何のために生きているのかを追求することなく、人生の答えには辿り着けません。
人は人生に答えを求め続け、そこに辿り着き、それを知らなければならないのです。
人生が何のために存在している(していた)のかを知ることは重要なことです。
それは、人の意識が死後も生きているからです。
人は命によって人生に束縛されていますが、意識は人生に束縛されることはありません。
意識というものは元来、人生という狭い世界の中だけの存在ではなく、もっと自由なものであるのです。
人が煩(わずら)いによって人生に意識をとどめることはありますが、煩いを離れた意識は人生から離脱します。
どのような苦しみをも乗り越えた意識は、人生というしがらみを離れて自由になるのです。
自由になった先には更なる可能性が存在しています。
人は命のように意識までも人生に束縛されてはなりません。
命が尽きることはこの世の理(ことわり)です。
それを退けることはできません。
命が人生の束縛を逃れることはありませんが、意識はそれを逃れることができるのです。
人が苦しみを所有しなければ、その意識が人生に束縛されることはありません。
人が苦しみを所有し、心を煩うからこそ、意識は人生の束縛を得るのです。
人生の束縛を得た意識は、自由と可能性を失います。
苦しみに煩った意識はその場に停滞します。
悩みを抱える人がその思いに捕われて停滞するようにです。
命を終える時に意識が苦しみに対して煩っているのであれば、意識が人生の束縛を逃れることはできないのです。
それはとても苦しいことなのです。
あなたは煩いの中に停滞することが苦しいということを知っているでしょう。
命を所有する人は時間が許すまでは、何度でも気が済むまでやり直すことができます。
しかしながら、命を失っている人はそれを自力でやり直すことはできないのです。
あなたが自由に動けるのは生きている時間内であるということを理解しておきましょう。
命を失い、可能性を失って煩いの中に閉じ込められてしまえば、そこから脱することはできないということを知りましょう。
人は生きている時間を大切にしなければならないのです。
生きている時間が何のために存在しているのかを追求することが求められるのです。
それを知ることがなければ、人生を本当の意味で有意義なものとして満たすことはできないでしょう。
残念ながら、命が尽きれば終わりではありません。
命が尽きても意識は尽きないのです。
人は意識のままで尚も存在するのです。
ならば、煩いや苦しみに捕われることなく生きなければなりません。
意識を充実させて生きなければならないのです。
それを果たすことなく、人生はその目的を果たすことはできないのです。
人生は何のために在るのでしょう?
その答えを知ることは決して簡単なことではありません。
それは、それを知ることは多くの時間と労力を有するからです。
しかしながら、それは辿り着かなければならない答えであるということを忘れてはなりません。
人それぞれに人生の目的は違います。
あなたにはあなたの目的が存在しているのです。
それを知ることで人生は有意義に完結するということを知りましょう。
何のために生きているのか分からないような空虚な状態を所有してはなりません。
何かしらの目標や目的や夢を以て生きなければならないのです。
目標や目的や夢を以て生きる人の心は常に奮励(ふんれい)しています。
奮励する意識は煩いや苦しみに捕われることはありません。
問題や苦しみが行く手を阻んでも、それらを解決しながら進むことができるのです。
そのような意識が人生に束縛されることはなく、常に可能性と自由を得ることができるのです。
あなたは自分が何のために生きているのかを追求しなければなりません。
その答えを求めて生きていれば、やらなければならないことと、やらなくても良いことが見えてくるでしょう。
それはあなたが進むべき道です。
自分が何のために生きているのかを追求しながら生きる人は、常に気高く生きようとします。
それは成長と発展をもたらすのです。
成長と発展の中にいる人は煩いと苦しみを受けることはありません。
その人は自由でしょう。
あなたは命を自由にすることはできませんが、意識を自由にすることはできます。
意識までも束縛されてはなりません。
その心は自由でありましょう。
あなたは常に可能性の中にその身をおかなければならないということを理解しましょう。
何事にも束縛されてはなりません。
人生に喜びを見ることによって束縛の絆を断ち切りましょう。
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