あなたが人生を選択する時には、それを自らの意思によって決定しなければなりません。
人生というものは自己によって築かれます。
あなたは自己責任によって人生を築いていかなければならないのです。
どのような選択も、あなたが自分自身の責任によって決定しなければならないのです。
あなたの目の前には様々な選択肢が用意されています。
それがあなたに見えているかは分かりませんが、あなたの目の前には絶えず様々な選択肢が用意され、あなたはどれども好きなものを選ぶことができるのです。
あなたは自己責任によって、自らの好きな選択肢を選ぶことができます。
あなたが良いと思う選択肢を決定すれば良いのです。
どのような選択をしようとも、それはあなたの自由なのです。
あなたが良いものを選択しましょう。
あなたの選択肢には様々なものが存在します。
多くの場合、あなたは喜びに従って選択すれば良いでしょう。
それは喜びに従って選択するのであれば、あなたは喜びに辿り着く可能性があるからです。
人生は喜びの溢れる豊かな場所にしなければなりません。
当然、あなたの選択は人生が豊かなものになるためのものにしなければならないのです。
しかしながら、喜びに従って進むだけでは人生を豊かなものにすることはできません。
それは、すべての状況に喜びを見出すことができる訳ではないからです。
あなたがどのように考えても、喜びを見出すことができない状況というものが存在するでしょう。
あなたが選択に迷うような状況もあるのです。
あなたが喜びを見出すことのできない危機的な状況に至る時には、そこに存在する問題を解決する選択を決定しましょう。
問題を解決することがあなたに喜びをもたらします。
喜びが見えていないのであれば、喜びを導かなければならないのです。
そのために、目の前の問題を解決しましょう。
あなたが問題を解決するためには、あなたの中に湧き起る不安に耳を傾ける必要があります。
不安という感覚は、あなたが対峙している問題を知らせているのです。
多くの人は不安から逃れようとします。
不安から逃れることが、不安を解消する方法であると考えているのです。
しかしながら、不安から逃れるという方法によって不安が解消されることはありません。
不安から逃れることでは、喜びは得られないのです。
それは、不安という感覚が問題を抱えているという状態によって引き起こされているからなのです。
不安がそれ自体で存在しているということはありません。
不安には根拠が存在しているのです。
その根拠は、あなたが抱えている問題でありますが、その問題が何であるのか?ということを認識することができない時や、それに対峙することを恐れている時には、不安から逃れるという選択をしてしまうのです。
あなたは不安の声に耳を傾けなければなりません。
不安を蔑(ないがし)ろにし、不安から逃れてはなりません。
不安を丁寧に扱い、それとしっかりと向き合うことで、そこに存在している問題を解決することによって喜びを掴み取らなければならないのです。
不安というものは人にとっては苦しみです。
それから逃れたい気持ちは分かりますが、不安という感覚はあなたの敵ではないのです。
それがあなたを苦しめるために存在している訳ではないということを理解しなければならないのです。
不安を解決することによって、あなたは喜びを得るということを理解しましょう。
どのように喜びを選択したとしても、解消されていない不安が存在してるのであれば、あなたが豊かさを手にすることはできないのです。
心地好いものだけを取る人が、人生の豊かさを得ることなどできないということを知っておきましょう。
あなたの生きる人生とは現実なのです。
このリアルな状況と向き合う必要があるのです。
喜びと心地好さを混同してはなりません。
不安から逃れて心地好いことに陶酔(とうすい)したとしても、その問題が解決されないのであれば、喜びを得ることはできないということを覚えておきましょう。
酒に酔って現実逃避をしたからといって、あなたの問題が解決していることなどないでしょう。
そのようにしたからといって、あなたが豊かさや幸福を得ることなど有り得ないのです。
あなたは不安の声を聞き、それを解決するために行動しましょう。
不安に向き合うということは、その不安を解決するために実際に行動するということです。
不安に飲み込まれ、悲観して立ち尽くしたり、そこから逃げ出すということではないのです。
これはあなたの人生です。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
不安を解消し、喜びを得ましょう。
不安は苦しいものや恐いものとして認識してしまいますが、その表面的な部分で判断してはなりません。
何事も目には映らない部分が重要であるのです。
不安の声を聞き、自らの責任を果たしましょう。
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