あなたは、価値を計らなければなりません。
多くの人は、価値を誤解しています。
多くの人は、価値を理想的な解釈によって計っているのです。
そのため、価値は利己的な基準を持つようになります。
多くの人にとっての価値とは、理想そのものであるのです。
多くの人は、自らの抱える理想を実現することに価値を見出します。
多くの人は、理想が実現することに価値があると思い込んでいるのです。
理想が実現することを満足し、理想が実現しないことに不満を抱くのです。
残念ながら、すべての人が未熟です。
すべての人が歪み、すべての人の解釈は間違っているのです。
残念ながら、この世界においては、完全な人間など存在しません。
この世界におけるすべての人間は未熟なのです。
あなたは、自分が未熟であるということを覚えておかなければなりません。
そして、未熟者の解釈が間違っているということを忘れてはならないのです。
多くの人が、価値の解釈を間違えています。
多くの人の追い求める価値は、誤解であるということなのです。
残念ながら、未熟者の理想には価値がありません。
あなたは、自分よりも幼稚な人物の理想に価値を見出すことができるでしょうか?
あなたには、自分よりも幼稚な人物の理想に価値を見出すことはできないのです。
それと同じように、あなたの理想にも価値はありません。
自分自身を俯瞰(ふかん)すれば理解することができるでしょう。
あなたは自らの理想に価値を見出していますが、それはやがて価値を失います。
価値観の変化に伴(ともな)って、価値への解釈も変化するのです。
あなたが成長するほどに、価値への解釈は本質的なものへと変化していきます。
それは、価値への誤解が解けていくということなのです。
価値への誤解を多く抱えている人の解釈は、理想を価値と捕らえます。
多くの人は未熟な状態を生きています。
そのため、理想が実現することを価値と考えているのです。
思い通りの人生を望んでいる人は、自分が多くの誤解を抱えている未熟者であるということを理解しなければならないのです。
あなたにとって本当に価値のあるものは、あなたには理解することができません。
なぜなら、理想に価値があると思い込んでいるような人物は、自分が正しいと思い込んでいるからです。
自分が正しいと思い込んでいる人は、成長することができません。
それは、正しいものを変える必要などないからです。
多くの人が理想の実現を願っているのは、自分が正しいと思い込んでいるからなのです。
あなたは、自分が間違っていることを受け入れることができますか?
理想には価値がないということを理解することができるでしょうか?
それ等のことを受け入れることができるのであれば、あなたは本当の価値を知ることができるでしょう。
価値を正確に計る時には、謙虚(けんきょ)でなければなりません。
先入観を以(もっ)て計ったところで、正確な理解は得られないのです。
謙虚な態度で世界を認めれば、すべてが満たされることはないと理解することができます。
理想は決して満たされません。
それが自然なのです。
しかしながら、すべてが満たされることはなくても、必要が満たされているということを理解することができるのです。
必要とは、自分にとっての最善です。
あなたには、常に最善が導かれているのです。
自分が正しいという傲慢(ごうまん)を手放すことによって、目の前には常に最善が導かれていることを理解することができます。
そこであなたは、最善とは理想ではないということを理解することができるのです。
多くの人は、理想が最善だと思い込んでいます。
しかしながら、本当の最善とは、目の前の気に入らない現実のことなのです。
目の前の気に入らない現実にこそ価値があるのです。
価値を正確に計る人が理想を追い求めることはありません。
価値を理解する人は、目の前に導かれた現実を大切に扱うからです。
価値を理解する人は、価値を得ることができます。
しかしながら、価値を誤解している人は、価値を得ることができないのです。
理想通りにいかないのが人生です。
思い通りにいかないことに価値があるのです。
そのことを理解しなければなりません。
あなたが賢明な人であるのならば、理想通りの人生を望んではなりません。
未熟者の理想が実現するということは、乏しさを導くことだからです。
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