この世界には、必要が存在します。
この世界には、必要だけが存在するのです。
何一つとして、不要は存在しません。
不要に思えることはあるでしょうが、不要ではないのです。
すべては、何かしらの形であなたの必要として存在するのです。
不要に思えることを安易(あんい)に否定してはなりません。
どのようなことにも価値が存在するということを理解しましょう。
残念ながら、その価値に気が付いていないだけなのです。
人生がどのような状況を導こうとも、それがあなたにとっての最善です。
残念ながら、人生は思い通りにはなりません。
何一つとして、あなたの思い通りには出来ないのです。
人生は、あなたの都合を考えません。
なぜなら、あなたの都合は、あなたにとっての最善ではないからです。
残念ながら、あなたは自分にとっての最善を知りません。
自分が何か?、人生が何か?ということを知らずに、どうやって自分にとっての最善を知ろうというのでしょう?
自分が何か?、人生が何か?ということは、根源的な問いです。
それ等の問いに答えることが出来なければ、どのような答えも本質的ではありません。
あなたが最善だと考える都合は、残念ながら、あなたにとっての最善ではないのです。
もしも、あなたの都合があなたにとっての最善であるのならば、あなたが後悔することなどないのです。
しかしながら、実際には、あなたは後悔を避けられません。
あなたは、何を選んでも後悔するのです。
それは、自分の都合が最善ではないということを現しているのです。
最善を生きれば、後悔を得ることはありません。
あなたが後悔を得ているということは、最善を生きることが出来ていないということなのです。
残念ながら、あなたには最善は分かりません。
それは、あなたが未熟に生まれるからです。
あなたは、自分には最善が分からないということを受け入れましょう。
自分が正しいという思い込みを手放すのです。
あなたは、人生に対して謙虚(けんきょ)に生きなければならないのです。
人生を思い通りに出来るなどと考えてはなりません。
残念ながら、人生は、あなたの思い通りにはなりません。
人生は、成るようにしか成らないのです。
どのような作為(さくい)も、人生を変えることは出来ません。
努力は、成せないことを成すためのものではないのです。
努力は、成ることが成るように成るためのものだと理解しなければなりません。
努力によっては、人生における最善と必要を避けることは出来ないのです。
努力によって、人生を自分の都合の良いものにすることは出来ないのです。
どのように努力をしても、人生は成るようにしかなりません。
人生を変えようなどと思い上がってはなりません。
あなたにとっての最善と必要は、あなたの都合が決めるものではないのです。
人生における最善と必要は、あなたの不足が決めるのです。
あなたは、人生の目的について考えなければなりません。
あなたは、自分の都合を実現するために生まれたのではありません。
あなたは、より崇高(すうこう)な目的のために生まれたのです。
目の前の快楽や欲望や責任や苦悩のために生きてはならないのです。
あなたは、自分とは何か?、人生とは何か?ということを考え続けなければなりません。
そして、人生を受け入れなければならないのです。
成らないことは成りません。
人生は、最善と必要の範囲内に存在するのです。
人生には、不要は存在しないのです。
人生には、最善と必要が成るということなのです。
人生における最善と必要とは、人生の目的です。
あなたは、人生に目的を以(もっ)て生まれるのです。
そして、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的に反することは成りません。
どのように努力を重ねても、人生の目的に反することは成らないのです。
努力をしなくても、人生の目的に対する最善と必要は成ります。
あなたは、人生の目的から逃れることは出来ないのです。
目の前に存在する状況は、それがどのようなものであったとしても、あなたにとっての最善であり、必要です。
あなたは、それを避けて通ることは出来ないのです。
逃れようとしても無駄なのです。
どこへ逃れようとも、その先で同じことが起こるのです。
あなたは、人生を受け入れましょう。
人生に対する否定は無駄です。
現状を否定したとしても、人生が好転することはないのです。
人生を好転させるためには、現状を受け入れ、人生の目的に沿(そ)って生きることです。
人生の目的を果たそうとしなければ、人生が好転することはないのです。
人生は成るようにしか成りません。
欲深く生きてはなりません。
人生は仕方がないのです。
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