力が無ければ、豊かさは得られません。
この世界においての正義は「力」であるということを覚えておかなければならないのです。
力のある者は受け取り、力の無い者は失うのです。
力のある者は従え、力の無い者は従います。
どのような世界においても、力こそが正義であるということを忘れてはならないのです。
力の無い者には自由はありません。
それは豊かさが力によって与えられるからです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、力によってそれを掴まなければなりません。
自身で行わなければ何も得られないということを知らなければならないのです。
この世界は自分自身の行いによって形成されます。
自分自身が行わない結果を受け取ることはできないのです。
人生に豊かさを求めているのであれば、その豊かさを実現するための力が必要なのです。
力が無い者には権利も与えられません。
それを受け取っている人には、それに見合う力と権利があるということを知りましょう。
それがどのようなものであってもです。
あなたが自分自身に対する必要を手に入れるためには、それを手に入れるための力を所有する必要があります。
この世界は力のある者は継続し、力の無い者は去るのです。
それは今も昔も、そして、これからも変わらないことです。
その理(ことわり)を知った上で物事を考えなければならないのです。
力の無いのに不満を抱き、物事を悲観する人が多過ぎます。
力が無いのであれば、それを受け取る権利はないのです。
それは誰の責任でもなく、自己の過失であるということです。
状況がどのように展開し、人生がどのように決着しようとも、それは自己の力に比例している当然の結果であるのです。
人生に奇跡は存在しません。
そこには悲劇も喜劇もないのです。
どのようなことも当たり前の結果でしかないのです。
人生を嘆(なげ)くのであれば、自己の無力さを嘆きましょう。
力があれば問題は問題ではなく、苦しみは苦しみではないのです。
問題が問題であり、苦しみが苦しみであるのであれば、それは力不足以外の何物でもないのです。
あなたが豊かさを求めるのであれば、自己の力を求めなければなりません。
それを成すこと無く、豊かさを成すことはできないのです。
どのような人にも力が存在しています。
ただし、その力はある条件の元でしか発動することはありません。
その条件とは、自己が楽しいと感じる状態のことです。
それが楽しいと感じるものであるのならば、人は勤勉さを得るでしょう。
勤勉に励むのであれば、必ず力が付きます。
力が付くものは楽しく、更なる力が育まれるでしょう。
それは楽しいことであると知りましょう。
しかしながら、多くの人はこのことを知りません。
恐怖に根差して、楽しむことや自己の力の追求を忘れているのです。
そのため、不満の中で力不足に陥り、苦しみを得ることになるのです。
あなたは自己が何によって楽しむのか?を知らなければなりません。
何に対して力を発揮するのか?を知る必要があるのです。
自己を知ることがなければ力は得られません。
魚の姿をしているのに、丘に上がっても力を発揮することはできません。
獣の姿をしているのに、海に潜っても同じことです。
それぞれの器量に見合った事柄において力を発揮しなければならないのです。
楽しいことに力を使えば、力は増大します。
詰まらないことに力を使えば、力は疲弊します。
あなたは何者なのでしょう?
あなたが楽しいこと、追求することのできる道はどのような道ですか?
力のある者だけが豊かさを得ます。
樹に登ることのできない者が果実を得ることができないように、海に潜ることのできない者が魚を得ることができないように。
力の無い者は何も得ることはできないのです。
人は完璧ではありません。
何かに秀でていても、すべてをこなすことはできないのです。
農夫は野菜を収穫します。
漁夫は魚を捕えます。
互いは豊かさを分け与えることができます。
それはそれぞれに力があるからです。
相手に貢献することができれば、不足は補(おぎな)えます。
あなたは自己の力を磨きましょう。
力を持つ者は、不自由することはありません。
不足している者は皆、力の無い者なのです。
それが現実です。
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