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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年11月30日木曜日

個性であること

あなたが人生を豊かなものにするためには、この世界の本質に気が付かなければなりません。
世界の本質とは、世界の目的です。
この世界には、重要な目的が存在しているのです。
それは、理(ことわり)を学ばせ、成長させるというものです。
この世界に存在する一切は、理を学ぶことで成長する必要があるのです。
成長することの目的を知る必要はありませんが、成長することによって、喜びを得られるということは知っておく必要があるでしょう。
すべての存在が、成長することによって喜びを得られるのです。
それは、幸福感であり、豊かさであるのです。
あなたが、人生を豊かなものにするためには、理を学ぶことによって成長する必要があるということを覚えておきましょう。
この世界は、存在する一切の成長を目的としています。
そのため、存在する一切が成長するための合理的な手段を用います。
この世界の理とは、存在する一切が成長するための合理的な手段のことなのです。
世界には、常に理が存在しています。
あなたは常に、理と共に存在しているということを覚えておきましょう。
そのため、あなたの体験するすべての時間に意味が存在します。
あなたがどのように思おうとも、この世界には無駄は存在しないのです。
無駄に思えることも、決して無駄ではありません。
この世界には、多様性が存在しています。
何一つとして同じものは存在しません。
すべてが異なる存在であるのです。
それがこの世界の理です。
何一つとして同じものが存在しないのは、多様性によって学びが深まるからです。
同じものが同時に存在しても、そこには何の違いも生じないのです。
学びとは、違いを知ることであるのです。
違いを知ることによって、多面的に学ぶことができます。
学びとは、本質を知ることです。
本質とは、一方的な決め付けのことではありません。
本質とは、誤解を離れた純粋のことなのです。
あなたが誤解を離れるためには、一方的な決め付けを離れなければなりません。
そのためには、物事を多面的に学ぶ必要があり、物事を多面的に学ぶためには、多様性を理解する必要があるのです。
そのために、この世界には”同じ”が存在しないのです。
この世界から多様性を取り除くことはできません。
多様な形式が存在して良いのです。
多様な形式が”一つ”を形成しているのが自然なのです。
”すべては一つ”です。
しかしながら、それは同一のものということではありません。
多様なものが連係(れんけい)して、”一つ”を形成している状態のことなのです。
あなたは、多様性を尊重しなければなりません。
違いによって、学びは深まるのです。
あなたは、多様性を認めましょう。
誰かが、あなたと同一である必要はありません。
誰かと、あなたが同一である必要もないのです。
それぞれが異なる形式を保ち、連係して”一つ”を実現することが求められているのです。
あなたは、自分の個性を大切にしましょう。
そして、他者の個性を大切に扱わなければならないのです。
それぞれが異なる形式を保つことができれば、人生には豊かさが導かれるでしょう。
あなたは、個性(自分)であることに自信を持たなければなりません。
あなたが個性(自分)であるということは、他とは異なるということなのです。
あなたが個性(自分)であるということは、多様性を尊重するということなのです。
多様性を尊重することが、豊かさへの入口です。
あなたは、自分が誰とも異なるということを理解しましょう。
森には、一つとして同じ姿の樹木は存在しません。
河原には、一つとして同じ姿の石は存在しないのです。
そして、この世界には、一人として同じ姿の人は存在しないのです。


あなたは自信を以(もっ)て個性でありましょう。

2017年11月29日水曜日

真実の力

すべての人は、人生の目的を持って生れます。
人は、誰もが自らの人生の目的を果たす必要があるのです。
それは、人生の目的を果たすことに喜びを感じるからです。
人生の目的を果たすことによって、あなたは幸福を得ることができるのです。
人生の豊かさのためには、人生の目的に対する意識が重要なのです。
多くの人は、人生の目的に対する意識を持ちません。
多くの人は、自分の人生の目的を見失っているのです。
多くの人は、人生の目的を見失い、目の前の欲望や問題に対して注目しているのです。
そのため、多くの人は、目の前の欲望や問題に対する意識を貴重とするのです。
多くの人は、目の前の問題を解決し、思い付く欲望を実現するために人生を生きているのです。
多くの人にとって、それ以上の動機はありません。
誰もが苦しみを避け、楽を欲しているのです。
多くの人は、そのような状態にあるということを覚えておきましょう。
苦しみを避け、楽を求めることによっては、あなたが人生の目的を果たすことはできません。
残念ながら、あなたが人生の目的を果たすためには、楽を避け、苦しみを求める必要があるからです。
それは、この世界の理(ことわり)です。
反発することもできますが、そのような選択によっては、あなたが幸福を得ることはできないのです。
理に反する者が、豊かさを得ることはできないのです。
理とは、自然です。
それに反することは不自然なのです。
多くの人が不自然な生き方をしているということを覚えておきましょう。
不自然な生き方をすれば、人生は乏しさを得ます。
人生に乏しさを感じている人は、不自然な生き方をしているのです。
不自然とは、偽りです。
多くの人は、偽りと共に生きているのです。
多くの人は嘘を吐きます。
それは、苦しみを避けて楽を求めているからです。
多くの人は、嘘を用いることによって苦しみを避け、楽を求めようとしているのです。
あなたが自然な生き方を目指しているのであれば、偽りを避けなければなりません。
多くの人は簡単に嘘を吐きますが、あなたが豊かな人生を求めているのであれば、嘘を吐いてはならないのです。
不自然と共に生きたところで、導かれるのは問題なのです。
あなたは、偽りには力が無いということを覚えておきましょう。
不自然には力が無いのです。
例えば、不自然な食べ物は病気を導きます。
現代社会においては、不自然な(例えば、農薬や添加物や遺伝子組換えを有する)食べ物を摂る方が楽であるでしょう。
自然の食べ物を得ることは簡単ではありません。
そのため、多くの人は不自然な食べ物を食べるのです。
苦しみを避け、楽を選んだ結果が病気なのです。
多くの人は立場を守ろうとして嘘を吐きます。
それは、その場を凌(しの)ぐためには楽な方法ですが、嘘が明るみに出た時には大きな問題となるのです。
嘘を吐いて立場を守るよりも、嘘を吐かずに立場を去ることの方が良い結果を導くでしょう。
偽りには力が無いのです。
楽を求めるために偽りを用いようとするのであれば、自分の選択がどのような結果を導くのか?をより深く考えなければなりません。
苦しみを得たとしても、あなたは真実を用いましょう。
真実の導く結果が、悪いことなどありません。
この世界の理に従って生きている者が、乏しさを得ることなど有り得ないのです。
真実とは自然です。
自然とは力強いのです。
あなたは、自然と共に生きなければなりません。
どのような状況であろうとも、安易に偽りを用いてはなりません。
それは、偽りを用いるというのは、自分の利益しか考えていないということだからです。
利己的な者が幸福を得ることはできないのです。
あなたが真実を用いる時には、相手の利益を考えています。
相手の利益を考えている人は、真実を用いることに惜しみ無いのです。
真実と共に生きる時、あなたは力強く生きることができるでしょう。
力強いあなたは、人生に豊かさを導くことができるのです。


人生の目的を果たすためには、真実を用い、自然と共に生きなければなりません。

2017年11月28日火曜日

独特な価値観

すべての人は、価値観に従って生きています。
誰もが、価値観を所有しているのです。
それは、独特なものであり、共通なものでもあります。
人は、与えられた(教わった)価値観を、自分の中で独特な価値観へと変化させていきます。
そのため、その価値観は独特なものであり、また、共通なものでもあるのです。
そして、人は価値観に従って評価を下します。
人は、価値観に従って物事を判断しているのです。
評価が価値観を離れることはありません。
誰もが価値観に従った評価を下すのです。
あなたは、すべての評価が価値観に従って導かれているということを理解する必要があるのです。
それは、評価に惑わされないためにです。
人は、自分自身や他者からの評価に影響を受けます。
評価による影響はとても強いもので、それは継続と中断の権限をも持つのです。
人は、自分自身や他者からの評価によって、それを継続するか、中断するのかを決めるのです。
評価の低いことを継続することは難しく、中断を余儀無くされます。
逆に、評価の高いことは中断することが難しく、継続を余儀無くされるのです。
多くの人は、評価に従って選択を下しているのです。
評価の低いものを中断し、評価の高いものを継続するのは良いことのように思えます。
多くの人は、それを当然のことだと考えるでしょう。
しかしながら、あなたは、その評価が何によって導かれているのか?ということを考える必要があるのです。
多くの人は、自分自身や他者からの評価が正しいと考えています。
それは、多数派の意見であるからです。
人は、多数派の評価に従います。
多数派の評価に従うことが正しいと思っているのです。
しかしながら、あなたの人生において、今までに多数派の意見が正しかったことがあったでしょうか?
あなたは、自分の人生を生きるために生まれたのです。
あなたは、自分の人生を生きるための選択を行わなければなりません。
そのためには、先ずは自分を信用しないことです。
それは、既存の価値観に従っているからです。
あなたの抱えている価値観は、誰かに与えられた(教わった)価値観を自分の中で独特な価値観へと変化させたものです。
それは、既存を脱してはいないのです。
それは、他者の価値観も同じです。
既存を脱していない価値観を安易に信用することはできないのです。
なぜなら、あなたの目的は、自分の人生を生きることだからです。
既存の価値観に従うということは、誰かの人生を生きるということなのです。
あなたが生きなければならないのは、誰も生きたことのない、自分の人生なのです。
未知の価値観に従わなければ、人が自分の人生を生きることはできないのです。
ただし、この世界には未知の価値観を所有している人はいません。
矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、それは仕方のないことなのです。
そのため、既存の価値観の中から、独特に変化した価値観を抽出(ちゅうしゅつ)し、それに従わなければならないのです。
自分の人生を生きるというのは、既存の中に生じる独特を掬(すく)い取るような作業なのです。
そのため、自分自身の評価も、他者からの評価も、安易に信用することはできないのです。
多くの人は、既存の価値観によって導かれる評価に左右されています。
あなたが豊かさを求めているのであれば、安易に評価に従ってはなりません。
既存の価値観に従ったところで、あなたは自分の人生を生きられないのです。
自分の人生を生きるのは簡単なことではありません。
多くの人は、既存の中に生じる独特に従うことができないのです。
”当たり前”、”普通”を生きることは、あなたのストレスにしかなりません。
なぜなら、あなたは”当たり前”でも、”普通”でもないからです。
あなたは独特な存在なのです。
あなたは、唯一の存在なのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
人生に乏しさを感じているのであれば、自分が”当たり前”や”普通”に陥っていることを疑いましょう。


”当たり前”や”普通”を離れる勇気を持ち、独特な価値観に従う決断を下した者だけが、人生に豊かさを導くのです。

2017年11月27日月曜日

真実の学び

人生において大切なのは、今に最善を尽くすということです。
あなたには、今に最善を尽くすこと以上に良い方法はありません。
あなたには、今に最善を尽くすこと以外にできることはないのです。
多くの人は、今に最善を尽くすことを忘れています。
多くの人は、今に最善を尽くすことを忘れ、過去や未来に思いを馳(は)せているのです。
多くの人にとって、現状は受け入れ難いものです。
それは、問題であり、悩みであるからです。
多くの人は、今を生きることを恐れているのです。
それは、苦しいからです。
今に最善を尽くすということは、目の前の問題や悩みと向き合う必要があります。
それは、目の前の問題や悩みと向き合うことこそが、今の自分にできる最善であることを誰もが知っているからです。
多くの人は、問題や悩みと向き合うことを恐れます。
多くの人は、可能ならば、問題や悩みと向き合わずに生きたいと考えているのです。
それは仕方のないことです。
誰もがそのように考えます。
それが”普通”なのです。
しかしながら、多くの人の行っている”普通”とは、自然のことではありません。
多くの人の行っている”普通”というのは、不自然な状態のことなのです。
人生の目的は成長することにあります。
人が成長するためには、問題や悩みを放置しておく訳にはいきません。
人が成長するためには、問題や悩みと向き合い、それを解消する過程で得られる経験値が必要なのです。
人は、経験値によって成長することができます。
問題や悩みによって得られる経験値とは、本質(真理、原則)のことであるのです。
本質を得ることによって、人は成長することができます。
それは、本質とは真実のことであるからです。
あなたが問題や悩みに向き合うことによって得られた経験は真実です。
成長するためには真実が必要です。
なぜなら、真実を知る(悟る)ことこそが成長であるからです。
偽りをどれだけ集めたとしても、残念ながら、成長が実現することはありません。
成長は、真実を得ることによってのみ実現するということを覚えておきましょう。
多くの人の行う”普通”という不自然な行為は、真実を拒絶する行為です。
あなたが成長を欲し、豊かな人生を望んでいるのであれば、不自然な行為を手放し、自然な行為を選択しなければならないのです。
自然な行為とは、今に最善を尽くすということです。
今に最善を尽くしている人は、必ず問題や悩みに向き合います。
どのような向き合い方をしても、向き合っているのであれば、必ず何かしらの真実を得ることができるのです。
そのため、自分の無力さに幻滅してはなりません。
向き合うことに価値があり、向き合うことが素晴らしいのです。
小さくても、真実には価値があります。
大きくても、偽りには価値がありません。
あなたは、自分なりに今に最善を尽くせば良いのです。
誰かと比べる必要はありません。
あなたはあなたの学びを経験しているのです。
それで良いのです。
最善を尽くすというのは、懸命に行うということです。
懸命を尽くすことが最善なのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
体裁(ていさい)を気にする必要はありません。
どのような方法であろうとも、最善を尽くしている姿は美しいのです。
懸命に何かを行っている人は、美しいということを覚えておきましょう。
それは、不自然よりも自然の方が美しいのと同じことです。
最善を尽くす姿勢は自然の美しさを生み出し、最善を拒絶する姿勢は不自然な醜(みにく)さを生み出すのです。
人生に醜態(しゅうたい)を晒(さら)してはなりません。
あなたは、自分なりに今に最善を尽くすのです。
それ以外のことを求めてはいないのです。
懸命を尽くすのです。
それは、誰にでもできることなのです。
難しいことをしろと言っているのではありません。
自分なりの最善を尽くすことなど、誰にだってできることなのです。
過去や未来に取り憑(つ)かれてはなりません。
それ等は幻想に過ぎないのです。
どのような問題や悩みが立ちはだかろうとも、あなたは最善を尽くしましょう。


そうすれば、成長のための真実の学びが得られるでしょう。

2017年11月26日日曜日

結論

あなたが豊かな人生を求めているのであれば、結論を急いではなりません。
結論を急いでしまえば、判断を誤ることになるからです。
結論とは、自分勝手な決め付けでしかありません。
あなたの結論とは、あなたの偏見が導き出した仮定に過ぎないのです。
仮定に過ぎないものを自分勝手に信じ込み、それに従って選択を行います。
偏見によって導き出された結論が導く状況は、歪んだものであるのです。
歪んだ状況には問題が生じます。
問題によって、あなたは苦悩を覚えるでしょう。
苦悩は、人生を乏しいものとするのです。
多くの人は、人生に豊かさを感じることができず、乏しさを覚えています。
多くの人は、結論を急ぎ過ぎているのです。
大切なのは、結論は後回しにするということです。
あなたは、自らの偏見が導き出した仮定に過ぎない考えを信じ込んではなりません。
あなたは、自分の結論を疑わなければならないのです。
結論を疑うことによって、あなたは柔軟さを得ることができるでしょう。
柔軟さを得ることによって、臨機応変(りんきおうへん)に対応することができるのです。
結論を急ぐ人は、目の前の状況に対して柔軟に対応することができません。
それは、状況を複雑化し、更なる問題を引き起こす原因となるのです。
そのため、結論を急いではならないのです。
ただし、決断は素早く行わなければなりません。
決断と結論は異なります。
何も、優柔不断(ゆうじゅうふだん)に生きろと言っているのではありません。
一つ一つの決断は素早く行い、それによって導き出される状況に対する結論を急いではならないということなのです。
すべての人は未熟です。
あなたは無知であり、何も知りません。
何が正しいのか?誰にも分からないのです。
当然、あなたにも分かることではないのです。
何が正しいのか分からないのだから、結論に至ることはできないはずなのです。
あなたには、正しいことが分からないのです。
正しいことが分からないのが自然なのです。
しかしながら、多くの人が正しいことを知っているように振る舞っています。
結論に至っているのがその証拠です。
多くの人は、自分が正しいことを知っていると思っているのです。
残念ながら、誰も正しいことを知りません。
結論に至ることが許されている人は存在しないのです。
そのため、あなたは比較によって少しでも正しいと思える方を選ばなければならないのです。
あなたは、悪いものの中から、それでも良いものを選ばなければなりません。
あなたの下す結論は必ず誤っています。
それは、すべてが偏見を通じて認識されるからです。
そのため、あなたは比較する必要があるのです。
あなたの予想は当てになりません。
それは、あなたが未熟であるからです。
あなたは、頭の中だけで考えてはなりません。
あなたの予想は必ず外れます。
あなたの期待は必ず裏切られるのです。
それは、あなたが間違っているからです。
結論を急ぐということは、人生を間違える可能性を高めるということなのです。
あなたは必ず間違えますが、それでも間違えの少ない人生を選ばなければならないのです。
そのためには、簡単に結論を下さないということです。
どのような状況が導かれようとも、それが結論であると思い込んではなりません。
状況は常に変化を続けているのです。
人生には結論は存在しませんが、多くの人は結論を下します。
存在しない結論を下すということは、そこで思考が停止しているということなのです。
それでは間違えるのです。
結論を急がず、耐えることのない状況の変化を楽しみましょう。
目の前の状況がどのようなものであろうとも、それは必ず変化します。
人生は、決して終わりには辿り着かないのです。
結論を急いではなりません。

2017年11月25日土曜日

人生は、学びで溢れています。
あなたは、常に学びを受けているのです。
それは、あなたが未熟であるためです。
人生は、あなたの成長を願い、最善の学びを導いているのです。
あなたは、人生が導く学びに従って成長する必要があります。
人生が導く学びは、あなたが成長するための最善です。
それ以外の方法によっては、成長することは難しいのです。
最善を拒絶すれば、遠回りをしなければならないのです。
人は最短を求めています。
多くの人は、楽を求めているのです。
しかしながら、最善の学びを拒絶するのです。
多くの人は、矛盾を抱えていることを知りません。
多くの人は、自分が何をしているのかを知らないのです。
そのため、目の前に導かれる最善の学びに対して、それを拒絶することができるのです。
成長と豊かさは比例します。
人は、成長に相応しい豊かさを得るのです。
成長に乏しければ、人生も乏しいものとなります。
豊かに成長すれば、人生も豊かなものとなるのです。
あなたは、自分に相応しいものしか受け取ることができないということを覚えておきましょう。
あなたの目の前に導かれるのは、あなたに相応しい学びです。
それは、あなたが成長するための最善であり、最短の方法なのです。
あなたが人生の豊かさを求めているのであれば、そのことを覚えておく必要があるのです。
多くの人は、最善を拒絶します。
最善を拒絶すれば、そこには問題が引き起こされます。
あなたが問題を抱えているのは、最善を拒絶しているからです。
現状を受け入れることをせず、別の状況を欲しているようであっては、問題は解決しないのです。
多くの人は、問題を悪いものとして認識しています。
そのため、問題を抱えておくことを恐れます。
そして、それを出来る限り素早く手放したいと考えているのです。
その場から直ぐにでも立ち去りたいと考えています。
残念ながら、それでは成長することはできません。
あなたは、何のために問題が導かれているのか?ということを考えなければならないのです。
無駄に最善が導かれることなどありはしないのです。
必要であるからこそ、その問題が導かれているということを理解しなければなりません。
必要であるものを、必死になって拒絶する必要はありません。
必要なものは大切に扱わなければならないのです。
あなたは、必要なものを粗末(そまつ)に扱いますか?
そのようにはしないはずです。
問題が悪いものだとする誤解を手放しましょう。
あなたは、周囲の人からそのように教わったのです。
しかしながら、冷静に考えてみれば、問題が必要であり、最善の学びであるということを理解することができるでしょう。
あなたは、周囲の人たちのように、問題を解決するのに必死になる必要はありません。
問題が生じれば、それをしばらくは放っておきましょう。
それくらいの余裕は持たなければなりません。
冷静に観察し、本質を見極める時間が必要なのです。
問題を観察していれば、そこに趣(おもむき)があることを理解することができるでしょう。
問題には、問題としての風情(ふぜい)があるのです。
無駄に問題が導かれている訳ではありません。
最善である問題が美しくないはずがないのです。
夏の暑さは問題でしょうか?
冬の寒さは問題ですか?
それ等はどちらも趣であるはずなのです。
夏から暑さを取り除いてしまえば、夏の豊かさを取り除いてしまうことになります。
冬から寒さを取り除いても同じことです。
夏は暑いからこそ良いのであり、冬は寒いからこそ良いのです。
それが問題であるはずがないのです。
あなたの抱えている問題は、苦しいことに趣があります。
そして、悩むことに趣があるのです。
そのことを理解することができれば、問題は問題ではなくなっているでしょう。
それが、成長するということなのです。

2017年11月24日金曜日

仕方のないこと

大切なのは、人生を豊かに生きることです。
あなたは、人生を豊かに生きなければなりません。
多くの人は、人生の前に手立てを失います。
多くの人は、人生が変えられないと思い込んでいるのです。
そのため、無力に流されてしまいます。
残念ながら、人は力強い存在ではありません。
人は、因果の仕組みに逆らうことができないのです。
あなたは、因果の流れに沿(そ)って生きなければなりません。
そのため、どうすることもできないことは、どうすることもできません。
人生には不可能が存在し、それを可能にすることは許されません。
あなたは、因果の仕組みに沿って、受けるべき状況を受け取る必要があります。
因果の決定を覆(くつがえ)すことはできないのです。
原因を所有しておきながら、結果を拒絶することはできません。
あなたには、どうすることもできない状況が導かれるのです。
それを拒絶することは不可能です。
そのような選択は、時間と労力を無益に用いることなのです。
時間と労力を無益に用いることによって、あなたの人生は乏しさを増します。
人生に乏しさを感じている人は、目の前に導かれる状況に対して拒絶を働いているのです。
どうすることもできないことをどうにかしようとすることほど、無益なことはありません。
例えば、人は必ず老い、必ず病み、必ず死を受けます。
老いることを拒絶することも、病むことを拒絶することも、死ぬことを拒絶することも、無益な行為なのです。
それは、確実に実現する結果であるからです。
大切なのは、どうすることもできないことを受け入れるということです。
そして、受け入れた後に、それをどう活用するか?ということなのです。
どうすることもできないことを拒絶したところで、それをどうすることもできません。
起きたことは変えられないし、消し去ることもできないのです。
言わばそれは、仕方のないことなのです。
あなたには、受け入れる以外に手立てがないのです。
人生において、受け入れ難いことが多々あることでしょうが、あなたはそれを受け入れなければなりません。
受け入れた後に、そこからどうするのか?を考えるのです。
ただ、拒絶するだけでは、時間と労力の無駄なのです。
無駄な人生を生きてはなりません。
あなたは、人生を豊かに生きなければならないのです。
誰にとっても、受け入れることは難しいのです。
そのため、すべてを受け入れろと言うのではありません。
受け入れられる範囲を、徐々に広げていくことです。
人生には、常に最善が導かれています。
それがどのようなことであろうとも、あなたにとっての最善なのです。
残念ながら、あなたにはそれを理解する力はありません。
そのために、考えも無く拒絶という選択を下すのです。
あなたは、何のために生まれたのですか?
そして、何のために生きているのでしょうか?
熟考しなければなりません。
考えなければ感情的に反射します。
それは、良いものも悪いものとして扱うということなのです。
良いものを悪いものとして扱っているために、人生には問題や悩みが多いのです。
良いものを良いものとして扱えば、人生は穏やかで豊かなものとなるのです。
人生には、どうすることもできないことがあるのです。
拒絶は最善の方法ではありません。
そのような選択は、時間と労力を無駄にします。
時間と労力は大切な資源です。
それ等は豊かさのために用いなければなりません。
どうすることもできないことは受け入れることです。
どうすることもできないことは、どうすることもできないのです。
そのことを覚えておきましょう。
どのような状況にも柔軟に対応し、豊かさを導き出さなければなりません。

2017年11月23日木曜日

忠実な人生

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての人が、因果の仕組みの中に生きているのです。
誰も、因果の仕組みを離れることはできません。
すべての状況が因果によって導かれます。
その原因はあなたです。
あなたは、自分自身が原因であるということを理解しなければならないのです。
目の前にどのような状況が導かれようとも、その原因はあなたです。
人生がどのような状態であろうとも、その原因はあなたなのです。
誰かや何かが、あなたの目の前にそのような状況を導いたのではありません。
誰かや何かが、あなたの人生をそのような状態にしたのではないのです。
あなたは、すべての原因が自分自身にあるということを理解しましょう。
すべての結果は、あなたが決めているのです。
あなたの選択によって、状況も人生も決められているということを理解しなければならないのです。
そして、その事実を忘れてはならないのです。
あなたは、結果に対する原因を準備します。
どのような結果に対する原因も、すべてはあなたが自分で準備したものです。
あなたの選択によって、原因は準備されたのです。
人生において重要なことは、それを自分で決めているということを知ることです。
人生は、自分自身の選択によって決めているのです。
あなたが何を選ぶのか?ということが重要なのです。
多くの人は、言い訳を好みます。
自分にとって都合の悪い状況や人生は、誰かや何かによって引き起こされたと思い込みます。
被害妄想(ひがいもうそう)を仕立てることによって、自分を正当化し、同時に保護しているのです。
多くの人は、自分の非を認めません。
多くの人は、自分が正しいと思い込みたいのです。
都合の悪いことは、誰かや何かのせいにして、小さな自尊心を保ちたいのです。
それは、哀れなことに、それ以外に守るものが無いためです。
多くの人は、小さな自尊心を保つことに必死なのです。
多くの人が大切だと思い込んでいる自尊心は、それ程大切なものではありません。
なぜなら、それは偏見に満ちた頑固さであるからです。
自尊心によって、人は柔軟性を欠き、本質を見失います。
自尊心に頼ることをやめれば、冷静さと客観性を身に付けることができるのです。
知らなければならないのは、原因に対する結果は必ず導かれるということです。
多くの人は、小さな自尊心に頼ることによって、本質を見失っています。
本質を見失っている人は、歪んだ解釈と選択をしなければなりません。
それ以外の選択はできないからです。
そのため、問題を引き起こす原因を選択し、それに相応しい結果が導かれるのです。
多くの人は”自分”を生きてはいません。
多くの人は”他人”を生きているのです。
多くの人の原因の選択方法は、過去の教育に依存しています。
誰かや何かに教わった方法によって、受け取る結果の原因を選択しているのです。
そのため、目の前に導かれる状況や人生を誰かや何かのせいだと思い込んでいるのです。
重要なのは、選択しているのは自分自身であるということです。
知っていても知らなくても、選択しているのは自分自身です。
やってもやらされても、選択しているのは自分自身なのです。
状況や人生は、因果の仕組みのみを考慮します。
あなたの事情など汲(く)み取りはしないのです。
人生は、あなたの選択に従います。
人生は、あなたに忠実なのです。
あなたの人生は、誰かや何かには従いません。
あなただけに従っているということを理解しましょう。
そのため、人生を変えたいと願うのであれば、自分を変える選択をしなければなりません。
小さな自尊心に頼り、言い訳を好む生き方をしてはならないのです。
人生は自分自身で決めるのです。
そのことを覚えておきましょう。

2017年11月22日水曜日

未熟者の理想

あなたは、価値を計らなければなりません。
多くの人は、価値を誤解しています。
多くの人は、価値を理想的な解釈によって計っているのです。
そのため、価値は利己的な基準を持つようになります。
多くの人にとっての価値とは、理想そのものであるのです。
多くの人は、自らの抱える理想を実現することに価値を見出します。
多くの人は、理想が実現することに価値があると思い込んでいるのです。
理想が実現することを満足し、理想が実現しないことに不満を抱くのです。
残念ながら、すべての人が未熟です。
すべての人が歪み、すべての人の解釈は間違っているのです。
残念ながら、この世界においては、完全な人間など存在しません。
この世界におけるすべての人間は未熟なのです。
あなたは、自分が未熟であるということを覚えておかなければなりません。
そして、未熟者の解釈が間違っているということを忘れてはならないのです。
多くの人が、価値の解釈を間違えています。
多くの人の追い求める価値は、誤解であるということなのです。
残念ながら、未熟者の理想には価値がありません。
あなたは、自分よりも幼稚な人物の理想に価値を見出すことができるでしょうか?
あなたには、自分よりも幼稚な人物の理想に価値を見出すことはできないのです。
それと同じように、あなたの理想にも価値はありません。
自分自身を俯瞰(ふかん)すれば理解することができるでしょう。
あなたは自らの理想に価値を見出していますが、それはやがて価値を失います。
価値観の変化に伴(ともな)って、価値への解釈も変化するのです。
あなたが成長するほどに、価値への解釈は本質的なものへと変化していきます。
それは、価値への誤解が解けていくということなのです。
価値への誤解を多く抱えている人の解釈は、理想を価値と捕らえます。
多くの人は未熟な状態を生きています。
そのため、理想が実現することを価値と考えているのです。
思い通りの人生を望んでいる人は、自分が多くの誤解を抱えている未熟者であるということを理解しなければならないのです。
あなたにとって本当に価値のあるものは、あなたには理解することができません。
なぜなら、理想に価値があると思い込んでいるような人物は、自分が正しいと思い込んでいるからです。
自分が正しいと思い込んでいる人は、成長することができません。
それは、正しいものを変える必要などないからです。
多くの人が理想の実現を願っているのは、自分が正しいと思い込んでいるからなのです。
あなたは、自分が間違っていることを受け入れることができますか?
理想には価値がないということを理解することができるでしょうか?
それ等のことを受け入れることができるのであれば、あなたは本当の価値を知ることができるでしょう。
価値を正確に計る時には、謙虚(けんきょ)でなければなりません。
先入観を以(もっ)て計ったところで、正確な理解は得られないのです。
謙虚な態度で世界を認めれば、すべてが満たされることはないと理解することができます。
理想は決して満たされません。
それが自然なのです。
しかしながら、すべてが満たされることはなくても、必要が満たされているということを理解することができるのです。
必要とは、自分にとっての最善です。
あなたには、常に最善が導かれているのです。
自分が正しいという傲慢(ごうまん)を手放すことによって、目の前には常に最善が導かれていることを理解することができます。
そこであなたは、最善とは理想ではないということを理解することができるのです。
多くの人は、理想が最善だと思い込んでいます。
しかしながら、本当の最善とは、目の前の気に入らない現実のことなのです。
目の前の気に入らない現実にこそ価値があるのです。
価値を正確に計る人が理想を追い求めることはありません。
価値を理解する人は、目の前に導かれた現実を大切に扱うからです。
価値を理解する人は、価値を得ることができます。
しかしながら、価値を誤解している人は、価値を得ることができないのです。
理想通りにいかないのが人生です。
思い通りにいかないことに価値があるのです。
そのことを理解しなければなりません。
あなたが賢明な人であるのならば、理想通りの人生を望んではなりません。
未熟者の理想が実現するということは、乏しさを導くことだからです。

2017年11月21日火曜日

冒険

人生において大切なのは、冒険するということです。
冒険とは、未知を経験するということです。
人は、未知を経験しなければなりません。
人は、未知を経験することによって成長することができるのです。
成長するということは、世界を広げるということです。
そして、世界を深めるということだと理解しましょう。
成長することによって、人は広い世界を生きることができるのです。
成長に乏しい人物は、狭く、浅い世界を生きる以外にないのです。
狭く、浅い世界では、多くの問題が引き起こされます。
そこには乏しさが存在し、すべてが飢(う)えているのです。
それは、狭く、浅いことが原因なのです。
成長に乏しい人物は、常に飢えていなければなりません。
それは、不満や不安と共に生きなければならないということなのです。
どう生きるのか?ということは、あなたが決めることができます。
狭く、浅い世界で生きることも、深く、広い世界で生きることも許されているのです。
すべては、自分自身の選択によって決めているということを理解する必要があるのです。
狭く、浅い世界とは、現状のことです。
人は、どのような環境にも慣れてしまいます。
慣れるとは、狭くなるということなのです。
例えば、大変な長距離の移動であっても、慣れると平然としています。
それは、長距離の移動という広い世界が、慣れることによって狭くなったからです。
大きな喜びも、やがては失われます。
それも、慣れることによって世界が狭くなってしまったからなのです。
多くの人が現状に不満を抱き、不安を恐れているのは、世界が狭くなっているからに他なりません。
既知(きち)の現状に対して慣れてしまい、可能性を見出すことができなくなっているのです。
可能性の喪失(そうしつ)によって、人は不満と不安を抱くのです。
人が人生を豊かに生きるために必要なのは、可能性を広げるということです。
可能性とは、未知の世界にしか存在しません。
不満や不安で埋め尽くされた世界には、可能性は存在しないのです。
厳密には存在していますが、不満や不安しか見出すことのできない者には、可能性を探し出すことはできないのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、未知の世界に対して冒険しなければなりません。
未知の世界には、多くの可能性が存在しています。
それは、深く、広い世界なのです。
そこには、多くの喜びと満足が存在しているのです。
あなたが現状を脱するためには、思い付きに従わなければなりません。
思い付きとは、未知の世界へと冒険するための鍵のようなものなのです。
それは、既知の世界の扉を開き、同時に未知の世界の扉を開きます。
思い付きに従う人は、多くの可能性を得るということを覚えておきましょう。
しかしながら、多くの人は思い付きに従うことはありません。
なぜなら、損得勘定に従って生きているからです。
思い付きに従わない人は、既知の価値観に従って意味を探します。
残念ながら、未知の世界の結果など、既知の価値観では計り知ることができないのです。
未知の世界の結果を計り知ることができないために、思い付きを否定し、冒険することを取り止めてしまうのです。
それは、可能性の喪失を意味しています。
そのような選択が不満や不安を助長しているということに気が付いてはいないのです。
豊かな人生を生きたいと願うのであれば、損得勘定に従って生きてはなりません。
損をしても、得をしても良いのです。
意味など分からなくても良いのです。
結果など気にする必要はありません。
”とにかくやってみる”という姿勢が重要なのです。
冒険とは、”とにかくやってみる”ことなのです。
多くの人は、冒険を嫌います。
安心や安全や安定などという乏しさを抱えて、惨(みじ)めな自分を慰(なぐさ)めているのです。
思い付きに意味を見出すことができなくても、それはあなたに新たな世界を見せてくれます。
それだけで、大きな価値のあるものなのです。
価値のあるものを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
既知の世界にとどまることなく、未知の世界へと踏み出しましょう。

2017年11月20日月曜日

半分の学び

この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
この世界は、陰陽によって成り立っているのです。
陰だけでもなく、陽だけでもありません。
相対する陰と陽の協力によって、この世界は成り立っているのです。
この世界は、あなたが成長するための場所です。
あなたの、この世界における目的は成長することです。
あなたは成長しなければなりません。
成長するためには、世界から学ばなければならないのです。
この世界は、あなたが成長するための機会を常に導いています。
成長するための機会に対して従順であれば、自ずと成長を実現することができるのです。
成長するための機会に対して反抗的であれば、成長は決して実現しません。
残念ながら、多くの人は成長するための機会に対して反抗的な態度を選択します。
多くの人は、成長を否定しているのです。
そのため、成長は乏しく、それに相応しく人生も乏しいのです。
成長を肯定(こうてい)し、成長を実現すれば、それに相応しく人生は豊かなものとなるのです。
大切なのは、この世界が成長のための場所であるということを理解することです。
そのことを忘れずに、世界(目の前の状況)に対して真摯(しんし)に向き合う必要があるのです。
先述(せんじゅつ)したように、この世界には陰陽の仕組みが存在しています。
すべてには、相対する陰陽の性質が備わっているのです。
陰と陽の二つの性質が共存することによって、世界は成り立っているのです。
陰か陽のどちらか一方でも取り除いてしまえば、世界は成り立ちません。
世界が成り立たなければ、成長は実現しないのです。
あなたは、陰と陽を共存させ、世界を成り立たせなければなりません。
世界を成り立たせるかどうかは、あなたが自分で決めることなのです。
多くの人の世界は崩壊しています。
それは、傲慢(ごうまん)や強欲による結果です。
多くの人は、自己の利益を貪(むさぼ)ろうと考えます。
多くの人は、損失を得ることを嫌うのです。
そのため、損失を避け、利益を貪るという価値観が形成されます。
それは、陰を嫌い、陽を好むようなことなのです。
この世界は、陰陽の仕組みによって成り立っています。
利益を願い、損失を否定するのであれば、世界が成り立つことはないのです。
そのため、自己の利益を貪ろうと考える者は、成長することができません。
損失を嫌い、それを避けている者は、成長することができないのです。
あなたは、明るい色だけを用いた絵画を美しいと思いますか?
明るい色と共に、暗い色を用いて描かれた絵画を美しいと感じるはずです。
多くの人は、利益を求める余り、損失を嫌い過ぎているのです。
楽なことばかりが続く人生のどこが豊かなのでしょうか?
楽なことに寄り添(そ)うように苦しいことがあるからこそ、人生は深さを得て、豊かさを覚えることができるのです。
陰と陽は共存しなければなりません。
それが自然なのです。
多くの人が不自然を生きているのです。
不自然とは、乏しさなのです。
自らが乏しさを選択しているにもかかわらず、多くの人が幸福を求めているのです。
そのような矛盾が実現するはずがないのです。
あなたが楽しみから学べるのは半分です。
後の半分は苦しみから学ばなければなりません。
多くの人が楽しみだけを追い求めていますが、そのような人の人生が浅く乏しいということを知らなければならないのです。
人生を深く豊かに生きている人は、楽しみと苦しみを同時に追い求めているのです。
人生を深く豊かに生きる人は、人生が苦しみと楽しみの二つによって成り立っていることを知っています。
苦しみを避け、楽しみを追い求める者には、豊かな人生など得られるはずがないのです。
あなたは、苦しみからも学ばなければなりません。
人生という絵画に、陰を描き加えましょう。
そうすれば、絵画に深みが出るのです。
深みが出れば、趣(おもむき)も出るでしょう。
それ等は、豊かな人生のために必要な要素なのです。
楽しみばかりを求めるような、浅はかで詰(つ)まらない人間であってはなりません。
苦しみを楽しめるような、大きな器で生きるのです。

2017年11月19日日曜日

未熟者の幸福

人は、幸福を求めます。
多くの人にとっての幸福とは、願いが叶うことです。
多くの人は、人生が思い通りに展開することが幸福であると考えているのです。
すべての人が願いを抱えています。
それは、理想と言い換えても良いでしょう。
誰もが理想を抱えながら生きているのです。
そして、その理想を実現することが幸福を手に入れる方法だと考えています。
そのため、多くの人は理想の実現のために躍起(やっき)になります。
多くの人は、理想を実現することがなければ、幸福を手に入れることができないと考えているのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
あなたは、自分が未熟であるということを知らなければなりません。
そして、それを忘れてはなりません。
未熟な者の考えは未熟です。
未熟な者の理想は未熟なのです。
多くの人は、未熟な理想を実現することが幸福を手に入れる方法だと考えているのです。
未熟な理想を実現することがなければ、幸福を手に入れることができないと考えているのです。
あなたは、未熟な自分の未熟な理想が、幸福を実現してくれると思いますか?
やりたいことをやり、欲しいものを手に入れることが幸福だと思いますか?
残念ながら、そのような人生は退屈でしかありません。
なぜなら、先が見えているからです。
あなたの理想とは、予測に過ぎないのです。
予測に従って行動しているということなのです。
それは、完成した姿を知った上で、部品を組み立てていくようなものです。
それに喜びを感じる人は多いでしょうが、完成した姿を知らなければ、喜びはより大きなものであったのです。
多くの人は、恐怖を嫌います。
多くの人は、未知に恐怖を抱きます。
そのため、多くの人は理想を追い求めるのです。
先が見えないことが怖いのです。
しかしながら、あなたは深く考えてみなければなりません。
物語の結末を知っているのに、結末に辿り着いた時に感動することができるでしょうか?
結末を知らないために、物語にのめり込むことができるのです。
結末を知っていれば、安心感はあるかも知れませんが、そのために感動を得ることができないのです。
多くの人は未来を知りたがります。
先が見えることに安心感を得ようとしているのです。
残念ながら、先が見えてしまうことによって得られるのは安心感ではありません。
先が見えてしまうことによって得られるのは絶望なのです。
あなたは、自らの人生の結末を知って、それを楽しむことができるでしょうか?
次に何が起こるのかを知っているのに、楽しむことができますか?
人生は、先が見えない方が面白いのです。
一時の安心感を得る代わりに、感動を失ってはなりません。
思い通りの人生を欲してはならないのです。
あなたは、思い通りに時を過ごしてはなりません。
願いを叶えることに必死になってはならないのです。
世間では、願いが叶うことを良いことのように吹聴(ふいちょう)しています。
しかしながら、それは未熟者の願いが叶うことのリスクを考慮してはいないのです。
耳触りが良く、欲望を刺激する言葉に惑わされてはなりません。
冷静に、深く考えるのです。
あなたは未熟です。
未熟者の願いなど、実現しない方が良いのです。
あなたにとっての最前は、目の前の現実として導かれています。
目の前の現実は、理想とは程遠いものでしょうが、それに価値があるのです。
それを理解する必要があるのです。
思いもよらない展開こそが、あなたを成長させます。
思いもよらない展開こそが、あなたに幸福を導くのです。
未熟者の思いもよらない展開とは、あなたにとっての良い状況なのです。
先が見えないことが、あなたを幸福にします。
先が見えることを喜んではなりません。
それは、既に限界が見えているということだからです。

2017年11月18日土曜日

道標

すべての人が人生に豊かさを求めます。
誰にとっても、人生は豊かである方が良いのです。
豊かな人生とは、満足のいく人生のことです。
誰もが不満を嫌います。
そして、誰もが後悔を恐れているのです。
誰も、不満や後悔を得ようなどとは思いません。
誰もが、満足を得ようとしているのです。
そのために、試行錯誤(しこうさくご)を繰り返しているのです。
その途中で、誰もが迷い、悩み、苦しむのです。
豊かさへの道のりは、迷いと悩みと苦しみなのです。
迷いと悩みと苦しみを避けて、豊かさへと辿り着くことはできません。
この世界に存在するすべての人は、迷いと悩みと苦しみを抱えています。
それは、豊かさへと続く道の途中であることを意味しているのです。
あなたは、迷いと悩みと苦しみを抱えていようとも、希望を捨てる必要はありません。
あなたはどの地点からも、豊かさへと歩み始めることができるのです。
それは、あなたの心掛け次第です。
あなたが豊かさへと歩もうとすれば、あなたは豊かさへと歩みを進めることができるのです。
大切なのは意欲です。
多くの人は、人生に豊かさを求めながらも、現状に絶望しています。
そして、豊かさを求めてはいても、行為を失っているのです。
大切なのは、一歩を踏み出すことです。
一歩を踏み出さなければ、豊かさへと辿り着くことはできないのです。
迷いと悩みと苦しみの中では、誰もが一歩を踏み出すことを危ぶみます。
それが行為を失わせるのです。
すべての人は、豊かさへの道のりを知りません。
誰もが、暗中模索(あんちゅうもさく)を繰り返すのです。
それ以外に方法がないのです。
多くの人は、楽をして豊かさへと辿り着くことができると考えています。
そのため、誰かと同じように行えば、自分も豊かさへと辿り着くことができると思い込むのです。
しかしながら、誰かの方法によって、あなたが豊かさへと辿り着くことはできません。
なぜなら、人はそれぞれに豊かさの形が異なっているからです。
あなたの目指している豊かさと、誰かの目指している豊かさは異なります。
同じ場所を目指しているようであっても、それぞれの現在地は異なります。
現在地が異なれば、道のりは全く異なるものとなるのです。
大切なのは、豊かさへの道のりを自分で探すということです。
あなたが人生に豊かさを求めるのであれば、自らの抱える迷いと悩みと苦しみに向き合う必要があるのです。
それ等は、豊かさへの道のりを示す道標(どうひょう)のようなものなのです。
他者の道標を目印に進もうとしても、あなたにはそれを見付け出すことができないのです。
あなたと他者の現在地は異なります。
それによって、見ている景色も異なるからです。
他者の豊かさと、あなたの豊かさは似ていたとしても、必ずしも一致するものではないのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、安心して迷いましょう。
安心して悩み、安心して苦しむのです。
迷いや悩みや苦しみの中で慌ててはなりません。
絶望してはならないのです。
手探りで探す以外に方法がないということを理解しましょう。
楽をして豊かさを得ることはできません。
誤解してはなりませんが、苦労をしろと言っているのではありません。
寧(むし)ろ、迷いや悩みや苦しみの中にあって苦労はするなと言っているのです。
あなたは、自分の価値観を大切にしましょう。
自分が本当に求めている価値に従うのです。
豊かさへの道のりは、自力によって見付けましょう。
特別な方法は必要ではありません。
目の前の状況に対して感謝することです。
そうすれば、意欲が導かれます。
意欲は熱意を生み、あなたは道を見付けるでしょう。

2017年11月17日金曜日

自分という器

人は、自分という器に生まれます。
人は、それを否定することはできません。
誰もが、自分という器の中に生きるのです。
人は、自分を離れることはできません。
あなたは、生まれてから死ぬまでの生涯を自分という器の中で過ごすのです。
多くの人は、自分を嫌います。
多くの人は、自分ではない誰かに憧れを抱きます。
多くの人は、自分ではない誰かに成りたがるのです。
残念ながら、あなたが自分を嫌い、自分ではない誰かに憧れを抱き、自分ではない誰かのように成ろうとしたところで、それは実現しません。
あなたは、自分の器を放棄することはできないのです。
あなたは、自分を生きる以外に方法はありません。
あなたは、覚悟を決めなければなりません。
あなたは、覚悟を決めて、自分を生きる必要があるのです。
すべての人は、意味を以(もっ)て自分という器に生まれます。
すべての人は、自分という器を生きる必要があるのです。
必要を否定するのであれば、不要が導かれるのです。
人生は、あなたに自分であることを求めます。
しかしながら、多くの人は自分を嫌い、否定するのです。
そして、自分ではない誰かのようになろうとするのです。
それは、人生の目的に反する行為であるということを覚えておきましょう。
大切なのは、自分の器を生きることです。
そして、自分の器を磨き、育てることなのです。
”天”は、あなたに必要な器を与えたのです。
あなたはそれを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
それは、あなたの器は、あなたの最大の価値であるからです。
人は、器の状態に相応しい行為を実現します。
器が小さければ、小さな行為に至ります。
器が汚れていれば、汚い言動を繰り返すでしょう。
器が割れていれば、争いを引き起こします。
器が砕(くだ)けていれば、人生に絶望するのです。
大切なのは、自分の器を磨くことです。
それは、あなたが自分を生きるということなのです。
自分を生きるというのは、他の誰かに成ろうとはしないということです。
自分を生きる人は、自分に成ろうとするのです。
多くの人は、自分に成るということを理解することができないでしょう。
自分に成るというのは、目の前の現実を受け入れるということなのです。
目の前の現実とは、あなたの器そのものです。
あなたは、自分の器に相応しい状況を受け取るのです。
それは、この世界の理(ことわり)です。
あなたは、自分の器に相応しくない状況を受け取ることはできません。
そのため、自分の器を育てるためには、目の前の現実を大切にしなければならないのです。
目の前の現実がどのようなものであろうとも、それは大切に扱うべき課題なのです。
目の前の現実こそが、あなたを自分にしてくれるのです。
あなたは、自分を生きなければなりません。
あなたは、自分の頂点を目指しましょう。
決して、他者の頂点を目指してはなりません。
あなたは、他者のようには出来ないし、そうは成れないのです。
他者に憧れを抱き、それを目指すのは間違っているのです。
どのように輝いて見える他者も、それは自分ではないのです。
自分では無いものを目指してはなりません。
あなたは他者を目指す必要はないのです。
自分という器に生まれ落ちた以上、覚悟を決めて自分を生きる必要があるのです。
そうすれば、可能性が失われることはありません。
自分を否定して生きてはなりません。
自分という器の最高到達点を目指すのです。

2017年11月16日木曜日

困っていること

あなたが、豊かな人生を実現するためには、問題を改善する必要があります。
問題を抱えたままで豊かさを実現することはできません。
なぜなら、それは矛盾を引き起こすからです。
問題とは乏しさの原因であり、豊かさには反するのです。
豊かさとは、問題の解決した状態です。
そのため、あなたが豊かな人生を実現するためには、問題を改善する必要があるのです。
すべての人は未熟です。
それは自然のことであり、仕方のないことです。
人は、未熟な状態で生まれるのです。
人生の目的は成長することにあります。
それは、未熟を改善するということです。
未熟とは、問題のことであり、それを改善することによって成長することができるのです。
未熟な人は、未熟な思考に従います。
未熟な人は、未熟な思考に従って、多くの問題を引き起こすのです。
多くの問題は、人生を乏しいものとするのです。
そのため、すべての人の人生は乏しいものとなります。
人は、乏しい状態から人生を始めなければならないのです。
あなたは必ず乏しい選択を行います。
未熟であるあなたが、豊かな選択を行うことはできません。
どのような人の人生も、必ず乏しさを得るのです。
それは、多くの問題を引き起こしますが、それを改善することによって、人生は豊かさを実現するのです。
乏しさの原因は問題ですが、それを改善するという原因は豊かさという結果を導くのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、問題を改善する必要があるということを覚えておきましょう。
あなたは、問題と向き合い、それを改善する必要があるのです。
多くの人は、問題を嫌い、それを拒絶します。
問題から逃れ、それを先延ばしにするのです。
問題によって生じる苦労を嫌い、楽な選択を行うのです。
問題と向き合うことは、決して気楽なことではありません。
しかしながら、利己的な者が豊かさを実現することはないのです。
あなたが豊かな人生を必要としているのであれば、自分や他者や世界の問題を探し、それを改善するように努めましょう。
重たく考える必要はありません。
あなたは、自分や他者や世界の困っていることを探し、それを改善するように働き掛ければ良いのです。
困っていることが問題です。
そして、困っていることを改善することが豊かさなのです。
あなたにも、他者にも、世界にも、困っていることがあるはずです。
それは、小さなことから大きなことまであるでしょう。
できないことをやる必要はありません。
しかしながら、できることはしなければならないのです。
自分にできることをしないで、人生に文句を吐いているようではなりません。
困っていることを改善することをせず、思い悩んでいてはならないのです。
小さなことなら、改善することができるはずです。
時間や労力が必要だとしても、改善することができるはずです。
改善することができそうなことは、すぐに始めましょう。
石垣を築く必要があるのならば、とにかく石を運ぶのです。
非力であれば、小さな石を運ぶのです。
何度も繰り返している内に力が付き、より大きな石を運ぶことができるようになるのです。
そして、知恵が導かれます。
そうすれば、更に大きな石を運ぶことができるでしょう。
非力であっても、立派な石垣を築くことができるのです。
しかしながら、言い訳を繰り返し、自分にできることをしなければ、石垣は決して完成しません。
あなたは、小さなことから始めるのです。
そして、できることを繰り返すのです。
現時点において気が付くことができる困っていることを見付け出し、それを改善するように努めましょう。
すぐには改善することができなくても、諦めずに続けていればいつかは改善することができるのです。
目の前の小さな問題を改善しましょう。

2017年11月15日水曜日

立派な心掛け

あなたは、独りで生きているのではありません。
あなたは、多くの存在と共に生きているのです。
人生の目的は成長することにあります。
そのため、あなたは成長しなければなりません。
成長するためには、学びを得る必要があります。
学びは独りでは得ることができません。
学びは、自分以外の存在によって導かれるのです。
自分以外の存在とは、客観の自分自身です。
あなたは、自分以外の存在によって客観性を得ます。
自分独りであれば、主観性を離れることはできないのです。
内から外を見ているだけでは、問題点や改善点を理解することはできません。
問題点や改善点は、外から内を見る時に気が付くものなのです。
そのため、人が成長するためには、客観性が必要なのです。
客観性は自分以外の存在によって導かれます。
自分独りで生きることは、人生の目的に反するのです。
そのため、あなたは自分独りで生きることは叶いません。
どれだけ否定しようとも、あなたは自分以外の存在と共に生きなければならないのです。
あなたは、自分独りの利益のために生きることはできません。
利己的に生きることはできないのです。
なぜなら、それは目的に反しているからです。
人生の目的は成長することにあるのです。
そのためには、自分以外の存在が必要なのです。
自分以外の存在が乏しくあることは、自分の成長が乏しくあることに等しいということを理解しなければなりません。
あなたは、自分以外の存在によって成長を得ることができるのです。
そのため、自分以外の存在の豊かさを目指す必要があるのです。
自分以外の存在が豊かであるということは、客観性が豊かであるということです。
それは、自分の問題点や改善点を的確に教えられるということなのです。
自分以外の存在の豊かさを求める人は、自分以外の存在の助力によって成長を実現するでしょう。
自分自信に対する豊かさを求める人は、その愚行によって成長を退けるでしょう。
大切なのは、自分以外の存在の豊かさを求める心意気です。
それは、立派な心掛けなのです。
豊かさは、独りで得ることはできません。
豊かさは、支え合いによって得られるからです。
あなたは、自分以外の存在のための利益を求めるのです。
そうすれば、自分以外の存在があなたの利益を求めるでしょう。
直接的に利益を求めるものではありません。
利益とは、自ら掴み取るものではないのです。
利益とは、自分以外の存在から与えられるものなのです。
どのような利益であろうとも、それを自ら掴み取れば傲慢(ごうまん)です。
どのような利益であろうとも、それを自分以外の存在から与えられるのであれば誉(ほま)れなのです。
あなたは、自分以外の存在の利益を求めてみましょう。
そうすれば、真の満足を得ることができるでしょう。
真の満足は、他者には理解されないものです。
それは、それぞれに人生の目的(役割)が異なっているからです。
あなたには、自らの目的(役割)に相応しい満足があります。
それは、他者には理解されないと思っておきましょう。
真の満足を他者に理解される必要はありません。
自分が分かっていればそれで良いのです。
他者に理解される満足を追い求めてはならないのです。
あなたは、自分の満足を追い求めましょう。
真の満足とは、自分以外の存在に対する奉仕によって導かれます。
打算や企(くわだ)てによって得られる利益など、真の満足には成り得ないのです。
詰まらない満足を使い捨ててはなりません。
真の満足によって、人生を豊かなものにするのです。
あなたは、自分が独りで生きているのではないということを忘れてはなりません。
あなたは、自分以外の存在と共に生きているのです。

2017年11月14日火曜日

力の悪用

この世界には、理(ことわり)が存在しています。
すべては、理によって支配されています。
どのような存在も、理に反して働くことはありません。
理とは、この世界における絶対であるのです。
あなたは、理の中に存在しています。
当然、あなたが理に反することはできません。
あなたの選択は、理の中に限定されるのです。
理の範囲を出ることはできないのです。
理は、常に成長を促(うなが)します。
理は、常にあなたの成長を求めているのです。
あなたの目的は成長することにあります。
あなたは、成長しなければならないのです。
すべての人が、成長を求められているのです。
そのため、あなたがどのような選択をし、どのような現状を得ようとも、そこから成長を求められるのです。
理は、あなたが成長できるような環境を整えます。
理は、あなたが成長できるように尽力しているのです。
そのため、あなたは常に成長の機会に恵まれます。
あなたは、どのような現状からでも成長することができるのです。
あなたが成長を拒絶したとしても、理によって成長できる環境が整えられるのです。
すべての人が、成長できるような環境に導かれているのです。
あなたは成長を拒絶することはできません。
あなたは、理に反することができないのです。
この世界には、どうにもならないことがあるのです。
その一つが理に逆らうことなのです。
あなたがどのような方法を用いようとも、理に逆らうことはできません。
それは、許されないことなのです。
あなたに許されているのは、理に従って成長することです。
それ以外のことを考える必要はないのです。
あなたは、常に成長の機会を与えられています。
あなたは、常に成長を求められ、それを許されているのです。
いつでも成長することができます。
成長することに遠慮はいらないのです。
しかしながら、多くの人は成長を拒絶します。
多くの人が勉強が嫌いです。
多くの人は努力が嫌いです。
多くの人は工夫が嫌いです。
多くの人は変化が嫌いです。
多くの人は挑戦が嫌いです。
多くの人は継続が嫌いです。
多くの人は我慢が嫌いです。
多くの人は苦労が嫌いです。
多くの人は、成長することが嫌いなのです。
そのため、上記のことを否定し、それとは正反対の選択をするのです。
多くの人は怠慢(たいまん)が好きです。
多くの人は傲慢(ごうまん)が好きです。
多くの人は既存(きぞん)が好きです。
多くの人は安定が好きです。
多くの人は安心が好きです。
多くの人は快楽が好きです。
多くの人は、停滞し、堕落(だらく)していくことが好きなのです。
残念ながら、力の悪用は許されません。
あなたは、時間と力を無駄にすることはできないのです。
あなたがどのように選択しようとも、それは理の一つである因果の仕組みによって監視されています。
力を悪用すれば、その因果によって災(わざわ)いが導かれるのです。
それは、問題と苦悩を引き起こしますが、それによって多くを学ぶことができるのです。
問題と苦悩を受けたとしても、それは、あなたの成長を促す学びとなるのです。
力を悪用すれば、それは因果の仕組みによって、あなたの成長を助ける問題や苦悩として導かれるでしょう。
力を利己的な目的のために使うことはできません。
力は、成長するために使うことが許されているのです。
問題や苦悩を受ければ、選択を改めましょう。
選択が誤っているために、問題や苦悩を得るのです。
力を悪用してはなりません。
それは、決して良い結果を導きません。
簡単なことです。
理解しましょう。

2017年11月13日月曜日

豊かさを得る人

人生の目的は成長することにあります。
成長とは、本質へと近付くということです。
人は、成長することによって、本質へと近付くことができるのです。
人が本質に近付けば、気付きが生じます。
気付きとは悟りのことです。
人は、本質に近付くほどに知識を得ることができます。
本質に近付くほどに技術を得ることができます。
本質に近付くほどに知恵を増すことができるのです。
何かを上手く行うためには、本質へと近付く必要があります。
豊かさを実現するためには、本質へと近付く必要があるのです。
何かを上手く行っている人は、より本質的であるということを理解しましょう。
それは、あなたの知らない気付きを得ている人物なのです。
あなたの知らない気付きは、あなたにとって重要なものです。
気付きは、誰にとっても重要なものなのです。
気付きによって悟りが導かれ、悟りによって豊かさは実現するのです。
そのため、あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、気付きを得る必要があるのです。
人は、独りで生きることはできません。
すべての人は、必ず誰かとの関わりの中に生きているのです。
どのような人にも、必ず誰かとの繋がりが存在するのです。
人は、それぞれに別々の学びを得ています。
人は、それぞれに異なる気付きを得ているのです。
大切なのは、気付きは他者からも得られるということです。
他者から得られる気付きは、その人が得た気付きです。
直接的に教わる訳ではありません。
あなたは、他者の得た気付きの片鱗(へんりん)に触れることによって、気付きを得るのです。
あなたは気付きを必要としていますが、それは、自分自身で得た気付きであることが重要なのです。
自分自身で得た気付きでなければ、それはあなたの糧(かて)とはなりません。
知識は失われますが、経験は失われないのです。
そのため、あなたは気付きを自分自身で得るようにしなければならないのです。
気付きを自分自身で得るためには、成長することを意識して生活しなければなりません。
あなたが成長することを意識して生活すれば、目の前の状況に鏤(ちりば)められている気付きを探すようになるのです。
気付きを探すようになれば、やがては気付きを得ることができるのです。
探す者は見付けますが、探さない者は見付けることができないのです。
あなたは、成長するために、目の前の状況に鏤められた気付きを探さなければなりません。
見付かるまで探し続けるのであれば、それは必ず見付かります。
見付からないと投げ遣(や)りな態度を示すのであれば、それは見付ける前に諦めているだけです。
多くの人は、継続することができません。
多くの人は、成長する気持ちを保つことができないのです。
多くの人は、成長を簡単に諦めてしまいます。
多くの人は、豊かさを諦めて生きるのです。
豊かさとは、継続によって導かれるのです。
簡単に諦めてしまうような者が、豊かさを得ることはできません。
不平不満を思い、泣き言を吐くような者が、どうして豊かに生きることができるのでしょうか?
問題を誰かや何かのせいにして、自分の責任から逃れるような者が、どうして豊かさを得られるでしょう?
豊かさを得る人は、成長を諦めません。
豊かさを得る人は、豊かさを諦めないのです。
あなたは、成長することを諦めてはなりません。
人生には、思い通りにいかないことばかりです。
あなたは、思い通りにいかない人生に嫌気が差すかも知れません。
しかしながら、それは、あなたに大切な気付きを得させるためなのです。
この世界には、無駄は存在しません。
すべては、あなたが成長するための最善なのです。
どのような状況を得ようとも、成長を諦めてはなりません。
成長を諦めなければ、必ず気付きを得ることができます。
気付きを得ることができれば、目の前の苦悩は苦悩ではなくなるでしょう。
苦しみの中に気付きを得ることができなければ、気付きを得るまで苦しみましょう。
それを否定するのであれば、気付きは得られないでしょう。
当然、豊かさも導かれることはありません。
何事も簡単に諦めてはなりません。

2017年11月12日日曜日

真の正解

人は、正解を知りません。
すべての人は、答えを知らずに生きているのです。
それが自然です。
しかしながら、人は、答えを求め続けます。
人は、正解を求めているのです。
すべての人は未熟です。
そして、すべての人は歪んでいます。
誰一人として正しい人はいません。
誰一人として、正解を知る者は存在しないのです。
正解を知る者がいなければ、正解が存在していることも証明することができません。
誰一人として、正解が存在していることを証明することができないのです。
人は正解を求めていますが、何が正解であるのかを知る術は無いということです。
あなたには、正解が分からないのです。
そして、誰にも、正解は分からないのです。
誰にも正解が分からないのであれば、正解を求める必要はありません。
すべての人は、誤解を所有しています。
人生は、誤解によって形成されているのです。
あなたの選択は、すべてが間違っています。
しかしながら、それが正解なのです。
矛盾しているように聞こえるかも知れません。
それで良いのです。
多くの人は、自分の考える正解という結果を求めて選択します。
豊かさや幸福も同じことです。
人は、成果を求めているのです。
それが、行動の動機となります。
人は、正解を得るために行動するのです。
そこには、間違いを恐れているという心理が隠されています。
人が正解を求めるのは、間違いを恐れているからなのです。
正解を求めているのは、間違いを得ないためです。
正解を求めているのは、間違いを得たくないからなのです。
そのため、人は正解という結果を前提とした選択を行います。
結果を気にして行動するようになるのです。
それは、臆病な行為なのです。
結果を気にして行動する人は、自分の思い通りの利益を欲しているのです。
そのような人は、人生を思い通りにしたいと考えています。
多くの人は、人生を思い通りにしたいと考えているのです。
そして、それが豊かさであり、幸福であると思い込んでいるのです。
思い通りにできない人生は乏しく、不幸だと考えているのです。
残念ながら、人は未熟なのです。
未熟な者の思いは問題を引き起こすのです。
未熟な者の思い通りに人生が展開すれば、そこには問題と苦悩が導かれることになるでしょう。
あなたは、幼い子どもの我が儘(まま)が実現することが、その子のためになると思いますか?
あなたは、自分の思いが実現することが、自分のためになると思いますか?
良く考えてみましょう。
そうすれば、人生は自分の思い通りにならない方が良いということに気が付くことができるでしょう。
あなたの考える正解は、残念ながら正解ではありません。
あなたの求める結果が、あなたを幸福にすることはないのです。
理想を追い求めたとしても、あなたが幸福を得ることはありません。
大切なのは、現実を追い求めるということなのです。
現実とは、目の前の状況のことです。
目の前に導かれた結果がどのようなものであろうとも、それが正解なのです。
導かれる結果は必ず最善となります。
すべての状況は、最善の結果なのです。
最善の結果とは、成長のための経験です。
あなたは、どのような状況からも学び、成長することができるのです。
それは、あなたの求める正解なのです。
真の正解とは、目の前の状況のことなのです。
どのような結果を得ても、それが正解です。
この世界に正解は存在しませんが、すべてが正解なのです。
そのため、あなたは行動の動機を理想の結果(正解)としてはなりません。
どのような結果を得るかは気にせず、やりたいことをやりましょう。

2017年11月11日土曜日

人生の成功者

すべての人は、人生に豊かさを求めています。
人生の豊かさとは、人生の成功です。
人生の成功者とは、豊かに生きることができるのです。
そのため、すべての人は成功を求めています。
人生に失敗を求めている人はいないのです。
あなたも、人生の成功を求めているでしょう。
あなたは、成功者に成りたいと考えているかもしれません。
しかしながら、すべての人は誤解を所有しています。
多くの人は、人生の成功を取り違えているのが実情なのです。
あなたは、人生の成功を何だと思いますか?
地位や名声、そして、財産を得ることですか?
多くの人の考える成功とは、そのようなものでしょう?
地位や名声や財産を得ることは、確かに成功の形です。
それは、それ等を必要としている人にとっては、それ等を得ることは成功なのです。
しかしながら、すべての人が地位や名声や財産を必要としている訳ではありません。
地位や名声や財産を得たからといって、それが人生の成功であるとは限らないのです。
それ等を必要としていない人にとっては、それが人生の成功とはいえないのです。
多くの人は、人生の成功を取り違えています。
地位や名声や財産は、誰かの求める成功であって、それがあなたに当てはまるとは限りません。
それが当てはまれば良いですが、当てはまりもしないのに求めることには価値がないのです。
多くの人は、誰かのように成れば、人生の成功者に成れると思い込んでいます。
しかしながら、それは誤解に過ぎません。
あなたの人生の目的と、他者の人生の目的は異なります。
あなたの必要と、他者の必要は異なるのです。
そのため、あなたが誰かのように成ろうと努めたとしても、人生の成功者に成れるということではないのです。
人生の成功者とは、自分の人生を成功した者のことなのです。
あなたが人生の成功者に成りたいと願うのであれば、自分の人生というものを知らなければなりません。
あなたは、自分の人生の目的を理解する必要があるのです。
人生は、それぞれに異なります。
目的も必要も異なるのです。
そのため、人生の成功とは、多種多様です。
誰かの成功が、あなたの人生の成功ではないのです。
あなたが人生の成功者と成るためには、自分の人生を生きなければなりません。
あなたは、自分の人生の成功を、誰からも教わることはできません。
それは、あなたの人生の成功は、あなたにしか分からないからです。
あなたが人生の成功者と成るためには、自分の人生を生きる必要があります。
それは、他者の求める価値に従わず、自分の求める価値に従うということなのです。
これは、あなたの人生です。
他に、これを生きることのできる人はいないのです。
そのため、あなた以外にあなたの人生を成功させられる人はいないということを覚えておきましょう。
あなたは、自分の人生を成功させるために生きましょう。
誰かが決めた価値に従うことなく、自分が決める価値に従いましょう。
あなたが人生の成功者と成るためには、自分の人生に耳を傾けなければなりません。
あなたは、人生の声を聞くのです。
そうすれば、人生の目的や必要を理解することができるでしょう。
人生の目的や必要を理解することができれば、それに従って生きれば良いのです。
そうすれば、あなたは自分の人生において成功することができるでしょう。
自分の人生における成功とは、満足することです。
他者の真似事では、満足することはできません。
必要でないものを手に入れたところで、それは価値ではないのです。
価値の無いものを手にするということは、乏しく生きるということなのです。
多くのものを手に入れたとしても、それで乏しく生きるのであれば意味がありません。
あなたは、自分にとっての必要なもの、価値のあるものを手に入れるのです。
必要なものであれば、少なくても良いのです。
不要なものを大量に手に入れてはなりません。
少量で構いません。
自分に必要なものを手に入れましょう。
自分に必要なものを手に入れ、自分の人生を生きる人こそが、人生の成功者なのです。

2017年11月10日金曜日

気にするな

人は、他者との関わりを無視することはできません。
人は、独りでは生きていくことができないのです。
それは、生きるということが、学ぶということだからです。
人は、独りでは何も学ぶことができません。
すべて自分独りで納得しているのであれば、学びは存在しないのです。
学びとは、他者との摩擦(まさつ)によって生まれるものなのです。
摩擦によって抵抗が生じます。
それは、あなたに反発する力なのです。
あなたは、他者によって自由を奪われます。
あなたは、他者との関わりの中で苦しむのです。
学びとは、そのようなものなのです。
苦しみとは、思い通りにいかない現実です。
思い通りにいかない現実ほど、あなたにとって重要な学びはありません。
すべてが思い通りに進むのであれば、あなたが何かを変える必要はありません。
今まで通りに行っていれば良いのです。
今まで通りに行っているのであれば、成長する必要がないということなのです。
成長とは、思い通りにいかない現実にこそ必要なのです。
思い通りに進んでいる状況の中では、成長する必要がないのです。
そのため、人間関係においては、思い通りにいかないことが自然です。
寧(むし)ろ、人生の目的を考えれば、思い通りに進んではならないのです。
あなたは、人間関係が思い通りにいかないことが最善であるということを覚えておきましょう。
人生が思い通りに進むことほど、退屈なことはありません。
多くの人は、人生が思い通りに進むことが良いことだと思い込んでいます。
それは、人生が思い通りにいかない現実に対する反発でしかありません。
何が最善であるのかを熟考した訳ではなく、感情的に反応して(させられて)いるだけなのです。
大切なのは、人間関係を良好に保つことが目的ではないと理解することです。
すべての人と仲良くすることになど価値はないのです。
仲良くすることによって学ぶことがあれば、それが価値です。
仲違いによって学ぶことがあれば、それが価値なのです。
多くの人は、価値を見誤っています。
多くの人は、他者からの評価を価値だと思い込んでいるのです。
そのため、他者を恐れて媚(こ)び諂(へつら)っているのです。
残念ながら、他者の評価には本質的な価値はありません。
金儲けがしたいのであれば、他者からの評価は多少の価値を持つかも知れませんが、それは、あなたが人生の目的を果たすための価値として定めるべきものではないのです。
もちろん、わざわざ他者に嫌われる必要はありません。
あなたは、他者に貢献しなければならないのです。
あなたが他者に貢献しようとした結果として、仲違いしたとしても、それを気に病むなということなのです。
すべての人は未熟な存在です。
その心は、誤解で形成されています。
人は、誤解を通じて物事を認識します。
そのため、他者があなたに下す評価というものは、誤解でしかないのです。
人に好かれようが嫌われようが、それは誤解でしかないということなのです。
すべての人が誤解しているのだから、人からの評価を気にする必要はないのです。
その証拠(しょうこ)に、人の評価は簡単に覆(くつがえ)ります。
簡単に覆るものを信用する必要はないのです。
あなたは、他者との関わりの中で自分を学びましょう。
あなたは、他者によって自分を教わっているのです。
仲良くなることだけが学びではありません。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しているのです。
あなたは、喜びからも苦しみからも同じように学ぶことができるのです。
その関わりがどのようなものであろうとも、そこから学べることを探しましょう。
あなたを含(ふく)めたすべての人が誤解を所有しているのです。
あなたの評価も、他者の評価も当てになりはしません。
そのことを覚えておきましょう。
他者からの評価などという無価値なものを気にすることなく、懸命に学びましょう。
苦しみを誤解してはなりません。
どのような他者からも、あなたは自分を学ぶことができるのです。
どのような状況も、あなたに最善の学びであるのです。

2017年11月9日木曜日

人生は短い

人生には必要が存在しています。
すべての状況は、あなたにとっての必要です。
あなたは、常に必要を満たされているのです。
この世界には、不要は存在しません。
それを不要と思う価値観が存在しているだけなのです。
すべてには大切な意味があり、すべてが重要な意義なのです。
あなたは、すべてが必要であるということを理解しましょう。
必要とは、結果です。
あなたの受け取る結果とは、必要のことなのです。
すべての結果は、あなたに相応しい必要です。
すべての結果は、原因によって導かれるのです。
原因は、あなた自身です。
あなたの思考や行為こそが、あなたの受け取る結果の原因です。
人生における必要とは、あなたの状態にとっての必要なのです。
それは、あなたを成長させるための必要です。
目の前に導かれるすべての状況は、あなたを成長させるための学びであるということを覚えておきましょう。
あなたは、どのような状況からも学ぶことができます。
あなたは、どのような学びからも成長することができるのです。
すべては、人生の目的のためなのです。
あなたは、人生の目的を果たすために導かれているのです。
人生の目的を果たすためには、未熟な状態ではなりません。
成長し、目的を果たすに相応しい力を身に付けなければならないのです。
あなたを成長させるために、人生は必要な学びを導きます。
あなたにできることは、懸命に学ぶことです。
それ以外にできることはないのです。
人生は必要によって満たされていますが、目的を果たすためには短いということを覚えておきましょう。
残念ながら、懸命に生きない者には、人生は短いのです。
あなたは、自らの人生の目的を理解していますか?
あなたは何のために生きているのですか?
あなたは、何のために死ぬのですか?
それ等の問いに答えることができますか?
答えることができなければ、人生が短いことを理解し、懸命に生きることを始めましょう。
懸命に生きるというのは、心に従って生きるということです。
心は、人生の目的を知っています。
心は、あなたにそれを強い欲求として伝えます。
あなたには、やりたいことがあるはずです。
多くの言い訳によって埋(うず)もれているために見失っているかも知れませんが、あなたには、やりたいことがあるはずなのです。
多くの人は言い訳によって、やりたいことを後回しにします。
後回しにするということは、それをやらないということなのです。
その結果、多くの人は、やりたいことをやらない人生を生きることになるのです。
それが問題となり、苦悩となるのです。
あなたは、人生が短いことを理解し、やりたいことを今すぐに始めなければなりません。
やりたいことはさっさとやるのです。
いきなり成果を求めているのではありません。
やりたいことへの一歩を踏み出すことを始めろということなのです。
石垣を作りたければ、石を運ばなければなりません。
いつまでも言い訳に腰を下ろしていてはならないのです。
あなたは、やりたいと思うことに対して、今出来ることをすぐに始めなければならないのです。
今のあなたにも出来ることがあるはずです。
苦悩とは、やりたいことをやれないことによって生まれるのです。
あなたがやりたいことへの一歩を踏み出せば、苦悩は解決するのです。
考えていても苦悩は解決しません。
多くの人は、考え続けることや時間の経過によって、苦悩が解決すると思い込んでいます。
残念ながら、そのような因果に反することは実現しないのです。
石垣を作ることを悩んでいる人は、石を運ぶことによって悩みを失います。
行動こそが、苦悩を解決するのです。
人生は短いのです。
あれこれと思い悩まず、やりたいことはさっさとやりましょう。

2017年11月8日水曜日

今、此処に生きる

あなたが人生を豊かなものとするために必要なのは、現実を生きるということです。
現実とは、”今、此処(ここ)”です。
あなたの現在置かれている状況こそが現実なのです。
あなたが人生を豊かなものとするためには、”今、此処”にある現実を生きなければならないのです。
残念ながら、多くの人は人生に豊かさを感じてはいません。
多くの人は、人生に乏しさを感じているのです。
それは、”今、此処”に生きてはいないからです。
多くの人は、現実を否定し、理想を生きています。
理想を生きていると言えば聞こえは良いですが、それは、現実逃避のことなのです。
現実に向き合うことを恐れている人は、”今、此処”を生きてはいません。
多くの人は、今を否定し、過去や未来に生きるのです。
正確には、人は過去や未来に生きることはできません。
それは、過去や未来は幻想に過ぎないからです。
過去や未来というものは、どこにも存在しません。
それは、人の思い込みに過ぎないのです。
そのため、”今、此処”である現実を否定し、過去や未来に生きる人は、幻想を掴もうとしているようなものなのです。
誰も、幻想を掴むことはできません。
幻想によって満足することのできる人はいないのです。
幻想で馳走(ちそう)を得ても、腹は減ります。
幻想で喉を潤しても、渇きは襲うのです。
幻想を生きる人は、必ず乏しさを得るのです。
大切なのは、実際に馳走を食べ、水を飲むことです。
それは、現実を生きろということなのです。
”絵に描いた餅”を眺め続けてはなりません。
過去や未来に思いを馳(は)せ、目の前の現実を否定してはならないのです。
”今、此処”には、馳走ではなく乾いた餅しかなくても、あなたはそれで腹を満たしましょう。
”今、此処”には、清水ではなく泥水しかなくても、それで渇きを潤すのです。
現実を生きるというのは、”今、此処”に満足するということなのです。
現実を否定し、他のものを欲したとしても、それを手に入れることはできません。
人生は、あなたに相応しい現実を導くのです。
自分に相応しくないものを求めたとしても、それを得ることはできないのです。
現実を大切にしなければなりません。
それが、どのような現実であろうともです。
多くの人は、過去や未来に生きています。
それは、選択肢に反映されます。
過去に生きている人は、過去の栄光やトラウマに従って選択します。
未来に生きている人は、未来への期待や不安に従って選択するのです。
残念ながら、そのような選択によっては、あなたが満たされることはありません。
それは、そのような選択が”絵に描いた餅”であるからです。
過去の栄光やトラウマに従った選択は、あなたの本当にやりたいことではありません。
未来への期待や不安に従った選択も、あなたの本当にやりたいことではないのです。
過去や未来に生きる人は、過去や未来という幻想に操られてしまうのです。
それは、マイナスを減らす作業ではあっても、プラスを積み重ねる作業ではないのです。
人生において大切なのは、好きなことをやるということです。
好きなこととは、あなたの持って生まれた役割です。
あなたはそれを果たすのです。
好きなこと、やりたいことをしなければ、世界に貢献することはできません。
嫌いなこと、やりたくもないことを熱意も無くやっている人が、どうやって世界に貢献するというのでしょうか?
過去や未来に拘(こだわ)り、”今、此処”を生きていない人には、世界に貢献することはできないのです。
過去や未来を手放し、”今、此処”を生きましょう。
本当に好きなこと、本当にやりたいことをするためには、それ以外に方法はないのです。
選択は、楽しいという単純な感情によって行わなければなりません。
不満や心配、不安や焦りなどの感情によって選択してはなりません。
例えば、過去に贅沢をしたからとか、過去にお金に苦労したからという理由によって、仕事をしてはなりません。
未来に贅沢をしたいからとか、未来にお金の苦労をしたくないという理由によって、仕事をしてはならないのです。
過去や未来を忘れて、楽しい仕事をしましょう。
あなたが楽しく仕事をすれば、良い仕事をするでしょう。
良い仕事は、世界に貢献するのです。
それが、人生を豊かにするのです。

2017年11月7日火曜日

価値観の範囲外の価値

すべての人は、豊かに生きなければなりません。
それは、豊かな心によって生きなければならないということです。
豊かさとは、環境や状況によって決められるのではありません。
豊かさとは、それを受け取る心によって決まるのです。
環境や状況が豊かであるからといって、心が豊かであるということはありません。
環境や状況が乏しくても、心が豊かであるということもあるのです。
環境や状況を豊かだと認識する心と、それを乏しいと認識する心が存在するのです。
人は、豊かに生きることも、乏しく生きることも許されています。
どちらを選んでも構いません。
しかしながら、乏しさを選ぶことによっては、あなたは苦しみを感じてしまうでしょう。
苦しみを感じるのも悪いことではありませんが、それを続けていれば、人生の目的を見失ってしまいます。
苦しみを感じながらも、人生の目的を見失うことがなければ構いませんが、多くの人は、苦しみの中で人生の目的を見失ってしまうのです。
人生の目的を見失ってしまえば、何を得ても乏しいと感じてしまいます。
大切なのは、豊かさを味わうことなのです。
あなたが人生の目的を目指している時には、豊かさと乏しさの両方を感じることができます。
それは、豊かさと乏しさを見極めることができているということなのです。
それが自然の姿です。
人生の目的を見失った人は、不自然に生きることになります。
それは、豊かさを感じられない状態に陥(おちい)るということなのです。
豊かさと乏しさが共存している状態が豊かさです。
喜楽(きらく)だけが豊かさではないのです。
哀(かな)しみと怒りを含めて豊かさなのです。
喜怒哀楽が備わって豊かさです。
何かが欠落していることが乏しさであるのです。
すべての人は利益を求めます。
しかしながら、それは、自分の価値観の範囲内での利益です。
多くの人は、自分の小さな価値観によって、限定的な利益を求めるのです。
それは、利己的な利益となるのです。
利益とは、それに携わる相手にとっても利益でなければなりません。
自分だけが得をすることは利益ではないのです。
自分も、それに携わる相手も得をすることが利益なのです。
自分の価値観の範囲内で利益を考えている人は、利益を得ることができません。
利己的な利益は、乏しさに繋がっているからです。
それは、喜怒哀楽の中から、喜楽だけを求めるようなものだからです。
それでは、乏しさが導かれるのです。
あなたは、自分の価値観の範囲内だけで物事を考えてはなりません。
自分の価値観の範囲外のことも考慮しなければならないのです。
あなたは未熟です。
あなたの知っていることなど、ほんの僅(わず)かなことに過ぎません。
僅な情報を頼りに、結論を導いてはならないのです。
あなたが利己的に得ようと企(たくら)んだ利益によって、あなたは乏しさを得ます。
あなたが損を恐れずに、相手の利益をも考慮すれば、豊かさを得るのです。
哀しみと怒りが嫌いだからといって、それを否定してはなりません。
喜怒哀楽のすべての感情をバランス良く保つことによって、心は豊かさを得るのです。
あなたは、価値観の範囲外に多くの価値が存在しているということを知りましょう。
あなたの価値観の範囲は狭いのです。
知らないことに価値があるのです。
既成概念(きせいがいねん)に捕らわれてはなりません。
周囲の人が教えることを真似てはなりません。
多くの人は未熟であり、乏しく生きているのです。
そのような人たちの方法は参考にはならないからです。
あなたは乏しく生きる人に対して、豊かに生きる方法を教えなければなりません。
そのためには、あなたは相手の利益を考慮した選択をしましょう。
自分の利益を求めているのであれば、相手の利益を考えるのです。
それは、あなたの価値観の範囲外に存在するより良い価値を導く方法なのです。

2017年11月6日月曜日

実践者

人は、それぞれの人生を生きています。
人生は、それぞれに固有のものです。
人は、自分の人生を生きます。
人は、他者の人生を生きることはできません。
多くの人は、自分と他者の人生を混同しています。
多くの人は、自分の人生を放置して、他者の人生を生きようとしているのです。
残念ながら、あなたが自分の人生を抜け出し、他者の人生を歩むことはできません。
あなたが他者と同じ人生を歩むことはできないのです。
あなたはあなたの人生を歩み、他者は他者の人生を歩まなければならないのです。
人生は、それぞれに固有なものであって、それが交わることはありません。
あなたは、自分と他者の人生を区別して考えなければなりません。
他者を自分のように考えることは大切ですが、人生を混同してはなりません。
人生とは、それぞれの意識の段階に相応しい学びの場所なのです。
人は、それぞれが異なる意識の段階にあります。
そのため、それぞれの学びは異なっているのです。
意識の段階が異なっているのに、同じ学びを得ることはできません。
小学生が大学の授業を受けたとしても、学びを得ることはできません。
大学生が小学校の授業を受けたとしても、同じように学びを得ることはできないのです。
小学生は小学校で学び、大学生は大学で学ぶのです。
人には、それぞれに相応しい学びの場所があるのです。
あなたにとって、最も相応しい学びの場所とは、自分の人生なのです。
人は、自分の人生から学びを得るのです。
自分の人生を放置して、他者の人生に遠慮もなく割り込んだとしても、自分に相応しい学びを得ることはできないのです。
多くの人は、自分の人生を放置して、他者の人生に携(たずさ)わります。
相手が頼んでもいないのに、自分勝手に介入(かいにゅう)するのです。
それを良いことのように誤解しています。
相手のために良いことをしたと思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたは他者の人生を生きることはできません。
どれだけ、他者のために尽くしたところで、それは他者の邪魔をしているようなものなのです。
本来ならば、人は自分の人生を生きなければなりません。
自分の人生を追求し、それを達成しなければならないのです。
それぞれが自分の人生を達成することによって、互いの力になることができるのです。
自分の人生を達成することなく、互いに支え合うことはできないのです。
多くの人は、他者の人生に割り込み、足を引っ張ります。
自分の成すべきことを成さず、他者の人生に割り込むことによって、責任から逃れようとしているのです。
すべての人には、自分の人生を達成するという責任があります。
あなたには、あなたの人生を達成する責任があるのです。
そのため、あなたは自分の成すべきことを成す必要があります。
他者の手助けを考えるのは、自分の成すべきことを成した後なのです。
自分の人生を満足に生きられない者が、どうして他者の手助けができるでしょう?
知らない者に聞いても、必要な答えは得られません。
出来ない者に頼んでも、必要な結果は得られないのです。
あなたは、他者の人生に責任を持てますか?
なによりも、自分の人生に責任を持てますか?
安易に他者の人生に介入してはならないのです。
他者のためを思うのであれば、あなたは自分の成すべきことを成しましょう。
他者のためを思い、自分の人生を懸命に生きるのです。
自分の人生を懸命に生きていない者には、説得力が無いのです。
あなたは、自分の成すべきことを成していない者を信用することができるでしょうか?
口だけが達者な者を信頼することができますか?
信用に価(あたい)するのは実践者だけです。
実践者とは、自分の人生を生きる人のことです。
他者の人生に割り込もうとしている人は、何もしていないのと同じです。
人は、他者の人生を生きることができないのです。
”評論家”に注意しましょう。
そして、自分が”評論家”に陥(おちい)らないように注意しなければなりません。
自分の人生の実践者として生きましょう。

2017年11月5日日曜日

意識の段階

すべての人は、意識の段階を所有しています。
すべての人は、それぞれの意識の段階に属しているのです。
意識はそれぞれの段階に分かれています。
そして、人は自らの意識の段階に属します。
人は、意識の段階によって、興味や行為が異なります。
多くの人は、自分が選択していると思い込んでいますが、実際には選ばされているのです。
すべての人は、自らの属する意識に従わなければなりません。
あなたは、意識の段階に逆らうことはできないのです。
あなたは、自らの意識に従わなければなりません。
それも、意識の段階によって限定される興味や行為を選ばなければならないのです。
残念ながら、意識の段階に存在しない興味や行為を選択することはできません。
それは、若者が老人のように振る舞うことができず、幼子(おさなご)が若者のように振る舞うことができないようにです。
幼子は、それでも幼子らしく、若者は、それでも若者らしく、老人は、それでも老人らしく振る舞うのです。
人は、それぞれの意識の段階によって選択肢を導かれているのです。
そのため、限られた選択肢の中から、選ばなければならないのです。
人生における選択肢は無限ですが、あなたが現状において選ぶことのできる選択肢は限定されるのです。
例えば、多くの人は人生に対して不安を所有しています。
それは、人生に不安を所有する意識の段階にいるということなのです。
人生に対して不安を抱く人は、どのような方法を用いても不安を抱きます。
意識の段階が変わらないために、どのような方法を用いたとしても、興味や行為は不安に向けられるのです。
病気を所有する人は、病気をやめることができません。
敵を所有する人は、敵をやめることができません。
酒に溺れる人は、酒をやめることができません。
博打(ばくち)に飲み込まれる人は、ばくちをやめることができません。
女(男)に心酔する人は、女(男)をやめることができません。
苦しむ人は、苦しみをやめることができないのです。
どのような方法を用いても結果は同じです。
どのような環境に身を置こうとも変わりはしません。
人は、自らの意識の段階に従う他ないのです。
多くの人は、小手先の方法によって人生を変えようとしています。
しかしながら、取って付けたような”特別な”方法では人生が変わることはありません。
大切なのは、自らの意識の段階を変えることなのです。
意識の段階に従って、興味や行為の選択が許されます。
意識の段階が変われば、今までに興味や行為の対象となっていたことには、関心を示さなくなるのです。
そのため、人生を変えたいと考えているのであれば、”特別な”方法ではなく、自らの意識の段階を変えることが求められるのです。
意識の段階を変えるのは難しいことではありません。
意識の段階を変える方法とは、飽きることなのです。
飽きることによって、人は意識の段階を変えることができます。
人は、飽きるまでは、意識の段階を変えることができないのです。
それは、人がそれを変えることがないからです。
人は、飽きなければ手放しません。
それがどのようなものであろうとも、所有しているのであれば気に入っているのです。
飽きるとは、満足するということです。
あなたが現在所有しているものは、不満を覚えているものなのです。
不満は満たさなければなりません。
人生に不安を抱えている人は、不安を覚える必要があるのです。
そして、不安によって導かれる状態や状況を体験する必要があります。
そのような状態や状況が続けば、いずれはそれに飽きる時が来るのです。
不安によって導かれる状態や状況に飽きる時、あなたはそれに満足することができます。
それは、好物も食べ過ぎれば、腹が張って飽きることと同じです。
食べ過ぎれば、好物であろうとも必要とはしないのです。
それが飽きたという状態なのです。
あなたが意識の段階を変えたいと思うのであれば、何事も飽きるまで続けましょう。
苦しんでいるのであれば、苦しみ抜きましょう。
そうしなければ、あなたが苦しみを手放すことはありません。
腹に目一杯詰め込めば、どのような好物も嫌いになるのです。
苦しいのであれば、苦しみを詰め込む必要があるということを覚えておきましょう。
苦しみを手放したいと考えているのであれば、苦しみから逃れてはなりません。
腹八分で抑えるのであれば、好物は好物のままであるのです。
飽きるまで食べ続けましょう。
飽きるまで、今の生活を続けるのです。
そうすれば、あなたは現在の興味と行為に嫌気が差す時が訪れます。
その時に、あなたは別の興味と行為を選ぶことができるでしょう。

2017年11月4日土曜日

自分の真実

人生を豊かにするためには、本質を得る必要があります。
本質とは、唯一の真実です。
それは、最も深い核心なのです。
あなたが人生を豊かにするためには、本質を得る必要があるということを覚えておきましょう。
多くの人は本質を得てはいません。
多くの人は、本質ではなく、自分の真実を所有しているのです。
多くの人は、自分の真実に従っています。
それは本質ではありませんが、それぞれの信じる真実なのです。
そのため、この世界には偽りの真実が人の数だけ存在しているのです。
人は、それぞれの真実に従って生きているのです。
そのことを理解しなければ、軋轢(あつれき)は避けられないのです。
人は、それぞれの真実によって仲違いするのです。
それは、互いの真実が偽りであるということの証(あかし)です。
それぞれの真実が偽りであるために、争いという不調和が生じるのです。
それぞれが本質を得ているのであれば、そこには調和が生じるはずなのです。
大切なのは互いに協力し、調和を導くことです。
調和こそが豊かさを導きますが、不調和によっては乏しさが導かれるのです。
多くの人が人生に乏しさを感じています。
それは、自分の信じる真実に固執(こしゅう)しているからに他なりません。
多くの人は、自分の見ている世界がすべてだと思い込んでいます。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるのです。
そのため、他者の信じる真実を受け入れることができずに争います。
残念ながら、乏しさを感じるのであれば、あなたの信じる真実は偽りに過ぎません。
そして、あなたの見ている世界が、全体の中の小さな一部分でしかないということなのです。
あなたは、全体の中の小さな一部分を信じ、それを真実だと思い込んでいます。
残念ながら、それは限られた情報に過ぎないのです。
あなたは、自分の見ていることのすべてを信じられる訳ではないということを知らなければなりません。
あなたの見ていることなど、ほんの小さなものでしかないのです。
真実を語るには、あなたの見ている世界では情報が少な過ぎるのです。
あなたは全体の中の一部分によって、全体を理解することができるでしょうか?
機械の部品の一部を見て、それが何の機械に使われているのかを理解することが難しいように、一部を見て、全体を理解することは難しいのです。
あなたの知っていることは、ほんの少しのことでしかありません。
あなたの信じていることは、決して真実ではないのです。
そのため、あなたが本質を得るためには、自分も他者も疑う必要があるのです。
決して、無闇に信じてはならないのです。
自らの所有する真実を信じたい気持ちは分かりますが、あなたはそれを信じてはなりません。
それぞれが自らの真実を信じているために、争いが生じ、不調和が導かれているのです。
それぞれが自らの真実を疑い、互いに本質を求めれば協力が生まれ、調和が導かれるのです。
多くの人は、自分が正しいと信じています。
多くの人にとっては、自分の見ている世界がすべてなのです。
全体性を失えば、偏見に従う他ありません。
偏見によっては、この世界の真実を見極めることはできないのです。
あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、先ずは自分の真実を疑うことです。
そして、次に他者の真実を疑いましょう。
人は、それぞれの小さな真実に従っているに過ぎません。
そのため、誰も正しくはありません。
すべての人が間違っているということを覚えておきましょう。
そうすれば、柔軟性を得られるでしょう。
すべての人が間違っているのだから、他を探さなければならないのです。
柔軟性がなければ、本質を見極めることはできないのです。
柔軟性があれば、あなたは本質を見極めることもできるでしょう。
どのような真実にも固執することなく、変化し続けましょう。
真実に固執することがなければ、あなたは自由を得るでしょう。
自由を得た時、あなたは豊かさを得ているでしょう。

2017年11月3日金曜日

都合

この世界は、あなたを成長させるための場所です。
あなたは、人生において自らを成長させる必要があるのです。
それは、あなたが未熟であるからです。
未熟であるあなたは、成長を必要としているのです。
人が人生を生きる理由は成長するためです。
人生におけるすべての経験は、成長に繋がります。
あなたは常に成長するための経験を得ているのです。
どのような状況からも学びを得ることができ、どのような状況でも成長することができるのです。
成長は喜びをもたらします。
喜びは満足をもたらし、満足は幸福感を導くのです。
そのため、成長を実感する人は幸福な人生を生きることができるのです。
すべての人は幸福を求めています。
幸福を得るためには、成長すれば良いだけなのです。
単純な話です。
成長するためには、目の前の経験を懸命に学べば良いだけです。
目の前の経験を懸命に学ぶためには、目の前の状況に対して集中することです。
それは、過去と未来を手放すということでもあるのです。
過去は、栄光と後悔をもたらします。
未来は、期待と不安をもたらすのです。
それ等の感情は、あなたが”今”を懸命に生きることを阻害します。
あなたが目の前の状況に対して集中するためには、過去と未来に対して意識を向けてはならないのです。
過去と未来に意識を向けてしまえば、目の前の状況に対して集中することができず、そこに潜在している学びの意図を汲(く)み取ることができないのです。
それでは、成長することはできません。
あなたは自分が未熟であり、学ばなければならないということを覚えておきましょう。
しかしながら、未熟な者にとって、学ぶということは簡単なことではありません。
それは、未熟であるが故(ゆえ)に学ぶ姿勢が整わないからです。
学ぶ姿勢とは、学びを受け入れるという態度です。
未熟な者は、学びに反発します。
それは、大抵の学びが都合の良いものではないからです。
未熟な者は、自分の都合を優先します。
都合の良いものを受け入れ、都合の悪いものを拒絶するのです。
学びに反発する者は、成長することができません。
なぜなら、人生は、あなたが成長するために最善の学びを目の前の状況として導いているからです。
最善の学びに反発する者は、それ以上の成長を実現することができないのです。
大切なのは、自分の都合だけで人生を考えないことです。
自分の都合に合わせていれば、それは、歪んだ結果を得るということなのです。
自分は未熟です。
未熟な者の都合とは、歪んだものであるのです。
そのため、都合の良いものばかりを選択していけば、自ずと問題が導かれるのです。
あなたは、自分が未熟であるということを忘れてはなりません。
人生は、あなたの都合には合わせません。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
人生は、あなたにとっての最善を知っています。
そのため、あなたの都合を考えることはないのです。
都合を合わせなければならないのは、未熟であるあなたなのです。
あなたの都合に人生が合わせることなど必要ないのです。
天候があなたの都合に合わせることがないように、人生があなたの都合に合わせることはありません。
あなたの都合に合わせていれば、幸福も苦悩となるのです。
大切なのは、目の前の状況が最善だと知ることです。
それが、どのような状況であったとしても、あなたの成長を実現するための最善です。
すべてを受け入れろと言っているのではありません。
受け入れる範囲を増やさなければ、可能性は失われるということなのです。
人生を豊かに生きる方法は、度量(どりょう)を育むことです。
ただ、それだけのことです。
人生は、自分に相応しく展開するのです。
あなたが得ているものは、あなたの度量に相応しいのです。
苦悩を受けているのであれば、あなたの度量がその程度であるということです。
幸福を受けているのであれば、あなたの度量がその程度であるということなのです。
この世界は、あなたを成長させるための場所です。
それ以外の場所ではありません。
大切なことなので覚えておきましょう。

2017年11月2日木曜日

変化は急に訪れる

人は、積み上げます。
人は、常に積み上げているのです。
それは、必ず成果として導かれます。
どのような原因も、必ず結果として導かれるのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
この世界において、結果を導かない原因は存在しません。
どのような原因も、必ず結果を導きます。
それは、この世界に因果の仕組みが存在しているからです。
原因は、あなたです。
あなたのすべてが結果に繋がります。
そのため、あなたは心配せずに原因を積み上げれば良いのです。
多くの人は不安を抱えながら生きています。
それは、因果の仕組みを理解してはいないからです。
多くの不安を抱えている人は、因果の仕組みを信じることができないのです。
多くの人は、原因がそれに相応しい結果を導くことを信じることができません。
そのため、目の前に導かれている結果は、偶然によって導かれたものだと考えているのです。
多くの人が不幸に苦しんだり、”奇跡”を信じて祈るのはそのためです。
残念ながら、この世界には不幸も”奇跡”も存在しません。
この世界には、当然の結果のみが存在しているのです。
それは、不幸や”奇跡”が存在するのであれば、この世界には不要や無意味が存在するということだからです。
残念ながら、この世界には不要や無意味は存在しません。
この世界には、必要と意義が存在しているだけなのです。
すべての原因は必要と意義のある結果を導きます。
それは、あなたにとっての必要と意義なのです。
あなたは、自分のために原因を積み上げているのです。
積み上げられた原因は、必ず結果に結び付きます。
それが、どのような原因であろうとも、それに相応しい結果が導かれるということを覚えておきましょう。
しかしながら、結果が導かれるタイミングを選ぶことはできません。
なぜなら、あなたには、必要と意義を理解することができないからです。
必要と意義は、この世界が理解しています。
あなたにとって、必要であり、意義のあるタイミングで結果を導くのです。
それは、あなたが学び、成長するためです。
すべては、あなたが成長するために行われるのです。
そのため、あなたは常に成長することができるのです。
多くの人は、結果を求めます。
しかしながら、それは思い通りには導かれません。
そのため、そこに怒りや不安、悲しみなどの破滅的な感情が導かれるのです。
それは、苦しみであるのです。
人が苦しんでいるのは、思い通りの結果を求めているからです。
どのように努めても、思い通りの結果は導かれません。
あなたは、世界が認める必要と意義に従って結果を得るのです。
あなたは結果を求める必要はありません。
結果は自ずと導かれるのです。
成長も、自ずと導かれます。
あなたが真剣に学びと向き合っているのであれば、自分がいつの間にかに成長していることに驚くでしょう。
成長とは、急に実感できるものなのです。
徐々に成長を実感することはありません。
人生の変化も、急激に訪れます。
結果は急に導かれるのです。
大切なのは、原因を積み上げ続けることです。
結果を求めずに積み上げるのです。
そうすれば、より良い結果を得ることができるでしょう。
結果ばかりを気にしている者は、良い結果を得ることができないということを覚えておかなければなりません。
それは、結果ばかりを気にして、原因を積み上げることを怠(おこた)るからです。
結果にとって重要なのは原因です。
良い原因を積み上げる以外に、良い結果を得る方法はありません。
そのため、結果を求めてはなりません。
原因を求めましょう。
受け取ることよりも、与えることを考えましょう。
そのような人の人生が乏しくなることは有り得ないからです。
急激な人生を豊かに生きましょう。

2017年11月1日水曜日

荷物

人は、積み上げます。
人は、積み上げなければなりません。
誰もが、何かを積み上げています。
どのような人も、何かを積み上げているのです。
ある人は、努力によって何かを積み上げます。
ある人は、怠慢(たいまん)によって何かを積み上げます。
ある人は、無関心によって何かを積み上げ、ある人は計画的に何かを積み上げるのです。
どのような人も、何かを積み上げているということを覚えておきましょう。
あなたも何かを積み上げています。
経験は常に積み上げられるのです。
意図してもしなくても、あなたは積み上げなければなりません。
積み上げられたものは、影響力を持つようになります。
それは、あなたの人生に影響を与えるものとなるのです。
誰もが、自らの積み上げたものによって人生を左右されます。
何を積み上げたにしても、それはあなたを左右するのです。
あなたは抱えている荷物によって歩みを変更せざるを得ません。
重たい荷物であれば、ゆっくりと進まなければなりません。
軽い荷物であれば、素早く進まなければなりません。
大きな荷物であれば、慎重に進まなければなりません。
小さな荷物であれば、気にせずに進まなければなりません。
長い荷物であれば、周囲を気に掛けて進まなければなりません。
柔らかな荷物であれば、静かに進まなければならないのです。
抱えている荷物によって、歩みは異なります。
抱えている荷物に合わせて、歩みを変えなければならないのです。
自由に歩みたくても、それは許されません。
あなたの歩みは、荷物によって制約されているのです。
大切なのは、現状を知ることです。
あなたは現在、どのような道を進んでいるのでしょうか?
道に合った荷物で歩まなければなりません。
坂道を、重たい荷物を抱えて歩むことはできません。
広い道を、小さな荷物を抱えて歩むことは虚(むな)しいのです。
道に従った荷物があります。
あなたはそれを見極めなければならないのです。
時代が求めているものをもたらす者は貢献することができます。
時代にそぐわないものをもたらす者は享受(きょうじゅ)するにとどまるのです。
貢献は豊かさを導き、享受は乏しさを導きます。
道に従った荷物を運ぶ者が、世界に貢献し、豊かさを得ることができるのです。
あなたは現状において、何を求められていますか?
あなたが求められているものこそが、あなたの運ぶべき荷物なのです。
求められている荷物を運ばず、自分の運びたい荷物を運んではなりません。
それでは、道を進むことができないからです。
世界に求められていない荷物を運んだとしても、貢献することはできないのです。
理想など、役には立ちません。
理想に従って何かを積み上げてはならないのです。
現実に従って何かを積み上げましょう。
現実とは、目の前の道のことです。
今の自分にできることを懸命に行うのです。
できないことはできないと理解しましょう。
これまで積み上げてきたことも、現状にはそぐわないことがあります。
その時には、それを手放さなければならないのです。
多くの人は、過去の栄光にしがみ付きます。
求められもせず、役にも立たない荷物に固執(こしゅう)しているのです。
求められもせず、役にも立たない荷物であれば、どれだけ積み上げていたとしても価値を持ちません。
そのことに気が付かなければなりません。
豊かさとは、変化のことです。
変化とは、可能性なのです。
執着(しゅうちゃく)して、停滞してはなりません。
素早く手放し、新しく積み上げましょう。