あなたは、知らないという理由で許されることがないということを覚えておきましょう。
知っていても知らなくても、人は事実に基づいて裁かれます。
それが善意であろうと悪意であろうと、何をしたかによって受け取る状況は違うのです。
この世には理(ことわり)というものが存在しています。
どのような道、世界にもルールがあるのです。
そのルールに反するのであれば、善意であろうが悪意であろうが、その悪行によって裁かれるのです。
重要なのはどのような心持ちであったのか?ということではありません。
何をしたのか?ということが重要視されるのです。
それがあなたにとっての善意であれ、誰かを傷付けることになれば、その人はあなたを訴えます。
あなたが善行だと思っていても、そうではないということが多々あるのです。
人の価値観は常に未熟であり、不安定なものであると理解しなければなりません。
悪行を善行であると信じている人は多くいるのです。
悪魔を神と進行している者が多いのです。
純粋な心であっても、純粋なまま悪事を働くことがあります。
純粋な心の持ち主であるほどに、判断ができずに間違えるということがあるのです。
あなたはそれが本当に善行であるのか?ということを考えなければならないでしょう。
善行とは、愛に従って生み出される行いのことです。
その行いが愛に根差したものであるのならば、それは善行ともなるのです。
愛とは、相手を思いやる気持ちです。
利他心こそが愛であるのです。
利己的に行うことが善であるということはないのです。
自分勝手に振る舞っているのであれば、あなたは他人に否定されてしまうからです。
他人から非難されるのであれば、それは善行ではないのです。
人は人を救うために存在しています。
人は人に感謝されるように生きなければならないのです。
間違っている者を正しい道に戻すことが救いであるのです。
純粋な心を持っている人は多くいます。
しかし、その純粋さが利用されるのです。
善意によって悪行を行ってはなりません。
知らないからという理由では許されないのです。
知っているなら尚更です。
理に反して許される者はいません。
人は誰もが理に反することができないのです。
人は誰もが理の中に生きているのです。
ルールには従わなければなりません。
あなたよりも大きな力が存在しているのです。
あなたには勝ち目が無いのです。
悪いことがないからといって、安心していてはなりません。
種が蒔かれても、すぐには実を付けることがないように、長い年月をかけてでも確実に実りをもたらすのです。
その行いが悪行であるにも関わらず、結果としては有利なことを受け取ることがあります。
そこで愚か者は更に間違いに拍車をかけてしまうのです。
あなたは自らの行いに愛があるか?を今すぐに確認しましょう。
他人に対する愛情、自分に対する愛情、他の命に対する愛情、物に対する愛情、状況に対する愛情、環境に対する愛情・・・
あなたの心の中に愛情が存在し、それが向けられている時には善行となるのです。
愛情が向けられていなければ、それは結果として悪行になるのです。
判断の基準はそこに愛があるのか?ということです。
知らないという理由では許されません。
あなたが誰であろうとも関係ありません。
あなたが誰であるのか、この世の理には関係のないことなのです。
それは人知を超えた力であるからです。
人が人を裁くのではありません。
この世の理が人を裁くのです。
やって良いことと、やってはいけないことの区別を付けましょう。
許されることと許されないことがあります。
知らないという理由では許されないということを覚えておきましょう。
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