すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
それは、人生に目的を以(もっ)て生まれるためです。
人が、人生に目的を以て生まれるためには、未熟でなければなりません。
未熟でなければ、目的を以て生まれることは出来ないのです。
あなたが成熟した存在であるのならば、人生に対して目的は必要ではないのです。
未熟であるからこそ、目的が必要とされるのです。
人生において目的を得るためには、未熟に生まれなければならないということを理解しましょう。
未熟な状態でなければ、生まれることが出来ないのです。
すべての人が無知であり、すべての人が歪(ゆが)んでいるのです。
あなたは、すべての人が不自然であるということを理解しなければなりません。
人生は、不自然を自然へと昇華(しょうか)していく必要があるのです。
そのためには、歪みを正し、無知を克服(こくふく)しなければならないのです。
人生の基本的な目的は、成長することであるといえるのです。
もちろん、成長する方法は、人によって異なります。
成長する方法は、人それぞれなのです。
そのため、人生の目的は人それぞれに異なっているのが普通です。
しかし、その本質が成長にあるということを理解すれば、人生の目的が難しくないということを理解することが出来るでしょう。
成長を目指せば、人生の目的から大きく外れることはないのです。
怠惰(たいだ)や傲慢(ごうまん)によって堕落(だらく)することは、人生の目的ではないのです。
より本質的に成ることが求められているのです。
成長とは、本質に近付くということです。
より純粋な状態に近付くことが成長するということなのです。
大きく膨(ふく)れ上がることが成長ではないのです。
寧(むし)ろ、小さく無駄を削ぎ落とすことが成長であるのです。
多くの人は、成長を大きく膨れ上がることだと考えています。
より多くのものを得て、より大きく成ることを良しとするのです。
残念ながら、それでは益々(ますます)人生の意味を理解することが出来ないのです。
より小さく、より単純にしなければ、人生の意味を理解することは出来ません。
大きく複雑に成れば、人生の意味を覆(おお)い隠してしまうのです。
単純にすることによって、意味を理解することが出来るのです。
あなたは、人生をより単純にしなければなりません。
そのためには、あなたは、思考をより単純にする必要があるのです。
複雑に考え、難しく思っているのであれば、人生の意味を見出(みい)だすことが出来ません。
多くの人が人生の目的を見失っているのは、複雑に考え、難しく思っているからなのです。
人生の目的を見失っている人は、自分が複雑に考え、難しく思っているということを理解しましょう。
強欲は、思考を複雑にします。
なぜなら、より多くを得るために画策(かくさく)しなければならないからです。
欲深い者は、自ずと複雑な思考に成るのです。
それは、すべてをより大きく、複雑にするのです。
残念ながら、多くの人が人生の目的を見誤っています。
無気力に本質を求めないことも同じなのです。
あなたは、余計を削ぎ落とさなければなりません。
余計を削ぎ落とすために、問題が与えられます。
問題は、物事を小さく単純にするため、物事を本質に近付けるために生じるのです。
あなたは問題によって苦しみます。
それは、問題の前では、既存(きそん)の価値観は無力だからです。
なぜなら、既存の価値観が問題を生み出したからです。
問題を解決するためには、異なる価値観が必要なのです。
問題は、現状を否定します。
それは、あなたにとっては苦しいことです。
そのため、問題を悪いものと考え、そこから逃れようとする人が多いのです。
しかしながら、あなたは問題を利用して、本質に近付かなければなりません。
そして、本質を得ましょう。
本質を得ることがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
問題とは、あなたの無知と歪みと不自然を改善するための助けです。
あなたは問題によって助けられ、導かれるのです。
あなたにとって優しいのは、厳(きび)しい人なのです。
あなたにとって厳しいのは、優しい人なのです。
甘やかされて育った子どもは、自発性や自力を失います。
それは、自発性や自力を育てる必要のない環境で育ったからです。
あなたが人生の目的を果たすためには、自発性と自力が必要です。
それ等を育てなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自発性と自力によって歩まなければならないのです。
自発性と自力がなければ、宿命に従(したが)うことも出来ないのです。
人生の目的を果たすためには、自発的に、自力で人生の目的に従わなければならないのです。
怠惰や傲慢などの不自然をそのままにしておくことは、宿命に従うことではないのです。
宿命に従うに相応(ふさわ)しい自分に成る必要があるのです。
それは、小さく単純な自分なのです。
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