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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2014年2月28日金曜日

貢献する手段

人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、あなたは自分以外の存在に対して貢献しなければなりません。
自分以外の誰かや何かに対して貢献することによって、あなたは繁栄するということを理解しましょう。
誰かや何かのために貢献することなく、あなたは繁栄することはありません。
繁栄することなく、豊かさはないのです。
誰かや何かに貢献するということは、重宝されるということです。
自分にとって役に立つものを蔑ろにする者はいません。
どのような存在も、自分にとって有効であるものは大切に扱うのです。
それが使い物にならず、役にも立たないものであるのならば、それをごみのように投げ捨てるでしょう。
しかしながら、自分に対して貢献してくれるものを捨てる人はいないのです。
あなたが誰かや何かの役に立つのであれば、あなたが誰かや何かに蔑ろに扱われることはありません。
誰かや何かは、自分に貢献してくれるあなたに敬意を払い、あなたを大切に扱うでしょう。
大切に扱われる人はこの世界に繁栄します。
人が豊かな人生を生きるためには、誰かや何かによって大切にされなければならないのです。
あなたは自分独りの力によって繁栄するものでも、豊かに生きられるものでもないということを覚えておきましょう。
自分以外の存在を無視しては、人生を豊かなものにすることは不可能であるのです。
あなたは誰かや何かに対して、自分ができることによって貢献することに努めましょう。
どのような人にも「できること」はあります。
どのような人にも貢献する手段があるのです。
あなたは自分が何もできないという悲観的な考えを持ってはなりません。
あなたがどのような状態であろうとも、必ず貢献する手段があるのです。
一生懸命に探さなければなりません。
簡単には見付からないかもしれません。
しかし、必ず存在しているのです。
泣き言を吐いてはなりません。
諦める者には繁栄も豊かさも有り得ないのです。
どのような樹木も成長した暁(あかつき)には果実を実らせます。
林檎の樹木には林檎の果実、蜜柑(みかん)の樹木には蜜柑の果実が実るのです。
林檎の樹木が蜜柑の果実を実らせることはありません。
しかし、林檎はそれでも多くの生物に食され、繁栄しているのです。
どのような樹木もその果実によって貢献しているのです。
人は自らの存在によって貢献しなければなりません。
自らの力によって貢献しなければならないのです。
その心を豊かなものとし、多くの実り(愛)を身に付けなければなりません。
あなたが誰かや何かに貢献するためには、あなたの持っている実りが必要になります。
樹木は、果実、枝葉、幹、根という命そのものを以て自然環境に貢献しているのです。
それ故(ゆえ)に、樹木が滅びることはないのです。
あなたは自分という存在のすべてを使って貢献する手段を考えましょう。
すべてのものが大切な意味と必要性を以て存在しています。
この世界に無駄は存在しません。
あなたには存在意義があるのです。
あなたはその存在故に貢献することができるのです。
自らの持てる力によって、どのように僅(わず)かであっても誰かや何かに対して貢献しましょう。
あなたによって誰かや何かが少しでも幸せになれば、それが貢献であるのです。
貢献というものが大きなものであると考えてはなりません。
小さくてもそれはダイヤモンドであるのです。
貢献というものは、それがどのような大きさであれ、貢献であることに変わりはないのです。
あなたは少しでも誰かや何かに貢献することができます。
小さなことができれば、次にはそれよりも少しだけ大きなことができるようになるでしょう。
あなたの力は小さなものであっても無力ではないのです。
一つのこともできないということはないのです。
今のあなたには何かできることがあるはずです。
それを探し、実行しなければなりません。
貢献しない者は大切に扱われません。
大切に扱われない者が人生に豊かさを認識することなどできないのです。
あなたは貢献しなければなりません。
自分にできることを考えましょう。

2014年2月27日木曜日

使命

あなたがやりたいと思ったこと、あなたがやらなければならないと感じることは、あなたのやるべきことです。
あなたは選択しなければなりません。
そして、行動しなければなりません。
人生は選択と行動によって築かれます。
どのような人も選択と行動によって人生を築いているのです。
あなたは、自らの選択と行動によって、自らの人生を築いているということを理解しましょう。
どのような選択をするのか?ということが重要です。
選択によって行動が生じます。
あなたが何をするのかを思考によって決定すれば、それは行動として実現するのです。
あなたは決めなければなりません。
何を選択するのかを自分の力で決めなければならないのです。
自分の力によって決めなければならないと言うと重圧を感じる人もいるでしょうが、あなたは何も心配する必要はありません。
あなたが選択すべきことは、あなたの心が教えてくれるのです。
あなたは自らの心に従って選択し、行動すれば良いのです。
それによって、あなたは的確な学びと、豊かな人生を手にすることができるのです。
自らの心に耳を貸さず、それに従わないのであれば、的確な学びと豊かな人生を手にすることはできないでしょう。
あなたは自らの至らなさを克服し、成長するためにこの人生を生きているのです。
あなたは自らを改め、より高みへと向かわなければならないのです。
あなたが人生を自我によって考えるのであれば、あなたは自分にとって有利なことや楽なことを選択するでしょう。
残念ながら、自分にとって有利に思うことや楽なことによっては、人生が豊かなものになる保証はありません。
自分にとって不利に思うことや苦しいことによって、人生が豊かさを得るということも多々あるのです。
自らの未熟さを改善しなければならないということは、自らの弱さに向き合うということです。
それは、自分にとっての不利や苦しみに立ち向かうということでもあるのです。
そのため、人は利得ばかりを追うことはできないということなのです。
あなたがやりたいと思ったことや、やらなければならないと感じることが、現状よりも不利や苦しみを導くことを予測することができたとしても、あなたがそれをやりたいと思い、やらなければならないと感じるのであれば、あなたはそれをやるべきなのです。
化膿(かのう)した部分を治療するためには、皮膚を裂いて膿(うみ)を取り除かなければなりません。
内蔵が病気になれば、腹を裂いてその臓器を取り除くでしょう。
一旦は不利になることであっても、後に有利になるのであれば、それは正しい選択であるのです。
皮膚を裂き、臓器を取り除くことは大変なことです。
しかしながら、病気を抱えているのであれば命の危険さえあるのです。
臓器よりも命の方が重いのです。
あなたは重要を重視しなければならないのです。
好きでもないことに我慢をして生きることは辛いことです。
やりたくもないことをして生きるのは苦しいのです。
あなたにとって最も重要なのは、その気分であるということを覚えておきましょう。
気分が優れているのであれば、あなたはどこで誰と何をしていても豊かな人生を生きることができるでしょう。
気分を害するのであれば、あなたがどこで誰と何をしていようとも乏しい人生を生きなければならないのです。
気分が優れるためには、心が求めるやりたいこと、やらないければならないことを実行する必要があります。
やりたいと思うこと、やらなければならないと感じることを実行することなく、あなたの気分が優れることはありません。
やりたいと思うこと、やらなければならないと感じることを実行することによって、あなたは満足を得ることができるでしょう。
心が求めるものに従うことができずに得る満足に真実はあるでしょうか?
あなたは偽りによって自分と自分の人生を騙してはいませんか?
誰が何と言おうと関係ありません。
これはあなたの人生なのです。
あなたは自分がやりたいと思ったこと、やらなければならないと感じることを実行しましょう。
人の目を気にして満足のいく人生を得ることはできません。
人の目を気にして、人の意見に従って生きるのであれば、それは他人の人生なのです。
あなたは「あなた」の人生を生きなければなりません。
誰が何と言おうと気にしてはなりません。
覚悟を以てしっかり生きなければなりません。
あなたがやりたいと思ったことは何ですか?
あなたがやらなければならないと感じることは何ですか?
それらを実行しなければ後悔が残ります。
そのような人生が豊かな人生であると言えるでしょうか?
あなたはどのような人生を生きたいのですか?
あなたがやりたいと思ったこと、やらなければならないと感じるものがあなたのやるべきことです。
心に従いましょう。
決断と行動は早い方が良いでしょう。
実現は今すぐにとはいきませんが、実行は今すぐにでもすることができるのです。
言い訳を捨てましょう。
やりたいと思うことを今すぐにやりましょう。
それがあなたの使命なのです。

2014年2月26日水曜日

僕(しもべ)

あなたは自らの傲慢(ごうまん)に気を付けなければなりません。
傲慢とは思い上がりです。
あなたは自らが驕(おご)り高ぶらないように注意しなければならないのです。
強過ぎる自我によって思い上がる人を、苦しみが制するでしょう。
人はこの人生に学んでいるのです。
自らの人格を高めるために生きているのです。
精神の向上こそが最も重要であるということを理解しなければならないのです。
何かを多く持っているからといって、思い上がっているのであれば、それら以上のものを失うはめになるでしょう。
自らの立場を弁(わきま)えず、思い上がっているのであれば、あなたよりも立場が上の存在によって打ちのめされるのです。
人は謙虚でなければなりません。
人は高まる程に低くなるものだということを覚えておきましょう。
人はその人格が高まる程に貢献するということを理解しましょう。
貢献するということは、自分以外の存在の僕(しもべ)になるということです。
人格が高まる程、人は自分以外の存在に仕えるようになるということを理解しましょう。
自分のためだけに生きている人、自分のためにしか生きることができない人、このような人に豊かな人生は約束されません。
豊かな人生を生きる人程、多くの自分以外の存在のために生きているのです。
あなたが自分以外のことによって時間と力を割かれる程、人格が高まっているということを理解しましょう。
人格が高まれば、利用価値が増えます。
人格が高まれば、多くの「仕事(使命)」が任せられるのです。
人格者は多くの人を助けるでしょう。
あなたは多くの人を助けることができるような人になることを目指さなければなりません。
しかしながら、傲慢な者にはそれが難しいのです。
傲慢な者は自分を中心に物事を思考するため、客観性や多角的な視野を持つことができません。
主観的に生きる人は他人に対して貢献することは難しいのです。
それは、他人に貢献するということは、他人のことを我が事柄として考えなければならないからです。
自分が正しいとしか考えない人は、他人の主張を認めることはないでしょう。
他人の主張を認めることができないのに、どうやって他人を助けるというのでしょう?
相手に対する理解を持たない者が、その人を助けることはできません。
自分に対して何の理解も持たない人があなたを助けたいと主張したところで、あなたはその話を信じることはできないでしょう。
あなたはその人を疑うでしょう。
大切なのは、それぞれの正義が存在しているということです。
大切なのは、すべてが必要であり、大切な意味を持ち、相応しいということです。
どのような主義主張や状況も、自分や他人にとっては相応しいのです。
すべてが正解なのです。
何かが間違っているということはありません。
傲慢な者は、自分が正しいと考えているため、他人の相応しさを否定します。
相手にとってはそうなのだから、それで良いのです。
あなたは無理矢理に相手の正義をねじ曲げてはなりません。
あなたにとっては相応しくないと思えることでも、相手にとっては相応しいのです。
あなたは自らの主義主張を他人にまで押し付けてはなりません。
あなたは自分が正しいと考えることから、目の前に存在しているものを排除してはなりません。
目の前に山があれば避けて通るでしょう?
それと同じように、どのようなものが目の前に存在していたとしても、あなたはそれを無闇に蹴散らしてはならないのです。
あなたよりも小さなものが存在します。
しかしながら、あなたはそれを山にするように避けて通るようにしましょう。
蟻の列が邪魔だからと言って蹴散らしてはなりません。
蟻は小さな生き物であるかもしれませんが、蟻が存在しなければ、巡り巡って困るのはあなたであるのです。
どのような小さなこともあなたは自分自身に関係しているということを覚えておきましょう。
それが小さく見えるものであっても油断してはなりません。
あなたが驕り高ぶるのであれば、人生は必ずあなたに対してその間違った方法を正すために苦しみを導くからです。
果実が大きく実れば、どのような枝葉もしなう(たわむ)ということを覚えておきましょう。
人格が高まる程に人は謙虚になるものなのです。
あなたが自己中心的な考えによって傲慢であるのならば、それは乏しい道のりであるということを理解しましょう。
あなたは人が何のために生きているのかを考えなければならないでしょう。
そうすれば、謙虚でいられるでしょう。
多くの存在の僕であれ。

2014年2月25日火曜日

幸福は努力によって実現する

人生を築くのは自分自身の選択です。
あなたの選択によって人生は築かれます。
あなたの選択を決めているのは、あなたの思考です。
あなたが考え、思っていることが選択の原因なのです。
あなたが考え、思っていることは気分として現れます。
あなたの普段から考えたり、思っていることは、その気分を見れば明らかです。
あなたはどのような気分で人生を過ごしていますか?
あなたが楽しい気分で過ごしているのであれば、あなたは変化に富んだ冒険のような毎日を送ることができるでしょう。
あなたが憤慨(ふんがい)した気分で過ごしているのであれば、あなたは争いの毎日を送ることになるでしょう。
あなたが悲しい気分で過ごしているのであれば、あなたは悲劇の毎日を送ります。
あなたが穏やかで優しい気分で過ごしているのであれば、あなたは平和で素敵な毎日を送ることができるでしょう。
気分は思考の結果です。
あなたの人生は、その気分に起源しているということを理解しましょう。
気分を疎かにしてはなりません。
思考を蔑ろにしてはなりません。
あなたは自分自身の心の管理をしなければならないのです。
良い気分によって毎日を過ごすように心掛けましょう。
どのような状況に対しても、あなたは心を乱さないように注意しましょう。
すべてのことに大切な意味があり、あなたにとってそれは相応しいのです。
すべてはあなたの成長のためにあるのです。
それがどのようなことであろうとも、そこには何等かの学びが存在しています。
無駄なことなどないのです。
ただし、我慢しろと言っている訳ではありません。
どのような選択をするのかはあなた次第です。
嫌なら止めれば良いですし、離れれば良いのです。
ただし、何事に対しても気分を害してはなりません。
気分を害するのであれば、人生を害するということを覚えておきましょう。
どのような人物も、気分が導く結果(状況)から逃れることはできません。
良い気分によって生きる人には、良いことがあります。
悪い気分によって生きる人には、悪いことがあるのです。
人生には原因からの結果が導かれます。
それはどのような人物にも共通していることです。
人生はどのような人にも平等なのです。
不平不満を並べ立てている人は、その平等の理(ことわり)によって苦しむのです。
不平不満を並べ立てているので、その結果として不幸が訪れるのは当然のことなのです。
どのような事柄にも気分を害しない人は、この世界の理により、その結果として幸福になるのです。
それが当然のことなのです。
あなたが幸福であるなら、それはあなたのおかげです。
あなたが不幸であるなら、それはあなたの責任です。
人生がどのようになるも、それはあなた次第なのです。
どのような気分でいるのか?ということが重要なのです。
あなたは受け取りたいと願う理想の結果を思い描きましょう。
現状がどのようなものであれ、その理想が既に実現したと仮定して過ごしましょう。
現状がどのようなものであっても関係ありません。
楽しい人生を求めているのならば、何があっても楽しそうに過ごすのです。
そうすれば、初めは無理矢理であっても徐々に楽しくなるでしょう。
思考が気分を形成するのです。
楽しいことを考え続けているのであれば、楽しい気分を得るのです。
あなたは理想が既に実現したと仮定して生活しましょう。
それは、そのような気分を得るためです。
苦しみに対して焦点を絞り、間違っても気分を害してはなりません。
どのような現実がそこにあろうとも、良い気分で過ごすのです。
悩んではなりません。
悩んでも問題は解決しません。
悩むということは、思考が停止しているのです。
良い気分で過ごすためには、物事を良いように考えるという努力が必要です。
思考は絶えず良いことを想像するという作業を繰り返さなければならないのです。
幸福は努力によって実現します。
幸運によって実現するのではありません。
運によって物事が決まると考える人物は怠けているということを理解しましょう。
あなたは良い気分を守りましょう。
あなたの欲する人生を生きる人が、どのような気分で過ごしているのかを考えましょう。

2014年2月24日月曜日

大切な客人

一人の力は知れています。
人生において対峙しなければならない数々の問題は、一人の力では難しいことばかりです。
人は一人では解決することのできない問題を抱えます。
一人では進めない道があります。
一人では到達することのできない場所があるのです。
人は他人に助けられて生きています。
どのような人も例外なく、他人からの支援によって人生を築いているのです。
あなたは他人によって助けられているということを理解しなければなりません。
他人の協力がなければ、あなたは今この場所にはいないでしょう。
あなたが今を生きているのは、あなたに支援した人たちがいたからだということを覚えておきましょう。
あなたは決して忘れてはなりません。
一人の力でここまで来たと思い込んではなりません。
一人の力で生きているなどと信じてはなりません。
あなたが傲慢になってはならないのです。
自らの非力、未熟、弱さを認めなければならないのです。
恥をかくのは良いことです。
あなたは恥を忍ばなければなりません。
恥をかくことを不名誉だと考え、それを恐れる人がいます。
恥を晒(さら)すということは、自らの弱さとの対峙であるのです。
多くの人は自らの弱さと向き合うことを恐れています。
多くの人は弱い自分を見たくないのです。
理想のように強くたくましい自分というものを求めているのです。
しかしながら、どのような人も万能ではありません。
すべての人に長所があり、短所があるのです。
弱さを抱えているのは当たり前のことなのです。
恥を晒すのは悪いことではありません。
恥を晒すのは良いことであるということを理解しましょう。
恥を晒すのを恐れ、それを隠す人は、自らの弱さと対峙する機会を失います。
人は苦しい時に自らを改めますが、恥を晒すのを恐れて自らの弱さと対峙することを避ける人には、苦しむという状況はないのです。
恥を晒すのを避けているため、自尊心が傷付くことがないのです。
だから苦しくないのです。
そのような人は変わりません。
いつまでも未熟なままです。
恥を晒すのを恐れず、何事にも挑戦し、自らを改めるのであれば、その人は未熟さを克服し、偉大な人になるでしょう。
人は強い生き物です。
しかし、弱いのです。
一人で生きていかなければなりませんが、一人では生きていけないのです。
他人に助けてもらうことでしか、人は豊かに生きることができないのです。
あなたは他人からの支援に感謝することができる人でありましょう。
それがあなたにとってどのような人物であっても、その人の「せい」よりも、その人の「おかげ」であるということの方が圧倒的に多いのです。
自らの弱さを恐れる人は、不満や泣き言ばかりを並べ立てます。
自らの弱さを恐れない人は、感謝と希望を並べるのです。
どちらが幸福に対して有利であるのかは明白です。
恥を晒しても良いので、自らの弱さを克服しましょう。
恥を晒すことから逃げてはなりません。
あなたは未熟であるのです。
歪んだプライドなど保持する必要はありません。
そのような役に立たないものは、今すぐに捨ててしまいましょう。
人は一人の力では生きていくことができません。
あなたは他人に助けられています。
あなたは他人から学ばなければなりません。
他人を嫌い、傷付けてはなりません。
それがどのような人であれ、あなた(の人生)にとっては大切な客人であるのです。
大切な客人をまくしたてて追い返してはなりません。
どのような人からも学ぶべきことはあるのです。
あなたがそれを理解する時、どのような人に対しても穏やかな気持ちでいられるでしょう。
心が静かであることは幸せです。
あなたは自分の弱さを補ってくれる他人に対して、最大限に感謝しましょう。

2014年2月23日日曜日

美しい音色

あなたは心を静め、落ち着かせなければなりません。
心が乱れを楽しまないのならば、あなたは安らぎを得るでしょう。
心が乱れてしまえば、あなたは苦しみによって喜びを奪われてしまうでしょう。
人生に幸福と豊かさを求めているのであれば、心が静かに落ち着いていなければならないのです。
心が乱れた状態で幸福を得ることはできません。
それは、幸福というものが心によって認識されるからです。
心が静かで落ち着いていて、満たされている状態こそが幸福であるのです。
怒りや悲しみなどの破滅的な感情によって乱れているのであれば、あなたが幸福を得ることなどないのです。
あなたは心を静め、落ち着かせなければなりません。
鉄は輝きを放つ時には美しい音色を響かせます。
叩けば叩くほど、その音は澄み渡り、遠くにまで届くでしょう。
鉄が錆(さび)を抱けば、その音色は淀(よど)み、近くにも届きません。
叩けば錆が剥がれ落ち、鉄に穴も開くでしょう。
錆び付くことで鉄は価値を損なうのです。
あなたは錆び付いてはなりません。
常に心を研ぎ澄まし、美しく響かなければなりません。
心を磨くということは、心を管理するということです。
鉄を磨いていれば錆び付くことはありません。
しかし、鉄を磨くことを止めれば忽(たちま)ちのうちに錆びが全体を覆うでしょう。
心は磨くことがなければ錆び付きます。
それは心の汚れとして、破滅的な感情と苦しみを導くのです。
汚れた心で考え、話し、行えば、あなたは汚れを周囲に撒き散らすでしょう。
不快な音を響かせならが、周りに迷惑をかけるのです。
周囲に撒くなら、美しいものにしましょう。
美しい水を撒けば植物が育ちましょう。
美しい言葉を吐けば、善人が育ちましょう。
美しいものは、美しいものを育むのです。
汚れたものは、汚れたものを導きます。
汚れた言葉を受けて育つ子どもは劣等感によって歪みます。
すべての子どもが純粋です。
その子どもが歪むというのは、環境(関わる人)に影響を受けてのことなのです。
汚れた影響(教育)を受けるから汚れるのです。
美しい影響を受ければ美しくなるのです。
あなたは心を静め、落ち着かせ、美しくなければなりません。
底の泥を巻き上げれば、どのような湖も濁(にご)るのです。
水が静かに動くのであれば、底の泥は巻上らずに湖は綺麗であるのです。
心を落ち着かせましょう。
どのようなことにも動揺してはなりません。
怒りや悲しみによって乱れてはなりません。
歳を重ねた人は心静かに成熟します。
老人は知恵の宝庫であるべきなのです。
歳を重ねても心収まらず、怒りや悲しみによって乱れている人がいます。
そのような人は鉄が錆び付くように、心が汚れてしまっているのです。
口を開けば不満や愚痴、泣き言や諦めなどが溢れるでしょう。
歳を重ねてまで愚かであることは恥です。
人生はただ生きる場所ではないのです。
心を磨き、美しい音色を奏でる場所であるのです。
反吐を撒き散らし、苦しみを助長してはなりません。
すべての人が幸福を得なければなりません。
すべての人が豊かに生きなければならないのです。
心を磨くということは、目の前の状況から学ぶということです。
学ぶことのない人は愚かに乱れ、学ぶ人は尊(とうと)く静まります。
乱れているものに価値はありません。
演奏も、物質も、統一されて乱れていないからこそ価値があるのです。
雑音や腐敗しているものに価値を見出す者はいないのです。
心を統一しましょう。
冷静でありましょう。
心を磨きましょう。

2014年2月22日土曜日

幸福の強要

人は幸福を求めて進まなければなりません。
どのような人のどのような人生も、それが幸福であるべきであるということを覚えておきましょう。
どのような人も幸福を得なければなりません。
すべての人は幸福を求めて進まなければならないということを理解しましょう。
どのような人も自分なりの幸福を所有しています。
そして、どのような人もその実現を求めています。
この世に不幸になりたいと願う人はいないでしょう。
不幸になりたいという願望でさえ、不幸という幸福を求めているのだと理解するべきだからです。
それぞれの形は違えど、それぞれの人が、それぞれの幸福を求めているのです。
あなたは幸福を求めて進みます。
他人は他人の幸福を求めて進みます。
誰もが自分の考える幸福に向かって突き進んでいるのです。
幸福に対して立ち止まっている人はいません。
あなたにとっては立ち止まっていると思えたり、後退していると考える状況であっても、その人にはそれが幸福への道のりであるのです。
あなたには他人を理解することができないかも知れません。
それは仕方のないことです。
幸福の形は人それぞれに違うものであるからです。
あなたは自らの幸福を他人に対して押し付けてはなりません。
あなたは他人に自分の考える幸福を押し付けてはなりません。
どのような人も嫌いなこと、詰まらないこと、苦しいことはしないものです。
どのように強制してもやりたくないものをやる人はいないのです。
あなたが考える幸福は、あなたにとってのみ有効なのであって、他人にはそうとは限りません。
あなたが良いと思うことも、他人にとっては悪いことである可能性もあるのです。
大切なのは、それぞれの人がそれぞれの幸福を実現するということなのです。
自分の考える幸福以外を得ても不幸です。
他人に強要されて得るものなど、幸福ではないのです。
あなたは自発的に実現する幸福によって、幸福であるのです。
それは他人も同じです。
どのような人も、自分自身の幸福によって幸福を得るのです。
あなたは他人に対して自らの考える幸福を押し付けてはなりません。
あなたは知らず知らずの内に強要しているということがあるかもしれません。
気を付けなければなりません。
人はそれぞれに好きな方向性を持っています。
あなたが誰かのことを思い、そのままでは不幸になると考えたとしても、その人に強要してはなりません。
その人がそうしたいのであれば、それがその人の幸福であるからです。
あなたは他人を変えることはできません。
人は自発的に変わる以外に変わる方法はないのです。
他人のことは他人が決めるのです。
決してあなたが決めるのではありません。
どのような関係にあっても、他人は尊重しなければなりません。
その行為によって苦しむことがあったとしても、それは自己責任であるのです。
自分がそうしたのだから、それがその人の幸福であるのです。
それが苦しければ、その苦しみによって反省し、自らの方向性を改めるでしょう。
それでも改めることがなければ、それで幸福なのです。
正義感によって強要してはなりません。
ただし、相手があなたに助けを求めてくるのであれば全力で協力しましょう。
相手が求めてもいないのに厚かましく強要してはならないのです。
人生という旅路に道連れにするべきは、同じ方向性を持った人だけです。
違う目的地を持っている人を道連れにしてはなりません。
あなたは同じ方向性の考え方や生き方を持った人と共に在りましょう。
争いが生じるのは、方向性が違うからです。
そのような人とは離れれば良いのです。
違う目的地を目指す人々が同じ車に乗っていてはなりません。
そこには必ず争いが生じるからです。

2014年2月21日金曜日

心の毒

人生に幸福を得るためには、心が満たされる必要があります。
心が満たされ、満足感を得ている状態こそが幸福というものであるのです。
どこで、誰と、何をしているか?という外的要因は、人の幸福に対して直接的な影響力を持たないということを理解しましょう。
多くの人は幸福を求める時に場所や人物や行動を考えています。
それらが充実すれば幸福を得られると考えているのです。
しかしながら、その考えは浅はかであると言わざるを得ないでしょう。
場所や人物や行動がどれだけ優れていたとしても、それによってあなたの心が満足することがなければ幸福を得ることはできないのです。
結局、幸福とは心の問題であるのです。
どこで誰と何をしていようとも、幸福な人はいます。
どこで誰と何をしていようとも、不幸な人もいるのです。
あなたが幸福を得るためには、どこで誰と何をしていようとも、心が満たされる状態を築かなければならないのです。
心を満たすのは自力です。
自分以外の存在があなたの心を満たすことはできません。
どのような人物も、自力によって心を満たさなければならないということを理解しましょう。
人は他人の意見を受け入れません。
どれだけ他人が忠告したとしても、人は自らの信念に従ってのみ決断するのです。
どれだけ他人が忠告しても、それを受け入れるためには本人が困ったり、苦しむ必要があるのです。
困ったり苦しむ時、人は初めて決断し、行動するでしょう。
自発的な行動こそが、自力であるのです。
その自力によって心を満足させなければならないのです。
心は、自分自身の考え方に従います。
楽しいことを考えている人の心は満たされます。
苦しいことを考えている人の心は不足するのです。
あなたは楽しいことを考えるように努めなければなりません。
毒を飲んでいるのに健康を欲するのは矛盾しています。
怒りや悲しみなどの破滅的な考えを持っているのに、幸福にはなれないのです。
体にとっての毒は健康を壊します。
心にとっての毒は幸福感を壊すのです。
心にとっての毒は破滅的な思考や感情です。
怒りや悲しみを所有している人は、自らの力によって幸福感を破壊する人です。
怒りや悲しみを考えている幸福な人はいません。
そのような矛盾は成り立たないのです。
喜びや楽しみといった建設的な思考や感情を所有している人のみが幸福を得ることができるのです。
あなたは毒を取り除かなければなりません。
そして、毒を飲み込まないように努めなければなりません。
どのような理由があったとしても、あなたは怒りを選択してはなりません。
どのような理不尽なことにも怒ってはなりません。
他の感情で処理しましょう。
怒るなら呆れる方が良いでしょう。
呆れるよりも無関心の方が良いでしょう。
無関心よりも楽しむの方が良いのです。
建設的な思考に近付くほど、優れているということを理解しましょう。
心の毒となるものを所有してはなりません。
あなたはその人を許さなければなりません。
そして、頑固な自分を許しましょう。
許すと決めた人が怒ることはないでしょう。
怒っていなければ必ず満足に至ります。
怒っている状態ではどのような方法を用いても決して満足を得ることはできません。
人生は楽しく生きましょう。
現状がどのようなものであっても、それに文句を言ってはなりません。
それはあなたが自分の意思で決めた状況であるのです。
あなたが自分で決めたのです。
そして、あなたが自分で決めたことは、あなたにとって大切な意味があり、相応しいのです。
忘れてはなりません。
責任を転嫁してはなりません。
あなたが自分で決めたのです。
すべてはその結果です。
毒突いてはなりません。
毒を取り除き、豊かな心によって豊かに生きましょう。

2014年2月20日木曜日

不幸との決別

人生の幸福とは、人生に自由をもたらすものです。
人は幸福を得る度により大きな自由を感じるようになります。
幸福な人生ほど、自由であるのです。
あなたは自由を目指さなければなりません。
何事にも執着することなく、何者にも依存しない、そのような存在にならなければならないのです。
あなたは幸福になるために生きているのです。
あなたは自由を手にしなければならないのです。
どのような恐怖にも捉われてはなりません。
どのような怒りにも執着してはなりません。
どのような悲しみにも振り返ってはなりません。
どのような栄光にも縋(すが)り付いてはなりません。
どのような過去にも思いを馳せてはなりません。
あなたは何事にも、何者にも捉われてはならないのです。
何かに執着し、依存している人は幸福を手にすることはできません。
それは、自分という存在が主体ではないからです。
幸福というものは、自分自身の心から生じるものです。
自らが生み出すものが幸福であるのです。
あなたが誰かや何かに幸福を与えてもらいたいと考えている状態では、幸福を手にすることはできないのです。
あなたが誰かや何かに対して、自分の力でそれらに幸福を与えたいと考えている状態になって初めて、あなたは幸福を得ることができるのです。
あなたが生み出すものは、常にあなたの所有物となるでしょう。
あなたは自分が幸福になりたいと考え、幸福を生み出そうと努めなければなりません。
あなたは誰かや何かを幸福にしなければなりません。
幸福を考える人が恐怖や過去に執着することはないでしょう。
怒りや悲しみに依存することもないのです。
あなたは不幸と決別しなければなりません。
あなたにとっての不幸とは、不快であるということを理解しましょう。
気分が良ければ幸福であり、気分が悪ければ不幸であるのです。
幸福とは単純なものであるのです。
あなたが幸福を考えるのであれば、心地好い気分を選択しなければなりません。
あなたの気分は、あなたにしか分からないものです。
他人には分かりません。
あなたが心地好いのであれば、それで良いのです。
そのため、他人がどのように考えようとも、あなたは自分の心に従って選択すれば良いのです。
幸福とは心地好い気分であるため、幸福というものは人によって違うものなのです。
他人の幸福があなたに当てはまるということもないのです。
あなたにはあなただけの幸福があるのです。
あなたが不快に感じるものは、他人にはどのようなものであるにしても、あなたにとっては不幸の原因となります。
不幸の原因を所有しているのであれば、あなたは不幸という結果を確実に受け取ることになるのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、幸福の原因である心地好い気分を所有しておく必要があるのです。
あなたが心地好いと感じるものが、あなたにとっての正解です。
あなたは心地好いと感じるものを選びましょう。
あなたが不快に感じるものは、あなたにとっての不正解です。
不快に感じるものを選んではなりません。
不快に感じるものとの関係を絶ちましょう。
今すぐにそうするのです。
善行は急がなければなりません。
覚悟を決めましょう。
どのような理由があろうとも、不快な気分を長く引き摺ってはなりません。
あなたは幸福にならないければならないのです。
あなたの目的は幸福を得ることです。
不快な気分の元となるものと決別しましょう。
苦しんでいるのに幸福など得られません。
苦しんでいる人が幸福な人生を生きることなどできるはずがないのです。
あなたは不快な気分、不快な仕事、不快な人間関係、不快な習慣、不快な自分を捨てましょう。
好きなもの、心地の好いものに囲まれるのです。
そうすれば、あなたは本当の自由を得ることができるでしょう。

2014年2月19日水曜日

習得する人

人生は学びの場所です。
あなたは学びの中にあります。
どのような人物も自らの学びを無視することはできません。
あなたのどのような意思も、学びをもたらすということを覚えておかなければなりません。
すべての意思は学びに向かい、あなたはその意思に従って学ぶのです。
そのため、どのような人物も自らの学びから逃れることはできないのです。
あなたは必ず自らの学びと対峙しなければなりません。
あなたがどのような方法を用いようとも、意思があなたの内に存在している限り、その学びを回避する方法など存在しないのです。
あなたは覚悟を決めなければなりません。
学びとは、自らをより良くすることです。
学びとは、自らの悪いところを直すことであるのです。
その方法が間違っているから、その方法よりも良い方法を学ぶのです。
人生とは、反省の繰り返しであり、より良い自分を探す旅路であるのです。
あなたは成長や向上から逃れることはできないのです。
すべての経験、すべての状況があなたにより良い自己の実現を促しています。
あなたはどのようにしても、より良い自己を実現する以外に方法はないのです。
すべての存在は幸福を求めています。
すべての存在は幸福に至ります。
どのように不幸を望む人であっても、それでも幸福へと向かう旅路にあるのです。
どのような方法を用いても、人生はあなたを幸福へと向かわせるのです。
そのことを忘れてはなりません。
どのような状況にも学びが存在しているのです。
あなたはそのことを覚えておかなければならないのです。
そこに学びが存在していることを理解するのであれば、自らを反省し、目の前のことに対して一生懸命に取り組むことができるでしょう。
そのような人は間違った方法(自己)を改善し、より良い方法(自己)を実現するために、より幸福へと近付くことになるのです。
すべてのことに大切な意味があり、すべてのことがあなたにとって相応しいのです。
あなたが自らの間違った方法から導き出されるその学び(苦しみ)を理解し、反省と改善によってそれを自分のものとして過ちを繰り返さないのであれば、あなたはそれ以上その学びを学ぶ必要はないのです。
一度、「歩く」ということを覚えた肉体は、自分が「歩く」という行為を忘れないのです。
あなたの肉体が「歩く」という行為を覚えたのは、その学びを習得したからです。
それは、肉体が「歩く」という行為が幸福に繋がると理解し、「歩く」という行為ができないということが幸福の失敗であると本能によって理解しているから、それを習得したのです。
どのような人も当たり前に行っている「歩く」という行為も、それを習得するのは簡単なことではありませんでした。
あなたは忘れているのです。
当たり前のことですら、あなたが無意識の内にでも幸福に向かったから所有しているのです。
何度も何度も失敗を繰り返し、ようやく「歩く」ことができるようになったのです。
何度も何度も失敗を繰り返して学んだのです。
子どもだったあなたにとっては、日常の当たり前のことですら学びであり、失敗を繰り返してようやく成し遂げたものであるのです。
あなたは忘れているだけです。
あなたは学びの中に存在しているのです。
昔も今もこれからも、あなたは学んでいるのです。
あなたの目の前の問題は、あなたが幸福になるための学びです。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
それを苦にすることがなければ合格です。
「歩く」ことが苦痛でなくなれば、あなたは「歩く」ことによって幸福を得るのです。
その問題に苦悩することがなければ、その問題によってあなたは幸福を得るということを覚えておきましょう。
理解することができなくても構いません。
しかしながら、苦しみを抱えていては、いつまで経っても幸福は手に入らないのです。
あなたは幸福にならなければなりません。
人は幸福から逃れることはできません。
すべての状況があなたの学びです。
苦しまないように注意しましょう。
その学びに苦しんでいると、苦しみは繰り返されます。
そのループから抜け出るためには、自己を改めなければなりません。
悪い方法は良い方法にしましょう。
ネガティブな考えはポジティブな考えにするのです。
より良い自己によって幸福の学びを繰り返し、豊かな人生を生きましょう。
あなたは自分が学んでいるのだということを忘れてはなりません。

2014年2月18日火曜日

魂の汚れを取り除く場所

人生においては、人は幸福を得ることが正しいということを覚えておきましょう。
どのような人物も幸福を得なければなりません。
生きとし生けるものは皆、幸せを求めなければならないのです。
そして、それを実現するのです。
幸福を実現することが人生の成功であるということを覚えておきましょう。
幸福の形は人それぞれであるため、自分自身の思う幸福を実現することが求められます。
誰かが考える幸福と、あなたの思う幸福は違うものであるのです。
あなたは自分自身の幸福を追い求めなければならないのです。
幸福とは、楽しい気分のことを言います。
どこで誰とどのようなことをしていようとも、そこに楽しい気分が存在しないのであれば、どのような人も幸福を得ることはできないのです。
どこで誰とどのようなことをしていようとも、そこに楽しい気分が存在するのであるなら、どのような人も幸福を得ることができるということを覚えておきましょう。
幸福とは心の状態です。
心がポジティブであり、建設的な状態であるのならば、それが幸福というものであるのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、楽しい気分を追及しなければならないのです。
人生には様々な問題が生じ、あなたは困難に巡り合うでしょう。
どのような人も問題に巡り合います。
問題に出会(でくわ)すことのない人は存在しません。
どのような人も、その人なりの問題に対して向き合わなければならないのです。
人生とは、自らの魂の汚れを取り除く場所であるということを理解しておかなければなりません。
人生とは、自分自身の未熟な部分を改善するための修行の場所であるのです。
人は自らの弱さを直しているのです。
そのため、問題という形で自らの汚れと向き合うのです。
生じる問題は、自らのものであるということを覚えておきましょう。
自らの所有する直すべき部分(汚れ)が、問題という形によって現れているのです。
多くの人は問題が生じるのを誰かや何かのせいにして不満を抱えていますが、その考えは本末転倒であるのです。
自分から生じた問題を、誰かや何かのせいにしてはなりません。
自分自身のことは、自分自身で改善する必要があるのです。
それが自分自身から生じた問題であると理解する人は、謙虚さを以て反省するに至るでしょう。
どこがいけなかったのかを省みることができれば、今度からはその過ちを犯さないように注意するようになるのです。
注意して改善されれば、問題が生じることはないのです。
自分自身の方法を変えることがなければ、どのような問題も解決しないということを理解しましょう。
本質は、自分自身の状態にあるのです。
あなたは自分自身を直しましょう。
不満や不安、悲しみや諦めによって状況を眺める人がいます。
状況に対して悲観的になったり、ネガティブで破滅的な状態であるなら、その行為は幸福にとって間違っています。
人が幸福を得るためには、そのような方法は失敗であるのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、どのような問題を前にしても楽観的でなければならないのです。
その問題に対して不満や不安を考える人は、問題を上手く扱うことはできません。
それは、自らの汚れに飲まれているということなのです。
問題に対して楽しみや喜びを考える人は、問題に悩まされることはないでしょう。
それは、自らの汚れを取り除き、成長することができたということを示しているのです。
問題を問題としない、問題に悩まない、問題に苦しまないなら、その人は幸いです。
あなたは自らの心の状態を観察しましょう。
心が乱れている人が得ることのできる幸福は存在しません。
幸福とは心の状態であるため、そこには楽しい気分が存在しなければならないのです。
楽しい気分の人は誰であっても幸福なのです。
苦しい気分の人は誰であっても不幸であるのです。
あなたは楽しい気分を保たなければなりません。
どのような問題を前にしても、あなたは楽しい気分を守らなければなりません。
不満や不安を保てば幸福は失敗します。
あなたはできる範囲で構わないので、少しずつ楽しい気分を考えましょう。
どのようなことも大切であり、意味があり、あなたにとって相応しいのです。
大切なものが苦しいはずがないのです。
あなたは勘違いしてはなりません。
あなたにとっての問題とは、自分自身の未熟さを直すための手掛かりであるのです。
そのように大切なものを嫌ってはなりません。
楽しい気分でいるなら、どのような問題も解決するということを覚えておきましょう。

2014年2月17日月曜日

行動の動機

人生を豊かなものにするためには、行動する必要があります。
それはどのような人物にも当てはまることです。
行動することがなければ人生が豊かなものになることはないのです。
この世界は行動することによってのみ変化します。
行動することがなければ、人生は停滞してしまうということを理解しましょう。
あなたが行動することもないのに、どうやって状況を変えようというのでしょう?
あなたがその場を動かないのに、何が変わるというのでしょう?
この世界はあなたの心によって変化するということを理解しなければならないのです。
どれだけ状況や環境、人間関係を変えたとしても、自分自身の心が変わることがないのであれば、人生が変化するということはないのです。
あなたが変わることが人生の変化であるということを忘れてはなりません。
ただし、それは状況や環境や人間関係によって実現します。
状況や環境や人間関係を変えることがなければ現実的に自らの心を変えることも難しいということを覚えておかなければなりません。
自分自身の力ではできないことは、自分以外の力を借りる必要があります。
状況や環境や人間関係というものが、あなたの不足分を補ってくれるのです。
あなたは自分以外の力を借りることに抵抗してはなりません。
人は独りで生きているのではありません。
どのような人も、状況や環境や人間関係(他人)といった自分以外の力に支えられることによって成り立っているのです。
どのような理由があったとしても、人は独りで生きているのではないということを覚えておかなければなりません。
独りで生きているという傲慢な考えの人物は失敗します。
失敗して困るのです。
困れば戸惑い、立ち止まってしまうでしょう。
停滞すれば人生に苦しむのです。
あなたは停滞しないように努めなければなりません。
停滞しないために利用することができるものは利用しましょう。
行動の動機が需要です。
あなたは自分自身が行動する動機を得なければなりません。
自分自身のためでも良いし、他人のためでも良いのです。
あなたは幸福になりたいという欲求に付き従いましょう。
幸福というものは人それぞれに違います。
あなたは自分だけの幸福の形があるはずです。
それを理解するのです。
自分自身の求めている幸福がどのようなものであるのかを理解することなく、行動することはできないのです。
人は自らの求めるもの(欲求)に従って行動する生き物なのです。
あなたは自分自身の幸福というものがどのようなものであるのかを考えなければなりません。
考えても分からない人がいるでしょうが、そのような人は考え続けなければならないのです。
答えが出るまで追求することなく、答えを得ることなどできないのです。
自分自身の幸福の形が定まらなくても構いません。
答えなど分かりません。
物事は常に変化し、常に不安定なものなのです。
答えは求め続けることが望ましいのです。
幸福の形も、あなたの価値観の変化によって変わるでしょう。
行動することによって、あなたはその答えに近付くのです。
幸福に近付くことは幸せです。
それは、あなたの人生に豊かさをもたらすでしょう。
行動と停滞を天秤に掛ける時には、行動が勝らなければなりません。
自分自身の意思ではなくても、他人に誘われたらその話に乗ってみましょう。
そこには普段とは違う世界が広がっていることでしょう。
新たな刺激は、あなたの世界(人生)を飛躍的に変化させるでしょう。
どのような理由があったとしても、あなたは行動しなければなりません。
行動しないで良いことなどはないでしょう。
それがルールを著しく無視する行為でない限りは行動しましょう。
変化するために行動しましょう。
どのような変化であっても、変化することが正解です。
あなたは行動することの大切さを理解し、変化することの重要性を知らなければなりません。
行動することで必ず何かは変わります。
あなたはそれで良いということを覚えておきましょう。






2014年2月16日日曜日

学ぶ姿勢

すべての人は人生に学んでいます。
すべての人は自らを成長させるために人生に学んでいるのです。
人生におけるすべての経験は、あなたが学ぶべきことです。
それはあなたにとって必要であり、大切であり、相応しいということを覚えておきましょう。
あなたはそれが自らにとっての学びであるということを忘れてはなりません。
学びであるという意識が存在するのであれば、人は謙虚であるでしょう。
謙虚であれば様々なことを学び、吸収し、成長することができるのです。
謙虚さが見られず、傲慢で頑固であるのであれば、目の前に様々な学びが現れたとしても、それを学び、吸収し、成長することはできないのです。
何かを学ぶためには、学ぶ姿勢が必要であるのです。
学ぶ姿勢のない者には、どのように優秀な指導者が施したところで意味がありません。
聞く耳を持たない者に何を言っても聞き入れないのと同じで、学ぶ姿勢のない者には学びは意味を持たないのです。
あなたは成長しなければなりません。
それは、成長することこそが人の幸福の根源であるからです。
成長することがなければ、何を以てしても幸福を得ることはできないでしょう。
あなたは成長が重要であるということを理解しましょう。
あなたは学ばなければなりません。
聞く耳を持ち、謙虚に生きなければならないのです。
あなたは自らの傲慢さと頑固さに気を付けましょう。
傲慢と頑固を所有している状態であっては、どのような人も学びを得ることはできません。
そのような状態であっては、成長を得ることもできないのです。
人生におけるすべての事柄に意味があり、それは成長を助けます。
あなたはそれがどのように嫌なことであっても、そこから学ばなければなりません。
それがどのような状況であっても、それに向き合い、そこから成長に繋がる何かを得なければなりません。
それがどのような人物であっても、その人の話を聞き、参考にするのです。
その人が誰であるのか?
どのような人柄であるのか?
何を信じているのか?
そのようなことを気にしてはなりません。
これは相手の問題ではないのです。
自分自身の問題であるということを覚えておかなければならないのです。
あなたが学ぶのかどうか?ということなのです。
自分が一番偉いと思っている人間は、人の話を聞きません。
傲慢で頑固な人物は、人の話を聞き入れないのです。
それは、学びの否定を意味しています。
学びを否定するのに、どうやって成長するというのでしょう?
学びとは我慢することです。
言いたいことを飲み込み、やりたいことを押えることなのです。
人がそう言うのであれば、その人からはそれが学べるのです。
他人はあなたと違う人生を生き、違う価値観を形成しました。
それは、違うという価値を持っているのです。
人生においては違いを学ぶということが重要なのです。
否定や拒否は、学びの妨げになります。
あなたはどのような理由があろうとも、傲慢で頑固であってはなりません。
いつも柔軟であり、謙虚でなければなりません。
四方よりも、六方。
六方よりも、八方の方が優れています。
どのような大樹も、その根が偏っているのであれば簡単に倒れてしまうでしょう。
植物は嵐の中でも自分を支えることができるように、八方に根を張ります。
それによって体を支え、より多くの水と栄養を得ようとしているのです。
あなたと相手の意見が違ったとしても、それを頭ごなしに否定してはなりません。
相手の意見は、あなたには無いものなのです。
持っていないから否定するのです。
同じものを持っていたら同調し、共感するでしょう。
自分とは違うもの、自分には無いものが、新たな方向に根を伸ばすのです。
そして、人は成長を確固たるものとするのです。
あなたは学ぶ姿勢を持たなければなりません。
傲慢で、頑固であってはなりません。
自我を捨てましょう。
相手がどのような見解を示そうとも、それを否定してはなりません。
否定に使う力は、理解に回しましょう。
あなたは人生に学んでいます。
その人が誰であり、どのような人柄であり、何を信じているのかは関係ありません。
使えるものは使えるのです。
相手の話を聞いて、その中から自分に使えるものを吸収するのです。
そのためには、相手のどのような意見にも否定から入ることなく、それを一旦受け入れることが大切であるということを覚えておきましょう。

2014年2月15日土曜日

素敵な角度

あなたは素敵な人生を生きなければなりません。
あなたは人生を豊かに、幸福に生きなければならないのです。
人は誰もが自分の幸福を所有しています。
人は誰もが、自分の幸福を求め、それを手に入れれば良いのです。
人は自分にとっての幸福な人生を生きなければなりません。
あなたは不幸であってはならないのです。
あなたは苦しんでいてはならないのです。
あなたは豊かに幸福に生きるのです。
あなたが人生に豊かさと幸福を得るためには、あなたという存在が豊かさと幸福を生み出すことができる状態になければなりません。
すべてはあなたから生じます。
あなたの思考や感情や生き方によって、すべての状況が導き出されているのです。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
すべてはあなたから生じるのです。
あなたはその思考、感情、生き方が豊かさと幸福によって満たされていなければなりません。
それは、あなたが人生の原因であるからです。
原因は必ず結果に結び付くものです。
あなたがどのような状態であるのか?ということが重要であるのです。
誰かや何かが重要なのではありません。
あなたは目の前の様々な事象に対して、豊かさや幸福を感じなければなりません。
目の前のそれがどのような状況であったとしても、それを「良いもの」にしなければならないのです。
あなたが自身の思考や感情や生き方によって、それを「良いもの」にするのです。
あなたは自分でそれを豊かさや幸福に結び付けなければならないのです。
あなたが自分でそうしなければ、誰もそのようにはしてくれません。
状況があなたの目の前に存在している段階では、それがどのようなものであるのかは誰にも分からなことです。
あなたがその状況に対してどのような対応をするのか?
あなたが対応した時にそれがどのようなものであるのかが決まるのです。
外にある時には、すべてのものが「無」であるのです。
それがあなたの内に入り込んだ時に「有」となるのです。
それは、あなたが思考や感情によって、それがどのようなものであるのかを決めるからです。
あなたがそう決めたから、その状況はあなたにとってそのような性質を持ったのです。
あなたが違うように決めていたのであれば、状況から受け取る気分は全く違うものになるということを理解しましょう。
あなたが悪いものであると決めれば、その状況はあなたにとって不幸となり、あなたは苦しむはめになるでしょう。
あなたが良いものであると決めれば、その状況はあなたにとって幸福となり、あなたは喜ぶのです。
どのようにするのかは、あなたに任されています。
あなたが自分自身で決めるのです。
例えば、すべての事柄が良いものであるとしか考えない人がいるとします。
その人は不幸でしょうか?
苦しむでしょうか?
すべての事柄を良いものと考える人がいるのであれば、その人はその考え通りに幸福でしょう。
物事を悪いことだと決め付けるから不幸であり、苦しいのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
人生は、自分次第でどうとでもなるのです。
人生が変わらないなどと決め付け、諦めてはなりません。
あなたの思考、感情、生き方が変わったのに、状況が変化しないはずがないのです。
誰かや何かがあなたの人生を決めている訳ではありません。
あなたが自分自身でそのようにしているのです。
自分自身の判断が重要であるということを理解しましょう。
あなたが豊かさや幸福を求めているのであれば、状況に対する見方を変えてみましょう。
どのようなものでも、必ず気に入る面があります。
どのようなことでも、必ず素晴らしい面があるのです。
角度を変えて捉えましょう。
決め付けてはなりません。
自分が気に入る角度(喜びや楽しみ)を探し、そうなるように工夫しなければなりません。
同じものでも、見方が変わり、角度が変われば、感想も変わるのです。
自分以外のものに変われと願っても無意味です。
あなたが変えることができるのは、自分自身だけなのです。
他力を望むよりも先に、自力によって事を成しましょう。
すべての状況に対して、素敵な角度(面)を探しましょう。

2014年2月14日金曜日

図々しい人

人生とは、個人のものです。
すべての人が専用の人生を所有しています。
すべての人が専用の人生を生きているのです。
あなたはそれぞれが自らの人生を学んでいるということを理解しなければなりません。
誰もが学んでいるのです。
誰もが自分に足りないものを補っているのです。
誰もが未熟なところを改善し、誰もが失敗を成功に導いているのです。
誰もが向上と成功を目指し、幸福を求めているとういことを理解しなければなりません。
どのような人も例外無く学んでいるのです。
だたし、人によって学びの段階や質は異なります。
あなたが学んでいることと、他人が学んでいることはまた違うものであるのです。
あなたは自分という存在と、他人という存在を一緒くたに考えてはなりません。
すべての人がそれぞれに独立した存在であり、それぞれに独立した人生を所有しているのです。
それらが同じになることはありません。
同じ場所にいても、同じ方向を向いていても、それぞれが違うことを感じ、考え、学んでいるのです。
人はそれぞれが、それぞれに必要なことを学んでいるということを理解しましょう。
そのことを理解することができれば、あなたには他人を尊重する気持ちが生まれるでしょう。
あなたはそれがどのような相手であろうとも、その人を尊重する気持ちを持たなければなりません。
誰もがこの人生に学んでいるのです。
人は争うために存在している訳ではありません。
学ぶために存在しているのです。
そのことを忘れてはなりません。
人生に学ぶことは、人に与えられた義務です。
すべての人が自分の成長にとって必要なことを学ばなければならないのです。
そのための人生であるのです。
人が学ぶためには経験が必要です。
成功する方法を学ぶためには、失敗しなければなりません。
一度の失敗で理解しなければ、二度目の失敗を受け取ります。
二度の失敗で理解しなければ、三度というように理解するまで繰り返されます。
その過程が重要なのです。
人は自分自身でその学びの意味を理解し、自分自身の考え方や生き方を改めることによって失敗を乗り越えなければなりません。
そのために、何度も失敗を繰り返すのです。
失敗によって困り、苦しみの末に反省に至る時に、人は成功する方法を探し始めるのです。
そのため、人は自分自身が理解するまで失敗し、苦しまなければならないのです。
要は、成功の方法(世の理(ことわり))を理解し、実践するということが求められるのです。
あなたが誰かを見て、その方法が間違っていると感じても、それはあなたの立場から見て間違っていると考えるだけであって、相手はそうは思っていません。
人は未熟な存在です。
何かを理解するためには、自分自身がそれを身を以て経験する必要があるのです。
読んだだけ、聞いただけ、見ただけでは足りないのです。
問題に出会し、悩み、考え、改めることによって初めて理解するのです。
自分自身も他人も、皆それぞれの段階によって人生を学んでいます。
主義主張が異なれば、相手を非難したい気持ちが生じるでしょうが、そのようなネガティブな気分を所有し、更には振りかざしてはなりません。
悪いことをすれば、悪い報いを受け取ります。
誰かを傷付ければ、後に自分自身が傷付くでしょう。
誰かを非難すれば、後に自分自身が非難を受けるのです。
人は人、自分は自分です。
あなたは相手を助ける気持ちで手を差し出すのならば褒められますが、相手を非難するために口を出すのであれば許されません。
人生は個人のものです。
あなたのものは自分自身の人生だけです。
他人の人生に厚かましく口を出してはなりません。
あなたが他人の人生に関与することが許されているのは、相手を助けるため、相手を幸せにするためだけであるということを理解しましょう。
相手を非難したり、相手の邪魔をするつもりであれば、決して幸福な人生を生きることはできないのです。
あなたは他人の考え方や生き方について気にかかることがあるでしょうが、他人を尊重する気持ちを忘れてはなりません。
こうしろ、ああしろというように自分の意見を押し付けてはなりません。
相手は相手の事情があるのです。
そこにあなたの勝手な事情を押し付けてはなりません。
人のものは人のものです。
相手を助けるつもりがないのであれば、直ちにそこから立ち去りましょう。
協力し、互いに高め合うことができる人たちは幸いです。

2014年2月13日木曜日

自己愛

あなたは自分を愛さなければなりません。
あなたは自己愛に目覚めなければならないのです。
自分という存在は、この人生の主体です。
すべての原因が自分という存在であるのです。
すべては自分から生じます。
すべては自分によって始まるのです。
すべての原因である自分というものの状態というものが重要であるのです。
原因がその通りの結果を導き出します。
原因と違う結果が導かれることはありません。
すべての結果は原因に従って導かれるのです。
あなたが受け取る結果(状況)は、あなたの状態を現しているのです。
あなたの考え方や捉え方(感情の在り方)、その生き方があなたの状況を築いているのです。
あなたはそのことを覚えておかなければならないのです。
すべてはあなたのやったことです。
あなたの行動がそれを実現させたのです。
あなたがそれを選び、そこへ行き、それをしなければ、そのような状況は手に入らないのです。
あなたが受け取るすべての状況は、あなたのしてきたことなのです。
そのことを忘れてはなりません。
あなたがどのような状態であるのか?ということによって人生はどうとでも変わります。
あなたが楽しければ、状況は楽しいものになるでしょう。
あなたが苦しければ、状況は苦しいものになるのです。
すべてはあなたに起源するのです。
あなたが自分自身に対して愛情を注いでいるのであれば、あなたは愛情という原因を所有することになります。
あなたの中に愛情という原因があれば、あなたはそれを基準に物事を考え、行うでしょう。
愛情とは建設的な性質を持つ力です。
愛情によってすべては豊かさを得るでしょう。
愛情を基準に物事を考えれば、思いやりや優しさが生まれます。
愛情を基準に行動すれば、協力や許(ゆる)す気持ちが生まれるでしょう。
あなたが人生を豊かなものとし、幸福に生きたいと願うのであれば、その心に愛情を所有する必要があるのです。
愛情に乏しい人は、愛情を基準に物事を考えることはできず、そこには無関心や悲しみや怒りが生じるでしょう。
そして、そのように行えば、争いや絶望によって豊かさと幸福は絶たれてしまうでしょう。
豊かに幸福に生きるためには、愛情の力が必要不可欠なのです。
愛情の存在しない場所には、どのような豊かさも幸福も存在しません。
すべての豊かさや幸福は、愛情に起源するのです。
自分自身を愛することができない人は、自分自身を傷付けます。
それはとても苦しいことなのです。
自分自身を愛することができない人は、自ら(と他人)を傷付ける考え方を所有しています。
自分自身を愛することができない人は、自ら(と他人)を傷付ける捉え方(感情)を所有しています。
自分自身を愛することができない人は、自ら(と他人)を傷付ける習慣を所有しています。
そのような状態では、豊かな人生や幸福を得ることはできないのです。
豊かさや幸福とは、充足を言います。
満たされている状況こそが豊かさや幸福であるのです。
あなたは愛情という安息に満たされなければなりません。
争いのない世界に生きなければなりません。
愛情のある場所に争いは存在しません。
あなたが心の中や、状況に争いを所有しているのであれば、決して豊かさや幸福は得られないのです。
あなたはまず、自分を愛することに努めましょう。
自分のことができない人間が、他人のことなどできるはずが無いのです。
誰かを愛そうとするなら、自分を愛していなければなりません。
あなたは自分に対して思いやりを以て優しく接しましょう。
どのような理由があろうとも、自分を傷付けてはなりません。
自分を愛することができる人は輝くでしょう。
その光に引き寄せられて、愛を欲する人たちが集うでしょう。
自分を愛しましょう。
何事も、先ずは自分からです。
自分を愛することができる人は、他人をも愛することができるでしょう。

2014年2月12日水曜日

幸せな気分

あなたは幸せな気分で生きなければなりません。
あなたは幸せな気分でいなければならないのです。
どのような状況を前にしても、あなたは幸せな気分を保たなければならないのです。
人生とは、自らの考えが表現されたものです。
あなたが考えていることが状況を築いているのです。
それは、あなたが考えていることを行動してしまうからです。
考えていないことを行動することはありません。
あなたが考えていないことを行動してしまうというのであれば、自分が考えていることを知らないか、忘れているか、正当化しているだけでしょう。
あなたは必ず考えています。
その考えが行動の原動力となるのです。
考えていることは気分によって認識することができます。
ただし、それはその考えがどのような性質(方向性)を持っているのか?ということだけです。
思考は気分によって露(あらわ)となります。
あなたがどのように自分を正当化し、他人に対して考えを隠そうとも、気分を隠すことはできません。
あなたがイライラしたり、落ち込んだりしているのであれば、そのようなことを考えているのです。
隠されているものはすべて表立ちます。
あなたがどれだけ自分の考えを隠しても、その気分と、その状況がそれを外に知らせているのです。
あなたが問題を抱え、それに対して苦しんでいるのであれば、それはあなたが不幸な気分でいるということなのです。
あなたは不幸を考え、不幸を行っているのです。
この世界は、自分自身の行いが結果として現れます。
あなたが不幸な結果を得たのであれば、間違いなく不幸になるように行ったのです。
それを認めなければなりません。
あなたの現状は、あなたの状態を如実(にょじつ)に現しているのです。
それを否定しているのであれば、あなたが現状を改めることはできないでしょう。
反省し、考えを改めることがなければ、状況が変わることはないのです。
不幸に至ったのは自分自身の考え方が間違っていたということを認め、新たな方法を用いることがないのであれば、何も変わらないのです。
あなたが現状を変えたいと考えているのであれば、自分自身を変えなければならないのです。
あなたは不幸な気分に浸ってはなりません。
現状がどのように惨(みじ)めであったとしても、それを不幸だと考えてはなりません。
自分が置かれている状況がどのようなものであったとしても、それを幸福だと考えましょう。
どのような状況においても、そこには必ず良いところがあるのです。
それを見極めなければなりません。
すべての事柄に意味があり、大切な理由があるのです。
ならば、それが自分にとって良いものであるというのは明らかなのです。
幸せな気分でいることができる人は、どのような状況にも必ず幸せの糸口を見付けることができます。
そのような人は、より良い状況を手にして、より幸せになるのです。
不幸な気分でいる人は、どのような状況にも必ず不幸の糸口を見付けます。
そのような人は、より劣悪な状況を手にして、より不幸になるのです。
あなたは不幸の流れを断ち、幸福の流れを生み出さなければなりません。
あなたが生み出すものが良いものであるならば、結果はすべて良いことであるのです。
とても簡単なことです。
原因がそのまま結果を生むのです。
あなたは幸せな気分でいましょう。
幸せだと思い込みましょう。
思考の習慣を建設的であり、ポジティブなものにしなければなりません。
どのような状況においても建設的に思考することができる人は、幸せな気分でいることができるのです。
考えが気分になり、気分が状況を導き、状況が人生を築きます。
人が幸福なのは、人が幸せな気分を所有しているからです。
人が不幸なのは、人が不幸な気分を所有しているからです。
ただこれだけのことです。
人生を難しく考えてはなりません。
あなたがすべきことは、幸せな気分でいることだけです。
ただそれだけに集中しましょう。
克己(こっき)によって幸せな気分を守りましょう。

2014年2月11日火曜日

口答え

人生とは、自分の悪いところを直すために与えられたチャンスです。
人生におけるすべての状況が、あなたの弱さや未熟さを克服するためにもたらされたチャンスであるということを覚えておきましょう。
あなたはチャンスを生かさなければなりません。
チャンスを生かして成長しなければなりません。
人生は成長するための時間です。
すべての状況に意味があり、必要性があり、相応しいのです。
自分自身にとって重要なことを否定してはなりません。
都合の悪いこと、苦しいこと、嫌なこと・・・
それがあなたにとってどのようなものであったとしても、あなたはその状況を受け入れなければなりません。
あなたが受け取る状況は、あなた自らが導き出した結果に過ぎないのです。
原因はあなたにあるのです。
自分自身の責任によってそのような事態を得たのに、それを否定するのは間違っているのです。
すべてのことが、あなたの良いところや悪いところを示唆(しさ)しています。
すべての状況があなたを評価しているのです。
幸福な状況を手にしたのであれば、あなたには良い原因があり、あなたはそのために褒美(ほうび)を得たのです。
不幸な状況を手にしたのであれば、あなたには悪い原因があり、あなたはそのために報い(悪報)を得たのです。
あなたが良い原因を所有していれば幸福であり、悪い原因を所有していれば不幸であるのです。
どのような状況を得るのも自分自身にこそ責任があるということを忘れてはなりません。
あなたが不幸から逃れたいのであれば、幸福を得る以外に方法はありません。
人生は幸福か不幸のいずれかしか選べないのです。
この世界には、幸福な人か不幸な人しか存在していないのです。
あなたは自分を直さなければなりません。
より良い自分を目指さなければなりません。
悪いところを直し、良いところを育てるのです。
人生は幸福に生きるべきものです。
「生きることは辛い」「人生は苦しみ」などと思い込んでいてはなりません。
そのような破滅的な考え方の人物が幸福に生きることなどできるはずがないのです。
悪いことを考えるのであれば、それはあなたの悪いところであるのです。
人は幸福になるべくして生きています。
幸福に対して良い悪いがあるということを覚えておきましょう。
それは幸福に対してどのような影響力を持っているのか?ということを考えましょう。
その考え、その言葉、その行い、その習慣・・・
幸福に対して悪い影響力を持っているようなことは、あなたの魂を成長させることはないのです。
人は幸福を得る度に成長するということを覚えておきましょう。
成長したので幸福を得たのです。
忘れてはなりません。
悪いことを考える人間が成長することはありません。
悪いことを考える人間が幸福を得ることなど有り得ないのです。
悪いことを考える人間は後退し、不幸に至るのです。
あなたは謙虚にならなければなりません。
状況に対して反発してはなりません。
誰かに対して口答えしてはなりません。
自分が一番正しいと思い込んではなりません。
自分も正しいし、相手も正しいのです。
いつもどこかには、自分が間違っているかもしれないという考えを持っておきましょう。
傲慢(ごうまん)になってはなりません。
自分を未熟であると考える人は、多くのことを学ぼうとするでしょう。
学ぶ人は成長することができるのです。
謙虚さを忘れ、自分が一番正しい(偉い)と考え、反発する愚か者は不幸を道連れにするでしょう。
目の前に上手くいかない状況がある時、それは自分の方法(考え方)が間違っていたという証です。
状況が指し示す事実を覆すことはできません。
あなたにできることは、自分自身を反省し、自分自身を変える(成長させる)ということなのです。
あなたには良いところ、誇りに思うべきところがたくさんありますが、同時に悪いところ、反省すべきところもたくさんあるのです。
あなたは未熟です。
そのことを忘れてはなりません。
謙虚に生きましょう。

2014年2月10日月曜日

※2013.6.18 貼り忘れ 「教育」

人生を形成するのは人の行いです。
その人物の生き方こそが人生なのです。
人の生き方はその行いによって形成されます。
そして、その行いは心によって導かれるのです。
心は価値観を材料として行いを導き出します。
人の心は価値観によって支配されているということを知らなければならないでしょう。
価値観は心の方向を決める船頭のようなものです。
あなたの心は価値観によって自らの進むべき方向を知っているのです。
心は価値を求めています。
心は常に価値を得ようと働いているのです。
どのような心も、価値を必要としているのです。
それは、心は自身を満たす必要があるからです。
価値を得なければ、心は成り立たないのです。
心は心として存在するために価値を必要としています。
生物が命の存続を求めて生きるように、心は自らを存続されるために価値を求めて突き進むのです。
あなたがどのようなものに対して価値をおくのか?ということが、あなたの人生には影響力を持っているのです。
あなたが求める価値に従って価値観は形成されます。
その価値観に従って心は突き進むのです。
人は自らの価値観に従わなければなりません。
自らが求めるものに従って歩むのです。
それがどのようなものであろうとも、あなたの価値観がそれに定められるのであれば、あなたはその方向へと歩むのです。
価値観は結果をもたらします。
あなたは価値観によって行動するため、その価値観に見合う結果を得ることになるのです。
どのような人物も、価値観に従って人生を描くのです。
人が人生を思い通りに描きたいのであれば、自らの抱える価値観をそれに等しく形成することが求められるのです。
価値観の形成が正しくないのに、正しい結果を得ることはできないのです。
価値観の形成は教育によってもたらされます。
教育こそが人の心を作り上げているのです。
あなたは自らを教育することができます。
自らを教育し続けていると表現する方が正しいでしょう。
あなたが自らの心に与えるものが教育となります。
あなたの生活が教育です。
あなたの習慣が教育です。
あなたの思い、あなたの言葉、あなたの行いが教育です。
あなたは常に自分自身を教育しているということを知りましょう。
あなたが見聞きし、思案して行うことのすべてが教育となるのです。
あなたは常に学んでいます。
どのような事もすべてが学びとして、あなたの心に蓄積していくのです。
あなたはそのことに気が付かなければなりません。
すべてがあなたにとって無関係ではなく、すべてがあなたに影響を及ぼしているということを理解するのであれば、あなたは自らの選択を確認することになるでしょう。
そして、自らの価値観がどのようなものであり、結果としてどのような状況を受け取ることになるのかを予測することでしょう。
あなたが自らを正当化することなく自らを正しく見る時、その行く末はその通りになります。
あなたは本心では理解しているはずです。
自らの行いがどのような結果を招くのかを。
当たり前のことに目を瞑(つむ)っていてはなりません。
人生に奇跡など存在しないのです。
当たり前のこと以外は存在しないのです。
あなたがどのような状況を得ようとも、そこには理由が存在し、それは当たり前のことなのです。
人は自らの価値観に従って人生を築きます。
あなたは自らの教育者であるということを理解しなければなりません。
どのような教育を施すことが理想の実現に近付くのかを思考しなければなりません。
自らに施す教育を思考することなく、あなたは理想に沿った価値観を得ることはできないのです。
多くの人が自分自身を教育することを忘れてるか、怠っています。
周囲の人を見てはその行いを真似、同じだと安心するのです。
その教育の真意を見極めることはありません。
その結果、問題を問題とし、苦しまなくても良いことに苦しむのです。
価値観が違えば、問題は問題としてではなく、苦しみに苦しむこともないのです。
破滅的な教育を施してはなりません。
あなたは自身にも他人にも、建設的な思想に根差した教育を施す必要があるのです。
人を苦しめるのも教育であり、人を救うのも教育であるということを覚えておかなければならないでしょう。

愛すること

すべての人は、自分に相応しい場所に向かいます。
すべての人は、自分に相応しい場所に至ります。
すべての人の抱えている状況は、その人にとっては最善であるということを覚えておきましょう。
あなたがそこで問題を抱えるのも、そこで争いを生み出すのも、そこで苦しんでいるのも、そこで豊かさを感じるのも、そこで協力を得るのも、そこで喜んでいるのも、あなたにとって相応しいということを覚えておきましょう。
相応しいものである目の前の状況を否定してはなりません。
あなたはそこで大切なことを学ばなければならないのです。
すべては成長のためのものです。
あなたはそこで成長するために必要な学びを得るのです。
それがどのような状況であろうとも、あなたがその状況に存在しているのであれば、そこで学びましょう。
どのような状況を選択しようともあなたの自由です。
しかしながら、学びから逃れることはできません。
あなたはどこで、誰と、何をしても構いません。
あなたが好きに決めれば良いでしょう。
しかし、そこにいるのであれば、その状況を楽しまなければなりません。
苦しい状況(学び)は、それを苦しいと感じなくなったら終わります。
苦しいと感じている時点においては、自己の成長はありません。
成長するということは、苦しいと感じることが少なくなるということなのです。
成長するほどに、人は自由になるということを覚えておきましょう。
苦しいことが多いほど、あなたの成長は停滞しているのです。
人は様々な経験を得ることによって、それを楽しむことができるようにならなければならないのです。
いつまでも同じ視点であっては成長はないのです。
人生は、苦手を克服していく場所です。
より自由に、より豊かに、より幸福にならなければなりません。
できないことをできるようになるということが求められるのです。
あなたが人生を生きているのは、自分自身の成長のためであるということを忘れてはなりません。
嫌なことを好きになることが目標ですが、無理に好きになれと言うのではありません。
好きにならなくても良いので、嫌いではなくなるということを念頭に置いておきましょう。
嫌いなものがなくなること、嫌いな人がいなくなることは素敵なことです。
ただし、嫌いなものや人が変わることはありません。
それらを嫌っているのはあなたであるために、それらに罪はありません。
あなたの考え方がそれらを嫌いな存在として仕立てているのです。
あなたの嫌いなものたちが、世界に嫌われている訳ではありません。
あなたの嫌いなものたちが、すべての人に同じように嫌われている訳ではないのです。
あなたの認識がそうさせているのです。
あなたがそれらを嫌いなのは、あなたの中だけのことなのです。
他人がそれらを嫌いだと言うことはあなたに関係ありません。
それは、その人の問題です。
あなたと同じ意見であったとしても、同じように嫌ってはなりません。
そこには決して豊かさは生まれないからです。
そのことに気が付きましょう。
良いことを考えれば良いことがあります。
悪いことを考えれば悪いことがあるのです。
自分を正当化して、嫌いな存在が悪く、自分は正しいなどと正当性を主張してはなりません。
あなたがそれらを嫌っているのであれば、あなたがそれに相応しいレベルであるということなのです。
そこで争うということは、それらに等しいのです。
あなたは覚えておかなければなりません。
すべての人は、自分に相応しい場所に向かい、相応しい場所に至ります。
そこで相応しい経験をするのです。
それは、あなたの成長にとって相応しい体験です。
あなたは嫌ってはなりません。
あなたは争ってはなりません。
あなたは逃げてはなりません。
あなたは好きにならなければなりません。
あなたは協力しなければなりません。
あなたは愛さなければなりません。
これは強要ではありません。
あなたに難しいことは難しいのです。
無理に押し進めることはありません。
ただし、怒りや悲しみなどの破滅的な感情を以てしては、成長と豊かさを得ることができないということを覚えておかなければならないでしょう。
「何でこんな人と一緒にいるのだろう?」
そう思うのであれば付き合いを絶ちましょう。
それができない、それをしないのならば、その人を愛しましょう。
心が乱れること、破滅的に傾くことが最も危険なのです。
目の前のすべてが自分に相応しいということを覚えておきましょう。

2014年2月9日日曜日

普通とは違う人

魅力的な人物に人は集まります。
魅力的な人物を人は支援します。
魅力的な人物に憧れ、魅力的な人物に従います。
人は、魅力的でなければなりません。
どのような人物も、自らの魅力を最大限に引き出さなければならないのです。
魅力を引き出し、魅力的な人物になることができれば、多くの人からの支えを得ることができ、多くの喜びがそこにあるでしょう。
魅力がなければ支えられません。
魅力がなければ関心は薄れてしまうのです。
人は、より魅力的な人物を探し求めています。
それは、自分自身を成長させるためです。
自分にとって魅力的に映る人物は、自らの願望を実現した人であります。
魅力的に見えるということは、自分もそのように成りたいと思っているのです。
魅力的な人物から学び、少しでも自らを成長させようとしているのです。
意識的にも、無意識的にも引き付けられるものを感じるのであれば、その人から何かを学び取ることができるのです。
あなたは自分にとって魅力的な人物から学びましょう。
その言動を観察し、参考になる考え方や生き方を学ぶのです。
そして、あなたは誰かに魅力的だと思われる人物に成長しなければならないのです。
魅力的であるということは、相手からの好感や尊敬を得ることができているということです。
好感や尊敬を得ることができたなら、お互いに協力し、支え合うことができるでしょう。
信頼関係のない絆によっては、良い結果を得ることはできません。
互いに魅力的であり、好感を持ち、尊敬し合うことが重要であるのです。
魅力を引き出しましょう。
あなたは魅力的な人にならなければなりません。
魅力とは、個性です。
その人が自分自身という存在を素直に表現することによって、そこには他者との違いが導かれます。
人と違うということは素晴らしいことです。
普通が良いなどと考えていてはなりません。
普通で良いのならば、あなたに魅力などないのです。
普通なら、他の誰でも同じことなのです。
わざわざあなたを選ぶ理由がないのです。
普通とは違うから魅力的であるということに気が付きましょう。
魅力的というのは、普通とは違うということです。
人の持つ個性が普通である訳がありません。
普通というものは後付けであるということを覚えておきましょう。
顔形は人それぞれです。
すべて違うものであるのに普通という概念は元来存在しないのです。
それぞれが特別であり、それぞれが普通ではないのです。
しかしながら、多くの人はネガティブな考え方から目立たない方法を探しました。
それが「普通」という考え方なのです。
普通が好きな人は、自分に自信がないのです。
劣等感を抱きながら生きているのです。
「普通の幸せ」というものを求めている人がいます。
普通とは安定や、可もなく不可もなしということでしょう。
それは幸せと呼べるでしょうか?
何も変化がないのであれば退屈します。
それが幸せなのでしょうか?
目立たなく、誰からも気付かれず、支援されない人生が幸せなのでしょうか?
人は人に褒められること、尊敬されることに快感を覚える生き物です。
どのような人も名誉を求めているのです。
名誉とは、他人からの評価です。
名誉を得るためには、魅力的でなければならないのです。
普通ではないから優れているのです。
普通ではないから魅力的であるのです。
他人の目を気にして、自分という存在を押し殺してはなりません。
自分の個性が自分の魅力であるのです。
魅力溢れる人になりましょう。
一度の人生です。
好きなようにやってみましょう。
そのような生き方が人を引き付けるのです。

2014年2月8日土曜日

努力と勉強と忍耐と愛情

あなたは良い仕事をしなければなりません。
良い仕事から良い人生が導かれます。
良い仕事とは、良く貢献する仕事です。
良い仕事とは、良く感謝される仕事なのです。
あなたは常に自分の仕事が、誰かの役に立っているのか?社会や地域のためになっているのか?ということを考えていなければなりません。
あなたの考えが変わる時、仕事に対する姿勢も変わります。
あなたの考え方が良いものになった時、あなたの仕事に対する姿勢は良いものになるのです。
あなたの考え方が悪いものになった時、あなたの仕事に対する姿勢は悪いものになるのです。
良いものとは、建設的なものです。
それは、豊かさと発展をもたらします。
悪いものとは、破滅的なものです。
それは、乏しさと衰退をもたらすのです。
あなたが豊かな人生を生きたいと考えているのであれば、良い考えを所有し、良い姿勢によって、良い仕事をするということが求められるのです。
良い仕事をすることなく、良い人生は有り得ません。
仕事とは、あなたへの評価であるからです。
人は人間関係の中に生きています。
人間関係を無視することはできません。
人生の豊かさには、人からの評価が重要なのです。
人からの評価が良いものであるほど、人生は豊かなものになります。
人からの評価が悪いものであるのならば、人生は乏しいものになるのです。
あなたは人からの評価を考えなければなりません。
ただし、企(たくら)みによって表向きは良い評価を得たとしても、人の目が届かない裏で悪いことをしているのであれば、人生が豊かさを得ることはないのです。
人が直接その目にあなたの悪事を捉えていなくても、あなたの人柄や言動によって、その企みは明るみに出るのです。
浅知恵によって利益を得ようと考えてはなりません。
浅知恵はどこまでいっても浅知恵なのです。
正当な権利が重要です。
すべては表立ちます。
あなたは紙切れ一枚ですら隠し切ることはできません。
そのことを覚えておきましょう。
残念ながら、悪巧(わるだく)みによって豊かさを得ることはできません。
あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、無駄な努力はしないことです。
努力は正当な方法によって行うべきなのです。
あなたは自分に与えられた仕事に対して、どのような考えや姿勢によって向き合っていますか?
あなたはその仕事をより良くしようと考えているでしょうか?
そのように実践しているでしょうか?
どのような仕事であっても、それを良い仕事にするのであれば、必ず人や社会や地域の役に立ちます。
一生懸命に励(はげ)んでいるのであれば、それがどのような仕事であれ、感謝されるのです。
あなたは自分の仕事に対して真剣に向き合いましょう。
自分の仕事に誇りを持つことができるくらい真摯に向き合わなければなりません。
それがどのような仕事であっても、人や社会や地域に必要であるから存在している訳です。
必要なものであるなら、求められているのです。
あなたはそれを誰よりも真剣に取り組み、誰よりも良いものにするように努めましょう。
誰よりも良い仕事をするのであれば、必ず豊かさを得ることができます。
どのように派手な仕事であっても、悪い仕事をする人には誰も依頼しないのです。
どのように地味な仕事であっても、良い仕事をする人は多くの人からの依頼を受けるでしょう。
良い仕事をすれば人生は必ず豊かなものになります。
仕事とは、あなたの言動(生き方や人柄)であるということを覚えておきましょう。
経済活動のことだけではありません。
学生は学生としての仕事があります。
主婦は主婦としての仕事があります。
老人は老人としての仕事があるのです。
あなたという存在が誰かや社会や地域に貢献し、感謝されるように努めましょう。
ただし、良い仕事をするのは簡単なことではありません。
そこには、人一倍の努力と勉強と忍耐と愛情が必要であるということを覚えておきましょう。
覚悟を以て向き合わなければなりません。
良い考えを以て、良い仕事をしましょう。

2014年2月7日金曜日

豊かさの鍵

あなたは人に感謝される人にならなければなりません。
人に感謝されるということは良いことです。
それは、あなたに対する最高の報酬だからです。
感謝以上の報酬は存在しないということを覚えておきましょう。
あなたが豊かな人生を望むのであれば、人から感謝されることを目標としなければなりません。
人から感謝されるということはどういうことでしょうか?
あなたが人から感謝されるためには、その人があなたに対して感謝する必要があります。
相手があなたに感謝する状況とは、あなたによって何等かの利益が生じたという事実を得た時なのです。
利益を受け取ることなく、感謝する人はいません。
ありがたいと感じた時に人は感謝するのです。
損失をありがたいと感じる人はいません。
どのような人も利益を求めているのです。
どのような人も幸福になりたいのです。
相手を幸福にすることが必要なのです。
相手の利益を実現し、喜ばれることが重要なのです。
どのような人物も、自分にとって利益を与えてくれる人物に対しては好感を持つでしょう。
自分に対して利益をもたらす相手を蔑(ないがし)ろに扱うことはありません。
どのような人物も、自分のために利益をもたらしてくれる相手に対しては好感を持ち、そこには感謝の気持ちを持つものなのです。
ただし、感謝の気持ちを口に出して相手に伝えるのかは個人差があるでしょう。
そのような人は、心の中では好意を持つということを覚えておきましょう。
必ずしも、あなたは相手の口から感謝の言葉を聞く必要はありません。
相手がそう思えばそれだけで良いのです。
この世界には目には見えない力が複雑に作用しています。
紫外線、赤外線、超音波、低周波、磁力、電波・・・
小さいものや遠くのもの、物陰に隠れているものなど、あなたが認識することができないものを含めると、その数は計り知れません。
必ずしもあなたが認識する必要はないのです。
認識することができなくても、その事実があればそれで良いのです。
あなたは相手の気持ちを確認する必要はありません。
確認は目の前の状況に結果として現れます。
そこで確認すれば良いのです。
感謝とは、建設的なエネルギーです。
それはこの世界においては良いものです。
建設的なエネルギーがあれば、物事を展開させることができます。
一人でも多くの人に協力してもらい、支えてもらうことができるのであれば、物事は必ず展開するのです。
協力が少なかったり、支えが貧弱であるなら、物事を展開することは難しいのです。
良いものは良いのです。
あなたは他人から感謝を集めなければなりません。
相手があなたに感謝するのであれば、必ずあなたに協力し、支えてくれるのです。
豊かな人生とは、他人からの感謝の数によって決まるということを覚えておきましょう。
相手のために努めましょう。
自分のできることで良いのです。
ただし、自分のできることに手を抜いていてはなりません。
できることは一生懸命にやるのです。
手を抜いている者が他人に感謝されるでしょうか?
あなたに対して、その人がその人なりに一生懸命に頑張っていることが分かるから感謝するのです。
その人がどれだけ力があったとしても、手を抜いていることが分かれば嬉しくないものです。
その人から与えられるものが何であれ、手を抜いている仕事に対しては感謝の気持ちも生まれないでしょう。
人は感情の生き物であり、合理的な考えは苦手です。
結果が良いものよりも、気持ちが良いものを選ぶのです。
人は、人(人間性)を見ているのです。
それが何であるのか?よりも、それが誰であるのか?ということが重要であるのです。
あなたは精一杯に努めましょう。
相手が喜ぶために、自分が何をするべきなのかを考えましょう。
それは、へつらうということではありません。
相手の利益を考えるのです。
利益を得ることができると、どのような人も喜ぶのです。
あなたは人に感謝される人になりましょう。
感謝、それは豊かさの鍵です。

2014年2月6日木曜日

相応しい人

この世界には、必要なことが起ります。
あなたは人生において、自分自身にとって必要な状況を受け取っているのです。
その状況から学んでいるということを覚えておきましょう。
あなたはその学びから逃れることはできないのです。
人生のすべての事柄が、あなたにとっては適切なのです。
あなたにはそのような状況が相応しいのです。
あなたはそれを経験する必要があるのです。
あなたは自らの状況をどのように思いますか?
あなたは幸福ですか?
充実した毎日を過ごしていますか?
豊かさを感じているでしょうか?
あなたが手にしている状況は、あなたの考えていることを実現した形です。
あなたが頭の中で構想し、心の中で思い描いたことが現状という形で実現したのです。
そのため、あなたの得ている状況は、あなたに相応しく、釣り合いの取れたものであるのです。
どのような人も、人生を豊かに、幸福に生きなければなりません。
誰もが楽しく生きる必要があるのです。
あなたは人生を豊かに、幸福なものにしなければならないのです。
そのためには、豊かさや幸福を実現するための考え方と生き方をしなければならないのです。
あなたは常に豊かさや幸福を目指す選択をしなければならないということを覚えておきましょう。
そこでどのような考え方をするのか?ということが重要なのです。
人生には思いがけない状況というものが訪れます。
失敗を重ねることや、上手くいかない状況、苦手な人に出会うこともあるでしょう。
すべての事柄が自分自身にとって有利なはずはなく、それは困難として目の前に現れるでしょう。
しかしながら、あなたがどのように考えようと、すべての事柄は自分にとって必要なことであり、相応しいものであるのです。
自分にとって必要なことや相応しいものに対して不満を持つのであれば、あなたは必要と相応しさを手にすることはできません。
不要や相応しくないものを手に入れても、それらに使い道はないのです。
あなたが山奥で静かに暮らすことが幸福であると考えているのに、大都会で大金持ちになっても仕方ないのです。
大切なのは、今の自分自身にとっての必要と相応しさを受け入れるということです。
状況とは、地面のようなものです。
それをしっかりと踏み締めることができなければ、次の一歩は踏み出せないのです。
踏み出した足が地面を捉える前に次の足を出すことはできません。
仮にそのようにすれば倒れてしまうでしょう。
次の足が泥濘(ぬかるみ)に出されようとも、あなたはそれをしっかりと踏み締めなければなりません。
どのような場所であれ、それを足で捉えることがなければ、次の足は出せないのです。
目の前の状況を拒絶するのは愚かなことです。
泥濘に汚れるのが足だけで済むなら、それに越したことはないのです。
人生は常に進み続けています。
あなたは歩き続けているのです。
出した足を躊躇(ちゅうちょ)しようとも、体(たい)は前方に傾いているのです。
足を出さなければ、全身が泥に塗れてしまうでしょう。
状況を潔(いさぎよ)く受け入れる人は、足だけの汚れで済みます。
それは賢い方法です。
あなたがどのような状況を得ようとも、それは今の自分にとって相応しいものであると理解し、素早く受け入れましょう。
受け入れるのが遅くなれば苦しむだけです。
あなたにはそれを避ける術はありません。
なぜなら、それは自分自身の考え方や生き方が招いた当然の結果であるからです。
あなたに原因があるのに、どうやって逃げ切るのでしょう?
無理なことは無理なのです。
この世界には避けられないこともあるのです。
浅知恵によってよからぬことを企んではなりません。
企みは更なる泥濘となり、あなたを汚すでしょう。
受け入れましょう。
すべてが自分にとって必要であり、自分にとって相応しいということを受け入れるのです。
あなたは豊かな人生、幸福な人生に相応しい人物とはどのようなものであるのかを考えなければなりません。
あなたが思い描いている自分の姿がそれに相応しいですか?
もしも、それと違っているのであれば、考え方と生き方を改めなければならないでしょう。

2014年2月5日水曜日

幸福の管理者

すべての事柄には意味があります。
この世界に存在しているものは必要なものなのです。
不要なものがこの世界に存在する理由がないのです。
どのようなものも意味があり、必要性があるために存在しているということを覚えておきましょう。
この世界に無意味のものは存在しません。
不要なものもないのです。
すべてに意味があり、必要性があるのです。
あなたが受け取るすべての状況には、あなたに対しての必要性と大切な意味が存在しています。
あなたが受け取る状況は、あなたにとって必要なものであり、大切なものであるのです。
人生は人格を高める場所です。
すべての存在が向上を目的として存在しています。
あなたの人生の目的として、自分自身の向上というものがあるのです。
人は未熟です。
未熟な者は学ばなければなりません。
未熟者は失敗から学ぶ必要があるということを覚えておきましょう。
失敗こそが、成功を導くのです。
失敗に対して工夫することがなければ、成功を実現することはできないのです。
初めから成功する方法を理解している人はいないのです。
失敗の繰り返しが成功する方法をもたらすのです。
あなたが問題や苦しみだと感じている状況は、あなたの失敗です。
それを問題だと考え、苦しみだと感じているその方法(価値観)が失敗であるというのです。
問題と苦しみを取り除くためには、それを問題だと考え、苦しみだと感じる方法をやめなければならないのです。
あなたがそのように捉えなければ、それは違う結果をもたらすのです。
あなたがそのように考え、そのように行動するから、そのような結果が導かれているだけなのです。
あなたがそれを問題だと考え、苦しみだと感じるのは、その事柄に対して意味がないと捉えているからなのです。
それが自分自身にとって必要ではないと考え、否定している状態なのです。
意味がないと考え、必要ではないと思っているものを学ぼうとする人はいません。
学ぶ必要がないと考えているのであれば、それを学ぼうとは思わないのです。
そのような思考の人は、問題や苦しみから逃れることばかり考えています。
それは不満となり、不安となるのです。
問題や苦しみに対して破滅的な方法を用いる人は、ネガティブな発想をするということを覚えておきましょう。
不満や不安をどれだけ嘆(なげ)いても、状況が好転することはありません。
嘆くだけでは何一つ良いことはないのです。
嘆いている間にも手の施しようがないほどに状況は悪化してしまうのです。
あなたがどのような状況を受け取ることになったとしても、それを否定したり、嘆いてはならないでしょう。
あなたが受け取る状況には、あなたにとっての大切な意味と必要性が存在しているのです。
問題や苦しみはあなたに対する人生からの大切なメッセージであるということを覚えておきましょう。
自分自身の方法が間違っていたから問題や苦しみが発生したのです。
あなたが上手くやっていたなら、そこに問題や苦しみが発生することはなかったのです。
問題や苦しみという状況は、あなたにより良い方法を示唆(しさ)しているのです。
問題や苦しみを嫌う気持ちは分かりますが、大切なメッセージを蔑(ないがし)ろにする者に成功は与えられないのです。
すべての事柄に何等かの必要性があるということを理解し、その意味を考えなければなりません。
問題や苦しみは、人生があなたに対して差し出した援助であるのです。
あなたを助けようとしている人の話は聞かなければならないのです。
あなたは人生の声を聞きましょう。
人生は状況という形であなたに大切なメッセージを送り続けています。
そのことに気が付きましょう。
目の前の状況がどのようなものであろうとも、それを蔑ろにしてはなりません。
すべてに意味と必要性が存在しているということを考えている人は、それがどのような状況であろうとも、それを大切にすることができるでしょう。
一つのことを大切にすることができる人は、二つのことも大切にできます。
小さなことを大切にすることができる人は、大きなことも大切にすることができるのです。
目の前の状況に対して、不満や不安を嘆いている人には、それ以上の幸福を任せることはできないのです。
幸福は、幸福を大切に管理することができる人にだけ任せられます。
不幸を管理する人には不幸が与えられるのです。
そのような人は、より多くの不幸を管理するでしょう。
あなたはどのような状況にも幸福を考えましょう。
幸福を管理することに長けていれば、更なる幸福の管理が任されるでしょう。

2014年2月4日火曜日

問題を引き起こす原因

問題が発生し、行き詰まるということは、状況に対しての方法が間違っているということを理解しましょう。
あなたの考え方、捉え方、やり方・・・
あなたの方法が状況に対して間違っているから、そこに問題が生じるのです。
問題を解決するためには、自分自身の方法を改善する必要があるのです。
方法を変えないのに状況が変わる訳がないのです。
同じことを繰り返していたとしても、変化がないことは明白です。
同じことを繰り返しても問題が解決することなどないということは、誰にでも理解することができることでしょう。
しかしながら、多くの人は自分の方法が間違っているということに気が付いていません。
そのような人の口を衝いて出る言葉は、「相手が悪い」「自分は悪くない」というものでしょう。
残念ながら、相手が悪いということはありません。
悪いのは自分の方法であるのです。
あなたの考え方、捉え方、やり方・・・
過去に遡(さかのぼ)って考えましょう。
それらを改善することがなければ何も変わりはしないのです。
相手に変わってもらおうとしても無駄です。
それは、相手はそれが最善だと思っているからです。
相手はそれが正しいと信じてやっているのです。
それを「あなたは間違っている」と批判するのは傲慢(ごうまん)であるのです。
そのような傲慢で柔軟性や謙虚さの欠片も無い人間が、どうやって問題を解決するというのでしょう。
知恵がなければ問題を解決することなどできないのです。
知恵とは、物事をより良く考えるということです。
物事の可能性を見極めるのが知恵の力です。
知恵のある者は可能性を見付けるのです。
可能性を見極めることができる者に問題はありません。
問題を抱えるというのは、可能性が絶たれているという状態だからです。
知恵を付けるためには、物事に対してどれだけ柔軟に考えられるのか?ということでしょう。
「相手が悪い」「自分は悪くない」という頑(かたくな)な考えの人間には、物事に対して柔軟な考えができる訳がないのです。
自らの方法の間違いに気が付き、自らを反省し、それを惜しげも無く改善する人間だけが、問題を問題としないのです。
いつまでも同じ問題に対して向き合っていてはなりません。
問題は素早く解決し、先へと進まなければならないのです。
問題が発生したら、あなたはすぐに新たな方法を探しましょう。
問題が発生したら、新しい生き方を探すのです。
使い物にならなくなったものに執着してはなりません。
使い物にならないものは、持っていても使わないのです。
使える物だけを持っていれば良いのです。
使い物にならない物は問題を引き起こす原因であるのです。
そのようなものを大事に持っておく必要などないのです。
今すぐ行動しましょう。
この世界は行動することがなければ何も変わりません。
誰かや何かに頼る人がいますが、自分以外の存在はそれが何であろうとも、あなたの行動の補助にしかならないのです。
主体は常にあなたの行動にあるのです。
あなたが行動することがなければ、どのような補助も意味がありません。
自分を救うのは自分自身であるということを覚えておきましょう。
自ら新しい方法、新しい生き方をしない限りは、何も変わらないということを覚えておきましょう。
文句を言っても何も変わりません。
毒を吐くほど苦しむのは自分自身であるということを覚えておきましょう。
毒を吐くのは迷惑です。
自分では他人に迷惑を掛けてはいけないと言っているのに、他人に迷惑を掛けてはなりません。
あなたは常に自らを反省し、新しい方法を探しましょう。
誰かや何かのせいにしてはなりません。
問題が生じるのは、自分の仕方なのです。
状況を悪い方へと運んではなりません。
状況は良い方に運ぶのです。
文句を言うのが良い方法だと思うならそのようにしましょう。
どうにもならなくなった時には、どのように強情な人間も反省に至るでしょう。

2014年2月3日月曜日

これで良い

人生は学びの場所です。
あなたは人生に学んでいます。
人生から学び、自分自身の人格の成長を実現しているのです。
あなたは成長しなければなりません。
あなたの人生の目的は成長にあるということを覚えておきましょう。
人が成長しなければならないことは明白です。
あなたがどのような考えを持っていようとも、成長することがなければ苦しむのは自分自身であるのです。
あなたが成長しなくても良いと考えていても、その他の人たちはそうは考えていません。
すべての人、生物がより良い自分を望み、日々成長を探しているのです。
あなたが成長するのが嫌だとというのであれば、あなたが周りから遅れを取るだけなのです。
あなたが豊かな人生を手にするためには、この競争に勝たなければならないということを覚えておきましょう。
この世界のルールに逆らって豊かさを得ることはできません。
あなたの力は小さなものです。
ルールを無視することはできないのです。
法律が気に食わないとそれを犯せば、あなたは自由を失うでしょう。
あなたはルールには勝らないのです。
ルールと上手く付き合わなければなりません。
ルールの範囲内で豊かさを得る道を探さなければならないのです。
人生は人格の成長を求められる場所です。
そのようなルールが存在しています。
あなたはそのルールに従って成長しなければなりません。
あなたが成長するためには、人格が高まることが求められます。
人格が高まるためには、より良い人間に成ることが求められるのです。
より良い人間とは、より愛情深い人間のことです。
愛の深まりが成長であるということを覚えておきましょう。
あなたが愛情深くなることが成長するということなのです。
愛情が乏しければ、それは人格の停滞を引き起こすのです。
成長することがなければ周囲に取り残され、この競争に勝ることはできません。
それは乏しさを得るということなのです。
あなたは成長しなければなりません。
愛情を育まなければなりません。
愛情を育むために、すべてのものを「良く言う」ということを実践しましょう。
対象を「良く言う」ことによって愛情は育まれます。
「良く言う」ことは、良く思うという心境を築きます。
良く思うことに対しては、自然と愛情が深まるのです。
物事を悪く言う人がいます。
その人は、それを悪く思っているのです。
悪く思っているものに愛情はないでしょう。
愛情がなければ育ちません。
使わなければ錆び付きます。
愛情を多く使う人は、愛情が育まれ深まるのです。
あなたは自分自身のこと、他人のこと、状況のこと、環境のこと、所有物のこと、人生のこと・・・
あなたに関わるすべてのことに対して、それを「良く言う」ように努めなければなりません。
それがどのようなものであるにしても、それを悪く言ってはなりません。
悪く言えば、それだけで気分が害されます。
気分が良くないのに、どうやって愛情が深まるのでしょうか?
気分が良くない人が愛を持っているでしょうか?
すべてはあなたにとって必要であり、大切なことです。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
他人と自分を比べる必要はありません。
他人は他人の学びの中にあり、あなたはあなたの学びの中にあるのです。
それらを比較しても何の価値もないのです。
あなたは自分の事柄について、それを良く言いましょう。
不満や文句は自分の所有物を非難するのと同じです。
それでは愛情は育まれません。
そこに成長はないのです。
どのようなものを得ようとも、それに満足を覚えましょう。
それに満足することができない者に、それ以上のものは与えられないでしょう。
あなたが現状を良く思うことができれば、より良い状況が手に入るでしょう。

2014年2月2日日曜日

人間関係

人は人間関係の中に人生を築きます。
どのような人物も人間関係を無視することはできません。
人は人と関わり合って生きていかなければならないのです。
すべての人が他人との間に繋がりを持つのです。
あなたは人間関係の重要性を理解しなければなりません。
人間関係とは、あなたの食事のようなものです。
あなたはそれを拒絶することはできません。
あなたが生きていくためには食事をしなければならないように、あなたが人生を進むためには人間関係を築かなければならないのです。
良い食事を摂れば、健康が実現します。
悪い食事を摂れば、病気が実現するのです。
これと同じように、人間関係にも良いものと悪いものが存在しているのです。
良い人間関係を構築すれば、人生は豊かなものとなります。
良い人間関係とは、互いに思いやりを以て理解が深まり、尊敬し合って支え合えるものをいいます。
良い人間関係を構築すれば、あなたは幸福と豊かさを実現するでしょう。
それは、あなたの夢や理想に対して、あなたと繋がる人たちが協力し、その実現に尽力してくれるからです。
人は独りでは豊かさを実現することはできません。
更には、独りでは生きていくこともできないのです。
あなたは他人と協力して豊かな人生を築きましょう。
あなたは尊敬することができる人たちとの間に絆を結ばなければなりません。
信用することができないような人との間に絆を結んではなりません。
悪い人間関係とは、互いに不満や不安を以て疑心が深まり、軽蔑し合って争うものをいいます。
悪い人間関係を構築すれば、あなたは不幸と貧しさを実現するのです。
あなたの苦しみをあなたと繋がる人たちが協力し、その実現に尽力するのです。
そのような状況であっては、どのように幸福を求めても実現することはないのです。
あなたは現在の周囲にいる人たちがすべてだと考えてはいませんか?
あなたの知らない人がどれだけいますか?
自分の知っている小さな関係の中にいる人たちがすべてだと考えてはなりません。
あなたの人間関係は無限に広げることができるのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
その人が気に食わないのであれば、その人と関わり合いにならなければ良いのです。
その人とどうしても関わらなければならないというのであれば、考え方を変えるしかありません。
相手が変わることは決してありません。
人は常に自分自身を変えるしかないのです。
動物は自らにとって有益な環境へと向かいます。
その場所に食べ物が無ければ、違う場所へと向かうのです。
人間関係とは食べ物のようなものです。
どれだけ努力してもその人との間に良い人間関係が結べないというのであれば、その人と付き合うことを止めれば良いのです。
無理して付き合っても良いことなどないのです。
それは、お互いのためです。
あなたが相手を嫌っているのであれば、相手も嫌っていることでしょう。
互いが嫌い合っているのであれば、それは悪い人間関係なのです。
不満や不安になり、疑心を育てているのに、良い結果を得ることなど有り得ないのです。
疑心の種からは、疑心の果実が実るのです。
信頼の種からは、信頼の果実が実るようになっているのです。
良い人間関係がなければ、幸福と豊かな人生など実現しないのです。
食べることを止めることはできません。
何も食べずに生きている人などいないのです。
食べるのであれば体に良いものを食べなければなりません。
病気になってからでは遅いのです。
病気になってからも同じ食生活をしているのであれば、病気は悪化して苦しみは増えるでしょう。
互いに心地の好い人と付き合いましょう。
人を嫌えと言うのではありません。
人にはそれぞれの考え方があり、それぞれに違う価値観を持っているのです。
衝突するよりは協力する方が有意義だということです。
この世には、合う合わないがあるのです。
覚えておきましょう。

2014年2月1日土曜日

人は豊かな人生を生きなければなりません。
すべての人は幸福を得るために生きているのです。
人によって豊かな人生、幸福というものの姿は違いますが、あなたは自分の思う豊かな人生と幸福を実現しなければならないのです。
あなたは豊かな人生に幸福を感じながら生きる必要があります。
それが人生の目的でもあるのです。
すべての人は(自分にとっての)豊かな人生と幸福を実現しなければならないということを理解しましょう。
豊かさと幸福を実現するためには、あなたの状態が充実していなければなりません。
健康、心境、仕事、家庭、人間関係・・・
あなたの所有するものの状態が空虚なものであるのならば、あなたが人生の豊かさや幸福を得ることはできないのです。
どのように豊かな人生と幸福を求めていたとしても、それでは叶わないのです。
基礎が強固なものでなければ、建造は成り立たないのです。
あなたの所有する状態が充実していなければ、そこに何を建てようともすぐに崩れ去ってしまうのです。
砂の上に城を築くことはできます。
しかしながら、それが安泰であることはないでしょう。
風雨に晒(さら)された時には、脆(もろ)くも崩れ去ってしまうでしょう。
あなたの基礎とは、あなた自身のことを指します。
あなたとは考え方と肉体です。
あなたは考え方と肉体によって構成されているのです。
どのような状況や環境を得ようとも、考え方と肉体が充実していないのであれば、そこに豊かさや幸福を実現することはできないのです。
砂の上に城を築くように、完成はすれど長持ちはしません。
あなたの考え方や肉体が充実していないのであれば、何を得ても失うということを覚えておかなければならないでしょう。
後世に城を残したいのであれば、先ずは強固な基礎を築くべきです。
あなたが豊かな人生と幸福を求めているのであれば、充実した考え方と肉体を準備する必要があるのです。
充実した考え方とは、良い考え方のことです。
それは他人に優しく、愛情深いものです。
物事に対して肯定的であり、可能性を見出し、諦めを知らない力強いものです。
そのような考え方によっては、どのような状況からでも必ず良い結果が導き出されるのです。
充実した肉体とは、健康な肉体です。
生活習慣が乱れているのであれば、健康な肉体を維持することはできません。
余計なものをぶら下げて、体力や免疫力もない肉体であるのならば、良い結果は導き出されないのです。
暴飲暴食であり、運動不足な肉体が、どうやって病を避けるのでしょう?
病に犯されて豊かな人生を生きる人はいません。
病に犯されて幸福を得る人はいません。
そのように思い込むことはできますが、それ等に関わりのない方が豊かで幸福であることが本音でしょう。
病を道連れにしたい人などいないのです。
誰もが健康が良いのです。
体内の毒を取り除かないで健康に成りたいと願っても、それが叶うことはないのです。
健康に成りたいのであれば、まずは体内の毒を取り除かなければならないのです。
体内の毒を取り除くためには、毒を入れないことです。
幸福になりたければ、考え方の中から、不安や不満などのネガティブな働きを取り除かなければならないのです。
ネガティブな思考を手放しもしないで、幸福を目指してもだめなのです。
乱れた考え方と生活(肉体)によっては、豊かな人生と幸福は得られません。
あなたは客観性を持たなければなりません。
あなたが病気であるのならば、生活習慣を改善する必要があるのです。
あなたが不幸を感じているであれば、その時点で見識(考え方)が間違っているのです。
すべての出来事は(あなたにとって)必要なものです。
すべてに(あなたにとっての)大切な意味があるのです。
苦しいことや辛いことをネガティブに考え、ネガティブに行うのであれば、いつまで経ってもそこに存在する必要性と大切な意味を理解することができていないのです。
そのような状態では、豊かな人生と幸福を実現することはできないのです。
当たり前のように不安を口にしてはなりません。
当たり前のように不満を訴えてはなりません。
当たり前のように食欲のままに食べてはなりません。
当たり前のように怠けていてはなりません。
当たり前のように考え方や肉体に毒を与えてはなりません。
毒が取り除かれてようやくゼロ地点であるのです。
プラスにしていくためには、マイナスに働く作用を取り除かなければならないのです。
破滅的な考え方や習慣があるのならば、それを取り除きましょう。
毒を飲んで健康になる人はいないのです。
ネガティブな考え方や習慣に気を付けましょう。