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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年5月31日日曜日

因果の実り

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
この世界に存在する一切(いっさい)は、因果の仕組みを離れることは出来ません。
この世界に存在する一切は、因果の仕組みを無視することが出来ないのです。
因果の仕組みとは、原因と結果の理(ことわり)のことです。
原因は、それに相応しい結果を実現します。
結果は、それに相応しい原因によって実現するのです。
原因と結果は一つなのです。
原因の存在しない結果は実現しません。
結果の実現しない原因は存在しないのです。
すべてが、因果の仕組みの中に存在するということを理解しましょう。
大切なのは、原因は必ず結果を実現するということです。
自分で蒔(ま)いた種は、後に必ず収穫しなければならないということなのです。
それが、茨(いばら)であろうと、毒草であろうとも、蒔いたのであれば、いつかは収穫しなければならないのです。
身に覚えがなくても、あなたはそれを収穫する必要があります。
収穫は避けられません。
人生に蒔いた原因は、必ず実るということを理解しましょう。
それは、すぐには実らないかも知れません。
実りは、忘れた頃にやって来るのです。
因果が実れば、どのような理由があっても、それを収穫する必要があるのです。
人生の原因とは、自分自身の在り方、思考、感情、行為などの自分自身です。
あなたは、自分自身に相応しい人生を生きなければならないのです。
因果の仕組みを無視することや、それを克服(こくふく)することは出来ません。
種を蒔く時には、それが何の種であり、どう育つか?ということをある程度考えなければなりません。
自分自身の在り方、思考、感情、行為が、どのような結果をもたらすか?ということを考える必要があるのです。
因果の仕組みを避けることは出来ません。
せめて、結果を想像して生きましょう。
何も考えずに生きてはなりません。
あなたは、自分自身に相応しい人生を生きるのです。
良い行いは、良い状況を導きます。
悪い行いは、悪い状況を導くのです。
良い行いが悪い状況を導くことや、悪い行いが良い状況を導くということは有り得ないのです。
多くの人は、人生が理不尽なものだと考えています。
多くの人は、人生が不平等であると思い込んでいるのです。
しかしながら、人生は道理に叶(かな)い、因果の仕組みによって平等なのです。
あなたは、本質を見極めなければなりません。
あなたに見えているのは、物事のほんの一部に過ぎないのです。
物事の一部を見て、全体を見た気になってはなりません。
残念ながら、あなたには本質を見極めることが出来ません。
全体は、余りにも大き過ぎて、視野に収まらないのです。
そのため、人生が理不尽や不平等に思えるのです。
どのような人物も、因果の仕組みを無視することは出来ません。
すべての人は、因果の仕組みの中に人生を築くのです。
人生の原因は、自分自身です。
どのような人生を生きていようとも、それは、自分自身の選択の結果なのです。
人生の責任は、自分自身にあるのです。
誰かや何かがあなたの人生を築いた訳ではありません。
あなたは、自分自身で人生を築いたのです。
どう生きるか?ということが重要なのです。
どう生きても構いません。
あなたは、結果から学ぶことが出来るのです。
どのような学びも無駄にはなりません。
人生がどのようなものになろうとも、絶望する必要はないのです。
しかしながら、あなたは確実に死を得ます。
死とは、すべてを手放すということです。
死を得てすべてを手放さなければならないのに、いつまでも欲深く生きてはなりません。
手放さなければならないものに執着(しゅうちゃく)することは、詰(つ)まらない生き方なのです。
欲深く生きる者は、利己的(りこてき)に行います。
それは、多くの所有物を得る生き方なのです。
多くを得ることは、豊かさや幸福のように思えます。
しかしながら、どれだけ多くの物を得ても、いずれはすべてを手放さなければなりません。
この世の物は、何一つとして死後に持ち越すことは出来ないのです。
利己的に生きることは、魂を汚し、歪めてしまいます。
この世のすべてを手放しても、本質である魂を手放すことは出来ません。
魂の状態は、死後に持ち越すことになるのです。
あなたは、魂を浄化するために生まれたのです。
利他的(りたてき)に生きることによって、魂を浄化することが出来るのです。
所有すれば汚れます。
それは、多くの作物を蓄(たくわ)えると、一人では処理し切れずに腐らせるのと同じことなのです。
作物は、腐る前に分け与えなければなりません。
分け与えることによって、魂は美しく輝くのです。
多くの物を所有していることを誇(ほこ)ってはなりません。
貧しい暮らしをしろというのではありません。
互いに分け与えることによって、真(まこと)の豊かさを実現するのです。
欲深く生きたとしても、空しいだけなのです。
人生は、最後までどうなるか分かりません。
しかしながら、因果は必ず実るということを覚えておきましょう。

2020年5月30日土曜日

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由は存在しないということを理解しましょう。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
すべての人が、人生に果たすべき目的を抱えているのです。
人生の目的を果たすことは、何よりも大切なことです。
なぜなら、人生の目的を果たすことがなければ、あなたが満たされることはないからです。
人生の目的を果たすことのない人生は、空しいということを覚えておかなければなりません。
あなたは、空しく生きるために生まれたのではないのです。
満たされないままに生きてはならないのです。
人生は楽しく、満たされることが求められるのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は楽しくありません。
人生の目的を果たすことに関係のないことを続けても、人生は楽しくないのです。
生まれた理由を果たさんければ、人生は空しいのです。
あなたは、人生の目的を探さなければなりません。
人生の目的を探し、それを果たさなければならないのです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
難しく考える必要はありません。
人生の目的は、自分を成長させることによって果たすことが出来るのです。
自分を成長させることによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
自分を成長させるというのは、人格を磨くということです。
あなたは、自らの人格を磨いていれば、人生の目的を果たすことが出来るのです。
人生の目的は、人格を磨くことによって、間接的に果たすものなのです。
人生の目的を果たそうと躍起(やっき)になっていても、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
なぜなら、この世界には、因果の仕組みが存在するからです。
あなたが得られるものは、自分に相応(ふさわ)しいものなのです。
自らを成長させていない人が、人生の目的を果たしたいと願ったところで、未熟者には相応しくないのです。
人格を磨き、成長を実現した者だけが、人生の目的を果たすに相応しいのです。
人生の目的を果たすためには、人格を磨く必要があります。
人生において重要なのは、どれだけ人格を磨くことが出来るのか?ということです。
人格を磨くことをしなければ、どれだけ長く生きたとしても空しいのです。
人格の磨かれていない老人は空しいのです。
あなたは、そのような空しい生き方を選んではなりません。
人格を磨くためには、貢献(こうけん)する必要があります。
何かの役に立とうとする気持ちと行いが、人格を磨くのです。
大切なのは、どれだけ役に立つことが出来るか?ということです。
自分のために生きることは快適かも知れません。
自分のことだけやっていれば良いというのであれば、人生はとても楽なのです。
しかしながら、自分のために生きたとしても、満たされることはないのです。
自分のためにどれだけ努めても、得られるのは空しさなのです。
人は、自分のために生まれる訳ではありません。
あなたの力は、自分のために使うことを前提(ぜんてい)に与えられた訳ではないのです。
あなたは、他者のために生まれたのです。
そして、その力は、他者のために用いなければならないのです。
あなたが満たされるためには、自分以外のために力を使い、自分以外のために生きるしか方法がないのです。
自分のために生きて、満たされる人はいません。
一瞬は満たされた気になるかも知れませんが、すぐに空しさが襲うのです。
それは、砂地に撒いた水のようなものです。
どれだけ撒いても、水はすぐに砂の隙間を縫(ぬ)って流れてしまうのです。
それは、空しいことなのです。
あなたは、力を無駄に使ってはなりません。
人が自分のために生きれば、争いの世の中になってしまうのです。
奪い合う人達は破滅をもたらすのです。
それが空しさなのです。
空しいのは、人生が破滅しているということなのです。
あなたは、空しく生きてはなりません。
力を使いましょう。
誰でも良いのです。
誰かのために使いましょう。
人でなくても良いのです。
自分以外の何かのために使えば良いのです。
そうすれば、人格は磨かれます。
あなたは、人格を磨き、人生の目的を果たさなければなりません。

2020年5月29日金曜日

違う視点

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
誰一人として、人生の目的を無視することは出来ないのです。
あなたは、人生に目的が存在することを理解しましょう。
そして、人生の目的を果たすことが出来るように努めましょう。
人生の目的を果たすことは、人生において最も重要なことです。
なぜなら、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由だからです。
人生の目的を果たすことが、人生において最も優先しなければならないことなのです。
人生の目的を無視して生きることは、人生を乏しくするのです。
人生の目的を果たそうと努めることによって、人生には豊かさが導かれるのです。
人生の目的を果たそうと努めなければ、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが最も重要であるということを理解しなければなりません。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を理解しなければなりません。
人生の目的を理解しなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を理解しなければなりません。
しかしながら、人生の目的を理解することは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
すべての人は無知を生きているのです。
すべての人は、自分が何か?を知りません。
自分が何か?を知らなければ、人生の目的が何か?ということも分からないのです。
大切なのは、成長を実現することです。
成長を実現するためには、誤解を手放さなければなりません。
誤解を所有している間は、成長を実現することは出来ません。
なぜなら、成長を実現しようと努めても、誤解によって妨げられてしまうからです。
誤解は、あなたの成長を妨げます。
誤解を抱えたままでは、成長を実現することは出来ません。
常識とは、誤解です。
多くの人の従う常識というものは、偏見(へんけん)によって築かれた誤解に過ぎないのです。
多くの人は、常識に従って生きています。
間違っていたとしても、多数派に属したいのです。
それは、多数派に属していれば、間違いに気が付いたとしても、他者に責任を転嫁(てんか)にして逃れたり、自分だけが間違っていたのではないと正当化することが出来るからです。
多くの人は、集団から離れることを恐れるのです。
多くの人は、間違いに気が付いていたとしても、その集団に属していようとするのです。
常識は、残念ながら、あなたにとっての最善ではありません。
常識では、あなたの必要を満たすことが出来ないのです。
大切なのは、常識から離れることです。
あなたは、常識と違う見方が出来るまで、視点を変え続けなければなりません。
当たり前を当たり前として受け入れてはならないのです。
多くの人と同じ見方をしているのであれば、その見方は最善ではありません。
なぜなら、多くの人は未熟であり、無知であり、間違っているからです。
多くの人は、自分の人生の目的を知らないのです。
自分が何であり、人生が何であるのか?知らないのです。
何も知らない人達が、信じているのが常識という偏見と誤解なのです。
常識に従っている内は、人生の目的を果たすことは出来ません。
なぜなら、あなたの人生の目的は、この世界に唯一の目的であるからです。
この世界に唯一のものを、常識で計ることは出来ないのです。
常識に従っても、人生の目的を果たすことは出来ません。
自分の人生を生きるためには、非常識でなければならないのです。
皆と同じように考え、同じように行っているのであれば、自分の人生を生きることが出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、自分の人生を生きることが出来ません。
多くの人は、常識という偽りの人生に安心しているのです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
自分の人生を生きることがなければ、満足を得ることが出来ないのです。
人生に満足を得るためには、自分の人生を生きる必要があるのです。
常識に従って生きても、満足を得ることは出来ません。
あなたは、非常識な見方によって、人生の目的を見極めましょう。
そして、非常識な選択と行いによって、人生の目的を果たすのです。
人生の目的を果たすためには、偏見と誤解を手放さなければなりません。
当たり前を大切に守ってはなりません。
あなたは常識を疑い、覆(くつがえ)さなければならないのです。

2020年5月28日木曜日

自尊心

すべての人は、誤解を生きています。
すべての人が誤解しているのです。
すべての人は、間違った解釈(かいしゃく)に従(したが)って生きているのです。
残念ながら、多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
多くの人は、自分以外が間違っていると思い込むのです。
未熟に生まれなければならないすべての人が、そのように考えているのです。
自分が正しいと思い込むのは、自尊心を守るためです。
自分が正しいと思い込まなければ、自尊心が傷付いてしまうのです。
多くの人は、自尊心を守るために自分が正しいと思い込むのです。
多くの人にとって、自尊心は大切なものです。
それは、多くの人が、自尊心を自分だと思い込んでいるからです。
自尊心が傷付くことは、自分が傷付くことだと思い込んでいるのです。
残念ながら、あなたは自尊心ではありません。
自尊心は、あなた自身ではないのです。
あなたは、自尊心が自分であるという誤解を手放さなければなりません。
自尊心は、あなたとは別の存在です。
それは、衣服のようなものだと理解しなければなりません。
多くの人は、衣服を大切に扱います。
衣服が汚れたり、破れたりすることを悲しむのです。
それは、衣服を大切に扱っているからです。
大切に扱っていると、愛着が湧きます。
愛着は、やがて執着(しゅうちゃく)へと変わるのです。
執着は、自分とそれ以外の存在との境界を損ないます。
執着によって、人は、自分以外の存在を自分と思い込んでしまうのです。
すべての人は、自尊心を以(もっ)て生まれます。
あなたは、生まれた時から自尊心と共に暮らしているのです。
どのような時にも、自尊心は隣にいます。
いつも自尊心があなたに語り掛けるのです。
あなたは、自尊心を無視することが出来ません。
あなたは、自尊心の機嫌を損ねないように選択し、行動するのです。
自尊心が傷付くと後が大変です。
それは、いじけた子どものように、ぐずぐずと嫌みを吐くのです。
そのため、多くの人は、自尊心の機嫌を損なわないように生きるのです。
自尊心と共に暮らしている内に愛着が芽生えます。
そして、それは、いつの間にかに執着となるのです。
しかしながら、自尊心に対して執着していることには気が付きません。
なぜなら、自尊心を自分だと思い込んでいるからです。
あなたは、自尊心と自分の区別を付けなければなりません。
自尊心とは、魂の汚れや歪みや弱さのことです。
自尊心が悪いと言っているのではありません。
自尊心の役割に気付き、適切に処理しなければならないのです。
自尊心に従うことでは、人生の目的を果たすことが出来ません。
自尊心には、人生の目的を果たす力がないのです。
自尊心は、魂の汚れや歪みや弱さであるために、競争の人の世では力を発揮します。
他者と何かを争うことのためには、自尊心は力を発揮するのです。
そのため、人の世で突出するためには、自尊心と強く結び付く必要があるのです。
自尊心との結び付きが弱い者は、争いに負けてしまうのです。
出世するためには、自尊心と強く結び付きましょう。
魂の汚れや歪みや弱さを使って頑張るのです。
しかしながら、自尊心に従っていては、争いを続けるだけなのです。
自尊心は、勝敗を争うことしか出来ないのです。
人生の目的は、あなたに与えられた唯一(ゆいいつ)のものです。
唯一のもので争うことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、自尊心による競争を手放し、協力を目指さなければならないのです。
すべては一つなのです。
あなたは、この理(ことわり)を覚えておきましょう。
他者が存在しなければ、自分が存在することは出来ません。
敵が存在しなければ、味方が存在することは出来ないのです。
苦しみが存在しなければ、喜びは存在しません。
何事も、対立する存在によって成り立っているものなのです。
あなたは、自分以外の存在によって存在するのです。
自尊心には、それが分からないのです。
自尊心は、自分が存在するからこそ、自分が存在すると考えます。
残念ながら、自分という存在を孤立させることは出来ません。
あなたが人生の目的を果たすためには、争いを続けてはなりません。
他者を認めなければなりません。
敵を許(ゆる)しましょう。
そして、苦しみを受け入れなければならないのです。
対立する存在に対する尊敬(そんけい)を忘れてはなりません。
対立する存在からの助けがなければ、あなたは人生の目的を果たすことは出来ないのです。
自尊心は、あなたに争いを教えます。
それは、自尊心が汚れや歪みや弱さを抱えているからです。
あなたは、自尊心を許してやらなければなりません。
自尊心は、必死で争っているのです。
あなたは、いつまでも自尊心を争わせてはなりません。
不毛な争いを終わらせるのです。
自分以外の存在を尊敬し、互いに協力するのです。
見返りを求めるのは、自尊心の悪い癖(くせ)です。
あなたは、見返りを求めずに施(ほどこ)しましょう。
必要は満たされます。
あなたは、必要で満足しましょう。
自尊心の満たされることのない欲求に付き合ってはなりません。

2020年5月27日水曜日

自分の仕事

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることの出来る人はいません。
すべての人は、人生の目的に従(したが)って生きなければならないのです。
どのような人生にも目的が存在します。
どのような人物も、自分の人生の目的を果たさなければなりません。
どのような理由があろうとも、人生の目的は果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは、人生に豊かさを実現するためには必須です。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は決して豊かにはならないのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を果たすこと以外の方法によって、人生に豊かさを実現しようと考えています。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)ることや、理想を実現することによって、人生が豊かになると信じているのです。
残念ながら、目の前の快楽や欲望を貪ることや、理想を実現することでは、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
人生の目的は、目の前の快楽や欲望を貪ることや、理想を実現することでは実現することが出来ないのです。
人生の目的は、先天的なものであり、目の前の快楽や欲望や理想などの後天的なものではないのです。
あなたは、人生を始める前に決めてある人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは、容易(ようい)ではありません。
なぜなら、あなたは人生の目的を知らないからです。
あなたは、人生の目的が分かりますか?
人生とは何ですか?
残念ながら、あなたには答えられないでしょう。
人生の目的を果たすことが容易ではないのは、人生の目的が分からないからなのです。
あなたは、人生の目的を知りません。
人生の目的を理解するためには、人生と対話しなければなりません。
人生の目的は、人生が知っているのです。
人生の目的や、人生の意味を理解するためには、人生を受け入れなければなりません。
人生を受け入れることの出来ない者には、人生の目的を理解することは出来ないのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、人生を受け入れる以外に方法はないのです。
人生において、目の前に展開する状況は、あなたが人生の目的を果たすために必要な経験です。
人は、導かれる状況を経験することによって、人生の目的を果たすことへと近付くのです。
人生においては、避けられないことがあるのです。
どのように努めても、どのような方法を用いても、避けられないのです。
人は、それを宿命と呼びます。
あなたは、”あなた”として生まれたのです。
あなたは、”あなた”としての宿命に逆らうことは出来ないのです。
あなたは、”あなた”を生きなければなりません。
あなたは、”あなた”を避けることが出来ないのです。
すべての人が、自分を生きなければなりません。
あなたが、自分を生きるためには、自分を保つ必要があります。
あなたが自分を保つためには、自分と向き合わなければなりません。
しかしながら、多くの人が、自分と向き合うことが出来ていないのです。
多くの人は、他人のことばかりを気にしているのです。
他人からの評価や、他人からの評判(ひょうばん)を気にしているのです。
多くの人は、他人のことを気にする余り、他人の顔色を伺(うかが)って生きるようになるのです。
それでは、自分を生きることが出来ません。
あなたには、果たさなければならない仕事があるのです。
あなたは、それを完成させなければなりません。
他人のことを気にしているのであれば、自分の仕事を完成させることが出来ません。
他人の評価や評判を気にしても意味がないのです。
なぜなら、他人には、あなたの仕事の価値を理解することが出来ないからです。
理解することの出来ない人に理解を求めても無駄なのです。
それに、あなたの仕事は、完成しなければその価値を認めてはもらえません。
途中の仕事を評価されることはないのです。
あなたは、途中の仕事に評価を求めてはなりません。
他人にどう思われようが、あなたは自分の仕事を果たさなければならないのです。
あなたは、自分に出来ることをこつこつとやるしかないのです。
出来ることをしなければ、仕事は完成しません。
他人の評価や評判を気にしているのであれば、出来ることも出来ないのです。
あなたは、自分が出来ることをしなければなりません。
他人の評価や評判のために、自分が出来ることをせず、媚(こ)び諂(へつら)ってはならないのです。
あなたは、自分を生きなければなりません。
自分の仕事を懸命に行いましょう。
出来ることをしなければなりません。
出来ないことは出来ません。
出来ないことをやろうなどと考えてはなりません。
出来ないことは出来ないのです。
自分の仕事を懸命に行っていれば、出来ないことも出来るようになります。
その時には、出来なかったことは出来ることになっているのです。
あなたは、自分の仕事に努めましょう。

2020年5月26日火曜日

純粋に生きること

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由です。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
人には、それぞれに独特な目的が与えられています。
誰一人として、同じ目的のために生まれる人はいません。
人は、それぞれに異なる目的を果たさなければならないのです。
人は、それぞれの目的を果たすために、それぞれに分際が与えられています。
分際は、人それぞれに役割をもたらすのです。
この世界には、同じ役割を以て生まれることの出来る人はいません。
あなたには、あなただけの役割が与えられているのです。
大切なのは、分際を見極めることです。
なぜなら、分際に従って役割が存在し、役割に従って必要が存在するからです。
人生は、自分に必要なものを選べば良いのです。
他者がどう思おうとも、関係のないことなのです。
人は、それぞれの必要のために生まれるのです。
生まれも育ちも、それぞれに異なるのです。
あなたは、自らの必要のために生まれ、自らの必要のために育ったのです。
それは、目的を果たすためです。
あなたは、人生に対して、自分に必要なものを選ばなければなりません。
自分に必要なものを選ぶことによって、人生は豊かさを得るのです。
不要を選んでいるのであれば、人生に豊かさを実感することは出来ないでしょう。
大切なのは、必要を選択することですが、残念なことに、大抵の場合それを間違えているのです。
多くの人は、必要と思って不要を選択します。
不要を選ぶということは、毒を飲むようなものです。
それは、何かしらの問題を引き起こすのです。
それが、人生における苦しみとなるのです。
すべての人が人生に問題を引き起こします。
そして、すべての人が苦しみに会うのです。
残念ながら、苦しみを避けることの出来る人はいません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれなければならないからです。
人生の目的は、成長を実現することです。
すべての人は、成長を実現するために生まれるのです。
あなたが成長するためには、苦しみを得なければなりません。
苦しみを得なければ、自分にとって何が必要であるか?分からないのです。
苦しんで初めて、自分にとっての必要を理解することが出来るのです。
自分にとっての必要を理解するためには、純粋である必要があります。
汚れのない心でなければ、必要を見極めることが出来ないのです。
多くの人は、邪心(じゃしん)によって汚れ、歪んでいます。
未熟な心は、目の前の快楽や欲望を楽しむのです。
それは、苦しみをもたらすのです。
大切なのは、出来る限り純粋でいることです。
あなたは、純粋を手放さないように心掛ける必要があるのです。
純粋とは、真(まこと)のことです。
純粋な心によって、人は真の道を見極めることが出来るのです。
しかしながら、純粋な心を保つことは難しいのです。
この世は、あなたを汚すのです。
この世には、あなたを汚す仕組みが存在するのです。
”普通”に生きているのであれば、人は汚れてしまいます。
あなたは、”普通”に生きることに対して疑問を持たなければなりません。
自分が何のために生まれたのか?という問いを忘れてはならないのです。
人生の目的を探さない者には、自分にとっての必要を理解することが出来ません。
人生の目的を探さない者は、自分にとっての不要を受け入れてしまうのです。
必要は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれの目的のために生まれるのです。
あなたは、それを見極めなければなりません。
しかしながら、それは難しいことです。
焦らず、時間を掛けて、自分の人生を見極めましょう。
欲するものが必要とは限りません。
避けられないものが必要なのです。
人生は思い通りにはなりませんが、最善が導かれます。
すべてには意味があり、そこには意図(いと)が存在するのです。
あなたは、目の前の状況の意味と意図を読み解く必要があるのです。
都合によって人生を考えてはなりません。
苦しみでさえ、時に自分に必要であるということを理解しましょう。
純粋に生きることによって、真を得ましょう。

2020年5月25日月曜日

悪いものに仕える

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、必要な道を進まなければなりません。
見当違いの道に進んでも、目的を果たすことは出来ないのです。
必要を満たすことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすことは、あなたが人生に生まれた理由です。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
そのため、あなたは人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、すべての人が人生の目的を見失ってしまいます。
すべての人が、自分が何を果たすべきかを知らずに生きているのです。
それは、仕方のないことです。
あなたは、人生の目的を見失うように操作(そうさ)されているのです。
あなたは、人生における様々な経験を通じて、人生の目的を思い出す必要があるのです。
人が人生の目的を見失うのは、様々な経験を通じて、それを思い出す必要があるからです。
そして、それを果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、必要を満たさなければなりません。
必要を満たすためには、必要に従(したが)わなければならないのです。
必要に従うことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
自分勝手に生きている状態では、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、必要に従いません。
多くの人は、自分勝手に生きているのです。
自分勝手に生きるとは、自分で判断を下しているということです。
何かに対して、自分で判断を下すことが出来るというのは、とても力強く頼もしいものです。
しかしながら、肝心の判断を下す自分自信が未熟であり、無知であるということを理解しなければならないのです。
残念ながら、あなたは何も知りません。
自分が何か?、人生が何か?という根源的な問いにすら答えることが出来ないのです。
根源的な問いに答えることが出来なければ、何にも答えることは出来ないのです。
何も知らない者には、正しい答えが分かりません。
あなたには、人生において正しい道が分からないのです。
人生においては、様々な問題が存在します。
あなたは、様々な問題を抱えて苦しんでいるのです。
人生は、決して思い通りにはなりません。
なぜなら、人生はあなたに必要と最善を導き続けているからです。
人生は、あなたを正しい道に向かわせます。
人生は、善良な親のように、あなたをあなたにとっての正しい道へと追い遣(や)るのです。
あなたは、自分の人生の目的に沿(そ)った道へと導かれます。
あなたは、自分の人生の目的に従って生きなければならないのです。
それは、何も知らないあなたにとっては、思い通りの展開ではありません。
善良な親は、未熟な子が自分にとって相応しくない選択を下していることに気が付きます。
そして、その判断を否定し、相応しい状況を与えるのです。
あなたは、現状に対して不平不満があるかも知れません。
人生は、思い通りにはならないのです。
多くの人は、良いものだけを欲していますが、そのように都合の良い人生を生きることは出来ないのです。
すべての人は、悪いものも受け取らなければならないのです。
人は、人生において、自分にとって都合の悪い状況に仕(つか)えなければならないのです。
人生においては、悪いものに仕えなければならないのです。
未熟な子は、善良な親の導きを嫌います。
それは、未熟な子には理解することが出来ないからです。
悪いものに仕えさせるのは、あなたに嫌がらせをしている訳ではありません。
結果的に、あなたは苦しまなければなりませんが、それは、あなたの抱える傲慢(ごうまん)さを取り除くためなのです。
どのような人物の心にも、傲慢が根差しています。
多くの人は、問題を引き起こす”親知らず”に気が付かないように、自らの抱える傲慢に気が付きません。
それは、”親知らず”が歯茎に埋没(まいぼつ)しているからです。
”親知らず”は、後に虫歯を引き起こすのです。
それは、あなたにとっての大きな問題となるのです。
歯医者は、”親知らず”が後に問題を引き起こすことを知っています。
そのため、それを取り除くことを勧(すす)めるのです。
虫歯は、自覚症状が無いまま進行します。
あなたが虫歯に気が付く時には、歯は虫歯によって食い荒らされてしまっているのです。
傲慢は、あなたの心の虫歯のようなものです。
それは、気付かぬ内に心を蝕(むしば)みます。
あなたがそれに気が付く時には、心はぼろぼろになり、使い物にならなくなってしまっているのです。
使い物にならない心では、人生の目的を果たすことが出来ません。
人生の目的を果たすことが出来ない人は、惨(みじ)めな余生を送らなければならないのです。
歯の抜け落ちた人は、満足に食事をすることは出来ないのです。
それは、空しいことなのです。
人生は、あなたを正しい道へと導きます。
そのために、悪いものに仕えさせます。
あなたは、悪いものに仕えなければなりません。
そこでは、必ず失敗します。
あなたは、必ず苦しむのです。
人生において、失敗は仕方のないものです。
すべての人は、卑下(ひげ)に陥(おちい)るのです。
それは、苦しいことですが、まともなことです。
自分が正しいと思い込むことの方が歪(ゆが)んでいるのです。

2020年5月24日日曜日

偏った個性

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的は、人それぞれに異なるものです。
あなたは、自分の人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは重要なことです。
なぜなら、あなたはそのために生まれたからです。
あなたは、人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、人生を限定的にしなければなりません。
人生の目的地は一箇所なのです。
あなたは、複数の目的地に向かって歩みを進めることは出来ないのです。
あなたは、様々な誘惑(ゆうわく)や好奇心を断ち切り、一つの目的地に向けて歩まなければならないのです。
あなたは、自分以外の何者にも成れません。
あなたは、自分に成るために生まれたのです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
そして、自分に成るべきなのです。
残念ながら、あなたは完全には成れません。
あなたは、偏(かたよ)った自分に成るのです。
それが、人生です。
あなたには、長所があり、短所があるのです。
それが自然です。
得意があれば、不得意があるものなのです。
完璧、完全な人間など存在しないのです。
そのような人間は、存在することが出来ないのです。
あなたは偏り、不完全です。
それが自然なのです。
あなたは短くても長くても良いのです。
偏っていることを気にする必要はありません。
偏っているからこそ、違いが生まれるのです。
偏っているからこそ、面白いのです。
偏っていなければ、同じ発想しか出来ません。
発想が同じということは、同じ結果しか導くことが出来ないということなのです。
世の中に同じものが溢れることを面白いと思いますか?
偏りを否定するということは、世の中に同じものを溢れさせるということなのです。
残念ながら、違いがなければ面白くはないのです。
あなたは、他者と違わなければならないのです。
他者と異なり、独特な自分に成る必要があるのです。
あなたは、自分を生きなければなりません。
自分を生きることを気にしてはなりません。
多くの人は、不安から仲間を必要としています。
それは、同調(どうちょう)を強(し)いるのです。
個性を実現するためには、同調を否定しなければなりません。
あなたは、他者との違いを気にする必要はないのです。
他者とは、違っていて良いのです。
他者とは、違っている方が良いのです。
あなたは、人生を重たく考える必要はありません。
人生においては、必要を経験しなければなりません。
必要は避けて通ることは出来ないのです。
他者との違いは、避けて通ることの出来ない必要です。
必要を否定することは出来ません。
すべてが必要なのです。
頑張ることも良いですが、それも長くは続きません。
頑張り続けることは出来ないのです。
ぼちぼち頑張れば良いのです。
力は、持続することが出来ません。
力は、一瞬のものなのです。
一瞬だからこそ、力を発揮することが出来るのです。
力(りき)むと続きません。
人生は、違いを気にする必要はありません。
他者と比較(ひかく)しても、自分に価値を見出だすことは出来ないでしょう。
なぜなら、他者と比較すれば、劣等感か優越感のどちらかを得ることになるからです。
あなたは、他者との勝ち負けを競うために生まれた訳ではありません。
あなたは、偏った個性として生まれたのです。
人生は、限定的であるということを理解しましょう。
あなたは、一箇所の目的地を目指すのです。
それぞれが別々の道を歩みましょう。

2020年5月23日土曜日

何もしない時

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生きているということを理解しなければなりません。
人生の目的を果たすことは何よりも重要なことです。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはありません。
しかしながら、人生の目的を理解している人はいません。
誰もが、人生の目的を見失った状態を生きているのです。
誰にとっても、人生の目的を理解することは難しいのです。
すべての人は、人生の目的を見失った状態を生きなければならないのです。
すべての人は、盲目的(もうもくてき)に生きなければならないのです。
人生の目的を理解している人はいません。
すべての人の生き方は変わるのです。
生き方が変わるということは、生きる目的が変わったということなのです。
人は、生き方を変えます。
それは、人生の目的を探しているからです。
もしも、人生の目的を理解しているのであれば、生き方を変える必要はないのです。
しかしながら、人は生き方を変えるのです。
より良い生き方を知れば、それを取り入れるのです。
人生の目的を果たすために必要な生き方こそが、良い生き方なのです。
あなたは、人生における様々な経験を通じて、人生の目的を果たすために必要な生き方を得るのです。
人は、人生を生きる程に、本質へと近付くことが出来ます。
どのような経験も、あなたを本質へと近付けるのです。
人は、生きる程に本質へと近付きます。
そして、より良い生き方を得るのです。
あなたがどのように思おうとも、現在の生き方が、あなたにとっての最も本質的な生き方です。
昔が良かったと懐(なつ)かしんでも、それは現在に勝ることはありません。
それがどのような経験であったとしても、それを経ている状態の方が本質的であり、良いに決まっているのです。
残念ながら、あなたには、人生の目的が分かりません。
そのため、人生が宿命という形で必要を導き、あなたが人生の目的を果たすことが出来るように手助けするのです。
あなたは、宿命によって導かれるのです。
どのような人物も、宿命に逆らうことは出来ません。
どのように努めても、宿命に逆らうことは出来ないのです。
人生には、努力ではどうすることも出来ないことがあります。
どのように努めても、変わらないこと、避けられないことがあるのです。
あなたは、宿命が導く必要を経験しなければなりません。
残念ながら、必要はあなたの都合を考慮(こうりょ)しません。
それは、あなたの都合が必要に満たないからです。
多くの人は、人生に対して何かを築き、遺(のこ)すことを考えています。
多くの人は、忙しく働き、生きた証(あかし)を遺そうと努めているのです。
それは、それが人生の目的であると考えているからです。
多くの人は、何か良いことを成そうと努めるのです。
人生に良いものを築き、良いものを遺すことは良いことです。
しかしながら、そのように考えない人もいます。
やりたいことが無い人もいるのです。
この世界には、様々な考え方、生き方の人がいます。
人生における正解は、人生の目的によって異なります。
それは、生き方が人によって異なるということなのです。
人には、それぞれの生き方が存在します。
あなたには、あなただけの生き方が存在するのです。
あなたはそれを知らなければなりません。
自分の生き方を知らなければ、誰かと同じように生きることが正解だと誤解してしまいます。
あなたの生き方は、他の誰とも同じものではありません。
やりたいことは、人それぞれに異なるのです。
”誰か”は、あなたを急かします。
やりたいことがなければ、無理に何かをする必要はありません。
何もしないことも、大切な時間の経験となるのです。
人生を無駄に生きることの出来る人はいません。
どのような時を生きていようとも、それは決して無駄にはならないのです。
何もしないという時を選べば、何もしないことによって得られる経験を得ます。
あなたは、人生において無駄を得ないようになっているのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人生の目的は、本質を得ることなのです。
あなたは、様々な経験を通じて本質へと至(いた)らなければなりません。
忙しく動き回っても、本質へと至ることが出来るとは限りません。
急ぐことは視野を狭(せば)めてしまうのです。
何もしないことは悪ではありません。
休むことによって、視野を広げることが出来るのです。
あなたは、時々立ち止まりましょう。
何もしない時を過ごすことも重要なのです。

2020年5月22日金曜日

必要を優先する

すべての人は、未熟に生まれます。
そのため、すべての人は、未熟を生きなければなりません。
すべての人は知りません。
すべての人は、人生が何か分からないのです。
すべての人は、自分が何をしているか分かりません。
それは、自分が何か?分からないからです。
自分が何か?分からなければ、何をしているか?分からないのです。
あなたは、自分が何か?分かりますか?
残念ながら、あなたは自分が何か分からないのです。
そして、人生が何か?分かりますか?
残念ながら、自分が何か分からない者には、人生が何か?ということは分からないのです。
あなたは知りません。
しかしながら、自分が知らないということを知らずにいるのです。
多くの人は、何かを知った気でいます。
多くの人は、自分がしていることを理解していると思い込んでいるのです。
残念ながら、自分が何をしているか?を知っている人はいません。
どのような人物も、自分が何をしているか?分からないのです。
あなたは、自分が知らないということを理解しなければなりません。
あなたは、知らないのです。
そのことを理解しましょう。
残念ながら、人生はあなたに都合の良いようには出来ていません。
人生における必要は、あなたの都合に関係ないのです。
あなたは、自分が何であるか?人生が何であるか?を知りません。
そのため、必要がどのような形で導かれるかも分からないのです。
必要が分からないのに、自分の都合を優先することは間違っています。
あなたが優先すべきは必要なのです。
都合を優先しても、必要を満たすことは出来ないのです。
すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、必要を満たさなければなりません。
必要を満たすことによって、目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、必要を優先しなければなりません。
必要とは、人生の目的を果たすための必要です。
それは、常に人生に導かれているのです。
多くの人は、人生に導かれている必要を自分の都合によって歪めているのです。
必要を歪めてしまえば、必要は実現しません。
必要を得なければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
すべての人は理想を掲(かか)げます。
理想を実現するためには、都合の良い状況を得なければなりません。
自分に都合の良いように組み上げることによって、理想が実現すると考えるのです。
多くの人は、理想が実現することは良いことだと考えています。
しかしながら、理想が実現することは、必ずしも良いことだとは言えないのです。
なぜなら、あなたは何も知らないからです。
自分のことも、人生のことも知らないのです。
何も知らない者の理想が最善と考えるのは浅はかなのです。
無知な者の理想は歪んでいます。
あなたの理想や都合は、人生の最善とは関係のないことなのです。
あなたは、自分の都合を実現することに執着(しゅうちゃく)してはなりません。
あなたは知りません。
それは、あなたが間違っているということを意味しているのです。
予定は必ず狂います。
人生は、思い通りにはいかないものです。
予定(理想や都合)に執着しても、人生を完成させることは出来ないのです。
人生を完成させるためには、最善に従いましょう。
予定が狂ったとしても、当初の予定を取り戻そうとしてはなりません。
予定が狂うのであれば、狂った状態が最善なのです。
あなたは、そこから道を探さなければならないのです。
思い通りにはならない人生を受け入れましょう。
あなたは、思い通りにならない人生を楽しまなければならないのです。
人生は、思い通りにならない方が良いのです。
何も知らない者が先導すれば、道を外れてしまうでしょう。
先導は、人生に任せておきましょう。
あなたは、人生の導く最善に対して、誠実に、懸命に生きれば良いのです。
それ以外に、あなたに出来ることはないのです。
自分の都合を押し通そうとするのは間違いです。
それでは、人生は余計に歪んでしまうからです。
あなたは、自分が知らないことを理解しましょう。
自分が知らないということを理解し、人生の導く最善に従いましょう。

2020年5月21日木曜日

水に沈んだ石、水に挿した枝

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければならないのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれました。
すべての人生には、目的を果たすという理由があるのです。
人生の目的を果たすことは、何よりも大切なことです。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはありません。
あなたは、どのような理由があろうとも、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を果たすという目的意識を保つ必要があります。
人生の目的を果たすという目的意識を失ってしまえば、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、人生に果たすべき目的が存在することを知りません。
人生の目的は、人生を始める前に決められたものであり、生まれる前から果たすと決めてあったものなのです。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を知りません。
生まれる前から決められている人生の目的が存在することを知らずに生きているのです。
人生の目的が既(すで)に存在していることを知らない者は、人生の目的を果たすという目的意識を持ちません。
人生の目的を知らない者は、目の前の快楽や欲望や責任や苦悩を追い求め、それを貪(むさぼ)るように生きるのです。
人生の目的が存在することを知らなければ、目の前の快楽や欲望や責任や苦悩を生きなければなりません。
それは、一見すると楽しそうな生き方に思えますが、長く続けることは出来ません。
なぜなら、そのような生き方によって得られるのは空しさだけだからです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は空しいのです。
人生の目的を果たすことによってのみ、人生には豊かさが実現するのです。
あなたは、人生の目的を思い出さなければなりません。
あなたは、人生の目的を以て生まれたのです。
因果の仕組みの支配するこの世界においては、人生という結果を実現するためには、人生の目的という原因が必要なのです。
人生の目的は、あなたの内に存在します。
忘れているだけで、あなたの内に人生の目的が存在しているのです。
あなたは、自分の内に対して意識を向けなければなりません。
自分を知ることが、人生の目的を理解する手掛かりとなるのです。
人生の目的を思い出すまで、あなたは自分の内に向かわなければなりません。
目の前の快楽や欲望や責任や苦悩を追い求める生き方は、意識が外に向いた生き方です。
誰かや何かに人生の目的を教わることは出来ません。
あなたは、自分の内に人生の目的を教わりましょう。
人生の目的は、自分の内でも深い所に存在します。
それは、人生において最も重要なものだからです。
人生の目的は、水に沈んだ石のようなものなのです。
それを手に入れるためには、水に潜らなければならないのです。
それは、とても深い場所に存在するため、何度も何度も潜らなければならないのです。
繰り返し潜らなければ、その石を手にすることは出来ないのです。
人生の目的を知ることは容易(ようい)ではありません。
人生の目的を知るためには、忍耐(にんたい)が必要です。
あなたは、人生の目的を知るために、自分と向き合うことに耐(た)えなければならないのです。
辛抱強(しんぼうづよ)くなければなりません。
簡単に諦(あきら)めるような者には、人生の目的を見出だすことは出来ないのです。
枝を水に漬けておけば、根が無くても花は咲きます。
しかしながら、次の年には咲きません。
それは、根が無いからです。
根が無ければ、枝は力を失って枯れてしまうのです。
大切なのは、根を伸ばし、来年も花を咲かせることです。
花は、熱意を現しています。
すべての人は、人生の目的を探します。
すべての人は、人生の意味を探すのです。
しかしながら、それは簡単には見付かりません。
そのため、多くの人は人生の目的と意味を探すことを諦めてしまうのです。
多くの人は、水に挿した枝のようなものなのです。
始めは、意気揚々(いきようよう)と探しますが、それが簡単に見付からないと知ると、簡単に諦めてしまうのです。
多くの人は、いつからか水に潜ることをやめてしまいます。
そして、簡単に手に入れることが出来るもので自分を慰(なぐさ)めるようになるのです。
それが、目の前の快楽や欲望や責任や苦悩なのです。
それ等を貪(むさぼ)ることで忙(いそが)しく、やがては人生の目的や意味を探すことを忘れてしまうのです。
そして、空しい人生を生きることになるのです。
目の前の快楽や欲望や責任や苦悩を貪っても、決して満たされません。
その時は良いかも知れません。
しかしながら、満たされることはないのです。
水に潜ること、自分の内に向かうことは容易なことではありません。
それはとても苦しいことなのです。
しかしながら、その苦しみには意義(いぎ)があるのです。
あなたは、外のことで苦しんではなりません。
内のことで苦しむのです。
人生の目的を探しましょう。
それよりも重要なことはありません。
何のために生まれ、何のために生きているのでしょうか?
答えは簡単には得られません。
あなたはその答えを、生涯を通じて探す必要があるのです。
熱意を失ってはなりません。

2020年5月20日水曜日

魂を満たす生き方

すべての人は、自分を知りません。
すべての人が、自分が何か?分からないのです。
自分を知るのはとても大切なことです。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、自分を知る必要があるからです。
すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれるのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことがなければ、満たされることはないからです。
すべての人は、心に空しさを抱えています。
心が満たされている人はいないのです。
すべての人が心に空しさを抱えていますが、それを何かでごまかしているのです。
偽りの幸福によって取り繕(つくろ)っているのです。
偽りの幸福が剥(は)がれると、そこから空しさが漏(も)れ出します。
空しさが漏れ出すと、心には空しさが広がります。
空しさはやがて心を覆(おお)い尽(つ)くしてしまうのです。
心が空しさで覆い尽くされると、気力を失ってしまいます。
それは、心を暗くしてしまうのです。
誰にとっても、空しく生きることは苦しいのです。
そのため、どうにかして空しさを取り繕うのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や責任を貪(むさぼ)ることで、それを成し遂(と)げようとするのです。
しかしながら、目の前の快楽や欲望や責任を貪ったところで、空しさを取り繕うことは出来ません。
その時は成功したように思えても、後に空しさが漏れ出すのです。
偽りの幸福によって取り繕っても、空しさを解決することは出来ません。
大切なのは、真(まこと)の幸福を得ることです。
真の幸福とは、本質的な幸福のことです。
本質的な幸福を理解するためには、自分が何か?ということを知らなければなりません。
自分の本質が何か?分からなければ、本質的な幸福を理解することは出来ないのです。
”自分は何か?”
という問いが重要なのです。
あなたは、自分を探さなければなりません。
そして、自分を知らなければならないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在するのです。
人生という結果には、それに相応しい原因が存在します。
それは、人生の目的です。
人生は、目的が無ければ生じないのです。
あなたが人生を始めるためには、その原因が必要なのです。
原因は、結果よりも先に存在します。
原因が存在するからこそ、結果が生じるのです。
種を蒔(ま)けば芽が出るようなものなのです。
種が存在しなければ、芽は出ないのです。
人生の目的は、あなたが生まれる前に決めておく必要があるのです。
あなたは、生まれる前に人生の目的を決めたのです。
それは、あなたの本質が、肉体よりも以前の存在ということになるのです。
肉体は、人生を始めた後に生じたのです。
そのため、肉体はあなたの本質ではないのです。
あなたは、自分を肉体だと考えてはなりません。
肉を満たそうとしても、満たすことは出来ないのです。
肉は、しばらく満たされるだけで、また直ぐに不足するからです。
肉は直ぐに渇(かわ)くでしょう。
それは、陽の注ぐ大地のように渇いてしまうのです。
雨を待っても、また直ぐに渇いてしまいます。
その繰り返しの中に人生は終わってしまうのです。
あなたは、偽りの幸福を得るために生まれたのではありません。
不足を貪るために生まれたのではないのです。
空しく生きてはなりません。
あなたは、霊を以て生まれました。
あなたは霊を満たさなければならないのです。
霊を満たすためには、霊を満たすための生き方を行うしかないのです。
霊は、この世の快楽や欲望や責任を欲しません。
この世の快楽や欲望を責任を与えても、霊は喜びはしないのです。
霊は、霊のために生きなければ満たされないのです。
あなたは、霊が満たされる生き方をしなければなりません。
この世の快楽や欲望や責任を貪ることは、肉や自尊心を満たそうとする生き方です。
そのような生き方によって、霊を満たすことは出来ないのです。
あなたには、果たすべき人生の目的が存在します。
あなたは、人生の目的に沿(そ)った生き方をしなければならないのです。
これは、あなたの人生です。
他者と比べることには価値がありません。
自尊心は、他者と比べようとして疼(うず)きます。
他者と比べても惨(みじ)めな気持ちになるだけなのです。
人は、それぞれに異なる目的と役割を生きているのです。
必要は、人それぞれに異なるのです。
肉や自尊心が煽(あお)るのは勝ち負けです。
あなたは、勝ち負けによって満たされることはありません。
霊は、勝ち負けなど求めてはいないのです。
他者がどのように考えようと、あなたには関係のないことなのです。
霊のために生きる必要があるのです。
あなたは、霊を満たしましょう。
自分とは何か?ということを問い続けましょう。

2020年5月19日火曜日

理の働き

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人は、それぞれの目的を果たす必要があるのです。
誰一人として、人生に無駄に生まれることは出来ません。
すべての人が人生の目的という理由を以て生まれるのです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由です。
あなたは、人生の目的を果たす必要があるのです。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を知らなければなりません。
人生の目的を知らずに、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
残念ながら、あなたは人生の目的を知りません。
あなたには、何が人生の目的であるか分からないのです。
大切なのは、人生の目的を探すことです。
あなたは、人生の目的を探しましょう。
人生の目的は、他者に聞いても教えてはくれません。
自分自身の人生の目的も分からないのです。
そのような状態では、他者の人生の目的が分かるはずがありません。
人は、誰もが人生の目的を探す必要があるのです。
あなたが人生の目的を見付け出すためには、理(ことわり)の中に探さなければなりません。
すべての人の人生の目的が、理の中に存在しているのです。
理とは、この世の法則のことです。
理とは、正しい働きのことなのです。
すべてが、理に従って実現しています。
この世に存在する一切(いっさい)は、理の範囲内のことなのです。
この世に存在する一切は、理であるということを理解しましょう。
理とは、正しい働きです。
それは、正しい道なのです。
しかしながら、あなたにとって、理が都合の良いものであるとは限りません。
あなたの目の前には、都合の悪いことが多く導かれるからです。
あなたにとって都合の良いことは多くありません。
大抵のことが、あなたの都合を無視するのです。
多くの人は、自分に都合の良い状況を欲しています。
耳障りの良い話に耳を傾け、耳障りの悪い話には耳を塞ぐのです。
自分にとって都合の良いことは受け入れますが、都合の悪いことは否定するのです。
それが、幸福であると思い込んでいるのです。
あなたにとっての真(まこと)の幸福とは、人生の目的を果たすことです。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはありません。
人生の目的を果たすこと以上に幸福なことはないのです。
人生には、都合の良いこともありますが、都合の悪いことの方が多いのです。
この世に存在する一切は、理の範囲内です。
それは、すべてが理であるということなのです。
都合の良いことも悪いことも、それが理であるということを理解しなければなりません。
理は決して間違えません。
間違っているのはあなたなのです。
自分が何か?人生が何か?ということさえ知らないのです。
何も知らないあなたが正しいはずがないのです。
正しいのは理です。
そして、間違っているのはあなたなのです。
都合の良いことばかりを追い求めていると、道を見失ってしまうでしょう。
理は、あなたの進むべき道を照らしているのです。
人生の目的を果たすための道程(みちのり)は、決してなだらかなものではありません。
人生の目的を果たすための道程は、何よりも険(けわ)しい道程なのです。
理は、その道程を照らしているだけなのです。
現実には、問題が山積みです。
人生は、都合の悪いのが自然なのです。
しかしながら、多くの人は、都合の悪いことを嫌い、事実を歪(ゆが)めてしまうのです。
事実を歪めることは、足元を見ずに歩みを進めるようなものです。
それがどれ程無謀(むぼう)なことか分かるでしょう。
自分に都合の良いように生きる者は、必ず道を見失います。
それでは、道を慎重に進む歩みの遅い人よりも、却(かえ)って遅くなってしまうのです。
多くの人は、近道を選びます。
しかしながら、それは結果的に遠回りになってしまうのです。
都合の悪いことを否定してはなりません。
都合の悪いことも理なのです。
あなたは、都合に関係なく、目の前の状況を大切にしなければならないのです。
目の前の状況がどのようなものであったとしても、あなたの果たすべき人生の目的を教えているのです。
あなたは、目の前の状況の中に、人生の目的の手掛かりを探さなければならないのです。
都合の良いものが最善だとは限りません。
都合の悪いことが最善の場合もあるのです。
都合で判断してはなりません。
理の働きを認め、それを大切に扱いましょう。
感謝の気持ちを忘れることなく生きましょう。

2020年5月18日月曜日

丁寧な仕事

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に目的を以て生まれなければならないのです。
目的もなく生まれることの出来る人はいません。
どのような人物であろうとも、人生を始めるためには、目的が必要なのです。
目的がなければ、人生を始める意味がないのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
誰一人として、人生の目的を無視して生きることの出来る人はいないのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人は、それぞれに異なる目的を果たさなければならないのです。
誰に聞いても、あなたの人生の目的を教えてはくれません。
誰も、あなたの人生の目的を知らないのです。
多くの人は、自分自身の人生の目的さえ分かりません。
自分自身の人生の目的も分からないのに、他者の人生の目的が分かるはずがないのです。
あなたは、人生の目的を探さなければなりません。
あなたは人生の目的を日常の中に探し求めなければならないのです。
特別な体験が人生の目的を教える訳ではありません。
そのため、特別な体験を探し回り、日常から目を背(そむ)けてはなりません。
大切なのは、何気(なにげ)ない日常なのです。
それは、あなたにとっては刺激の少ない退屈(たいくつ)なものであるかも知れません。
しかしながら、それが刺激の少ない退屈なものであったとしても、人生の目的は近くから探さなければならないのです。
遠くにある目的地には、一歩一歩を積み重ねなければ辿り着くことは出来ないのです。
あなたには、必要が与えられているのです。
特別なものを探し回る必要はないのです。
あなたは、現状の中に必要を探しましょう。
現状の中の必要に気が付くことが出来れば、次の必要を探すことが出来るのです。
必要が遠くにあると思い込んで、遠くに探しに出てはなりません。
あなたは、近くの必要を探しましょう。
目的地は遠くに存在しますが、足場を確認しなければ、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
一つ一つの積み重ねが大切なのです。
人生の目的を果たすということは、小さな船で目的地に辿り着くために大海を渡るようなものです。
あなたは、小さな船で目的地へと辿り着かなければならないのです。
それは、とても危険なことであり、難しいことなのです。
しかしながら、あなたはそれに挑戦し、成し遂げなければなりません。
小さな船で大海を渡り、目的地へと辿り着くためには、船の仕上がりが求められます。
粗末(そまつ)な作りの船では、容易(ようい)に沈没してしまうでしょう。
丁寧な船作りをしなければ、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
あなたは、船を丁寧に作りましょう。
大海を渡る船とは、あなた自身です。
あなたは、丁寧に自分を作らなければならないのです。
丁寧な日常を送らなければなりません。
あなたは、思考や価値観や行為を丁寧に作らなければならないのです。
あなたは、自分の選択が”良い仕事”かどうか?を考えましょう。
”良い仕事”とは、愛情の籠(こも)った仕事のことです。
良い船を作るためには、愛情を必要とするのです。
船に対する愛情が、あなたに丁寧な仕事をさせるのです。
愛情が薄(うす)ければ、その仕事は粗末なものとなってしまうのです。
仕事の質は、愛情の量で決まるのです。
あなたは、自分自身に対して愛情を傾けなければなりません。
そして、人生に対して愛情を傾けなければなりません。
あなたは、自分自身で作った船で大海を渡らなければならないのです。
愛情を注いで丁寧に作っていなければ、隙間(すきま)から海水が浸入し、やがて船は沈んでしまうでしょう。
あなたは、目の前の快楽や欲望や苦悩に溺(おぼ)れてはなりません。
自分自身や人生に愛情を注ぐ人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に溺れることはないのです。
そのような人は、人生の意味を考えるでしょう。
そして、自分の存在理由を考えるのです。
あなたは、何のために生まれたのですか?
あなたは、どのような状況下であろうとも、そのことを考えなければなりません。
人生の選択は適当でも構いません。
なぜなら、何が正解かあなたには分からないからです。
しかしながら、一歩一歩は丁寧に踏み締めなければならないのです。
いい加減に足を出せば、折れた枝を踏み抜いてしまうことや、毒蛇を踏んでしまうこともあるのです。
あなたは、現状において、丁寧に生きましょう。
どのような現状であろうとも、その現状に愛情を注ぎましょう。
都合の悪い状況においても、感謝を忘れてはならないのです。
あなたは、自分で作った自分自身で人生を生きます。
日常における一つ一つの選択によって、あなたは自分自身を作るのです。
出来るだけ丁寧に作りましょう。
そして、人生の目的を果たしましょう。

2020年5月17日日曜日

問題の助け

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
それは、人生に目的を以(もっ)て生まれるためです。
人が、人生に目的を以て生まれるためには、未熟でなければなりません。
未熟でなければ、目的を以て生まれることは出来ないのです。
あなたが成熟した存在であるのならば、人生に対して目的は必要ではないのです。
未熟であるからこそ、目的が必要とされるのです。
人生において目的を得るためには、未熟に生まれなければならないということを理解しましょう。
未熟な状態でなければ、生まれることが出来ないのです。
すべての人が無知であり、すべての人が歪(ゆが)んでいるのです。
あなたは、すべての人が不自然であるということを理解しなければなりません。
人生は、不自然を自然へと昇華(しょうか)していく必要があるのです。
そのためには、歪みを正し、無知を克服(こくふく)しなければならないのです。
人生の基本的な目的は、成長することであるといえるのです。
もちろん、成長する方法は、人によって異なります。
成長する方法は、人それぞれなのです。
そのため、人生の目的は人それぞれに異なっているのが普通です。
しかし、その本質が成長にあるということを理解すれば、人生の目的が難しくないということを理解することが出来るでしょう。
成長を目指せば、人生の目的から大きく外れることはないのです。
怠惰(たいだ)や傲慢(ごうまん)によって堕落(だらく)することは、人生の目的ではないのです。
より本質的に成ることが求められているのです。
成長とは、本質に近付くということです。
より純粋な状態に近付くことが成長するということなのです。
大きく膨(ふく)れ上がることが成長ではないのです。
寧(むし)ろ、小さく無駄を削ぎ落とすことが成長であるのです。
多くの人は、成長を大きく膨れ上がることだと考えています。
より多くのものを得て、より大きく成ることを良しとするのです。
残念ながら、それでは益々(ますます)人生の意味を理解することが出来ないのです。
より小さく、より単純にしなければ、人生の意味を理解することは出来ません。
大きく複雑に成れば、人生の意味を覆(おお)い隠してしまうのです。
単純にすることによって、意味を理解することが出来るのです。
あなたは、人生をより単純にしなければなりません。
そのためには、あなたは、思考をより単純にする必要があるのです。
複雑に考え、難しく思っているのであれば、人生の意味を見出(みい)だすことが出来ません。
多くの人が人生の目的を見失っているのは、複雑に考え、難しく思っているからなのです。
人生の目的を見失っている人は、自分が複雑に考え、難しく思っているということを理解しましょう。
強欲は、思考を複雑にします。
なぜなら、より多くを得るために画策(かくさく)しなければならないからです。
欲深い者は、自ずと複雑な思考に成るのです。
それは、すべてをより大きく、複雑にするのです。
残念ながら、多くの人が人生の目的を見誤っています。
無気力に本質を求めないことも同じなのです。
あなたは、余計を削ぎ落とさなければなりません。
余計を削ぎ落とすために、問題が与えられます。
問題は、物事を小さく単純にするため、物事を本質に近付けるために生じるのです。
あなたは問題によって苦しみます。
それは、問題の前では、既存(きそん)の価値観は無力だからです。
なぜなら、既存の価値観が問題を生み出したからです。
問題を解決するためには、異なる価値観が必要なのです。
問題は、現状を否定します。
それは、あなたにとっては苦しいことです。
そのため、問題を悪いものと考え、そこから逃れようとする人が多いのです。
しかしながら、あなたは問題を利用して、本質に近付かなければなりません。
そして、本質を得ましょう。
本質を得ることがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
問題とは、あなたの無知と歪みと不自然を改善するための助けです。
あなたは問題によって助けられ、導かれるのです。
あなたにとって優しいのは、厳(きび)しい人なのです。
あなたにとって厳しいのは、優しい人なのです。
甘やかされて育った子どもは、自発性や自力を失います。
それは、自発性や自力を育てる必要のない環境で育ったからです。
あなたが人生の目的を果たすためには、自発性と自力が必要です。
それ等を育てなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自発性と自力によって歩まなければならないのです。
自発性と自力がなければ、宿命に従(したが)うことも出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、自発的に、自力で人生の目的に従わなければならないのです。
怠惰や傲慢などの不自然をそのままにしておくことは、宿命に従うことではないのです。
宿命に従うに相応(ふさわ)しい自分に成る必要があるのです。
それは、小さく単純な自分なのです。

2020年5月16日土曜日

価値観の死

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
あなたには、果たすべき人生の目的が与えられています。
あなたは、果たすべき人生の目的が与えられているということを理解しなければなりません。
残念ながら、多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
多くの人は、人生に何をすれば良いか?を知らないのです。
あなたには、成すべきことがあるのです。
人生を無意味に生きてはなりません。
日々を空しく過ごしてはならないのです。
あなたは、人生の意味を探しましょう。
人生の目的を見極めるのです。
そして、それを果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、あなたは力不足であるからです。
残念ながら、あなたには人生の目的を果たす力はありません。
あなたは未熟に生まれ、不足しているのです。
そのため、人生の目的を果たすためには、成長を実現しなければならないのです。
成長を実現しなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、成長しなければなりません。
しかしながら、成長することも容易ではないのです。
なぜなら、成長を実現するためには、現状を否定しなければならないからです。
現状を手放さない限りは、成長を実現することは出来ないのです。
現状を手放すためには、相応の苦しみを得なければなりません。
現状を手放すことは、容易ではないのです。
なぜなら、現状を手放すためには、失敗を受け入れなければならないからです。
すべての人は、失敗します。
そして、失敗は問題を引き起こすのです。
問題は苦しみを生み出します。
誰もが苦しみを受けたくはありませんが、受けなければならないのです。
そして、苦しみによって自尊心は傷付けられ、自信を失わなければならないのです。
現状を手放すためには、この過程を受け入れなければならないのです。
それは、あなたの自我意識を弱らせるためです。
あなたは、非常に強い自我意識を抱えています。
自我意識とは、偏見(へんけん)と誤解によって築かれた塔(とう)のようなものです。
それは、柔軟性に欠け、頑(かたく)なに現状を維持しようと努めるのです。
どのような現状であろうとも、自我意識はそこにとどまろうとするのです。
なぜなら、自我意識は変化を嫌うからです。
どのような変化も、自我意識は嫌います。
なぜなら、自我意識自体の存続が危ぶまれるからです。
現状の維持を好むのは、現状の価値観を傷付けないためです。
自我意識は、変化を嫌うのです。
自我意識は、自らの存在価値を主張します。
自我意識は、現状の価値観が正しいと主張し、あなたを現状にとどめようとするのです。
自我意識の主張するように、現状が正しいのであれば、何の問題も生じないはずなのです。
しかしながら、あなたは失敗し、問題を抱え、苦しみ、自信を失います。
それは、自我意識の主張が間違っていることを現しているのです。
そして、それは、既存の価値観の死を意味しているのです。
既存(きそん)の価値観は死を得なければなりません。
既存の価値観が死を得れば、新たに未知の価値観が生じるのです。
それは、これまでよりも良いものであるのです。
あなたは、新たな価値観に従ってより良い人生を築きましょう。
進みたい道と進むべき道は異なるのです。
未熟な価値観には、進むべき道を見極める力は無いのです。
未熟な価値観には、人生の目的を見極める力が無いということを覚えておきましょう。
あなたは、価値観の死を得なければなりません。
それは、失敗、問題、苦しみ、自信の喪失(そうしつ)という過程を経なければなりません。
それは、辛い経験ですが、乗り越えなければならないのです。
価値観が新たに生まれ変わることによって、本質を見極める力を付けるのです。
未熟な価値観に従ってはなりません。
それは、傲慢(ごうまん)であるのです。
その傲慢を挫(くじ)くために、自信を喪失させる必要があるのです。
あなたが進むべき道を知るためには、謙虚(けんきょ)さを身に付けなければなりません。
人生を信用し、宿命に従うことが出来なければ、進むべき道に進むことは出来ないのです。
謙虚でなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
価値観の死を食い止めてはなりません。
既存の価値観に死を得させましょう。

2020年5月15日金曜日

険しい道と狭い門

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
あなたにも、果たさなければならない目的が存在します。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは重要です。
なぜなら、それが生まれた理由だからです。
人生の目的を果たすことがなければ、あなたが満たされることはありません。
すべての人は、豊かな人生を求めています。
人生に豊かさを実現するためには、人生の目的を果たす必要があるのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
しかしながら、人生の目的を果たすためには、条件を満たさなければなりません。
様々な条件を満たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
残念ながら、すべての人が未熟に生まれます。
そのため、人生の目的を果たすために必要な条件を理解することが出来ないのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
人生の目的は、人それぞれに異なるのが自然です。
人生の目的を果たすためには、それぞれの条件を満たさなければならないのです。
人生の目的を実現するためには、魂を磨く必要があります。
魂が磨かれていなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
多くの人は、魂を磨きません。
魂を磨かなくても、人生に豊かさが実現することが出来ると思い込んでいるのです。
残念ながら、魂が磨かれていなければ、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
努力は、魂を磨くことに使いましょう。
魂を磨くことが出来れば、人生の豊かさは自然に実現するのです。
人生の豊かさは、努力によって築き上げるものではありません。
奪い取るものでもないのです。
人生の豊かさは、美しい魂の産物なのです。
魂が美しければ、豊かさはあなたの意志に関係なく実現するのです。
あなたは、魂を磨かなければなりません。
どうすれば、魂を磨くことが出来るか?と考えなければなりません。
人生において重要なのは、魂を磨き、向上させることです。
それ以上に重要なことはありません。
しかしながら、魂を磨くことは容易(ようい)ではありません。
多くの人は、魂を汚してしまうのです。
それは、すべての人が誘惑(ゆうわく)と罪に取り囲まれているからです。
多くの人は、誘惑に溺(おぼ)れてしまいます。
それは、人が弱い存在だからです。
すべての人は、弱いのです。
誰一人として、強い人間などいません。
すべての人が罪人なのです。
あなたは、自分が弱い人間だと認めましょう。
あなたは誘惑に溺れ、罪を犯すのです。
誘惑は避けられません。
罪も避けられないのです。
それは、仕方のないことなのです。
しかしながら、いつまでも溺れている訳にはいきません。
なぜなら、あなたには果たさなければならない目的があり、辿り着かなければならない目的地があるからです。
誘惑を退け、罪を避けるためには、強い意志を保たなければなりません。
目的意識が、あなたを前進させるのです。
目的地に至(いた)る正しい道は険(けわ)しく、正しい門は狭(せま)いのです。
強靭(きょうじん)でありながらも、小さくなければ通ることが出来ないのです。
あなたは謙虚(けんきょ)でありましょう。
人生に対して、誘惑に対して、罪に対して謙虚であり続けるのです。
多くの人は、傲慢(ごうまん)です。
傲慢な者は、罪の誘惑に対して、簡単に捕まってしまうでしょう。
なぜなら、傲慢な者は貧弱(ひんじゃく)であり、大きいからです。
あなたは、誘惑と罪に捕らわれずに進まなければなりません。
あなたには、果たさなければならない目的が存在するのです。
あなたは、険しい道を進み、狭い門を通るために、自分を強く小さくしましょう。
矛盾(むじゅん)しているように聞こえるかも知れませんが、強く成れば、小さく成るのです。
強い程に謙虚に成るのです。
あなたは謙虚さによって魂を磨きましょう。
険しい道を進み、狭い門を通るために、美しい魂を生きましょう。

2020年5月14日木曜日

迷いの道

すべての人は、人生の目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれました。
すべての人は、人生の目的を果たすために生きているのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、人生には果たさなければならない目的が存在することを理解しましょう。
そして、人生の目的を果たすために生きるのです。
それ以上に崇高(すうこう)な生き方というものは存在しないのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、あなたには、何が人生の目的であるか?分からないからです。
人生の目的を果たすためには、その道を正しく歩まなければなりません。
その道を正しく歩まなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
しかしながら、多くの人は、その道を誤(あやま)ります。
多くの人は、何が正しく、何が誤りであるか?を知らないのです。
残念ながら、あなたには善悪は分かりません。
何が正しく、何が誤りであるか?、あなたには分からないのです。
しかし、あなたはその道を正しく歩まなければなりません。
人生の目的を果たすことは、それ程難しいのです。
あなたは、人生の目的に対して、何が正しく、何が誤っているか?分かりますか?
残念ながら、あなたには分からないでしょう。
それは仕方のないことです。
なぜなら、すべての人は未熟に生まれるからです。
残念ながら、あなたは未熟に生まれます。
あなたは、自分が何か?を知らずに生まれなければならないのです。
あなたは、その道の上に居ますが、自分がどこに居るか分からないのです。
そして、どこへ向かえば良いか?も分からないのです。
そのため、すべての人は、人生において迷います。
すべての人は、道に迷っているのです。
目の前の小さな選択にさえ迷っています。
何が正しく、何が誤っているか?分からないからです。
そのために、あなたは迷わなければならないのです。
人生において、迷うことは当然です。
あなたは、迷わなければなりません。
迷いを手放すことは出来ないのです。
あなたは、生涯(しょうがい)を通じて迷い続けます。
人生においては、確信は得られないのです。
そのため、あなたは迷いの生存を続けなければなりません。
あなたは、迷いながら歩んで行きましょう。
あなたには、善悪は分からないのです。
善悪は、時によって変わります。
同じことであっても、時によって善となり、時によって悪となるのです。
一貫(いっかん)して善であることや、一貫して悪であることはありません。
善悪は、時によって変わるということを理解しましょう。
そのため、あなたは良いものだけを選ぶことは出来ません。
あなたは迷いの選択によって、時に悪いものを選ばなければならないのです。
それは、仕方のないことです。
あなたは、善も悪も選ばなければならないのです。
それは、道を知るためです。
答えを得るためには、比較(ひかく)しなければなりません。
善と悪という異なる性質を経験しなければ、道を見極めることは出来ないのです。
善だけでも、悪だけでも道を見極めることは出来ません。
両方を経験しなければ、道を見極めることは出来ないのです。
あなたは、善と悪を経験しましょう。
そして、どちらにしても後悔(こうかい)する必要があるのです。
善を経験することが良いように思えますが、それでは偏(かたよ)ってしまうのです。
偏りは、正しい道ではないのです。
傾(かたむ)いた道を歩めば、足を傷付けてしまうのです。
あなたは、善と悪の両方を経験しなければなりません。
どのような選択をしても、あなたは善と悪の両方を経験することが出来るでしょう。
人生には都合の良い時もあれば、都合の悪い時もあるのです。
善と悪は、交互(こうご)に導かれるのです。
あなたは、人生における様々な経験を通じて苦しみます。
苦しみを避けることの出来る人はいません。
どのように努めても、必ず苦しむのです。
しかしながら、苦しみを嫌ってはなりません。
なぜなら、苦しみこそが、あなたの病を癒(いや)し、道を示(しめ)すからです。
苦しみは、あなたに人生の目的を果たさせるための必要です。
人生における苦しみに対して、真剣に向き合ってはなりません。
苦しみの本質を見極めなければなりません。
誰にも、善悪は分かりません。
すべての人は、苦しまなければならないのです。
それは、人生の目的を果たすためです。
今のあなたがどのような道を歩んでいようとも、希望を失ってはなりません。
苦しみは避けられませんが、避ける必要はないのです。
すべては、人生の目的を果たすための必要です。
”雨降って地固まる”という言葉を覚えておきましょう。