人は、それぞれの人生を生きています。
	人生は、それぞれに固有のものです。
	人は、自分の人生を生きます。
	人は、他者の人生を生きることはできません。
	多くの人は、自分と他者の人生を混同しています。
	多くの人は、自分の人生を放置して、他者の人生を生きようとしているのです。
	残念ながら、あなたが自分の人生を抜け出し、他者の人生を歩むことはできません。
	あなたが他者と同じ人生を歩むことはできないのです。
	あなたはあなたの人生を歩み、他者は他者の人生を歩まなければならないのです。
	人生は、それぞれに固有なものであって、それが交わることはありません。
	あなたは、自分と他者の人生を区別して考えなければなりません。
	他者を自分のように考えることは大切ですが、人生を混同してはなりません。
	人生とは、それぞれの意識の段階に相応しい学びの場所なのです。
	人は、それぞれが異なる意識の段階にあります。
	そのため、それぞれの学びは異なっているのです。
	意識の段階が異なっているのに、同じ学びを得ることはできません。
	小学生が大学の授業を受けたとしても、学びを得ることはできません。
	大学生が小学校の授業を受けたとしても、同じように学びを得ることはできないのです。
	小学生は小学校で学び、大学生は大学で学ぶのです。
	人には、それぞれに相応しい学びの場所があるのです。
	あなたにとって、最も相応しい学びの場所とは、自分の人生なのです。
	人は、自分の人生から学びを得るのです。
	自分の人生を放置して、他者の人生に遠慮もなく割り込んだとしても、自分に相応しい学びを得ることはできないのです。
	多くの人は、自分の人生を放置して、他者の人生に携(たずさ)わります。
	相手が頼んでもいないのに、自分勝手に介入(かいにゅう)するのです。
	それを良いことのように誤解しています。
	相手のために良いことをしたと思い込んでいるのです。
	残念ながら、あなたは他者の人生を生きることはできません。
	どれだけ、他者のために尽くしたところで、それは他者の邪魔をしているようなものなのです。
	本来ならば、人は自分の人生を生きなければなりません。
	自分の人生を追求し、それを達成しなければならないのです。
	それぞれが自分の人生を達成することによって、互いの力になることができるのです。
	自分の人生を達成することなく、互いに支え合うことはできないのです。
	多くの人は、他者の人生に割り込み、足を引っ張ります。
	自分の成すべきことを成さず、他者の人生に割り込むことによって、責任から逃れようとしているのです。
	すべての人には、自分の人生を達成するという責任があります。
	あなたには、あなたの人生を達成する責任があるのです。
	そのため、あなたは自分の成すべきことを成す必要があります。
	他者の手助けを考えるのは、自分の成すべきことを成した後なのです。
	自分の人生を満足に生きられない者が、どうして他者の手助けができるでしょう?
	知らない者に聞いても、必要な答えは得られません。
	出来ない者に頼んでも、必要な結果は得られないのです。
	あなたは、他者の人生に責任を持てますか?
	なによりも、自分の人生に責任を持てますか?
	安易に他者の人生に介入してはならないのです。
	他者のためを思うのであれば、あなたは自分の成すべきことを成しましょう。
	他者のためを思い、自分の人生を懸命に生きるのです。
	自分の人生を懸命に生きていない者には、説得力が無いのです。
	あなたは、自分の成すべきことを成していない者を信用することができるでしょうか?
	口だけが達者な者を信頼することができますか?
	信用に価(あたい)するのは実践者だけです。
	実践者とは、自分の人生を生きる人のことです。
	他者の人生に割り込もうとしている人は、何もしていないのと同じです。
	人は、他者の人生を生きることができないのです。
	”評論家”に注意しましょう。
	そして、自分が”評論家”に陥(おちい)らないように注意しなければなりません。
	自分の人生の実践者として生きましょう。
	
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