人は、幸福を求めます。
	多くの人にとっての幸福とは、願いが叶うことです。
	多くの人は、人生が思い通りに展開することが幸福であると考えているのです。
	すべての人が願いを抱えています。
	それは、理想と言い換えても良いでしょう。
	誰もが理想を抱えながら生きているのです。
	そして、その理想を実現することが幸福を手に入れる方法だと考えています。
	そのため、多くの人は理想の実現のために躍起(やっき)になります。
	多くの人は、理想を実現することがなければ、幸福を手に入れることができないと考えているのです。
	残念ながら、すべての人は未熟です。
	あなたは、自分が未熟であるということを知らなければなりません。
	そして、それを忘れてはなりません。
	未熟な者の考えは未熟です。
	未熟な者の理想は未熟なのです。
	多くの人は、未熟な理想を実現することが幸福を手に入れる方法だと考えているのです。
	未熟な理想を実現することがなければ、幸福を手に入れることができないと考えているのです。
	あなたは、未熟な自分の未熟な理想が、幸福を実現してくれると思いますか?
	やりたいことをやり、欲しいものを手に入れることが幸福だと思いますか?
	残念ながら、そのような人生は退屈でしかありません。
	なぜなら、先が見えているからです。
	あなたの理想とは、予測に過ぎないのです。
	予測に従って行動しているということなのです。
	それは、完成した姿を知った上で、部品を組み立てていくようなものです。
	それに喜びを感じる人は多いでしょうが、完成した姿を知らなければ、喜びはより大きなものであったのです。
	多くの人は、恐怖を嫌います。
	多くの人は、未知に恐怖を抱きます。
	そのため、多くの人は理想を追い求めるのです。
	先が見えないことが怖いのです。
	しかしながら、あなたは深く考えてみなければなりません。
	物語の結末を知っているのに、結末に辿り着いた時に感動することができるでしょうか?
	結末を知らないために、物語にのめり込むことができるのです。
	結末を知っていれば、安心感はあるかも知れませんが、そのために感動を得ることができないのです。
	多くの人は未来を知りたがります。
	先が見えることに安心感を得ようとしているのです。
	残念ながら、先が見えてしまうことによって得られるのは安心感ではありません。
	先が見えてしまうことによって得られるのは絶望なのです。
	あなたは、自らの人生の結末を知って、それを楽しむことができるでしょうか?
	次に何が起こるのかを知っているのに、楽しむことができますか?
	人生は、先が見えない方が面白いのです。
	一時の安心感を得る代わりに、感動を失ってはなりません。
	思い通りの人生を欲してはならないのです。
	あなたは、思い通りに時を過ごしてはなりません。
	願いを叶えることに必死になってはならないのです。
	世間では、願いが叶うことを良いことのように吹聴(ふいちょう)しています。
	しかしながら、それは未熟者の願いが叶うことのリスクを考慮してはいないのです。
	耳触りが良く、欲望を刺激する言葉に惑わされてはなりません。
	冷静に、深く考えるのです。
	あなたは未熟です。
	未熟者の願いなど、実現しない方が良いのです。
	あなたにとっての最前は、目の前の現実として導かれています。
	目の前の現実は、理想とは程遠いものでしょうが、それに価値があるのです。
	それを理解する必要があるのです。
	思いもよらない展開こそが、あなたを成長させます。
	思いもよらない展開こそが、あなたに幸福を導くのです。
	未熟者の思いもよらない展開とは、あなたにとっての良い状況なのです。
	先が見えないことが、あなたを幸福にします。
	先が見えることを喜んではなりません。
	それは、既に限界が見えているということだからです。
	
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