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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年7月31日金曜日

自分のやり方

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、すべての人が、人生の目的を果たすために生まれたからです。
この世界に無駄に生まれる人はいません。
すべての人生に意味があるのです。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた意味です。
人生の目的を果たすことは何よりも重要なことです。
なぜなら、それが生まれた理由だからです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
誰一人として、同じ目的のために生まれることは出来ません。
すべての人が、それぞれの目的のために生まれるのです。
人は、それぞれの目的を果たさなければならないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
それぞれの目的を果たすために、それぞれの役割が与えられました。
それぞれは、それぞれの役割を果たすための個性を与えられたのです。
人の性格や性質は、それぞれに異なります。
誰一人として、同じ個性を以て生まれることは出来ないのです。
人生の目的、与えられた役割、生まれ持った個性が異なれば、それに従って、考え方や捉(とら)え方が異なります。
考え方や捉え方が異なれば、価値観が異なるのです。
人には、それぞれの価値観が存在します。
人は、それぞれに価値を見出すのです。
それは、優先順位にも違いを生じさせます。
人は、それぞれの価値観に従った最善の方法を選択するのです。
客観的には、合理的ではないように思えるかも知れません。
しかしながら、本人にとってはそれが最善なのです。
人には、自分のやり方があるのです。
人は、自分のやり方を貫(つらぬ)くのです。
どのような人も、他者の話を聞きません。
どのような人も、他者の意見を聞き入れはしないのです。
それは、他のやり方では上手くいかないからです。
人には、それぞれに最善の方法があるのです。
それがどのようなやり方であったとしても、その人にとっては最善なのです。
正解は、人生の数だけ存在しています。
人生における正解は、その人生を生きる本人にしか分からないのです。
他者の人生に他人がとやかく言う必要はありません。
残念ながら、他者の人生に対して、他人がとやかく言うことは出来ないのです。
すべての人は、頑(かたくな)に自分のやり方を貫くのです。
誰一人として、自分のやり方に反することは出来ないのです。
他のやり方では、上手く行くものも上手くいかないのです。
人は、人生の目的を果たすために生まれます。
すべての人には、果たすべき目的が存在するのです。
あなたは、自分の人生の目的を果たしましょう。
しかしながら、自分を貫くことでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
なぜなら、すべての人が未熟に生まれるからです。
あなたは、自分に成りきれてはいません。
あなたは、自分ではないのです。
すべての人も自分ではありません。
あなたは、他者によって自分となるのです。
他者が自分になるための手助けをしてくれているのです。
頑に自分のやり方を貫こうとしてはなりません。
誤解に誤解を重ねてはならないのです。
残念ながら、多くの人は自分のやり方を手放すことが出来ません。
あなたが自分と考えているのは、自分ではありません。
自分のやり方は正解です。
しかしながら、未熟であることを知りましょう。
あなたは、自分が未熟であるということを知り、他者の話を聞き、意見を受け入れるのです。
人の数だけ価値観が存在します。
人の数だけやり方があるのです。
あなたの知っているやり方が常に正しいということはありません。
より良いやり方に出会う時には、既存(きぞん)のやり方を手放しましょう。
より良いやり方を取り入れることによって、あなたは自分を完成に近付けることが出来るのです。
より良いやり方を身に付けることは、成長するということです。
成長するということは、本質へと近付くということなのです。
自分のやり方に執着(しゅうちゃく)してはなりません。
より良いやり方を受け入れましょう。

2020年7月30日木曜日

精神の躾

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、成熟した状態で生まれることの出来る人はいません。
すべての肉体が未熟に生まれるように、すべての精神も未熟に生まれるのです。
あなたは、自らの精神が未熟であるということを知りましょう。
すべての人の精神は、未熟な状態であるのです。
残念ながら、それを捨て置くことは出来ません。
あなたは、自らの精神と向き合い、それを改善しなければならないのです。
しかしながら、自らの精神と向き合うことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、すべての人の精神は未熟であり、荒れているからです。
残念ながら、すべての精神が歪(ゆが)んでいます。
すべての精神が荒れ狂っているのです。
すべての人は、自らの精神と向き合わなければなりません。
そして、それを制する必要があるのです。
精神は、飼い犬のようなものです。
あなたは、それを躾(しつけ)なければならないのです。
残念ながら、すべての精神は、拾われた野犬のように乱暴です。
すべての精神は、一筋縄ではいかないのです。
どのような精神も、それを躾るのは大変なのです。
なぜなら、あなたには、自らの精神の状態や言葉が分からないからです。
それは、あなたが野犬の状態や言葉が分からないのと同じなのです。
あなたは、野犬が何を訴(うった)えているか分かりますか?
残念ながら、あなたには分からないのです。
野犬を躾ようとしても、互いの間の隔(へだ)たりを埋めることは容易ではないのです。
あなたが野犬を躾るためには、愛情を以(もっ)て、多くの時間と労力を費やして向き合わなければなりません。
力で服従(ふくじゅう)させようとすれば、却(かえ)って荒れるのです。
精神を無理矢理に従わせることは出来ません。
無理矢理に押さえようとしても、押さえ込むことは出来ないのです。
あなたが精神を躾るためには、精神のことを知らなければなりません。
精神のことを知るためには、精神と向き合う必要があるのです。
野犬のことを知るためには、野犬と向き合い、野犬のことを知らなければなりません。
そして、野犬にもあなたのことを知ってもらわなければならないのです。
互いの思いが通じた時、そこに理解が生まれるのです。
自分勝手に理解したと思い込んでも、理解することは出来ません。
互いが通じ合わなければならないのです。
あなたは、自らの精神と向き合わなければなりません。
しかしながら、それは難しいことでしょう。
なぜなら、そこには多くの問題が存在するからです。
先述(せんじゅつ)したように、成熟した精神は存在しません。
すべての精神が未熟なのです。
未熟な精神は、問題を抱えるのに相応(ふさわ)しいのです。
問題を抱えない精神は存在しません。
どのような人物の、どのような精神にも問題が存在しているのです。
例えば、多くの人の精神には、劣等感と優越感という問題が存在しています。
他者との比較によっては、あなたは精神を躾ることが出来ないのです。
他者と自分を比較している時には、自らの精神と向き合ってはいません。
他者と自分を比較している時、人は、他者と向き合っているのです。
残念ながら、他者のことを気に掛けている者は、自らの精神を見失ってしまうのです。
多くの人が、他者と自分を比較することによって、劣等感や優越感に陥(おちい)るのです。
すべての人は、人生に目的を以て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、精神の協力が必要なのです。
あなたは、精神と共に人生を歩まなければならないのです。
精神を無視して先に進むことは出来ません。
精神の協力がなければ、解決することの出来ない問題が存在するのです。
あなたは、精神を自分だと思い込んではなりません。
あなたは精神を躾、友好な関係を築くことが出来ていないのです。
多くの人は、精神と対立しています。
野犬が無条件にあなたに媚(こ)び諂(へつら)わないように、精神が無条件にあなたの追従(ついじゅう)することはないのです。
友好な関係を築かなければならないのです。
あなたは、自らの精神と向き合い、そこに存在する問題を一つ一つ解決していかなければなりません。
愛情を以て、多くの時間と労力を費やして向き合いましょう。
人生におけるすべての状況は、精神の状態を現しているのです。
あなたは、目の前の状況から、自らの精神の状態を知ることが出来るのです。
不平不満や自己憐憫(じこれんびん)などに陥っているのであれば、精神を躾られてはいないのです。
精神を躾ているのであれば、感謝に至るはずなのです。
それがどのような状況であろうとも、そこに感謝を見出すことが出来るはずなのです。
感謝に至るまでは、苦しまなければなりません。
精神と協力し、苦しみを乗り越えましょう。

2020年7月29日水曜日

幸不幸に関係なく生きる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は空しいのです。
多くの人が人生に空しさを覚えます。
それは、人生の目的を知らずに生きているからです。
人生の目的を果たすこと以外には、人生から空しさを取り除く方法はありません。
何を手に入れ、何を手放しても、それだけでは、人生は空しいのです。
愛する人や物を手に入れ、誰かや何かに愛されたとしても、それだけでは空しいのです。
愛でさえ、人生から空しさを取り除くことは出来ないのです。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはありません。
あなたは、人生の目的を果たす必要があるのです。
残念ながら、人生の目的は、あなたの都合に関係しません。
人生の目的は、必ずしも幸福なものではないのです。
多くの人は、人生を幸福に生きることを目的だと考えています。
しかしながら、人生を幸福に生きることを人生の目的にしている人は少ないのです。
なぜなら、幸福とは、不幸の休憩に過ぎないからです。
不幸とは、人の世の仕事のようなものです。
それは、人生を築く上で重要なものです。
仕事をせずに人生を築くことの出来る人はいません。
どのような人も、人の世では何かしらの仕事を担(にな)うのです。
仕事とは、金儲(かねもう)けのことではありません。
貢献(こうけん)する活動のことを仕事というのです。
すべての人が、何かしら人の世に貢献するための活動を行っているのです。
残念ながら、仕事は苦しいものです。
人の世に、簡単な仕事などありません。
すべての活動は、苦しみを引き起こす不幸なのです。
それは、仕事というものは、あなたの都合に関係ないからです。
貢献するためには、都合に左右されてはならないのです。
自分の都合を優先するのであれば、貢献することは出来ません。
貢献するためには、人助けをしなければならないのです。
人助けとは、都合の悪いものです。
それは、困っている人のために自分を提供(ていきょう)しなければならないからです。
自分を提供することは、必ずしも幸福であるとは限りません。
自分を提供することは、大抵の場合、不幸であるのです。
幸福とは、自分のために生きる状態のことです。
自分勝手な状態を幸福というのです。
休憩の時間は、自分のための時間です。
人は、それを幸福と感じるのです。
そして、多くの人は、自分に都合の良いことを幸福と考えるようになったのです。
自分のために生きても、人生を築くことは出来ません。
働かなければ、貢献しなければ、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
働くことも、貢献することも、自分を提供する行為です。
それは、自分にとっては都合の悪い状態なのです。
あなたが人生に豊かさを実現するためには、都合の悪いことを受け入れなければならないのです。
自分の都合に関係なく人生の選択を行うことによって、あなたは最善を生きることが出来るのです。
残念ながら、すべての人が未熟に生まれます。
未熟とは、無知のことなのです。
無知は認識を歪(ゆが)めます。
多くの人は、自分に都合の良いこと、幸福を最善だと誤解しているのです。
残念ながら、自分に都合の良いこと、幸福をどれだけ手に入れたとしても、人生から空しさを取り除くことは出来ません。
自分の都合によって行うことは最善を実現しません。
自分の都合に関係なく行うことが最善であるのです。
幸福や不幸とは、主観による偏見(へんけん)や誤解に過ぎません。
人生を幸福や不幸によって判断してはならないのです。
幸福でも、不幸でも、人生の目的を果たすことが出来れば良いのです。
幸福でも、不幸でも、人生の目的を果たすことが出来れば豊かなのです。
幸福が良く、不幸が悪いなどと思い込んではなりません。
あなたは、多くの未熟で無知な人達に騙(だま)されてはなりません。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことなどないのです。
愛にも幸福にも、人生を豊かにする力はありません。
人生を小さな枠(わく)に納めてはなりません。
人生は、未熟者の認識が及(およ)ぶ程度の詰(つ)まらないものではないのです。
自分の都合に関係なく、幸不幸に関係なく生きましょう。
そして、人生の目的を果たしましょう。

2020年7月28日火曜日

他者のための時間と労力

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことは、人生において最も重要な課題なのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれます。
人生に無意味に生まれることの出来る人はいないのです。
あなたには、果たさなければならない人生の目的が与えられています。
人生の目的を無視して生きることは出来ますが、それを続けることは出来ません。
無花果(いちじく)の苗は、やがて実を付けるのです。
それは、無花果の苗が実を付けることを目的として生まれるからです。
どのように人生の目的を拒否(きょひ)しようとも、人生の目的を手離すことは出来ないのです。
それは、人生の目的が人生に生まれた理由だからです。
生まれた理由を手離すことは出来ません。
すべての人は、人生の目的を果たすための道に引き戻されるのです。
どのように道を外れていようとも、本来の道へと引き戻されることになるのです。
それは、あなたが人生の目的を果たすために
生まれたからです。
あなたがどのような人物であり、どこで、何をしていようと関係ありません。
あなたは、人生の目的を果たす道を歩まなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、自分でなければなりません。
自分でなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、必要な役割を果たさなければならないからです。
必要な役割を果たすためには、自分でなければなりません。
あなたが自分であるということは、必要な役割を果たすということなのです。
あなたは、自分でなければなりません。
あなたは、自分によって生きなければならないのです。
自分であるということは容易(ようい)ではありません。
最も近いはずの自分という存在は、実は最も遠い存在なのです。
多くの人にとって、遠くのものが近く、近くのものが遠いのです。
それは、多くの人が不自然を生きているからです。
不自然を生きれば、その認識も不自然なものになってしいます。
不自然な認識では、不自然な状態を生きなければならないのです。
それは、自分ではない状態のことなのです。
残念ながら、多くの人は、自分ではない不自然な状態を生きています。
自分ではない不自然な状態を生きているために、人生の目的が分からないのです。
人生の目的が分からなければ、人生は空しいのです。
残念ながら、多くの人が人生に空しさを感じています。
人生の空しさに気が付いていない人は少ないのです。
多くの人は、人生の空しさを忘れるために、様々な欲望や快楽や責任や苦悩を貪(むさぼ)ります。
その度に本来の自分を見失い、人生の目的を隠してしまうのです。
多くの人は、人生の空しさを忘れるために、自分のために時間と労力を費やすのです。
それは、空しさを感じているのが自分であるからです。
様々なことで自分を満たせば、空しさが消えると思い込んでいるのです。
残念ながら、自分のために時間と労力を費やし、自分を満たそうと努めても、空しさが消えることはありません。
なぜなら、それは人生の目的を果たす生き方ではないからです。
自分のことに時間と労力を費やしたとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
なぜなら、あなたが自分であるためには、他者の助けが必要だからです。
他者の助けなくして、あなたが自分であることは出来ないのです。
なぜなら、他者があなたに自分を教えてくれるからです。
あなたが自分を知るためには、他者に対しても時間と労力を費やす必要があるのです。
他者に対して、すべての時間と労力を費やせば良いということではありません。
あなたの時間と労力は、自分と他者の両方に費やす必要があるのです。
あなたは、自分と他者の両方を大切にしなければなりません。
多くの人は、自分のために時間と労力を費やしたいと考えます。
それが”普通”なのです。
しかしながら、自分のために時間と労力を費やしても、自分を成り立たせることは出来ません。
これは、自分の人生ではありますが、自分を成り立たせるためには、他者に協力する必要があるのです。
他者を蔑(ないがし)ろにするようでは、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、他者のために時間と労力を費やしましょう。
他者のために働いていては、人生を思い通りにすることが出来ません。
しかしながら、人生を思い通りにする必要はないのです。
思い通りにならない方が、人生は最善を得ているのです。
未熟なあなたの思い通りにしては、人生は最善を失ってしまうのです。
自分のために時間と労力を費やしたい気持ちは分かりますが、残念ながら、それは最善の方法ではありません。
”急がば回れ”という言葉があるのです。
近道を歩みたければ、他者のために時間と労力を費やすのです。
自分のためだけに生きてはなりません。
それでは、自分を理解することが出来ないのです。

2020年7月27日月曜日

都合の悪い宿命

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に目的も無く生まれる人はいません。
どのような人物の、どのような人生にも、果たすべき目的が存在するということを理解しなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれます。
人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由なのです。
人生の目的は、あなたが人生を始める前に定めてあります。
それは、この世界に因果の仕組みが備わっているからです。
因果の仕組みとは、結果には、それに相応しい原因が存在するという理(ことわり)のことです。
どのような結果にも、それに相応しい原因が存在するのです。
あなたが人生という結果を得るためには、人生の原因となる目的が必要だったのです。
目的が存在しなければ、人生が存在することは出来ないのです。
人生の目的は、生まれた後に決めるものではありません。
人生の目的は、生まれる前に決めてあるものなのです。
人生においては、人生の目的を思い出し、それを果たす必要があるのです。
人生の目的を果たさなければ、人生を完成させることは出来ません。
人生の目的を果たさなければ、人生は空しいのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は空しさを離れることはありません。
何を得て、何を手放しても、人生の目的を果たすことがなければ、人生は空しいのです。
人生の目的を果たす以外の方法によって、空しさを離れることは出来ません。
多くの人が空しく生きなければなりません。
それは、人生の目的を思い出すことが出来ないからです。
人生の目的を思い出すことが出来なければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を思い出さなければなりません。
しかしながら、人生の目的を思い出すことは容易(ようい)なことではありません。
なぜなら、それはあなたの奥深くに潜在しているからです。
人生の目的を思い出すためには、自分自身の奥深くに向かわなければなりません。
それは、濁(にご)った川底の無数の石の中から、特定の一つを拾い上げるような作業なのです。
人生の目的を思い出すことは、誰にとっても難しいことなのです。
残念ながら、あなたは自力で人生の目的を思い出すことは出来ません。
なぜなら、川の底からすべての石を拾い上げたとしても、どれが目的の石か分からないからです。
あなたには、どれも同じ石に見えてしまうのです。
大切なのは、人生の目的を教えてもらうことです。
あなたの人生の目的は、あなたの人生が知っています。
人生は、常にあなたに対して人生の目的を教えようとしています。
人生は、あなたが人生の目的を思い出すことが出来るように手助けを欠かさないのです。
あなたは、人生の手助けを借りて、人生の目的を思い出さなければなりません。
人生は、宿命によって、あなたに人生の目的を教えます。
宿命とは、避けることの出来ない経験のことです。
どのように努めても、避けることが出来ないことがあるのです。
あなたの目の前に導かれるすべての現実は、避けることの出来なかった宿命なのです。
残念ながら、あなたにとって、宿命は都合の良いものではありません。
すべての人にとって、宿命とは、都合の悪いものなのです。
しかしながら、あなたが人生の目的を思い出すためには、宿命を受け入れなければなりません。
宿命だけが、あなたの人生の目的を教えるのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、弱さを抱えているのです。
弱さを抱えていない人はいません。
すべての人が未熟で弱いのです。
宿命に従うためには、強くなければなりません。
強くなければ、都合の悪いものを受け入れることが出来ないのです。
多くの人は、都合の良いものだけを受け入れます。
多くの人は、都合の悪いものを拒絶するのです。
多くの人は、素直に宿命に従うことが出来ません。
多くの人は、様々な理由を以て宿命に逆らうのです。
宿命に逆らうことは、教師に逆らうことです。
それでは、理解は深まりません。
人生を自分の都合で考えているような弱い者には、人生の目的を思い出すことは出来ません。
当然、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生を自分の都合で考えているような弱い者には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、人生を自分の都合で考えてはなりません。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
理由は、それで十分です。
未熟者の都合がどのようなものか?を考えてみると良いでしょう。
幼子の駄々(だだ)を最善と思う親がいるでしょうか?
良識のある親であれば、幼子の駄々を最善とは思わないでしょう。
あなたの人生(宿命)に対する不平不満は、残念ながら、あなたにとっての最善ではありません。
なぜなら、あなたの不平不満は、幼子の駄々と同じだからです。
あなたには、果たさなければならない人生の目的が存在します。
しかしながら、自力ではそれを果たすことは出来ません。
あなたは宿命に従いましょう。
都合の悪いことも、避けることの出来ない宿命なのです。
大切なのは、そこから学ぶことです。
都合の悪いことを拒絶し続け、都合の良いことだけを追い求めても、都合の悪いことに至(いた)るのです。
良いものを先に取れば、後には悪いものだけが残るのです。
良いものと悪いものは、共存しているのが自然なのです。
あなたは、自らの弱さに惑(まど)わされてはなりません。
都合の悪い宿命を受け入れましょう。
そして、人生の目的を果たしましょう。

2020年7月26日日曜日

因果の巡り

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
あなたが生まれた理由は、人生の目的を果たすことなのです。
それ以外の理由によって生まれることはありません。
そして、それ以外の理由によって生きることは出来ないのです。
人生におけるすべての経験が、人生の目的を果たすためだと理解しなければなりません。
すべての経験が、あなたに人生の目的を果たさせるための学びなのです。
すべての経験が、人生の目的のために導かれるのです。
それがどのような経験であろうとも、あなたを成長させると理解しなければなりません。
人生において、無駄や無価値な経験は存在しないのです。
すべての経験に意味があり、価値があるということを知らなければなりません。
残念ながら、多くの人は、すべての経験に意味があり、価値があるということを知りません。
そこに意味や価値を見出すことが出来ないために、不平不満を吐(は)くのです。
それが意味や価値のある経験だということを理解しているのであれば、不平不満を吐くことはないのです。
あなたは、意味や価値があると思うものに対しては、歓迎(かんげい)し、感謝するはずなのです。
しかしながら、多くの人は、意味や価値のある経験を否定し、不平不満を吐くのです。
意味や価値を否定するのであれば、意味や価値を得ることは出来ません。
意味や価値を得ることが出来なければ、人生の目的を果たすために必要な成長を実現することが出来ないのです。
すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
それは、すべての人が汚れているからです。
そのために、すべての人は歪(ゆが)んでいるのです。
未熟に生まれ、汚れ、歪んでいる者には、人生の目的を理解することも、それを果たすことも出来ません。
人生の目的を理解し、それを果たすためには、必要な成長を実現しなければならないのです。
成長を実現しなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
すべての経験は、あなたが人生の目的を果たすに相応(ふさわ)しい人物へと成長するための助けなのです。
何一つとして、無駄や無意味な経験はありません。
それが、あなたにとって都合の悪い経験であったとしても、あなたにとって大切な意味があり、重要な価値があることなのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みとは、すべての結果には、それに相応しい原因が存在するということです。
経験とは、結果です。
あなたがその経験をするには理由があるのです。
それは、あなたがその原因を抱えているということなのです。
あなたは、その経験をするに相応しいのです。
あなたは、自らの抱える原因の結果を経験として受け取っているだけなのです。
どのような人物も、因果を逃れることは出来ません。
どのような因果も、必ず巡(めぐ)るのです。
因果が巡らないということはありません。
因果が消えることはないのです。
どのように努めようとも、決して逃れることは出来ません。
どのように狡猾(こうかつ)に振る舞っても、因果に捕らえられてしまうのです。
例えば、足元の水は消えたように見えても消えていません。
それは、水蒸気として大気中に存在しているのです。
ただ、形を変えただけです。
形が変わっても、それは同じ水なのです。
目の前から消えた水は、後に雨と成って天から落ちるのです。
その時には、あなたは濡(ぬ)れてしまうでしょう。
それは、足元の水に濡れたのと同じことなのです。
形が変わっているために、その因果に気が付くことが出来ないのです。
しかしながら、因果は確実に巡るのです。
人生における原因は自分自身です。
あなたは、自分自身を経験として受け取るのです。
あなたは、自分自身を避けることが出来ません。
逃避(とうひ)は無駄足なのです。
どこへ、どのような形で隠れても、因果は確実に導かれます。
あなたは、自分自身の行いから逃れることは出来ないのです。
自分自身の行いは、後に必ず返って来ます。
あなたの行いは、すべてあなたに返します。
後になって、それを知らないと主張しても無駄です。
あなたには嘘が許されていますが、人生には嘘が許されてはいないのです。
人生は、真(まこと)だけを導きます。
あなたは、自分に相応しい最期を得るのです。
そのことを覚えておきましょう。
どうするべきか?考えましょう。

2020年7月25日土曜日

時が満ちるまで

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
この世界において、無意味に生まれる人はいません。
すべての人が、人生に明確な理由を以て生まれるのです。
人生に生まれる理由とは、人生の目的を果たすことです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視して生きることは出来ません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
あなたは、人生の目的を探さなければなりません。
なぜなら、あなたはそれを見失っているからです。
すべての人が、人生の目的を知りません。
すべての人が、人生の目的を見失っているのです。
あなたは何ですか?
あなたは何のために生まれたのですか?
人生とは何ですか?
これ等の問いに対する答えが人生の目的なのです。
あなたは、これ等の問いに対する答えを探さなければならないのです。
人生の目的は、自分自身で定めたものです。
人生が誰かや何かによって決められることはありません。
そして、人生が誰かや何かによって築かれることもないのです。
これは、あなたの人生なのです。
あなたが決め、あなたが築くものなのです。
あなたの人生は、他の誰のものでもないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
人生の目的は、あなたが自分自身で決めたものです。
しかしながら、あなたは自分を知りません。
そのため、人生は自分自身で決めたものでありながら、それを自分自身で決めたとは思えないのです。
あなたは何ですか?
この問いに答えなければ、人生に対する違和感を取り除くことは出来ないのです。
人生には、常に最善が導かれています。
あなたの目の前に導かれる状況は、それがどのようなものであっても最善です。
そして、それは例外無く必要なのです。
この世界には、不要は存在しません。
すべてに意味が存在するのです。
無駄や不要に思えるのは、あなたの認識が及(およ)んでいないだけです。
あなたが成長すれば、すべてが最善であり、必要であるということを理解することが出来るのです。
それがどのようなことであっても、あなたにとっての最善なのです。
人生に無駄はありません。
人生は、完璧に展開しているのです。
しかしながら、未熟であるあなたには、完璧な人生の展開を理解することが出来ないのです。
人生は、決して思い通りにはなりません。
人生に理想を実現することは出来ないのです。
しかしながら、人生(目の前の状況)が思い通りになったり、理想が実現する時には注意しなければなりません。
それは、未熟であるあなたの誤解が実現しようとしているからです。
人生は、決して思い通りにはなりません。
あなたが道を外れるのであれば、強力な力で引き戻されます。
時が満ちるまでは許(ゆる)されません。
時が満ちるまでは、何かを始めることも、終えることも出来ないのです。
人生には時が存在しています。
時とは、宿命が定めた時期のことです。
人生は、宿命に従って展開するのです。
あなたの思いが成るのではありません。
時が成るのです。
宿命とは、人生の目的の過程です。
あなたは、宿命を経ることによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
宿命を避けることは出来ません。
時を無視することは出来ないのです。
あなたは、何事にも時が存在することを理解しましょう。
時が満ちるまでは、どうすることも出来ないのです。
時が満ちるまで、あなたはそこにいましょう。
時が満ちるまで、あなたはそれを繰り返しましょう。
時が満ちるまで、耐え忍びましょう。

2020年7月24日金曜日

正しい道

人生には、意味が存在します。
すべての人生に意味があるのです。
誰一人として、無意味に生まれることは出来ません。
どのような人物の、どのような人生にも意味があるということを理解しなければなりません。
現状がどのようなものであろうとも悲観する必要はありません。
どのような現状も恥じ入ることはないのです。
すべてが最善であり、必要であり、意味のあることなのです。
それが、どのような現状であったとしてもです。
残念ながら、あなたには、その意味が見出せないだけです。
意味が見出せないからといって、意味がないということではありません。
価値を見出せないからといって、価値がないということにはならないのです。
あなたがその意味や価値を見出せていないだけなのです。
残念ながら、あなたは未熟に生まれます。
自分が何か?ということすら答えることが出来ないのです。
すべての人が、何のために人生に生まれたのか?何のために人生を生きているのか?ということを知りません。
すべての人は何も知らないのです。
無知は未熟です。
成長することによって、無知を克服することが出来るのです。
無知は、誤解を生じさせます。
すべての誤解は、無知によって導かれるのです。
すべての人が誤解を生きています。
人生に意味を見出せないということが、そもそもの誤解なのです。
すべての人生には意味があります。
そして、大切な価値があるのです。
それは、すべての人が人生に目的を以(もっ)て生まれるからです。
残念ながら、人生に無意味に生まれる人はいません。
目的を持たずに生まれることは出来ないのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生が存在した後に目的が生じたのではありません。
目的が存在するからこそ、人生が存在するのです。
目的が無ければ、人生を生きる意味がないのです。
すべての人は、目的を果たさなければならないのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
残念ながら、誰かと同じ目的を以て生まれることは出来ません。
あなたは、独自の目的を以て生まれるのです。
しかしながら、多くの人はそのことを知りません。
多くの人は、誰かと同じように生きれば人生がうまくいくと思い込んでいるのです。
誰かを真似て、自分を改造していけば、自分も誰かのように成れると思い込んでいるのです。
そのため、仲間がいると、その道が正しく見えるのです。
多くの人は、自分以外の誰かが同じ道を歩んでいることで安心します。
誰かと同じ道を進んでいるのだから、この道が間違いであるはずがないと信じるのです。
しかしながら、人生の目的はそれぞれに異なります。
あなたは、誰かと同じ目的地に向けて歩んでいる訳ではないのです。
誰かと一緒に歩んでも、あなたの辿り着くべき目的地には辿り着くことが出来ません。
これは、あなたの人生です。
これは、孤独な道のりなのです。
あなたは、独りで歩まなければならないのです。
誰かと同じ道を歩むことに安心を覚えるでしょう。
しかしながら、その道はあなたの歩むべき道ではありません。
あなたは、独りで歩まなければならないのです。
独りだと、その道が間違って見えます。
しかしながら、それは誤解なのです。
独りで歩むことの出来る道こそが、あなたの歩むべき道なのです。
あなたは、独りで歩みましょう。
そして、人生の目的を果たしましょう。
独りで歩むということは、家族や友人を手放すということではありません。
”自分”と向き合いながら生きるということなのです。
残念ながら、多くの人は、”自分”を見失っています。
多くの人は、外に存在する仲間を大切にする余り、内に存在する”自分”を蔑(ないがし)ろにするのです。
”自分”を見失った状態では、人生の目的を果たすことは出来ません。
あなたは、仲間がいるからといって、自分が正しい道を歩んでいるなどと思い込んではなりません。
仲間がいても、人は間違った道を歩むのです。
あなたには、自分が何か?分かりません。
何のために人生に生まれたのか?何のために人生を生きているのか?、あなたには分からないのです。
正しい道を歩むことは出来ません。
あなたは、道を疑わなければなりません。
正しい道を歩んでいるなどと考えてはなりません。
仲間がいることは、正しい道を歩んでいる理由にはならないのです。

2020年7月23日木曜日

迷い

すべての人は、人生に迷います。
すべての人は、人生に迷わなければならないのです。
誰一人として、迷いを退(しりぞ)けることは出来ません。
すべての人は、迷いを離れることが出来ないのです。
あなたは、迷わなければなりません。
どのように努めても、迷いに至(いた)るのです。
迷いを離れて生きられる人はいません。
どのような人物も、迷わなければならないのです。
人生においては、迷うことが自然です。
もしも、人生において迷うことがなければ、それが不自然であるということを理解しなければならないのです。
人生は迷うものです。
迷うことが正しいのです。
多くの人が迷うことを嫌います。
多くの人は、迷わないように生きようとするのです。
迷わないためには、“王道”を行かなければなりません。
王道とは、楽な道のことなのです。
人生において迷うことは大変なことですが、
それが大切なことなのです。
迷うことで、人は、王道を行かなくて済むのです。
王道を行くことは良いことのように思うかも知れません。
多くの人は、迷わずに進むことが出来れば良いと思い込んでいるのです。
一見すると、迷わずに進むことは良いことのように思えますが、迷わずに進むことには危険が伴(ともな)うのです。
なぜなら、すべての人が人生の目的を知らないからです。
人生の目的を知らなければ、目的地を知ることはないのです。
すべての人が、目的地を知らずに歩み続けているのです。
すべての人は、目的地を知りません。
目的地を知らない状態で迷わず進んだとしても、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
目的地を知らない者が目的地に辿り着くためには、迷う必要があるのです。
迷うことがなければ、自分の進路を疑(うたが)うこともないのです。
それでは、間違った道を進み続けることになるのです。
多くの人が満たされないのは、間違った道を進み続けたからです。
目的地から遠ざかる程に、空しさが強くなるのです。
迷うことなく、疑うことなく、目の前の道を歩むことでは、人生の目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
多くの人は、人生に空しさを覚えます。
それは、目的地から遠ざかっていることを意味しているのです。
人生に空しさを覚えたのであれば、あなたは疑わなければなりません。
そして、迷わなければならないのです。
迷うことによって、人は方向性を改めることが出来るのです。
迷うことがなければ、そのままの方向性を保つことになるのです。
残念ながら、すべての人が人生の目的を知りません。
そして、自らの歩みが正しいかどうか?を知らないのです。
疑問を持たずに素直に生きることは、良い生き方のように思われています。
しかしながら、疑問を持たずに素直に生きることは、間違った道を歩み続けることにもなってしまうのです。
人生における迷いは、方向性を確認するための大切な工程(こうてい)です。
人生に迷わずに生きることは良いことのように思えますが、迷うことにも大切な意味と価値があるのです。
迷えることは良いことです。
それは、生き方に疑問を投げ掛けるからです。
当たり前の生き方、目の前にあった生き方を何の疑問も持たずに受け入れてはなりません。
あなたには、果たすべき目的が存在するのです。
目的地に辿り着くまでは、迷いの生存を続けなければなりません。
人生に迷いが存在しないということは、道に迷っているということなのです。
迷うことは良いことなのです。
あなたは、人生に迷いましょう。
このままの生き方で良いのか?と疑問を抱きましょう。
迷いこそが、あなたを正しい道へと導きます。
迷いこそが、あなたを目的地へと案内するのです。
迷いがあってこそ、あなたは正しく歩むことが出来るのです。
すべての人は、人生に迷います。
それは、良いことだと理解しましょう。
迷いのない人生を良いと考えてはなりません。
迷えることは幸福だと知らなければなりません。
迷える時には迷いましょう。

2020年7月22日水曜日

苦労

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、何も知らずに生まれるのです。
この世界において、知っている人はいません。
すべての人が知らないのです。
すべての人は無知を生きています。
すべての人が、自分を知らないのです。
あなたは、自分が何か?分かりますか?
残念ながら、あなたには、自分が何か?分からないでしょう。
あなたは、人生が何か?分かりますか?
残念ながら、あなたには、人生が何か?分からないでしょう。
あなたは、自分が何かを知らず、人生が何かも知らないのです。
自分が何かを知らず、人生が何かも知らなければ、何が最善であるか?を判断することは出来ません。
すべての人は、自分にとっての最善を知りません。
すべての人は、人生における最善を知らないのです。
それが、”普通”なのです。
あなたが、何かを知っていると考えるのは誤解です。
残念ながら、あなたは何も知らないのです。
誰かが何かを知っていると主張しても、それを信用してはなりません。
すべての人は、自分が何か?を知りません。
そして、人生が何か?も知らないのです。
あなたは、何かを知ったつもりでいてはなりません。
あなたが何を知ろうとも、自分が何か?人生が何か?という根源的、本質的な問いに答えることは出来ないのです。
根源的、本質的な問いに答えることが出来なければ、何も知らないということなのです。
何も知らないあなたは、道に迷います。
すべての人生には果たすべき目的が与えられています。
誰一人、無駄に生まれることはありません。
すべての人には、辿り着くべき目的地があるのです。
あなたは、目的を果たし、目的地へと辿り着かなければなりません。
しかしながら、すべての人は人生の目的を知りません。
そして、人生の目的地を知らないのです。
そのため、すべての人は人生に迷います。
迷いは悩みを生むのです。
すべての人が人生に悩みます。
悩みを抱えずに生きることの出来る人はいないのです。
どのような人物も、必ず悩みを抱えています。
それを秘めている人も、悩みを抱えているのです。
この世界においては、悩みを抱えずに生きられる人はいないのです。
この世界に生まれるすべての人が、悩みを抱えながら生きているのです。
悩みは、苦しみを導きます。
すべての人は、苦しむのです。
誰一人として苦しみを避けることは出来ません。
すべての人生は苦しいのです。
あなたは、人生が苦しいものだと知らなければなりません。
人生が楽しいものだと思い込んではなりません。
人生に対して、懸命に向き合う程に、人生の苦しみは増すのです。
すべての人は、苦しみを嫌います。
すべての人は、苦しみを乗り越えようとするのです。
そこに苦労が生じるのです。
この世界において、苦労しない人はいません。
苦労のない人生は存在しないのです。
苦労とは、苦しみを乗り越えるための努力なのです。
苦しみの存在しない人生が存在しないように、苦労の存在しない人生も存在しないのです。
あなたは、自分だけが苦しいと考えてはなりません。
残念ながら、すべての人が苦しいのです。
そして、あなたは、自分だけが苦労していると考えてはなりません。
残念ながら、すべての人が苦労するのです。
あなたは、苦しみを避けることが出来ません。
そして、苦労を避けることは出来ないのです。
人生を楽しく生きることは出来ません。
すべての人が、苦しみに辿り着くのです。
それは、すべての人が未熟だからです。
あなたは、苦労して苦しみを乗り越えましょう。
楽しいだけの人生を生きることなど出来ないのです。
人生は、苦しいからこそ意味があるのです。
人生は、苦労するからこそ価値があるのです。
あなたには、果たすべき目的が存在するのです。
そのことを忘れてはなりません。

2020年7月21日火曜日

最善の調整

人生には、最善が導かれます。
人生におけるすべての状況は、それが最善であるということを理解しなければなりません。
どのような状況も、それが最善であるということを知らなければならないのです。
人生には、最善だけが導かれているのです。
しかしながら、あなたにはそれが最善とは思えないでしょう。
あなたには、最善を理解することが出来ないのです。
それは、あなたが未熟に生まれるからです。
すべての人は未熟に生まれます。
すべての人は、自分が何か?ということすら分からないのです。
すべての人は、人生が何か?ということも分からないのです。
自分が何で、人生が何かも分からなければ、人生における最善を理解することが出来ません。
最善を理解するためには、自分と人生を知っている必要があります。
自分と人生を知らなければ、最善を知ることは出来ないのです。
残念ながら、あなたには最善が分かりません。
考えたとしても、最善を理解することは出来ないのです。
なぜなら、自分と人生を知らないからです。
無知は誤解です。
すべての人は無知に生まれます。
そして、無知は誤解を生じさせるのです。
誤解を生きている者は、最善を誤解します。
それが最善であるにもかかわらず、それを最善と理解することが出来ないのです。
すべての人は、最善を見誤ります。
すべての人は、最善を理解することが出来ないのです。
多くの人は、人生を思い通りにしようと努めています。
理想を実現させることによって人生に豊かさが実現すると思い込んでいるのです。
理想を追い求め、思い通りに生きたとしても、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
なぜなら、人生には、果たすべき目的が存在するからです。
人生は、目的に従って展開することが最善なのです。
あなたの思い通りにすることが人生における最善ではないのです。
未熟であり、誤解を抱えているあなたは、最善と必要を理解することが出来ません。
残念ながら、あなたには、何が最善であり、何が必要であるか分からないのです。
人生には、常に最善と必要が実現します。
必要は最善のタイミングで導かれるのです。
何一つとして、無駄や無意味なことはありません。
それが、どのような状況であろうとも、最善であるからそのタイミングで導かれたのです。
人生は、最善と必要が導かれるように調整しています。
思い通りにならないからといって、心を乱してはなりません。
多くの人は、思い通りにならない時に、怒りや悲しみ、不安や心配によって心を満たします。
それは、人生を思い通りにしょうと焦(あせ)っているからです。
あなたは未熟なのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
それが、どのような状況であろうとも、目の前の現実が最善であり、必要なのです。
それ以上の状況は導かれません。
なぜなら、人生はあなたに相応(ふさわ)しいからです。
あなたは、自分に相応しいことを経験するのです。
思い通りにならない時には、思い通りにならなくて良いのです。
思い通りにならない時には、思い通りにならないことが良いのです。
それなのに、無理矢理に人生を歪(ゆが)めてはなりません。
最善を否定(ひてい)してはならないのです。
思い通りにすれば、最善と必要を得ることが出来ないのです。
あなたは、思い通りにならない人生も受け入れましょう。
自分勝手に生きたところで、最善と必要を得ることは出来ないのです。
好きに生きたとしても、最善と必要を得ることが出来なければ意味がないのです。
人生は、常に最善が導かれるように調整しています。
あなたが人生に勝(まさ)って、最善と必要を理解することなど出来ないのです。
人生に従う方が利口(りこう)なのです。
あなたは、最善と必要を手放してはなりません。
人生が思い通りにならないということは、大きな問題のように思えるかも知れません。
しかしながら、それは、問題ではないのです。
人生の調整を信じましょう。
人生は、悪いようにはしません。
あなたは、自分に出来る最善を尽くせば、後は人生に任せるのです。
”人事を尽くして天命を待つ”のです。
後は、人生が調整してくれるのです。

2020年7月20日月曜日

悪と善

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に無意味に生まれる人はいません。
どのような人物にも、果たすべき目的が与えられているのです。
人生に目的を持たずに生まれることの出来る人はいないのです。
どのような人物であろうとも、意味があって生まれるのです。
そして、すべての人には価値があるのです。
あなたは、自分の小さな価値観で人を判断してはなりません。
悪人には、悪人の存在する意味があり、価値があるのです。
大抵の人は、悪人を嫌いますが、悪人の意味と価値を見失ってしまえば、自分が悪人として存在することになってしまうのです。
悪人を悪人とする人が悪人なのです。
大切なのは、すべてに意味があり、価値があるということです。
あなたは、悪人に対して意味と価値を見出さなければなりません。
悪人は、悪人の役割を果たしています。
この世界には、陰陽(いんよう)の仕組みが存在しています。
陰陽の仕組みとは、相反する性質のものが互いに支えあっているという法則のことです。
陰(かげ)が存在するのは、光が存在するからです。
光が存在しなければ、陰は存在することが出来ないのです。
しかしながら、光は、光だけで存在することは出来ません。
光が光として存在するためには、陰が存在しなければならないのです。
陰が存在しなければ、光を認識することが出来ません。
陰を認識するからこそ、光を認識することが出来るのです。
光を認識するからこそ、陰を認識することが出来るのです。
陰と光は互いに依存(いそん)し、互いに支え合っているのです。
善人は、善人だけで存在することは出来ません。
善人が存在するためには、悪人の存在が不可欠なのです。
悪人が存在するからこそ、善人は善人でいられるのです。
悪人を嫌い、善人だけが存在しようとすれば、善人の中から悪人を生み出さなければならないのです。
悪人を追及(ついきゅう)することによって、善人は善人として存在することが出来るのです。
この世界においては、陰陽の仕組みはなくなりません。
悪人はいなくならないのです。
そして、善人もいなくはならないのです。
悪と善は、互いに依存し、支え合っているのです。
それは、あなたの内も同じことです。
あなたの心の中にも、陰と陽が存在しています。
悪と善は、すべての人の心の中に存在しているのです。
悪と善が互いに依存し、支え合うことによって、心の中には葛藤(かっとう)が生じます。
すべての人は、葛藤しているのです。
心の本質は葛藤なのです。
心と向き合う時には、葛藤と向き合うことになるのです。
この世界から問題が消え失せることはありません。
心から問題が消え失せることもないのです。
それは、陰陽の仕組みが消え失せることがないからです。
世界にも、心にも、問題が存在することが自然です。
残念ながら、問題を取り除くことは出来ません。
一つの問題を解決すれば、別の問題が生じるのです。
人生とは、問題との向き合いです。
問題を完全に手放すことなど出来ないのです。
あなたは、問題と共に生きなければなりません。
問題を嫌ってはなりません。
悪人を弾劾(だんがい)してはなりません。
悪人は、悪人としての役割を果たしただけなのです。
争わずに感謝を選ぶのです。
それが容易(ようい)でないことは周知の事実です。
多くの人は、悪を許(ゆる)すことが出来ずに争うのです。
悪と善は、両方が大切なものです。
どちらが良くて、どちらが悪いということはありません。
悪は善であり、善は悪なのです。
あなたは、自らの小さな価値観によって判断してはなりません。
すべてが最善なのです。
そして、すべてが必要なのです。
それ以上でも、それ以下でもないのです。
悪と善は同じなのです。
あなたは、そのことを覚えておきましょう。

2020年7月19日日曜日

愛することは難しい

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外のために生まれる人はいません。
どのような人物にも、果たすべき目的が存在するのです。
誰一人として、無駄に生まれることはありません。
あなたには、果たすべき人生の目的が存在しています。
あなたは、それを理解しなければなりません。
人生に目的が存在していることを知らなければ、人生の目的を探しません。
人生の目的を探すことがなければ、人生を空しく生きてしまうのです。
例えば、目の前の快楽や欲望や責任や苦悩を貪(むさぼ)るように生きてしまうのです。
それは、”普通”の生き方ですが、普通に生きるということは、自分の人生を捨てるということなのです。
あなたが自分の人生を生きる時には、”普通”に生きることは出来ません。
それは、あなたの人生がこの世に唯一(ゆいいつ)のものだからです。
唯一の人生を生きることは、普通ではありません。
唯一の人生を生きることは、特別なのです。
すべての人が唯一の人生を生きなければなりません。
それは、すべての人が特別な生き方をしなければならないということなのです。
あなたは、特別な生き方をしなければなりません。
”普通”に生きてしまえば人生は空しく、決して豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたは、空しい人生を生きるために生まれた訳ではありません。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、自分の人生を生きる必要があります。
自分の人生を生きることによって、あなたは、人生の目的を果たすことが出来るのです。
自分の人生を生きなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
多くを得たからといって、人生の目的を果たすことにはならないのです。
多くを得るために生まれるような人はいません。
そのような詰まらない理由で生まれる者はいないのです。
世界中の財産を手に入れても、人生の目的を果たすことは出来ません。
世界中の財産を手に入れることは、人生の目的ではないのです。
物を集めるために生まれる人はいません。
人は、愛するために生まれるのです。
世界中の財産を手に入れるよりも、一人を愛することの方が価値があります。
世界中の財産を手に入れるよりも、一人を愛することの方が難しいのです。
あなたは、愛の価値を見誤ってはなりません。
愛は、何よりも価値のあるものなのです。
世界中の財産を用いても、愛を取引することは出来ません。
この世の財産では、愛と釣り合わないのです。
それ程、愛には価値があるということなのです。
愛を手に入れることは難しいのです。
それは、愛することが難しいからです。
多くの人は、愛することが出来ません。
愛することが出来ていると考える人もいるでしょうが、残念ながら、それは、愛ではありません。
欲に駆(か)られている人は、愛することが出来ません。
欲と愛は共存することが出来ないのです。
欲が介入(かいにゅう)すれば、それは愛ではないのです。
欲が介入すれば、それは愛ではない別の何かなのです。
多くの人は、欲の介入した愛ではない別の何かを愛だと思い込んでいます。
愛することが出来ないのに、愛することが出来ていると思い込んでいるのです。
多くの人の人生が空しいのはそのためです。
愛することが出来ない人の人生は、例外なく空しいのです。
愛することが出来なければ、どのような人生も空しいのです。
愛する以外の方法で、人生に豊かさを実現することは出来ません。
世界中の財産を集めても、人生は空しいのです。
あなたは、愛の価値を見誤ってはなりません。
愛の前では、世界中の財産も霞(かす)んでしまうのです。
あなたは、愛することに努めましょう。
愛することに詰まらない欲を介入させてはなりません。
あなたの都合など、愛することには関係のないことなのです。
愛することは、都合を超えるのです。
都合とは、欲が生み出す幻想に過ぎません。
都合を生きている人は、欲に従って生きているのです。
すべての人は欲に駆られます。
愛することは難しいということを理解しましょう。
豊かな人生は難しいのです。

2020年7月18日土曜日

人生の目的を果たす仕事

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが、人生において最も重要なことなのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
それは、あなたが人生の目的を果たすために生まれたからです。
人生に目的もなく生まれることの出来る人はいないのです。
すべての人が、人生に目的を以て生まれるということを理解しなければなりません。
人生の目的を果たすことなく、人生に生まれた理由を果たすことは出来ません。
人生に生まれた理由を果たすことがなければ、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれます。
あなたは、人生の目的を果たさなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、解決しなければならない課題が多く存在するからです。
人生の目的を果たすことは難しいということを覚えておきましょう。
あなたには、果たさなければならない課題が多く存在します。
あなたは、それを果たさなければなりません。
どのような理由があろうとも、あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことなく、人生に満足することは出来ないのです。
多くの人は、人生の目的を果たすことなく、人生に満足を得ようと考えています。
どのような方法を用いても、人生の目的を果たすことなく、人生に満足を得ることは出来ません。
あなたは、人生の豊かさを得るために、人生の目的を果たさなければなりませんが、人生の目的を果たすことは容易ではないのです。
なぜなら、人生の目的を果たすためには、それに相応(ふさ)しい問題や課題を果たさなければならないのです。
あなたは、必要な条件を満たさなければなりません。
しかしながら、必要な条件を満たすためには、継続と辛抱(しんぼう)が必要なのです。
人生の目的を果たすために必要な条件を満たすためには、一朝一夕(いっちょういっせき)では足らないのです。
長い歳月をかけて積み重ねなければならないのです。
人生は、短距離走のように、一瞬で終わるものではありません。
長い歳月と、多くの労力を費やさなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、長い歳月と多くの労力を覚悟しましょう。
人生とは、辛抱強く継続的に向き合わなければなりません。
しかしながら、あなたの心は安定しません。
天候が目紛(めまぐる)しく変わるように、あなたの心も安定することはないのです。
人生の目的に対して、どうしても熱意を抱けないような時もあります。
いつも、人生の目的のために情熱的でいられる訳ではありません。
元より、多くの人は継続と辛抱が苦手なのです。
多くの人は、一つのことに向き合うのが苦手です。
多くの人は、不安定な心に従って、あれこれと目移りしてしまうのです。
人生に豊かさを実現するためには、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことなく、人生に豊かさを実現することは出来ません。
人生の目的を果たすことは、人生において最も大きな仕事です。
それは、生涯を費やす仕事なのです。
すべての日々が、人生の目的のために費やすべき時間です。
熱意を抱くことが出来なくても、あなたは人生の目的のために働かなくてはならないのです。
人生の目的を果たすためには、休むことが出来ないのです。
どのような時間も、人生の目的のために必要なのです。
調子が悪くても、都合が悪くても、人生の目的のために働きましょう。
目の前の状況や自分自身の心境が思い通りにならなくても、辛抱しましょう。
あなたは、日照りの中でも、嵐の中でも、吹雪の中でも歩み続けなければならないのです。
人生の目的を果たす仕事に休みはありません。
人生の目的を果たす仕事は、あなたが自主的に行わなければならないのです。
残念ながら、あなたにとって都合の良い条件が整うことはありません。
あなたは常に何かが不足し、苦労するのです。
しかしながら、それでも働かなければなりません。
人生の目的を果たす仕事は容易なものではありません。
それは、子育てのように休むことが出来ないのです。
あなたは、日々人生と向き合いましょう。
やる気が無くても向き合わなければなりません。
やる気が無い時には、やる気が無いなりに向き合えば良いのです。
そこには、やる気がある時には出来ない発見があるのです。
心が不安定なのにも意味があるのです。
気分を害さずに辛抱して人生の目的と向き合いましょう。
人生と向き合い続けましょう。

2020年7月17日金曜日

価値の基準は変わる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、あなたが人生に生まれた理由です。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
すべての人に、果たすべき目的が与えられます。
誰一人として、無意味に生まれることは出来ないのです。
あなたには、あなただけの目的が存在するのです。
人生の目的は、誰にとっても特別なものです。
なぜなら、人は、それぞれの目的を以て生まれるからです。
同じ目的のために生まれることは出来ません。
同じ目的のために生まれることは意味が無いのです。
それぞれが異なる目的を以て、それぞれの役割を果たすのです。
それで、世界が成り立つのです。
人が同じことをすれば、世界は成り立ちません。
この世界には、無価値な人は存在しません。
どのような人物にも、価値のある役割が与えられているのです。
あなたの人生には、大切な意味と価値があるのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
自分の人生を、自分の役割を大切にしなければなりません。
自分を大切にするということは、価値観を大切にするということです。
あなたは、価値観に従(したが)って役割を果たさなければなりません。
価値観に従わなければ、役割を果たすことは出来ないのです。
あなたは、自らの価値観を大切にしましょう。
しかしながら、すべての人は未熟に生まれます。
誰一人として、完全に生まれる人はいないのです。
未熟者の価値観には不足があります。
未熟者の価値観は、真(まこと)の価値を捕らえることが出来ないのです。
未熟な価値観を鵜呑(うの)みにしてはなりません。
あなたは、未熟な価値観を大切に育てなければならないのです。
あなたは、自らの未熟な価値観を、我が子と思い大切に育てましょう。
子が成長するように、価値観も成長します。
価値の基準は変わるのです。
価値の基準は、変わることが自然であり、変わることが最善なのです。
価値観を大切にするには、価値基準の変化を認めなければなりません。
一つの価値基準に捕らわれてはなりません。
価値観を大切にするというのは、執着(しゅうちゃく)することではありません。
子を大切にするというのは、子の成長を助けるということなのです。
子を自分の都合で束縛(そくばく)することではないのです。
子は成長して、あなたの価値基準を超えるのです。
すべての人は、人生に目的を以て生まれます。
人生の目的は、あなたが人生を始める前に定めたものです。
人生の目的は、宿命として目の前に導かれるのです。
あなたの価値観は、宿命と共に変化します。
宿命が価値観を変えるのです。
あなたの価値観は、宿命に従って変化します。
価値観の変化を食い止めることは出来ません。
価値の基準は変わるのです。
価値観は、変化していくのが自然です。
しかしながら、多くの人は一つの価値観に執着します。
それは、宿命に逆らう生き方であるのです。
宿命は、価値観の変化を促(うなが)します。
それは、より本質的な価値を見極めさせるためです。
“見えるもの”は、本質からは離れた価値です。
価値が無い訳ではありませんが、本質的な価値ではありません。
本質的な価値とは、より見えないものなのです。
形のあるものよりも、形の無いものの方が本質的な価値があります。
物質的な物よりも、意識的なものの方が本質的なのです。
例えば、心が穏やかでなければ、どのように高価な物を得ても嬉しくはないのです。
すべての人は、高価な物よりも心のことが気になってしまうのです。
心が穏やかであれば、安価な物を得ても嬉しいのです。
すべての人は、物よりも心の方に価値を見出すのです。
あなたの価値観は必ず変化します。
価値観は、より本質的な価値を求めているのです。
あなたは、価値観の変化に戸惑(とまど)うかも知れません。
しかしながら、変化を避けることは出来ません。
価値観の変化を食い止めていると、宿命を否定することになってしまいます。
それは、人生の目的を無視するということなのです。
そのような生き方は人生に空しさを導くのです。
人生の目的に従って生きることが、人生を豊かに生きる方法なのです。
価値観の変化に従いましょう。
あなたは、我が子のように価値観を大切に育てなければなりません。

2020年7月16日木曜日

幸福の形

すべての人は、人生に幸福を求めます。
すべての人は、人生に幸福を実現したいと願っているのです。
幸福の形は、人それぞれに異なります。
幸福に決まった形はありません。
幸福とは、人それぞれのものなのです。
幸福は、それぞれに異なっているのが自然なのです。
そのため、すべての人が幸福を求めることが出来るのです。
あなたは、人生に幸福を実現しましょう。
幸福を追い求め、それを実現するのです。
人生を不幸に生きる必要はありません。
誰もが、幸福に生きることが出来るのです。
不幸と幸福ならば、幸福の方が良いでしょう。
人が、それぞれの幸福を求めるのは自然のことであり、健全なことなのです。
あばたは、幸福を求めましょう。
そして、幸福を実現しましょう。
幸福を実現するためには、自分に相応(ふさわ)しい幸福の形を知らなければなりません。
幸福の形を知らなければ、幸福を実現することは出来ないのです。
大切なのは、自分に相応しい幸福の形を知ることです。
それが、幸福を実現するための基本なのです。
しかしながら、多くの人は、自分に相応しい幸福の形を知りません。
しかしながら、すべての人が幸福を求めるのです。
そのため、自分に不相応(ふそうおう)な幸福の形を追い求めることになってしまうのです。
多くの人は、自分に不相応な幸福の形を懸命に追い求めます。
しかし、多くの人は、それが自分に相応しい幸福だと思い込んでいるのです。
多くの人は、人生に空しさを覚えます。
自分の思う幸福を追求しているにもかかわらず、得られるのは空しさなのです。
多くの人は、空しさを得ているにもかかわらず、幸福を手にしていると思い込もうとしているのです。
残念ながら、多くの人は、自分に相応しい幸福を知りません。
それは、自分が何か?という前提(ぜんてい)を知らないからです。
自分を知らないために、自分に相応しい幸福が分からないのです。
水を好む亀には、水を与えなければなりません。
陸を好む亀には、陸を与えなければなりません。
海を好む亀には、海を与えなければならないのです。
それが自然です。
それは当たり前のことですが、そのことが分からないのです。
多くの人は、水を好む亀に陸や海を与えます。
陸を好む亀に水や海を与え、海を好む亀に水や陸を与えているのです。
それでは、亀は命を失ってしまうのです。
亀とは、あなたのことです。
そして、水や陸や海とは、人生の目的のことなのです。
すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれるのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
なぜなら、すべての人が人生の目的を果たすために生まれたからです。
人生の目的を果たすことは、人生に生まれた理由なのです。
あなたは、人生の目的に相応しい生き方を幸福と感じることが出来るのです。
人生の目的に相応しい生き方でなければ、幸福と感じることは出来ないのです。
あなたの目的が水であるのに、陸や海を求めてはなりません。
目的に不相応な生き方をどれだけ宛(あて)がったとしても、幸福を得ることは出来ないのです。
多くの人にとっての幸福とは、疑問を持たずに無知に生きることによって導かれる誤解です。
多くの人は、自分を知らないままに生きているのです。
そして、自分に不相応な幸福を、自分に相応しい幸福と思い込むようにして生きているのです。
残念ながら、自分に相応しい幸福の形を見付けている人は少ないのです。
残念ながら、大抵の人は、自分に相応しい幸福を知らずに生きているのです。
自分に相応しい幸福を見付けるのは容易(ようい)ではありません。
それは、自分とは何か?という問いに答えることが難しいからです。
この問いの答えは、容易には手に入りません。
人生を終えるまでは、自分が何か?を知ることは難しいのです。
そのため、人生を終えるまでは、自分に相応しい幸福の形も分からないでしょう。
あなたは、幸福を客観しなければなりません。
客観すれば、幸福は幸福としての形を保つことは出来ません。
客観すれば、幸福は幸福ではなくなるのです。
残念ながら、大抵の幸福は誤解です。
あなたが幸福と思っている幸福は、真(まこと)の幸福ではないのです。
幸福を得ることに熱中してはなりません。
幸福は、強引に手に入れられるものではありません。
自分を知らずに手に入れられるものではないのです。
人の世では、自分を知らない強欲な者達が、幸福という誤解を奪い合っています。
あなたは、多くの人と同じように不毛な戦いに明け暮れてはなりません。
あなたには、人生の目的、生まれた理由があるのです。
それを探しましょう。
わざわざ幸福を追い求める必要はありません。
自分を知れば、自ずから幸福は導かれるのです。

2020年7月15日水曜日

人生は、思っていたのとは異なる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが、人生の目的なのです。
人生の目的を果たすことなく、人生を完成させることは出来ません。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在するということを理解しなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
人生に目的が存在することを知らないから、目の前の快楽や欲望や責任や苦悩を貪(むさぼ)るのです。
人生に目的が存在することを知らない限りは、目の前の快楽や欲望や責任や苦悩を貪るだけの人生を生きなければならないのです。
それは、”普通”の生き方です。
しかしながら、あなたは、それが空しいということを理解しなければならないのです。
”普通”に生きることは空しいのです。
あなたは、人生を空しく生きてはなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たす生き方は、決して”普通”の生き方ではありません。
それは、人生の目的が唯一(ゆいいつ)のものだからです。
あなたは、この世界に唯一の目的を果たさなければならないのです。
この世界に唯一の目的を果たすためには、”普通”に生きてはならないのです。
”普通”に生きては、人生の目的を果たすことが出来ません。
目の前の快楽や欲望や責任や苦悩を負うような生き方では、人生を完成させることは出来ないのです。
人生において重要なのは、人生の目的に沿(そ)って生きることです。
人生の目的に沿って生き、それを果たすことが重要なのです。
しかしながら、すべての人は、人生の目的を見失っているのが現状です。
すべての人は、自分が何のために生まれたのか?分からないのです。
すべての人は未熟に生まれます。
すべての人は、自分が何か?分からないのです。
すべての人は、人生が何か?分からないのです。
大切なのは、すべての人が未熟に生まれ、同時に誤解を抱えているということを理解することです。
すべての人は知らないのです。
もちろん、あなたも知りません。
そのため、自分の考えや理想というものは当てになりません。
残念ながら、あなたの理想は人生の目的とは異なるのです。
人生は、思っていたのとは異なります。
あなたは、理想の人生を生きることが出来ないのです。
人生は、あなたの理想を無視して展開します。
あなたは、理想を実現することが出来ないのです。
どのように努めても、理想を実現することは出来ません。
残念ながら、あなたには現実を予測することは出来ません。
現実は、あなたの考えているようなものにはならないのです。
予測は外れます。
人生は、思い通りにはならないのです。
そのことを覚えておきましょう。
しかしながら、人生は、思っていたものと異なっていて良いのです。
寧(むし)ろ、その方が良いのです。
あなたは、理想を実現することが出来ません。
なぜなら、理想を実現する必要がないからです。
人生における最善とは、人生の目的が実現することです。
残念ながら、人生に理想が実現する必要はないのです。
なぜなら、理想とは、偏見と誤解だからです。
あなたは、思っていたのとは異なる人生を楽しみましょう。
大抵の場合、理想から離れることを問題や苦しみと感じます。
そのため、多くの人は、現実を否定(ひてい)し、理想を追い求めるのです。
現実を否定するということは、必要を否定するということです。
目の前の状況がどのようなものであろうとも、それが、あなたにとっての必要なのです。
現実は、理想とは異なりますが、それは、あなたが偏見と誤解を抱えているために、認識が間違っているからです。
人生が間違えることはありません。
現実は、それがどのようなものであれ、あなたにとっての最善であり、必要なのです。
あなたは、人生を疑(うたが)ってはなりません。
正しいのは、自分ではありません。
正しいのは、常に人生の方なのです。
目の前の現実を否定することは、自分にとっての最善と必要を否定するということです。
自分にとっての最善と必要を否定することが、最善と必要とは思えないでしょう。
人生の目的を知らない以上、あなたは正しい判断を下すことが出来ないのです。
あなたは知りません。
それは、あなたが間違っているということを意味しています。
人生を否定してはなりません。
それが、どのような現実であれ、あなたに相応(ふさわ)しいということを理解しましょう。
人生は、思っていたものとは異なります。
しかしながら、それで良いのです。

2020年7月14日火曜日

自分を理解するための時間

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人生は、目的を果たすために展開(てんかい)するのです。
残念ながら、人生に無駄は存在しません。
人生には、何一つとして無意味や無価値なことはないのです。
あなたが無駄に思えることや、無意味や無価値に思えることであっても、大切な意味や価値が存在しているのです。
それは、あなたが人生の目的を果たすための必要です。
すべては、人生の目的を果たすための意味や価値なのです。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはありません。
人生は、その目的を果たすことが出来ればそれで良いのです。
世界中の富を手に入れようとも、人生の目的を果たすことが出来なければ空しいのです。
あなたは、人生の意味や価値を誤解してはなりません。
人生の目的を果たすこと以上の意味や価値は、この人生には存在しないのです。
あなたは、人生の目的を果たす必要があるということを覚えておきましょう。
人生の目的を果たすためには、人生の目的を理解する必要があります。
人生の目的を知らなければ、それを果たすことは出来ないのです。
しかしながら、人生の目的を理解することは容易(ようい)ではありません。
大抵の人は、人生の目的を知らずに生きなければなりません。
そして、大抵の人は、人生の目的を果たすことなく死を得るのです。
それは、人生の目的について考えることが少ないからです。
人生の目的について考えることがなければ、人生の目的を理解することは出来ないのです。
探さなければ見付かりません。
人生の目的は、偶然や奇跡的に理解することが出来るものではないのです。
元より、この世界には、偶然や奇跡というものは存在しないのです。
因果の仕組みが存在するこの世界においては、探さなければ見付かりはしないのです。
探さなければ、見ていても見付かりません。
それは、ただ眺めているだけでは、何も見ていないのと同じだからです。
探さない者は、理解しません。
人生は、常にあなたに対して、人生の目的を果たさせるように導きます。
あなたの目の前には、常に必要と最善が導かれているのです。
探さない者には、目の前に導かれている必要と最善を理解することが出来ません。
探さない者には、大切な意味や価値はただ通り過ぎてしまうのです。
あなたは、目の前に導かれている必要と最善を理解しなければなりません。
そして、通り過ぎようとしている大切な意味や価値を捉(とら)えなければならないのです。
そのためには、探さなければなりません。
あなたは、人生の目的を探すのです。
探している者と、探さない者では、見ているものが違います。
探している者と、探さない者では、得られるものが違うのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生を空しく生きてはならないのです。
あなたは、目の前の状況を理解しなければなりません。
目の前の状況にどのような意味や価値があるのか?と考えなければならないのです。
人生をただ眺めていてはならないのです。
流されるだけでは溺(おぼ)れてしまうのです。
流れに逆らうことが出来なくても、息継(いきつ)ぎをするためにもがくことは出来るのです。
必要や最善、意味や価値を理解しようとする時、人は無様(ぶざま)にもがかなければなりません。
綺麗に必要や最善、意味や価値を理解することなど出来ないのです。
残念ながら、あなたには、必要や最善、意味や価値を綺麗に理解することが出来る程の力はありません。
あなたは、必要や最善、意味や価値を苦労して理解しなければならないのです。
残念ながら、必要や最善、意味や価値を理解することは容易ではありません。
それは、あなたが未熟であり、理解力に乏(とぼ)しいからなのです。
人生の目的を理解するためには、自分を知る必要があります。
それは、人生の目的を果たすための役割が自分自身であるからです。
自分とは、人生の目的を果たすための役割なのです。
役割を理解すれば、目的を果たすことが出来るのです。
しかしながら、役割を理解しなければ、目的を果たすことは出来ないのです。
人生とは、自分を理解するための時間です。
自分を理解するためには、先ずは現状の自分を体験する必要があります。
残念ながら、すべての人が、人生の目的を果たすための役割に至(いた)ってはいません。
それは、整備されていない道具のようなものなのです。
道具は、整備しなければ使い物になりません。
整備していなければ、道具は自らの役割を果たすことが出来ないのです。
あなたは未熟に生まれます。
残念ながら、あなたは歪(ゆが)み、汚れているのです。
そのままの状態では、自らの役割を果たすことは出来ないのです。
先ずは、汚れと歪みを取り除く必要があるのです。
汚れと歪みを取り除くためには、自分自身の行いを理解する必要があるのです。
自分自身の行いを理解すれば、それがいかに汚れ、歪んでいるか?を知ることが出来るのです。
自分自身の行いを理解するためには、それ相応(そうおう)の体験をすれば良いだけです。
他者を通じて、自分自身の行いを体験すれば良いだけなのです。
そのため、すべての人は、かつての相手の立場に陥(おちい)ります。
自分の行いは、他の誰かによって必ず返るということを理解しなければならないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果の仕組みを無視することの出来る人はいません。
因果は必ず巡るのです。
それは、自分を理解するためです。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれました。
そのために、自分を理解する機会を与えられるのです。
あなたが体験することは、自分自身の行いであり、身から出た錆(さび)であるということを理解しなければなりません。
もちろん、幸福な体験も、自分自身の行いの結果であるということを理解しましょう。
すべてがあなたなのです。

2020年7月13日月曜日

疑問

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことは、人生において最も重要なことです。
なぜなら、人生の目的を果たすことこそが、人生に生まれた理由だからです。
すべての人には、果たすべき人生の目的が存在するのです。
人生の目的を無視して生きることでは、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
人生の目的を無視して生きることは、人生に空しさを実現してしまうのです。
多くの人が、人生に空しさを覚えるのは、人生の目的を無視して生きるからです。
多くの人は、人生の目的を無視しているにもかかわらず、人生に豊かさを実現しようと努めているのです。
そのために、多くの人は、様々な快楽や欲望を貪(むさぼ)ります。
それが人生に豊かさを実現する方法だと本気で信じているのです。
もしくは、自らの責任に対して没頭(ぼっとう)します。
忙しく働くことによって、人生に豊かさを実現しようとしているのです。
それが人生に豊かさを実現する方法だと本気で信じているのです。
もしくは、苦悩に陥(おちい)ることによって、悲劇の主人公を演じます。
そのような人は同情を集め、多くの人から心配されたり、気遣(きづか)われたりするのです。
それが、人生に豊かさを実現する方法だと本気で信じているのです。
人は、様々な方法によって人生に豊かさを実現しようと努めているのです。
しかしながら、そのような人は、人生に豊かさを実現することは出来ないでしょう。
多くの人は、人生を自分の思い通りにしようと努めるのです。
しかしながら、人生があなたの思い通りに展開することはありません。
人生は、いつの時にも思い通りにはならないのです。
あなたは、人生を操作(そうさ)することは出来ないということを認めましょう。
人生は、あなたの意志を尊重(そんちょう)しません。
人生は、あなたの目的を尊重するのです。
人生の目的とは、後天的なものではありません。
あなたは、人生の目的を探すために生まれたのではありません。
人生の目的は、あなたが生まれる前に定めておいたのです。
それは、この世界には因果の仕組みが存在するからです。
因果の仕組みとは、結果には、それに相応(ふさわ)しい原因が存在するというものです。
原因が存在しなければ、どのような結果も生じないのです。
人生という結果をこの世界に実現するためには、人生の目的という原因が必要なのです。
人生の目的は、あなたが人生を始める前から定められているのです。
あなたは、それを果たせば良いのです。
人生の目的を一から探したり、一から組み立てる必要などないのです。
あなたは、人生の目的を果たしましょう。
人生の目的を理解するためには、疑問を抱かなければなりません。
何も”考えず”に、目の前の快楽や欲望や責任や苦悩を貪(むさぼ)っている人は、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすことが出来なければ、人生は空しいのです。
どのように快楽や欲望を貪ったとしても、目の前の快楽や欲望を退(しりぞ)けることは出来ないのです。
あなたは、疑問を抱きましょう。
疑問を抱くことこそが、人生の目的を果たすための必要なのです。
あなたは、疑問を抱かなければなりません。
疑問を抱くことによって、疑(うたが)うことが出来ます。
疑うことによって、人は、間違った生き方を手放すことが出来るのです。
疑いは、やがて気付きをもたらします。
それは、人生の目的をあなたに教えるのです。
人生の目的は、常にあなたの内に存在します。
それに気が付いたら、後は実現するだけなのです。
人生の目的を果たすことには、欲望の力は必要ではありません。
傲慢(ごうまん)の力も必要ではないのです。
多くの人は、欲望に従って生きています。
多くの人は、傲慢に従って生きているのです。
それが”普通”なのです。
多くの人は、普通の生き方に疑問を抱くのはおかしいと信じているのです。
多くの人は、同調圧力に屈します。
多くの人は、”普通”に生きることが最善だと思い込まされているのです。
すべての人には、人生の目的が存在します。
人は、それぞれの個性を以て、それぞれの目的を果たすために生まれるのです。
自分らしくあることが自然です。
個性を殺すことは、不自然な生き方なのです。
残念ながら、多くの人は個性を失っています。
多くの人は、周囲の人と変わりません。
多くの人は、それに安心しているのです。
人生の目的を果たさなければ、空しさを退けることは出来ません。
人生の目的を果たすためには、当たり前(普通)に疑問を抱くことです。
常に疑問を抱き続け、常に変化し続けることが求められるでしょう。
それは、自分という本質へと近付くための変化なのです。
あなたは、人生がこのままで良いのか?と自問しましょう。
あなたは、疑問を抱き続け、人生の目的を果たしましょう。