人生に豊かさを導くものはあなたの意思であり、あなたの努力です。
所有する意思は思いやりによって正しく、より建設的な方向性でなければならず、その努力(行動)は怠らないように努めなければなりません。
いくら思いやりによって正しい方向性の意思を所有していたとしても、その意思に勝る程の努力を重ねることが出来なければ、どのような意思も世界に対して反映することはなく、正しい意思も行方を彷徨(さまよ)ってしまうことになるのです。
意思に迷いが生じるのであれば、それが形として世界に存在することは出来ません。
意思を形として世界に存在させるためには、それが形を成すための幾多の試練を乗り越えてまで形を成そうとする程の努力が必要なのです。
意思を正しく導くことが出来ない者は世界に対して自らの理想に形を成すことは出来ません。
しかしながら、いくら正しい方向性の意思を所有していたところで、それを実現させようとする努力(行動力)を持ち合わせていなければ、それが形を成すことは有り得ないのです。
あなたには世界に対して実現させたいと思う理想があるはずです。
あなたはその理想に対してどのような働きが出来ているでしょうか?
あなたの努力(行動力)が支えることがなければ、あなたのどのような意思も決して形を成すことはありません。
努力の力を信じることが出来ない者には、自らの理想を世界に実現させる権利を持つことは出来ないのです。
自らの理想(意思)を世界に対して実現させる者は、意思に対しての正しい方向性とそれに負けることのない努力を併せ持つのです。
どちらが欠けてもならないのです。
あなたは正しい方向に向けて意思を導くことが出来ていますか?
思いやりに欠ける方向性の意思であっては、あなたの理想が世界に実現することはないでしょう。
一時の間はその意思も世界に対して形を成すことがあるかも知れません。
しかしながら、思いやりに欠ける方向性の意思によって形を成すものは敵を作り出し、それを妬む者の力によってすぐさま崩れ去ってしまうのです。
意思に対して思いやりを込めることを忘れてはならないでしょう。
そして、その意思に対する努力を諦めてはなりません。
理想に対してそれは初めから出来ないことだと弱音を吐き、無理だと決め付けて放り出していてはどのような可能性もそこに存在することは出来ないのです。
例え、それが現状の自らに対して大き過ぎる理想であろうとも、それを実現させる可能性が存在しないということはないのです。
例え、その理想をすぐには実現させることが難しくても、努力を諦めなければそこに辿り着く可能性はゼロではないのです。
あなたが諦めない限り、可能性は存在しているのです。
あなたがすべての理想を実現させることは出来ないでしょうが、自らの手で可能性を摘み取るようなことをしてはなりません。
行動する前から弱音を吐き、努力する前から諦めてはなりません。
結果は分かりません。
人生とは必ずしも決まっている訳ではないのです。
理想に対してほんの少しでも可能性が存在しているのであれば、あなたはそれを見捨ててはならないでしょう。
その可能性を切り捨てるのであれば、やがてあなたは自らを見失ってしまうでしょう。
自らを見失ってしまえば何をやっても苦しいだけです。
あなたは「誰」ですか?
あなたは何がしたいのでしょう?
そして、あなたは何をすることが出来るのでしょう?
意思を正しく導き、弛(たゆ)まぬ努力によって自ら(の理想)を世界に実現させましょう。
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