すべての人は、意識の段階を所有しています。
すべての人は、それぞれの意識の段階に属しているのです。
意識はそれぞれの段階に分かれています。
そして、人は自らの意識の段階に属します。
人は、意識の段階によって、興味や行為が異なります。
多くの人は、自分が選択していると思い込んでいますが、実際には選ばされているのです。
すべての人は、自らの属する意識に従わなければなりません。
あなたは、意識の段階に逆らうことはできないのです。
あなたは、自らの意識に従わなければなりません。
それも、意識の段階によって限定される興味や行為を選ばなければならないのです。
残念ながら、意識の段階に存在しない興味や行為を選択することはできません。
それは、若者が老人のように振る舞うことができず、幼子(おさなご)が若者のように振る舞うことができないようにです。
幼子は、それでも幼子らしく、若者は、それでも若者らしく、老人は、それでも老人らしく振る舞うのです。
人は、それぞれの意識の段階によって選択肢を導かれているのです。
そのため、限られた選択肢の中から、選ばなければならないのです。
人生における選択肢は無限ですが、あなたが現状において選ぶことのできる選択肢は限定されるのです。
例えば、多くの人は人生に対して不安を所有しています。
それは、人生に不安を所有する意識の段階にいるということなのです。
人生に対して不安を抱く人は、どのような方法を用いても不安を抱きます。
意識の段階が変わらないために、どのような方法を用いたとしても、興味や行為は不安に向けられるのです。
病気を所有する人は、病気をやめることができません。
敵を所有する人は、敵をやめることができません。
酒に溺れる人は、酒をやめることができません。
博打(ばくち)に飲み込まれる人は、ばくちをやめることができません。
女(男)に心酔する人は、女(男)をやめることができません。
苦しむ人は、苦しみをやめることができないのです。
どのような方法を用いても結果は同じです。
どのような環境に身を置こうとも変わりはしません。
人は、自らの意識の段階に従う他ないのです。
多くの人は、小手先の方法によって人生を変えようとしています。
しかしながら、取って付けたような”特別な”方法では人生が変わることはありません。
大切なのは、自らの意識の段階を変えることなのです。
意識の段階に従って、興味や行為の選択が許されます。
意識の段階が変われば、今までに興味や行為の対象となっていたことには、関心を示さなくなるのです。
そのため、人生を変えたいと考えているのであれば、”特別な”方法ではなく、自らの意識の段階を変えることが求められるのです。
意識の段階を変えるのは難しいことではありません。
意識の段階を変える方法とは、飽きることなのです。
飽きることによって、人は意識の段階を変えることができます。
人は、飽きるまでは、意識の段階を変えることができないのです。
それは、人がそれを変えることがないからです。
人は、飽きなければ手放しません。
それがどのようなものであろうとも、所有しているのであれば気に入っているのです。
飽きるとは、満足するということです。
あなたが現在所有しているものは、不満を覚えているものなのです。
不満は満たさなければなりません。
人生に不安を抱えている人は、不安を覚える必要があるのです。
そして、不安によって導かれる状態や状況を体験する必要があります。
そのような状態や状況が続けば、いずれはそれに飽きる時が来るのです。
不安によって導かれる状態や状況に飽きる時、あなたはそれに満足することができます。
それは、好物も食べ過ぎれば、腹が張って飽きることと同じです。
食べ過ぎれば、好物であろうとも必要とはしないのです。
それが飽きたという状態なのです。
あなたが意識の段階を変えたいと思うのであれば、何事も飽きるまで続けましょう。
苦しんでいるのであれば、苦しみ抜きましょう。
そうしなければ、あなたが苦しみを手放すことはありません。
腹に目一杯詰め込めば、どのような好物も嫌いになるのです。
苦しいのであれば、苦しみを詰め込む必要があるということを覚えておきましょう。
苦しみを手放したいと考えているのであれば、苦しみから逃れてはなりません。
腹八分で抑えるのであれば、好物は好物のままであるのです。
飽きるまで食べ続けましょう。
飽きるまで、今の生活を続けるのです。
そうすれば、あなたは現在の興味と行為に嫌気が差す時が訪れます。
その時に、あなたは別の興味と行為を選ぶことができるでしょう。
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