すべての人は、価値観に従って生きています。
誰もが、価値観を所有しているのです。
それは、独特なものであり、共通なものでもあります。
人は、与えられた(教わった)価値観を、自分の中で独特な価値観へと変化させていきます。
そのため、その価値観は独特なものであり、また、共通なものでもあるのです。
そして、人は価値観に従って評価を下します。
人は、価値観に従って物事を判断しているのです。
評価が価値観を離れることはありません。
誰もが価値観に従った評価を下すのです。
あなたは、すべての評価が価値観に従って導かれているということを理解する必要があるのです。
それは、評価に惑わされないためにです。
人は、自分自身や他者からの評価に影響を受けます。
評価による影響はとても強いもので、それは継続と中断の権限をも持つのです。
人は、自分自身や他者からの評価によって、それを継続するか、中断するのかを決めるのです。
評価の低いことを継続することは難しく、中断を余儀無くされます。
逆に、評価の高いことは中断することが難しく、継続を余儀無くされるのです。
多くの人は、評価に従って選択を下しているのです。
評価の低いものを中断し、評価の高いものを継続するのは良いことのように思えます。
多くの人は、それを当然のことだと考えるでしょう。
しかしながら、あなたは、その評価が何によって導かれているのか?ということを考える必要があるのです。
多くの人は、自分自身や他者からの評価が正しいと考えています。
それは、多数派の意見であるからです。
人は、多数派の評価に従います。
多数派の評価に従うことが正しいと思っているのです。
しかしながら、あなたの人生において、今までに多数派の意見が正しかったことがあったでしょうか?
あなたは、自分の人生を生きるために生まれたのです。
あなたは、自分の人生を生きるための選択を行わなければなりません。
そのためには、先ずは自分を信用しないことです。
それは、既存の価値観に従っているからです。
あなたの抱えている価値観は、誰かに与えられた(教わった)価値観を自分の中で独特な価値観へと変化させたものです。
それは、既存を脱してはいないのです。
それは、他者の価値観も同じです。
既存を脱していない価値観を安易に信用することはできないのです。
なぜなら、あなたの目的は、自分の人生を生きることだからです。
既存の価値観に従うということは、誰かの人生を生きるということなのです。
あなたが生きなければならないのは、誰も生きたことのない、自分の人生なのです。
未知の価値観に従わなければ、人が自分の人生を生きることはできないのです。
ただし、この世界には未知の価値観を所有している人はいません。
矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、それは仕方のないことなのです。
そのため、既存の価値観の中から、独特に変化した価値観を抽出(ちゅうしゅつ)し、それに従わなければならないのです。
自分の人生を生きるというのは、既存の中に生じる独特を掬(すく)い取るような作業なのです。
そのため、自分自身の評価も、他者からの評価も、安易に信用することはできないのです。
多くの人は、既存の価値観によって導かれる評価に左右されています。
あなたが豊かさを求めているのであれば、安易に評価に従ってはなりません。
既存の価値観に従ったところで、あなたは自分の人生を生きられないのです。
自分の人生を生きるのは簡単なことではありません。
多くの人は、既存の中に生じる独特に従うことができないのです。
”当たり前”、”普通”を生きることは、あなたのストレスにしかなりません。
なぜなら、あなたは”当たり前”でも、”普通”でもないからです。
あなたは独特な存在なのです。
あなたは、唯一の存在なのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
人生に乏しさを感じているのであれば、自分が”当たり前”や”普通”に陥っていることを疑いましょう。
”当たり前”や”普通”を離れる勇気を持ち、独特な価値観に従う決断を下した者だけが、人生に豊かさを導くのです。
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