あなたは自らの傲慢(ごうまん)に気を付けなければなりません。
傲慢とは思い上がりです。
あなたは自らが驕(おご)り高ぶらないように注意しなければならないのです。
強過ぎる自我によって思い上がる人を、苦しみが制するでしょう。
人はこの人生に学んでいるのです。
自らの人格を高めるために生きているのです。
精神の向上こそが最も重要であるということを理解しなければならないのです。
何かを多く持っているからといって、思い上がっているのであれば、それら以上のものを失うはめになるでしょう。
自らの立場を弁(わきま)えず、思い上がっているのであれば、あなたよりも立場が上の存在によって打ちのめされるのです。
人は謙虚でなければなりません。
人は高まる程に低くなるものだということを覚えておきましょう。
人はその人格が高まる程に貢献するということを理解しましょう。
貢献するということは、自分以外の存在の僕(しもべ)になるということです。
人格が高まる程、人は自分以外の存在に仕えるようになるということを理解しましょう。
自分のためだけに生きている人、自分のためにしか生きることができない人、このような人に豊かな人生は約束されません。
豊かな人生を生きる人程、多くの自分以外の存在のために生きているのです。
あなたが自分以外のことによって時間と力を割かれる程、人格が高まっているということを理解しましょう。
人格が高まれば、利用価値が増えます。
人格が高まれば、多くの「仕事(使命)」が任せられるのです。
人格者は多くの人を助けるでしょう。
あなたは多くの人を助けることができるような人になることを目指さなければなりません。
しかしながら、傲慢な者にはそれが難しいのです。
傲慢な者は自分を中心に物事を思考するため、客観性や多角的な視野を持つことができません。
主観的に生きる人は他人に対して貢献することは難しいのです。
それは、他人に貢献するということは、他人のことを我が事柄として考えなければならないからです。
自分が正しいとしか考えない人は、他人の主張を認めることはないでしょう。
他人の主張を認めることができないのに、どうやって他人を助けるというのでしょう?
相手に対する理解を持たない者が、その人を助けることはできません。
自分に対して何の理解も持たない人があなたを助けたいと主張したところで、あなたはその話を信じることはできないでしょう。
あなたはその人を疑うでしょう。
大切なのは、それぞれの正義が存在しているということです。
大切なのは、すべてが必要であり、大切な意味を持ち、相応しいということです。
どのような主義主張や状況も、自分や他人にとっては相応しいのです。
すべてが正解なのです。
何かが間違っているということはありません。
傲慢な者は、自分が正しいと考えているため、他人の相応しさを否定します。
相手にとってはそうなのだから、それで良いのです。
あなたは無理矢理に相手の正義をねじ曲げてはなりません。
あなたにとっては相応しくないと思えることでも、相手にとっては相応しいのです。
あなたは自らの主義主張を他人にまで押し付けてはなりません。
あなたは自分が正しいと考えることから、目の前に存在しているものを排除してはなりません。
目の前に山があれば避けて通るでしょう?
それと同じように、どのようなものが目の前に存在していたとしても、あなたはそれを無闇に蹴散らしてはならないのです。
あなたよりも小さなものが存在します。
しかしながら、あなたはそれを山にするように避けて通るようにしましょう。
蟻の列が邪魔だからと言って蹴散らしてはなりません。
蟻は小さな生き物であるかもしれませんが、蟻が存在しなければ、巡り巡って困るのはあなたであるのです。
どのような小さなこともあなたは自分自身に関係しているということを覚えておきましょう。
それが小さく見えるものであっても油断してはなりません。
あなたが驕り高ぶるのであれば、人生は必ずあなたに対してその間違った方法を正すために苦しみを導くからです。
果実が大きく実れば、どのような枝葉もしなう(たわむ)ということを覚えておきましょう。
人格が高まる程に人は謙虚になるものなのです。
あなたが自己中心的な考えによって傲慢であるのならば、それは乏しい道のりであるということを理解しましょう。
あなたは人が何のために生きているのかを考えなければならないでしょう。
そうすれば、謙虚でいられるでしょう。
多くの存在の僕であれ。
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