あなたは多く取り過ぎることに注意をしなければなりません。
何事においても、適量を知らなければならないのです。
適量を超えて過剰に取れば、バランスが崩れます。
バランスが崩れてしまえば倒れるでしょう。
人生というものは進むことを求められる道のりです。
どのような人物のどのような人生も、それを豊かなものにするためには、歩み続けなければならないのです。
歩みを止めて停滞すれば、そこには苦しみが導かれます。
大海を泳ぎ続ける鮪(まぐろ)のように、動きを失ってしまえば苦しみを得ることになるのです。
人は人生を歩み続けなければなりません。
それがどのような速度であろうとも、豊かさを得るために立ち止まることは許されません。
身体は休んでいても、思考と心は常に動き続け、成長と向上を成さなければならないのです。
意識(人格)の成長が止まれば、人生は苦しみを得るでしょう。
あなたは人生を歩み続けなければなりません。
人生を歩み続けるためには注意しなければならないことが幾つかあります。
それらに注意しながら進まなければ、あなたは歩みを止めることになるでしょう。
注意しなければならないものの一つに、「受け取ること」があります。
あなたは人生に様々なものを受け取ります。
受け取ることがなければ歩むことはできません。
人は必然的に何かを受け取らなければならないのです。
その時に、受け取る量を誤ってしまうと抱え切れなくなり、倒れてしまいます。
倒れてしまえば人生を歩むことはできないのです。
あなたは自分に必要な量を受け取ることができます。
人生において、あなたが欲するものは与えられるでしょう。
それは、自らの意思に従って自らが行動し、それを掴むからです。
あなたが欲したものは(努力次第で)与えられます。
あなたは自らの人生を築く権利を持っているため、あなたを制することは他の誰にもできないことなのです。
あなたは自らが欲するままに必要なものを人生から受け取ることができるでしょう。
しかしながら、好きなだけ手に入るからといって、それを自重(じちょう)することがなければ、多く取り過ぎて支えることができなくなるのです。
食欲に犯され、感覚が麻痺してしまえば多くを口にして肥えます。
金銭欲に犯され、感覚が麻痺してしまえば多くを集め少なく払い、不満や不安などに心を煩(わずら)います。
性欲に犯され、感覚が麻痺してしまえば人を傷付け、自らを傷付けます。
睡眠欲に犯され、感覚が麻痺してしまえば時間と労力を犠牲にして、苦しみに至ります。
欲を多く持ち、何事も多く取り過ぎてしまえば、それによって自らを破滅させます。
それを好きなだけ取ることができる状況にあっても、その誘惑に負けてはなりません。
人は人として高貴に生きるために、克己(こっき)することが求められるのです。
自らを律することを知らず、醜(みにく)く生きてはなりません。
欲望に従うように多くを取り過ぎてはならないのです。
この世界に存在するものは、そのすべてが取引の道具です。
どのようなものにも責任が備わっています。
この世界に「ただ」のものはありません。
値段が付いていないものであっても、そこには価値があり、必要な取引が成立されるのです。
多く取るのであれば、当然その代償を支払わなければならないのです。
それがどのようなものであってもです。
形があろうが無かろうが、誰かの所有物であろうとなかろうと、すべてには代償が付きまとうのです。
この世界の一切の存在は、この世界の所有物です。
人のものではないからと言っても、あなたのものではありません。
あなたが受け取る権利があるのは、あなたの働きに見合う量だけです。
それ以上に取れば、負債として扱われるのです。
人生に対する負債からはどのような手段を使っても逃れることはできません。
それはどのような理由があろうとも必ず取り立てられるのです。
あなたが取り過ぎているのであれば、覚悟をしなければなりません。
取り過ぎている分の仕事を急いで行わなければなりません。
この世界においては、有形無形に関わらず、すべてが取引として扱われます。
人生を目に見えるものだけで考えてはなりません。
見に見えるものだけを数えてはなりません。
人生は、経済社会における金品などの目に見えるものだけの取引のように簡単なものではないのです。
あなたの思考や心が目には見えないように隠されているように、あなたは隠されているものの取引をし続けているのです。
あなたは注意しなければなりません。
どのような取引をしても、すべては自己責任です。
あなたが豊かな人生を求めるのであれば、何事も多く取り過ぎないように注意しましょう。
責任の範囲で取引しなければなりません。
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