を持たなければなりません。
可能性を見出し、それを築いて掴む者は、やがて成功を手にすることができます。
可能性を手にするということはそれに見合うだけの力というものが必要なのです。
可能性を見出し、築き、掴むためには、それに応じた実力がなければならないのです。
実力がなければ、その状況に可能性を掴むことなどできるはずもないのです。
あなたの力はその心にあります。
その心が力です。
心に力を持つ者が、状況に可能性を見出し、人生に成功を収めることができるのです。
心に力を持つためには、その心が自由を得ていなければなりません。
自由な心こそが柔軟な発想と革新的なアイデアを生み出します。
それに加えて、自由な心は恐れを知らず、積極的で力強いのです。
恐怖は心の自由を奪い去る力を持っています。
恐怖は心を縛り付け、その自由を奪うのです。
自由を奪われた心はその力を発揮することはできません。
恐怖は心の足枷(あしかせ)となってしまうのです。
恐怖の感情が強いほど、その足枷は足首に食い込みます。
強く食い込んだ足枷は足先に血液を送ることを許さず、血液の流れが止まった足先はやがて腐ってしまうでしょう。
恐怖というものはあなたの心を腐らせ、殺します。
それはあなたの可能性を奪うということです。
そして、豊かさや幸福を見失わせてしまうのです。
恐怖に怯える心が掴む豊かさや幸福というものは存在しません。
恐怖に怯える心が掴むのは、怒りや不安などの争いや苦しみであるということを覚えておかなければならないでしょう。
恐怖を抱えたままで幸福を手にすることなどできるはずがないのです。
あなたは恐怖を克服する方法を考えていなければなりません。
恐怖を克服するためには、とにかくその恐怖の対象に対して向き合い続ける以外に方法はないでしょう。
乗り越えることができなければ、恐怖の対象は永続的に恐怖を覚えさせるのです。
どのような問題もそれを放置しているのであれば、問題は問題としての影響力を与え続けることでしょう。
問題に向き合い、それを解決しようと努めるのであれば、それがどのような問題であろうとも必ず乗り越えることができるのです。
上手くできないことは、それを上手くするための経験値が足りないだけです。
何度も問題に向き合っているのであれば、必ずそれを上手く扱うことができるようになるのです。
問題は問題ではなくなるということです。
自由な心を持てば、問題に対しても捕われることはなくなります。
問題に対して足を取られることはあるでしょうが、それに捕われるということはなくなるのです。
あなたは自らの心を恐怖によって縛り付けてはなりません。
恐怖はあなたの自由を奪い去ってしまいます。
自由こそがあなたに可能性と豊かさを導きます。
自由な心がなければ柔軟な発想や革新的なアイデアを導くこともできず、問題を解決することもできないのです。
あなたは可能性を自らの力で手にしなければなりません。
そのためには自由な心が必要不可欠です。
恐怖を考え、思い浮かべ、飲み込まれてしまってはなりません。
常に楽しみと喜びなどの可能性を追い求めることができるようにしておきましょう。

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