すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
人生において、目的を果たすことは何よりも大切な仕事です。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
大切なのは、目的に従(したが)って生きることです。
目的に従うためには、素直に生きる必要があります。
それは、人生の目的はあなたの内に存在する”純粋”が知っているからです。
純粋とは、心よりも深い部分に存在する意識です。
それは、あなたの本質です。
残念ながら、あなたの認識している自分という存在は、あなたの本質ではありません。
多くの人は、自分を嫌います。
誰もが、自分に劣等感(れっとうかん)を抱えているのです。
多くの人は、自分に違和感を覚えるでしょう。
なぜなら、多くの人が認識する自分というものは、偽りの自分であるからです。
多くの人が自分に対して抱いている違和感は正しい感覚なのです。
本質である真(まこと)の自分は、あなたには認識することが出来ません。
それは、あなたが未熟に生まれたからです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、自分が何であるのか?ということを知らないのです。
自分が何であるのか?を知らなければ、未熟であるということを理解しなければならないのです。
すべての人は、自分が何であるのか?を知らないために、見当違いの選択を行います。
すべての人は、真っ直ぐに目的地へと辿り着くことが出来ません。
すべての人は、必ず道を間違えるのです。
すべての人は、本質と対話することが出来ません。
そのため、自分勝手に考え、自分勝手に選び、自分勝手に進むのです。
目的地を知らずに目的地へと辿り着くことは至難(しなん)です。
大抵の場合、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
大切なのは、目的地へと辿り着くことです。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
それは、自分との約束です。
あなたは、目的を果たすために生まれたのです。
目的を果たすためには、純粋と対話しなければなりません。
純粋と対話するためには、内に対して意識を向けなければなりません。
内に対して意識を向けなければ、内の深いところに存在する純粋に気付くことは出来ないのです。
多くの人は、外に意識を向けます。
それは、外に答えが存在すると思うからです。
残念ながら、答えは内に存在します。
外に存在する一切(いっさい)は、あなたの人生の目的を知らないのです。
あなたの内に存在する純粋だけが、あなたの人生の目的を知っているのです。
内に意識を向ければ、ものの見方や認識が変わります。
外を見るのと、内から外を見るのでは、景色が大きく異なるのです。
内に意識を向けた状態で外を見れば、今までの自然が不自然へと変わります。
そして、今までの不自然が自然へと変わるのです。
当たり前は感謝へと変わるのです。
多くの人が当たり前と思っていることは、当たり前ではありません。
内から外を見れば、それがとても有り難いことだと気が付くのです。
感謝に気が付くことが、内を掘り下げるということなのです。
感謝に気が付くことが出来れば、あなたは純粋へと近付きます。
純粋とは、感謝によって対話することが出来るのです。
感謝の気持ちが無い者には、純粋を理解することが出来ません。
純粋の存在に気が付かなければ、人生の目的に気が付くことも出来ないのです。
人生に対して、感謝の気持ちで生きている者は、純粋に触れて、人生の目的を見出します。
人生に対して、当たり前の気持ちで生きている者は、不純に触れて、人生の目的を見失うのです。
あなたは、純粋を訪(たず)ねなければなりません。
感謝の気持ちで生きましょう。
何事も、当たり前ではありません。
すべてが有り難いことに気が付けば、あなたは人生の目的を果たすことが出来るでしょう。
偽りの自分が教えるのは、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)る方法です。
真の自分が教えるのは、人生の目的を果たす方法なのです。
どちらが良いかははっきりしています。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
目の前の快楽や欲望や苦悩を貪るためになど生まれてはいないのです。
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