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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2013年10月17日木曜日

完璧主義

あなたは自らの欠点を認めなければなりません。
人は誰しも何等かの短所を所有し、何等かの欠点があるのです。
この世界のどこを探しても、完璧な人物は存在しません。
どのような人物にも一長一短があるということを理解しておかなければならないでしょう。
あなたは自分自身が短所のない完璧な人間だと思い込んではなりません。
また、そのような人物を目指す必要もありません。
あなたには長所があり、また短所があるのです。
それはどれだけ自らを高めたとしても同じことが言えます。
寧(むし)ろ、自らを高める程に長所と短所には差が出てくるということを理解しなければならないでしょう。
何かに優れている人は、何かに劣っているものです。
人間は万能な存在ではありません。
できることや得意なこともあれば、できないことや不得意なこともあるのが自然なのです。
あなたは自らを万能であるなどと思い込んではなりません。
また、そのような自己を目指す必要もないのです。
人間には美点があり、また欠点があるからこそ美しいのです。
あなたはその一長一短が見せるアンバランスな姿を美しいと捉える感性を育てなければならないでしょう。
何でも(自分の中では)完璧にこなしたい人がいます。
物事を何の不足もなく、完璧にこなすことは素晴らしいことです。
しかしながら、人が一長一短のアンバランスな姿をしているのに、物事を完璧にこなすことなどできないのです。
人は完璧でなくても良いということを理解しましょう。
得意なことがあるのならば、不得意なことがあっても良いのです。
できることがあるのならば、できないことがあっても良いのです。
好きなことがあるのならば、嫌いなことがあっても構わないでしょう。
人間であるあなたが、物事に完璧を求める必要はありません。
より良くしようと努めなければなりませんが、完璧ではなくても良いのです。
あなたは結果が自らの求める理想の基準に達していなくても、それに不安を覚えてはなりません。
あなたが精一杯に努めた結果がそれであるのならば、それが現状における最善なのです。
物事に対して、ある意味では妥協することも大切なのです。
精一杯に努めて得た結果が理想に届いてはいなくても、その結果には満足しておかなければなりません。
それ以上の結果は残せないのです。
精一杯に努めたのであれば、その結果がどのようなものであるにしても、自分自身の努力を褒(ほ)めなければならないのです。
そういう意味で妥協は大切であるということを覚えておきましょう。
完璧主義の人にはこの妥協ができません。
自らの得た結果に満足することができず、それを褒めることも、それに喜ぶこともないのです。
常に高みを目指して進むことは良いことのように見えますが、得た結果に満足することができないという状況は、自らに対して不安などの恐怖の感情を脅迫していることに等しいのです。
恐怖に支配されると、人は行動することができなくなってしまいます。
行動することがないのであれば、人が良い結果を得ることはできないのです。
完璧主義こそが、完璧を崩壊させる手段であるということを理解しなければならないのです。
物事に完璧を要求するという方法には限界があるのです。
物事に完璧を求め続けることはできないのです。
結果を生み出す人という存在が既に完璧ではないため、完璧な結果を残し続けることは不可能なのです。
あなたは完璧主義という観念に脅迫されてはなりません。
物事は完璧でなくても良いのです。
完璧というものは、人の頭の中の理想に過ぎません。
その理想と現実での価値が等しいということはないのです。
あなたが価値であると思っているものが、現実では価値のないものであるのかもしれないのです。
完璧でない、歪(いびつ)なものに価値があるということは多々あるのです。
あなたは自らの欠点を認めなければなりません。
人間には一長一短があるのです。
完璧主義という荷物を下ろせば、あなたは肩の力が抜けて自由に動くことができるでしょう。
重たい荷物を抱えたままでは良い仕事はできません。
良い仕事ができないのであれば、良い結果を残すことはできないでしょう。
あなたは完璧を目指さなくても構いません。
人間には欠点も必要であるということを知りましょう。
人間は万能ではありません。
あなたにはできないこともあるのです。
それはそれでも良いのです。
物事を完璧にはこなすことができなくても、より良くこなすように努めましょう。

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