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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年6月30日日曜日

尊い財産

人は自らの所有する財産を守らなければなりません。
財産を守らない者は、それを失います。
どのような財産も守らなければ失うということを理解しなければならないでしょう。
大切なものは常に脅威(きょうい)にさらされています。
あなたは常に大切なものを失う可能性を所有しているのです。
この世界には創造と破滅がせめぎ合っています。
創造は世界に生み出し、破滅は世界から失わせます。
この世界には生と死が互いに競い合っているということを理解しなければならないでしょう。
創造することがなければ、破滅がそれを奪い去ります。
あなたがそれを破滅から守るためには、創造する必要があるのです。
身体がその命を守るために呼吸を創造するようにです。
創造することで可能性が導かれます。
可能性は創造することでのみ導かれるのです。
何かを創造することがなければ、可能性も創造されることがないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたはそれがより良くなるために必要なものを創造しなければならないのです。
創造することが、大切なものを破滅から守る方法であるということを覚えておきましょう。
破滅に奪われたくなければ、創造する必要があります。
価値を継続させたり、それを増大させるためには、価値を創造する必要があるのです。
それは、財産に対して掃除や修理をして綺麗に保つことや、新たな価値を加えることによってそれをより良いものにするという作業なのです。
決して特別なことをする必要はありません。
価値を保ち、それを増すための当たり前のことをするだけなのです。
それが財産だと分かっていてその管理を怠ることは、その財産を手放す行為です。
管理されないものは価値を損ない、管理しない者は失うのです。
財産を失わないためには、その価値を損なわないように注意しなければならないのです。
どのような財産も、その価値を失わせてはならないでしょう。
あなたはそれをしっかりと管理し、その価値をより高めなければならないのです。
人にとって、最も価値のある財産はその心であるということを知らなければなりません。
人の本質は心です。
それは、人が所持することを許された唯一の財産であるのです。
人は多くのものを手にしていますが、本当に所有しているものはその心だけであるということを覚えておきましょう。
心という財産がしっかりと管理されているのであれば、人生が豊かさを失うことはありません。
どれだけの金品を所有していたからといって、心という財産が損なわれれば人はすべての豊かさを失うのです。
金品の価値は、心があってこそのものであるということを覚えておかなければならないでしょう。
心が損なわれているのであれば、どのような金品によっても幸福を得ることはできないのです。
心が充足しているのであれば、どのような金品によっても幸福を得ることができるのです。
人の本質が心であるということを忘れてはなりません。
幸福を得るのは心以外の何物でもないということを理解しましょう。
心が最も大切です。
心という財産が最も重要なのです。
人は心を守らなければなりません。
心を守ることができなければ、人はその他のどのような財産も守ることができないということを知りましょう。
心を守るためには、心を管理しなければなりません。
心を汚れから遠ざけ、綺麗に掃除し、壊れたならば修理をすること。
また、心が新たな価値を身に付けるために勤勉であることが求められるのです。
自己の心を管理することができる人は、幸福という財産を守ることができるでしょう。
自己の心を管理することができない人は、幸福という財産を失うばかりか、苦しみを受け取ることになるのです。
人が幸福に生きるためには、苦しみから幸福という財産を守らなければなりません。
幸福を守るためには、心の管理が欠かせないのです。
あなたはいつの時もその心を守りましょう。
金品によって心を損なうのであれば、金品を捨てましょう。
心よりも尊い財産は存在しません。
人にとって心よりも価値のあるものは存在しないということを理解しましょう。
心こそが基本です。
それを損なってはなりません。
心を磨き、心を鍛えましょう。
人は自らの財産を守らなければならないのです。
心を守るためには何が最善なのかを考えなければならないでしょう。

2013年6月29日土曜日

近くに見えて遠い場所

すべての人は理想を所有します。
どのような人も、夢を見ることができるのです。
誰もが何かしらの理想を持ち、それが実現することを思い描いています。
誰にでも理想や夢はあるのです。
理想や夢は目標や目的をもたらします。
どのような人にも目標や目的を所有することができるということを理解しなければならないでしょう。
しかしながら、多くの人は人生の目標や目的を所有することなく日々を過ごしているのが現状です。
ただ生活し、命を永らえるために生きているのです。
あなたは目標や目的を持って生きていますか?
人生の理想や夢を見失わずに持っていますか?
元来、人は理想や夢を持っているため、例外なく目標や目的を所有することができるのです。
目標や目的を所有しているはずの人が、様々な理由によってそれを失っているのです。
それは、理想や夢が叶わないものであるという諦めの気持ちを所有することから導き出される状態なのです。
人は人生に対して、自らの理想や夢を(何等かの形で)叶えることができます。
それは自分の思い描く方法や結果とは違うかも知れませんが、理想や夢に対する気持ちを十分に満足させることはできるのです。
すべての理想や夢が実現するということではありませんが、叶わないことでもそれは満足に至るのです。
どのような形であるのかを知ることはできませんが、人はその理想や夢を人生に実現させることができるのです。
諦めていては実現しません。
理想や夢を実現させる人は、その気持ちを諦めない人だけなのです。
多くの人は理想や夢が実現しないものであると考えていますが、あなたはそのように考えてはなりません。
理想や夢に対する努力がどのような結果に至るのかを知ることはできませんが、それが最高の形に収まるということを理解しなければならないのです。
人は人生に理想や夢を描きます。
あなたは自らのそれを決して否定してはなりません。
思い描く理想や夢は、あなたに見えている景色なのです。
あなたに、自らの辿り着きたい場所が見えているのであれば、あなたはそこに辿り着く方法を得ることができるのです。
辿り着きたい目的地が見えているのであれば、そこに向かうための具体的な方法(目標や目的や手段)を手にすることができるのです。
目的地が見えていなければ、どのような方法を用いてもそこには辿り着くことはできないということを理解しなければならないでしょう。
しかしながら、目的地が見えていたからと言って、簡単にそこに辿り着くことができるという訳ではありません。
例えそれがすぐ目の前に見えている場所であっても、その場所に辿り着くための道のりを知ることができなければ、決して辿り着くことはできないのです。
理想や夢は自身が想像することのできる範囲のものです。
想像することができないものを理想や夢として所有することはできないのです。
想像することができるということは、それが見えているということを覚えておきましょう。
見えている場所には辿り着けるのです。
地上を走る道路のように、人生にも道(手段や制限)が存在しています。
この世界には秩序が存在し、それを破れば苦しみます。
車が己の道を踏み外し、道路から脱輪するようなものです。
道から外れた車は目的地へと向かうことも、そこに辿り着くこともできないのです。
車が水の上を走れないのを知って、人は人の道を歩まなければなりません。
理想や夢に繋がる道を進まなければならないのです。
目的地が正面に見えているからといって、真っ直ぐ進んでもそこに道が無いのであれば進めません。
目的地が正面に見えていたとしても、道は曲がっているかも知れないのです。
自らにとっての大事なことは簡単ではありません。
理想や夢を諦めるのは簡単なことですが、それらを実現させるのは難しいのです。
目の前に理想や夢が見えているからといって、それが簡単であると軽んじていてはなりません。
近くに見えて遠いのが理想や夢なのです。
道が曲がりくねっているのに、簡単に辿り着ける訳がないのです。
山頂が近くに見えても、そこに向かう山道は折れ曲がっているものです。
あなたには山裾(やますそ)から山頂に向かって真っ直ぐに道を作ればどのような問題が発生するのかを理解することができるでしょう。
人生の道は折れ曲がっているものです。
理想や夢が簡単に実現することはありませんが、その気持ちを諦めてはなりません。
近くに見えて遠くにあるのが理想や夢です。
上手くいかないからといって、不満や悲観を持ってはなりません。
不満や悲観に浸る者は、努力を怠っているのです。
本当に努力している人が不満や悲観に至ることはないのです。
それは、常に目的地へ辿り着く道のり(方法)を探し続けているからです。
理想や夢を見失わず、目標と目的を持って生きましょう。
人は皆、自らの理想や夢を人生に実現させなければならないのです。
あなたは理想や夢を諦める人になってはなりません。
そのような人が何をしても、決して幸福に辿り着くことがないということを覚えておきましょう。

2013年6月28日金曜日

人生の課題

人の心は、人生に生き甲斐を見出すことによって輝きます。
人は人生に生き甲斐を見出さなければなりません。
心が輝かないのであれば、人生が豊かになることはないからです。
人生を豊かなものにするためには、その心が輝いていなければなりません。
心が落ち込んでいるのに、人生が豊かであることはないのです。
人が人生の生き甲斐に触れると、その心は輝きを放ちます。
心の輝きは人生に投射され、何も無い暗闇に事を築きます。
暗闇の中では何かを成すことはできません。
そこに光があれば、あなたは何かを築くことができるのです。
生き甲斐は人生を照らす光となります。
生き甲斐とは未来の可能性であるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは豊かな人生を生きるために、生き甲斐を持たなければなりません。
生き甲斐とは人生の喜びです。
人生の喜びは、あなたの目的となります。
目的意識を持って生きることほど素晴らしいことはありません。
それは、地図を持って道を行くようなものなのです。
目的意識に従う人は道を進み続けることができます。
例え、道を間違えて迷ったとしても、地図によって目的地に辿り着くことができるのです。
地図を持っていなければ、道を間違えて迷ったとしても、目的地がどこにあるのかを知ることはできません。
自分自身の現在地がどこであり、目的地がどのにあり、どのように進めばそこに辿り着くことができるのかを知ることができるということは素晴らしいことなのです。
人生の生き甲斐が、あなたの地図となるのです。
生き甲斐を持っている人は、例え人生の道を間違え、迷ってしまったとしても、それを修正することができます。
生き甲斐は人の心の希望の光となるのです。
生き甲斐を失わなければ、人は常に輝きを失うことはないのです。
心が輝きを失ってしまえば、人生が豊かさを得ることはできません。
人が豊かな人生を生きるためには、心の輝きを失わないように努めなければならないのです。
生き甲斐がその役割を果たします。
あなたは人生に生き甲斐を見出さなければなりません。
何のために生きているのか?
人生の喜びが何であるのか?を知ることなく、人生が豊かなものになることはないのです。
あなたの人生の喜びは何ですか?
その中でも、最高の喜びとは何でしょうか?
最高の喜びは、最高の生き甲斐です。
人はその心が喜ぶことが生き甲斐となるのです。
喜ぶことのないものは生き甲斐にはなり得ません。
人によって喜びは違います。
あなたは自らの心が喜ぶことを志す必要があるでしょう。
喜びもないことを志してはなりません。
生き甲斐にならないことをやってはなりません。
自らの心を裏切り、喜びもない状況を与えてはなりません。
喜びに満ちた人生にしなければならないのです。
生き甲斐によって人は良いことを行います。
生き甲斐によって人は喜びを得ます。
生き甲斐によって人は後悔なく生きることができるのです。
生き甲斐を持っている人は幸いです。
喜ばしく楽しい人生を生きている人は幸福なのです。
しかしながら、喜びを見出さずに生きる人もいます。
生き甲斐を持つことがなくても生きることはできますが、そのような人生には喜びも学びも豊かさも少ないでしょう。
そのような貧しい人生を生きてはなりません。
喜びの多い豊かな人生を生きなければならないのです。
生き甲斐を持って生きるということがどれだけ素晴らしいことなのかを自覚しましょう。
あなたは常に探し続けていなければなりません。
自分の生き甲斐が何であるのかを。
何が喜びであるのかを。
生き甲斐が見付かったのなら、それを追求しなければなりません。
何のために生きるのか?
それはとても大切な課題なのです。
生き甲斐を持って生きましょう。
そうすれば、その答えに辿り着くことができるでしょう。

2013年6月27日木曜日

人生の土台

人は自己という土台の上に人生を築きます。
自己という存在が人生の基礎になるということを知らなければならないでしょう。
自己が人生の土台になっているということを知れば、人はそれを強化するように努めることでしょう。
強化された自己は力強く人生を支えます。
自己が薄弱であるのならば、その上にどのような人生を築こうとも問題(苦しみ)よって崩れてしまうのです。
問題の束縛を受けて苦しみ、人生を展開させることができないのであれば、人は人生を豊かなものにすることはできません。
問題を問題とすることなく解決し、人生を展開させるのであれば、人生は豊かさを得るのです。
大切なのは磐石(ばんじゃく)な自己を築くということなのです。
自己が軟弱であるのならば、その上に築くことのできる人生は希薄(きはく)なものに成らざるを得ません。
支えることができないものをどうやって維持するというのでしょう?
支える力がなければ、支えられないのは当たり前のことなのです。
人生の基礎は自己です。
どのような人生も自己より導き出されます。
すべての選択と決定が自己によって成されます。
そのため、自己の状態が人生の状態に等しいのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、豊かな自己の実現に励まなければなりません。
豊かな自己の実現が叶わない内は、豊かな人生は叶いません。
それは、そのような人生を支える自己が存在しないからです。
人生は自分次第です。
支えるのはあなた自身なのです。
支えることができるのであれば継続されます。
より力強く支えるのであれば、それは発展するのです。
支えることができなければ崩壊し、失います。
自己の力量によって人生が決まるということを覚えておかなければならないでしょう。
どのような人物も、自己に支え切れない人生を所有することはできません。
人は力量に見合う人生を受け取るのです。
自己に力が足りないのに、大きな人生を支えようとしてもそれを支えることはできません。
自己が力不足であるのならば、その豊かさを継続することも、発展させることも叶わないということを覚えておきましょう。
大切なのは、自己が磐石であるということなのです。
自己が強固なものであるのならば、その上にどのような人生を築いても大丈夫です。
強靭な自己の持ち主は、目の前の問題を解決し、そこに価値を導くことができます。
強靭な自己さえ所有しているのであれば、どのような問題を前にしても、その先には発展を得ることができるのです。
自己が薄弱な者は何をやってもそれを発展させることはできません。
それどころか継続もままならないでしょう。
あなたは自己の強化に努めなければなりません。
人生を豊かなものにするためには、その基礎である自己を高める以外に方法はないのです。
どのように立派な家も、その地盤が軟弱であるなら価値を失います。
どのように素朴な家であっても、その地盤が強固なものであるのならば、価値を損なうことはありません。
どのように立派で華やかな人生であっても三日で崩れ去り、苦しみに転ずるのであれば豊かさであるとは言えないのです。
決して華やかではない素朴な人生であっても、それが揺るがないのであれば豊かなのです。
あなたは堅固(けんご)な自己を築きましょう。
問題に対して動揺するような軟弱な自己ではなりません。
どのような状況に対しても落ち着き、豊かさを導くための正しい判断ができる自己が必要なのです。
多くの人は自己の強化に怠けています。
それは、自己の強化こそが人生の強化であるということを知らないからです。
多くの人は軟弱な基礎の上に大切な人生を建てようとします。
それは一旦は完成するでしょうが、すぐに問題を引き起こし、やがて崩れ去ってしまうのです。
自己を育てましょう。
苦しみに対して背を向けるようではなりません。
苦しみは乗り越えなければならないのです。
ただし、力不足は仕方のないことです。
現状においては乗り越えることができない問題も存在します。
それをすぐに乗り越えられないことは問題ではありません。
それを乗り越えようとして闘わないことが問題であるということを理解しましょう。
闘っていれば力は増します。
どのようなことも努力次第なのです。
この世界に解決することのできない問題は存在しません。
どのような問題も必ず解決します。
そのことを覚えておかなければならないでしょう。
自己の強化が豊かな人生に繋がります。
先ずは自己が大切であるということを知りましょう。
泳ぐことができない者が、対岸に辿り着くことはありません。
支えることができないものは支えられないのです。
あなたは強固な自己を得るために何をする必要があるのかを考え、それを実行しましょう。
自己の力である自力が大切であるということを知りましょう。
あなたはいつの時にも、自己という人生の基礎を鍛えましょう。

2013年6月26日水曜日

清らかな心

人にとって最も価値のあるものは清き心です。
心が美しいことに勝る価値はないということを理解しなければなりません。
心の清らかさ、美しさ、穏やかさがなければ、どのような価値も得られないのです。
何を手にしても、心が乱れ、汚れているのであれば幸福を得ることはできません。
乱れて汚れた心に満足はなく、多くのものを貪らなければならないからです。
貪ることが苦しみであるということに気が付ける人は幸いです。
多くの人はこのことに気が付いていないのです。
そのため、大抵の人が煩(わずら)っているのです。
心の煩いが人生を豊かにすることはありません。
心を引き裂いて苦しみを与えることはあっても、それによって幸福を得ることは有り得ないのです。
心は煩いを離れた時に幸福を得るのです。
どのようなものを手にしたとしても、心の平穏を手にすることができなければ幸福ではありません。
人が人生を豊かなものとし、そこで幸福を得るためには、人生の主体である心が平穏でなければならないのです。
それ以外の方法によって幸福を得ることはできないということを知らなければならないのです。
貪りによって豊かさと幸福が得られることはありません。
貪りは足場を切り崩す行為であることを覚えておかなければなりません。
先見性に欠ける愚かな人はその理(ことわり)を知りません。
そのために知恵が乏しく、目先のことばかりに気を取られ、やがてその方法が愚かなものであるという事実を突きつけられて苦しむのです。
貪りによって得られるものが苦しみであることに気が付かない愚か者が多いのです。
あなたはそのような者に成ってはなりません。
清らかな心を以て、煩うことなく人生を歩まなければならないのです。
問題を問題としない人は幸いです。
そのような人は苦しみに束縛されることがなく、人生は常に展開を見せるからです。
問題を問題とする人は不幸です。
そのような人は煩わなくても良いことに煩うからです。
あなたにとって最も価値のあるものが清き心であるということを理解するのであれば、あなたは思い煩うこともないでしょう。
それは、清き心のために闘うことができるからです。
清き心が苦しみを抱くことはありません。
苦しみの束縛を受けるのは不浄な心であるということを知りましょう。
すべての悩みは汚れた心から導き出されます。
すべての争い、怠慢、悪事、苦しみは不浄な心によって生み出されるのです。
心に汚れが存在しないのであれば、苦しみが存在しません。
人生に苦しんでいるのは心が不浄な者であるということを知らなければならないでしょう。
物事を楽観的、建設的、ポジティブ、前向きに考えることのできる人には煩いは存在しません。
そのような心掛けの人は苦しみに会いません。
純粋な子どもがその苦しみを根に持たないようにです。
苦しみを考える人は心が汚れています。
あなたは清らかな心を守るため、またそれを手に入れるために闘いましょう。
良いことのために闘うことは良いことです。
良いことのために闘って傷付くことは良いことです。
良いことのために闘って死ぬことは良いことです。
悪いことのために生き長らえることは悪いことです。
人は悪事のために生きるよりも、正しいことのために闘って死ぬ方が有益であるのです。
あなたには、人が死を迎えても、そこですべてが終わりなのではないということを伝えておきます。
このことを信用するかはあなたの自由ですが、後になって後悔してもどうしようもないことであることは断っておきます。
清らかな心で話し、清らかな心で行う人は、清らかな生き方ができます。
清らかな人が不幸になることは決してありません。
最も価値のあるものに近付いた人が幸福を得るのは当たり前のことなのです。
この世界には当たり前のことしか存在しません。
因果の束縛を逃れるものは存在しないのです。
清らかな心は必ず幸福をもたらします。
汚れた心は必ず苦しみをもたらします。
それは当たり前のことなのです。
あなたは清らかな心のために生きなければなりません。
目先の小さな価値に心を奪われて、得なければならない大きな価値を見失ってはなりません。
快楽によって最高の目的を見失うのは愚かなことなのです。
知恵によって選択しなければなりません。
知恵によって生きなければなりません。
清らかな心こそが至上の価値であるということを理解しましょう。
どのような価値も、清らかな心の価値に比べると取るに足らないものであるということを知りましょう。

2013年6月25日火曜日

小さな意識

人は所有する意識に従って進みます。
所有する意識によって人生を築いていくのです。
意識の規模や方向性によって自己が形成され、その自己が状況を選択し、人生を築くということを覚えておかなければならないでしょう。
人生は自分自身が選択して築くものなのです。
そのことを忘れてはなりません。
多くの人は人生の成り立ちを知りません。
人生が自分自身の内より築かれているということに気が付かずに生きているのです。
自己の姿こそが大切であるということを知らなければなりません。
自己の重要性を理解することなく、人生を理解することはできないでしょう。
人は自らの所有する意識から逃れることはできません。
すべての人は意識に従います。
すべての選択と決定は意識がしているのです。
人生はあなたの思考と心が築いているということを知りましょう。
どのような思考と心を所有するのか?ということでしか、人生に変化を導くことはできないのです。
どのような人物も思考と心に逆らうことはできません。
思考と心の規模や方向性に従って人生は築かれるのです。
あなたはそのことを理解しなければならないでしょう。
思考の規模が小さければ、そこから導き出される構想は小さなものになります。
構想が小さければ、大きく貢献することはできません。
貢献するほどに人生は豊かさを以てあなたに返すのです。
貢献する規模が大きいほど多くの豊かさを得ることができます。
貢献する規模が小さければ、多くの豊かさを望むことはできないのです。
心の広さは、その人の器の大きさを現しています。
心が広く、大きな器量を持っている人物は、物事を冷静に判断し、的確な選択をすることができるでしょう。
心が狭く、小さな器量の人物は、物事に対して動揺し、その判断は有益なものにはならないでしょう。
動揺する者、怒る者、悲観する者、諦める者、怠ける者・・・
思考の規模が小さく、心が狭い人物には先見性が芽生えず、抱える問題を解決してそこから価値を導くことはできないのです。
価値を得ることができなければ、人は価値(豊かさ)を得ません。
問題を解決し、価値を得ることがなければ、人生に豊かさを導くことはできません。
思考と心が小さく狭い人物には、人生を豊かなものにすることはできないのです。
思考と心が良く鍛えられていて、その規模を大きくしている人物は、抱える問題を解決し、そこに価値を導くことができるのです。
問題となるものを解決することが求められるのです。
それを成すことなく、人生は豊かなものにはならないのです。
意識(思考と心)の規模が重要です。
小さな思考と小さな心によって事に当たる人物は、状況に対して良い結果を残すことはできません。
何に対してでも、その思考と心を大きく保たなければなりません。
どうでも良いこと(将来に影響力を持たないもの)に捕われていてはならないのです。
将来の豊かさのために今何を成すべきなのかを考えなければならないのです。
小さな思考や心にはそれを考えることはできません。
それは、小さな思考や心は常に悲観的だからです。
悲観的な思考や心が問題を解決するための得策を投じることはできないのです。
小さな思考や心は常に悲観的であるということを覚えておきましょう。
悲観的な人物は問題を解決する力を持ちません。
問題を解決するための力とは、楽観的な思考と心であるのです。
楽観的な人物が問題に捕われることはありません。
それは、楽観的に小さな一つ一つの事を成すからです。
悲観的な人物は、言い訳を並べ立ててその手を止めるのです。
何もしていないのに、何かが変わるはずがありません。
何もしないのであれば、状況は益々悪化するのです。
人は所有する意識に従って行います。
できる限り大きな思考と心によって事に当たらなければなりません。
人生を豊かなものにするためには、問題を価値に変えていかなければならないのです。
大きな思考と心がそれを成します。
あなたはできる限り大きなことを成さなければなりません。
大きな貢献は、大きな豊かさを導きます。
小さな貢献は、小さな豊かさを導きます。
人生において大切なことは、より大きな貢献を成すことなのです。
それを成すためには、大きな意識(思考と心)が必要であるということを忘れてはならないでしょう。
小さな意識に捕われてはなりません。
恐怖がそれを束縛します。
恐怖の束縛から意識を解き放ち、大きな意識によって人生を築きましょう。

2013年6月24日月曜日

結果の世界

人は評価されています。
この世界においては、どのような人もその価値を計られているのです。
この世界において評価されない人は存在しません。
どのような人物も何等かの形で評価されているのです。
あなたは自らが常に評価の対象であるということ、そして、常に評価されているということを知らなければならないでしょう。
人は様々なものに評価されています。
人は他人に、社会に、自分自身に、人生に、評価を受けます。
あなたの残す結果が評価の対象です。
この世界において重要なのは、その人が残した結果なのです。
結果以外を評価されることはありません。
どのように綺麗事を並べる善人も、結果を残すことがなければ評価されることはありません。
普段から汚い言葉を並べる悪人でも、結果を残すのであれば評価されるのです。
この世界では結果がすべてであるということを理解しましょう。
どのように良いことを言っても、結果を残すことがなければ偽善者と呼ばれます。
どのように正しい知識を有していようとも、それを実行していないのであれば価値がないのです。
そのような人は当然のことながら、評価を得ることができないのです。
善人が幸福を得るとは限りません。
悪人が苦しみを得るとは限らないのです。
幸福を得る者は世界に貢献し、苦しみを得る者は世界に対して貪(むさぼ)るのです。
心が奇麗なことは良いことですが、それだけでは価値がないのです。
世界に貢献することこそが価値であるということを覚えておきましょう。
世界に対して貢献することなく、評価を得ることはできないのです。
実践者こそが尊ばれるのです。
口先だけの偽善者は軽んじられます。
この世界が大切にするのは実践者であるのです。
何も築かない者、何も残さないような怠慢な者が尊ばれることはありません。
評価を受けるためには、貢献する以外に方法がないということを覚えておきましょう。
どのような状況に対しても結果を残さなければならないのです。
結果こそが証明になるのです。
それ以外のものは何の証明にもならないということを知りましょう。
人生は勝負の世界です。
勝つ者は豊かさという自由を享受(きょうじゅ)し、負ける者は苦しみに束縛を受けます。
勝負に勝たなければ、豊かさを得ることはできないのです。
あなたは勝たなければなりません。
結果を残さなければなりません。
甘い考えを捨て去らなければなりません。
人生は遊びではないのです。
自分自身のことをどれほど優れていると思い込んでいても、結果を残すことができないのであれば優れてはいません。
この世界においては、結果を残す者が優れているのです。
あなたは結果的に勝つことを目標にしましょう。
過程で勝っても、結果で負けては意味がないのです。
方法にこだわってはなりません。
こだわるべきは結果なのです。
結果がどのようなものであるのか?ということが重要なのです。
それ以外を気にする必要はありません。
最終的に勝つことが大切なのです。
あなたは「最終的に勝つ」という結果を残すために闘いましょう。
自らの仕事に努め励まなければなりません。
誰もあなたを助けてはくれません。
自力によって結果を残さなければならないのです。
自力を修練しなければなりません。
あなたは個人として評価を受けます。
あなたのしたこととしなかったことが評価の対象であるということを覚えておきましょう。
結果を残すことが力です。
力の無い者が生きる世界ではないのです。
それは自然の理(ことわり)です。
あなたは結果を残すことを意識して自らを鍛え、強くなりましょう。
あなたは常に評価されているということを意識しなければなりません。
怠慢に時を過ごしてはなりません。
すべては結果を残すために注ぎ込みましょう。

2013年6月23日日曜日

束縛の絆

何のために生きているのかを追求することなく、人生の答えには辿り着けません。
人は人生に答えを求め続け、そこに辿り着き、それを知らなければならないのです。
人生が何のために存在している(していた)のかを知ることは重要なことです。
それは、人の意識が死後も生きているからです。
人は命によって人生に束縛されていますが、意識は人生に束縛されることはありません。
意識というものは元来、人生という狭い世界の中だけの存在ではなく、もっと自由なものであるのです。
人が煩(わずら)いによって人生に意識をとどめることはありますが、煩いを離れた意識は人生から離脱します。
どのような苦しみをも乗り越えた意識は、人生というしがらみを離れて自由になるのです。
自由になった先には更なる可能性が存在しています。
人は命のように意識までも人生に束縛されてはなりません。
命が尽きることはこの世の理(ことわり)です。
それを退けることはできません。
命が人生の束縛を逃れることはありませんが、意識はそれを逃れることができるのです。
人が苦しみを所有しなければ、その意識が人生に束縛されることはありません。
人が苦しみを所有し、心を煩うからこそ、意識は人生の束縛を得るのです。
人生の束縛を得た意識は、自由と可能性を失います。
苦しみに煩った意識はその場に停滞します。
悩みを抱える人がその思いに捕われて停滞するようにです。
命を終える時に意識が苦しみに対して煩っているのであれば、意識が人生の束縛を逃れることはできないのです。
それはとても苦しいことなのです。
あなたは煩いの中に停滞することが苦しいということを知っているでしょう。
命を所有する人は時間が許すまでは、何度でも気が済むまでやり直すことができます。
しかしながら、命を失っている人はそれを自力でやり直すことはできないのです。
あなたが自由に動けるのは生きている時間内であるということを理解しておきましょう。
命を失い、可能性を失って煩いの中に閉じ込められてしまえば、そこから脱することはできないということを知りましょう。
人は生きている時間を大切にしなければならないのです。
生きている時間が何のために存在しているのかを追求することが求められるのです。
それを知ることがなければ、人生を本当の意味で有意義なものとして満たすことはできないでしょう。
残念ながら、命が尽きれば終わりではありません。
命が尽きても意識は尽きないのです。
人は意識のままで尚も存在するのです。
ならば、煩いや苦しみに捕われることなく生きなければなりません。
意識を充実させて生きなければならないのです。
それを果たすことなく、人生はその目的を果たすことはできないのです。
人生は何のために在るのでしょう?
その答えを知ることは決して簡単なことではありません。
それは、それを知ることは多くの時間と労力を有するからです。
しかしながら、それは辿り着かなければならない答えであるということを忘れてはなりません。
人それぞれに人生の目的は違います。
あなたにはあなたの目的が存在しているのです。
それを知ることで人生は有意義に完結するということを知りましょう。
何のために生きているのか分からないような空虚な状態を所有してはなりません。
何かしらの目標や目的や夢を以て生きなければならないのです。
目標や目的や夢を以て生きる人の心は常に奮励(ふんれい)しています。
奮励する意識は煩いや苦しみに捕われることはありません。
問題や苦しみが行く手を阻んでも、それらを解決しながら進むことができるのです。
そのような意識が人生に束縛されることはなく、常に可能性と自由を得ることができるのです。
あなたは自分が何のために生きているのかを追求しなければなりません。
その答えを求めて生きていれば、やらなければならないことと、やらなくても良いことが見えてくるでしょう。
それはあなたが進むべき道です。
自分が何のために生きているのかを追求しながら生きる人は、常に気高く生きようとします。
それは成長と発展をもたらすのです。
成長と発展の中にいる人は煩いと苦しみを受けることはありません。
その人は自由でしょう。
あなたは命を自由にすることはできませんが、意識を自由にすることはできます。
意識までも束縛されてはなりません。
その心は自由でありましょう。
あなたは常に可能性の中にその身をおかなければならないということを理解しましょう。
何事にも束縛されてはなりません。
人生に喜びを見ることによって束縛の絆を断ち切りましょう。

2013年6月22日土曜日

将来の大きな苦しみと目の前の小さな苦しみ

人は自らの人生を豊かなものにしなければなりません。
どのような人物も、人生に幸福を実現させなければならないのです。
人は誰しも人生を豊かに生き、幸福を得るために生きています。
苦しみを受けるために生きている人は存在しないのです。
誰もが豊かな人生を生きなければなりません。
あなたは豊かな人生と、その幸福を実現しなければならないということを覚えておきましょう。
人生に豊かさを求めないのは苦しいことです。
人生が幸福でないことは苦しいのです。
人は自らの人生に豊かさと幸福を得なければなりません。
それを実現させることなく、人生に喜びは存在しないでしょう。
人生に豊かさと幸福を実現させるためには、それらを得るために努めなければなりません。
努めを怠る者には決して得ることはできないのです。
あなたの親や兄弟ですら、あなたの人生の豊かさと幸福を用意することはできないのです。
それは、豊かさや幸福とは、その心が満たされる状態によって導かれるからです。
心を満たすことができるのは自分自身だけです。
心の状態は各自のことなのです。
己を除いて誰もあなたの心を満たすことはできないのです。
家族も恋人も友人も、あなたの心を満たすことはできません。
それは人が元来、孤独であるからです。
人が孤独であるということを忘れ、自力に頼ることなく誰かや何かに頼るのであれば、自らの心を満たすことはできないでしょう。
あなたは自分自身の力によってのみ、その心が満たされるということを知らなければならないのです。
人生とは自己との語らいです。
外に敵はなく、自己の弱さとの闘いなのです。
克己(こっき)することなく、人生には豊かさも幸福も実現しないのです。
あなたは自らを磨くことの大切さを理解しましょう。
あなたは常に自己を重んじ、それを高めようと努めていなければなりません。
自己の向上を怠るのであれば、人生の豊かさや幸福も滞(とどこお)ることになるでしょう。
この世界は本質を隠します。
目に映る事象だけがすべてではありません。
この世界は目には映らない動きを有しているのです。
目に映る表面的なことに気を取られる者は動揺し、間違えます。
そのような状態では、心を満たすこともできず、人生の豊かさや幸福を得ることもできません。
あなたは目には映らない物事の本質を見極めて、自らを選択しなければならないのです。
苦しいことを回避することは利口ではありません。
それは、人生における苦しみが人にとっての喜びに繋がっているからです。
気楽なことを多く欲するのは利口ではありません。
人生における気楽さは、人にとっての苦しみに繋がっているからです。
この世界においては、目に映るものだけで状況が構成される訳ではないのです。
将来が目に映ることはありませんが、それは時間の経過と共に確実に実現します。
現状のあなたが賢い人ならば、将来を見越して物事を考えているでしょう。
それは目には映らないものを含めて世界を考察しているということです。
自らの選択が将来にどのような形として実現するのかを想像しない人は選択を誤って苦しみます。
苦しみに会うのが嫌だからと言って、それを回避しているのであれば、一時的には苦しみから遠ざかることができます。
しかしながら、苦しみに向き合っていない分、実力が増すことはありません。
力不足に陥れば、人は問題を解決することも、状況を打開することもできないのです。
いつかは苦しいことを回避することができない状況がやってきます。
その時に絶望し、抱え切れない程の苦しみを得るのです。
苦しいことを回避せず、それを乗り越える人は力が増します。
力が増せば、どのような問題も解決し、どのような状況も打開することができるため、苦しみに会うことがないのです。
苦しみを乗り越える者は、むしろ気楽を得るのです。
努力した分、それが報われるのは当然のことなのです。
苦しいことから逃げている者は、問題の悪化を引き起こし、苦しみから逃れることができなくなるのです。
見た目に騙されてはなりません。
苦しいことが苦しみであると思い込んではなりません。
怠慢な者が救われることはありません。
それは、自らを救う力を育んでいなかったからです。
人生に豊かさと幸福を実現させるためには怠ってはなりません。
いつまでも苦しいことから逃げていてはなりません。
自らの選択が導く将来を想像しなければなりません。
人生は理論的です。
奇跡も、偶然も存在しません。
あなたの選択に従って正しく状況を導くのです。
力の無い者は生き残れません。
それがあなたの生きる世界です。
自らを磨き、鍛えましょう。
苦しいことから逃げ回っているようであれば、自己を向上させることはできないでしょう。
将来の大きな苦しみに会わないために、目の前の小さな苦しみを取るのです。

2013年6月21日金曜日

愚かな亡者

人生に豊かさを求めるのであれば、貪(むさぼ)ることに注意しなければなりません。
人生の豊かさが貪ることによって得られると思うのは危険です。
豊かさというものは貪ることでは得られないということを覚えておきましょう。
豊かさとは、必要が満たされている状態です。
それは多くの実りが和合している状態であると理解しましょう。
物事がバランス良く在るという状態こそが豊かさなのです。
何かが多過ぎたり、少な過ぎるという状態が豊かさではないということを知らなければならないでしょう。
そのことを知らずに貪れば、物事は多過ぎたり少な過ぎたりする状態になり、バランスを崩してしまうのです。
自然環境の中で、一種の生物が貪りによって繁栄を極めるとバランスが崩れて自然環境が成り立たなくなります。
それを豊かさであるとは言えないでしょう。
町に同じ種類の産業しかなければ生活は成り立ちません。
様々な業種の産業が存在しているからこそ、生活は成り立つのです。
人生の豊かさを成り立たせるためには、人生のバランスを満たすことが求められるのです。
人生のバランスが崩れてしまうのならば、人生は豊かさを得られないのです。
人生は人の意思によって築かれています。
あなたの人生はあなたの意思によって築かれます。
あなたの状態がその人生に対しての決定権を持っているのです。
あなたが欲求に従って貪るのであれば、あなたは多過ぎたり少な過ぎたりしてバランスを崩すのです。
欲求に従うことは良いことですが、それを貪ることは苦しみを導きます。
人が豊かな人生を求めるのであれば、欲求を貪ることはできないのです。
人は節度を知らなければなりません。
節制に努めなければならないのです。
どのようなものも多く取り過ぎてはなりません。
どのようなものも少なく取り過ぎてはなりません。
あなたが取るものは適量でなければならないのです。
欲求に従って多くの食事を取る者は、醜(みにく)く肥えます。
欲求に従って多くの睡眠を取る者は、怠慢でだらしがありません。
欲求に従って多くの金銭を取る者は、心を貧困で満たして苦しんでいます。
欲求に従って多くの性を取る者は、絆を傷付けて恨みを背負うことになります。
人が欲求に従って取ることが許されているのは、必要な分だけです。
適量を超えると貪りになります。
湖の水が枯渇する程、水を欲してはなりません。
貪ると一時的には多くのものが手に入りますが、それは一時的なことに過ぎないのです。
一時的な享楽(きょうらく)にふけても、後には苦しみを受けなければならないのです。
強欲に食べ過ぎた者が後で腹痛を起こすようにです。
あなたは物事の節度を弁(わきま)えなければなりません。
物事の節度を知り、バランスを崩さないように気を付けていなければならないのです。
多くの人は自らが取り過ぎていることを自覚してはいません。
欲望に対して無知であり、例えそれに気が付いていたとしても様々な言い訳によって自らを正当化し、全く自制することができません。
貪ることで自らの足場を切り崩し、後に苦しみを受けることを想像することができないのです。
欲求を制することができない者は苦しみます。
必要を取ることは許されていますが、必要以上に取ることは許されてはいません。
例え、その時は取ることができても、その代償は必ず支払わなければならないのです。
水を切らしても、すぐに樹木が枯れることはありません。
その時点において命を失っていたとしても、見た目には生き生きとしているのです。
しかしながら、その時点において水を切らしているのです。
気が付いて水を与えても、手遅れになっていることでしょう。
貪る人にとって物事は突然です。
人生は何等かの形で人に警告しますが、愚かに貪る者はそれに気が付きません。
それ以上抱えたら道を進めないということに気が付いていても、愚かな亡者は貪りをやめません。
人生はあなたの意思に従って必要を満たします。
必要以外が満たされることはありません。
人生がなんとかなるなどと軽率に考えてはなりません。
返済することができない借金を抱えてはどうにもならないのです。
人生は貪る人から必ず代償を取り立てます。
人が貪りによってこの世界から奪い取ったようにです。
自制が必要です。
欲求がうずいても、それが必要ないと感じるのであれば手を引きましょう。
あなたが手を伸ばすべきは、本心が望んでいる理想や目的であるということを覚えておかなければならないでしょう。

2013年6月20日木曜日

意思の実現

人は必要に従って歩み、人生は必要を満たします。
人生は必要に辿り着き、人は必要を得ます。
どのような状況や状態も、必要に従うということを理解しなければならないでしょう。
すべての事象は必要に従った結果であるのです。
必要とは、あなたの意思であるということを知らなければならないでしょう。
物事が必要(あなたの意思)に従って進んでいるということを理解するのであれば、人が物事に対して動じることはないのです。
物事が必要に従って進んでいるということを理解することができない人は状況に対して動揺します。
動揺は冷静な判断を滅ぼし、人に偽りを見せるようになるのです。
物事を冷静に捉えることができなければ、人はその本質に辿り着くことはできません。
人生を築いているのが自分自身の意思であるということを理解することなく、人生の本質を知ることはできないのです。
人生を豊かなものにするためには、その本質を知る必要があります。
どのような世界にもルールが存在しています。
その中には豊かさを得るためのルールが存在しているのです。
もちろん、不幸や破滅を得るためのルールも存在しています。
あなたが豊かさを得るためには、それを得るためのルールに従っていく必要があります。
豊かさを得るためのルールを知ることがなければ、豊かさを得ることはできないのは当たり前のことなのです。
どのような人物も、その世界のルールを知らずに利益を得ることなどできないのです。
ルールを知らない者は、勝負に負けるということを覚えておきましょう。
人生という勝負に勝るためには、人生のルールを知る必要があります。
それも、人生に豊かさを実現させるルールを知る必要があるのです。
それを知ることが重要なのです。
交通ルールを知らずに、快適なドライブは保証されません。
交通ルールを知らなければ、いつかは必ず事故を起こします。
もしくは、警察に捕えられ、様々な罰則を得るでしょう。
それでは目的地には辿り着けないかもしれないのです。
交通ルールを知っている者だけが有意義なドライブを楽しみ、目的地に辿り着くことも可能なのです。
人生のルールを知ることは、交通ルールを知ることに等しいのです。
小さなことも大きなことも、その本質は同じであるということを理解しなければなりません。
小さなことができない人は大きなことができません。
大きなことができない人は小さなことができないのです。
大きなことを成す人は小さなことにも忠実です。
小さなことに不忠実な人は、大きなことを成すことはありません。
人生の豊かさは得難く、それは決して簡単なことではありません。
ドライブで目的地に辿り着くためには、交通ルールを守ることに忠実でなければなりません。
一つ一つの交差点や曲がり角に注意を怠る者は、事故を起こします。
一瞬の気の緩みが事故を引き起こし、ドライブを終了させるのです。
小さなことに不忠実な者が人生の豊かさに辿り着くことはできません。
努力を怠る者には不可能です。
理解を怠る者にも不可能なのです。
人は常に自己の成長を思い、それに励(はげ)んでいなければならないのです。
人の意思が成長という必要を求める時、人生はその必要を満たします。
成長に向かって歩みを進める人の人生は、発展に辿り着くのです。
発展に辿り着いた人生は豊かさをもたらすのです。
人が豊かさを得るためには、成長の意思を持たなければなりません。
日々を成長のために使う人は成長を成します。
日々の努力を怠る者には停滞と後退(退化)が待っているのです。
人は誰しもが、自らの意思によって人生を形成します。
そのことを忘れてはなりません。
人生は自己責任であるということを知りましょう。
あなたの人生はあなたの事柄なのです。
あなたがどのように感じようとも、あなたがそのように築いたということに気が付かなければならないのです。
人生は必要によって満たされているため、そこには悲劇など存在してはいません。
苦しみに会うのは、本人がそのような必要を所有していたからに他ならないのです。
苦しみに会いたくなければ、それに会うことのない必要を所有しなければならないのです。
交通事故に会いたくなければ、交通ルールを守るという約束を所有するようにです。
人は必要にしたがって歩み、人生は必要を満たします。
人生は必要に辿り着き、人は必要を得ます。
それは紛れもなく、あなたの意思の実現であるということを理解しなければならないのです。

2013年6月19日水曜日

より良い自己

どのような人物も、自分をやめることはできません。
どのような人物も、生まれてから死ぬまで自分自身であるのです。
誰も自分を放棄することも、自分を去ることもできないのです。
あなたは「あなた」のままであり、それが覆(くつがえ)ることはありません。
あなたは「あなた」として生きていかなければならないのです。
あなたは自分以外の存在に成ることはできません。
あなたは他の誰かには成れないのです。
あなたは「あなた」に辿り着くのです。
あなたは自己を追求しなければなりません。
それ以外の方法を以て、人生を豊かなものにすることはできないのです。
あなたは「あなた」であるべきなのです。
人は多くの人に接するため、その影響を受け続けています。
それは自分という存在と、他人を比較することに繋がります。
自分と他人を比較することは悪いことではありません。
しかしながら、それがあなたを自己から遠ざけるのであれば、それは良いことであるとは言い切れないのです。
人が目指すべきはより良い自己の実現です。
それを以て人生は豊かさを得るのです。
あなたはより良い自己を実現させようと努めなければならないでしょう。
多くの人は自分の弱い部分と、他人の強い部分を比較して気を落とします。
それは、他人の中に自らの憧れを見るからです。
大切なのはそこで落ち込むことではありません。
他人の中に見た憧れを、自分の中に実現させることが重要なのです。
しかしながら、それは自分のやり方によって実現させる必要があります。
他人の中に見た憧れを自分らしく、自分の形としてそこに実現しなければならないのです。
人は進むほどにより良い自己に近付きます。
どのような人物であっても、行き着く先はより良い自己であるのです。
あなたは自分と他人を比較した時に、その部分が劣っていると感じても、それに気を落とす必要はありません。
それは今後の自分の目標として捉えるべきなのです。
人は完璧ではありません。
あなたよりも優れている人は数え切れません。
人には得意不得意があり、できることとできないことがあるのです。
自分と他人を比較するのであれば、必ず落ち度が見えてくるものなのです。
それは仕方のないことです。
しかしながら、それは悪いことではないのです。
物事は、それがどのように不利な状況であろうとも、それをそこから建設的に捉え、より良くなるように運ばなければならないのです。
多くの人は、自分と他人を比較して気を落とします。
多くの人は他人との比較の末に自分自身の状態に苦悩するのです。
あなたがどのような状態でどのような状況にいようとも、それを建設的に捉え、より良くなるように運ぶことを意識しなければなりません。
弱い自分、できない自分、不足している自分・・・
それは仕方のないことなのです。
しかしながら、先ずは現状を受け入れることができなければ、それから先の豊かさを得ることはできないのです。
どのような自分も受け入れる必要があります。
それがあなたの嫌いな自分であってもです。
現状を正しく認識して、それをより良くしていかなければならないのです。
どのような人物も、現状を放棄することはできません。
誰も、自分自身を去ることはできないからです。
その問題や苦しみを改善することがなければ、豊かさを得ることはできないのです。
人は皆、受け入れなければなりません。
それがどのように不利な状況であろうと、自分の弱さであってもです。
事実を受け入れ、そこからその問題を改善していかなければなりません。
腐敗した部分を切り取らずにいるのであれば、他の健康な部分も腐敗します。
問題は根本から解決しなければなりません。
そのためには、問題に対して向き合うことが求められるのです。
問題が起きたからといって、それを放棄しようとする方法では何も良くはなりません。
誰も、自分の状況(問題)を放棄することはできません。
すべては自分自身の事柄であり、責任であるということを忘れてはならないでしょう。
人にはできないことがあって当然です。
より良い自己に向き合うことで、それを一つずつでも改善していきましょう。

2013年6月17日月曜日

良い条件

この世界に存在している以上、闘うことを放棄することはできません。
どのような存在も、危うい命の上に人生を浮かべています。
生命に宿る命がもろく果無(はかな)いように、環境も状況も不変ではないのです。
どのような事も常に変化にさらされています。
どのような存在も危ういということを理解しなければならないのです。
危ういものを存続させるためには、それを守らなければなりません。
守るためには力が必要なのです。
力の無い者、闘いを放棄した者には守れません。
守るために闘わない者は失うのです。
この世界は残酷であると理解しなければなりません。
守るために闘わない者には平和はありません。
力の無い者に平穏はないのです。
平和を得ることができるのは、闘いを放棄しなかった者だけであるということを知らなければならないでしょう。
闘いを放棄するということは、自身の成長や状況の向上を諦めるということです。
成長や向上を放棄した存在が生き残る方法はありません。
進化を諦めた生物は滅びるのです。
それはいつの時代も続けられてきた自然の理(ことわり)なのです。
闘うことを放棄した者に道はありません。
闘いを放棄した者に未来は存在しないのです。
その理から抜けられる者はいません。
誰もが闘いの中に存在しているのです。
どのような存在も闘わなければ守れません。
闘わなければ得られません。
闘わなければ守れません。
闘わなければ継続することはできないのです。
甘えを捨て去らなければなりません。
自己に甘え、闘いを放棄する者に未来は存在しません。
人生は自己責任です。
この理を覆すことはできないのです。
そういう世界なのです。
あなたは現実を見なければなりません。
闘わない者、努力しない者、創造しない者、貪るだけの者、逃げて諦める者・・・
このように闘うことを放棄した者の結末は、苦しいということを知らなければならないでしょう。
この世界はあなたの行いに見合った結果を与えます。
それはあなたが求めているものではない形で与えられるかも知れません。
しかしながら、必ず得られます。
自らの行いは、自らの人生を形成するのです。
闘った者はそれに相応する豊かさを得ます。
努力した分、何等かの力が付くようにです。
努力はあなたの条件を良くするのです。
進化する生物は、環境の中で有利に生きることができます。
それは、進化したことによって条件が良くなったからなのです。
あなたがより良く生きるためには、自らの成長を以て条件を良くしなければならないのです。
誰もあなたの変わりに条件を良くしてはくれません。
人の条件は、その人の実力に従うのです。
実力以上の条件を得ることはできません。
他人が羨むような条件の中に生きている人は、他人には見えない努力や闘いをしてきた人なのです。
人生は平等です。
この世界は人の努力によって定められます。
その事実を忘れて不満を抱き、努力しても無駄だと諦める者には、良い条件など得られるはずもないのです。
闘わない者は成長することはできません。
環境の苦しみに向き合う個体だけが進化するのです。
闘い続けるのであれば、人は必ず成長することができます。
闘う者だけが条件を良くして優遇されます。
それは当たり前のことであると知りましょう。
闘いもしないのに、生産することもなく貪るのに、努力することなく逃げ出すのに、条件が良くなることはないのです。
あなたは勘違いしてはなりません。
この世界は残酷です。
あなたは決して無条件に守られてはいません。
自分自身で自分を守るのです。

2013年6月16日日曜日

力の世界

力が無ければ、豊かさは得られません。
この世界においての正義は「力」であるということを覚えておかなければならないのです。
力のある者は受け取り、力の無い者は失うのです。
力のある者は従え、力の無い者は従います。
どのような世界においても、力こそが正義であるということを忘れてはならないのです。
力の無い者には自由はありません。
それは豊かさが力によって与えられるからです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、力によってそれを掴まなければなりません。
自身で行わなければ何も得られないということを知らなければならないのです。
この世界は自分自身の行いによって形成されます。
自分自身が行わない結果を受け取ることはできないのです。
人生に豊かさを求めているのであれば、その豊かさを実現するための力が必要なのです。
力が無い者には権利も与えられません。
それを受け取っている人には、それに見合う力と権利があるということを知りましょう。
それがどのようなものであってもです。
あなたが自分自身に対する必要を手に入れるためには、それを手に入れるための力を所有する必要があります。
この世界は力のある者は継続し、力の無い者は去るのです。
それは今も昔も、そして、これからも変わらないことです。
その理(ことわり)を知った上で物事を考えなければならないのです。
力の無いのに不満を抱き、物事を悲観する人が多過ぎます。
力が無いのであれば、それを受け取る権利はないのです。
それは誰の責任でもなく、自己の過失であるということです。
状況がどのように展開し、人生がどのように決着しようとも、それは自己の力に比例している当然の結果であるのです。
人生に奇跡は存在しません。
そこには悲劇も喜劇もないのです。
どのようなことも当たり前の結果でしかないのです。
人生を嘆(なげ)くのであれば、自己の無力さを嘆きましょう。
力があれば問題は問題ではなく、苦しみは苦しみではないのです。
問題が問題であり、苦しみが苦しみであるのであれば、それは力不足以外の何物でもないのです。
あなたが豊かさを求めるのであれば、自己の力を求めなければなりません。
それを成すこと無く、豊かさを成すことはできないのです。
どのような人にも力が存在しています。
ただし、その力はある条件の元でしか発動することはありません。
その条件とは、自己が楽しいと感じる状態のことです。
それが楽しいと感じるものであるのならば、人は勤勉さを得るでしょう。
勤勉に励むのであれば、必ず力が付きます。
力が付くものは楽しく、更なる力が育まれるでしょう。
それは楽しいことであると知りましょう。
しかしながら、多くの人はこのことを知りません。
恐怖に根差して、楽しむことや自己の力の追求を忘れているのです。
そのため、不満の中で力不足に陥り、苦しみを得ることになるのです。
あなたは自己が何によって楽しむのか?を知らなければなりません。
何に対して力を発揮するのか?を知る必要があるのです。
自己を知ることがなければ力は得られません。
魚の姿をしているのに、丘に上がっても力を発揮することはできません。
獣の姿をしているのに、海に潜っても同じことです。
それぞれの器量に見合った事柄において力を発揮しなければならないのです。
楽しいことに力を使えば、力は増大します。
詰まらないことに力を使えば、力は疲弊します。
あなたは何者なのでしょう?
あなたが楽しいこと、追求することのできる道はどのような道ですか?
力のある者だけが豊かさを得ます。
樹に登ることのできない者が果実を得ることができないように、海に潜ることのできない者が魚を得ることができないように。
力の無い者は何も得ることはできないのです。
人は完璧ではありません。
何かに秀でていても、すべてをこなすことはできないのです。
農夫は野菜を収穫します。
漁夫は魚を捕えます。
互いは豊かさを分け与えることができます。
それはそれぞれに力があるからです。
相手に貢献することができれば、不足は補(おぎな)えます。
あなたは自己の力を磨きましょう。
力を持つ者は、不自由することはありません。
不足している者は皆、力の無い者なのです。
それが現実です。

2013年6月15日土曜日

怠け者

人生に事を成すためには、時間が必要です。
時間を粗末に扱い、それを浪費するようならば、人生に事を成すことはできません。
人生とは時間との協力であるということを理解しなければならないでしょう。
時間と協力すること、時間を有効的に活用することをせずに、人生に事を成すことはできないということを知らなければならないのです。
時間は貴重な財産です。
時間がなければ何も存在しません。
時間とはすべての根源であるということを理解しなければなりません。
どのように資金や物資を所有し、それが溢れていようとも、時間を所有していないのであれば、何一つとしてこの世界に成すことはできないのです。
時間こそがすべての事を成すのです。
あなたは自らが所有する時間を軽視してはなりません。
それを無駄に使うことは許されません。
時間の大切さを重んじる必要があるのです。
多くの人は時間の重要性に気が付いてはいません。
やらなくても良いことに時間を使い、無益に時を過ごすのです。
そして、何もできない哀(あわ)れな老人になるのです。
多くの人が時間を浪費しているのです。
時間の重要性を重んじている人には時間は少なく感じられます。
人が何かを成すために志を得た時、時間の貴重さを理解するのです。
志によって動く人は、所有する時間の少なさ、時の経過の早さに驚きます。
そのため、より一層の合理化を求めて、更に努めるのです。
人生に事を成すことは重要です。
それが人生の意味であり、意義であるからです。
しかしながら、多くの人はそれを気にかけずに歳を取り、死んでいきます。
只々、居心地の良い場所を求めて生活し、人生を終えるのです。
それは幸せなことなのでしょうか?
あなたは自身の心に問わなければなりません。
安全に、穏やかに、何も成すことなく、守られて生きることが幸せなのでしょうか?
あなたは考えなければなりません。
人生に事を成すことなく、心は充足を得ません。
心は事を成した時に達成感を得るのです。
その達成感が心を満たし、人生を輝かせるということを理解しましょう。
ただ安全に生きたところで、心が充足を得るでしょうか?
退屈に生きるだけでは、心は満足しないのです。
問題に向き合い、それを解決することによって成長することに対して、心は喜ぶのです。
本当にやりたいこと、実現させたい夢、手にしたい理想、成し遂げたい目標・・・
それらから逃げても、心は満たされないのです。
安全ではなくても、心は満たされます。
苦しみの中にでも、心は充足するのです。
あなたは間違えていてはなりません。
闇が存在しているから光を認識することができるのです。
苦しみが存在しているから喜びを知ることができるのです。
人生には苦しいことがたくさんあります。
しかしながら、それらによって時間を無駄に過ごすことが許される訳ではありません。
苦しい時に怠慢であることが良い結果を導くことはないのです。
休むことは怠慢ではありません。
怠(おこた)ることが怠慢なのです。
どのような状況においても、時間を無駄にしてはなりません。
活動するにしても、休憩するにしても、そこで努めて励まなければならないのです。
あなたは心と人生を満たす方法を知りましょう。
時間をぞんざいに扱い、事を成すことを怠るのであれば、人はその心と人生を満たすことはできないのです。
それこそが苦しみであると理解しなければなりません。
苦しくもないことを苦しみと思い込んでいてはなりません。
小さなことに思い煩(わずら)い、事を成すという大きな目的を見失ってはなりません。
時間は限られています。
いつやろう、時間がある時に始めようと愚か者(怠け者)は考えます。
時間が許すのであれば、今その瞬間に事を始めなければならないのです。
あなたに時間の有余はありません。
時間の余裕を探している時には、必要な時間はあなたの手をすり抜けているでしょう。
時間を無駄に過ごしてはなりません。
無駄に生きてはなりません。
努めて、成すべき事を成しましょう。
幸福は怠け者を許しません。

2013年6月14日金曜日

至上の褒美

人生においては常に可能性を広げなければなりません。
人生の可能性が滞(とどこお)れば、あなたに向かう幸福は滞ります。
幸福は可能性によってもたらされるということを覚えておかなければならないでしょう。
それは、幸福というものが心の満足から得られるものだからです。
心が満足するためには、人生の可能性が必要なのです。
物事が充実することがなければ、心が満足することはありません。
物事を充実させるためには、可能性を追い求め続けることが必要なのです。
可能性は人に希望を見せます。
希望を見た心は躍動し、満たされるでしょう。
可能性が見えず、希望を失った心は悲観の中に絶望するのです。
心が力を失えば、人生が力を失います。
それは心によって人生が築かれているためです。
どのような状況も、心によって築かれます。
心の力を知らない無知な人には、人生を豊かなものにすることは叶わないのです。
大切なのは心がどのように在るのか?ということであるということを覚えておきましょう。
心の充実なく、人生の充実は有り得ません。
あなたは常に自らの心を思い、それを満たそうと努めていなければならないのです。
心の煩(わずら)いは、人生を煩わせます。
あなたは自らの心と人生が正しく結び付いているということを知らなければならないのです。
心を見ずして、人生を見ることはできません。
心を知らずに人生を知ることはできません。
心を管理せず、人生を管理することはできません。
心を導かずに、人生を導くことはできません。
心が満たされないのに、人生が満たされることなどないのです。
あなたが大切にしなければならないのは、自らの心の状態です。
あなたは心に対して可能性を見せてやらなければなりません。
心が最も喜ぶのは、可能性を見た時です。
心にとって至上の褒美(ほうび)は可能性であるということを理解しなければならないでしょう。
可能性を得るためには、それを探さなければなりません。
可能性を探すことなく、それを得ることはできません。
可能性が勝手に舞い込むことはありません。
人生はあなたが求め、あなたが選択し、あなたが築くのです。
可能性を求め、それを得る方法を選択し、人生に築かなければならないのです。
詰まらない快楽によって、人生に可能性を築くことから逃げてはなりません。
人生に対して何もしない者が、人生に対して何かを得ることはありません。
人生は自分がやったことだけが与えられるのです。
可能性を築くことを怠ってはなりません。
可能性というものは自力によって築かなければならないのです。
荒れ果てた大地を耕して畑にするように、あなたは荒れ果てた苦しみの人生を耕さなければならないのです。
荒れ果てた大地を畑にするためには、そこに存在する樹木や岩を取り除かなければなりません。
それらを取り除くことなく畑を手にすることはできないでしょう。
樹木も岩も簡単には取り除くことはできません。
人生の苦しみも簡単には取り除けません。
しかしながら、それを取り除く決意を抱き、信念を以てそれを行い続けるのであれば、やがて樹木も岩も取り除き、そこに畑を築くことができるでしょう。
信念を以て闘わなければ得られません。
怠慢な者、投げ出す者、怒る者、快楽に溺れる者、諦める者には不可能です。
そのように生きる者には人生の豊かさを得ることはできないのです。
幸福とは心の充実です。
心が充実するためには、目に映る状況の充実と目には映らない状況のそれぞれの充実が必要なのです。
その両方を成すことなく、人生は幸福を抱くことはないのです。
あなたは心を満たしましょう。
そして、環境を満たしましょう。
人生に対して、可能性を追求しなければなりません。
あなたの仕事は可能性の拡張であるということを理解しましょう。
どのような仕事も、その本質は可能性の拡張であるということを理解しなければなりません。
可能性の拡張こそが利益であり、豊かさであり、幸福であるということを知りましょう。
幸福を求めているのでれば、人生に可能性を見出す(築く)ことを怠けてはなりません。

2013年6月13日木曜日

当然のこと

あなたは何事に対しても焦ってはなりません。
焦りは見落としを生み、見落としは苦しみを導きます。
焦ることで得られる豊かさは存在しないと理解しましょう。
あなたはどのような状況に対しても焦ってはなりません。
心を煩(わずら)い、冷静さを欠いてはならないのです。
冷静さを欠けば、豊かさを得るための方法を見失ってしまいます。
不満や怒り、悲しみや諦めを所有する人が豊かさを得ることは決してありません。
あなたは冷静さを失ってはなりません。
焦ってはなりません。
怒ってはなりません。
悲観してはなりません。
諦めてはならないのです。
人生には因果が存在しています。
因果は正しく結ばれており、それらが誤ることはありません。
原因は正しい結果に結び付きます。
人生に起るすべての結果が正しいことであるということを理解しなければならないでしょう。
人生のすべての状況を正しいと見ない人は、心を乱して慌てるのです。
人生は常に正しく導かれます。
原因と結果の法則が破られることはありません。
すべては理(ことわり)に従って進んでいくのです。
あなたの受け取る状況は、そのすべてが正しく導かれた結果であるということを理解しましょう。
その理解から外れてはなりません。
すべてを受け入れた上で、物事を考え、感じ、判断しなければならないのです。
焦りは物事の本質を隠してしまいます。
焦る心はもがき苦しみ暴れます。
そうなれば、足に絡み付いた鎖(くさり)は更に複雑に絡み付き、その肉を痛めるでしょう。
大切なのは冷静になり、足に絡み付く鎖の解き方を考えることなのです。
人生が正しく導かれていることを理解しているのであれば、焦る必要はないのです。
ルールを知っているのであれば、その先の展開を知ることができるでしょう。
焦るのはルールを知らない者だけです。
あなたが人生に動揺しているのであれば、人生のルールを知らない無知な人であるということを認めなければならないでしょう。
みかんの種からはみかんの樹が芽生えます。
りんごの種からはりんごの樹が芽生えるのです。
種子という原因は結果として、当然のことながらその種の樹を芽生えさせるのです。
みかんの種からりんごの樹が芽生えることはありません。
これと同じく、あなたの選択(生き方)という原因からは、それに因(ちな)んだ結果が導き出されるのです。
当たり前のことに心を乱してはなりません。
あなたにとってその状況が苦しかろうが、あなたは苦しんではなりません。
苦しんだところで何も解決しないのです。
焦っても何も良くはなりません。
怒っても、悲観しても、諦めても、何も良くはならないのです。
因果は正しく結び付いています。
あなたが受け取るすべての状況は、あなたが導いた当然の結果であるのです。
それが予想と違うからと言って焦ってはなりません。
それが予想と違うのであれば、予想が間違っていたと学びましょう。
結果がすべてです。
あなたが受け取る状況が、あなたを正しく現しているのです。
それに不満を持ったところで何かが良くなることはありません。
寧(むし)ろ、状況は悪化するということを理解しなければならないでしょう。
理想と違う結果であるのならば、方法が間違っていたのです。
残念ながら、人生をリセットすることはできません。
一度起きた事実と、一度過ぎ去った時間を取り戻すことも、やり直すこともできないのです。
人生の選択は、それが一度切りであるということを知らなければなりません。
あなたは何も取り消すことはできません。
過ぎたことがやり直せないのであれば、これから先のことで変えなければならないのです。
心を乱せば挽回することはできません。
あなたはどのような状況も心を乱すことなく受け取り、それをより良いものにするための建設的な策を考えなければなりません。
必要な原因を用意することなく、必要な結果が導かれることはありません。
この人生では、当然のことしか起きないということを理解しなければならないのです。

2013年6月12日水曜日

事実の実現

人生は事実だけを実現します。
あなたは事実のみが人生に対して実現するということを理解しなければなりません。
事実とは、あなたの選択です。
あなたの思考や感情、その行いに至るまでが事実なのです。
あなたが選択したことは、あなたにとっての事実であるということを知りましょう。
人生が無意味に創造されることはありません。
すべての状況が事実によって導かれているのです。
事実と異なる状況などは、どこを探しても存在しないということを理解しましょう。
あなたがどのように考えようとも、あなたが受け取る状況は、あなたの選択によって導かれた当然の結果なのです。
この世界に奇跡など存在しません。
この世界には真実のみが実現するのです。
あなたが状況に疑念を抱くのであれば、自らの選択の事実を認めないか?それが自らの選択であり、当然の結果を導く事実であったと理解できないだけです。
無知な者は救われません。
知らない者は失います。
それは仕方のないことです。
事実を導くことができなければ、必要な結果を受け取ることなどできないのです。
人生は事実によって実現しているということを知りましょう。
それを理解することなく、人生に不満や恐怖が消えることはないでしょう。
人生を豊かなものにするためには、人生が豊かなものになるための事実を用意する必要があります。
その事実を用意することができないのに、人生が豊かなものになることはないのです。
原因が結果を導くことは周知の事実なのです。
あなたがやった事実が後のあなたを左右することなど、子どもでも知っているのです。
あなたが事実を免れると考えてはなりません。
あなたは決して特別な人間ではないのです。
この世界はあなたを少しも特別扱いしてはいないのです。
あなたの選択した事実に従って、必要な状況を実現させる、ただそれだけなのです。
人生がどうにかなる、なんとかなるなどと、何の根拠もない希望的観測によって事実に向き合うことを恐れてはなりません。
現実逃避は更なる事態の悪化を導く悪しき習慣であるということを覚えておきましょう。
あなたがどのように考えようとも、豊かになるための事実が用意されていないのであれば人生はどうにもなりません。
残念ながら、なんとかなるための事実が存在しなければ人生はなんとかならないのです。
あなたを救うのは、自分自身であるということを覚えておきましょう。
自分自身が事実を用意することこそが自らを救う唯一の手段であるということを知らなければならないのです。
大切なのは事実を用意するということです。
それを成さない限り、あなたの希望が果たされることなどないのです。
あなたは誰にも救われません。
誰にもあなたを救う力などないのです。
人は自分自身のことだけで手一杯なのです。
甘えていてはなりません。
雇い人が働かない者に報酬を支払わないように、人生は事実の用意を怠る者には幸福を与えません。
怠る者は得られません。
怠っているのに得られるほど、人生が甘い場所であるという甘い考えを所有していてはならないのです。
花に水をやらなければ枯れます。
健康に気を付けることを怠れば病気になります。
あなたは人生が汚れないように管理しなければならないのです。
状況が豊かになるための事実を用意する者だけが、人生を豊かなものにすることができます。
状況が豊かになるための事実とは「正しい選択」です。
それは思いやりに根差した貢献であると覚えておきましょう。
思いやりに欠け、貢献することもない選択は正しくありません。
なぜなら、それが人生を豊かなものにすることはないからです。
人生は思いやりに根差した貢献によって、豊かに栄えるのです。
貢献しない者は豊かさを得られません。
貢献した事実がある者にだけに豊かさが与えられるのです。
あなたは人生のシステムを知らなければなりません。
無知な者は得られません。
事実を用意しなければなりません。
それ以外の手段であなたは救われません。
人生は事実のみが実現するのです。

2013年6月11日火曜日

思慮深い心

あなたは自らの成長のために、その心をできる限り伸ばしていなければなりません。
心を伸ばすということは、より多くのことに興味を抱くということです。
あなたが豊かな人生を築くためには、考え得る必要を満たさなければなりません。
必要を満たすことがなければ、人生は豊かさを得ないのです。
状況に対して必要を満たすためには、それに応じた力が必要です。
必要を引き寄せるための力や、それを蓄えるための器がなければ、状況の必要を満たすことはできないのです。
あなたの心の在り方が重要なのです。
心が力を得るということは、それがより大きく広がりを見せるということです。
心が大きく育まれれば、人は物事を大きく、そして深く思慮(しりょ)することができます。
そして、心がそれをより大きく、深く思慮することができるのであれば、状況をより良く導くことができるのです。
心が働くためには、それがより大きくなければなりません。
小さな心では思慮が深くはなりません。
大きな心ほど余裕が生まれ、深く思慮することができるのです。
状況をより良く導き、人生をより豊かなものにするためには、心の大きさが重要なのです。
小さな心で事に当たるのであれば、小さな結果を導くことになります。
大きな(必要な)結果を得るためには、大きな心が必要なのです。
小さな心は物事を浅はかに捉えます。
心が届かないのであるから、それ以上思慮することができないのです。
心が届かない分、考えも行動も浅はかなものになるのです。
浅はかな考えと行動は、状況に対して苦しみを導きます。
それは大切なことを見失うからです。
浅はかな心は、やらなければならないことをなおざりにし、やらなくても良いことに執着します。
浅はかな心は、見当を外すのです。
見当を外して必要を満たすことはできません。
間違った行為からは、正しい結果は導かれないのです。
浅はかな心は思慮も浅いため、物事の見当を外します。
それでは必要は満たされません。
あなたが必要を満たし、人生に豊かさを求めているのであれば、物事の見当を外してはならないのです。
方向が間違っているのでれば、どのように歩みを進めても決して目的地に辿り着くことはできません。
目的地に辿り着くためには、進むべき方向が正しいことが求められるのです。
間違った方法では、必要な結果が得られないように、あなたは物事に対する見当を正しく持ちましょう。
物事を正しく見当づけるためには、思慮深い心が必要です。
良く考える心でなければ、物事の本質に気が付くことはありません。
どれだけの経験を有しても、考えが浅いのであれば物事の本質に気が付くことはないのです。
少ない経験の中でも、深い考えを持っているのであれば、物事の本質に気が付くことができるでしょう。
ただ歳を重ねるだけではなりません。
時間だけを浪費し、必要を満たさないのは怠慢です。
あなたは勤勉でなければなりません。
物事に対して尽力する人でなければならないのです。
勤勉な人は物事を多く考えています。
その結果、思慮は深くなるのです。
どのようなものも使うことで強化されます。
使わないものは退化するのです。
思慮を深くするためには、より多く心を使わなければなりません。
心を使うためには、より多くのものに興味を抱かなければなりません。
多くのものに興味を抱き、それを探究することが求められるのです。
あなたは勤勉でなければなりません。
常に心の強化と拡張を願っていなければならないのです。
心を止める者は、豊かさを止める者です。
心の繁栄なしに、人生の繁栄は有り得ないのです。
あなたは心の重要性を理解しなければなりません。
人生は自分の心が築きます。
何が正しいことなのかを理解する必要があるのです。
そのために心を広げ、思慮深く生きましょう。

2013年6月10日月曜日

知っている者

あなたは責任を果たさなければなりません。
責任を果たすこと無く、人生を豊かなものにすることはできないということを知りましょう。
あなたの人生には責任が存在しています。
あなたが生きるということは、常に責任が伴っているのです。
責任とは、あなたが成すべきことです。
あなたが豊かさと幸福を得るためには、そのために成さなければならないことがあるのです。
それを成すこと無く、人生が豊かさと幸福を得ることはないということを知らなければならないでしょう。
成すべきことは人によって、状況によって様々です。
人は現状と将来に対して、それぞれに成さなければならないことがあるのです。
それは自身の力(判断)によって見極めなければなりません。
人生が自身の力によって築かれていくことを知らずに、他力によって責任が果たされ、豊かさと幸福を得られるほど甘い場所ではないのです。
どのような人物であっても、自らの成すべきこと、自らの責任は自らの力によって見出さなければならないということを覚えておきましょう。
しかしながら、自らの成すべきことを見出すのは簡単なことではありません。
人生を真剣に生きていなければ見付けられるものではないのです。
人生に対して怠慢な人物にはそれが見えず、また見付けられないということを理解しなければならないでしょう。
あなたは人生に真剣に向き合わなければなりません。
真剣に向き合うということは、それをより良くするために精一杯に向き合うということです。
真剣に生きれば、人生が悪くなることはありません。
どのような状況も真剣に生きていれば必ず良くなるのです。
どのような人物も真剣に生きれば必ず機会に巡り合います。
それは真剣に生きることによって人生がより良い方向に進むためです。
不満や怠慢を所有し、真剣さに欠けるのであれば、機会に巡り合うことはありません。
人生の機会は、それを良くしようと真剣に努める者だけに微笑む権利であるということを覚えておかなければならないのです。
真剣さに欠ける者が人生を豊かなものにすることはできません。
人生は自らの生き方によって決まるからです。
しかしながら、そのことを知らない人が多いのです。
大抵の人は人生が自己によって形成されているということを知りません。
無知に生きても何も得られないのです。
必要を得て、必要を満たす者は「知っている者」だけなのです。
知っている者は人生に手を抜くことはありません。
怠慢が機会を逃がすことを知っているからです。
怠慢が力を奪うことを知っているからです。
人生が自らの意思によってのみ築かれているということを知っているからです。
人生が上手くいかないことを誰かや何かのせいにしている人は、自らの果たすべき責任を果たすことができません。
それでは必要を得て、必要を満たすことはできないのです。
人生は自己責任であるということを決して忘れてはなりません。
上手くいかないのはあなたのせいです。
それ以外の考えを信じているのであれば、残念ながらあなたに豊かさは得られないでしょう。
人生がどのようなものになろうとも、それはあなたの、あなたからの事柄なのです。
あなたが問い詰めなければならないのは自分自身です。
誰かや何かがあなたの人生を築いた訳ではありません。
呪うのであれば、自己の無知を呪いましょう。
身体は命を保つために一瞬も休むことはありません。
果たすべき責任が常にあるということを知っているからです。
呼吸が止まり、心臓が止まり、細胞が止まれば命が止まります。
身体にとっての豊かさとは命の所有です。
身体はその豊かさを保つために、一瞬も休むことなく働き続けています。
働くことを止めた時点において、死が身体を破滅に導くでしょう。
あなたは一日足りとも責任を放棄して良い日があると考えてはなりません。
あなたは継続しなければなりません。
休めば力を失います。
呼吸が止まれば命が尽きるように、励むことを怠れば力は尽きるのです。
そのことを知らない人が多過ぎるのです。
人生に対して真剣に向き合いましょう。
果たすべき責任を放棄してはなりません。
怠惰に時を過ごしてはなりません。
人生を無駄にしてはなりません。
真剣に生きる時、人は大切な財産を手に入れるでしょう。

2013年6月9日日曜日

強者と弱者

人生は闘いであるということを忘れてはなりません。
この世界は力こそがすべてを支配しているのです。
力を持たない存在は滅びます。
それは当たり前のことです。
この世界は力によって成り立ち、力によって進みます。
力の無い存在は服従し、分裂し、滅びます。
力のある存在は服従させ、分裂させ、滅ばせます。
そして、力のある存在が生み出し、築き、遺すのです。
力によってのみ物事が進行していくということを忘れてはならないでしょう。
強い者が存在し、弱い者は滅びるのです。
あなたが存在するためには、力を得なければなりません。
力の無いのに、存在することは許されません。
弱い者は服従し、分裂し、滅びるのです。
世界は力のある者によって統制されるということを覚えておかなければなりません。
あなたは力を求めなければなりません。
力が無く、弱い者は何も得ることはできないのです。
自然界は弱さを許しません。
自然界が歓迎するのは強さを持つ者だけなのです。
あなたが存在しているのは自然界であるということを忘れてはならないでしょう。
人が築いたどのような世界も、自然界の中に存在しているということを忘れてはならないのです。
強い者が存在し、弱い者は滅びます。
それは、どのような世界においても同じことであり、明らかなことなのです。
あなたは闘わなければなりません。
闘いを放棄してはなりません。
闘いを放棄した者は強さを得ません。
人は人である以上、強さを求めなければならないのです。
闘わずしてどのような強さも得られません。
あなたは軟弱ではならないのです。
怖じ気付いて、泣き言を並べているようではならないのです。
闘いを放棄する存在は服従し、分裂し、滅びます。
それは避けられないことなのです。
あなたがどのように理想を描こうとも、現実には闘うことでしか得られないもの(価値)が多過ぎるのです。
闘わない者は価値を得ることはできません。
それは、人生の価値は自らの手によって勝ち取らなければならないからです。
自ら勝ち取らなければ得られません。
人はいつまでも守ってもらう立場の子どもではいられないのです。
あなたは闘わなければなりません。
闘って、勝ち取らなければならないのです。
闘いを放棄するのは命の怠慢です。
闘いもしないのに、不満を持つものではありません。
闘わない者、弱い者は、服従し、分裂し、滅びるしか道はないのです。
あなたが闘わないと言うのであれば、従いましょう。
分裂を見届け、滅びましょう。
それが嫌だと言うのであれば、あなたは強くならなければなりません。
しかしながら、闘いと争いを間違えてはなりません。
闘うことと争うことは違います。
あなたは何と闘わなければならないのか?を思慮しなければなりません。
闘う相手も知らずに闘ってもそれはただの争いとなり、価値を手にすることはできないでしょう。
闘うということは弱さの駆逐(くちく)であり、強さを育む行為です。
争うということは弱さの増長であり、更なる弱さを育む行為であるのです。
闘いは勇気によって導き出されます。
争いは恐怖によって導き出されるのです。
闘いは建設的な方向性を備えており、争いは破滅的な方向性を備えています。
その違いを見極めなければなりません。
あなたは世界の弱さと闘い、それを滅ぼしましょう。
そのために、先ずは己の弱さと闘わなければなりません。
倒すべき敵は己の中にこそ存在しているのです。
人生は自己の弱さとの闘いです。
そのことを忘れて、自己の向上を疎かにしているならば、弱さを得て、服従し、分裂し、滅びるでしょう。
この世界は力がすべてです。
どのような理由があろうとも、怠ける者は豊かさを得ません。
存在することが許されるのは強い者だけです。
己を磨くことを忘れてはならないでしょう。

2013年6月8日土曜日

小さな世界と争い

小さな世界には争いが起きます。
小さな世界は争いを求めて分裂するのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
器量の小さな人間は不満に根差して争います。
小さな人間は先見性を持たず、目の前の既に現れている結果に捕われて、その原因と将来を見失います。
そのような人間は人生に豊かさを満たすことはできません。
小さな価値観、思考、感情、視野、理想、目的、人格・・・
そこには争いが付き物です。
争いが存在しているのであれば、そこに豊かさは存在しないということを理解しなければならないのです。
小さな世界には争いが存在するために、豊かさは存在しないということを覚えておきましょう。
あなたが豊かさを求めているのであれば、小さな世界に執着してはなりません。
小さな世界から一刻も早く抜け出し、大きな世界で大きな存在と共に生活しなければならないのです。
小さな世界に執着し、争いを好む者は自滅します。
沈むことが知れている船に乗ったところで対岸には辿り着けません。
崩れることが分かっているのにその家に住む必要はないのです。
小さな世界に執着する人間に関わってはなりません。
それは苦しみを増すからです。
あなたが人生に築かなければならないものは幸福なのです。
どのような手段を用いても、幸福という結果を築かなければならないということを覚えておきましょう。
ただし、何が幸福を築く方法であるのか?ということを見失ってはなりません。
あなたは大きな世界を求めていましょう。
向上心を絶やすこと無く燃やし続け、成長しなければならないのです。
小さな世界に執着する人間は、狭い場所にいながらそのことに気が付いてはいません。
それは愚かなことなのです。
狭い場所に生きているのであれば、豊かさが不足するのは当然のことです。
相手と鬩(せめ)ぎ合うことは必至なのです。
狭い場所に根を下ろした樹木は、互いに光を求めて枝葉を伸ばし、水を求めて根を伸ばしますが、結果として豊かさを奪い合わなければならないのです。
争いに敗れた方は枝を枯らし、根を引かなければならないでしょう。
それでは美しい樹形を築くことはできないのです。
広い場所に根を下ろすことができれば、互いに豊かさを分かち合うこともできるでしょう。
互いが美しい樹形を築けたでしょう。
人は移動(変化)することのできる存在です。
互いが争わずに豊かさを分かち合う方法があるのです。
それを探さなければならないのです。
小さな世界に生きていると、互いに淘汰(とうた)する必要が生まれます。
争いは不満を生み、不満は更なる争いを生み出すでしょう。
小さな世界に執着する者には争いが絶えません。
それは豊かさの形成ではなく、その消耗であると気が付かなければならないのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、小さな世界に執着してはなりません。
小さな価値観、思考、感情、視野、理想、目的、人格・・・
小さな器量が人を豊かさから遠ざけ、殺すということを理解しなければならないでしょう。
あなたが大きな世界に向かうためには、孤独に耐えなければなりません。
孤独に耐えることができなければ小さな世界に対する依存から解放されることはないでしょう。
大切なのは人は孤独であるということです。
人が孤独であることを忘れて、他の存在に依存するから争いが生まれるのです。
人はそれぞれに独立し、その状態によって互いに協力することが良いのです。
大きな世界に至る人は孤独を得ます。
小さな世界に縛られた人間にはそれが理解できません。
孤独を理解しない者は小さなことに捕われ、争うのです。
それは楽しいことではありません。
小さな器量が人生を詰まらないものにしているということに気が付かなければならないのです。
大きな世界で自由に生きることは幸せです。
小川で泳ぐ小魚よりも、大海を泳ぐ大魚の方が豊かであるということを理解しなければならないでしょう。
小さな世界で小さな人間が争うということを知りましょう。
あなたは自己を高めることによって、その苦しみから抜け出しましょう。
小さな世界に生きてはなりません。
狭い場所で生きてはなりません。
小さな世界で、小さな器量の人々と豊かさを得ようと争ってはなりません。
より大きな世界で、より大きな器量の人々と互いに豊かさを分かち合いましょう。

2013年6月7日金曜日

静かな声

世界に存在するすべては変化の中に在ります。
すべての存在が変化を求め、それを余儀なくされているのです。
人生とは自己の変化であり、その向上が目的であるということを覚えておかなければなりません。
様々な事柄に対して、あなたは自己の変化と向上を実現させなければならないのです。
それがどのような事柄であろうとも、それは自己に至るということを理解しなければならないのです。
すべての事柄があなたの自己に呼びかけます。
すべての事柄があなたの自己に変化と向上をもたらすのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
自己を向上させるように変化させることがなければ、人生はどのような事柄においても空しさを導きます。
あなたの最終的な目的は自己の変化と向上であるですから、それを成さない限りは何をしても人生は空しいのです。
それを知らなければならないのです。
どれだけのお金や物を所有しようとも、自己を満たすことを知らずに人生を満たすことなどできないのです。
人生があなたの主なのではなく、自己があなたの主であるということを知りましょう。
自己の変化と向上が成されない限りは、人生は豊かさを得ないでしょう。
あなたは自己が変化するものであるということを知り、更にはそれが向上するように努めなければならないのです。
どのような事柄に関しても、そこから自己の向上に繋がる変化を読み取りましょう。
それがどのように思う状況であろうとも、そこにはあなたの自己の向上に関する大切な変化の材料が隠されているのです。
どのような事柄も自己に至るということを知り、それを実現させましょう。
経験から学び、自己に生かすのです。
自己が変化し、向上すれば、状況に豊かさを得ることができるようになります。
それは、向上した自己が状況の本質を見極め、どのようにすればそこから豊かさが得られるのかを教えてくれるからです。
自己を豊かさに導くそれは、とても小さくて静かな声なのです。
自己を変化させ、向上させた人の心は静かです。
それはとても閑静(かんせい)であり、静かな声によって充実しています。
自己は高まる程に静けさをますということを知らなければなりません。
問題を解決し、そこに価値を導く人は優れています。
問題を解決し、そこに価値を導くことのできる人は、誰もが冷静さを所有しています。
冷静でなければ問題を解決し、そこに価値を導くための方法を導き出すことはできないのです。
乱れた心と頭では、良いアイデアは生まれないのです。
未熟な子どもは問題を解決する力を持ちません。
そこに価値を生み出すこともできません。
未熟であるが故にそれができないのです。
子どもは問題を前にして慌てふためき、冷静さを失います。
それでは問題の解決も、価値の創出も叶いません。
経験を積んだ大人は、問題を前にして冷静さを保つことができます。
冷静さを失わなければ、的確な対応が行われるでしょう。
その結果として問題は解決し、そこに価値が導かれるのです。
大人は経験を積んで自己を変化させ、向上させた人です。
ただ歳を取るだけでは問題は解決しませんし、価値は導かれません。
自己を向上させ、静かな声を聞く必要があるのです。
精神が騒がしく、心が乱れ、思考が散漫であるのならば、人格の向上は望めません。
あなたが何かに思い煩(わずら)っているのであれば、大切なことに気が付かず、人格の向上は望めないのです。
どのような状況にもうろたえることのない心を築く必要があります。
それが問題である、苦しみであると分かっていても、それに動揺することなく対応することが必要なのです。
あなたは肝心なことから逃げてはなりません。
苦しくてもやらなければならないことは多くあるのです。
食事をするのが面倒だからと言ってそれをしなければ、命を失うことになるでしょう。
それが苦しいと言ってやらなければ、豊かさを得ることはできないのです。
あなたはやらなければならないことと、やらなくてもいいことを見極めなければなりません。
あなたがやるべきことは静かな声が教えてくれます。
すべての事柄が自己に至るということを理解し、それの変化と向上のために努めなければならないのです。
自己が向上するためには何をしなければならないのか?を考えましょう。
自己の変化と向上を怠ける者には、幸福は巡りません。
あなたは自己が静まるのを感じましょう。
それが騒がしいのであれば、注意しなければなりません。
あなたを正しく諭すのが静かな言葉であるように、豊かさは静寂から導き出されるのです。

2013年6月6日木曜日

知恵のある者

知恵のある者が思い煩(わずら)うことはありません。
知恵のある者が争うことはありません。
知恵のある者が悲観することはありません。
知恵のある者が失望することはありません。
知恵のある者が怠(なま)けることはありません。
知恵のある者が苦しむことはないのです。
知恵とは、一切の苦しみを喜びに変える力です。
知恵のある者は、苦しみに打ち拉(ひし)がれることはないのです。
知恵のある者は、喜びによって満たされるのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、知恵を備えなければなりません。
知恵も無く人生を豊かなものにすることはできないということを理解しなければならないのです。
どのように努めても、知恵を持たなければ求める結果に達することはできないでしょう。
求める結果を得るためには、それを得るための正しい方法が求められるのです。
正しい方法を知らずに、必要な結果を得ることはできないのです。
正しい方法は知恵によって導き出されます。
知恵を得ることが正しい方法を知ることであると理解しなければならないでしょう。
あなたは知恵を得なければなりません。
知恵を得るためには経験が必要です。
経験によって、物事の本質とその成り立ちを知らなければならないのです。
本質とその成り立ちを知る人は、知恵ある者と呼ばれます。
知恵の及ばない人は、物事の本質とその成り立ちを知らないのであるから、そこで思い煩い、苦しむのです。
物事の本質とその成り立ちを理解するのであれば、それを正しく導くことができます。
正しく導くことができれば、必要な結果を得ることができるのです。
それが必要な結果に達していないというのであれば、その本質と成り立ちを知らないということです。
本質とその成り立ちを知っているのであれば、人が苦しむことはないのです。
知っている人は苦しみません。
苦しむのは知らない人だけなのです。
あなたはそのことを理解しなければならないでしょう。
知恵のある者は楽しみます。
知恵のある者は与えます。
知恵のある者は支えます。
知恵のある者は学びます。
知恵のある者は成長します。
知恵のある者は夢を描き、それを実現します。
知恵のある者は人々から慕(した)われます。
知恵のある者は価値を生み出します。
知恵のある者は喜ぶのです。
あなたは現状をどのように見ますか?
そこに不満や不安などの苦しみが存在しているのであれば、明らかに知恵が足りません。
知恵はそれらの苦しみを許さないからです。
知恵があれば、どのような問題も問題ではなくなります。
知恵があれば、そこには必要な価値が導かれます。
知恵のある所には喜びが存在するのです。
知恵のある所には価値があるのです。
あなたは経験によって知恵を得なければなりません。
どのような知恵も経験から得ることができます。
初めから知恵のある者は存在しません。
知恵のある者は経験から学んでいるのです。
知恵の無い者は経験を疎(おろそ)かにしているのです。
知恵とは後天的な要素であるということを理解しなければならないでしょう。
知恵は言い訳を許しません。
知恵は怠慢を許しません。
知恵は悲観を許しません。
知恵はあなたという存在を知らせています。
知恵があれば、人生は豊かなものになります。
知恵が及ばず、人生が貧しいものであると感じるのであれば、経験から学ぶことに努め励みましょう。
学ぶ者には知恵がもたらされるということを忘れてはならないでしょう。

2013年6月5日水曜日

人生の取引

あなたは多く取り過ぎることに注意をしなければなりません。
何事においても、適量を知らなければならないのです。
適量を超えて過剰に取れば、バランスが崩れます。
バランスが崩れてしまえば倒れるでしょう。
人生というものは進むことを求められる道のりです。
どのような人物のどのような人生も、それを豊かなものにするためには、歩み続けなければならないのです。
歩みを止めて停滞すれば、そこには苦しみが導かれます。
大海を泳ぎ続ける鮪(まぐろ)のように、動きを失ってしまえば苦しみを得ることになるのです。
人は人生を歩み続けなければなりません。
それがどのような速度であろうとも、豊かさを得るために立ち止まることは許されません。
身体は休んでいても、思考と心は常に動き続け、成長と向上を成さなければならないのです。
意識(人格)の成長が止まれば、人生は苦しみを得るでしょう。
あなたは人生を歩み続けなければなりません。
人生を歩み続けるためには注意しなければならないことが幾つかあります。
それらに注意しながら進まなければ、あなたは歩みを止めることになるでしょう。
注意しなければならないものの一つに、「受け取ること」があります。
あなたは人生に様々なものを受け取ります。
受け取ることがなければ歩むことはできません。
人は必然的に何かを受け取らなければならないのです。
その時に、受け取る量を誤ってしまうと抱え切れなくなり、倒れてしまいます。
倒れてしまえば人生を歩むことはできないのです。
あなたは自分に必要な量を受け取ることができます。
人生において、あなたが欲するものは与えられるでしょう。
それは、自らの意思に従って自らが行動し、それを掴むからです。
あなたが欲したものは(努力次第で)与えられます。
あなたは自らの人生を築く権利を持っているため、あなたを制することは他の誰にもできないことなのです。
あなたは自らが欲するままに必要なものを人生から受け取ることができるでしょう。
しかしながら、好きなだけ手に入るからといって、それを自重(じちょう)することがなければ、多く取り過ぎて支えることができなくなるのです。
食欲に犯され、感覚が麻痺してしまえば多くを口にして肥えます。
金銭欲に犯され、感覚が麻痺してしまえば多くを集め少なく払い、不満や不安などに心を煩(わずら)います。
性欲に犯され、感覚が麻痺してしまえば人を傷付け、自らを傷付けます。
睡眠欲に犯され、感覚が麻痺してしまえば時間と労力を犠牲にして、苦しみに至ります。
欲を多く持ち、何事も多く取り過ぎてしまえば、それによって自らを破滅させます。
それを好きなだけ取ることができる状況にあっても、その誘惑に負けてはなりません。
人は人として高貴に生きるために、克己(こっき)することが求められるのです。
自らを律することを知らず、醜(みにく)く生きてはなりません。
欲望に従うように多くを取り過ぎてはならないのです。
この世界に存在するものは、そのすべてが取引の道具です。
どのようなものにも責任が備わっています。
この世界に「ただ」のものはありません。
値段が付いていないものであっても、そこには価値があり、必要な取引が成立されるのです。
多く取るのであれば、当然その代償を支払わなければならないのです。
それがどのようなものであってもです。
形があろうが無かろうが、誰かの所有物であろうとなかろうと、すべてには代償が付きまとうのです。
この世界の一切の存在は、この世界の所有物です。
人のものではないからと言っても、あなたのものではありません。
あなたが受け取る権利があるのは、あなたの働きに見合う量だけです。
それ以上に取れば、負債として扱われるのです。
人生に対する負債からはどのような手段を使っても逃れることはできません。
それはどのような理由があろうとも必ず取り立てられるのです。
あなたが取り過ぎているのであれば、覚悟をしなければなりません。
取り過ぎている分の仕事を急いで行わなければなりません。
この世界においては、有形無形に関わらず、すべてが取引として扱われます。
人生を目に見えるものだけで考えてはなりません。
見に見えるものだけを数えてはなりません。
人生は、経済社会における金品などの目に見えるものだけの取引のように簡単なものではないのです。
あなたの思考や心が目には見えないように隠されているように、あなたは隠されているものの取引をし続けているのです。
あなたは注意しなければなりません。
どのような取引をしても、すべては自己責任です。
あなたが豊かな人生を求めるのであれば、何事も多く取り過ぎないように注意しましょう。
責任の範囲で取引しなければなりません。

2013年6月4日火曜日

つまらない人物

人は、その心のままに在る。
どのような人も、その心のままに在るということを理解しなければなりません。
どのように外見を繕(つくろ)おうとも、それは塗られたペンキのようにいつかは朽ちて剥がれます。
そのものの姿は本質が決めています。
上辺に何色のペンキを塗ろうが、それはやがて朽ちて剥がれ落ちるのです。
あなたはどのように外見を繕おうとも、それは一時しのぎであるということを知りましょう。
そのことを忘れているのであれば、あなたはその代償を得ることになるということを理解しなければなりません。
どのような外見も繕うには限界があります。
人を現すのは心です。
人は心を本質として存在しているのです。
人はその心のままに在ります。
どのように繕おうとも、人生にはその見せ掛けは通用しません。
あなたの心が人生を築きますが、あなたは自らの心に真実のみを語らなければならないのです。
真実を知っている心は、それを例外なく人生へと反映します。
あなたがどのように外見を繕い、他人には良いように見せ掛けても、それが人生に反映されるのは一時しのぎであるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたが人生に不正な方法で何かを得ようというのであれば、確かにその時はそれを得ることもできるかも知れません。
しかしながら、あなたの中にはそれが真実ではないという罪悪感や不安が存在するようになるのです。
図太い人間は、不正を不正とも思っていないでしょうが、その人の本心はそれが不正であるということを知っています。
どのように倫理観を犯された人であっても、その心はそれが正しくないことを知っているのです。
不正を働けば、心の中に微かな動揺が現れます。
それはとても小さな動揺であるでしょうが、気付かぬ内にそれが心の豊かさを侵食するのです。
心の豊かさを失えば、人生の豊かさを得ることはできないのです。
人は心によって人生を選択し、築きます。
それも、上辺の見せ掛けの心ではなく、本質的な本心というものがそれを築くのです。
どのように周到に隠そうとも、必ず暴かれます。
この世界に隠し切れることはありません。
どのように周到に隠しても、あなたの人生を形成する上で一番重要なあなた自身がそれを知っているのだから意味がないのです。
あなたに知れていることは、必ず人生に反映されます。
それを回避することはできません。
あなたは人生に不満を持ってはなりません。
それはあなたの心が現したものだからです。
あなたは何者をも憎んではなりません。
すべてはあなたがしたことだからです。
小さな考えに執着している人は、大きな考えに至りません。
小さな考えとは、陰湿な考えです。
嫉妬(しっと)、怒り、憎しみ、悲しみ、不安、心配、恐怖、失望、諦め、依存・・・
このような破滅的で小さな考えを所有していると、人生において大切なことを見失います。
あなたは心を隠してはなりません。
心の中で不正を企(たくら)んではなりません。
その企みが自身を苦しめることになるということを知らなければなりません。
小さな考えに従う者は、小さな人格に従って小さな人生を歩みます。
大きな考えに従う者は、大きな人格に従って大きな人生を歩むのです。
あなたは小さな考えに従ってはいませんか?
あなたが思い煩(わずら)っているのは、その考えが小さく、外見だけを繕おうとする「つまらない人物」であるからです。
本質が伴わない外見だけのものを得て嬉しいでしょうか?
それで楽しいでしょうか?
それがそれが見せ掛けの偽物であると分かった時にはどうでしょうか?
あなたが大金を叩(はた)いて購入した黄金が見せ掛けだけの偽物であると判明したなら、あなたは失望し、激高するはずです。
あなたは、所有している黄金だと思い込んでいた「がらくた」に対して、必要以上の怒りを覚え、それを売った者に対しては酷い仕打ちをするでしょう。
他人や人生があなたの立場であっても、あなたと同じことをするのです。
良いものを装って真実を歪め、何かに損失を与えた者にはその報いが訪れます。
どのような鍍金(めっき)もいつかは必ず剥がれ落ちます。
あなたはその時のことを考えていなければなりません。
その時は突然にやって来ます。
あなたはその時を回避することはできません。
どのような心で在るべきのかを考えておかなければなりません。

2013年6月3日月曜日

心の炎

あなたは人生が自らの心に従うということを理解しなければなりません。
あなたの人生は自らの心に従って展開するのです。
人生があなたの心を無視することはありません。
人生があなたの心を裏切ることはないのです。
あなたの心が人生であると理解しなければならないでしょう。
あなたの心に人生は従います。
あなたが心に願うことを人生は聞き入れ、実現するのです。
どのような状況もあなたの心が願ったことの結果なのです。
あなたはそれを否定することはできません。
それは、あなたが自らの心に従ってそれを選択し、行動したからです。
あなたが行動したことで状況が築かれます。
あなたが行動したことの積み重ねの結果が現状なのです。
どのような状況も、それは過去の積み重ねに他なりません。
あなたが選択し、行動したこと以外のことが状況に反映されることはありません。
あなたの行動以外の結果が得られるのであれば、あなたがその人生を生きる意味などないのです。
あなたの人生はあなた自身が築いています。
どのようなこともあなたの成したことなのです。
あなたは自らの受け取った状況に対して、何等かの心当たりがあるはずなのです。
それに気が付かないこともあるでしょうが、人生にはそれが分かっているのです。
原因と結果の法則から逸脱する者は存在しません。
どのような人も、必ず原因と結果の法則に縛られているのです。
あなたは自らの行動を状況に反映し、それを結果として受け取ります。
それは当たり前のことでしょう。
それは、水を飲めば喉が潤うことのように当たり前のことなのです。
人生はあなたが自らの心において築いているということを決して忘れてはならないでしょう。
すべては心に従います。
心の中に何を置くのか?ということが重要なのです。
あなたは常にその心が表現されているということを忘れてはならないでしょう。
あなたは心に従わなければなりません。
心が求めないものを無理矢理に与えたところで、それが豊かさへと向かうことはありません。
それは炎に水を注ぐようなものです。
炎には油を注がなければならないのです。
あなたは自らの心を満たす必要があるのです。
心が満たされることこそ、あなたの豊かさであり、幸福であると理解しなければなりません。
あなたが心を満たすためには、心が求めるものを得なければなりません。
それは、あなたが興味を引かれるものでなければなりません。
あなたが楽しいものでなければなりません。
あなたが熱意を持てるものでなければならないのです。
熱意を持つことのできないものをいくら集めたからといって、あなたは何にも楽しくはないでしょう。
それでは心が満たされることがないからです。
興味を持つことができ、尚且つ熱意を持つことのできるものを求めなければならないのです。
それが心に従うということです。
それはとても重要なことなのです。
あなたは熱意に従って選択しなければなりません。
熱意に従うことが心に従うということです。
どのような心にも興味を引き、熱意が生まれるものが存在しています。
あなたはそれを探し求めなければなりません。
人生は一度しかありません。
後悔するような生き方をしてはなりません。
自らの心に対して怠慢ではなりません。
自らを知らないのに、どうやって人生を幸福なものにしようと言うのでしょう?
心を満たす楽しいことも知らずに、人生が豊かなものになることはないのです。
熱意を知らない人が多過ぎます。
あなたは自らの心が何に対して熱意を抱くのか知っていますか?
自ら努めなければ、心は熱意の対象を得ることはできません。
あなたが諦めによって、その心にそぐわないものを与えたところで、心が満たされるということはないのです。
あなたが無理矢理に心が熱意を抱けないものを詰め込んでも、心がそれを否定することはありません。
あなたが与えたものを原料にして結果を築くのです。
あなたは自らの心が熱意を抱くことのできるようなものを与えなければなりません。
嫌嫌行動してはなりません。
不満の中に行動しては熱意など生まれることはないのです。
あなたは自らの心が本当に求めているものを与えましょう。
妥協や諦めによって熱意の炎を消してはなりません。
あなたの心は、人の心とは違う燃料で燃えています。
それを理解しなければならないでしょう。
人生に価値を見出し、心を燃やしましょう。

2013年6月2日日曜日

高尚な人格

人生は人格を高めるためのものであると理解しなければなりません。
人生が人格を高めるための時間であり、場所であるということを理解しなければ、人生における必要を満たすことはできないでしょう。
賢者は、人生が人格を高める場所であるということを知っています。
そのような人は一日中自らを思っています。
一日中思考を凝らし、思い巡らせて、次(先)のことを考えています。
それが成長や向上や発展へと繋がり、自らの人格を高め、人生を豊かなものにすると知っているからです。
人生は自分自身が築いているということに気が付き、人生を豊かなものにするためにはそれが欠かせないということを知っているのです。
そのため、賢者は時間を無駄に過ごすということはありません。
時間を無駄に過ごそうとは考えないのです。
それは、その人から怠慢を取り除きます。
身体は休んでいるにしても、思考は働き続けているのです。
よく考える人は、物事の真理に近付きます。
考えない人は、真理から遠ざかります。
大切なのは考えることなのです。
怠惰な人は考えることの重要性に気が付いてはいません。
他人や常識などに自らの判断を委ね、自分自身では考えることも決めることをしないのです。
思考の怠慢は人格を損ないます。
あなたが人格を高めるためには、思考の勤勉は欠かせないのです。
もちろん、一つのことに対して勤勉に働いたとしても、それ以外の部分が怠惰であるのならば、人は人生に豊かさを得られないのです。
あなたはできる限りの事柄について勤勉でなければなりません。
怠惰に浸ることなく自らを克己してよく思考し、よく励(はげ)まなければならないのです。
怠惰な人は大切なものを失います。
それは人生の必要を満たすことをしなかったからです。
勤勉な人は大切なものを得ます。
それは人生の必要を満たすからです。
必要を満たすことなく、必要が満たされることはありません。
人は人生において、成すべきことを成さなければならないということを覚えておかなければならないでしょう。
ただ歳を取るだけではなりません。
人格を高めることをしなければ空しいということを理解しましょう。
人格の伴わない人は空虚です。
ただ歳を重ねるだけでは貢献することはできません。
高尚な人格を持たない老人は煙たがられ、嫌われます。
それは、自らの成すべきことをしなかった怠惰な人間だと知らせるからです。
無責任な人と関わりを持とうとする人がいないように、人生において自らの人格を高めるように努めなかった人は必要とはされません。
ただ歳を取っただけの老人から何を学ぶと言うのでしょう?
残念ながら、学ぶことはありません。
それよりは、若年であっても人格の高まりを見せる人から学ぶことの方が遥かに多いのです。
人は誰しも人格を高めるために存在しています。
どのような人も学びたいと思っているのです。
しかしながら、周囲の大人から学ぶことが無ければ、その人は諦めます。
諦めた人は本来の目的を見失い、怠惰な人に成るのです。
あなたは人に見られています。
あなたの目の前の人はあなたという人間から学ぼうと考えています。
あなたは人に教えられることがありますか?
あなたが人に教えることが無いと言うのであれば、あなたは怠けているのです。
勤勉な人は何等かの教えられるものを所有しているのです。
それは、人生を無駄に過ごしてはいないからです。
人格を高めるために人生から学ぶ人は、時間を無駄にすることはありません。
そのように勤勉な人は、人に大切なことを伝えることができるでしょう。
あなたは人生が人格を高めるためのものであることを理解しなければなりません。
自らの中に存在している怠惰を退けましょう。
体内に病を持てば、命が脅かされます。
一つの臓器がその機能を失えば、やがて全体を失うことになるのです。
豊かに生きるためには病を取り除かなければなりません。
豊かな人生を得るためには、怠惰を取り除かなければならないということを覚えておきましょう。

2013年6月1日土曜日

正しい道

あなたは何が正しいことなのかを見極めなければなりません。
何が正しいことなのかを知ることがなければ、正しいものを得て、正しい場所に辿り着くことはできないでしょう。
人生には無数の道が連なります。
あなたは多くの選択肢の中からそれを一つだけ選ばなければならないのです。
あなたが選んだ道があなたの進む道です。
自らが進んだ道以外に進むことはできず、それ以外のものを得ることも、それ以外の場所に辿り着くこともありません。
人は自らの選択によって、自らの人生を築いているのです。
あなたは決してそのことを忘れてはなりません。
すべては自分自身が選んでいるのです。
すべては自分自身の事柄なのです。
あなたの選択以外の人生が展開するということはありません。
あなたは自ら選んだ道を進み、自ら選んだものを手にして、自ら選んだ場所に辿り着くのです。
それ以外はありません。
あなたを導くのが自分自身であるということを忘れてしまえば、方向感覚を失い、道に迷ってしまうでしょう。
何が正しいことなのかを理解する人は、どのような状況の中にあろうとも、判断を誤ることはありません。
例え、標識が反対を指していても、それに惑わされることなく目的地へと辿り着くことができるのです。
何が正しいことなのかを理解していない者には、その判断を見極めることはできません。
見た目に騙(だま)されて、正しくない道を選び、それを進むのです。
あなたは何が正しいことなのかを理解していますか?
あなたは「自分」というものが正しいと思い込んでいるでしょう。
多くの人が言うことが正しいと思い込んでいることでしょう。
ではなぜ、様々なことに思い煩(わずら)うのですか?
なぜ、争うのですか?
なぜ、悩むのですか?
なぜ、苦しむのですか?
なぜ、批判するのですか?
なぜ、陰口を叩くのですか?
なぜ、罵(ののし)るのですか?
なぜ、楽しくないのですか?
なぜ、喜んでいないのですか?
なぜ、拒絶するのですか?
なぜ、嫌うのですか?
なぜ、傷付けるのですか?
なぜ、羨(うらや)むのですか?
なぜ、執着するのですか?
なぜ、欲望に根差すのですか?
なぜ、自己を知らないのですか?
なぜ、人を見下すのですか?
なぜ、満たされないのですか?
なぜ、幸福ではないのですか?
あなたが正しく在れば、すべての必要は満たされるのです。
人生は素晴らしい場所です。
人生にはあまねく幸福が行渡り、そこに溢れているのです。
人生を正しく選択すれば、そこに思い煩うことはないのです。
どのような苦しみも喜びに変わり、どのような不幸も幸福に変わるのです。
正しく在るということはそういうことなのです。
人生が不幸な場所であると考えるのであれば、人生が正しく導かれることはありません。
あなたがどのように考えていようとも、あなたの周りの人がどのようにあなたに吹き込もうとも、人生には幸福以外の状況は存在してはいないのです。
それを悪と見なす者は、それを悪として受け取ります。
それを善と見なす者は、それを善として受け取ります。
ただ、それだけのことなのです。
人生は自らの認識が築いているため、それは当然のことなのです。
あなたが正しく在る時、そこには必ず何等かの幸福が存在しています。
そこに幸福が存在していないのであれば、それはあなたが間違っているのです。
あなたが苦しいのは、あなたのせいです。
あなたが不幸なのは、あなたのせいです。
すべては自らの愚かさから導き出される当然の結果であると理解しましょう。
あなたが選ばなければ、そこには辿り着かなかったのです。
思慮深く、人生を捉えなければなりません。