人生に豊かさを求めるのであれば、貪(むさぼ)ることに注意しなければなりません。
人生の豊かさが貪ることによって得られると思うのは危険です。
豊かさというものは貪ることでは得られないということを覚えておきましょう。
豊かさとは、必要が満たされている状態です。
それは多くの実りが和合している状態であると理解しましょう。
物事がバランス良く在るという状態こそが豊かさなのです。
何かが多過ぎたり、少な過ぎるという状態が豊かさではないということを知らなければならないでしょう。
そのことを知らずに貪れば、物事は多過ぎたり少な過ぎたりする状態になり、バランスを崩してしまうのです。
自然環境の中で、一種の生物が貪りによって繁栄を極めるとバランスが崩れて自然環境が成り立たなくなります。
それを豊かさであるとは言えないでしょう。
町に同じ種類の産業しかなければ生活は成り立ちません。
様々な業種の産業が存在しているからこそ、生活は成り立つのです。
人生の豊かさを成り立たせるためには、人生のバランスを満たすことが求められるのです。
人生のバランスが崩れてしまうのならば、人生は豊かさを得られないのです。
人生は人の意思によって築かれています。
あなたの人生はあなたの意思によって築かれます。
あなたの状態がその人生に対しての決定権を持っているのです。
あなたが欲求に従って貪るのであれば、あなたは多過ぎたり少な過ぎたりしてバランスを崩すのです。
欲求に従うことは良いことですが、それを貪ることは苦しみを導きます。
人が豊かな人生を求めるのであれば、欲求を貪ることはできないのです。
人は節度を知らなければなりません。
節制に努めなければならないのです。
どのようなものも多く取り過ぎてはなりません。
どのようなものも少なく取り過ぎてはなりません。
あなたが取るものは適量でなければならないのです。
欲求に従って多くの食事を取る者は、醜(みにく)く肥えます。
欲求に従って多くの睡眠を取る者は、怠慢でだらしがありません。
欲求に従って多くの金銭を取る者は、心を貧困で満たして苦しんでいます。
欲求に従って多くの性を取る者は、絆を傷付けて恨みを背負うことになります。
人が欲求に従って取ることが許されているのは、必要な分だけです。
適量を超えると貪りになります。
湖の水が枯渇する程、水を欲してはなりません。
貪ると一時的には多くのものが手に入りますが、それは一時的なことに過ぎないのです。
一時的な享楽(きょうらく)にふけても、後には苦しみを受けなければならないのです。
強欲に食べ過ぎた者が後で腹痛を起こすようにです。
あなたは物事の節度を弁(わきま)えなければなりません。
物事の節度を知り、バランスを崩さないように気を付けていなければならないのです。
多くの人は自らが取り過ぎていることを自覚してはいません。
欲望に対して無知であり、例えそれに気が付いていたとしても様々な言い訳によって自らを正当化し、全く自制することができません。
貪ることで自らの足場を切り崩し、後に苦しみを受けることを想像することができないのです。
欲求を制することができない者は苦しみます。
必要を取ることは許されていますが、必要以上に取ることは許されてはいません。
例え、その時は取ることができても、その代償は必ず支払わなければならないのです。
水を切らしても、すぐに樹木が枯れることはありません。
その時点において命を失っていたとしても、見た目には生き生きとしているのです。
しかしながら、その時点において水を切らしているのです。
気が付いて水を与えても、手遅れになっていることでしょう。
貪る人にとって物事は突然です。
人生は何等かの形で人に警告しますが、愚かに貪る者はそれに気が付きません。
それ以上抱えたら道を進めないということに気が付いていても、愚かな亡者は貪りをやめません。
人生はあなたの意思に従って必要を満たします。
必要以外が満たされることはありません。
人生がなんとかなるなどと軽率に考えてはなりません。
返済することができない借金を抱えてはどうにもならないのです。
人生は貪る人から必ず代償を取り立てます。
人が貪りによってこの世界から奪い取ったようにです。
自制が必要です。
欲求がうずいても、それが必要ないと感じるのであれば手を引きましょう。
あなたが手を伸ばすべきは、本心が望んでいる理想や目的であるということを覚えておかなければならないでしょう。
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