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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年8月31日土曜日

実体

すべての人は、幻想を生きています。
残念ながら、人生とは幻想に過ぎないのです。
人生は現実ではありません。
なぜなら、それは、自分自身の投影に過ぎないからです。
人生は、映画のスクリーンのようなものなのです。
そこには、物語が映し出されていますが、そこに実体は存在しないのです。
実体は、あなたの内に存在しています。
この世界において、あなたの内こそが実体なのです。
人生は、あなたの内を反映した虚像に過ぎないのです。
人生の実体は、あなたの内に存在しています。
そのため、外に答えを探しても見付かることはありません。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
残念ながら、多くの人は、人生が虚像に過ぎないことを知りません。
現実は、自分の内に存在するということを知らないのです。
多くの人は、虚像の中に答えを探します。
そこに答えなど存在しないにもかかわらず、それを探し続けるのです。
多くの人は、幸福を得れば、人生が完成すると思い込んでいます。
そのため、多くの人は、幸福を目指します。
幸福は、決して悪い状態ではありません。
しかしながら、幸福を得ることによって人生を完成することが出来ると考えるのであれば、それは浅はかです。
それは、多くの人の幸福が、外に依存(いそん)しているからです。
多くの人は、外的な要因によって幸福が実現すると考えます。
例えば、他者や環境や物品などの、外的な要因によって幸福が実現し、その結果として人生が完成すると思い込んでいるのです。
残念ながら、幸福によって人生が完成することはありません。
どれだけの幸福を手に入れたとしても、それによって人生を完成させることは出来ないのです。
人生の完成は、実体である内の完成に伴(ともな)って完成するのです。
外をどれだけ飾(かざ)っても、人生が完成することはありません。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
外的な要因に依存する幸福というのは、一瞬の輝きに過ぎません。
それは、確かに輝いてはいますが、その輝きは一瞬のものなのです。
それは、一瞬だけ輝いて、それ以降は輝きを失います。
多くの人の求める幸福は、流れ星のように、一瞬の輝きを見せて消えてしまいます。
一瞬の輝きをどれだけ集めても、道を照らすことは出来ないのです。
外的な要因によって実現する幸福に執着(しゅうちゃく)する必要はありません。
幸福は、一瞬の出来事です。
どのような幸福も、一瞬に過ぎないのです。
あなたは、幸福に対して執着してはなりません。
人生の完成と、幸福には、因果関係は存在しないのです。
外的な要因によって実現する幸福に執着しても、それはすぐに不幸へと変わるでしょう。
食物を味わい続けることは出来ません。
それが、どのような食物であろうとも、やがては味が無くなってしまうのです。
味の無くなった食物をいつまでも口の中に置いておくことは不快なのです。
味が無くなれば、それを飲み込まなければならないのです。
外的な要因によって実現する幸福に執着することは出来ません。
あなたは、外的な要因によって実現する幸福を求め続けなければならないのです。
それに終わりはありません。
どれだけの食物を飲み込んでも、やがて腹は減るのです。
どれだけの外的な要因によって実現する幸福を集めたとしても、必ず不満や不幸が襲います。
人生を完成させるためには、外的な要因によって実現する幸福に頼ってはならないのです。
実体は、あなたの内に存在する意識です。
外の物質を満たすことは、人生の完成に影響しません。
内の意識を満たすことが求められるのです。
人生を変えるためには、実体である内を改めなければなりません。
あなたは幸福を外に求めず、それを内に求めましょう。

2019年8月30日金曜日

人生の完成

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、人生の完成を実現することです。
人生は、目的を果たすことによって完成するのです。
あなたは、人生の目的を果たし、人生を完成させなければなりません。
なぜなら、それが生まれた理由だからです。
あなたは、人生を完成させるために生まれたのです。
すべての人が、人生を完成させなければなりません。
しかしながら、人生の完成はそれぞれに異なります。
人生は、それぞれの形によって完成するのです。
同じ形に完成する人生など存在しません。
人は、それぞれに完成を目指して人生を生きているのです。
すべての人は、それぞれに目的を果たすために生きています。
人生における目的は、人それぞれに異なるものなのです。
人は、それぞれに異なる目的を以て生まれるということを覚えておきましょう。
人生の目的は、人の内に存在するのです。
人は、それぞれに異なる”内”を生きているのです。
外の世界は、同じです。
外の世界は、理(ことわり)によって平等であり、同等なのです。
異なるのは、内側です。
人は、それぞれの目的に従(したが)って、それぞれの内を生きているのです。
人生の目的は、あなたの内に存在しています。
残念ながら、それは外には存在しません。
外に何かを実現したとしても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
内に必要を実現することが、人生の目的を果たすということなのです。
人生は、内に完成します。
外に立派なものを築くことは素晴らしいですが、内に立派なものを築くことが出来なければ意味がありません。
外に何かを築くことが人生ではないのです。
内に必要を築くことこそが、人生なのです。
あなたは、内に必要を築くことによって、人生を完成させましょう。
大切なのは、内側です。
環境や他者も大切ですが、自分自身の内側の方が重要なのです。
すべては、内を整え、完成させるための経験です。
あなたは、様々な経験を通じて、内を整えなければならないのです。
外を飾っても、内が伴(ともな)わなければ、空しいのです。
偽善者(ぎぜんしゃ)の垂訓(すいくん)程、空しいものはありません。
それは、中身が伴わないからです。
偽善者の垂訓に比べれば、学の無い母親の子に対する小言の方が価値があるのです。
そこには、母親の子に対する愛情が存在するからです。
偽善者の内よりも、母親の内の方が愛情に優れており、豊かなのです。
偽善者は、自分のために行います。
しかし、母親は、子のために行うのです。
偽善者と母親の言葉は、似て非なるものなのです。
外を繕(つくろ)って完成したと思い込んではなりません。
外を飾(かざ)るだけでは、人生を完成させることは出来ません。
あなたは、どのような状況においても、内を磨きましょう。
磨けば、どう組み立てるのかを理解することが出来るのです。
外は、内を完成させるために存在しています。
外に熱心になるあまり、内を軽んじてはなりません。
外にどれだけ積み上げても、内に積み上げることが出来なければ空しいのです。
人生は、内で完成させましょう。
人生は、あなたの内に存在するのです。
内を大切にするのです。
そうすれば、内に相応しい外が実現するのです。
人生は、内で完成します。

2019年8月29日木曜日

信頼の期限

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
それは、目的を果たすことこそが、人生を始めた理由だからです。
人生の目的は、人生を始める前に決めたものです。
あなたは、それを果たすために生まれたのです。
しかしながら、すべての人は、生まれる前のことを忘れてしまいます。
それは、勝手の異なるこの世界に順応する必要があるからです。
そして、新たな目的に挑むために、余計な知識を忘れなければならないのです。
人生の目的に対して、純粋(じゅんすい)に向き合うことが、それを果たすための近道なのです。
あなたは、純粋な状態で人生の目的に向き合わなければなりません。
不純な状態で人生の目的に向き合ってしまえば、見当違いの目的を果たそうと努めることになるのです。
それは、方向を誤って歩むようなものなのです。
あなたは、目的地へ向かって歩まなければなりませんが、そこから遠ざかってしまうのです。
不純な状態とは、末梢的(まっしょうてき)な状態のことを言います。
人は、本質に近付く程に純粋に、本質から遠ざかる程に不純となるのです。
残念ながら、すべての人は末梢的な状態から歩み始めなければなりません。
すべての人は、本質から遠く離れてしまうのです。
生まれるとは、本質から離れることです。
すべての人は、生まれた時に純粋を失うのです。
あなたは、自分が不純を生きているということを理解しなければなりません。
すべての人は、未熟に生まれるのです。
すべての人は無知です。
そして、すべての人は歪(ゆが)んでおり、汚れているのです。
大切なのは、不純を手放し、純粋へと向かうことです。
純粋へ向かうということは、本質へと向かうということなのです。
あなたは、本質へと向かわなければなりません。
人は、何かを信じながら生きています。
どのような人物にも、信じるものが存在するのです。
人は、信じるものを頼りに生きているのです。
すべての人は、信じるものを必要としてます。
それは、杖(つえ)のようであり、道標(どうひょう)のようなものなのです。
人は、信じるものに従(したが)って歩むのです。
人は、信じるものに従って歩まなければならないのです。
すべての人は不器用です。
すべての人にとって、自分が信じるものに背くことは容易(ようい)ではないのです。
しかしながら、あなたは自分が信じるものに背かなければなりません。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
未熟者の信じるものは未熟です。
それは、本質ではありません。
あなたが目指すべきは本質であり、人生の目的なのです。
あなたは、本質や人生の目的から遠ざかってはなりません。
大切なのは、自分が未熟であるということを受け入れることです。
そして、信じているものを手放すことなのです。
何かを信じることはとても大切なことです。
しかしながら、時が来ればそれを手放さなければなりません。
すべての信仰(しんこう)には、期限が存在するということを理解しなければならないのです。
あなたは、成長を実現することによって、より本質へと近付きます。
そうなれば、今まで信じてきたものを信じられなくなるのです。
成長と共に、信じるものは変わります。
本質へと近付けば、今まで信じていたものを同じように信じることは出来ないのです。
あなたは、一度信じたことを手放さなければなりません。
あなたにとって、それはとても難しいことですが、手放さなければ先へ進むことが出来ないのです。
信じるものを手放すことには、大きな勇気が必要です。
杖や道標を手放せと言っているのだから、その難しさが分かるでしょう。
杖も無く、道標も無ければ、あなたは路頭(ろとう)に迷ってしまうのです。
しかしながら、そのような危険を冒(おか)してまで、あなたは信仰を手放さなければならないのです。
末梢的なものを信仰したとしても、あなたが本質を得ることは出来ません。
そして、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
大切なのは、使えない”鍵”を手放し、使える”鍵”を手に入れることなのです。
鍵とは、信仰のことです。
目の前の扉を開き、本質へと近付くためには、それに相応しい信仰という名の鍵を手に入れなければなりません。
より本質的な信仰を手に入れた者は、本質である人生の目的へと近付くことが出来るでしょう。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
それは、最も深いところに存在しているのです。
穴を掘るようなものです。
掻(か)き出した土をいつまでも抱えていてはなりません。
それを手放し、次の土を掻き出すのです。
そうやって本質へと近付きましょう。
信じたことを手放しましょう。

2019年8月28日水曜日

打開策

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
すべての人が、未熟を生きています。
すべての人が、未熟を学ばなければならないのです。
この世界において、未熟を避けることの出来る人はいません。
すべての人が、未熟を生きなければなりません。
すべての人が無知であり、すべての人が歪(ゆが)んでいるのです。
そのため、すべての人が難しい人生を生きなければなりません。
すべての人にとって、人生は難しいのです。
すべての人生には、目的が存在します。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれるのです。
この世界に、目的も無く生まれる者はいないのです。
どのような人にも、果たすべき人生の目的が存在するのです。
すべての人は、目的を果たさなければなりませんが、目的を果たすことは難しいのです。
それは、すべての人が未熟を生きなければならないからです。
未熟者には、人生の目的を理解することが出来ません。
すべての人は、人生の目的を知らずに生きているのです。
人生の目的が存在することを知っている人は少ないのです。
残念ながら、多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に陥(おちい)ってしまい、人生の目的を見失ってしまうのです。
あなたは、人生が何であるのか?分かりますか?
人生の目的は何なのでしょう?
残念ながら、あなたの思い付く答えは正解ではありません。
残念ながら、あなたには、人生の目的を答えることは出来ないのです。
人生の目的は、あなたの想像とは異なります。
未熟なあなたが思い描くことが出来る程、人生の目的は詰(つ)まらないものではないのです。
人生の目的は、あなたの想像が追い付かない程に壮大(そうだい)なものなのです。
あなたの思い付く人生の目的は、目の前の目的や、その次の目的に過ぎません。
人生の目的とは、一生涯という全体の目的のことです。
人生を通じて果たさなければならない目的が存在するのです。
あなたはそれを見極めなければなりません。
しかしながら、それを見極めることは不可能です。
そのため、あなたはそれを少しずつ理解する必要があるのです。
あなたが人生の目的を理解するためには、先(ま)ずは自分の価値観や考え方を手放さなければなりません。
未熟で歪んだ価値観や考え方を抱えていると、目的をまともに認識することは出来ないのです。
あなたは、未熟で歪んだ価値観や考え方を手放さなければならないのです。
あなたが歪んだ価値観や考え方を手放すためには、苦しみが必要です。
人は、苦しみによって、歪んだ価値観や考え方を手放すことが出来るのです。
苦しみとは、停滞(ていたい)のことです。
未熟な価値観や考え方では、先へと進むことは出来ません。
現状を打開するためには、新たな価値観や考え方が必要なのです。
問題を解決するためには、問題を生み出した価値観や考え方では力不足です。
あなたは、常に新たな価値観や考え方を必要とし、人生は常にそれを導くのです。
あなたがこれまでの価値観や考え方を手放し、新たな価値観や考え方を受け入れることは容易(ようい)ではありません。
それは、あなたにとっては苦しいことなのです。
人生は、あなたに新たな価値観や考え方を受け入れさせるために苦しみを導きます。
それは、苦しみを経験しなければ、これまでの価値観や考え方を手放さないからです。
そのために、あなたは苦しみを経験しなければならないのです。
残念ながら、苦しみから逃れることは出来ません。
人生とは、苦しみとの道連れなのです。
苦しみを乗り越えることが出来たとしても、そこには新たな苦しみが存在するのです。
あなたが人生を経験している限り、苦しみを逃れることは出来ません。
人は、未熟であるが故(ゆえ)に苦しまなければならないのです。
人生において、苦しむことは自然です。
すべての人は、人生において苦しまなければならないのです。
苦しみが存在しない人生など存在しません。
人は、少な過ぎても苦しみますが、多過ぎても苦しむのです。
信じられないかも知れませんが、例え、適切であったとしてもそれを苦しむのです。
人生において、苦しみは自然です。
あなたは、苦しみと共に歩まなければなりません。
苦しみを嫌ってはなりません。
苦しみこそが、あなたの問題を打開するための手助けなのです。

2019年8月27日火曜日

思い付きへの挑戦

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが、あなたが生まれた理由なのです。
そのため、人生の目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、すべての人は人生の目的を見失います。
生まれる前に設定した目的も、生まれた後に忘れてしまうのです。
残念ながら、人生の目的を覚えていられる人はいません。
すべての人は、”詰(つ)まらないこと”によって人生の目的を忘れてしまうのです。
詰まらないこととは、この世の思い煩(わずら)いのことです。
この世の思い煩いは、目の前の快楽や欲望や苦悩によって引き起こされます。
目の前の快楽や欲望や苦悩に翻弄(ほんろう)されることで、人は、思い煩ってしまうのです。
思い煩うことで、人は人生の目的を見失ってしまうのです。
人生の目的を見失うことは、人生を確実に乏しくします。
人生の目的を見失ってしまえば、人生には豊かさを実現することが出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を思い出す必要があります。
人生の目的を忘れたままでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
しかしながら、人生の目的を思い出すことは容易(ようい)ではありません。
それは、あなたから最も遠い場所に落ち込んでしまったからです。
人生の目的は、あなたの本質に存在しています。
あなたが人生の目的を思い出すためには、自分の本質に触れなければならないのです。
しかしながら、自分の本質に触れることは容易ではありません。
それは、あなたが触れるには、本質は余りにも遠過ぎるからです。
本質は、あなたの手の届かない深い部分に落ち込んでいるのです。
本質は、自分の中心に存在しています。
自分の中心とは、あなたから最も遠い場所です。
あなたは、”自分が何であるか?”分かりますか?
残念ながら、あなたには、”自分が何であるか?”という問いに答えることが出来ません。
それは、その問いの答えが、自分の中心にこそ存在しているからです。
あなたには、自分の中心に触れる力はありません。
残念ながら、あなたは目の前の快楽や欲望や苦悩に陥(おちい)っているのです。
あなたは未熟であり、歪んでいるのです。
しかしながら、あなたは自分の中心に手を伸ばさなければなりません。
届くことはないかも知れませんが、手を伸ばすことによって目の前の快楽や欲望や苦悩からは解放されるのです。
あなたの人生の目的は、あなたの中心に存在します。
あなたは、自分の中心を目指さなければならないのです。
人生の目的に対するヒントも答えも、あなたの内に存在するのです。
大切なのは、自分自身と対話することです。
あなたは、自分自身と向き合わなければなりません。
目の前の快楽や欲望や苦悩に向き合っていてはならないのです。
あなたは、自分の内を大切にしましょう。
思い付くことには、挑戦しましょう。
それは、あなたの本質からの導きです。
思い付くことは、あなたの人生の目的に対してのヒントであり、答えなのです。
思い付くことを素直に実行すれば、人生の目的へと導かれるのです。
残念ながら、多くの人は、思い付きに従いません。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に突き動かされているのです。
それは、思い付きもしないものに対して、無理に挑戦しているようなものです。
思い付きもしないものに対して、無理に挑戦しなくても良いのです。
思い付かなければ、何もしなくて良いのです。
思い付かない時には、平凡(へいぼん)に生きれば良いのです。
大切なのは、思い付くことを実行することです。
人生の目的を考えても、それを思い出すことは出来ません。
人生の目的は、考えて当てられるような詰まらないものではないのです。
あなたの人生の目的は、あなたが考えているよりも壮大(そうだい)なものなのです。
そのため、人生は思い通りにはなりません。
あなたの理想が実現することはないのです。
それは、あなたが未熟であり、人生の目的を知らないからです。
人生の目的は、現状のあなたには理解することが出来ません。
あなたは、自分の本質に従いましょう。
あなたは、思い付くことを行動に移してみましょう。
そこには、大切な学びが存在するのです。
人生は、思い付きへの挑戦です。

2019年8月26日月曜日

可能性を狭める

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
あなたは、目的を果たすために生きなければなりません。
人生において、目的を果たすために生きることは避けられません。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
どのような人物も、人生の目的を無視して生きることは出来ません。
それは、人生の目的こそが、生まれた意味であるからです。
すべての人生は、目的を果たすことを前提(ぜんてい)として始まりました。
目的を果たす約束が交わされていなければ、人生が始まることはなかったのです。
すべての人は、人生に目的を定めて生まれます。
そして、それを果たすことを約束して生まれるのです。
そのため、人生に目的も無く生まれる人はいません。
どのような人物の、どのような人生にも、果たすべき目的が存在するのです。
あなたは、人生の目的から逃れることは出来ません。
それは、どうしても果たさなければならないことなのです。
人生の目的を果たす以外の方法によって、人生に豊かさを実現することは出来ません。
そして、人生に満足を得ることは出来ないのです。
人生の目的を果たす以外の方法によっては、何を実現し、何を得ても空しいのです。
人生とは、目的地へと辿り着くための道程(どうてい)です。
あなたが目的を果たすためには、目的地へと辿り着かなければならないのです。
しかしながら、目的地へと辿り着くことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生には余りにも多くの選択肢が存在するからです。
あなたは、好きな道を選ぶことが出来ます。
目的地への道程は、あなたが好きに決めることが出来るのです。
決められた道程というものは存在しません。
あなたは、好きに歩めば良いのです。
しかしながら、あなたが目指す目的地は一つです。
どのような道程を選ぼうとも、辿り着くべき目的地は一つなのです。
そのため、人生における選択肢というものは、徐々に少なくなるのが自然です。
目的地へと近付くに従(したが)って、可能性は収束(しゅうそく)するのです。
それは、漏斗(ろうと)のように、次第に狭くなっていくのです。
漏斗に注がれた液体は、渦(うず)を巻いて容器に注がれます。
人の人生も、始めた時には目的地がどこであるかも分かりません。
大きく旋回(せんかい)して、迷いの生存を続けるのです。
しかしながら、それを続けていると、次第に自分のことや、人生のことが理解出来るようになってくるのです。
人は、やがて自分に不要なことや無理なことを理解し、それを諦(あきら)めます。
そして、自分に必要なことや出来ることを理解し、それを追求するのです。
そうやって、人生の可能性が良い意味で狭まるのです。
すべての人は、目的を以て生まれます。
それは、目的を果たすために必要な役割を担(にな)っているということなのです。
目的を果たすためには、役割を果たさなければなりません。
役割を果たすということは、専門性を身に付けるということなのです。
それは、漏斗に注がれた液体が、小さく渦を巻く状態に似ているのです。
それは、小さな渦ですが、その勢いは強くなっているのです。
専門性を身に付けるということは、ある意味では自分を制限するということです。
しかしながら、専門性を身に付ける前よりも力は高まっているのです。
大切なのは、多くの可能性の中から、選択を狭めていくことです。
何もかもを欲しがらずに、必要と出来ることを欲しましょう。
自分に出来ることをして、必要が満たされていれば、それで良いのです。
必要を満たせば、目的地へと辿り着くことが出来るのです。
どれだけ不要を満たしても、目的地へ辿り着くことは出来ないのです。
目的地へと辿り着くためには、可能性を狭める必要があります。
自分に必要なことや出来ることと、不要や出来ないことを調整しましょう。
そして、人生の目的を果たすのです。
あなたは、多くのことを諦め、可能性を狭めましょう。
そして、自らの役割を果たし、人生の目的を果たすのです。
自らを小さくして、目的地へと辿り着きましょう。



2019年8月25日日曜日

価値観の期限

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人生には、目的が存在するのです。
目的が無ければ、人は、人生を始めることが出来ません。
どのような人生にも、目的が存在するということを理解しましょう。
目的の存在しない人生は存在しません。
すべての人生には、それに相応しい目的が存在するのです。
あなたは、目的も無く生きているのではありません。
すべては、目的を果たすためなのです。
あなたは、目的を果たすために生きているということを理解しなければならないのです。
目的を果たすための暗示として、あなたには、価値観が与えられています。
価値観は、人それぞれに異なります。
それを疑うことの出来る人はいないでしょう。
価値観が人それぞれに異なるのは、人生の目的が人それぞれに異なっているからなのです。
それ以外に理由はありません。
人は、価値観によって目的地までの道程(どうてい)を導かれるのです。
価値観は、とても大切な暗示です。
あなたは、価値観に従(したが)わなければなりません。
しかしながら、多くの人は、自分の価値観を信用しません。
自分が価値があると思うものを否定し、誰かや大勢が価値があると思うものを受け入れるのです。
残念ながら、多くの人は、自分の価値観を他者の価値観と比較(ひかく)します。
そして、そこに優劣を決めるのです。
大抵の場合、自分の価値観が劣(おと)ります。
多くの人は、他者の価値観を優れていると思い、それに従うのです。
これは、あなたの人生です。
他の誰のものでもありません。
あなたは、自分の人生を生きることが正解なのです。
自分の人生を生きることが、唯一(ゆいいつ)あなたを自然な状態にとどめます。
他者の価値観に従い、自分の人生を否定すれば、あなたは不自然な状態に陥(おちい)ることになるのです。
そこには、苦悩が存在します。
不自然を生きれば、人は苦しまなければならないのです。
あなたは、苦しむために生まれたのではありません。
苦しみとは、停滞(ていたい)のことです。
あなたには、辿り着かなければならない目的地が存在するのです。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、自分の価値観を信じ、それに従わなければなりません。
自分の価値観に従う以外に、人生の目的を果たす道はないのです。
しかしながら、価値観には期限が存在します。
すべての価値は限定的なのです。
この世界には、永遠の価値など存在しないのです。
価値とは、必要です。
必要こそが価値であるということを理解しなければなりません。
あなたにとって本当に必要なものこそが、本当に価値のあるものなのです。
他者にとって必要であり、価値のあるものも、あなたにとっては不要であり、無価値のものなのです。
価値とは、人の必要によって常に変化し続けるものなのです。
老人が、若人(わこうど)と同じ価値を求めるでしょうか?
老人は、老人に相応しく、老人に必要な価値を求めるのです。
若人も、同じようにしているのです。
価値観は変わります。
いつまでも、同じ価値観に執着(しゅうちゃく)してはなりません。
価値観の変化に従って、あなたも歩む方向を変えるのです。
老いることは素晴らしいことですが、それを喜ぶ人は少ないでしょう。
それと同じように、価値観の変化は素晴らしいことですが、それを喜ぶ人は多くありません。
多くの人は、不変の中に引き籠(こも)りたいと思っているのです。
都合の良いことも、都合の悪いことも、長くは続きません。
真っ直ぐに目的地へと伸びる道は存在しないのです。
道は曲がりくねっています。
目的地へと辿り着くためには、傲慢(ごうまん)な歩みを諦(あきら)めなければならないのです。
価値観には期限があることを知り、古い価値観を手放しましょう。

2019年8月24日土曜日

純粋

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
人生において、目的を果たすことは何よりも大切な仕事です。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
大切なのは、目的に従(したが)って生きることです。
目的に従うためには、素直に生きる必要があります。
それは、人生の目的はあなたの内に存在する”純粋”が知っているからです。
純粋とは、心よりも深い部分に存在する意識です。
それは、あなたの本質です。
残念ながら、あなたの認識している自分という存在は、あなたの本質ではありません。
多くの人は、自分を嫌います。
誰もが、自分に劣等感(れっとうかん)を抱えているのです。
多くの人は、自分に違和感を覚えるでしょう。
なぜなら、多くの人が認識する自分というものは、偽りの自分であるからです。
多くの人が自分に対して抱いている違和感は正しい感覚なのです。
本質である真(まこと)の自分は、あなたには認識することが出来ません。
それは、あなたが未熟に生まれたからです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、自分が何であるのか?ということを知らないのです。
自分が何であるのか?を知らなければ、未熟であるということを理解しなければならないのです。
すべての人は、自分が何であるのか?を知らないために、見当違いの選択を行います。
すべての人は、真っ直ぐに目的地へと辿り着くことが出来ません。
すべての人は、必ず道を間違えるのです。
すべての人は、本質と対話することが出来ません。
そのため、自分勝手に考え、自分勝手に選び、自分勝手に進むのです。
目的地を知らずに目的地へと辿り着くことは至難(しなん)です。
大抵の場合、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
大切なのは、目的地へと辿り着くことです。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
それは、自分との約束です。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
目的を果たすためには、純粋と対話しなければなりません。
純粋と対話するためには、内に対して意識を向けなければなりません。
内に対して意識を向けなければ、内の深いところに存在する純粋に気付くことは出来ないのです。
多くの人は、外に意識を向けます。
それは、外に答えが存在すると思うからです。
残念ながら、答えは内に存在します。
外に存在する一切(いっさい)は、あなたの人生の目的を知らないのです。
あなたの内に存在する純粋だけが、あなたの人生の目的を知っているのです。
内に意識を向ければ、ものの見方や認識が変わります。
外を見るのと、内から外を見るのでは、景色が大きく異なるのです。
内に意識を向けた状態で外を見れば、今までの自然が不自然へと変わります。
そして、今までの不自然が自然へと変わるのです。
当たり前は感謝へと変わるのです。
多くの人が当たり前と思っていることは、当たり前ではありません。
内から外を見れば、それがとても有り難いことだと気が付くのです。
感謝に気が付くことが、内を掘り下げるということなのです。
感謝に気が付くことが出来れば、あなたは純粋へと近付きます。
純粋とは、感謝によって対話することが出来るのです。
感謝の気持ちが無い者には、純粋を理解することが出来ません。
純粋の存在に気が付かなければ、人生の目的に気が付くことも出来ないのです。
人生に対して、感謝の気持ちで生きている者は、純粋に触れて、人生の目的を見出します。
人生に対して、当たり前の気持ちで生きている者は、不純に触れて、人生の目的を見失うのです。
あなたは、純粋を訪(たず)ねなければなりません。
感謝の気持ちで生きましょう。
何事も、当たり前ではありません。
すべてが有り難いことに気が付けば、あなたは人生の目的を果たすことが出来るでしょう。
偽りの自分が教えるのは、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)る方法です。
真の自分が教えるのは、人生の目的を果たす方法なのです。
どちらが良いかははっきりしています。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩を貪るためになど生まれてはいないのです。

2019年8月23日金曜日

孤独な道程

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
目的が存在するからこそ、人生が存在するのです。
この世界では、原因が存在しなければ、結果は存在しません。
結果には、それに相応しい原因が存在するのです。
人生を始めるためには、目的という原因が必要です。
すべての人が、目的を以て生まれなければなりません。
目的も無く、生まれることの出来る人はいないのです。
人生の目的を果たすためには、成長を実現する必要があります。
すべての目的は、成長を実現することによって果たすことが出来るのです。
成長を実現することがなければ、目的を果たすことは出来ません。
そのため、すべての人は成長を実現する必要があるのです。
成長を実現するためには、知恵が必要です。
人は、知恵によって成長を実現することが出来るのです。
成長とは、知恵の高まりです。
あなたは、知恵を得なければならないのです。
知恵を得るためには、知識と経験と技術が必要です。
必要な知識と経験と技術によって、人は知恵を得ることが出来るのです。
必要は知識と経験と技術は、役割を果たすことによって得られます。
すべての人には、その人に相応しい役割が与えられているのです。
あなたが必要な知識と経験と技術を習得し、知恵を高め、成長を実現し、人生の目的を果たすためには、自らの役割を果たさなければならないのです。
すべての人に、必要な役割が与えられています。
役割に対して、人が争うことはありません。
なぜなら、役割は人それぞれに与えられているからです。
人は、誰もが唯一(ゆいいつ)の存在です。
誰一人として、同じ役割を担うことは出来ないのです。
それは、人がそれぞれに異なるからです。
人は、それぞれにその存在が異なるのです。
存在が異なれば、担うことの出来る役割も異なります。
人は、自分独りで役割を果たさなければならないのです。
残念ながら、誰もあなたの役割を代わりに果たすことは出来ません。
あなたの役割は、あなたでなければ果たすことが出来ないのです。
あなたは、孤独に歩まなければなりません。
人生の目的を果たす道程(どうてい)は、孤独なものであると理解しなければならないのです。
人が、人生において孤独なのは自然のことです。
すべての人は孤独なのです。
残念ながら、誰も、あなたを理解することは出来ません。
それは、そもそもの目的が異なっているからです。
人は、自分の目的を果たすために生まれたのです。
人は、自分の目的地へと辿り着かなければならないのです。
人生とは、孤独な道程です。
あなたは、独りで歩まなければならないのです。
独りで歩まなければ、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
孤独を恐れては、目的を果たすことは出来ません。
あなたには、果たさなければならない目的が存在するのです。
目的を果たすためには、孤独を恐れてはならないのです。
あなたは、孤独と共に歩みましょう。
孤独に歩む以外には、人生の目的を果たす方法はないのです。
あなたは、自分が唯一の存在であると知りましょう。
孤独なのは自然のことです。
自分の道を歩みましょう。
あなたは、知恵の高まりによって、自分の道を見出すでしょう。
そして、孤独こそが、人生の道標(どうひょう)であると知るでしょう。
人生に向き合いましょう。
自分に向き合いましょう。
孤独に向き合いましょう。

2019年8月22日木曜日

自分に必要な人生

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
人生を始めるためには、目的が必要なのです。
目的が存在した結果として、人生が存在するのです。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
人は、それぞれに異なる目的を以て生まれます。
人は、それぞれに果たすべき目的が異なります。
あなたは、自分だけの目的を以て生まれるのです。
そのため、他者と自分を比較することには意味がありません。
すべての人は、異なる目的を果たそうとしているのです。
比較したところで意味がないのです。
大切なのは、自分の目的を果たすことです。
あなたは、自分の目的について考えなければならないのです。
すべての人は、異なる目的のために生まれ、異なる目的のために生きています。
人は、それぞれに異なる選択によって、それぞれに異なる結果を導き出さなければならないのです。
あなたは、自分に必要な人生にしなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、自分の目的を知りません。
自分の目的を知らなければ、何を選択し、どのような結果を導き出せば良いのか?ということが分からないのです。
残念ながら、多くの人は、自分の目的を知らないために、誰かを模範(もはん)しなければなりません。
それは、自分の目的を思い出すための模範でありますが、いつの間にか、それを人生の目的だと思い込んでしまうのです。
多くの人は、人生の目的ではない目的を、人生の目的だと思い込んでしまいます。
そして、偽りの目的を真(まこと)の目的として果たそうとします。
残念ながら、多くの人の考えている目的は、人生の目的ではありません。
それは、他者を模範としたり、他者と比較することによって作り上げた、偽りの目的だからです。
大切なのは、自分の人生を生きることです。
他者を模範したり、比較することでは、自分の人生を生きることは出来ないのです。
自分の人生を生きるためには、他者を模範することや、比較を手放すことです。
他者が導いてくれるなどと考えてはなりません。
他者と同じようにしていれば、幸福や豊かさを得られるなどと考えてはならないのです。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の目的を以て生まれたのです。
残念ながら、他者を模範したり、比較することでは、自分の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、他者とは異なる目的を果たさなければなりません。
それは、他者とは異なる選択をしなければならないということなのです。
あなたには、他者とは異なる結果が必要なのです。
他者と同じ結果を得るのであれば、自分の人生を手放さなければなりません。
あなたは、自分の目的を果たさなければなりません。
そのためには、他者を通じて自分を知ることです。
あなたは、他者と同じように生きる必要はありません。
この世には、目に見えるものを積み上げる者がいます。
その一方で、目には見えないものを積み上げる者がいるのです。
人は、人生の目的に従うのです。
物質的なものを積み上げる必要がある者は、物質的なものを積み上げなければなりません。
そして、意識的なものを積み上げる必要がある者は、意識的なものを積み上げなければなりません。
模範や比較は意味を成(な)しません。
目的が異なれば、積み上げるものも異なるのです。
あなたは、人生の目的に従(したが)って積み上げなければなりません。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
人生の目的は、異なっているのが自然です。
積み上げるものは、異なっていなければならないのです。
あなたは、自分の人生を生きましょう。
自分の人生が、他者と異なっていたとしても、悲観する必要はありません。
寧(むし)ろ、他者と異なることを喜びましょう。
それは、人生の成功だからです。
あなたは、人がそれぞれに積み上げるものが異なるということを理解しましょう。
そして、自分にとって必要なものを積み上げましょう。

2019年8月21日水曜日

人生の導き

人生というものは、決して当ての無い旅路ではありません。
すべての人生には、目的という当てがあるのです。
すべての人は、人生の目的という目的地に向かって歩み続けているのです。
人生は、放浪ではありません。
すべての人が、目的地へと歩みを進める旅路なのです。
人生に目的も無く生まれる人はいません。
どのような人物にも、目指すべき目的地があるのです。
あなたは、迷っているようでも、迷ってはいません。
あなたは、人生に導かれ、目的地へと歩み続けているのです。
道は真っ直ぐには築かれていません。
あなたには、真っ直ぐに進む力も、勇気もないのです。
山頂を目指すためには、なだらかに歩まなければなりません。
遠回りをしながら、確実に歩むのです。
山頂に辿り着くために急いでしまえば、急な崖(がけ)を登らなければなりません。
それでは、山頂に辿り着く可能性は低くなってしまうのです。
大切なのは、確実に歩むことです。
そして、確実に目的地へと辿り着くことなのです。
人生は、焦(あせ)ることはありません。
人生は、一か八かの博打(ばくち)はしないのです。
運に任せるようなことをする意味がないのです。
なぜなら、人生はあなたが目的地へと辿り着く道程(どうてい)を知っているからです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、原因は、それに相応しい結果を実現するというものです。
それは、結果には、それに相応しい原因が存在するということも意味しているのです。
人生には、因果が分かっているのです。
そして、あなたのことも知っているのです。
あなたが人生を始めた理由も知っています。
それは、目的地を知っているからです。
結果を知っていれば、原因も知っています。
原因を知っていれば、結果も知っているのです。
あなたが人生の目的を果たすための最善の道程には、人生が導きます。
あなたは、人生の導きを否定することは出来ません。
あなたは、人生に逆らうことが出来ないのです。
自分勝手に生きているように思えても、すべての選択や行為が人生の術中(じゅっちゅう)なのです。
あなたは、自分で選んでいるように思えても、選ばされています。
好きに生きているように思っても、生かされているのです。
普通、人生の導きに気が付くことは出来ません。
すべての人は、自分の意思で生きていると思っているのです。
それが、どのような選択であろうとも、人生の導きが介入(かいにゅう)しています。
人生は、あなたを”あなた”にしようとするのです。
すべての人は、人生の目的を以(もっ)て生まれます。
それは、役割を担(にな)うということなのです。
あなたは、自らの担っている役割に逆らうことは出来ないのです。
すべての人は、役割の範囲内で行動しなければなりません。
それを超えることは出来ないのです。
人間は万能ではありません。
それは、役割が与えられているからです。
人は、役割を担うことによって、能力に制限が設けられているのです。
あなたは、自分の範囲内で生きることが出来ます。
自分を否定しては、生きられないのです。
あなたは、自分を生きなければなりません。
あなたは、自分を生きるように導かれるのです。
近道をする必要はありません。
大切なのは、目的地へと確実に辿り着くことです。
どのような人物も、人生の導きによって、目的地へと確実に歩みを進めています。
人生は、思い通りにはならないものです。
しかしながら、それで良いのです。
最短の道程は、遠回りの道程なのです。
人生を急いではなりません。
急いでも、目的地には辿り着けないのです。
人生の導きに従って、焦らずに歩みましょう。

2019年8月20日火曜日

人生の築く道

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的があるから存在しているのです。
目的が無ければ、人生に存在することは出来ません。
どのような人物のどのような人生にも、目的が存在するということを理解しなければなりません。
すべての人は、目的を果たすために生まれています。
どのような人物も、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を無視することの出来る人はいません。
誰もが、人生の目的に沿(そ)って生きなければならないのです。
道は、人生の目的に従(したが)って築かれます。
道が、人生の目的を無視することはありません。
あなたは、人生の目的を果たすに必要な道を歩まなければならないのです。
道は、あなたの意思によって築かれるのではありません。
道が、あなたの意思によって築かれるのであれば、人生は思い通りに展開しているはずなのです。
しかしながら、人生は思い通りにはなりません。
何一つとして、あなたの思い通りにはならないのです。
人生は、思い通りにはなりません。
しかしながら、展開し続けています。
あなたが立ち止まろうとしても、人生が停止することはありません。
道は常に築かれます。
そして、あなたは常に歩まなければならないのです。
停滞とは、立ち止まることではありません。
それは、旋回(せんかい)することなのです。
多くの人は、同じ場所を何度も歩みます。
それは、とても辛いことなのです。
多くの人は、人生に対して苦悩を抱えています。
多くの人は、不満や不安を抱えながら生きているのです。
過去や現状に対する不満や、将来に対する不安を抱えて生きるのは苦しいのです。
自分の意思で道を築いていると思い込んでいる者にとって、人生に対する苦悩は避けられません。
自分の意思で道を築いていると思い込んでいる者は、不満や不安を避けることが出来ないのです。
残念ながら、人生の道は自分の意思で築くことは出来ません。
あなたは、目的に沿って歩まなければならないのです。
道は、人生の目的が築きます。
あなたに出来ることは、築かれた道を歩むことだけなのです。
あなたは、人生の目的に沿って生きなければなりません。
人生の目的に反する生き方は、どうしても不可能なのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生においては、目的を果たすことが最優先事項なのです。
あなたの希望や願望は、道には組み込まれません。
すべての人には、やらなければならないことがあります。
人には、どうしても避けることの出来ない道があるのです。
それが、人生の目的なのです。
人生が築く道を歩むことを否定すれば、同じ場所を旋回し続けなければなりません。
先へ進むためには、人生の築く道に従わなければならないのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、人生の目的を知りません。
あなたの人生の目的を知っているのは、人生だけなのです。
そのため、あなたは、人生に従わなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生に従いません。
多くの人は、どうしても、理想を諦(あきら)めることが出来ないのです。
残念ながら、理想と現実(人生の目的)は異なるのが自然です。
人生は、思い通りにならなくて良いのです。
寧(むし)ろ、人生は思い通りにならなくて良いのです。
正しいことは、誰にも分かりません。
明日がどうなるかなど、誰にも分からないことなのです。
今は必死でしがみ付いている理想も、明日にはどうでも良くなっているかも知れないのです。
いつまでも、理想にしがみ付くことは出来ません。
旋回も長引けば、退屈(たいくつ)になるのです。
いつまでも、理想にしがみ付いていることは出来ないのです。
あなたは、道を進まなければなりません。
その時には、人生が築く道を歩んでいるということを知りましょう。

2019年8月19日月曜日

輝き

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
この世界において、目的も無く生まれる人はいません。
すべての人は、目的を果たすために生まれたのです。
あなたには、あなたの目的が存在します。
あなたは、それを果たさなければなりません。
目的を果たすためには、役割を果たさなければなりません。
人は、役割を果たすことによって、結果的に目的を果たすことが出来るのです。
役割は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれの役割を担(にな)っているのです。
それを果たすためには、それぞれの生き方をしなければなりません。
役割とは、生き方のことです。
人は、それぞれに異なる生き方をするのが自然なのです。
あなたが、人生の目的を果たそうとするのであれば、他者とは異なる生き方をしなければなりません。
あなたは、他者とは異なるのです。
それが自然であるということを理解しなければなりません。
あなたは、自分の役割を理解しなければなりません。
そして、自分の生き方で、自分の人生を生きなければならないのです。
大切なのは、自分を生きることです。
自分とは、自分の役割のことです。
自分という存在は、他の誰とも異なります。
自分という存在は、この世界に一つだけの特別なものなのです。
しかしながら、これは、あなただけが特別であるということではありません。
他者も、この世界に一つだけの特別な存在です。
自分という存在は、どれも特別な存在であるということなのです。
自分という存在は、輝きを放っています。
自分という存在は、輝きを放っているのが自然なのです。
しかしながら、多くの人は、この輝きを知りません。
多くの人は、自分が輝いていることを知らないのです。
それは、自分という存在が汚れてしまっているからです。
残念ながら、多くの人の自分は汚れています。
自分が汚れるのは、自分を磨かないからです。
自分を磨くということは、自分と向き合うということなのです。
多くの人は、自分と向き合うことをしません。
多くの人は、他者と向き合っているのです。
誰かの生き方や輝きに憧れ、自分と向き合うことをしないのです。
すべての人は、自分を生きるために生まれたのです。
あなたは、自分と向き合うことによって、それを磨き、輝きを放たなければならないのです。
自分という形は、人それぞれに異なっています。
そのため、磨き方も人それぞれに異なります。
そして、輝き方も人それぞれに異なるのです。
大切なのは、自分を知ることです。
しかしながら、自分を知るためには、多くの時間と労力が必要です。
なぜなら、あなたは自分を磨くことによって、自分を知る必要があるからです。
自分という存在は、汚れにまみれて、本来の姿を隠しているのです。
それは、とても頑固な汚れなので、容易(ようい)に落とすことは出来ません。
それは、鉄の錆(さび)を落とすように、少しずつ落とさなければならないのです。
あなたは、人生における様々な経験を通じて、自分を磨くことが出来ます。
あなたは、出来るだけ多くの経験をしましょう。
挑戦することです。
どのようなことでも構いません。
未知に対して挑戦するのです。
もちろん、既知(きち)に対しての経験を掘り下げることも、未知に対する挑戦に変わりはありません。
そのような方法によっても、あなたは自分を磨くことが出来るのです。
輝き方は、人それぞれに異なります。
あなたは、あなたの輝きを放ちましょう。
自分の輝ける生き方をしましょう。
自分の輝ける場所で生きるのです。
あなたを必要とする人や場所で生きるのです。

2019年8月18日日曜日

必要と理想

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を以て生まれなければなりません。
この世界には、目的も無く生まれることの出来る人はいません。
どのような人物であっても、目的のために生まれたのです。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
目的を果たすまでは、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたには、果たさなければならない目的が存在します。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、多くの人は果たすべき人生の目的を見失ってしまいます。
それは、目の前の快楽や欲望や苦悩に引かれるからです。
多くの人にとって、人生の目的は難解(なんかい)です。
それは、長期的な視点が必要なものであり、多くの時間と労力の積み重ねが必要だからです。
多くの人にとって、それは難しいことなのです。
多くの人は、短期的な視点を生きています。
多くの人は、短絡的(たんらくてき)に物事を考えるのです。
そして、時間と労力を積み重ねることが苦手です。
多くの人は、多くの時間と労力を積み重ねることが出来ないのです。
多くの人は、途中で投げ出してしまうのです。
それは、すぐに成果を得ることが出来ないからです。
しかも、思い通りの成果を得ることは出来ません。
大抵の場合、人生はあなたの期待を裏切ります。
それは、あなたの期待が間違っているからです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟であるが故(ゆえ)に、人生の目的を見誤ります。
そして、いつの間にかに自分の理想を人生の目的であるかのように錯覚(さっかく)してしまうのです。
人生は、理想を実現する場所ではありません。
残念ながら、多くの理想は実現しません。
大抵の場合、理想とは異なる現実が実現するのです。
多くの人は、それを悪いものと考えます。
そして、苦しむのです。
人生が、理想を実現するための場所であれば、すべての人は苦しまなければなりません。
あなたは、人生を苦しむために生まれたのではないのです。
あなたは、人生の目的を果たし、豊かに生きるために生まれたのです。
理想に拘(こだわ)る必要はありません。
どのように努めても、決して理想は実現しません。
例え、理想が実現したと思っても、しばらくすれば、次の理想を思い付き、現状に不満を抱くのです。
残念ながら、理想を実現することは出来ません。
理想を人生の目的と考えてはならないのです。
残念ながら、人生の目的を覚えている人はいません。
しかしながら、あなたには、やらなければならない”仕事”があるのです。
あなたには、果たさなければならない目的があるのです。
それは、理想の”仕事”ではありません。
そして、それは、理想の目的ではないのです。
あなたが担(にな)うのは、必要な”仕事”です。
そして、それは、必要な目的なのです。
必要と理想は異なります。
あなたは、必要と理想を混同してはなりません。
思い通りにならない人生を悲観してはなりません。
理想が実現しなくても、不満や不安を抱える必要はありません。
それが自然です。
あなたは、必要な”仕事”を果たすために生まれたのです。
あなたは、必要な目的を果たすのです。
人生に対しては、長期的な視点を持ちましょう。
そして、多くの時間と労力の積み重ねを惜(お)しんではなりません。
あなたは、理想を実現するために生まれたのではないのです。
必要を実現しましょう。

2019年8月17日土曜日

良い道

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たすために生きているのです。
人生の目的は、人生の理由です。
あなたは、目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を無視することの出来る人はいません。
なぜなら、すべての人が幸福や豊かさを追い求めているからです。
人生における幸福や豊かさを実現するためには、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことなく、人生における幸福や豊かさを実現することは出来ないのです。
人生の目的こそが、幸福であり、豊かさなのです。
あなたが幸福や豊かさを求めるのであれば、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、幸福や豊かさを得るために生まれました。
あなたは、幸福や豊かさを得なければなりません。
人生の目的を果たすということは、人生の目的地へと辿り着くということです。
目的地へと辿り着くためには、目的地へと通じる道を歩まなければなりません。
道を歩むことで、あなたは目的地へと辿り着くことが出来ます。
目的地へと辿り着くことによって、目的を果たすことが出来るのです。
道を歩むことは、当たり前のことではありません。
あなたは、特別に道を歩む許可(きょか)を得ているのです。
人生は、許可を得なければ始めることは出来ません。
人生は、自分勝手に初めて良いものではないのです。
許(ゆる)しがなければ、人は、人生を始めることが出来ません。
あなたは、許されているということを理解しなければならないのです。
この道を歩めることは、当たり前のことではありません。
あなたは、特別に人生に生まれ、特別に目的地までの道を歩んでいるのです。
あなたは、自分の人生に対して、感謝の気持ちを忘れてはなりません。
しかしながら、多くの人は現状に対して、不満や不安の感情を抱いています。
多くの人は、現状が気に入らないのです。
それは、より良い道が存在すると思い込んでいるからです。
残念ながら、これより条件の良い道は存在しません。
あなたは、必要によって、この道を歩んでいるのです。
あなたの果たすべき目的は、あなたに相応しいために与えられたのです。
別の道を追い求める気持ちは分かりますが、別の道は、これよりも条件が悪いということを理解しなければなりません。
あなたは、良い道を歩めていることを忘れてはならないのです。
残念ながら、多くの人は、自分の人生を否定(ひてい)します。
他の誰かの人生の方が、自分の人生よりも良いものに見えてしまうのです。
しかしながら、目的地も無い道が、あなたに幸福や豊かさを約束することは出来ません。
目的地が存在しなければ、幸福や豊かさも存在しないのです。
多くの人は、他の誰かの人生に憧れを抱きます。
しかしながら、そこには、あなたの目的地は存在しません。
あなたが幸福や豊かさを得るためには、目的地が存在する道を歩まなければならないのです。
目的地が存在する唯一(ゆいいつ)の道は、自分の人生です。
あなたが幸福や豊かさを得るためには、自分の人生を生きるしか方法はないのです。
自分の人生を放棄(ほうき)して、幸福や豊かさを実現することなど出来ないのです。
この道を歩めることに感謝を忘れてはなりません。
あなたは、幸福や豊かさを得る機会を与えられているのです。
自分の人生を生きることによって、あなたは確実に幸福や豊かさを実現することが出来ます。
幸福や豊かさを実現するためには、自分の人生を生きれば良いだけなのです。
これよりも良い道など、どこを探しても存在しません。
感謝して生きましょう。
あなたは、最善の道を歩めているということを忘れてはなりません。
これよりも良い道は、どこを探しても存在しません。
別の道は、これよりも悪いということを忘れてはなりません。
どのような現状にも感謝をしましょう。
感謝の気持ちを忘れてはなりません。
感謝の気持ちを以て生きる時、あなたには、果たすべき目的が見えてくるでしょう。

2019年8月16日金曜日

超越する喜び

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
この世界において、人生に目的も無く生まれる者はいないのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれます。
人生の目的を無視したり、否定することの出来る人はいません。
なぜなら、それが人生を始めた理由だからです。
無意味に生まれる者はいません。
どのような人物にも、果たすべき目的が存在するのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
それは、すべての人が未熟に生まれるからです。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
それは、無知を生きるということなのです。
そのため、すべての人は、人生を思い通りにすることが出来ません。
自分自身を思い通りにコントロールすることが出来ないのです。
そのような者が、人生を思い通りにすることなど出来るはずがないのです。
誰にとっても、人生はもどかしいものです。
あなたは、好き勝手に生きることは出来ません。
人生の目的を果たすためには、目的地へと辿り着かなければなりません。
目的地が存在するということは、そこまでの道が存在するということです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
目的地という結果が存在するのは、そこへ通じる道という原因が存在しているからなのです。
道が存在しなければ、目的地は存在しません。
目的地への道は存在するのです。
それは、あなたが目的地へと辿(たど)り着くことが出来るということなのです。
大切なのは、道を辿ることです。
しかしながら、道は”雑草”によって覆い隠されています。
道を覆(おお)い隠している”雑草”とは、雑念のことです。
多くの人は、雑念によって、自らの進むべき道を覆い隠しているのです。
雑念とは、人生の目的とは異なる興味や意欲のことです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)ることによって、自らの進むべき道を覆い隠してしまうのです。
人生の目的とは、目の前の快楽や欲望や苦悩を超越するものです。
人生の目的を前にしては、目の前の快楽や欲望や苦悩は掻(か)き消えてしまうのです。
大切なのは、目の前の快楽や欲望や苦悩を超越した目的意識を探すことです。
どのような人物にも、目の前の快楽や欲望や苦悩を超越した目的意識が存在します。
それを知らないというのであれば、まだ見付かっていないだけです。
すべての人は、目的を以て生まれたのです。
そのため、誰もが、目の前の快楽や欲望や苦悩を超越した目的意識を所有するのです。
それが、人生の目的を果たすための道標(みちしるべ)です。
目の前の快楽や欲望や苦悩を超越した目的意識こそが、あなたを目的地へと導くのです。
目的地までの道を辿るということは、目の前の快楽や欲望や苦悩を超越するということです。
人生には、目の前の快楽や欲望や苦悩を超越した素晴らしいことがあるのです。
それを前にするなら、目の前の快楽や欲望や苦悩は霞(かす)んでしまうのです。
それが、あなたがこの人生において、やるべきことであり、進むべき道です。
しかしながら、それでも、一筋縄(ひとすじなわ)ではいかないのが人生です。
あなたは、進むべき道を見付けたとしても、多くの問題と向き合わなければなりません。
そして、多くの苦労を重ねなければならないのです。
思い通りに人生を実現することは出来ません。
既に道は存在しますが、”雑草”を排除(はいじょ)し、道を切り開かなければなりません。
正しい道を進む時でも、あなたは苦労をするのです。
気楽な道など存在しません。
どのような道も、目的地へ辿り着くためには、それ相応の苦労を必要とするということを覚えておきましょう。
雑念を取り除くことは、あなたが考えている程、容易(たやす)いことではありません。
それは、あなたが常に快楽や欲望や苦悩を刺激する状況に存在するからです。
それ等を超えて行きましょう。
人生の目的は、目の前の快楽や欲望や苦悩という詰(つ)まらないものではありません。
そこには、すべてを超越する喜びがあるのです。

2019年8月15日木曜日

映画

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分と向き合わなければなりません。
人生とは、自分と向き合うための時間です。
あなたは、自分と向き合うために生まれたのです。
あなたが自分と向き合うのは、それを改善するためです。
あなたは、この人生において、自分を改善しなければならないのです。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
多くの人は、自分と向き合うために生まれたことを知らないのです。
そのため、多くの人は、誰かや何かと向き合うことに専念します。
多くの人にとっての現実とは、外の世界なのです。
多くの人は、外に現実が存在していると思い込んでいます。
確かに、外には現実が存在しているように思えます。
しかしながら、外に現実は存在しないのです。
外に存在するのは、現実の投影です。
それは、映画のスクリーンのようなものなのです。
現実は、内に存在しています。
内とは、あなたの思考や意識や無意識のことです。
そこに”映写機”という現実が存在しているのです。
多くの人は、スクリーンに映し出された映像を現実と思い込み、それにのめり込みます。
スクリーンに映し出された映像を現実と錯覚(さっかく)し、演技をしている俳優に対して、感情を移入してしまうのです。
映画と分かっていても、いつの間にかにそれを現実と思い込んでしまうのです。
映画を観ている間、多くの人は、その世界観にのめり込みます。
多くの人にとって、映画を観ている時には、それが現実となるのです。
これは、人生にも同じことが起こっているのです。
多くの人が現実だと思っているものは、思考や意識や無意識の投影に過ぎません。
それは、現実のように思えますが、現実ではないのです。
現実は、あなたの内に存在する思考や意識や無意識などの、外に存在するものとは異なる形をしたものなのです。
スクリーンに投影される映像を現実だと思い込んでいる人にとって、映写機という現実は受け入れ難(がた)いものです。
しかしながら、映写機が存在しなければ、スクリーンに映し出される映像も存在しません。
映画を観ているすべての人は、いつかは、目の前のスクリーンに映し出される映像を手放し、映写機という現実と向き合わなければならないのです。
外に存在する世界は、現実ではありません。
それは、幻想なのです。
あなたは、幻想に対してむきになってはならないのです。
役を演じている俳優に対して、本気になって感情移入してはならないのです。
外に存在する世界は、スクリーンに映し出された映画のようなものです。
外に存在する何かに対して、むきになったとしても、人生に変わりはないのです。
映画の粗筋(あらすじ)を書き換えたいのであれば、映写機に備え付けられたフィルムを改めなければなりません。
スクリーンに手を加えても、同じ映画を観なければならないのです。
誰かや何かを変えようとしても無駄です。
誰かや何かに変わってもらおうとすることに価値はありません。
残念ながら、誰も何も変わりはしません。
外に存在するものは、内の投影に過ぎないからです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
パッピーエンドが良ければ、フィルムを差し替えなければなりません。
それは、自分の思考や意識や無意識を変えるということなのです。
あなたが人生を変えたいと思うのであれば、自分を変えましょう。
誰かや何かに対して、むきになって反応してはなりません。
軽くあしらうのです。
それは現実ではないのです。
誰かや何かは、自分の思考や意識や無意識の作り出した幻想です。
すべては内で起こっているのです。
外に世界を見出してはなりません。
外には、敵も味方も存在しないのです。
すべては、あなたの内に存在する現実です。
内に世界を見出しましょう。

2019年8月14日水曜日

知恵の鍵

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、目的地へと到達する必要があります。
しかしながら、目的地へと到達することは容易(ようい)ではありません。
それは、誰にとっても難しいことなのです。
なぜなら、目的地へと到達するためには、数々の障害を乗り越えて進まなければならないからです。
障害とは、解決しなければならない問題です。
それは、外に生じているように思えますが、すべては内に生じているのです。
すべての問題は、内に生じるものなのです。
外に解決の糸口を探しても、問題を解決することは出来ません。
すべては、内に生じていることなのです。
あなたは、内を見詰めなければなりません。
そして、内に存在する問題を解決しなければならないのです。
問題を解決するためには、”鍵”が必要です。
”鍵”を見付けることによって、問題を解決するための扉が開かれるのです。
問題とは、人生における停滞のことです。
人生は、問題によって停滞するのです。
人生における問題とは、停滞のことであると覚えておきましょう。
大切なのは、目的地へと歩みを進めることです。
目的地へと歩を進めるためには、”鍵”を見付け出さなければなりません。
”鍵”とは、あなたの歪みを取り除くための気付きのことです。
問題というのは、あなたの歪みによって生じるものなのです。
歪みとは、誤解のことです。
誤解を解く気付きが必要なのです。
気付きを得るためには、学ぶ必要があります。
学ぶことがなければ、気付きを得ることは出来ないのです。
学びは、知識と経験によって得られます。
知識と経験が積み重なることによって、知恵を得ることが出来ますが、気付きとは、知恵のことなのです。
問題を解決するための扉を開くのは、知恵の鍵なのです。
人は、知恵によって先へと進むことが出来るのです。
知恵を得なければ、一つの問題に対して、停滞を余儀無(よぎな)くされます。
知恵によってのみ、人は問題を解決し、歩みを進めることが出来るのです。
あなたは、知恵を身に付けなければなりません。
必要な知識と経験を手に入れなければならないのです。
知恵の鍵は、扉から最も遠くに隠されています。
扉の近くに鍵を隠していれば、すぐに見付かり、押し入られてしまうのです。
重要な扉である程に、鍵は遠くに隠すのです。
そのため、知恵を得ることは容易ではありません。
知恵の鍵を得るためには、あなたが思っている以上の知識と経験を必要とします。
知識と経験が必要に達しなければ、扉は開かれないのです。
必要な知識と経験を得るためには、多くの時間と労力が必要です。
人生は、決して思い通りには展開しません。
あなたは、自分の歩みに焦りや不安を覚えるかも知れません。
しかしながら、もがいたとしても、知恵の鍵を得ることは出来ません。
大切なのは、落ち着いて、確実に必要を満たすことなのです。
理想とは、幻想です。
残念ながら、多くの人は幻想という名の理想を追い求めています。
理想を追い求める余り、現実を軽んじます。
理想に対して、現実はとても貧相(ひんそう)です。
現実は、いつも問題を抱え、停滞しているのです。
あなたはいつも不安や不満を抱え、苦しんでいるのです。
多くの人にとって、現実は手放したい重荷なのです。
多くの人は、理想を欲しています。
しかしながら、理想を追い求めたとしても、必要な知識と経験を得ることは出来ません。
あなたは、現実と向き合うことによって、必要な知識と経験を得ましょう。
施錠(せじょう)されている扉を認めて初めて、あなたは鍵を探すのです。
問題が存在し、停滞という現実こそが、あなたに必要な知識と経験を求めさせるのです。
必要な知識と経験は、容易には得られません。
辛抱(しんぼう)が必要です。
あなたは、辛抱強く学びましょう。
学びを簡単に諦めてはなりません。
あなたには、果たさなければならない目的があるのです。
知恵の鍵を得ましょう。

2019年8月13日火曜日

悩みと共に

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
人生において、目的も無く生まれる人はいません。
どのような人物のどのような人生にも、果たすべき目的が存在するのです。
あなたには、果たさなければならない目的があります。
あなたは、それを果たさなければなりません。
しかしながら、多くの人は、果たすべき目的を見失っているのです。
人生の意味を理解せず、道に迷っているのが現状なのです。
多くの人は、道に迷っています。
辿り着くべき目的地を知らず、暗中(あんちゅう)を彷徨(さまよ)っているのです。
すべての人は、人生に悩みを抱えています。
残念ながら、この世界において、悩みを知らずに生きられる人は存在しません。
どのような人物も、悩みと共に生きなければならないのです。
側(はた)から見れば、悩みとは無縁(むえん)に思えるような人物にも、あなたと同じように悩みがあるのです。
悩みを避けることの出来る人物は存在しないのです。
人生においては、誰一人として、悩みを避けることは出来ないのです。
あなたは、悩みと共に生きなければなりません。
人生において、悩みは道連れです。
あなたは、それを置いて行くことは出来ないのです。
どのような方法も、悩みを避けることは出来ません。
悩みを解決することは出来ますが、そうすれば、新たな悩みが生じるのです。
ただし、同じ水準(すいじゅん)の悩みではありません。
それは、より本質的な悩みとなって導かれるのです。
すべての人は、目的を以て生まれます。
人生の目的地とは、その目的を果たす状態のことなのです。
あなたは、目的を果たす状態へと歩みを続けているのです。
成長こそが歩みです。
あなたが成長する程に、歩むことが出来るのです。
目的地へと歩みを進めている内は、悩みに苦しむことはありません。
それは、停滞によって悩みに追い付かれるからです。
悩みの歩みは牛歩(ぎゅうほ)です。
それは、とても遅い足取りですが、確実に歩みを進めているのです。
あなたの歩みは、悩みよりも早いのです。
そのため、目的を見出して行動している時には、悩みを忘れることが出来るのです。
しかしながら、あなたは歩み続けることが出来ません。
なぜなら、途中で道を見失ってしまうからです。
すべての人は、未熟に生まれます。
そのため、すべての目的は誤解なのです。
初めから、人生の目的地を知って歩むことの出来る人はいません。
すべての人は、迷いながら道を進まなければならないのです。
すべての人は、失敗を重ねます。
それは、仕方のないことです。
道を見失った時には、立ち止まらなければなりません。
立ち止まり、冷静に道を探さなければならないのです。
停滞は、強制的に実現します。
道を誤(あやま)っているのであれば、立ち止まらなければならないのです。
間違った道を進み続けることは出来ません。
人生は、あなたの歩みを修正するのです。
あなたは、悩みに追い付かれてしまいます。
それを避けることは出来ません。
しかしながら、悩みは決して悪いものではないのです。
悩みは、あなたに道を示します。
人は、悩みによって、傲慢(ごうまん)を静めることが出来るのです。
道を進もうとする時、人は傲慢に陥(おちい)ります。
傲慢を抱えたままでは、道を諦めることが出来ません。
人は、傲慢を抱えたままでは、方向を改めることが出来ないのです。
悩みによって、人は弱気になります。
悩みは、弱気によって、人に謙虚(けんきょ)さと素直さを思い出させるのです。
謙虚であり、素直な者だけが、目的地へと歩みを進めることが出来ます。
あなたは、悩みに対して傲慢な態度で向き合ってはなりません。
悩みを敵として争ってはならないのです。
謙虚な姿勢と、素直な態度によって、悩みを受け入れるのです。
悩みからは、多くのヒントを与えられます。
悩みは、あなたに道を示そうとしているのです。
悩みの声を聞きましょう。
自分の考えに執着(しゅうちゃく)してはなりません。
悩みと共に歩むのです。

2019年8月12日月曜日

人は人

すべての人は、自分に生まれます。
すべての人は、自分を生きなければならないのです。
誰一人として、自分以外を生きることは出来ません。
自分以外を生きようとすれば、その矛盾(むじゅん)によって葛藤(かっとう)が生じ、心が引き裂かれてしまうでしょう。
人生に苦しみを実現するのは、自分に対する否定(ひてい)です。
自分を否定することによって、人は、苦しみを受けるのです。
それ以外の方法によって苦しむことは出来ません。
自分を生きることによって、苦しみが実現することはないのです。
自分を生きなければ、苦しみが実現するということを理解しなければなりません。
残念ながら、多くの人は自分を否定します。
多くの人は、自分を生きることが出来ないのです。
それは、自分を知らないからです。
自分を知らないために、自分を生きることが出来ません。
多くの人は、自分を嫌います。
そして、他の誰かを好むのです。
すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
人は、それぞれの必要を与えられているのです。
あなたにとっての必要と、他者にとっての必要は異なります。
必要は、人それぞれに異なるのが自然です。
誰一人として、同じ必要を与えられてはいないのです。
すべての人は、異なる目的のために生まれるのです。
そして、その目的を果たすために生きているのです。
目的を果たすことが生まれた理由です。
目的を果たすためには、自分を生きなければなりません。
人は、自分を生きることによって、自分の役割を果たし、人生の目的を果たすことが出来るのです。
自分を生きなければ、自分の役割を果たすことは出来ません。
そのために、あなたは自分を生きなければならないのです。
人は、自分を生きるしかありません。
あなたは、自分の人生を生きるしかないのです。
そのために生まれたのです。
残念ながら、多くの人は、自分の価値を知りません。
多くの人は、自分の価値を見誤っているのです。
自分というものは、常に発展途上です。
今日よりも、明日の方が優れています。
あなたは、自分という存在の可能性を見なければならないのです。
多くの人は、自分の可能性を見ません。
多くの人は、他者を見て、現状の自分と比較しているのです。
人は、それぞれに成長の段階が異なります。
それは、若木と老木を比べるようなものです。
比べるならば、若木は老木に見劣(みおと)りしてしまいます。
なぜなら、老木の方が発展しているからです。
しかしながら、見劣りする若木も、やがては立派な老木へと発展を遂げるのです。
そして、種類が異なれば、違いは大きなものとなるのです。
咲き誇る桜と、苔(こけ)には大きな違いがあります。
多くの人は、苔よりも桜に価値を見出し、憧れを抱くでしょう。
それは、壮大(そうだい)で美しいと思うからです。
しかしながら、桜と苔の価値は異なりません。
桜には桜の価値があり、苔には苔の価値があるのです。
それを比較することは出来ないのです。
桜は桜で美しく、苔は苔で美しいのです。
そして、桜の根元に苔が生えていることが最も美しいのです。
桜は桜として生まれ、桜として生きなければなりません。
苔は苔として生まれ、苔として生きなければならないのです。
桜は桜としての美しさを磨き、苔は苔としての美しさを磨けば良いのです。
桜が苔に憧れることは、桜の価値を落とします。
苔が桜に憧れることは、苔の価値を落としてしまうのです。
あなたは、あなたで良いのです。
誰かと比較することには意味がありません。
自分という存在も、成長すれば美しいのです。
発展した他者を見て、未発展な自分を蔑(さげす)む必要はありません。
未発展な他者を見て、発展した自分を驕(おご)る必要もないのです。
人は人です。
同じ目的、同じ役割、同じ才能、同じ価値を以て生まれてはいないのです。
すべての存在は異なるのです。
異なるからこそ価値があるのです。
そのことを覚えておきましょう。
あなたは、自分を生きるしかありません。
自分の人生を生きるしかないのです。
自分を生きば、そこには、どこにもない美しさと価値が生まれるでしょう。

2019年8月11日日曜日

衝動

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
人生において、目的を果たすことは重要です。
なぜなら、あなたはそのために生まれたからです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、すべての人が、自分を見失っているからです。
人は、人生に果たすべき目的を以て生まれます。
しかしながら、多くの人には、それが何であるのか?分からないのです。
すべての人は、自分が何であるか?分かりません。
すべての人は、自分が何であるか?を知らないのです。
自分が何であるか?知らないのに、自分が果たすべき目的を理解することなど出来ないのです。
自分が何であるか?それを知っているのは真(まこと)です。
それは、あなたの本質です。
あなたの本質である真こそが、あなたが何であるか?を知っているのです。
あなたが自分を思い出すためには、真に触れなければなりません。
真は、あなたの最も深い場所に存在しています。
それは、あなたの中心に位置しているのです。
真に触れることは容易(ようい)ではありません。
それは、誰にとっても難しいことなのです。
なぜなら、多くの人は、真に触れることを恐れます。
残念ながら、真に触れるには勇気と覚悟が必要なのです。
勇気と覚悟の無い者は、真に触れることは出来ません。
あなたが真に触れるためには、それ相応の勇気と覚悟が必要であるということを覚えておきましょう。
あなたが真に触れるためには、自分を表現する必要があります。
あなたが真を生きるためには、自分を表現することは欠かせないことなのです。
自分を表現することの出来ない者は、自分に成ることは出来ません。
自分に成ることが出来なければ、自分の人生を生きることが出来ません。
自分の人生を生きることが出来なければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、自分を表現しなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、自分を表現する他ありません。
しかしながら、人は、それぞれに異なる役割を担(にな)って生まれました。
人は、他者とな異なる目的を以て生まれたのです。
あなたは、人がそれぞれに異なる役割と目的のために生まれたということを理解しましょう。
そうでなければ、誰かと一つの役割と目的を奪い合い、争うようになってしまうのです。
人は、争うために生まれたのではありません。
それぞれが、それぞれの役割と目的を果たすために尽力すれば、それ等を奪い合い、争う必要などありません。
大切なのは、自分の役割と目的を果たすために尽力することです。
自分の役割と目的を果たすためには、あなたは自分でなければなりません。
あなたが自分であるためには、真に従って、自分の方法によって、自分を表現する必要があるのです。
自分を表現することの出来ない者は、自分であることは出来ないのです。
あなたは、自分でなければなりません。
自分を生きるのです。
あなたの本質である真は、常にあなたに自分を表現する方法を伝えています。
それは、心の中に衝動という形で伝えるのです。
すべての人は、衝動を感じます。
しかしながら、衝動に従うことを恐れるのです。
なぜなら、自分を表現するということは、自分を批判(ひはん)されるということでもあるからです。
多くの人は、自分を表現することが出来ません。
そのため、他の誰かが自分を表現しようとする時には、それを批判することによって、他者が自分を表現することを防いでいるのです。
多くの人は、群(む)れていれば良いと思い込んでいるのです。
しかしながら、人生の目的はそれぞれに異なります。
役割は、それぞれに異なっているのが自然なのです。
多くの人は、そのことを知らずに自分勝手に他者を批判しているに過ぎません。
あなたは、衝動に従いましょう。
それは、あなたを自分へと導いてくれるでしょう。




2019年8月10日土曜日

人生の望み

すべての人は、果たすべき目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
すべての人は、目的を果たすために生まれました。
どのような人物にとっても、目的を果たすことが人生における主目的なのです。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
あなたは、目的を果たすために必要な経験を得ます。
そして、目的を果たすために必要な成長を実現するのです。
人生は、目的を果たすためにあります。
どのような人物も、自分の人生の目的を無視することは出来ないのです。
人生の目的は、人それぞれに異なっています。
人は、それぞれが異なる目的のために生きているのです。
誰一人として、同じ目的のために生きることは出来ません。
目的が異なれば、目的地も異なります。
目的地が異なれば、道程(どうてい)は異なるのです。
道程が異なれば、方法が異なります。
方法が異なれば、必要が異なるのです。
人は、それぞれに異なる必要を得なければなりません。
必要はそれぞれに異なっているため、人は異なる容姿、異なる性格、異なる才能、異なる環境・・・
人は、異なる状態を生きなければならないのです。
あなたは、人はそれぞれに異なるということを理解しなければなりません。
得るものと失うものも、その目的や必要に応じて異なります。
あなたは目的を果たすために必要なものを得ることになります。
そして、目的を果たすために必要なものを失うことになるのです。
すべては、必要です。
人生におけるどのような事柄も、必要であるために起きるのです。
すべては、仕方のないことなのです。
残念ながら、多くの人は、必要を受け入れることが出来ません。
多くの人は、必要を理解することが出来ないのです。
そのため、必要を無視して、都合を押し付けようとします。
残念ながら、すべての人は未熟に生まれます。
すべての人は、自分が何であるのか?人生が何であるのか?ということを知りません。
あなたは、自分が何であるか?分かりますか?
恐らくは、分からないでしょう。
中には、自分が何であるのか?を知っているという人もいるかも知れません。
しかしながら、それはいつか覆(くつがえ)る誤解に過ぎないのです。
自分が何であるのか?を知らない者には、人生が何であるのか?ということは分かりません。
多くの人の押し付けようとしている都合は、決して必要などではないのです。
人生は、思い通りにはいきません。
人生には、望んでも手に入らないものがあるのです。
必要でなければ、何を望んでも手に入りません。
どのような努力も、必要でなければ望みを叶えることは出来ないのです。
必要なもの以外は、望んでも手に入りません。
必要なものは、望まなくても手に入るのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。
人生には、仕方のないことがあるのです。
望みを叶えることが、人生の目的ではありません。
必要を受け入れ、必要な成長を実現し、必要な役割を果たすことが、人生の目的なのです。
多くの人は、望みを実現しようと努めます。
多くの人は、望みが実現しないことに苦しんでいるのです。
大切なのは、自分の考えではありません。
人生が、あなたに何を訴(うった)えているのか?ということを考えなければならないのです。
あなたには、果たすべき目的が存在します。
あなたは、目的を果たさなければなりません。
必要を満たしましょう。
必要は、あなたの望みのことではありません。
必要とは、人生があなたに望むことなのです。