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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2014年7月31日木曜日

余裕のある心

余裕を以て生きることです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、精神的な余裕が必要不可欠であるのです。
心が穏やかでなければ、どのように努めても豊かな人生を得ることはできないのです。
すべてはあなたの心から導かれます。
他人や環境などは関係ないのです。
そのことに気が付かなければなりません。
他人や環境が悪いと考えるのであれば、それは見当違いなのです。
間違った原因を正そうとすれば、より間違った原因を増やすことになるのです。
間違った原因は間違った結果、即(すなわ)ち、乏しさと苦しみを導くのです。
間違っているのであれば、乏しさと苦しみを得るのは当然のことなのです。
あなたは間違わないようにしなければなりません。
あなたのどのような行動も、それは心から生じているのです。
あなたが思い、考えることが行動として実現します。
そして、その行動が次の状況を導いているのです。
あなたは心を正さなければならないのです。
他人や環境を正そうとしても無駄です。
他人や環境があなたの言葉に従うことはないからです。
あなたがいくら言っても聞き入れないのです。
他人や環境を変えることはできません。
あなたは肉親の人生観すら変えることはできません。
雨が降ってきても、それを止ますことすらできないのです。
あなたは他人や環境に対して無力であるということを覚えておきましょう。
あなたは自分自身の状態を省みて、それを正さなければならないのです。
すべての行動が心より生じるのであるから、余裕のある心からは、余裕のある行動が生じます。
余裕のある行動は物事を上手く進めるのに有効です。
余裕があるために、良い案が浮かぶのです。
余裕の無い心からは、余裕の無い行動が生じます。
余裕の無い行動は物事が上手く進むのを乱します。
余裕が無いために、焦りを覚え、付け焼き刃の方法によって状況を悪化させるのです。
余裕の無い心では、どのように努めても決して豊かにさには辿り着けないのです。
焦っている人、怒っている人、不安を抱いている人、悲観している人・・・
このような状態の人に何ができるというのでしょう?
そのような状態の人がやることと言えば、問題を生み出すことくらいなのです。
余裕を以て生きるということは、豊かな人生を生きる上ではとても大切なことであると覚えておきましょう。
人生には様々な苦しみがあります。
しかし、そのような状態にこそ、余裕が必要であるのです。
焦りは良い結果を導きません。
浅はかな考えでは、豊かさを得ることはできないのです。
多くの人は深く考えません。
そのため、問題が生じると焦ります。
そして、心を乱し、行動を乱すのです。
その結果として、問題の悪化と苦悩を得ることになるのです。
あなたはどのような状況においても、余裕を忘れてはなりません。
不安になる気持ちを宥(なだ)めましょう。
すべてがあなたにとって必要であり、大切な意味を持つ学びです。
すべてがあなたに相応しいのです。
あなたにとっての不幸は存在しません。
あなたが勝手に不幸だと思い込んでいるだけなのです。
問題を前にしても、その心を乱してはなりません。
どのようなことと対峙しても冷静さを忘れてはなりまんせん。
人生はあらゆる方法を用いてあなたの心を乱してきます。
それは、あなたが豊かな人生に耐え得る精神の持ち主であるのか?ということを試しているのです。
揺さぶりをかけて乱れる者は、豊かな状況に耐えることはできません。
豊かさを維持するということは努力がいるからです。
簡単であるのならば、誰もが豊かに生きているのです。
しかし、多くの人は苦悩を抱えながら乏しさの中に生きています。
それは、豊かさには努力が必要であるということを現しているのです。
あなたは余裕を以て生きるように努めましょう。
心を乱してはなりません。
焦ってはなりません。
焦る必要はありません。

2014年7月30日水曜日

オーダーメード

すべてが相応しいのです。
すべてが必要によって満たされています。
あなたは自らの抱える状況が自分自身に相応しいということを知っておきましょう。
それがどのような状況であろうともあなたに相応しいのです。
そして、それは最善であり、最適であるのです。
すべての状況が、あなたに相応しい形で導かれます。
あなたに合わせて、状況が実現しているのです。
得られる状況のすべてが、あなたのために準備された誂(あつら)え品であるのです。
あなたに相応しくなければ得られません。
それがどのような状況であっても、あなたに相応しいのです。
これは何度も言わなければなりません。
何度言っても、あなたはこのことを受け入れることが難しいからです。
多くの人は自らを正当化します。
そのため、すべての状況が自らに相応しいということを受け入れられずにいるのです。
自分にとって有利なものは受け入れますが、不利なものは受け入れることができずに拒絶してしまうのです。
あなたを基準として人生は導かれます。
あなたが仕事を全うすることができるようにしているのです。
人生は必要を満たさなければなりません。
それが仕事です。
そのため、必要を満たすために最適な人物を探し続けます。
最適な人物を使って、必要を実現するのです。
それがどのようなことであっても、起こることのすべてが必要であるのです。
あなたに有利であるのか?不利であるのか?ということは関係ありません。
不利な状況を得なければならないという必要があれば、あなたに不利に働かなければならないのです。
必要とは、あなたが成長するための原因なのです。
人生はあなたの成長を望んでいます。
あなたの成長のために、人生は必要を満たし続けるのです。
あなたがどのような状況を得ようとも、それはあなたの状態を見て、必要だという判断があったのです。
あなたの成長を妨げようなどという意図は存在しません。
それがどのような苦しみであったとしても、必要であるということなのです。
しかし、あなたはこのことを理解しません。
そのため、何度も言うのです。
あなたが豊かさに相応しければ、あなたは豊かな状況を得ます。
あなたが乏しさに相応しければ、あなたは乏しい状況を得るのです。
誰かや何かのせいではありません。
あなたの状態に原因があるのです。
あなたの状態とは、その考え方と生き方です。
あなたの人格という内的原因に対して、状況という結果が導かれるのです。
あなたがやらなければならないことは、常に自らを磨くということです。
どのような状況に対しても、決して心を乱して歪めてはなりません。
すべてがあなたの成長のために存在しているのです。
間違えてはなりません。
不満や不安の感情から離れることができれば、あなたはわたしの言っていることの意味を理解するはずです。
過ぎたことを考える時には冷静です。
その時には、過去は宝になっているはずです。
あなたが過去を宝だと思えないのであれば、未だに心が乱れて冷静ではないのです。
乱れた心は必ず歪みます。
歪んだ心からは、破滅的な感情しか生まれません。
破滅的な感情は苦しみを導きます。
歪んだ心の持ち主には、歪んだ状況が相応しいのです。
身体に合わせてスーツを仕立てるのと同じです。
歪んだ心の持ち主は、歪んだ状況を実現することができるでしょう。
それは、歪んだ状況を実現するという仕事であるのです。
人が苦しみを得なければならないのは、その苦しみに対して自らを反省し、より成長するためなのです。
すべては成長のために存在します。
苦しみでさえ、成長を目指しているのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
そういう意味で、すべてが相応しいのです。
無駄なことはありません。
常に自分自身を磨きましょう。
すべてがオーダーメードであるということを覚えておきましょう。

2014年7月29日火曜日

光の子

光の子よ、あなたは自らが光であるということを忘れてはなりません。
あなたは光に満ち、輝ける存在なのです。
あなたは光によって輝いていなければなりません。
光り輝くことによって、人生を照らし、大切な仲間をも照らさなければならないのです。
光を失えば迷います。
光を失えば悩みます。
光を失えば苦しむのです。
人は光を失ってはなりません。
光がなければ、何も見えないのです。
苦悩の内に生きる人がいます。
そのような人の心は暗闇に覆われています。
光が無いから喜びが見えないのです。
光に照らされているのであれば、それがどのようなものであるのかを知ることができます。
闇の中にあれば、知っているものでも知らないものになるのです。
あなたは光によって照らさなければなりません。
光に照らし、その正体を知るのです。
光に照らされれば、この世のすべての事柄の意味が分かります。
その問題や苦しみがどのようなものであり、どのような意味を持っているのか?ということが分かるのです。
問題や苦しみの正体を知れば、それに対して苦悩する必要はないのです。
苦悩する必要がなければ、そこに残るのは幸福であるのです。
光によって照らされるのであれば、そこには幸福が存在しているということが理解できるのです。
あなたは光を用いましょう。
光とは感謝です。
光とは楽しみです。
光とは思いやりです。
光とは愛なのです。
どのような状況に対しても光を用いるのです。
苦しいことや辛いことはたくさんあります。
しかし、それを光によって照らすのであれば、ただの苦しみや辛さではなくなるのです。
苦しいことから学び、辛いことから成長することができるのです。
光を用いない人にはこのことが分かりません。
闇を眺めている人には、何も見えないのです。
光によって照らせば、恐怖は直ちに消え去るのです。
それがどのようなものであっても、暗闇の中にあるなら、それだけで人は恐怖を覚えます。
しかし、それが光によって照らされるのであれば、安心するのです。
光があるのか?無いのか?ただこれだけの違いによって、結果は大きく違うものになるのです。
あなたは光の子です。
あなたの心、魂は光であるのです。
あなたは自らが光であり、光によってすべてを照らす存在だということを覚えておきましょう。
光の子であるあなたは、その心を磨き続けなければなりません。
どのような道具も使うほどに汚れるのです。
あなたは常に心を使っています。
そして、苦しみや問題に出会うと、苦悩を得ます。
ネガティブで破滅的に思うと、それによって心は汚れるのです。
心を磨くためには、どのような状況であっても、それをポジティブに建設的に捉えなければならないのです。
多くの人は簡単に不満や不安を口にします。
しかし、それは心を汚す行為であるのです。
不満や不安を思うのであれば、心は闇に覆われます。
あなたは心を汚す行為に注意しなければなりません。
光の子よ、あなたは自らが光であるということを忘れてはなりません。
そして、あなた以外のすべての存在が、あなたと同じく光の子であるということも覚えておきましょう。
どのような人や命、物や状況にも、光が溢れています。
どのような苦しみにも光が溢れているのです。
心を汚してはなりません。
闇は心の中にのみ存在します。
心が光に満ちれば、苦しみは無くなるのです。

2014年7月28日月曜日

愛がなければ

愛がなければ、どのようなことも上手くは進みません。
愛がなければ、すべてのことは苦しみへと向かうのです。
愛がなければなりません。
何事に対しても愛が重要であるのです。
あなたは、どのような状況においても愛がなければならないということを覚えておきましょう。
愛を見失えば必ず間違えます。
すべての答えが愛によって示されるからです。
愛を用いずに上手くいくことなど存在しないのです。
愛がなければ、すべてが乏しさと苦しみに向かって進むのです。
豊かさや幸福は愛によって成り立ちます。
豊かさや幸福の本質は愛であるのです。
どのような方法を用いても、愛がなければ豊かさや幸福を実現することはできないのです。
あなたは愛が必要であるということを覚えておきましょう。
愛を見失えば、あなたは敵を作ります。
どのような相手も決して敵ではないのです。
愛を見失った者には、それが敵に見えるのです。
敵として扱えば、恐怖や怒りによって争いが生まれます。
争うことで豊かさや幸福が得られるでしょうか?
争うことによっては、乏しさと苦しみが得られるということを覚えておかなければならないのです。
未だ嘗(かつ)て、争いによって豊かさや幸福を得た人はいません。
自分勝手に豊かさや幸福を得たと思い込むことはできます。
しかし、自分勝手に豊かさや幸福だと思っていたものが後に、もしくは死後には乏しさや苦しみであったと理解することになるのです。
自らの行いから生じる結果を拒絶することは許されません。
どのような人も、自らの行いによって生じる当然の結果を受け取ることになるのです。
愛を見失うことによって、それを敵と見なし、争って傷付け合うのであれば、どのような理由があろうとも乏しさと苦しみを受け取ることになるのです。
あなたにどのような理由があろうとも関係ないのです。
愛を見失って敵を攻めれば、その行いに相応しい結果を得るだけなのです。
愛を見失っている人が多いということを言っておきます。
恐怖から敵を作り出すのです。
「この世に敵は存在しません」
あなたはこの言葉を覚えておきましょう。
それを敵とした時点で間違えています。
それは、既に愛を見失っているからです。
それがどのような相手であろうとも、決して敵ではありません。
あなたに危害を加えるような相手であっても同じことです。
愛は相手のことを思いやる気持ちです。
相手を敵と見なし、攻撃するのであれば、愛がないことに言い逃れはできないのです。
愛とは最も優れた建設的な感情です。
あなたは愛によって許すことができます。
あなたは愛によって労ることができます。
あなたは愛によって認めることができます。
あなたは愛によって助けることができます。
あなたは愛によって守ることができます。
あなたは愛によって受け入れることができます。
あなたは愛によってのみ、状況を展開させていくことができるのです。
愛する人のすることなら、あなたは許すことができるでしょう。
それと同じ行為を愛していない人が行えば、あなたは烈火の如く怒り狂うのです。
愛とはそれ程に強い力であるということを知らなければなりません。
愛は困難を乗り越えさせ、苦しみを喜びへと変える力を持っているのです。
あなたがすべての相手を愛するのであれば、あなたの苦しみはすべて無くなるのです。
愛の存在する場所には光があります。
愛の失われた場所には闇があるのです。
どのような相手も敵としてはなりません。
愛がなければ、どのようなことも決して上手くは進まないということを覚えておきましょう。

2014年7月27日日曜日

幸福を信じる人

その人がどのような人物であるのかは、その人の行いによって知ることができます。
人は、自らの心の中に所有している思いに従って選択し、実行するからです。
人は心の中に所有する思いを隠すことはできません。
どのように狡猾(こうかつ)に隠したところで、それは自分自身の行為によって暴くからです。
人は真理に逆らうことはできません。
何を信じ、何を否定しようとも、真理に従わざるを得ません。
真理を知らなくても、真理に従わなければならないのです。
真理とはルールなのです。
どのような理由があろうとも、それに逆らうことはできないのです。
思いは露(あらわ)になります。
どのような思いも隠し通すことはできません。
どのように隠しても、いつかはそれが表立つのです。
人は心の中に所有する思いに従って行います。
それは、信じていることを実行しているのです。
人が行うことはすべて、自分が信じていることに起源しています。
それがどのような行為であったとしても、それを信じているから行うのです。
自分ではその認識がなくても、行っているのであれば信じているのです。
苦しみを嫌う人がいます。
しかし、その人は苦しみを得るのです。
それは、嫌っていながら信じているからです。
好き嫌いと信じる気持ちは関係ありません。
嫌いであっても信じるのです。
苦しみを嫌う人は、苦しみを信じています。
信じているからこそ、苦しみについて思い巡らせているのです。
幸福を信じているのであれば、幸福のことだけ考えているのです。
思考も感情も行為であるということを知りましょう。
考えていても、思っていても、それを行っていると言うのです。
苦しみを考え、思っている人は、それを信じているのだということを覚えておきましょう。
あなたは幸福を得なければなりません。
幸福を得るためには、幸福を信じていなければならないのです。
あなたはどのような状況に対しても、幸福を考え、幸福を思っていましょう。
人は信じることしか行えません。
幸福を信じることができない者は、幸福を得ることはできないのです。
人生は自分自身の行いによって築かれます。
身に覚えがなくても、行ったことは実現するのです。
悪気がなくても行ったことが評価されるのです。
あなたは幸福を信じる人でありましょう。
あなたと関わる人たちを幸福に導くことのできる人になるのです。
あなたは人生が幸福によって満たされているということを信じておきましょう。
そうでなければ、自らの人生の幸福の実行と、他人の人生の幸福を実現することはできないからです。
あなたは自らの行いを見て、自分自身が何を信じているのか?を知りましょう。
口では何とでも言えるのです。
綺麗事を吐く愚か者はいくらでもいます。
あなたは自身がそのような人物にならないように注意しなければなりません。
そして、あなたの大切な人をそのような人物にしてはならないのです。
人生は素晴らしい場所です。
すべてが必要によって満たされています。
すべてが大切な学びです。
すべてがあなたに相応しいのです。
すべての状況があなたの幸福を支えているということを信じましょう。
これを信じることができなければ、あなたは苦しみを信じてしまい、不満や不安などを行ってしまうのです。
そのような人が幸福を得ることはできないのです。
あなたは行いが人を現すということを知りましょう。
人は心の中に所有する思いに従って行います。
幸福を信じ、幸福を行うことが大切なのです。

2014年7月26日土曜日

光の天秤

実現するものには、それに相応しい原因が存在することを知りましょう。
原因がなければ、どのようなことも決して実現しません。
すべての結果には、原因が存在しているのです。
原因を持たずに得られる結果というものは存在しないのです。
あなたがどれだけ思い焦がれても、原因がなければ決して叶わないということを覚えておきましょう。
実現することはすべて、その原因によってもたらされます。
原因が真理によって導かれるのです。
あなたが必要な結果を欲するのであれば、その原因を所有する必要があるのです。
そして、真理を知る必要もあるのです。
真理の流れと、結果を生むための原因を知ることによってのみ、その願いが実現するということを覚えておきましょう。
多くの人は原因を持たずに求めています。
そして、原因を持たないために実現することのない結果に対して(人生に対して)文句を言っているのです。
人生は真理に従ってあなたの必要を満たします。
人生があなたに背くことは有り得ないのです。
どのようなことがあろうとも、真理があなたを裏切ることはありません。
あなたの原因に従って、当然の結果を導くだけなのです。
あなたはそのことを知らなければならないのです。
原因とは行動です。
あなたが行動することがなければ、原因は存在しないのです。
あなたが行動しないという選択も、それは行動しないという行動として認識されます。
そのため、何もしなければ何もしないという行動によって原因が作られ、結果が導かれるのです。
どちらにしても、結果は出るのです。
しかし、多くの人はこのシステムを知りません。
そのため、理想の結果が出ないのは自分以外の誰かや何かの邪魔が入るからだと考え、自らの原因から遠ざかり続けるのです。
原因を準備しなければ、結果が出ることは有り得ません。
自らの行為によって状況が変わるのです。
理想に対して行動しないのに、理想が実現するはずがないのです。
あなたは「光の天秤」によって正しく計られます。
あなたの行動は正しく評価されるのです。
あなたの働きに応じて、報酬が支払われます。
あなたが働きもせず、貢献もしないのであれば、それに相応しい報酬を受け取ることになります。
あなたが精一杯に働き、大いに貢献するのであれば、それに相応しい報酬を受け取ることができるのです。
自分自身の評価というものでは報酬は決まりません。
報酬を支払う立場の者が、支払う報酬を決めるのです。
人生の豊かさという報酬を支払うのは真理です。
あなたの願いとは、真理から導かれる報酬であるということを覚えておきましょう。
あなたが精一杯に働き、大いに貢献するのであれば、真理はあなたの願望の実現という報酬を与えるのです。
会社のために働かない者には、会社は給料を支払わないのです。
会社を害する者は、仕事を奪われ、追い出されるのです。
真理に従い、多くの良いことを成すなら、人は大いなる報酬を手にするでしょう。
他人や他の生き物を幸福にする者には、幸福が与えられます。
他人や他の生き物を害する者には、苦しみが与えられるのです。
報酬とは報(むく)いなのです。
原因は結果として実現するのです。
あなたの行いは真理が見守ります。
どのような小さなことも見過ごしません。
あなたの行為は、その一つ一つが完璧に記録されるのです。
言い逃れはできません。
嘘を吐いても暴かれます。
あなたが受け取っているものは、あなたの原因が導き出した現実です。
結果は原因を現しています。
結果を見て、次に生み出す原因を正しましょう。
何のために働くべきなのかを考えましょう。
どこから報酬が与えられるのかを考えなければならないのです。
真理を無視する者は許されません。
真理に従う者は豊かに生きます。
すべてが自分のせいであるということを知りましょう。
苦しまなくて良いように、他人や他の生き物に対して幸福を行いましょう。
そうすれば、次に受け取るものは幸福という名の報酬であるのです。

2014年7月25日金曜日

二つの幸福

大欲は身を滅ぼします。
あなたは大き過ぎる欲望に注意しなければなりません。
欲というものは、人が人生を豊かに生きるために必要な要素です。
欲を持たない人が豊かに生きることはありません。
欲がなければ意欲も生まれないために、誰かや何かに対する貢献を実現することができないのです。
人は誰かや何かに貢献することによって人生を豊かに築くことができるのです。
貢献することがなければ、豊かに生きることはできません。
働かない者に分け前を与えようとは思わないのです。
働くことによって恵みを受けるという行為は、誰にとっても簡単ではないからです。
誰もが一生懸命に努めることによって恵みを受けるのです。
一生懸命にやってもいないのに、恵みを横取りするような人は責められるのです。
貢献した人には、誰もが自分の分け前までも差し出すのです。
誰も、貢献した人から奪い取ろうとは考えないのです。
あなたは貢献したいという欲を持たなければなりません。
貢献することによって、多くの恵みを受けなければならないのです。
欲の使い方を間違えてはならないのです。
愚かな者は、大欲によって多くのものを求めます。
そのような者は現状に不足を感じ、不満を覚えます。
そして、その欲求に相応しくもないのに、それに手を伸ばすのです。
相応しくないもの、似付かわしくないものを所有することはできます。
罪人でも、盗みを働けば多くのものを手にすることができるのです。
しかし、相応しくないものを所有すれば、強制的に相応しい状態に引き戻されるのです。
それは、崖から滑り落ちるようなものなのです。
大欲によって現状に不足と不満を感じ、自分に相応しくないものに手を伸ばすのであれば、その罪によって裁かれるのです。
大欲によって多くのものを得たとしても、それよりも多くの大切なものを失うということを覚えておきましょう。
人は幸福になるために生きています。
人は幸福になるための欲を持たなければなりません。
それは、自分自身に対しても、自分以外の存在に対しても言えることなのです。
自分自身に対する幸福のみを考える人は、自らの欲望に溺れます。
自分以外の幸福をも考える人は、欲望に溺れることはなく、醜く歪むこともないのです。
あなたは、自分の幸福と自分以外の存在の幸福という「二つの幸福」に対する欲を持たなければならないのです。
この世界はあなたが独りで築いているのではありません。
この世界はあなた独りの力では成り立たないのです。
しかし、愚かな者はこの当たり前のことに気が付きません。
愚かに高ぶり、相応しくないものに手を伸ばすのです。
自分に対する幸福ばかりに欲を出すために歪むのです。
人は与えられるものを手にしなければなりません。
与えられないものに手を伸ばせば、それは盗みであるのです。
与えられていないものを求める大欲が身を滅ぼします。
あなたは余計に欲しがってはいませんか?
人は多く持てば良いというものではありません。
抱え切れない荷物は身を滅ぼすということを覚えておきましょう。
人は分相応に生きなければなりません。
人によって必要は違うのです。
少なく持つ必要のある人がいます。
多く持つ必要のある人がいるのです。
あなたが現状において持っている量が、今のあなたにとっては相応しいのです。
それなのに、不足を感じ、不満を覚えているようでは足ることはありません。
相応しくない者が足ることはないのです。
あなたが現状に対してどう感じていようとも、それが相応しいということを理解しましょう。
そして、その量であっても持っていることに感謝しましょう。
それよりも少なければあなたは余計に困るのです。
それだけあれば必要は満たされているのです。
満たされているのにそれ以上に求めるために、不足と不満によって苦しむということを覚えておきましょう。
ものが少ないから苦しんでいるのではないのです。
ものが少ないとしか考えられないから苦しんでいるのです。
このことに気が付かなければなりません。
あなたは二つの幸福に対する欲だけ大切にしていましょう。
余計なことを考える必要はありません。
余計だから苦しいのです。

2014年7月24日木曜日

思いのまま

人生はあなたのものです。
あなたは自分自身の人生を大切に生きなければなりません。
人生を大切に生きることができなければ、人生があなたのものであるということは実現しないのです。
自分なりに一生懸命に生きることによって、人生はあなたのものであるということが実現するのです。
精一杯に生きることがなければ、自分の人生であっても、それが自分自身のものであるということにはならないことを覚えておきましょう。
人は自分の人生を、自分自身のものであるということを実現しなければならないのです。
人それぞれに自分の人生を持っています。
人は人生に学んでいるのです。
それぞれに学びがあり、それぞれの段階があるのです。
人生は人の学びによって違いを持つのです。
あなたにはあなたの学びがあります。
他人には他人の学びがあるのです。
人は自分自身の学びを得て、必要な成長を実現しなければならないのです。
人が学びを得て、成長することがなければ、人生が自分自身のものであるということは実現しないのです。
人は自分の人生を自分自身のものとしなければならないのです。
他人を羨(うらや)む必要はありません。
他人と比べて悲観する必要もありません。
他人を見下す必要もありません。
他人と変わりたいと考える必要もありません。
あなたが自分の人生から逃れようと考えるのであれば、あなたは自分の人生を自分自身のものであるということを実現することはできないのです。
現実から目を逸らしてはなりません。
目の前の現実こそが大切な学びであるのです。
他人は他人に必要なことを学んでいます。
他人がどのような状況を得ようとも、それを学ぶ必要があるだけなのです。
あなたはあなたに必要なことを学んでいます。
あなたがどのような状況を得ようとも、それを学ぶ必要があるだけなのです。
あなたはそのことを知らなければなりません。
人生はあなたのものであるのです。
あなたは自分の人生を生きましょう。
あなたは自分自身のことを充実させておかなければならないのです。
あなたは自分自身のことを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
やらなければならないことを後回しにしてはならないのです。
しかし、自分の人生を生きるために自分自身のやるべきことを優先的にこなしても、それで自分勝手に生きて良いという訳ではないのです。
自分自身のやるべきことをこなすために、どのような方法を用いても良いという訳ではありません。
あなたが自分自身の人生を生きなければならないのと同じように、他人も自分自身の人生を生きなければならないのです。
人は誰もが自分を優先し、人生を充実させなければなりませんが、他人を蔑ろにしていては、自分自身の人生が充実するということはないのです。
他人は他人で尊重しなければなりません。
すべての人が自分の人生を自分自身のものであるということを実現させるために必死なのです。
すべての人が方法は違えど、自らの幸福のために奔走(ほんそう)しているのです。
他人は自分自身のために生きているのです。
あなたも自分自身のために生きています。
それぞれが自分自身のために生きていますが、そのために他人を害してはならないのです。
それぞれが尊重し合う必要があるのです。
他人を尊重することなく、害する者には、人生の乏しさと苦しみが付きまとうでしょう。
人生はあなたのものです。
人生が自分自身のものであるということを実現しなければなりません。
あなたは何のために生きていますか?
あなたはそれで満足ですか?
あなたは他人と比較することなく、自分自身の人生を精一杯に生きれば良いのです。
難しいことをあれこれと考える必要はありません。
あなたには、あなたの学びがあるのです。
そのことを覚えておきましょう。
あなたはあなたの学びと出会います。
現実である学びから逃れずに、真摯に向き合いましょう。
人生はあなたのものであるということを覚えておきましょう。
自分の思うように生きれば良いのです。

2014年7月23日水曜日

雇い主

あなたは自分の仕事をしなければなりません。
あなたはどのような状況においても、自分に与えられた仕事をこなすのです。
ここで言う仕事とは、社会的な意味を持つ仕事のことだけではありません。
あなたには社会的な仕事を含めた、人生の目的を果たすという意味での仕事が与えられているのです。
社会的な意味を持つ仕事でなくても、あなたがやらなければならないと感じることを仕事と呼ぶのです。
あなたの心が求めるものが、あなたの果たすべき仕事であるのです。
感情を超えた欲求があるはずです。
本能的な快楽ではなく、心の深くから導かれる欲求があるのです。
あなたはそれを知って、実行しなければならないのです。
人生には目的というものがあります。
それは、誰もが所有しているものです。
誰もが目的のために人生を生きているのです。
その目的は個々によって違いますが、その本質には心(魂)を磨き、人格(魂の格)を高めるためという目的があるのです。
誰もが自己(魂)の成長を目的として人生を生きているのです。
ただ、生活するためだけに生まれたのではありません。
苦悩を受けるために生きているのではないのです。
本能的な快楽を貪るだけでもありません。
様々な問題を通して自らを高め、より良い人生を生きて、幸福を得るために生きているのです。
人が豊かに生きるためには、責任を果たさなければなりません。
頼まれ事があるのに、怠けて責任を放棄しているのであれば、あなたはその人から責められるでしょう。
頼んだ人は、あなたに期待しているのです。
そして、あなたに褒美(ほうび)を与えようと楽しみにしているのです。
働いた者が褒美を受け取るのは当然です。
依頼した者が働いた者に対して褒美を与えるのも当然なのです。
人は「神」から「良く成れ」と言われています。
それは「神」からの頼み事なのです。
この世で褒美を与えるのは「神」以外には存在しません。
どのような豊かさも「神」を通じて実現するということを覚えておきましょう。
良く成れば、褒美が与えられるのです。
悪く成れば、責められるのです。
良く成った者には良いものが与えられます。
悪く成った者には悪いものが与えられるのです。
あなたは自らの雇い主に逆らうことはできません。
雇い主に逆らえば、あなたは職を失うのです。
働かなければ豊かさは得られません。
人からの職を失うことは大した問題ではありません。
しかし、「神」からの職を失うということは、その時点から豊かさと切り離されるのです。
「神」はあなたに「良く成れ」と言うのです。
人は良く成らなければなりません。
雇い主の意向に逆らうことのできる使用人はいません。
「神」に逆らうことのできる人は存在しないのです。
使用人でも、雇い主の目を盗んで不正を働くことはできます。
しかし、その不正は思わぬところで明るみに出ます。
しばらくは上手くいっても、決して豊かさには辿り着けないのです。
あなたは自分の仕事をしなければなりません。
どのような状況にも自らを磨き、高めなければならないのです。
仕事を怠ける者は救われません。
目的に生きることなく、だらだらと怠惰に生きているのであれば、避けようのない苦悩を受けるのです。
「神」の手から逃れることはできません。
それは、「神」がすべてと一つだからです。
あなたは自己の成長に努めましょう。
少しでも良いのです。
心の深くから生じる欲求に従うのです。
快楽に溺れることを許してはなりません。
本能に従っていては、下劣にはなれ、高尚には成り得ないのです。
あなたは心の深くから生じる欲求を大切にしましょう。
人生の目的を忘れてはなりません。
そこには常に、自己を高めるための学びがあるのです。
あなたは豊かさのために働かなければなりません。

2014年7月22日火曜日

思い描く通りの人

あなたは自分自身が考えた通りの人になります。
あなたは自分自身が思った通りの人になります。
あなたは、自らの心が思い描く通りの人になるということを覚えておきましょう。
人は自らの心を実現します。
あなたは自らが考えていること、思ていることを選択して実行し、それを実現するようになるのです。
人は自分自身で考えてはいないこと、そう思ってはいないことを実現することはできません。
あなたは自分自身の思考や感情を実現しているということを知らなければならないのです。
思考や感情などの内的働きは、あなたの願望として存在することになります。
あなたがそうは思っていなくても、それはあなたの叶えたい願いなのです。
願いとは理想のことではありません。
願いとは、所有している願望のことなのです。
誰もが幸福を求めています。
幸福を求めるのは人の性(さが)です。
この世に幸福を求めない人はいません。
その人の求める幸福というものが存在しているのです。
あなたの考えている幸福と、他人が考えている幸福が同じものであるということはありませんが、幸福というものはすべての人が持っているものなのです。
あなたが幸福を求めているように、他人も幸福を求めています。
しかし、あなたは幸福を求める一方で不幸を求めているということに気が付くでしょうか?
あなたは幸福を求めていますが、同時に不幸を求めているのです。
あなたはいつも不安や心配、怒りや恐怖を感じて生きています。
それらの考えや思いはネガティブなものであり、それらによっては幸福を実現するということにはならないのです。
ネガティブな考えや思いは、不幸になるための選択と行動を導きます。
ネガティブな考えや思いを抱えている人は、その心の通りに不幸を実現してしまうのです。
ネガティブな心によって幸福を実現する人はいません。
それがこの世の真理であるからです。
幸福を実現することができるのは、安心や信頼、喜びや安堵(あんど)を感じて生きている人だけなのです。
これは仕方のないことです。
それは、この世がそのようなルールによって動いているために、それを覆(くつがえ)すことはできないのです。
あなたが幸福を実現したいと考えているのであれば、その考えや思いがポジティブなものでなければなりません。
あなたは自分自身の考えと思いを裏切ることはできません。
また、それらがあなたを裏切ることも有り得ません。
あなたは自分自身が考え、自分自身が思う通りの人になり、思う通りの人生を歩むのです。
周囲の人があなたに考えや思いを教えます。
それはとても素晴らしいことです。
あなたは周囲の人たちから、様々な価値観を学ばなければなりません。
周囲の人たちも、例外なく真理と共に生きています。
その人は、自らの考えや思いの通りの人になり、その通りの人生を生きています。
あなたはその人を見なければなりません。
その人の思考と感情、そして心がその人生を築いたのです。
あなたはその人から学びましょう。
その人の言葉を聞き入れるのであれば、その人のようになります。
あなたはこの事実を覚えておかなければなりません。
子が親のように生きるのは、その言葉を聞き入れたからです。
子が親の言葉を聞き入れることがなければ、子が親のように生きることはないということを知りましょう。
あなたは誰の言葉を聞き入れますか?
その人がどのような言葉を用いて真実を隠したとしても、その人生があなたにその人を教えます。
人は自分自身を隠すことができないのです。
あなたがどのような言葉で自分自身を正当化しても、その人生によって真実は明るみに出ているということを知りましょう。
人がどのような言葉を用いたとしても、その本性は人生によって他人に知れるのです。
あなたはそのことを知って、どうするべきであるのかを決めましょう。
人には長所と短所というものがあります。
尊敬に値するところがある一方で、未熟なところもあるのです。
あなたは言葉に騙されることなく、その人を見ましょう。
そして、尊敬に値する良い部分を学ぶのです。
また、未熟な部分も悪例として参考にしましょう。
ただ鵜呑みにしてはなりません。
あなたは自分自身の人生の指揮者です。
あなたの考えと思いによって、人生はどのようにでも変化するのです。
そのことを考慮して、どのようにするのかを決めましょう。
あなたは心の通りの人になります。
忘れてはなりません。

2014年7月21日月曜日

収穫を待つ

あなたは待たなければなりません。
あなたは待ってから、受け取らなければなりません。
待たなければ受け取ることができません。
あなたは辛抱して待つことを覚えましょう。
焦りは収穫を害します。
待つことができなければ、受け取ることができないということを知っておきましょう。
果実を収穫するためには、種を蒔かなければなりません。
種を蒔き、土で覆い、水をやらなければなりません。
水をやることを繰り返し、漸(ようや)く芽が出ます。
芽が出ても水やりは続きます。
芽と同じように周囲には草が芽生えます。
果実を収穫するためには、その芽が周囲の草に覆い隠されて枯れないように、草を取り除かなければなりません。
それでも水やりは続きます。
しばらくすると、芽は病気にかかります。
病気から守るための処置を施さなければなりません。
そして、動物や自然災害から守らなければなりません。
それでも水やりは続きます。
ある程度育つと、肥料を与えなければなりません。
そして、何年も何年も同じ作業を繰り返し、芽は幹となり、枝葉を茂らせ、やがて花を咲かすのです。
花が咲けば、昆虫を待たなければなりません。
昆虫が受粉を促し、やがて実を付けるのです。
実を結ぶと、それが鳥に食べられないように守らなければなりません。
やがてその実が熟れると、漸く収穫となるのです。
種から育てた樹木が実を付けるまでには、多くの時間と困難と工夫が必要となります。
人生という樹木は、その実をすぐに結ぶことはないということを覚えておきましょう。
それは何年、何十年と待つ必要がある場合もあるのです。
人生に結果が現れるためには、時間が必要であるのです。
辛抱強く待つことができない者には、人生に豊かな結果を受け取ることはできません。
現状が理想的ではなくても、結果が出ることを信じて努めている者は幸いです。
一つ一つの丁寧な業(わざ)がやがて実を結びます。
現状がどのような状態であろうとも、それに屈していてはなりません。
様々な困難を乗り越えた先にだけ、豊かさが存在しているのです。
途中で諦めるのであれば、収穫に辿り着くことはできないのです。
あなたは辛抱強く待ちましょう。
自分にできることをただ精一杯に行い、結果は待ちましょう。
結果ばかりを求めて焦り、自分にできることを疎(おろそ)かにする者には、結果は導かれないのです。
必要なタイミングでのみ、結果は導かれます。
夏に実る果実であれば、冬には実らないのです。
まだ冬であるのに、焦っても仕方がないのです。
冬には冬であるためにできることがあります。
できることがないということはありません。
どのような状況においても、やることはあるのです。
それが分からないというのであれば、既に諦めているということを理解しましょう。
収穫を諦めているのに、どうやって収穫するというのでしょう?
困難にあってもそれを乗り越えるように努めるのです。
困難を乗り越えたなら、やがて実りに与(あずか)ることができるのです。
あなたは諦めてはなりません。
現状がいかに苦しくても、あなたの心が輝いているのであれば問題ないのです。
樹木が元気であれば、やがて実を付けるのです。
あなたは心を輝かせておきましょう。
人生はすべてが上手く進んでいます。
あなたにはその必要性が分からないだけです。
しかし、完璧に進行しているのです。
あなたはそれを信じて待たなければなりません。
待つことが大切なのです。
夏の収穫を待つことができない者は、冬に葉を落とした樹木を見て焦り、休眠しているだけであるのに切り倒してしまうでしょう。
休眠期に切り倒されてしまった樹木は、再生する可能性を大いに奪われてしまうのです。
待つことは大切です。
焦って可能性(果実)を潰さないように、このことを覚えておきましょう。

2014年7月20日日曜日

あなたは「天」と共になければなりません。
あなたは常に「天」を意識しておきましょう。
「天」とは崇高なものです。
人にとって、「天」とは気高くて尊いものであるのです。
「天」は高い場所に存在しています。
「天」に近付くほど高くなるのです。
高くなるほど、気高くて尊いのです。
あなたが気高くて尊い存在であれば、豊かな人生は約束されるのです。
崇高な人物を蔑ろに扱う人はいないのです。
人は無意識にも成長を求めているために、自分よりも優れた人物、尊敬に値する人物を大切に扱うのです。
あなたは他人に大切に扱われなければなりません。
他人に大切に扱われるためには、他人から尊敬される人になる必要があるのです。
崇高な人が尊敬されます。
下劣な人がどうやって尊敬されるというのでしょう。
下劣な人は軽蔑され、非難を受けます。
それは、「格」というものがあるからです。
格によってその人がどのような扱いを受けるのかが決まります。
尊敬に値する立派な人物は、その優れた人格によって優遇されるのです。
軽蔑に値する下劣な人物は、その劣った人格によって冷遇されるのです。
どのように努めようとも格によって選別されるのです。
あなたが心血を注いで努めたとしても、格の違いによって冷遇を受けることがあるのです。
大した努力をしなくても、その格が高ければ優遇されるということを覚えておかなければなりません。
努力は大切です。
人は努力をしなければなりません。
しかし、間違った努力が実を結ぶということはありません。
栄養を与えなければならないのに、毒を与えるのであれば、実りは無いのです。
向上心を持たず、それに見合った人格を有しないのに、尊敬されることだけを求めていてはなりません。
尊敬に値しない者が尊敬を求めることほど、滑稽(こっけい)なことはないのです。
代金を支払うことができないのに、欲望に負けて物を手に入れる人は、その代金の請求によって苦しむのです。
欲望に従って生きる人には恥が付きまといます。
それは崇高な生き方ではないのです。
本能的な欲求(快楽)に従って無計画に下劣に生きる人は、その人格を高めることはできないのです。
理性を保ち、どうすれば崇高に生きることができるのかを考えて生きる人は、その人格を高めることができるのです。
人は「天」を意識することによって、格を高めることができます。
「天」とは崇高なものです。
崇高な感情とは、思いやりや愛情などの建設的なものであるのです。
その感情が光に満ちているほどに、「天」に近いということを覚えておきましょう。
その感情が闇に満ちているほどに、「天」からは遠いということを知らなければならないのです。
高い場所には喜びがあります。
高い場所には楽しみがあります。
高い場所には慈しみがあります。
高い場所には協力があります。
高い場所には許しがあります。
高い場所には癒しがあります。
高い場所には安心があります。
高い場所には高揚があるのです。
あなたは向上心を以て生きなければなりません。
「天」が存在しているということを忘れてはなりません。
「天」に繋がることがなければ、豊かな人生は有り得ません。
「天」に赴(おもむ)くことができなければ、幸福は実現しないのです。
あなたは、思いやりと愛情を以て生きましょう。
気高く尊く生きるのです。
「天」を見詰める者だけがそれを見ます。
「天」を求めない者には与えられません。
あなたは「天」と共にありましょう。

2014年7月19日土曜日

当然の現象

人は人生を豊かに生きなければなりません。
すべての人は幸福な人生をおくらなければならないのです。
人は幸福になるために生まれ、豊かな人生のために生きているのです。
豊かな人生とは、人の責任なのです。
人は誰もが豊かに生き、幸福を感じなければならないのです。
あなたは自分自身が幸福を感じ、豊かに生きなければならないということを理解しましょう。
そして、それを忘れないように努めなければならないのです。
人は豊かに、幸福に生きるために生まれてきたのです。
あなたには豊かさと幸福を実現しなければならないという責任があるということを知りましょう。
この世には、真理というルールが存在しています。
どの道においてもルールは大切です。
それに反して成功する道はないのです。
あなたはどの道においてもルールは大切であるということを覚えておきましょう。
この世には真理というルールが存在しています。
それは、当たり前の現象として、あなたの身の回りに存在しているのです。
すべての事柄、すべての瞬間、すべての場所、すべての人に真理が存在しているのです。
この世で真理が存在しない場所や時間は存在しません。
すべてが真理によって成り立つからです。
あなたは真理に従わなければなりません。
真理とは当然の現象です。
原因と結果が真理であるのです。
「水を飲めば喉が潤う」これが真理であるのです。
真理はとても単純であり、誰にでも分かるようになっています。
人は様々な結果を受け取ることによって、真理を知ることができるようになっているのです。
人は常に真理と共にいます。
人は真理から離れて生きることはできません。
真理を知らずに生きることはできますが、真理から離れて生きることはできないのです。
真理を知っている人は、真理に従って生きるために、その人生は豊かで幸福なものとなるでしょう。
真理を知らない人は、真理に反して生きるために、その人生は乏しくて不幸なものとなるのです。
人が幸福に生きるのは、真理に従うからです。
人が不幸に生きるのは、真理に反するからです。
ただそれだけなのです。
特別なことをしたから幸福であり、特別なことをしたから不幸であるということではありません。
真理による当然の結果として、幸福であり、不幸であるのです。
人生が乏しく、苦しいのは、対応が間違っているからに他なりません。
あなたの考え方、行い、言葉、態度・・・
このような対応が間違っているから、乏しさと苦しみを受け取ることになるのです。
間違った対応が問題を引き起こします。
あなたの抱える様々な悩みは、それが自分自身の対応の間違いから生じたものであるということを知らなければならないのです。
誰かや何かが原因となって、そのような状況を得たのではないのです。
あなたが間違った対応をしたために、そのような状況が当然の結果として現されたのです。
間違えているのはあなたなのです。
自らが間違えたのに、それを誰かや何かのせいにしてはならないのです。
間違えない人は喜び楽しみます。
それは、間違えていないために問題が生じないからです。
真理はいつも正しいのです。
人によって態度を変えるようなものではないのです。
善人だろうと間違えれば苦しみます。
悪人だろうと正しければ喜ぶのです。
善人だろうと悪いことをすれば悪い結果を受け取ります。
悪人だろうと良いことをすれば良い結果を受け取るのです。
真理は人を判断しません。
あなたが誰であろうとも、真理には関わりのないことなのです。
これまでにどのような罪を犯した者であっても、悔い改めた瞬間から豊かさと幸福への道筋が用意されるのです。
真理とはそのようなものなのです。
あなたは真理に従って生きましょう。
愛情を中心として生きれば、あなたが不幸に落ち込むことはないでしょう。
愛情深く生きましょう。

2014年7月18日金曜日

寛大

寛大であれ。
あなたは大きな心を以て許さなければなりません。
自分自身を、他人を、罪を、過去を・・・
あなたはそれらを、寛大な心によって潔(いさぎよ)く許しましょう。
執着は不安の種です。
何かに執着することによって、人は苦しみを得るのです。
この世は変化し続けます。
それが真理であるからです。
時は止まりません。
時は動き続けます。
次々に展開する状況に対して、それに相応しく対処することがなければ、状況は悪化の一途を辿るのです。
時はあなたを待ちません。
あなたが戸惑っている間に、あなたを置き去りにするのです。
時を止めることはできません。
あなたは、時に従わなければならないのです。
あなたがどれだけ足掻いたとしても、どうすることもできないのです。
時は進み続け、状況は変化し続けるのです。
あなたが豊かに生きるためには、何かに対して戸惑い、執着している暇はないのです。
それがどのような意味を持っているのか?ということを「今」知る必要はありません。
それがどのような意味を持っているのか?ということは、後になって分かるからです。
後になって分かることを、今知る必要はありません。
理由を探している間にも、時は進み続けているのです。
理由が見付からない限り進まないというのであれば、理由が分かる頃には、時は既に過ぎ去った後なのです。
そこでは力は及ばす、後悔のみが残るのです。
どのようなことが起ころうとも、あなたは寛大な心によってそれを許さなければなりません。
過去には価値がありません。
価値は未来にこそ存在しているのです。
過去とは糞尿のようなものです。
畑の肥やしにはなれど、あなたの胃腸を満たすことはないのです。
過去を貪(むさぼ)っていてはなりません。
あなたの過去は、それを聞く他人にとって価値があるのです。
あなたにとっての価値があるのは、自分自身の未来であるということを知らなければなりません。
そして、それを覚えておかなければならないのです。
過去を取り戻すことはできません。
起こったことをどうすることもできないのです。
そして、それをどうする必要もないのです。
起こったことは、それが最善であるからです。
過去の出来事は、それがどのようなものであれ、それで良かったのです。
そうでなければならなかったのです。
過去がそのような形で存在したおかげで、あなたの豊かな人生が存在しているのです。
過去がそのような形でなければ、あなたは現状よりも乏しい人生を生きていたのです。
すべては過去のおかげなのです。
すべては原因から結果へと導かれます。
過去は未来を作るのです。
過去がどのようなものであったとしても、それに対して後悔を覚えているのであれば、未来は後悔という破滅的な感情によって乏しいものとなるのです。
あなたは許さなければなりません。
何事にも執着しないようにしておかなければなりません。
何事にも捉われないようにしておきましょう。
すべてが最善であるということを覚えておきましょう。
何があっても、それで良いのです。
豊かな心がなければ、大きな器量は手に入りません。
狭量な者は苦しい人生を生きるのです。
それは、狭量という原因によって明らかなのです。
寛大であれ。

2014年7月17日木曜日

あなたは自らの内にある毒に注意を払わなければなりません。
毒とは滅ぼす力です。
それは、自分自身に対しても、他人に対しても破滅的な力であるということを知っておきましょう。
毒は苦しみを与え、大切なものを奪い去ります。
毒に当たらない人は幸福です。
毒に当たる人は不幸です。
あなたは毒の恐ろしさを知らなければならないのです。
多くの生物は毒を持ちます。
彼らは、毒によって身を守り、毒によって獲物を捕らえます。
しかし、彼らは毒によって滅ぼされるということを覚えておかなければならないのです。
毒を恐れる弱者には、それは効力を持ちます。
毒を恐れる者は毒に従うのです。
しかし、毒を恐れない強者には通用しません。
毒を恐れない強者は、毒を持っているという理由だけで命を狙い、殺すのです。
蛇や百足(むかで)は、人に対して悪意を持ちません。
しかし、彼らは毒を持っているという理由だけで殺されてしまうのです。
人の毒とは、身を滅ぼす破滅的な感情のことです。
それは目には見えない毒であるのです。
あなたは破滅的な感情で死ぬことになります。
そして、殺されることになるのです。
あなたは不満や罵倒(ばとう)によって身を守ろうと考えてはなりません。
毒を吐けば、ある程度の相手であれば恐ろしくて去っていきます。
その時、あなたは自惚れるでしょう。
そして、この毒が有効な力であると勘違いするのです。
次に毒を吐く時には、あなたよりも力のある者が来て、これは毒のある危険な存在だと考え、撃ち殺してしまうでしょう。
あなたが毒を吐くのであれば、蛇や百足のように撃ち殺されてしまうのです。
そして、自らの毒によって自滅してしまうということを覚えておきましょう。
毒があるから、毒によって死ぬのです。
原因があれば、結果はあるのです。
毒によっては、毒の末路というものがあるのです。
不満や罵倒によって生きる人は、その行いが故に多くの敵を作り、多くの争いを得ることになります。
そのような行いによって生きる人には味方は少なく、味方となる人も同じく毒を持っているため、合わせて撃ち殺されるのです。
あなたは毒を持つ蛇や百足を、その仲間だという理由によって撃ち殺すでしょう。
人は小さな存在です。
この世の真理からすれば、人が蛇や百足に対峙するよりも容易いのです。
あなたが毒を行えば、真理によって葬られるということを覚えておきましょう。
破滅的な生き方をすれば、破滅するのは当然なのです。
あなたは自らの態度を省みなければなりません。
不満はもちろんのこと、自己憐憫(れんびん)や自己批判に対しても注意しておきましょう。
強くも弱くも毒は毒であるのです。
気分を害する感情が毒となります。
毒がなくても生きていくことはできるのです。
毒を持たない生物がどれほどの数存在しているでしょう?
毒を持たない生物の方が多いのです。
しかし、彼らは自然界に養われるのです。
破滅的な感情を行わない人は、真理によって養われます。
また、真理によって優遇されるのです。
思いやりや愛情を行う者ほど優遇されるのは当たり前のことなのです。
豊かに行う人は、豊かな人生を得ます。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
あなたは毒に注意を払わなければなりません。
真理に従わない者は、どのような理由があろうとも葬られます。
忘れてはなりません。
あなたは争う必要はありません。
互いに協力するのです。
毒を以て身を守る必要はありません。
あなたは正しい行いによって、真理に守られるということを覚えておきましょう。

2014年7月16日水曜日

正しい人

あなたは経験したことを話さなければなりません。
あなたは自分自身で見て、聞いて、触れたものこそが真実であるということを知りましょう。
あなたの知らないことは、あなたの真実には成り得ません。
あなたがそれを実際に体験した時に、それが真実となるのです。
他人から教えられたことをただ鵜呑みに信じていてはならないのです。
実感もなく、それを評価してはならないのです。
自分自身で見たことも、聞いたことも、触れたこともないものを、どのように評価することができるというのでしょう?
人は、それぞれに価値観というものを持っているのです。
そのため、他人の評価というものがあなたのそれと一致しているということは有り得ないのです。
ただ、教えられたことを行うのであれば、それが間違っていたとしても続けなければならないということになります。
あなたに悪気が無くても、間違ったことを実行するのであれば、その報いは受けなければならないのです。
知らなかったでは済みません。
あなたが行ったのであれば、それはあなたの責任となるのです。
誰かの噂話を鵜呑みにし、それを広めたとしましょう。
あなたは真実を語っていると思うかも知れません。
しかし、あなたがその人に会って直接話をして、事情を聞くことがなければ、その噂話の真相を知ることはできません。
本人から聞いていないのであれば、何を言っても嘘になるということを知りましょう。
嘘を吐いて、真実とはかけ離れた作り話を広めるのであれば、その人はあなたを憎み、あなたはその人から責められるでしょう。
会ったこともない人の話をするのはやめましょう。
実際には知らないことを浅はかに広めてはならないのです。
他人の苦しみを糧(かて)にして喜んでいるようではならないのです。
嘘を言い広めて、真実を隠してしまうような愚かな行為をしてはなりません。
あなたに悪気が無くても、その行為が破滅的なものであるのならば、あなたはそのような結果を得ることになるのです。
人は真理に従わなければなりません。
真理に背くことができる人は存在しません。
悪いことをすれば、悪い結果を得るのです。
良いことをすれば、良い結果が得られるのです。
それは当たり前のことですが、多くの人はそのことを知らないままに生きているのが現状なのです。
あなたが話す言葉は真実でなければなりません。
あなたの言葉には大きな力があるのです。
あなたの一言で、信頼は脆(もろ)くも崩れ去ってしまうのです。
そして、あなたの一言で強い信頼を得ることもできるのです。
真実を語る人には、多くの人が信頼を寄せます。
偽りを語る人には、多くの人が軽蔑を寄せるのです。
嘘吐きを信頼する人はいません。
あなたは嘘吐きを信じることができますか?
嘘吐きには怪しさが付きまとうのです。
どのように巧妙に隠しても、偽りには違和感があるということを覚えておきましょう。
あなたはその人の語ることに違和感を覚えたのであれば、それが偽りであるかも知れないということを覚えておきましょう。
真実を語る人は、隠すことがありません。
それは、何かを隠す必要がないからです。
偽りを語る人は、隠さなければならないことがあります。
偽りが公にされ、自らが糾弾(きゅうだん)されることを恐れているからです。
嘘を吐くことがなければ、あなたが責められることはありません。
嘘を吐くから責められるのです。
真実を語る人を責める人はいないのです。
人が豊かに生きるためには、他人からの信頼と尊敬を得なければなりません。
他人からの信頼と尊敬を得ることなく、豊かに生きる人はいないのです。
あなたは真実を語らなければなりません。
知ったか振りをしてはなりません。
浅い知識をひけらかしてはなりません。
知らないことは知らないで良いのです。
見栄を張ってはなりません。
恥を掻く人よりも、嘘を言い広める人の方が罪が重いのです。
あなたは真理に近付かなければなりません。
そして、他人を真理に近付けなければならないのです。
あなたの経験の中にこそ真理が存在しているのです。
多くの嘘よりも、少なくても真実を大切にしましょう。

2014年7月15日火曜日

大切な預かり物

すべては縁によって結び付きます。
縁とは原因です。
種を蒔かなければ実りがないように、原因がなければ結果は有り得ないのです。
すべてが原因から生じる当然の結果であるのです。
そのため、原因もないのにいくら求めたところで、その欲求が満たされるということはないのです。
原因が存在しないのであれば、どのように努めてもそれを手に入れることはできないのです。
あなたは焦ってはなりません。
思い焦がれる必要もありません。
必要なことを一つ一つ確実に積み重ねていくことが重要であるのです。
原因があれば、求めなくても結果は導かれるのです。
原因を作ることがなければ、結果は導かれないということを覚えておきましょう。
原因とは、それを受け取ることのできる条件であるということを知らなければなりません。
あなたがその状況を受け取るに相応しい人物でなければ、それを手にすることはできないのです。
欲求ばかりが先行し、自らの状態を看過(かんか)していてはならないのです。
自分自身がどのような状態であるのか?ということが何よりも大切であるのです。
それをうまく運営することができない者に任せる人はいません。
人に何かを任せるということは、任せる方にも責任があるからです。
それに、任せようとするものは大切なものであるため、それを蔑(ないがし)ろにするような者には任せられないのです。
任されたものを大切に扱い、それをより発展させていく者にこそ、それは任されるのです。
あなたの受け取るすべての状況は「神」からの預かり物です。
すべては「神」の所有物であり、あなたの所有物ではないのです。
あなたはそれを任されているのだと理解しましょう。
あなたは好き勝手に扱ってはならないのです。
すべてが大切な預かり物であるということを知り、大切に扱うようにしなければ、それを発展させる条件を満たすことはできずに、預かっている物をすべて取り上げられてしまうのです。
どのような状況であろうとも、それを蔑ろにしてはなりません。
すべては縁によって運ばれた「神」からの大切な預かり物であるのです。
縁とはあなたの原因です。
あなたが預かったすべての状況が、あなたにとって最善であり、相応しいというのです。
「神」が間違えることは有り得ません。
間違っているというのであれば、あなたが間違っているのです。
人ほど未熟な存在はいません。
あなたは自分自身が優れているなどと自惚れてはなりません。
あなたは自らが未熟な存在であるということを知り、謙虚に生きなければならないのです。
運営することができない物を与える親はいません。
賢い親ならば、我が子が条件に満たないのであれば、他の者にそれを任せるのです。
愚かな親は、愚かな子にそれを任せます。
愚かな子はそれを任されはするけれども、すぐに蓄えを食い尽くし、営みは途絶えてしまうでしょう。
愚かな親はそれに苦悩するのです。
愚かな子も同様です。
あなたは愚かに生きてはなりません。
「神」があなたに相応しいと、その状況を任せたのです。
その状況をより良くしなさいと預けたのです。
あなたは満足しなければなりません。
そして、その状況を発展させるために努めなければなりません。
ただし、無理に何かを我慢しろと言っているのではありません。
逃げたければ逃げれば良いのです。
決めるのはあなたなのです。
しかし、縁からは逃れられません。
違う場所で、違う人と、同じことをするということを覚えておきましょう。
原因を作ることが求められます。
あなたは自分自身の成長を求めましょう。
建設的な思考や感情、そして生き方によって良い原因を築くのです。
物事の上辺を撫でて、不平不満を訴えていてはならないのです。
不満は苦しみとの縁を取り持ちます。
縁によって、あなたの心が状況に繋がっているのです。
そのことを理解しましょう。
どのような状況にも感謝して、満足して生きましょう。
あなたは「神」から大切な物を預かっているということを忘れてはならないのです。

2014年7月14日月曜日

真実の人

あなたは嘘を吐いてはなりません。
嘘を吐いて生きてはならないのです。
嘘を吐くということは苦しいことなのです。
それは、真実を歪め、偽りによって塗り固める行為であるからです。
人は真実と共に生きなければ、その心は光を失います。
人の心は真実という光によって豊かさを得ているのです。
人の心から光が去れば、心が豊かさを得ることはできません。
豊かさを失った心が選択するのは、乏しさであり、苦しみであるということを覚えておきましょう。
嘘を吐く人の心は醜く歪み、光を失って闇を抱きます。
そのような心で生きるのであれば、人生は乏しさと苦しみによって構成されるということを知らなければならないのです。
偽ることは苦しいのです。
それは誰もが知っていることです。
誰も、自分自身を偽って心地好いとは思いません。
誰も、本心を隠して生きることが楽しいとは思わないのです。
人が豊かに楽しく生きるためには、真実によって心が豊かな状態でなければならないのです。
苦しいと分かっていることをしてはなりません。
幸福になりたいという願望を持ちながら、苦しむ方法を実践してはなりません。
嘘を吐き、本音を隠して、自分自身を偽るというのは苦しいことなのです。
あなたは嘘を吐くのをやめましょう。
小さな嘘だと気を許してはならないのです。
嘘は嘘であり、心を歪めるのです。
少しずつでも力を加えるのであれば、やがてその物体は歪んでしまうのです。
心に関しては、それを歪める力は無い方が良いのです。
嘘を吐いてまでやらなければならないこととは何ですか?
心を歪めてまでやらなければならないのですか?
心の豊かさが損なわれるのであれば、何をやっても豊かさを得ることはできないのですよ?
嘘偽り、ごまかし、欺(あざむ)き・・・
あなたは心の光を奪い、苦しみをもたらす行いをしてはなりません。
あなたがしなければならないのは、喜びを生み出す行為であるのです。
真実を追求し、本心と本音を大切に生きなければならないのです。
嘘を吐くことが重要と考える人がいますが、そのような人はその場しのぎの考え方に捉われており、物事を表面的な捉え方しかできてはいないのです。
表面的に事を運べば、鍋の上澄みを揺らすだけであって、鍋全体を掻き混ぜることにはならないのです。
全体を掻き混ぜることができなければ、鍋の中身は焦げ付いてしまうでしょう。
人生を豊かなものにするためには、心全体を使って、人生を深く掘り下げる必要があるのです。
本音を隠した心で向き合っても、人生を深く動かすことはできないのです。
それでは変化は失われるのです。
全体を掻き混ぜることがなければ、鍋の中身が焦げ付いて使い物にならなくなるように、人生を深く生きることがなければ、人生に幸福を得ることはできないのです。
鍋の中身を美味しく食するためには、全体を掻き混ぜなければならないということを覚えておきましょう。
本心を隠して楽しい人はいません。
本音を言わずに喜ぶ人はいません。
自分自身を偽って豊かさを感じる人はいないのです。
あなたは自分を偽ってはなりません。
嘘を吐いて心の光を奪ってはなりません。
不利な立場から逃れるために真実を歪めてはなりません。
自らを正当化することによって得られる偽物の豊かさを喜んでいてはならないのです。
歪みが強くなるほどに麻痺していきます。
麻痺していけば、何が正しいことであるのかを理解することができなくなってしまうのです。
そのような人は、人生に迷うことでしょう。
そのような人は、苦悩から逃れることができなくなってしまうのです。
軽はずみに嘘を吐いてはなりません。
嘘が正しいなどと考えてはなりません。
不利な立場を得ようとも、問題を抱えようとも、心が汚されるよりは優しいのです。
嘘を吐くことによって不利な立場や問題から逃れることができたとしても、心が汚されるのであれば、それよりも大きな報いが訪れるのです。
心が美しくあることが最も重要です。
あなたは心の光が奪われないように、真実と本心とを大切にして生きていきましょう。

2014年7月13日日曜日

愛の大きさ

あなたがどのような人生を生きるのかは、あなたの持つ愛の大きさによって決まります。
あなたの示す愛の大きさに起因して、人生が展開していくのです。
あなたの人生を築いているのは、あなたが所有し、示す愛の大きさであるということを覚えておきましょう。
愛を持つ人は幸いです。
それは、愛によって豊かな選択ができるからです。
愛を与える人は幸いです。
それは、愛によって他人を助けることができるからです。
愛を知る人は幸いです。
それは、愛によって物事の本質に気が付くことができるからです。
愛を受ける人は幸いです。
それは、愛を与えてくれる人が幸福を手にすることができるからです。
愛を信じる人は幸いです。
それは、愛によって恐れなくなるためです。
人は大きな愛に従って生きなければなりません。
愛に従って生きるのであれば、すべての状況が充足します。
愛に従って生きるのであれば、すべての問題や苦しみが消え去るのです。
あなたは愛を知りましょう。
愛に従って生きなければなりません。
愛を与えなければならないのです。
愛を持たない人は不幸です。
それは、愛を持たないことによって、乏しい選択しかできないからです。
愛を奪う人は不幸です。
それは、愛を奪うことによって、他人と自分自身を損なうからです。
愛を知らない人は不幸です。
それは、愛を知らないことによって、真実が隠されてしまうからです。
愛を受けることのない人は不幸です。
それは、愛を与えることがない人が不幸を手にするからです。
愛を信じない人は不幸です。
それは、愛を信じないことによって恐れに支配されるからです。
愛に従わない人は必ず不幸を手にします。
愛を持たずに豊かさと幸福を手に入れる人はいないのです。
あなたは愛の偉大さを理解しなければなりません。
何に対しても愛がなければ、決して上手くは進まないのです。
仕事に対する愛がなければ、あなたはその仕事に対する熱意を失います。
情熱を持たない者の仕事はずぼらです。
そのような者が仕事で成果を上げられるはずがないのです。
人間関係に対する愛がなければ、あなたは人間関係を円滑に進めることができません。
相手を愛さない者が、どうやって良い付き合いをするというのでしょう。
人生に対する愛がなければ、あなたは楽しく生きることはできません。
人生は素晴らしい場所なのです。
人生に対して不満や悲観を覚える人が、豊かに生きることなどできるはずがないのです。
自分自身に対する愛がなければ、あなたは自信に溢れて生きることはできません。
自信なく生きるのであれば、良い決断をすることはできません。
優柔不断こそが、人生を乏しくしているのです。
あなたは愛を以て生きなければなりません。
愛が存在し、愛によって豊かさと幸福が実現するということを信じていなければなりません。
愛が大きいほど、その心には光が満ちます。
愛が大きく、光輝く心は、天に近付くのです。
天界には愛と光が溢れています。
それは、とても豊かで幸福な場所なのです。
心に愛という光が満ちれば、そこは神々の住む天界となるのです。
豊かな心境によって生きれば、豊かな人生は約束されるのです。
愛の大きさで人生が決まります。
愛とは思いやりです。
あなたは自分自身の心の中、そして言動に愛があるのか?ということを常に確認しておきましょう。
愛が大きいほど、人生は豊かさを増すでしょう。

2014年7月12日土曜日

練習

経験が大切です。
人は経験を積み重ねることによって、物事の本質へと近付きます。
経験を積み重ねることがなければ、物事の本質へと近付くことはできません。
経験が浅ければ辿り着くことができない境地が存在するのです。
経験が多いほど、見えてくるものも増えてくるということを覚えておきましょう。
あなたが何かを極めようと考えているのであれば、それをどれだけ経験することができるのか?ということが重要であるのです。
経験不足であっては、極めることはできません。
経験不足であっては、分からないことが多いのです。
どのようにセンスの良い人物であっても、経験の差を埋めることはできません。
能力というものは大切ですが、経験値というものはそれを上回るのです。
あなたには特別な能力がありますか?
人の能力は、そのすべてが未発達のままで収められています。
そのため、人は経験(練習)によって能力を高める必要があるのです。
あなたは経験を積み重ねなければなりません。
経験を疎かにしてはなりません。
どのような道においても、それに謙虚に、真摯に向き合う必要があるのです。
そうでなければ、本質に辿り着くことなどできるはずがないのです。
練習しない者が、練習を重ねた者に勝るはずがありません。
どのようにセンスがあり、能力が高くても、練習の量が劣っているのであれば、勝てる勝負も負けてしまうのです。
すべての人が道を歩みます。
すべての人が究極を求めて進んでいるのです。
究極に達するためには、能力が高かろうが低かろうが、練習によって経験を積み重ねる以外に方法はないのです。
どのような道具を使ったとしても、その使い手の練度が求められるのです。
どのように優れた道具を使っても、使い手が疎(おろそ)かであれば、成果を上げることはできません。
道具が劣っていたとしても、使い手の練度が高ければ、成果を上げることができるのです。
あなたは道に対して直向(ひたむ)きでありましょう。
道に対して熱意を失うことなく、その究極を求め続けるのです。
道に対して直向きな者の熱意が衰えることはありません。
熱意が衰えることがなければ、経験が損なわれることもありません。
そのような者は常に自らの業(わざ)を磨き、物事の本質へと近付くことができるのです。
本質に近付くほど、成果を上げられるようになるのです。
この世に奇跡など存在しません。
やったことが成果として返ってくるだけです。
やってもいないことを手に入れられるほど、人生は甘い場所ではないのです。
あなたは思い上がってはなりません。
謙虚にいなければなりません。
あなたは練習しましょう。
上手くなるための練習を重ねるのです。
業の磨きに終わりはありません。
あなたは死ぬまで自らの業を磨き続けなければならないのです。
練習の必要がなくなることなど有り得ないということを覚えておきましょう。
どのように練習を積み重ねたとしても、あなたが究極に達することはありません。
それほど、究極というものは果てしのないものなのです。
甘く考えていてはなりません。
少し練習したぐらいで上手くなるのであれば苦悩はないのです。
残念ながら、人は未熟であるということを受け入れましょう。
どのように才能に恵まれている者であっても、日々練習を繰り返しています。
才能に恵まれていない者であるなら、尚更のことなのです。
あなたは愚痴をこぼしている暇などないはずです。
へこたれずに練習することができるように、考え方を切り替えましょう。
道に感謝し、誠実に生きましょう。
初心を思い出し、一つひとつのことに対して感動することができる視点を探すのです。
練習が楽しければ、本番も楽しいのです。
練習が苦痛である者が、本番を楽しめるはずがないのです。
楽しい気分を演出し、多くの経験を積み重ねましょう。

2014年7月11日金曜日

それで良い

人生は常に最善へと向かって進んでいます。
人生が最悪に向かうことはありません。
どのような状況であろうとも、それが最善であるということを知らなければならないのです。
人は成長するために生きているのです。
成長するためには、必要な経験を積み重ねなければなりません。
経験もなく成長することなどできるはずがないのです。
経験しなければ分からないことであれば、経験する必要があるのです。
失敗を知ることがなく、成功を収めることはできません。
それは、何が正しいのかを知らないからです。
人は、何が正しいのかを理解する必要があるのです。
何が正しいのかを理解することがなければ、成功を導くことはできないのです。
正しい方法を知るためには、その対極にある誤った方法を知る必要があります。
それは、人が未熟であるからです。
未熟であるあなたは、失敗から学ぶ以外に方法はありません。
失敗を繰り返して正しい方法を知り、成功を実現するようになるのです。
人は多くの失敗を繰り返します。
あなたはそれが自然のことであると理解しましょう。
失敗を恐れる人がいます。
そのような人は経験不足に陥ってしまいます。
経験不足に陥れば、何が正しい方法であるのかを知ることはできないのです。
経験に失敗は付き物なのです。
人は失敗を学ぶために経験していると言っても過言ではないでしょう。
あなたは失敗しなければなりません。
人は失敗するようになっているのです。
その失敗から教訓を得て、成功への正しい工程を知るのです。
人は成長するために生きています。
人生は人が成長するためのものです。
そんな人生が、あなたを苦しめるために存在しているということは有り得ないのです。
人生はあなたの成長と幸福を望んでいます。
あなたの豊かな一生を願っているのです。
それが理想とは違うような状況であったとしても、それはあなたが成長し、幸福に生きるための重要なプロセスであるのです。
あなたが豊かに生きるために身を粉にして働いている人生が、あなたに不利なことを行うはずがないのです。
親兄弟であれ、あなたを裏切ります。
しかし、人生は何があろうとも決してあなたを裏切ることはないのです。
どのように苦しい状況を得たとしても、それで良いのです。
それでなければならないのです。
人生が上手くいかないなどと愚痴を吐いているようではなりません。
あなたのために最善を尽くしている相手を罵倒するなど、許される行為ではないのです。
あなたのために最善を尽くしている相手なら、精一杯に労い、あなたはその相手のために尽くさなければならないのです。
あなたのために最善を尽くしている相手を軽んじてはなりません。
恩を仇で返すような考えの者が豊かに生きていけるはずがないのです。
そんなことは当たり前なのです。
人生に不満を覚えてはなりません。
人生に悲観してはなりません。
人生はあなたのために、常に最善を尽くしているのです。
あなたはそのことを知らなければならないのです。
人生は素晴らしいということを覚えておきましょう。
人生は常に最善へと向かって進んでいます。
失敗し、問題を抱えることもあるでしょうが、それによってあなたが不幸になるということはありません。
失敗や問題に対してネガティブで破滅的な考えを巡らすために、あなたは不幸になるのです。
人生があなたを不幸にすることはありません。
あなたが勝手に不幸になっているということを覚えておきましょう。
何が起ころうとも、それで良いのです。
それ以外の最善は存在しないのです。
あなたは拒絶してはなりません。
それはあなたにとって大切なことであるのです。

2014年7月10日木曜日

備え

あなたは準備をしておかなければなりません。
あなたはいつ事が起こっても良いように、準備を済ませておかなければならないのです。
あなたは唐突に出会います。
そして、唐突に別れるのです。
出会いと別れ、得るものと失うものによって、人生は展開していくのです。
準備が不十分であれば、出会いと別れを満足のいくものにすることはできません。
不足があるのならば、物事は上手くは進まないのです。
人生がどのような展開を見せるのか?ということは誰にも分からないことです。
それは天の住人に任されていることであり、人間が司るところではないのです。
人はその意思によって原因と結果を作ります。
しかし、それが現れるタイミングは天の住人が司っているのです。
あなたはどのタイミングで出会い、そして別れるのかを知りません。
いつどうなるのか分からないために、いつでも良いように準備をしておくのです。
備えあれば患(うれい)なしという言葉があります。
いつでも良いように準備しておくのならば、事がいつ起こってもそれを満足させることができるのです。
多くの人は怠慢です。
肉の欲に溺れて怠惰に生きるのです。
人生にはやらなければならないことが山程あり、それは常にあなたの働き掛けを待っている状態にあります。
人生には暇な時間というものはないのです。
暇であるのならば、それはあなたがやらなければならないことに向き合うことができていないか、そういうことを知らずに生きているのです。
あなたにはやらなければならないことがたくさんあるのです。
あなたはどのようなことに対しても準備しておく必要があるのです。
事が起こった時に慌てたところでどうすることもできません。
事が起こった後では、手遅れであるということを覚えておかなければならないのです。
事が起こる前に準備を済ませておくのならば、慌てることも、不安に思って悲観することもないのです。
準備ができているのであれば、後は流れに任せていれば良いのです。
あなたは自分にできることをしておきましょう。
やらなければならないことを先送りにしてはなりません。
あなたは分かっているはずです。
問題が大事にならないように事前に策を講じるのです。
事前の準備を怠っているのであれば、事が起きた時には苦しむでしょう。
苦しまないために努めるのです。
人は幸福になるために生きているのであって、苦しむために生きているのではありません。
あなたは幸せにならなければなりません。
そのために準備をするのです。
あなたは想像しなければなりません。
自分自身に原因があるのです。
あなたの身から出たものが状況となり、人生となるのです。
自分自身の言動がどのような結果を導くのか?を考えなければならないのです。
その準備を怠るならば、どのような結果(状況)に繋がるのか?反対に準備をしていればどのような結果に繋がるのか?ということを想像しましょう。
豊かに生きる賢者は、事が起こる前に準備を済ませてあります。
大切な客人の急な来訪にも動ずることがありません。
乏しく生きる愚者は、事が起きた後に慌てるのです。
大切な客人が来訪しても、持て成すこともできないのです。
事が起きておきながら、それに気が付かないという鈍感な者もいるのです。
準備ができていなければ間に合いません。
間に合わなければ、良いものにすることなどできないのです。
時間は大切な財産なのです。
人は死に向かっているために、時間は減る一方であるのです。
減るものであるのならば、あなたはそれを大切に扱わなければならないのです。
準備ができていなけば、多くの時間を浪費してしまうのです。
準備ができていなければ、何も始まらないのです。
出会いと別れは常にあなたに差し迫っています。
あなたはそれを避けることはできません。
いつ事が起こっても良いように、準備をしておきましょう。

2014年7月9日水曜日

実力

この世界では、原因に従って結果が生じます。
すべてが当然の結果であるということを知りましょう。
現されるもので、あなたに関係のないものはありません。
すべてがあなたに関わるものであるのです。
原因はあなたにあります。
原因はあなたの意思によって生み出されるのです。
すべてはあなた次第であり、あなたに相応しいということを知らなければなりません。
あなたと関わりの無いものはありません。
あなたに相応しく無いものも存在しないのです。
すべてがあなたの力に等しく導かれるということを覚えておきましょう。
人は、実力以上のものを手にすることはできません。
人は、実力に等しい状況を得るのです。
実力によって、それを維持することができます。
実力によって、それを発展させることができます。
実力によって、それを損なうことになります。
実力によって状況は正しく変化していくのです。
実力が大切であるということを覚えておきましょう。
あなたがどれだけの力を持っているのか?ということが重要であるのです。
あなたは実力を磨かなければなりません。
熱意、知識、経験、技術、知恵。
これ等を増さなければなりません。
これ等を以て実力であるのです。
あなたは熱意によって知識を求め、知識を生かして経験を積み、経験によって技術を磨き、それ等を総合して知恵を出すのです。
実力のある者は、それを維持し、発展させることができます。
そのような者は、他の人よりも多く持つことができるのです。
実力の無い者がどれだけ求めても、それを維持することもできなければ、発展させることもできません。
実力の無い者は、それを損ない、失うことになっているのです。
多く持つためには、実力が必要です。
あなたは自分自身を磨き、その道を正しく進まなければならないのです。
自分自身が汚れ、その道を正しく進むことができなければ、豊かさへとは辿り着くことができないのです。
道に対して純粋でない者、誠実に努めることができない者には、豊かさへと進むことはできないのです。
道に対して悪事を企(たくら)み、嘘によって踏み荒らすのであれば、正しい道を進むことはできず、その行いが故に乏しさや苦しみへと辿り着くことになるのです。
道に対して純粋でない者、誠実さに欠ける者は、人生を苦しむということを覚えておきましょう。
そのような者は多く持つことはできません。
多く持つことができないということは、不足しているということなのです。
嘘を吐いて道を汚す者は、決して満たされることがないということを覚えておかなければならないのです。
間違った方法であっては、人が豊かに生きることなどできるはずがないのです。
あなたは道から恵みを得ているということを覚えておきましょう。
道に背く者には、どのような恵みも与えられることはありません。
道に背く者には、必要な制裁が与えられるということを覚えておかなければならないのです。
満足するためには、実力がなければなりません。
実力が無いのに、満足することなどできるはずがないのです。
実力があれば、その道に貢献することができます。
そして、その実力によって、多くの人に必要とされるのです。
実力の無い者を必要とする人はいません。
実力を付ければ、勝手に他人はあなたを必要とするのです。
あなたの実力という原因が、豊かな人生という当然の結果を導くのです。
人生を豊かなものにしようと焦る必要はありません。
誰かに気に入られようと必死になる必要もないのです。
あなたがそれに相応しい人物であれば良いのです。
あなたが求める理想に相応しい人物であれば、望まなくても自然とそうなるのです。
自分自身の実力が重要なのです。
他人や世間が重要なのではありません。
豊かな人生に相応しい人であれ。

2014年7月8日火曜日

詐欺師

あなたは似て非なるものに注意しなければなりません。
この世には様々な思惑が交差しています。
様々な思惑があなたにささやき、あなたを誘うのです。
あなたはその思惑に導かれて人生を築くのです。
あなたにとって、それは理想を実現してくれるための思惑でしょうか?
その思惑によって、あなたが不幸を得ることがないようにしなければなりません。
何を信じるのかは、あなたが自己責任によって決めることが許されています。
何かを信じてはいけないということはありません。
あなたは自由に信じ、自由に人生を築くことができるのです。
信じるものがどのような性質(本性)を持っているのかを知らなければならないのです。
外見はどのようにでも整えることができます。
詐欺師であっても笑顔であなたに近付くのです。
詐欺師は人格者に偽装します。
詐欺師は平気で嘘を吐くのです。
詐欺師に騙されたとしても、それを見抜くことができなかった自分自身に落ち度があるのです。
詐欺師に騙されたと騒ぎ立てる人がいます。
それは、自身の愚かさを露呈(ろてい)しているに過ぎません。
騙す方が悪いということはありません。
騙される方が悪いのです。
人生は自分自身の選択によって築かれます。
目の前に笑顔の詐欺師がいたとしても、それに愚かに騙される人もいれば、賢く躱(かわ)す人もいます。
詐欺師は詐欺師であり、同じことしています。
それに騙される者は愚か者と呼ばれ、それに騙されない者は賢い者と呼ばれるのです。
この世には様々な思惑が交差しています。
その中には、詐欺師のように悪意に満ちた人間もいるのです。
悪意がなくても、結果的に人を騙している愚か者もいるのです。
あなたはしっかりとその人とその言葉とその行いを見極めましょう。
上手く隠してはいますが、必ず綻(ほころ)びが存在しています。
嘘を吐く者には、完璧な整合性が存在しないのです。
その矛盾は小さなものであるかも知れません。
しかし、小さくても、それが証明しているのです。
偽物が本物をどれだけ研究して真似たところで、本物とは輝きが違うということを覚えておきましょう。
偽物が本物になることはありません。
偽物はどれだけ精密に作っても偽物であるのです。
この世には悪意が満ちています。
そして、本物に偽装した偽物が蔓延(はびこ)っているのです。
「神」の言葉を語り、愛を伝える者がいます。
しかし、その者の人格、言葉、行動はどのようなものでしょうか?
「神」が俗的でしょうか?
「神」が人の欲望に根差すでしょうか?
「神」が敵を作るでしょうか?
特別な道具や儀式によって、人が救われるのでしょうか?
あなたは騙されてはなりません。
この世の理(ことわり)と照らし合わせましょう。
そうすれば、その者が語る内容がどこから出たものであるのかを理解することができるでしょう。
詐欺師と共に行けば、乏しさと苦しみに辿り着くでしょう。
あなたはあなたを騙そうとしている者に着いて行ってはなりません。
あなたから奪い取ろうとする者に注意しましょう。
あなたは、あなたに与えてくれる者に従うのです。
その人の行為がどこから出て、どこへ行くのかを見極めましょう。
そして、その道がどこへ辿り着くのかを想像するのです。
性質と違う場所に辿り着くことはありません。
詐欺師が豊かさと幸福を得ることは有り得ません。
詐欺師に従う者も同じです。
何を信じるべきなのかを、思慮深く考えなければならないでしょう。
豊かさと幸福を与える人、そして、それに辿り着く道を求めましょう。

2014年7月7日月曜日

受け入れる人

あなたは自分勝手に生きてはなりません。
あなたは自分勝手に事を進めようとしてはならないのです。
事を無理に進めるのであれば、それは良い結果を結ばないということを覚えておきましょう。
すべての事柄が、あなたとそれ以外の存在によって作り上げられるのです。
何一つとして、あなたが自分勝手に、無理矢理に押し進められることなどないのです。
事を無理矢理に押し進めようとするのであれば、あなた以外の存在からの反感を得るということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは独りで生きているのではありません。
この人生はあなたのものではありますが、あなた独りの力ではどうすることもできないのです。
あなた以外の存在からの手助けがなければ、何も実現することはないのです。
あなたは、自分勝手に生きてはなりません。
それは、自分以外の存在からの協力を得るためです。
自分以外からの協力を得ることなく、事が捗(はかど)るということはないのです。
自分勝手に事を押し進めようと考えるのであれば、事を荒立て、邪魔が入るということを知りましょう。
事を円滑に進めるためには、自我を通してはならないのです。
自分勝手に押し進めるのであれば、どのような事も円滑には進みません。
あなたはそのことを覚えておかなければならないのです。
あなたは、あなた以外の存在からの協力を得なければなりません。
そのためには、自分勝手であってはならないのです。
あなたは自我を捨てましょう。
自我に執着するのをやめて、非我によって生きるということを実践しなければならないのです。
非我によって生きるというのは、すべてを受け入れ、すべてに委(ゆだ)ねるということです。
すべては大切な意味を持ちます。
すべてが必要な学びです。
すべてがあなたに相応しいのです。
この世には、このようなルールが存在しているのです。
自我によって生きる人は、このルールを無視します。
自分の思うように進まなければ嫌なのです。
理想とは違う状況に対して腹を立てる人がいます。
そのような人の心は自我によって支配されています。
すべてが大切な学びなのです。
すべてに意味があるのです。
すべてがあなたに相応しいのです。
その事実を理解している人なら、どのようなことが起ころうとも、それを受け入れ、更には力に変えることもできるのです。
自我によって生きている者には理解することができません。
そして、苦悩を抱えて生きるのです。
自分勝手に生きる者が幸福を得ることはできません。
それは、あなた以外の存在との共存という形で、この世が成り立っているからです。
独りで生きていくことなどできません。
人は、自分以外の存在の協力を得なければならないのです。
自分以外の存在にも、何等かの事情があります。
その事情を無視し、自分勝手に事を押し進めようとするのだから、幸福が得られるはずがないのです。
何事も無理に進めてはなりません。
上手くいかないのであれば、上手くいかなくて良いのです。
タイミングが合わないというのであれば、タイミングが合わないことが良いのです。
すべてが必要によって満たされています。
あなたが自我によって状況を無理矢理に押し進めようとするのであれば、必要が満たされるのを邪魔するということになるのです。
必要の妨げをするのであれば、必要は満たされないのです。
あなたが自分勝手に行えば、それは必要の邪魔をしているのと同じことなのです。
自我によっては、必要は満たされないということを覚えておきましょう。
必要は非我によって満たされます。
あなたは自分勝手に生きてはなりません。
すべてを受け入れ、すべてに委ねましょう。
陽が降り注ぎ地を焼いても、雨が地を濡らしても、風が砂を巻き上げても、それを食い止める必要はないのです。
自然はそれでも豊かに存在しているのです。
陽が降るからといって雨を願ってはなりません。
すべての必要は満たされているということを覚えておきましょう。
自分勝手に生きてはなりません。
すべてを受け入れ、委ねましょう。

2014年7月6日日曜日

行為の範囲

あなたは自分自身の行為が、自分自身の内に収まることがないということを知りましょう。
あなたの行為は、あなたの周囲にも影響力を持っているのです。
あなたの行為は、自分自身に多大に影響します。
それと同じように、周囲の人々や状況にまで派生するのです。
自分の行為が知られずには終わらないということを覚えておきましょう。
あなたの行為はそれが何であれ明るみに出るのです。
あなたは自らの行為を隠し通すことはできません。
それは、あなたの行為が周囲に影響力を持っているからです。
親の行為は、親とその子どもの評価に繋がります。
子の行為は、子とその親どもの評価に繋がるのです。
親がしたことに子どもが関係ないということはありません。
子がしたことに親が無関係ということなど有り得ないのです。
あなたがそれは自分がしたことであり、あれは他人がしたことであると主張したところで、世間はそれを受け入れません。
他人(関わりのある人)との関係がどのようなものであっても、周囲はその範疇(はんちゅう)によってその判断を下すのです。
あなたが自分独りがしたことだと主張したところで、世間はそうは判断しません。
あなたや他人がどのように自分を正当化しようとも、あなたの行為で他人が評価され、他人の行為であなたが評価されることになるのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
人は独りでは生きていくことができません。
そのため、人はコミュニティーを形成します。
人間関係は人が豊かに生きるための知恵です。
しかし、その人間関係は連帯責任という規則を抱えているのも事実なのです。
あなたの関わる人が行った行為によって何等かの被害が生じたからといって、自分には関係がないということはできないのです。
あなたがどのように身の潔白を証明しようと努めても、連帯責任という規則からは逃れることができません。
これまでの間、互いに協力しておきながら、状況が悪化したという理由によって、これまでの仲間をいきなり裏切るということは世間が許さないのです。
あなたは自らの求める結果に相応しい行為を行いましょう。
世間はあなたの行為に等しい評価を下すでしょう。
良いことを行えば認められ、頼りにされます。
悪いことを行うのであれば蔑(さげす)まれ、嫌われるのです。
人は自分独りで生きているのではありません。
自分勝手に生きることができる人などいないのです。
人は人間関係という名のコミュニティーを形成しなければなりません。
人は独りでは生きていくことができないのです。
あなたの行為は無条件に、あなたの関わる大切な人に影響します。
あなたが大切な人に迷惑をかけまいと努めても、それが悪いことであれば、否が応でも迷惑をかけることになるのです。
あなたは自分自身の行為が、大切な人にとって多大なる影響力があるということを知りましょう。
あなたは自分勝手に行ってはなりません。
その行為がどのように影響するのか?ということを想像しなければなりません。
それが自分自身や大切な人を助けることに繋がる行為であるというのであれば、あなたはそれを自信を以て行いましょう。
それが自分自身や大切な人の迷惑に繋がる行為であるというのであれば、あなたはそれ以外の行為を探して行いましょう。
周囲の人に悪影響を与えて幸福を得ることのできる人はいません。
あなたは周囲の人に良い影響を与え、他人を助けることによって幸福を得なければならないのです。
あなたは注意しなければなりません。
自分では良いと思っていても、それは自分勝手な基準による判断となってはいませんか?
あなたが良いと思っていても、それは他人の足を引っ張る行為であるという可能性はあるのです。
あなたは常に他人の立場になって考えなければならないのです。
自分本位な考え方では、見えないことがたくさんあるのです。
他人の視点に立って見れば、あなたは自分の行為がどのようなものであるのかを知ることができるでしょう。
あなたが他人に行うことは、他人もあなたに行うのです。
あなたが他人の評価の上がる行為をすれば、他人はあなたの評価が上がる行為を以て報いるでしょう。
あなたが他人のために働いたのに、他人があなたのために働かないということは有り得ないのです。
その人にそのような意思が無くとも、神々によってそのように働かされるのです。
良いことをすれば良い報いがあります。
悪いことをすれば悪い報いがあるのです。
この世はとても単純な構造をしています。
自分の行為が自分自身の内に収まることがないということを覚えておきましょう。



2014年7月5日土曜日

失った後の豊かさ

あなたは失うことを恐れてはなりません。
人が生きているのであれば、多くのものを失うからです。
何かを失うことは仕方のないことなのです。
しかし、それが苦しみに繋がるということではありません。
あなたは、何かを失うことによってより多くのものを受け取ることができるということを覚えておきましょう。
ただし、失った後にそれよりも多くのものを受け取ることができるのは、その人の心が光と繋がっている時のみです。
心の光とは、思いやりや愛情、喜びや希望のことです。
何かを失ったとしても、心にそれらの状況が確立しているのであれば、失うことを恐れる必要はないのです。
樹木が枝を奪われるならば、その奪われたところからはその何倍もの新芽が生まれます。
樹木は失った場所を更に強化するのです。
人が何かを失ったとしても、心が光と繋がっているのであれば、これと同じことが起きるのです。
何かを失うことを恐れる人がいますが、その人は心に光を抱かない人なのです。
その人の心には思いやり、愛情、喜び、希望が乏しいでしょう。
そのような人が多くのものを得ることなどできるはずがないのです。
心が乏しければ、それに従って失うのです。
心が豊かであれば、それに従って得るということを覚えておかなければなりません。
失うことを悪と見做(みな)してはなりません。
心に光を抱く人にとっては、失うことは善であるからです。
何かを失うからこそ、新たなものが手に入るのです。
古いものが場所を占領しているのであれば、新しいものが収まる場所はないのです。
あなたは間違えてはなりません。
何かに執着してはならないのです。
この世界は常に流転しています。
その流れを食い止めるのであれば、そこには停滞と腐敗が生じるということを覚えておきましょう。
何かを失うことを恐れて、それに執着するのであれば、あなたはそこで苦しみを得るということを覚えておかなければならないのです。
変化を妨げようとする者には、苦しみという報いが訪れるのです。
枝葉を多く茂らせる樹木は、多くの花と果実を付けます。
果実を付ける樹木を切り倒そうとする人はいません。
しかし、果実を付けることもなく、姿も醜ければ簡単に切り倒されてしまうのです。
あなたは心を光に繋げていなければなりません。
光と繋がっていなければ、心は醜く歪んでしまうのです。
そのような心は幸福と豊かさを害するのです。
自分自身にとっても、他人にとっても、害であるということを知っておきましょう。
人は幸福を得るために生きているのです。
すべての人が幸福を求めているのです。
人の幸福を妨げてはならないのです。
人の幸福を支えなければならないのです。
失うことを恐れている者が、他人のために尽力することができるでしょうか?
失うことを恐れている者は、その恐れ故に行動を奪われています。
尽力するためには働かなければならないのです。
相手の利益のために働くことが、相手の幸福を実現するのです。
失うことを恐れている者は、他人の幸福のために尽力することはできないのです。
失うことを恐れない者には恐れが無いため、幸福のためにすぐさま行動することができます。
失うことを恐れないが故に、変化に対応することができるのです。
変化を受け入れなければなりません。
変わることが無ければ、どうやってそれ以上に幸福を得ることができるのでしょう?
現状を失うことがなければ、新たな状況を手にすることはできません。
失うことを恐れる者が豊かに生きる方法は存在しないのです。
幸福を求めないというのであれば、あなたは失うことを恐れ、古いものにいつまでも執着していましょう。
そうすれば、あなたは念願の苦しみを得ることができるのです。
人が失うのは当然のことです。
人は常に何かを失っています。
失うことがなければ、あなたは今ここにいないのです。
恐れる必要はありません。
すべては上手く進んでいます。
失うことよりも、その後に得られる豊かさに注目しましょう。

2014年7月4日金曜日

未来の可能性

この世界は可能性に満ちています。
あなたの人生は未知で溢れているのです。
あなたは人生に悲観してはなりません。
現状がどのようなものであれ、その先には現状とは違う未来が待っているのです。
いつまでも現状が続くということは有り得ません。
あなたが幸福を望み、豊かさのために行動するのであれば、人生は幸福と豊かさによって満ちるのです。
どのように苦しくても、いつまでもそれが続くということはありません。
あなたの考え方、生き方がそれを食い止めるのです。
人生は自分自身の選択によって築くことができるのです。
未来が決まっているということはありません。
所有している原因までは結果は決まっていますが、その先はこれから決めていくのです。
あなたは自らの所有している原因がどれほどあり、どれだけの結果をもたらすのか?ということを知りません。
そのため、あなたは今この瞬間から、建設的な原因を作る努力をしなければならないのです。
物事を建設的に考え、穏やかで余裕のある豊かな生き方をしなければならないのです。
不満や不安などの破滅的な考えによって、争いや苦しみを抱える乏しい生き方をしてはならないのです。
現状は過去に作り出した原因の結果です。
あなたは過去のことをどうすることもできません。
過去のことを気に病んだり、あれこれ考えてもどうしようもないのです。
気にかけるだけ無駄であるのです。
過去がどのようなものであれ、それを変えることはできません。
ならば、現在に良い原因を生み出し、幸福で豊かな人生を築く方が有意義なのです。
過去に捉われている人は、現在を疎かにしています。
怒りや悲しみに縛られて未来を見てはいないのです。
過去をどうにかしようと考えても、それを改善する方法はないのです。
自分がしたことは、それを甘んじて受け入れなければならないのです。
目の前に存在する状況は、過去による当然の結果です。
それはあなたが生み出した原因からの当然の結果なのです。
人生が間違えることはありません。
自分自身を正当化するのをやめて、誠実に自分自身と向き合ってみましょう。
そうすれば、その状況が当然の結果であるということを受け入れることができるのです。
視点が乏しいため、それが自分自身の行為によって生じた原因であるという認識ができないだけなのです。
あなたが成長すれば、それが自分自身の至らなさであったと気が付くでしょう。
あなたがどのような現状と過去を抱えていたとしても、大切にしなければならないのは未来の世界なのです。
この世界はあなたに可能性を示し続けます。
あなたから未来の可能性を奪うということはありません。
あなたの未来が失われるのであれば、それは自分自身がそのように選択したということに他ならないのです。
人生に悲観してはなりません。
現状をそのように築いたのはあなた自身なのです。
ならば、同じように未来もあなたが築くことができるのです。
未来は建設的に築きましょう。
現状に対する考え方や生き方を修正しましょう。
その考え方、生き方には愛情や喜びがなければなりません。
考え方や生き方が愛情や喜びから離れてしまうと、そこには闇が侵入するのです。
考え方や生き方が暗いと、状況が可能性を抱くことはできないのです。
暗い表情や気分で生きてはなりません。
人生は自由に築くことができるのです。
それはとても素晴らしいことです。
ただし、過去におけるすべての原因が結果として現れ、それを乗り越えることができなければ、人生を自由に築くことはできません。
借金があるのに、好き勝手に買い物はできないのです。
借りがあるのであれば、それを返し終えるまでは自由は存在しないのです。
当たり前のことを忘れてはなりません。
借金がなければ好きなものを買えば良いのです。
破滅的な考え方や生き方による破滅的な原因が、問題や苦しみという形で結果として現れても、それに不満や不安などの感情を抱いてはなりません。
負のループを断ち切るのです。
何があっても、それに感謝したり楽しむことです。
どのような状況にも、大切な学びが存在しているのです。
その視点を探すのです。
そうすれば、人生が素晴らしい場所であるということに気が付くことができるでしょう。

2014年7月3日木曜日

無知

あなたは、知らないという理由で許されることがないということを覚えておきましょう。
知っていても知らなくても、人は事実に基づいて裁かれます。
それが善意であろうと悪意であろうと、何をしたかによって受け取る状況は違うのです。
この世には理(ことわり)というものが存在しています。
どのような道、世界にもルールがあるのです。
そのルールに反するのであれば、善意であろうが悪意であろうが、その悪行によって裁かれるのです。
重要なのはどのような心持ちであったのか?ということではありません。
何をしたのか?ということが重要視されるのです。
それがあなたにとっての善意であれ、誰かを傷付けることになれば、その人はあなたを訴えます。
あなたが善行だと思っていても、そうではないということが多々あるのです。
人の価値観は常に未熟であり、不安定なものであると理解しなければなりません。
悪行を善行であると信じている人は多くいるのです。
悪魔を神と進行している者が多いのです。
純粋な心であっても、純粋なまま悪事を働くことがあります。
純粋な心の持ち主であるほどに、判断ができずに間違えるということがあるのです。
あなたはそれが本当に善行であるのか?ということを考えなければならないでしょう。
善行とは、愛に従って生み出される行いのことです。
その行いが愛に根差したものであるのならば、それは善行ともなるのです。
愛とは、相手を思いやる気持ちです。
利他心こそが愛であるのです。
利己的に行うことが善であるということはないのです。
自分勝手に振る舞っているのであれば、あなたは他人に否定されてしまうからです。
他人から非難されるのであれば、それは善行ではないのです。
人は人を救うために存在しています。
人は人に感謝されるように生きなければならないのです。
間違っている者を正しい道に戻すことが救いであるのです。
純粋な心を持っている人は多くいます。
しかし、その純粋さが利用されるのです。
善意によって悪行を行ってはなりません。
知らないからという理由では許されないのです。
知っているなら尚更です。
理に反して許される者はいません。
人は誰もが理に反することができないのです。
人は誰もが理の中に生きているのです。
ルールには従わなければなりません。
あなたよりも大きな力が存在しているのです。
あなたには勝ち目が無いのです。
悪いことがないからといって、安心していてはなりません。
種が蒔かれても、すぐには実を付けることがないように、長い年月をかけてでも確実に実りをもたらすのです。
その行いが悪行であるにも関わらず、結果としては有利なことを受け取ることがあります。
そこで愚か者は更に間違いに拍車をかけてしまうのです。
あなたは自らの行いに愛があるか?を今すぐに確認しましょう。
他人に対する愛情、自分に対する愛情、他の命に対する愛情、物に対する愛情、状況に対する愛情、環境に対する愛情・・・
あなたの心の中に愛情が存在し、それが向けられている時には善行となるのです。
愛情が向けられていなければ、それは結果として悪行になるのです。
判断の基準はそこに愛があるのか?ということです。
知らないという理由では許されません。
あなたが誰であろうとも関係ありません。
あなたが誰であるのか、この世の理には関係のないことなのです。
それは人知を超えた力であるからです。
人が人を裁くのではありません。
この世の理が人を裁くのです。
やって良いことと、やってはいけないことの区別を付けましょう。
許されることと許されないことがあります。
知らないという理由では許されないということを覚えておきましょう。

2014年7月2日水曜日

高尚と低俗

あなたは高く昇らなければなりません。
あなたは高みを目指して進まなければなりません。
どのような理由があろうとも、低く下がってはなりません。
どのような理由があろうとも、高く昇らなければなりません。
この世は心を映す世界なのです。
あなたの心境がそのまま人生を築くということを理解しなければならないのです。
あなたの状況は、あなたの心を現します。
あなたは、自身の心から逃れることはできません。
あなたがどこで誰と何をしても、自分自身の心からは逃れられないのです。
不利な状況から逃れようとする無駄な努力はやめましょう。
そのようなことをしても無駄です。
自らの心を改善しない限りは、どのような方法を用いても、決してそれから逃れることはできないのです。
あなたが救われる方法は一つしかありません。
あなたは自らの心を向上させる以外に方法はないのです。
この世界は原因から生じる結果がすべてです。
奇跡や不運というものは存在しません。
すべてが当たり前のこととしてのみ動いているのです。
あなたの心に相応しい状況が与えられるだけなのです。
あなたは心を高尚なものにしなければならないのです。
どのような道においても、高尚であれば幸福です。
どのような道においても、低俗であれば不幸です。
どのような道においても、高尚であれば豊かです。
どのような道においても、低俗であれば乏しいのです。
どのような道においても、高尚であれば穏やかです。
どのような道においても、低俗であれば乱れています。
どのような道においても、高尚であれば協力します。
どのような道においても、低俗であれば争うのです。
低い場所には誰でも立ち入ることができます。
そこには低俗な心の持ち主が蔓延(はびこ)り、場は汚れています。
里にはゴミが溢れているのです。
高い場所には誰でも立ち入ることはできません。
そこには高尚な心の持ち主が存在し、場は清められています。
山頂にはゴミが少ないのです。
本気である者以外は高みに到達することはできません。
高尚な心を目指す者以外は、低地に生活し、汚れと共に生きるのです。
高みに向かう程、悪意や争いからは遠ざかるということを覚えておきましょう。
あなたの心が低俗なものであれば、あなたは悪意や争いと共に生活しなければならないのです。
あなたが幸福を求めているのであれば、高く昇らなければなりません。
取るに足らない小さなことに躓(つまず)き、心を汚してはなりません。
小さな度量によって生きてはなりません。
目線を上に向けましょう。
できるだけ上品に生きるのです。
理性と知性によって生きることがなければ、高尚な人とはならないのです。
下品な言葉や行いによって生きてはなりません。
汚い生き方をするのであれば、周囲の汚れと共に更に低く下がることになるでしょう。
低俗なことを求めている者に従ってはなりません。
心を汚すことをしてはなりません。
あなたは高貴な生き方を目指しましょう。
周囲に愚かな者しかいなければ、それが例え親族であろうとも従ってはなりません。
そして、従えてはなりません。
集団で共に低く下がるよりも、一人だけでも高く昇る方が優れているのです。
人は高尚に向かわなければなりません。
自我と欲望に根差すような醜い生き方をしてはなりません。
美しい心を保ちましょう。

2014年7月1日火曜日

避けられないこと

人生には避けられないことがあります。
あなたはそれを回避することはできません。
どのような理由があろうとも、あなたはそれを受け取らなければならないのです。
あなたの事情は関係ありません。
あなたの機嫌も、状態も関係ないのです。
物事はただ当たり前に実現するだけなのです。
すべては原因から結果へと導かれます。
原因のない結果はありません。
原因が存在するのであれば、それは必ず結果へと結び付くのです。
原因が存在しているのであれば、それを食い止めることは誰にもできません。
結果は必ず生じるのです。
あなたは自らの原因から生じる結果からは逃れることができないということを覚えておきましょう。
どのように拒絶しても関係ありません。
どのように逃げても必ず追い付きます。
あなたはそれを必ず受け取るのです。
避けられないことであるなら、あなたはそれをできる限り良い状態によって受け入れなければなりません。
良い状態で受け入れることがなければ、地に落ちた植物の種のように次第に太り、やがてはどうすることもできない状態となってしまうのです。
地に落ちた種は実を結びます。
それが若芽であるのならば、あなたは容易に引き抜くこともできるでしょう。
しかし、それが成長した大樹ならば最早どうすることもできないのです。
その結果は受け入れなければなりません。
それが不本意な結果であるのならば、それがまだ(受け取ってから間もない)若い内にしっかりと向き合い、それが育つまでに抜き去らなければならないのです。
あなたは、自らの受け取る状況のすべてが、避けられないことであるということを知りましょう。
避けられない当然の結果であるから、それはあなたの目の前に生じたのです。
避けられることなら、あなたは受け取らなくても良いのです。
しかし、避けられなかったのです。
あなたはそれがどのようなものであれ拒絶してはなりません。
受け入れた後に、良いように処理する必要があるのです。
植物は自ら種を蒔き、広範囲に増殖します。
引き抜かなければ広がるばかりなのです。
問題が生じたのであれば、それは植物が種を蒔くように、火種を撒き散らしながら広がります。
問題が生じたのであれば、それをいつまでも拒絶していないで出来るだけ素早く受け入れることです。
問題から逃げるほど、問題が大きくなるということを理解しなければならないのです。
あなたがどのような手段に訴えても、それは決して避けられないのです。
覚悟しなければなりません。
すべての命が死を迎えるように、避けられないことはたくさんあるのです。
死の寸前になって、恐ろしくなって慌てるようではならないのです。
必ず実現することがあるのです。
どのように努めても、誰一人としてそれを避けることなどできないのです。
目の前に生じる状況は、あなたが受け取らなければならない当然の結果であるのです。
当然の結果を拒絶してはなりません。
受け取る結果はすべて、過去の自分自身によって築かれたのです。
誰かや何かのせいであなたがその結果を受け取るのではないのです。
あなたに必要であるから避けられないのです。
悲観してはなりません。
腹を立てて怒ってはなりません。
避けられないことは、あなたの成長に欠かすことのできないものであるのです。
避けられないことは、あなたの豊かで幸福な人生には欠かすことのできないものとなるのです。
自分が一番偉いと考える愚か者には、避けられないことがあるということを受け入れることができずに苦しむでしょう。
受け取る結果が当然であり、最優先されるべきだと考える賢い人には、大きな喜びが与えられるでしょう。
あなたは受け入れなければなりません。
一旦受け入れてから、それをどうするのか?を考えるのです。
受け入れる前から拒絶したところで何も始まらないのです。
人生には避けれないことがあります。
それを知っておきましょう。