この世界に存在するものは、そのすべてが必要です。
この世界には、必要が存在しているのです。
あなたは、必要以外は存在しないということを理解しなければなりません。
それが、どのようなものであれ、存在しているのであれば必要なのです。
必要な場所に、必要なものが、必要な分だけ存在します。
すべては調和の中に存在するのです。
存在するという状態が調和の状態なのです。
しかしながら、多くの人はそのことを理解しません。
人間は、自分達に都合の良い状態を調和と考えているのです。
残念ながら、この世界は人間の都合で存在してはいません。
この世界は、人間の都合で動いてはいないのです。
そのことが、人間には分からないのです。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
すべての人が未熟なのです。
残念ながら、あなたは何も知りません。
あなたは、自分が何か?ということすら知らないのです。
自分が何か?ということすら知らない者には、この世界における必要を理解することなど出来るはずがありません。
残念ながら、あなたには、必要を理解することが出来ないのです。
あなたは、自分に都合の良いものを必要だと考えているのです。
未熟であり、何も知らないあなたの都合が、この世界の必要と一致(いっち)することはないのです。
あなたにとって都合の悪いことであっても、この世界には必要です。
この世界に存在するものは、それがどのようなものであろうとも、この世界において必要なものなのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
あなたにとって都合の悪いものが、あなたにとっての不要であるとは限りません。
あなたは後になって、その必要性に気が付くのです。
残念ながら、必要が目の前にあるその時には気が付かないのです。
あなたの目の前に存在する一切(いっさい)は、それがどのようなものであれ、あなたにとっての必要です。
例えば、多くの人は、自分が正しいと思い込んでいます。
そして、自分以外のものが間違っていると信じているのです。
そこで、環境や人を変えようと努めます。
環境や人は、あなたがそこにやって来る以前から存在していたのです。
以前から存在しているということは、それがその場に必要だったのです。
その環境や人は、その場に必要なのです。
あなたにとって都合の悪い環境や人であったとしても、その場には必要なのです。
あなた独りがその場に存在するのであれば、自分の都合で考えれば良いでしょう。
しかしながら、あなたは独りでその場に存在する訳ではないのです。
これは、あなたの人生ですが、自分の人生を自分勝手に生きることは出来ません。
なぜなら、あなたは必要を知らないからです。
必要は、環境や人が教えてくれるのです。
残念ながら、未熟なあなたには分からないものなのです。
あなたは、その環境や人から、必要を学ぶことが求められているのです。
自分に都合が悪いからといって、環境や人を変えようとしてはなりません。
必要を否定(ひてい)することは、不要を肯定(こうてい)するということなのです。
厳密(げんみつ)には、不要というものは存在しませんが、あなたを正しい道へと引き戻すために、問題という必要を得ることになるのです。
問題を得ることは二度手間なのです。
気に入らないかも知れませんが、環境や人を変えようとしてはなりません。
あなたは、それを必要として受け入れる必要があるのです。
自分を中心に考えてはなりません。
その場に存在する環境や人の方が、その場に適しているのです。
その場に適している環境や人に成っているのです。
後から来たあなたが、その場の環境や人を変えれば、そこには問題が生じるのです。
気に入らないからといって、争ってはなりません。
気に入らないとしても、争う必要はないのです。
あなたは、環境や人に順応しましょう。
先ずは、自分を変えるのです。
そうすれば、必要を理解することが出来るでしょう。
争いは良い結果を生み出しません。
否定は破滅的な方法なのです。
あなたは、必要を受け入れなければなりません。
必要を大切に扱いましょう。
自分の未熟な考えで判断してはなりません。
人生を信用しなければならないのです。
あなたに都合が悪くても、あなたが気に入らなくても、それが必要として存在しているということを理解しましょう。
必要を否定してはなりません。
必要を受け入れましょう。
そうすれば、あなたは必要を得ることが出来るでしょう。
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