すべての人は、豊かに生きなければなりません。
	それは、豊かな心によって生きなければならないということです。
	豊かさとは、環境や状況によって決められるのではありません。
	豊かさとは、それを受け取る心によって決まるのです。
	環境や状況が豊かであるからといって、心が豊かであるということはありません。
	環境や状況が乏しくても、心が豊かであるということもあるのです。
	環境や状況を豊かだと認識する心と、それを乏しいと認識する心が存在するのです。
	人は、豊かに生きることも、乏しく生きることも許されています。
	どちらを選んでも構いません。
	しかしながら、乏しさを選ぶことによっては、あなたは苦しみを感じてしまうでしょう。
	苦しみを感じるのも悪いことではありませんが、それを続けていれば、人生の目的を見失ってしまいます。
	苦しみを感じながらも、人生の目的を見失うことがなければ構いませんが、多くの人は、苦しみの中で人生の目的を見失ってしまうのです。
	人生の目的を見失ってしまえば、何を得ても乏しいと感じてしまいます。
	大切なのは、豊かさを味わうことなのです。
	あなたが人生の目的を目指している時には、豊かさと乏しさの両方を感じることができます。
	それは、豊かさと乏しさを見極めることができているということなのです。
	それが自然の姿です。
	人生の目的を見失った人は、不自然に生きることになります。
	それは、豊かさを感じられない状態に陥(おちい)るということなのです。
	豊かさと乏しさが共存している状態が豊かさです。
	喜楽(きらく)だけが豊かさではないのです。
	哀(かな)しみと怒りを含めて豊かさなのです。
	喜怒哀楽が備わって豊かさです。
	何かが欠落していることが乏しさであるのです。
	すべての人は利益を求めます。
	しかしながら、それは、自分の価値観の範囲内での利益です。
	多くの人は、自分の小さな価値観によって、限定的な利益を求めるのです。
	それは、利己的な利益となるのです。
	利益とは、それに携わる相手にとっても利益でなければなりません。
	自分だけが得をすることは利益ではないのです。
	自分も、それに携わる相手も得をすることが利益なのです。
	自分の価値観の範囲内で利益を考えている人は、利益を得ることができません。
	利己的な利益は、乏しさに繋がっているからです。
	それは、喜怒哀楽の中から、喜楽だけを求めるようなものだからです。
	それでは、乏しさが導かれるのです。
	あなたは、自分の価値観の範囲内だけで物事を考えてはなりません。
	自分の価値観の範囲外のことも考慮しなければならないのです。
	あなたは未熟です。
	あなたの知っていることなど、ほんの僅(わず)かなことに過ぎません。
	僅な情報を頼りに、結論を導いてはならないのです。
	あなたが利己的に得ようと企(たくら)んだ利益によって、あなたは乏しさを得ます。
	あなたが損を恐れずに、相手の利益をも考慮すれば、豊かさを得るのです。
	哀しみと怒りが嫌いだからといって、それを否定してはなりません。
	喜怒哀楽のすべての感情をバランス良く保つことによって、心は豊かさを得るのです。
	あなたは、価値観の範囲外に多くの価値が存在しているということを知りましょう。
	あなたの価値観の範囲は狭いのです。
	知らないことに価値があるのです。
	既成概念(きせいがいねん)に捕らわれてはなりません。
	周囲の人が教えることを真似てはなりません。
	多くの人は未熟であり、乏しく生きているのです。
	そのような人たちの方法は参考にはならないからです。
	あなたは乏しく生きる人に対して、豊かに生きる方法を教えなければなりません。
	そのためには、あなたは相手の利益を考慮した選択をしましょう。
	自分の利益を求めているのであれば、相手の利益を考えるのです。
	それは、あなたの価値観の範囲外に存在するより良い価値を導く方法なのです。
	
0 件のコメント:
コメントを投稿