多くの人は、不自由な人生を生きています。
しかしながら、そのことには気が付いていません。
例え、気が付いていたとしても、不自由な人生に慣れてしまい、それを忘れてしまうのです。
多くの人は、不自由な人生を生きなければなりません。
それは、不自由な人生こそが、人生であると思い込んでいるからです。
多くの人にとって、不自由な人生は大切なものです。
なぜなら、守られていると感じるからです。
不自由とは、壁に囲まれている状態のことです。
世界が制限されているということは、危険が少ないということでもあるのです。
多くの人は、自由よりも、不自由を選びます。
それは、多くの人が、危険よりも、安全を選ぶのと同じ理由です。
自由とは、制限の無い状態のことです。
それは、道の無い広野のようなものなのです。
あなたは、どこへ向かっても良いのです。
あなたは、好きに生きられるのです。
しかしながら、好きに生きることには、リスクがあるのです。
自由には、安定がありません。
自由は、不安定なのです。
不自由には、安定があります。
縛られているために、安定しているのです。
多くの人は、安定を求めています。
それが良いことだと信じているのです。
安定していることは、良いことのように思えます。
誰もが初めはそう思うのです。
しかしながら、安定が続けば、それが良いことでなかったことに気が付くのです。
それは、人生の目的に関係しています。
すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれるのです。
すべての人には、果たさなければならない目的が存在するのです。
人生の目的を果たすことが生まれた目的です。
それ以外のことは、目的ではないのです。
人生の目的は、生まれる前に決めたものです。
生まれた後の目的は、人生の目的には成り得ないのです。
多くの人は、不自由の中に目的を定めます。
多くの人にとっては、生活や仕事、人間関係や健康状態など、それ等のことが安定していなければならないのです。
それ等のことが安定していなければ、不安で仕方がないのです。
不安を取り除くためには、不自由の中で安定を手に入れなければならないのです。
それもまた人生ですが、そのような生き方では人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことがなければ、真(まこと)の幸福や豊かさを実現することは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、偽りの幸福や豊かさによって、自分を慰(なぐさ)めようとしています。
余裕のある安定した暮らしや、快楽や欲望を満たすことの出来る財産、理解し合えない多くの友人などによって、幸福や豊かさを実現したと思い込みたいのです。
偽りによって、自分を慰めるのには限界があります。
偽りは、必ず空しさに到達するのです。
いつまでも、自分を騙(だま)すことは出来ないのです。
人生に真の幸福や豊かさを実現するためには、人生の目的を果たす必要があります。
人生の目的を果たすためには、自分を生きる必要があるのです。
あなたは、自分でなければなりません。
空しさを退(しりぞ)けるためには、自分を生きるしかないのです。
あなたは、自由を生きましょう。
安定を手放し、冒険の旅に出るのです。
そこには、多くの危険が待ち構えています。
しかしながら、それ以上の喜びを得られるのです。
多くの人は、自分を偽ります。
多くの人は、自分を生きてはいないのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
後天的な”詰まらない”目的のために生まれたのではないのです。
余裕のある安定した暮らしや、快楽や欲望を満たすことの出来る財産、理解し合えない多くの友人などを得るために生まれたのではないのです。
余裕のない暮らしであっても、快楽や欲望を満たすことが出来なくても、理解し合える数人の友人と共に生きる方が良いのです。
自分を生きれば、皆と同じようには生きられません。
自分を生きることによって、あなたは、多くの人のようには喜べないのです。
人は、それぞれの喜びを以て生まれます。
喜びの形は、人それぞれに異なるのです。
それが同じであることは不自然であるということを理解しましょう。
真の幸福や豊かさを必要とするのであれば、あなたは自分を生きましょう。
自由を生きる以外に、真を得る方法はないのです。
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