このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年4月30日月曜日

「今」を導く

どのような価値も過去には存在しません。
すべての価値は未来にこそ存在しています。
時間はとどまることなく未来へと導かれ、過去は手の届かない彼方へと遠ざかります。
あなたがどのように過去に手を伸ばしたところで、それを掴むことはできません。
決して掴むことができないものは、決して手に入れることはできません。
過ぎ去るものを追い求めても、それに触れることも、それを手に入れることもできないのです。
価値とは可能性です。
可能性とは未来にこそ存在しています。
もう動かすことのできない過去には、どのような可能性も存在してはいないのです。
人生を豊かなものにするためには、過去に縛られてはなりません。
過去を追い求める程に、未来に存在している可能性を見逃してしまうことになるからです。
過去に取り付かれた者は未来を失います。
それがどのような失敗であり、どのような後悔であれ、過去は過去であり、もうどうすることもできないのです。
大切なのは過去を追い求めることではなく、未来に存在している可能性を追い求め、それを掴み取ることなのです。
あなたは、どのような過去ももう二度と取り返しがつかないことを忘れてはならないでしょう。
過去は過去で形をとどめ、それが変わることはありません。
あなたがどのように努力をしようとも過去を覆すことはできないのです。
過去は教訓として受け取り、未来に対して活用しなければならないでしょう。
あなたが現在どのような「今」を生きていたとしても、あなたの未来には必ず素晴らしい展開が待っています。
人生は常に上手く進んでいます。
そうは思えない時ばかりでしょうが、上手く行く時と上手く行かない時とがあるように感じるだけです。
例えあなたが上手く行かないと感じている時も、すべては上手く進んでいます。
どのような状況にあっても未来には可能性が存在しているのです。
あなたは自らの未来に存在している可能性を信じていましょう。
過去に捉われてしまい「今」を過去にしてはなりません。
どのような状況にあろうとも、過去に捉われることなくまだ見ぬ未来の可能性を信じていましょう。
そして、その手で「今」を未来へと導きましょう。

2012年4月29日日曜日

考える

思考は設計図のようなものです。


考えることによって物事には道筋が生まれます。

考えれば考える程にその道筋の細部に至るまで明確に浮き彫りになることでしょう。

考えなければどのような道筋も築かれることはありません。

考えることがなければ、人は理想的な状況を現実のものとして導き出すことはできないのです。

考えることによって導き出されること、それは創造と予測と創意工夫です。

理想や目標に辿り着くためには、それ自体を創造し、それが世界でどのような動きを見せるのかを予測し、どのような方法によって実現させることができるのかを考え、創意工夫しなければならないのです。

考えることがなければ、そのすべては行き当たりばったりであるため、単純に効率が悪いのです。

考えることによって生み出される創造と予測と創意工夫がなければ、事前の対策も緊急時の対処もできません。

生じる問題に対処することができなければ、どのような理想や目標にも辿り着くことはできないのです。

どのような道を行くにしても、必ず何らかの問題は生じるものです。

問題が生じない道はありません。

理想や目標を実現させるためにはその問題と向き合うことが必要なのか?

それとも、問題には直接的には向き合わずに、その中に存在している未来へと繋がる可能性を探すことが必要なのか?

問題に対する対応の仕方によって、その先の展開が変わるのです。

考えることで予測が生まれます。

それは創意工夫を生み出すことに繋がるのです。

考えることがなく、行き当たりばったりでは問題に飲み込まれてしまうでしょう。

そうなれば、理想や目標を諦めなければならなくなるでしょう。

あなたは考えなければなりません。

失敗や成功に対して、でき得る限りの予測と対処法を導き出しておかなければならないでしょう。

成功したにもかかわらず、その状況に対応することができなければ、そこから可能性(道)を広げることはできません。

失敗したとしても同じことでしょう。

思考は大切な設計図です。

しかしながら、それを実現させるには行動が必要ですが、設計図がなければ行動することもままなりません。

考えて立案することは、行動するためにはとても大切なことです。

考え過ぎて行動が疎かになってもいけませんが、熟考することで理想や目標に辿り着く確率は高まることでしょう。

考えることで活路を見出し、可能性を広げていかなければなりません。


2012年4月28日土曜日

創造主

状況に対して必要な成果、そして、そこに求める以上の成果を得るためには、創造性を持たなければなりません。
それは可能性を広げるための建設的な力です。
創造性とは、その状況に対して新たな価値を生み出すための建設的な力なのです。
創造性とは豊かな未来を作るための力なのです。
創造性はどのような人物にも備わっています。
創造性を所有しない者は存在しません。
人は創造性を使用しなければ未来を築くことはできません。
どのような人物も創造性を使って未来を築いているのです。
しかしながら、その力を十分に活用できているかは別の問題です。
創造性は誰にでも生まれながらに備わっている力です。
しかしながら、それは一種の能力であるため、活用していないのであれば衰えて退化してしまうのです。
歩かなければ脚力が衰えるのと同じことです。
やがては歩行が不可能になってしまいます。
生まれながらに備わっている創造性という能力を放置しているのであれば、それはやがて衰え、いずれは退化して使い物にならなくなってしまうのです。
創造性が使い物にならなくなれば、未来を築いていくことはできません。
すべての未来は白紙です。
そこに運命を感じるのは人の後付けです。
未来はあなたの中に存在する原因が築くのです。
未来とはそのすべてが未知であり、処女地なのです。
未来を築くためには、そこに新たな方法や方向性や価値を生み出していかなければならないのです。
新たに何かを生み出していくためには創造性が必要不可欠なのです。
創造性を持たずに未来を築くことなどできはしないのです。
あなたが状況に対し、未来に対して必要な成果、そして多くの豊かさを求めるのであれば、創造性という能力を鍛えなければなりません。
創造性を鍛えるためには、状況に対して常に可能性を探す努力をしなければなりません。
価値をより高める方法や、新たな価値を見出していこうとする努力が必要なのです。
過去に捉われるよりも未来を目指すのです。
目の前の失敗よりも後の成功を目標にするのです。
気持ちを、心を、意思を、頭を可能性に対して傾けましょう。
未来を創造していくのはあなたです。
創造的に生きなければなりません。

2012年4月27日金曜日

楔(くさび)

人生に対する満足度は自分がどのようなことを成し遂げたのかによって決まります。
あなたがどのような成果を人生に築いたのかによって、自らに受け取る満足度は変わるのです。
満足度を高めるためには、より大きな成果を導き出し、より大きなことを成し遂げなければならないでしょう。
より成長し、より向上し、より発展した場所に程、大きな満足感が存在しているのです。
あなたはより大きなことを成し遂げなければなりません。
大きなことを成し遂げるためには、大きな志が必要になります。
志も持たずに何かを成し遂げることはできません。
その志の大きさによって、成し遂げようとするものの大きさも変わってきます。
それが大きな志である程、大きなことを成し遂げる可能性は高まります。
しかしながら、大きなことを成し遂げたいと思った時、人の視点はより高みに、より遠くに向けられます。
夢を叶えようとする時に、人は目の前の現実(現状)よりも、理想という幻想に着目してしまうのです。
志を大きく持つことはとても大切なことです。
しかしながら、そのせいで目の前の現実(現状)を見失ってしまい、それを疎かにすることには注意しなければならないのです。
大きなものを見る者は、小さなものを見失いがちです。
小さなことを疎かにする者は、大きなことを成し遂げることはできません。
繊細さ、緻密(ちみつ)さに欠ける者は、何かを組み上げる時に小さなものが担う大きな役割りを悟ることはなく、大きなものだけに捉われて小さなものの価値を無視します。
何を積み上げるにしても大きなものだけではそれを成すことはできません。
大きなものだけを組み上げるのであれば、見た目にはもの凄い成長を見せるものです。
勢いよく大きくなるものを眺めるのはとても有意義なことでしょう。
しかしながら、大きなものだけを組み上げていく時、小さなものが持つ「楔(くさび)」の役割を活用していなければ、それはとても不安定なものになってしまうのです。
世界には大きなものと小さなもの、大きなことと小さなことが存在しています。
それは役割を分ち、そこに安定をもたらすためなのです。
大きなことと小さなことがそれぞれの力を一つにすることで、それは確固たるものになるのです。
あなたの目の前には重要に思えるものと、それほど重要には思えないものがあるでしょう。
しかし、その考え方や価値判断は成し遂げるべきものに対して本当に正しいのでしょうか?
大きなことばかりに捉われてはなりません。
小さなことを軽視してはなりません。
状況に応じて何が重要であるのかは変化するはずです。
あなたはそれを見極めなければなりません。
人は自らにとってより大きな(重要)ものを好みます。
しかし、それだけではうまく進みません。
大胆さと繊細さを兼ね備えなければならないでしょう。

2012年4月26日木曜日

選択

人生を豊かなものにするためには、すべての可能性を広げることを念頭に置いておかなければなりません。

すべての豊かさは可能性より生み出されます。
可能性の存在しない場所には、どのような豊かさも存在することはできないのです。
豊かさとは可能性です。
より多き選択肢が用意されていることこそが豊かさなのです。
どれ程の現金を持っていようとも、そこに選択肢が存在しないのであれば、それを豊かさだとは言えないのです。
例え、少ない現金しか所有してはいなくとも、そこに多くの選択肢と可能性が存在しているのであれば、それは豊かさであると言えるのです。
可能性とは自由に対する条件です。
可能性(選択肢)が多い程に、人は自由を得ることができます。
可能性(選択肢)が少ない程に自由には制限がかかり、人は自由を手放さなければならないのです。
あなたは選択肢の多い自由こそが、人生における豊かさであるということを覚えておかなければなりません。
選択肢の多い自由こそが豊かさであることを知ったなら、それを求める必要があるということを理解することができるでしょう。
理解が生じたのならば、それを実行することの価値に気が付くはずです。
そうなれば、あなたは何を求め、何を選択し、何を実行するべきなのかを知るはずです。
これから、あなたがしなければならないことは自らの可能性を広げる選択です。
選択肢を増やす作業です。
あなたは常に選択を求められ、それを実行しなければなりません。
生きるということは、選択し実行するということだからです。
どのようなことも選択し実行しなければなりません。
選択と実行から抜け出すことはできません。
あなたは必ず決断しなければならないのです。
その中であなたが何を選択し、何を実行するのかによって状況や人生における今後の展開が変わります。
あなたの選択こそが人生を築いていくのです。
あなたは自らの選択における責任の重さと、その重要性に気が付かなければなりません。
これからあなたの選択する行動は、あなたの可能性に対してどのように働くでしょうか?
それは、あなたの可能性を広げるでしょうか?
それとも、狭めてしまうでしょうか?
あなたの選択はこのどちらかしか存在しません。
可能性を広げるか?狭めるか?です。
人生を豊かなものにするためには、可能性を広げなければなりません。
可能性を広げる選択とは、あなたにとって厳しいものであったり、苦しいものです。
自身にとって優しい選択や甘い選択では、可能性を広げることはできないのです。
自らを律する中で何を選択するべきなのかを考えましょう。

2012年4月25日水曜日

偽りのない現実

どのような状況においても、あなたが求めなければならないのは「最高の結果」です。

現状において考え得る最高の結果が何なのかを思考し、それを実現させるように努めなければならないのです。
例え、「最高の結果」に辿り着くことができなくても、あなたはそれを目指さなければなりません。
「最高の結果」以外の場所を目指しては、最高の結果を状況に導き出すことはできる訳もないからです。
あなたは状況に対して何を求めていますか?
あなたが求めているのは理想の実現ではないのですか?
幸福感や満足感などの豊かさを求めているのではありませんか?
あなたが状況に対して理想を実現させ、人生に対して幸福感や満足感などの豊かさを得るためには、目の前の状況に対し「最高の結果」を求め、それを実現化しなければならないのです。
現状において考え得る最高の結果以外の結果では力不足なのです。
あなたはどのような状況においても、考え得る最高の結果を求め、その実現に努めなければなりません。
しかしながら、常に「最高の結果」を導き出すことはできません。
考えは及んでいても、それを実現化することは容易ではないのです。
しかしながら、あなたは何があろうとも「最高の結果」を目指さなければなりません。
人は小さく、弱く、未熟な存在です。
誘惑に導かれ、惰性に挫(くじ)けます。
それはある意味では仕方のないことです。
しかしながら、それにいつまでも甘えていてはならないのです。
あなたは、状況に対してどうすれば考え得る最高の結果を導き出すことができるのかを真剣に考えなければなりません。
そして、その考えに対する熱意を絶やさないように自己を管理しなければならないのです。
「最高の結果」を探し求めない者、「最高の結果」を実現しようとしない者には、どのような豊かさも満たされることはありません。
「最高の結果」こそが、あなたを満足させる唯一のものなのです。
妥協や諦めによって導き出される結果に対して、あなたは満足することができるでしょうか?
残念ながら、あなたは自らが考え得る「最高の結果」以外では満足することはできません。
「最高の結果」を導き出すためには、状況に対して「最高の努力」を捧げる必要があります。
現状において考え得る「最高の努力」もしないで「最高の結果」を受け取ることなどできるはずもないのです。
原因こそが結果を築きます。
状況に対してどのような原因(努力)を捧げるかによって、どのような結果が得られるのかが決まるのです。
それは当たり前のことです。
あなたが実際に行ったことしか実現しないのです。
この世界に奇跡などは存在しません。
すべては偽りのない現実です。
「最高の結果」に少しでも近付くことができるように、「最高の努力」を捧げましょう。

2012年4月24日火曜日

仕事

仕事とは、環境づくりです。

その環境や状況、空間や時間における管理こそが仕事というものです。
しかし、それはただ管理すれば良いというものではありません。
その環境や状況や空間や時間がより良いものになるように管理することこそが仕事なのです。
良い仕事というのは、その環境や状況や空間や時間をより向上させる管理方法のことを指します。
その環境や状況や空間や時間が向上をしない管理方法は、良い仕事と位置付けることはできないのです。
人生における時間は、そのすべてが仕事のためにあります。
経済活動における仕事はもちろん仕事ですが、それが経済活動以外の時間であっても人生における仕事であるということを覚えておかなければならないでしょう。
そこに生産性があるのならば、経済活動以外の時間(遊び)も立派な仕事という訳です。
命を所有するあなたが、生産性のないことのために人生を生きているということはありません。
人生を、自身の人格を、そして世界をより向上させ、より発展させ、より豊かなものにするために人生を生きているのです。
生きていること自体が既に仕事なのです。
生きているということには、重い責任が備わっているのです。
しかしながら、多くの人はその責任、自らが生きている理由などに興味を抱くことはありません。
たとえ興味を抱いたとしても、それも時間の流れによっていつの間にかに押し流され、やがて見失ってしまうのです。
人生が仕事だと思い生きている人がどのくらいいるでしょう?
その環境や状況や空間や時間をより良いものにするために真剣に働いているものがどのくらいいるでしょう?
多くの人は人生そのものが仕事であるということを忘れています。
自らの命に備わっている責任のことを忘れてしまっています。
そして、自らの環境や状況や空間や時間に対して不満を持ちます。
それをより良いものにする努力もしないで、文句や言い訳ばかりを並べ立てるのです。
良い仕事をすることが良い環境を作ることを忘れているのです。
あなたが豊かな人生を築きたいと思っているのであれば、良い仕事をすることを心掛けなければなりません。
良い仕事をするためには、どのようなことにも真剣に、誠実に、堅実に、勤勉に、情熱的に向き合わなければなりません。
その姿勢に掛ける者には良い仕事はできません。
自らにとっての豊かな人生を築くことはできないのです。
あなたは、目の前の環境や状況や空間や時間に対してどのように対応していますか?
どのように生きているでしょう?
どのような仕事をするのかによってどのような環境が築かれるのかが決まり、どのような環境を築くかによって、それがどのような仕事であるのかが決まります。
人生におけるすべての時間、すべての空間が仕事場です。
どうするもあなたの自由ですが、手を掛ければ向上し、手を抜けば堕落します。
あなたはどのような人生を生きるつもりですか?
今のあなたの仕事で、そこに達することができますか?
その環境や状況や空間や時間がより良いものになり、その後も継続していくような仕事(環境(システム)づくり)をしていかなければなりません。
あなたの仕事で世界をより良いものにしましょう。

2012年4月23日月曜日

価値を知る

人生の価値を知りたいと思うのならば、そこに存在する「もの」の価値を知らなければなりません。


世界に存在する「もの」の価値を知ることなく、人生の価値を知ることはできないのです。



世界はあなたの目の前に存在しています。



自らの目の前に存在している「もの」の価値に気が付くことがなければ、それを総合する人生の価値に気が付くことはできないのです。


全体の価値を知る上で、個々の価値を疎(おろそ)かにすることはできません。


チームの価値を評価する時、そこに所属する個人の価値を無視することはできません。



個人を無視するなら、チームがどのような仕事をこなすことができるかなど分かるはずもないのです。



個々を無視するのなら、全体を把握するには至りません。



あなたが自らの人生の価値を知りたいと思い立った時、目の前の世界に存在している「もの」の価値を知らないのであれば、あなたはそこへ辿り着くことはできないのです。


あなたは自らの目の前に存在する世界を形成する「もの」の価値を知りたいと願い、それを実現させなければならないでしょう。


それはあなたの世界を形成するすべてのものです。


状況、環境、仕事、絆、コミュニティ、心、価値観、選択、言葉、行動、夢、目標、目的、自分自身・・・


あなたの世界を形成するものは多々あります。


そのすべての価値を理解することは叶わなくとも、それを知ろうとすることは可能です。


知ろうとしなければ叶いません。


あなたは「もの」の価値を知ろうと努めなければなりません。


それがどのようなものであっても、その価値を知るためにはそこにできる限り深く踏み込まなければなりません。


深く踏み込まないのであれば、そこに存在する価値を知ることはできないのです。


価値は深い場所に存在しています。


どのようなものであっても、その表面的な部分に価値を見出すことはできません。


深く向き合い、深く知ることがなければ、価値を知ることはできないのです。


深く向き合うということは、その「道」に対して真剣に取り組むということです。


真剣に取り組むことがなければ、深みへと辿り着くことはできないのです。


そこにこそ価値は存在しています。


あなたは価値を知るために、どのようなことに対しても真剣に向き合わなければならないでしょう。


真剣に生きることができない者には、人生の価値を理解することはできません。


人生に価値を見出すことができないのであれば、人生の豊かさに気が付くこともないでしょう。


人生を意義あるものにするためには、人生の価値を知る必要があります。


真剣に生きることが、あなたの人生を意義あるものにするのです。


真剣に仕事に取り組みましょう。


真剣に相手と向き合いましょう。


真剣に選択しましょう。


真剣に生きてみましょう。


あなたが何かに真剣に向き合った時、そこには素晴らしい価値が溢れていることでしょう。



2012年4月22日日曜日

面白い人生

人生をどのようなものにするのかを決めるのはあなたです。

あなたの人生が面白くなるのも、つまらなくなるのもあなた次第なのです。
あなたがどうするかによって人生はどうとでもなるのです。
あなたがどうもしなければ、人生はどうにもなりません。
あなたは、自らの決断こそが人生を変えるということを知らなければならないのです。
面白くない人生を歩みたいと思うのであれば、面白くない人生を歩めば良いでしょう。
そんなことはあなたの自由です。
好きにすれば良いでしょう。
あなたは自らの人生をどのようなものにしたいと考えますか?
そのままで良いですか?
それよりも高みを目指しますか?
今のままで良いですか?
もっと面白くしますか?
あなたはこれから、自らの人生をどのようなものにするのかを決めなければなりません。
面白い人生にするのか?
面白くない人生にするのか?
どうしますか?
あなたは決断しなければならないのです。
人生に中間はありません。
面白いか、面白くないかです。
しかしながら、多くの人はそのことを忘れてしまっています。
無難な人生が存在していると、本気で信じているのです。
しかしながら、この世界はそのような平和主義がまかり通る程甘い場所ではないのです。
歩まなければ取り残されます。
はい上がらなければ埋もれてしまいます。
何もしないで、何の努力もしないで築ける人生はありません。
たとえ、最低限の努力をしたとしても人生が面白くなることはありません。
人生を面白くしたければ、人の何倍もの努力をしなければならないのです。
人並みの選択、行動、努力、生き方をしたところで、そこに待っているのは日常と退屈です。
人と同じことをしているのならば、埋もれるのは当たり前のことなのです。
埋もれた人生のどこが面白いというのでしょう?
あなたは人生をどのようなものにしますか?
そのために、何を代償として支払い、何を諦め、何と決別しますか?
あなたの人生において、それを面白くするためには無用な時間(習慣)が存在しているはずです。
今すぐにでも決断しなければなりません。
時間は、あなたが思っている程残ってはいません。
どうしょうもなくなる前に、手を打たなければならないでしょう。

2012年4月21日土曜日

現実

人生における成果は、努力を行った者だけがそれを手にする権利を持ちます。

努力という代償を支払わなかった者には、どのような場合も成果を手にする権利は与えられないのです。
あなたには理想があるはずです。
叶えたい夢や、実現させたい目標があるでしょう。
それらを達成するためには、成果を積み重ねていかなければなりません。
突然、理想が形となり、夢や目標が実現するなどということは有り得ないのです。
覚えておかなければならないのは、あなたが生きるこの世界には、どのような奇跡も存在しないということです。
奇跡のように見える必然が存在しているだけです。
すべては原因と結果(因果)によって導かれます。
原因のない結果は存在しません。
それが意識的で水面下の動きであり、目には映らないことであっても、そこには必ず原因が存在し、それは必ず結果として表現されるのです。
すべては現実的です。
この世界に現実以外は存在しません。
奇跡のように見えるものも、そこには確固たる理由と原因が存在しているのです。
あなたは、すべての結果、そしてそこから導き出される成果が現実的であり、一つ一つが綿密に積み上げられた原因によって導き出される当然の状況であるということを覚えておかなければならないでしょう。
奇跡を信じて待っていても、決して奇跡は起きません。
人生は現実です。
命を掛けた戦場なのです。
成果を残せない者は去らなければなりません。
成果に結び付く原因を確実に積み重ねた者だけが、人生に豊かさを得ることができるのです。
あなたは努力を積み重ねなければなりません。
すべては現実です。
どのような努力も必ず必要な結果を導きます。
それと同じように、どのような怠慢も必ず必要な結果を導くのです。
あなたが生きているのは幻想などではありません。
現実という名の実社会です。
理想や夢や目標に向かって綿密かつ確実な努力をした者以外は、そこへ辿り着くことはできません。
努力はあなたを決して裏切りはしません。
もちろん、実現しないことはたくさんあります。
しかしながら、その失敗は必ず次へと繋がります。
努力をしなかった者には次はないのです。
その差に気が付いた時、あなたは努力を疎かにすることはないでしょう。

2012年4月20日金曜日

自分を変える場所

人生とは、自分を知り、自分を高めるための場所です。

成長と向上こそが人生における最大の目的であり、意義であるのです。
成長と向上から逸脱した道において、豊かさを得ることはできません。
あなたが豊かさを以て人生を歩みたいと思っているのであれば、成長と向上の道から逸脱してはならないのです。
あなたが目指さなければならないのは、自己の発見と向上です。
自らを知り、自らを高めることこそがあなたが志すべき道なのです。
あなたは自らの可能性を諦めてはなりません。
人生を投げ打ってはならないのです。
どのような状態や状況にあろうとも、そこに理解と向上を実現させなければならないのです。
あなたは人生をどのように考えているでしょうか?
状況や環境によって左右されると考えているでしょうか?
あなたがもしもそのように考えているのであれば、その考えには注意が必要です。
なぜなら、状況や環境などというものは、ただの結果に過ぎないからです。
結果は原因によってのみ生み出されます。
結果が原因を生み出すことはありません。
ただの結果に過ぎない状況や環境を問題視しているようであるのならば、問題の本質に辿り着くことはできません。
本質に辿り着くことができないのであれば、どのような豊かさも受け取ることはできないのです。
あなたが人生において豊かさを受け取るためには、人生の本質に辿り着かなければならないのです。
状況や環境に責任を転嫁する人物は、状況や環境を問題視してそれを変えようとしますが、状況や環境を変えることに何の意味があるのでしょう?
病気という結果を受け取るとします。
すべてではないにしても、大抵の病気の原因は(生活)習慣にこそあると言えるでしょう。
手術や薬などによって病気を撃退したとします。
それは喜ぶべきことかも知れません。
しかしながら、原因である本人に変わりがなければ、病気は再発してしまうでしょう。
状況や環境を変えても、それは結果に新たな色を上塗りしたに過ぎません。
それでは、結果の根本的な解決にはならないのです。
人生はあなたに自らの理解と向上を促しています。
すべての経験は己を知るためなのです。
そのことを知れば、あなたの中からは「恐れ」が幾らか減っていくことでしょう。
人生を豊かなものにするためには、自分を知り、自分を高めなければなりません。
そのために必要なことは「行動」なのです。
行動することで人は経験を得ることができます。
行動することができない者にはそれが不可能です。
経験こそが己を知る唯一の方法です。
あなたは、自らの原因を状況や環境のせいにしてはなりません。
人生とは自分を変える場所です。
そのことを覚えておかなければならないでしょう。

2012年4月19日木曜日

生きる道

あなたは生きています。
命を燃やし、人生という名の道を歩んでいるのです。
あなたは、自らが生きているということを忘れてはなりません。
自らの命を燃やし、自らが道を築いているということを忘れてはならないのです。
あなたは、自らの生きる道を自らの力によって人生に築かなければなりません。
あなたが生きる道は、基本的にはあなたが自身の力によって築かなければならないのです。
誰もあなたの代わりに、あなたが生きる道を築いてはくれません。
皆、自分自身の生きる道を築くことで手一杯なのです。
あなたが生きていたいと願い、人生に可能性を広げようと考えているのであれば、自らの生きる道は自らが築かなければならないということを決して忘れてはならないのです。
人生とは闘いの場所です。
太古から延々と受け継がれる弱肉強食のシステムは、いつの時代も変わりはありません。
その中で強い者は生き残ります。
しかしながら、弱い者は生き残ることはありません。
残酷なように感じるかも知れませんが、それはこの世界における基本的なルールなのです。
あなたが生きている世界、人間社会においても、弱肉強食のシステムになんら変わりはないのです。
人間同士の間でも、そこには競争原理が働くのです。
どのような存在も競争原理からは逃れることはできません。
強い者が弱い者に勝るというのは自然が決めた当たり前のことなのです。
あなたがこの弱肉強食の世界、そして、人間社会の中で生き残るためには強くなる必要があるのです。
誰かが助けてくれる。
誰かが守ってくれる。
そのような考え方では強くなることはできません。
自分以外の誰かと協力し、支え合い、一つの価値を生み出していくことは大切なことです。
しかし、それが一方的な頼みとなり、依存となれば話は別です。
自分の脚で立とうとせず、自分の力によって道を築こう、切り開こうとしない者には、生きる場所が与えられることはないのです。
自分の生きる道も自分で築こうとはしない弱い者が背負えるような軽い責任は、この世界には存在してはいないのです。
自分の生きる道は、自分の力によって築かなければなりません。
競争社会の中で生き残るためには、自分の能力や魅力を最大限に引き出すことによって生きる道を自らが築き、切り開くことのできる強さが必要です。
自分独りではできないことがあります。
あなたには限界があります。
人の力を借りなければならないことが必ずあります。
それは仕方のないことです。
しかしながら、基本的には自らの身は自らで守らなければならない。
自らの生きる道は自らの力によって切り開かなければならない。
ということは覚えておかなければならないでしょう。

2012年4月18日水曜日

飢を知る

あなたは「飢え」を知らなければなりません。

「飢え」ていなければならないでしょう。
多くの人は「飢え」に対して警戒感や危機感、嫌悪感を抱いています。
そのため、「飢え」ている状態を嫌い、なるべくならそれを回避しようとします。
それは本能が成せる業であるため自然的なことではあります。
しかしながら、「飢え」を極端に嫌い、過剰なまでに遠ざけるのであれば、そこから得られる大切なものを得ることができなくなってしまうのです。
「飢え」に対する警戒感や危機感、そして嫌悪感が「飢え」の中に存在している気付くべき大切な学びや、活用すべき大いなる力をあなたから遠ざけているのです。
多くの人は「飢え」を嫌いますが、「飢え」とは本当に嫌うべき対象なのでしょうか?
果たして、あなたは本物の飢えを知っているのでしょうか?
それを実感として所有しているのでしょうか?
あなたが抱えているのは、「飢え」に対する思い込みや勝手なイメージではありませんか?
あなたは飢えていると言えるのでしょうか?
本当に満たされてないと断言することができるのでしょうか?
きっと、あなたは贅沢になり過ぎています。
贅沢にも関わらず、「飢え」に対する嫌悪感から必要でもない欲望や欲求を導き出し、それを惰性(だせい)として操られているだけではありませんか?
あなたが求めているものは、本当に求めるべきものなのでしょうか?
「飢え」に対する嫌悪感が導き出す欲望や欲求に従っているだけではありませんか?
あなたはきっと飢えてはいないはずです。
飢えていると感じているだけです。
お腹が空きますか?
心の底から欲しいものに巡り会えていますか?
何かを大切にする気持ちを所有していますか?
感動することがありましたか?
あなたは本当に「飢え」ているのでしょうか?
満腹なのに食べようとはしていませんか?
欲望には限りがありません。
自らの空腹にも気が付けないようでは、大切なことを見極めることはできません。
すべての力はあなたの内部より引き出さなければなりません。
しかしながら、「飢え」を知らない者には不可能です。
あなたは「飢え」を受け入れ、「飢え」を知らなければなりません。
そして、そこから得られる大切なものに気が付かなければならないでしょう。

2012年4月17日火曜日

惰性の中

あなたは前進しなければなりません。

どのような場所からも、向上し発展しなければならないのです。
同じ場所にいつまでもとどまっていてはならないのです。
あなたが踏み出す一歩がどのように小さなものでも、それを踏み出して少しでも前進しなければならないのです。
前進することでそこには変化が生まれます。
変化はあなたに可能性を導きます。
変化のない場所には新たな可能性が見出されることはありません。
変化を失い、停滞を受け入れてしまった場所では、可能性は命を保つことができないのです。
可能性が失われると、その状況には衰退や破滅が言い寄ることになります。
衰退や破滅に言い寄られた状況は、それを受け入れる以外に方法はないのです。
状況における衰退や破滅を回避するためには、状況に対して向上や発展を投入しなければなりません。
それを実現させるためには、あなたは前進を継続しておく必要があるのです。
どのようなことでも良いのです。
ほんの少しでも良いのです。
真剣に、精一杯に努力を続けていれば良いのです。
結果的にそれが小さな一歩であったとしても、真剣に、精一杯に努力をした結果として得られた一歩なのです。
それは何ものにもかえ難い貴重な前進なのです。
真剣に、精一杯に取り組むことがなければ得ることのできない一歩なのです。
あなたがどのような状況にあろうとも、前進することを目指さなければなりません。
どのような状況にあろうとも、前進を諦めてはならないのです。
惰性(だせい)はあなたの前進を食い止める性質を持っています。
習慣はあなたから意欲を奪い去ってしまいます。
惰性に見入られた者は熱意を失ってしまうのです。
惰性に見入られ、情熱を失った者は、安心や安全の中にとどまろうとしてそこから動こうとはしないのです。
そこに導き出される結果は停滞であり堕落です。
そのような状態では、豊かさを得ることはできないのです。
状況に豊かさを求めるのであれば、そこに変化という可能性を導き出さなければなりません。
惰性という状態を作り出さないことこそが、豊かさへの鍵なのです。
あなたは前進しなければなりません。
常にできることを探していなければなりません。
習慣の中にいれば安全を得られるかもしれません。
しかし、それは一時の安心でしかなく、同じところに居続けるのであれば、やがて息が続かなくなるということを覚えておかなければならないでしょう。

2012年4月16日月曜日

限られた時間と力の中で

人生が、始めから決まっているなどと信じ込んではなりません。


人生とはあなたがこれから築いていくものです。

それは未開拓であり、無限の可能性を秘めている豊艶(ほうえん)な大地なのです。

人生を決めるのはあなたです。

あなたが自らの人生における開拓者なのです。

人生とは選択です。

あなたは選ばなければなりません。

あなたの選択がこれからの状況を決定し、築いていくのです。

人生とは選択次第です。

選択次第で多様に変化を遂げるものなのです。

選択はあなたに一任されています。

あなたの選択は、あなたに権限が与えられているのです。

あなたにしか、それを決めることはできません。

生きるということを継続させるためには、選択することを拒否することはできません。

生きるということは、選択をし続けるということだからです。

生きていくためには選択しなければなりません。

選択をすること無く生きていくことはできないのです。

あなたは常に選択を迫られています。

何を選択するのかを常に問われているのです。

あなたは選択を拒絶することはできません。

実行するも実行しないも、どちらも選択となり、決定となるのです。

あなたの選択は、あなたの状況及び人生にとって、とても重要な役割を担っています。

あなたの選択次第で人生は大きく変わるのです。

あなたは、どのような選択をすることが自らの状況や人生にとって有効なのかを考え、それに従った選択をしていかなければならないのです。

人生は決して決まってはいないために、自分にとって有効的な選択を選んでいかなければ、人生が豊かになることはないのです。

あなたは何を選択しますか?

その選択はあなたにとって有効的でしょうか?

その時間と力の使い方(選択)は、あなたにどのような道を拓くでしょう?

あなたが何を選択するかによって人生は変化を遂げます。

あなたが限られた時間と力の中に何を選択するのか?

自分自身をどれだけコントロールできるのか?

それはとても重要なことなのです。




2012年4月15日日曜日

具体的な変化

人生の道を築くのはあなたの仕事です。




あなたの生きる道はあなたが自らの力によって切り拓かなければなりません。




あなた以外の誰かが、あなたの生きる道をあなたの代わりに築くことはありません。




あなたの代わりにあなたの仕事を果たすことは、他人にはできないことなのです。




「自分のできることは自分でする」



このような決意がなければ、あなたは自らの生きる道を自らの力によって築くことはできないでしょう。




もちろん、人は未熟であり、独りの力には限界があります。


しかしながら、それに甘えて自分のできることを誰かや何かに頼るようではならないのです。



自分以外の誰かを頼りにしても、その誰かがあなたを助け、救い、押し上げてくれるという保証は約束されてはいないのです。



あなたが基本的に頼ることができるのは、他でもない自分自身であるということを理解しなければならないのです。



自分を信じ、自分を頼りにすることができない者は、自らを助け、救い、押し上げる力を失ってしまいます。



最終的にあなたを助け、救い、押し上げることができるのは自分以外には存在しないのです。



あなたは自分自身を信じなければなりません。




自分自身を信用することができないのであれば、人生に最高の結果を導くことはできないのです。



あなたが導く結果こそがあなたの生きる道となります。




あなたが自分自身を信用することができないのであれば、自らの人生を切り拓いていくことはできません。




人生を切り拓くことができなければ、気持ちは疲弊(ひへい)し、状況は停滞し、可能性は絶たれていくことになるのです。



それでは人生に豊かさを実現させることはできません。




あなたは自らの生きる道を自らの力によって切り拓かなければならないのです。



「自分のできることは自分でする」



という基本理念を忘れてはならないでしょう。



あなたにはなすべきことがあります。




それは人生の仕事であり、意義と言えるものです。




あなたはそれをなさなければなりません。




あなたがそれをなすためには、実際に状況を動かしていかなければなりません。



状況を動かすためには、具体的な目的意識と行動が必要となります。



あなたは具体的な目標や願望や目的意識を持つように努め、具体的に行動していくべきです。


目標や目的を具体的なものとして所有することができているのであれば、あなたは具体的な歩みを進めることができるでしょう。


具体的な目標や目的は、これから何をしなければならないのか?という行動をあなたに具体的に伝える力を持っているのです。


その時、あなたは「自分のできることは自分でする」ということを自主的に実行するように努めていることでしょう。


人は未熟であり弱い存在です。



誰かに助けられ、支えられなければ生きていくことはできません。



しかしながら、自分のできる最低限のことは自分で果たそうと努力しなければなりません。


初めから誰かや何かを頼りにしているのであれば、その助けや支えすらも失ってしまうことになるのです。



あなたの生きる道はあなたが自らの力によって築かなければなりません。


具体的な目標や目的を持ちましょう。


そうすれば、そこには具体的な行動が生まれ、状況に対して具体的な変化を与えていくことができるでしょう。





2012年4月14日土曜日

喜びの場所

あなたは自らの仕事をするために生まれてきました。


あなたが人生においてなさなければならないのは自らの仕事です。


あなたは自らの能力を生かし、自らの仕事をなさなければなりません。


また、能力が生かせ、仕事を果たすことのできる環境に存在していなければなりません。


あなたは自らの能力を生かすことによってのみ、心の平穏や満足感を得ることができます。


自らの能力を有効的に活用することができなければ、そこには自らの存在価値や理由を見出すことはできないでしょう。


そこに心の平穏や満足は存在することはないのです。


あなたがどこで何をしていようとも、自らの能力を最大限に引き出し、生かすことのできる環境を築けるように努めなければならないのです。


あなたの能力を生かすも殺すも、その環境次第なのです。


能力を引き出すに適した環境に存在していなければ、あなたがどれ程秀でた才能を所有していたとしても、その能力を十分に引き出して活用することはできないのです。


調理器具が無ければ、料理人はその腕を振うことはできません。


ハサミが無ければ、美容師はその技術を披露することはできないのです。


もちろん、仕事場が無ければ、どのような才能も活用されることはできないのです。


大切なのはその能力を生かすことができるのか?才能を活用することのできる環境に存在しているのか?ということなのです。


あなたの目の前に自らの能力を生かすことができる環境はありますか?


もしも、その環境が存在していなければ、あなたはそれを求めなければなりません。


移動することも良いでしょう。


築くことも良いのです。


とにかく、あなたは自らの能力を十分に引き出し、活用することのできる環境を確保しなければならないのです。


自らの能力を最大限に活用することのできる環境を確保することができなければ、あなたは自らに対する存在価値やその理由に迷ってしまうことになるでしょう。


それでは不満が溜まる一方なのです。


そこに喜びは存在しません。


喜びの存在しない人生は虚しいものです。


人生を空虚なものにしてはなりません。


喜びの多い労働をし、多くの喜びを生み出しましょう。


あなたが生み出した喜びが、やがて誰かのところへと辿り着き、そこで新たな喜びの火種となるのです。


喜びが溢れる場所には必ず豊かさが溢れます。


あなたが自らの能力を十分に引き出し、それを生かすことのできる環境に存在しているのであれば、世界にはより多くの喜びが生み出されることでしょう。



2012年4月13日金曜日

価値観の歪み

すべての人は価値観を所有しています。

価値観は生まれ持ったものと、経験によって培われたものとがあります。
すべての人は未熟さを抱えています。
生まれ持った価値観も、経験によって培われた価値観も未熟さを抱えています。
完全な価値観など存在しません。
存在しないものを所有することなどできはしないのです。
どのように成熟しようとも、人はどこかには必ず未熟さや至らなさを抱えているのです。
あなたが人である以上、それは避けられないことなのです。
価値観というものは、好き嫌いを所有しています。
好き嫌いとは偏見によって生み出される価値観の歪みです。
価値観に歪みが生じているからこそ、偏見が生み出されるのです。
物事を正しく見ることができる状態には、偏見が生み出されることはありません。
物事を正しく見ることができている状態ならば、そこには偏見ではなく思いやりが生み出されるはずなのです。
偏見は、自らの価値観とは対極の価値観を「敵」とします。
それは価値観を所有しているからこそ生み出される「敵」なのです。
特定の価値観が存在していなければ、そこに対極の価値観が見出されることはなく、「敵」が生み出されることもないのです。
どのような人も価値観によって物事を判断しています。
価値観に賛同するものを味方とし、価値観に逆らうものを敵とするのです。
それは、持って生まれた価値観や経験によって培われた価値観によって生み出されたものであるということを忘れてはならないでしょう。
価値観にそぐわないものを嫌い、排除していくのであれば、あなたの目の前に広がるであろう可能性は潰れてしまうことになってしまうのです。
好き嫌い、敵味方、善し悪し・・・
価値観が抱える偏見は数知れません。
偏見こそが価値観の歪みであり、未熟さです。
人はその歪みを正すために経験を重ねているのです。
より成長し、向上するために生きているのです。
あなたがなさなければなれないことは偏見をなくすことです。
好き嫌いによって縛られない大きな価値観を育てることです。
存在するすべては必要性を所有しています。
その必要性を偏見によって安易に否定してはならないのです。
あなたがもしも可能性を求めているのであれば、小さな価値観に捕われないよう、寛大な価値観を育てるという努めを忘れてはなりません。

2012年4月12日木曜日

最高の結果

すべての状況には必ず必要性が存在しています。

どのような状況も決して無駄なものはありません。
すべてがそこに最高の結果を残すために導かれる状況であることを覚えておかなければなりません。
すべての状況が向上へと向かっています。
すべての状況が成長を求めています。
そして、すべてがそこに最高の結果を残そうとしているのです。
あなたは様々な状況に出会(でくわ)すでしょう。
それはあなたにとって喜ぶべき状況であるかもしれません。
もしくは、受け入れ難く苦しむべき状況であるかもしれません。
あなたが望むような状況ばかりに恵まれるとは限りません。
それは、人生はあなたの期待を裏切ることの方が多いからです。
あなたの理想や期待は、状況に対して「裏切られる」ことがあるでしょう。
その時にあなたは状況に苦しんでしまうかもしれません。
しかしながら、それがあなたにとってどのような状況であろうとも、決してあなたを見捨てるものではなく、あなたを向上や成長へと導くためのものであるということを覚えておいて欲しいのです。
この世に無意味なことはありません。
あなたを純粋に苦しめようとするものなど存在してはいないのです。
あなたがその状況を苦しいと感じるのは、あなたがその状況に苦しみのレッテルを自ら張っているからに他ならないのです。
すべての状況があなたのために存在しているという前提でそれを捉えることができるのであれば、あなたはどのような状況に対しても苦しみではなく、喜びや感謝を以て受け入れることができるはずなのです。
状況に苦しみを与えているのはあなた自身の感情であるということを忘れてはならないのです。
しかしながら、人間は感情によって支配されています。
感情を捨て去ることはできません。
目の前の状況に対して苦しみを抱くことは当然のことであり、自然なことなのです。
大切なのは苦しみに捕われない心です。
苦しみをバネにしようとするたくましい精神が求められるのです。
すべては最高の結果に向かっています。
しかしながら、人はそのことに気が付いてはいません。
あなたは、自らがどのような状況に在ろうとも、決して諦めてはなりません。
苦しみの先にこそ喜びが存在しているのですから。

2012年4月11日水曜日

同化

人と人とが完全に認識を共有することはできません。

人と人とが完全に理解し合うことはないのです。
認識を共有しようとしたり、理解を深めようと努力をしたり、幾らか歩み寄ることはできますが、同じ認識を持ち、互いに理解を一致させることなどできはしないのです。
それは、すべての人が独自の価値観、人格、心、思考、感情、好み、信念、教育、歴史・・・
を所有しているからです。
前提として、独自のものが同じになることはできません。
独自のものは同じものにはなれないのです。
他人は他人です。
あなたはあなたです。
他の何者でもありません。
あなたはあなたを辞めることはできません。
自分を捨て去ることはできないのです。
あなたは消滅するまであなたでなければならないのです。
あなたは捨て去ることのできない自分自身を大切にしなければなりません。
しかし、それは自分を守れということではありません。
欲望の赴(おもむ)くままに利己的に振る舞えというのではありません。
あなたは自分以外の者に貢献しなければなりません。
利他的に生きなければなりません。
あなたが自分自身を大切にするということは、自分自身の個性や魅力を失ってはならないということです。
あなたが「あなた」であるということが、自分自身を大切にするということなのです。
あなたは誰にも負けることの無い素晴らしい才能を持っています。
あなたには誰にも劣ることの無い魅力があります。
あなたは周りに引けを取らない個性の持ち主です。
あなたは素晴らしい存在なのです。
あなたは自分自身を大切にしなければなりません。
無理に誰かと認識を共有させる必要はありません。
無理に誰かと理解し合う必要もありません。
どのように足掻いても、決して同じにはなれないのです。
あなたは自分自身を大切にし、独自の形を形成しましょう。
人と人とは同じにはなれませんが、一つに繋がることはできます。
違う形であるからこそ、一つに繋がることができるのです。
同じ形が幾つあったとしても、一つに繋がれることはないのです。
繋がることでそこに協調が生まれます。
協調することで人は力を生み出すのです。
そこには素晴らしい成果が生み出されることでしょう。
同じ形を目指した者たちの間に生み出されるのは馴れ合いや依存です。
そこに力は存在することはないのです。
当然ながら、素晴らしい成果を生み出すことはできません。
あなたは自分以外の存在と同化することの愚かさを知りましょう。
大切なのは自分自身のままで、自分以外と繋がることです。

2012年4月10日火曜日

真実を知る

あなたは状況に抵抗してはなりません。

状況に反抗したところであなたには何の利もありません。
状況に歯向かうことは、自らの可能性を自らの手で潰していることと心得なければなりません。
すべての状況は自らの持つ原因によって導き出される当然の結果です。
あなたの原因である意思が選択したものが結果として状況へと表現されるのです。
それがどのような状況であったとしても、それはあなたが自らの意思によって選択し、導き出した結果に他ならないのです。
あなたは自らの状況に対して不満を持つでしょう。
満たされない状況もあれば、苦しいと感じることも多々あるはずです。
それは自らの未熟さや至らなさが導き出した結果であり状況であるため、そこにあなたは不満や苦しみを強く感じてしまうのです。
自らの未熟さと向き合うことは決して楽なことではありません。
誰もがそれを問題だと感じ、壁だと思うのです。
それらはあなたの足を食い止めます。
あなたを過去に引き止めます。
自らの未熟さというものは、本人にしてみればとても厄介なものなのです。
あなたにも不満に思う状況や、苦しみを感じることがあるでしょう。
しかしながら、あなたはそこから逃げ出すことはできません。
あなたはその状況と向き合い、打ち克たなければならないのです。
苦しい状況を受け入れたくはないと抵抗するのであれば、状況があなたに伝える自らの未熟さに気が付くことや、それを乗り越えることができません。
それはあなたから成長のチャンスを奪ってしまうのです。
状況があなたに示すもの、それはあなたの「真実」です。
あなたが内側に所有しているものが状況に対して暴かれるのです。
強さも弱さも、誠実さも不誠実さも、努力も怠慢も、すべてが真実として状況に反映されるのです。
あなたが受け取らなければならない状況がどのようなものであったとしても、それはあなたの可能性を広げるためのものであるということを忘れてはならないのです。
状況に抵抗するのであれば、あなたは成長することはできません。
どのように苦しい状況であろうとも、あなたはそれを勇気を以て受け入れなければなりません。
受け入れた先には必ず可能性が存在しています。
受け入れて乗り越えなければ苦しみは永遠と続いてしまうのです。
堪え忍ばなければなりません。
自らの導いた状況は決して容易なものではありません。
耐え抜くことで、あなたは自らの未熟さを克服しなければならないのです。
状況に抵抗してはなりません。
どのように苦しい状況であろうと、それを受け入れられるように努めましょう。

2012年4月9日月曜日

日常

あなたは変化を求めていることでしょう。

自分自身に対する変化は元より、状況や環境の変化を求めていることでしょう。
それは、現状に対する不安からかも知れません。
それは、現状に対する不満からかも知れません。
それは、現状に対する焦りからかも知れません。
それは、現状に対する飽きからかも知れません。
それは、まだ見ぬ未来に対する期待からかも知れません。
多くの人は現状に対する不満や、まだ見ぬ未来に対する期待を所有しています。
現状に変化を与え、「新鮮さ」を得ようとしているのです。
それは、単純に現状に退屈してしまうということがあります。
現状とは日常です。
日常とは誰にでも訪れる現状なのです。
どのような変化も、やがては日常に取り込まれてしまいます。
すべての変化はいつかは必ず日常へと形を変えるのです。
どのようなことも、繰り返しです。
あなたはそう感じるのです。
世界は常に新鮮です。
何一つとして同じものは存在しません。
何一つとして繰り返しはないのです。
しかしながら、人はその変化に気が付くことはできません。
それは、人が自らの価値観によって支配されているからです。
自らの価値観によって世界を見ているために、どうしてもある一定の視点によって世界を捉えてしまうのです。
そのために、人は世界に溢れる変化に気が付かないのです。
人はその景色が今までに見たどれとも違うのにも関わらず、無意識の内にそこに共通点を見出して今まで見たものと同じものだとする認識を生み出してしまうのです。
そのため、日常という現状に退屈し、不満を抱き、不安を生み出し、過剰に変化を求めるのです。
変化を求めることは素晴らしいことです。
変化こそがあなたを豊かさへと導くでしょう。
しかしながら、物事にはバランスというものが必要です。
変化を求める気持ちが強すぎても弱すぎてもいけないのです。
変化を求める気持ちが強すぎれば、現状に不満を抱きます。
現状に不満を抱けば現状から逃避しようとする気持ちが強くなり、やがては手を抜き始めることでしょう。
変化を求める気持ちが弱すぎれば、新たな変化に対して手を抜き始めるでしょう。
変化に手を抜けばそこには停滞が生まれます。
そこでは豊かさを得ることができません。
変化を求める気持ちにはバランスが大事なのです。
すべては日常へと形を変えます。
どのような変化も一瞬の命です。
あなたが生きているのは日常です。
変化を求める気持ちを膨らますよりも、現状や日常に対する視点を増やすことが先決でしょう。
そうすれば、あなたは日常の中に存在している多様な変化と、その素晴らしさに気が付くことができるでしょう。
足元からすべてが始まります。
日常に手を抜いている者は、素晴らしい変化を引き起こすことはできません。
あなたが素晴らしい変化を求めているのであれば、日常や現状に手を抜くような姿勢ではなりません。
現状を嘆くよりも、そこに存在している多様な変化に気が付けるような余裕を育てましょう。

2012年4月8日日曜日

現実的な豊かさ

あなたは責任感を持たなければなりません。
自らに対する責任を果たさなければなりません。
あなたが自らに対する責任を果たすことがなければ、状況において豊かさを受け取ることはできません。
すべての豊かさは責任を果たすことによって生み出される「副産物」です。
豊かさとは結果です。
原因ではありません。
「責任を果たす」という原因を所有することなく、豊かさを得るという結果を受け取ることはできないのです。
原因が結果を生み出します。
すべての結果には、それにふさわしい原因が存在しているのです。
あなたが受け取るすべての結果は、あなたが所有するすべての原因によって導かれます。
あなたがそこに豊かさという結果を受け取るのか?それとも、それ以外の結果を受け取るのかはあなた次第なのです。
あなたが所有する原因によって、受け取る結果が決まるのです。
あなたには与えられた「使命」があります。
あなたは自らの使命を果たすために存在しているのです。
あなたの使命とは、あなたの目の前に存在している何の変哲もない責任です。
あなたの目の前に存在しているすべての責任こそが、あなたに与えられた使命なのです。
使命と聞くと、「大掛かり」なものとしてイメージしてしまうかもしれません。
しかしながら、あなたに与えられた使命というものは決して大掛かりなものではありません。
それは決して大それたものではないのです。
あなたに与えられた使命とは、あなたの目の前に、あなたの力に応じた形として存在しています。
それは日常です。
あなたの日常の中にこそ、あなたに与えられた使命(責任)があるのです。
夢や希望を抱くことは大切なことです。
なぜなら、夢や希望を失ってしまった場所には、どのような豊かさも導かれることはないからです。
しかしながら、ただ夢や希望を抱くだけでは力不足です。
夢や希望を実際の形として世界に実現させなければ、実際に豊かさを手にすることはできないからです。
夢や希望を世界に実現させるのはあなたの仕事です。
あなたが自らの力によって夢や希望を実現させなければなりません。
そのためには責任を果たす必要があります。
どのような夢や希望も、それを実現させるためにはその状況や環境を実世界に実際に築かなければなりません。
空想や理想は現実ではありません。
あなたは現実的な豊かさを受け取らなければなりません。
実際の成果や実感としての豊かさを得なければならないのです。
そのためには、目の前に存在している責任を果たさなければなりません。
自らの責任を果たすことのできない者は、現実的な豊かさを受け取る権利を有することはできないのです。
あなたは常に自らの果たすべき責任を理解しているはずです。
やらなければならないと分かっていることは山ほどあるでしょう。
それを、弱い意思によって放棄してはなりません。
あなたは自らに対する責任感を持たなければなりません。
目の前の責任を果たさなければなりません。

2012年4月7日土曜日

変化の先

すべては変化します。
世界は常に変化を求め、存在するすべては変化を余儀なくされています。
どのような存在も変化を回避することは出来ません。
変化はすべての存在の義務であり、責任であり、理由であるのです。
変化を拒絶するのであれば、存在を拒絶しなければならなくなります。
変化とは存在そのものなのです。
存在を所有するものが変化を否定することなど出来ないのです。
そのため、存在するものには変化を食い止める力は与えられていません。
変化を食い止める必要がないため、その力を持つ必要がないのです。
あなたはどのような変化も否定することは出来ません。
どのような変化も拒絶することは出来ません。
どのような変化も食い止めることは出来ないのです。
時間は常に先へと流れていきます。
どのような存在であろうとも、時間の流れを食い止めることは出来ません。
それと等しく、どのような存在であろうと、すべての変化を食い止めることは出来ないのです。
時間が存在するのであれば、そこには必ず変化が存在しています。
どのような存在も時間の流れを否定することは出来ません。
それと等しく、どのような存在も変化を否定することは出来ないのです。
あなたはどのような変化も食い止める力を持ち合わせてはいないことを理解し、認めなければなりません。
人生は思い通りにはいかないものです。
人生は予定調和ではありません。
あなたの理想や思惑に従う程、人生は甘い場所ではないのです。
そこには何らかの問題や不満の原因が存在していることでしょう。
すべての状況はそのような方向性を以て変化していくからです。
あなたは進みたくはない方向への変化を余儀なくされることでしょう。
理想的ではない状況に放り出されてしまいます。
しかしながら、あなたにはその変化を食い止める力はありません。
すべての変化はあなたの原因が導き出した結果であるため、あなたにそれを否定する権利はないのです。
あなたが直面するすべての変化を受け入れようと努めなければなりません。
変化を否定し、拒絶したところで何の豊かさも得られません。
あなたが世界において豊かさを得るためには、変化という義務と責任と理由を果たさなければならないのです。
それらを果たさないものには、どのような豊かさも受け取る権利はないのです。
変化を受け入れなさい。
食い止めようとしてはなりません。
変化を受け入れ、変化の先で変化をしなければなりません。
一度、受け入れ難い変化をしたところで、すべてが終わる訳ではありません。
変化によって一度は苦しむかも知れませんが、その変化の先には無限の可能性が存在しているのです。
変化に対しては否定や拒絶ではなく、更なる変化を重ねる必要があるのです。
それが時間や変化や人生を滞りなく先へと進ませる方法です。
すべては変化を余儀なくされています。
あなたはどのような変化も食い止めることは出来ません。
食い止めることが出来ないのだから、受け入れる以外に方法はないのです。
変化の先を見据えなければなりません。

2012年4月6日金曜日

克己心

すべての人が弱さを抱えています。
そして、すべての人が自らの抱える弱さと闘っています。
人は未熟です。
この世に完全なる人は存在しません。
誰もが甘えを要し、弱さを所有しているのです。
自らの抱える弱さに打ち克(か)ち、成長し向上することこそが人生におけるあなたの努めなのです。
人は自らの弱さを払拭するために生きているのです。
あなたは自らの人生が、自らの弱さを克服するために存在していることを忘れてはならないでしょう。
しかしながら、人は自らの抱える弱さに対して、いとも容易く打ち克つことが出来る訳ではありません。
大抵の場合が自らの弱さに引き込まれてしまい、取り込まれてしまいます。
その度に人は自らの選択に後悔し、状況に苦悩することになるのです。
人は自らの弱さに容易く打ち克つことは出来ません。
一度や二度の闘いで打ち克つことが出来る程、自らの弱さは「弱く」はないのです。
あなたが抱える弱さは、あなたが人生において解決しなければならない課題です。
あなたが抱える問題です。
あなたが乗り越えなければならない壁なのです。
決して簡単にはいきません。
何度も挑み、何度も失敗し、何度も苦悩し、何度も打ちのめされることでしょう。
しかしながら、それでもまた挑まなければなりません。
その過程があなたを鍛え、弱さに打ち克つ強さを身に付けさせるのです。
自らの人生が自らの弱さを克服するために存在しているということを忘れてしまえば、自らの弱さに対して闘いを挑む気持ちを失ってしまいます。
そこでは諦めや妥協といった自らの弱さに対して加担してしまう選択が決定されることでしょう。
そうなれば、弱さは「強さ」を増し、あなたは更に苦しむことになってしまうのです。
大切なのは弱さを強めることではなく、弱さを払拭することです。
自らを律し、克己心を保つということです。
人生には上手くいかないこと、苦しいと感じること、理想とは違うこと、理不尽に思えること、嫌なこと…
など、様々な出来事があります。
しかしながら、それらのすべてがあなたの弱さに対するアプローチであり、それを克服するために用意されたチャンスなのです。
どのような状況においても、あなたは自らの弱さを払拭するために生きているという目的を所有していることを見失ってはなりません。
例え失敗しても、物事が理想的に進まなくても、それはそれで良いのです。
あなたは自らを諦めないことが大切です。
諦めることをしなければ、あなたはきっと自らの弱さを克服し、その結果として成功や成長や理想を得ることが出来るでしょう。

2012年4月5日木曜日

仕事

あなたが利益を生み出すためには、利益を生み出す仕組みを築かなければなりません。
そのために、あなたは自らの立場や状況を認識しなければなりません。
そして、その立場や状況において利益を生み出すためには、自らが「何を成すべきか?」を考え、それを実行しなければなりません。
自らが何を成すべきか?を考えるのならば、自らがこれから具体的に何をする必要があるのかを理解することが出来ます。
自らが何を成すべきか?という問いは、あなたに具体性を導き出します。
あなたが何かを成すためには、それを成すための必要を満していく必要と、それを成すための必要を削っていく必要があります。
自らの理想が成すべき形になるまで、必要を満し、必要を削る必要があるのです。
利益とは、洗練された場所にこそ存在しているのです。
それは、岩の中から宝石を生み出す作業のようであり、丸太から仏像を生み出す作業のようなものです。
漠然とした理想の中から「利益」を生み出すためには、それを実際に利益を生み出すための形として形成しなければならないのです。
形として形成されていないものがあなたに利益をもたらすことはありません。
利益を生み出すシステム作りが仕事です。
理想を、利益を生み出すための具体的な形として形成することこそが仕事なのです。
あなたが仕事によって利益を生み出すためには、自分に何が出来るのか?ということは大切ですが、自分が今から何を成すべきか?ということの方が大切です。
自分に何が出来るのか?という問いはシステム作りではありません。
それは全体的な構想ではなく、個人的な主観に他なりません。
それでは、理想を具体的な形として形成することは出来ないのです。
目の前のことは分かっていても、全体的なことを理解していないのであれば、利益を生み出すことは出来ないのです。
仕事をこなす技量があっても、仕事場が無いのであれば意味がないのです。
利益を生み出すために大切なのはシステムです。
ソフトよりもハードなのです。
利益を生み出す流れなのです。
自分に何が出来るのか?だけではシステムを構築することは出来ません。
また利益も得られません。
自分が何を成すべきかを考えることで、あなたの中には全体的な視点や貢献心が生み出されるのです。
何を成すべきか?という思考は、あなたに環境作りを促します。
何が出来るのか?という思考は、自らの技量を育てます。
どちらも大切です。
しかしながら、多くの人は自分は何が出来るのか?という問いで終わってしまいます。
あなたが「利益」を生み出したいと考えているのであれば、何が出来るのか?という問いに加えて、何を成すべきか?という問いも所有する必要があるでしょう。

2012年4月4日水曜日

賢明なる人

人は愚かな生き物です。
人は不完全であり、未熟です。
完全なる人など存在する訳がありません。
人は総じて未熟であり、愚かな生き物なのです。
愚かな生き物は失敗を繰り返します。
それは、愚かであるが故に大切なものを見失ってしまうからです。
それは、機会かも知れません。
それは、目的かも知れません。
それは、心かも知れません。
それは、絆かも知れません。
それは、信頼かも知れません。
それは、夢かも知れません。
それは、勇気かも知れません。
それは、優しさかも知れません。
それは、感謝かも知れません。
とにかく、愚かなあなたは大切に思うもの程見失ってしまうのです。
そして、失ってしまうのです。
人は愚かです。
大切なもの程、近くにあるもの程蔑ろにし、その怠慢に気が付けないのです。
人は愚かな生き物です。
しかしながら、ただ愚かであってはなりません。
愚かながらも少しずつ成長していかなければならないのです。
それが愚かである人の責任なのです。
愚かであるにも関わらずに生きて存在しているのは、その愚かさを正す機会と責任を与えられているからに他ならないのです。
自らの愚かさを正し、より高みへと自らを導く必要があるのです。
自らを成長させることこそ、人生における人の意義であり、理由なのです。
あなたは様々な経験を通して自らの愚かさを痛感することでしょう。
そして、自らの未熟を思い知らされるでしょう。
誰もが失敗を繰り返します。
誰もが後悔を残します。
あなたは何を選択しても何かの失敗を引き起こし、何かの後悔を生み出します。
人は愚かであり未熟であるために、それは避けられないことなのです。
人生には悩みが尽きません。
あなたの目の前から問題や壁が消えることはありません。
人生とは自らの愚かさとの対話です。
自らの愚かさに卑屈になってはなりません。
誰もが愚かであり、誰もが未熟なのです。
誰もが失敗を繰り返し、後悔を噛み締めているのです。
あなたは愚かな人です。
しかしながら、賢明なる人です。
自らの愚かさを反省し、それを繰り返さないように努めましょう。

2012年4月3日火曜日

空白の時間

あなたは振り返ってはなりません。
何があろうとも前だけを見据えて進まなければなりません。
あなたにはあなただけのやるべきことがあります。
あなたが持つ才能や魅力を使い、人生における「仕事(志)」を果たさなければならないのです。
あなたには与えられた役割と仕事があるのです。
それを果たすためにわざわざ人生に生きているのです。
自らに与えられた役割や人生における仕事がなければ、あなたにとってこの人生という場所は空虚に映ることでしょう。
自らに与えられた役割や「仕事」に携わり、それを感じていられるからこそ、そこには生き甲斐というものが生まれます。
自らに与えられた役割や人生における仕事を見失ってしまうのであれば、人は生き甲斐という生きる意味を失ってしまうのです。
あなたに与えられた役割や人生における仕事は、あなたよりも前方に存在しています。
過ぎた時間の中にはどのような役割も「仕事」も存在してはいないのです。
過ぎた時間はもうそこにはないのです。
あなたの力が及ぶのは、これから先の時間だけです。
振り返り、過去に縛られる者は、やがて自らに与えられた役割や人生における仕事を見失ってしまうのです。
それは、自らに与えられた役割や「仕事」に触れていない空白の時間を作り出してしまうからです。
過去に縛られる者は、先へと進むことは出来ません。
それは、状況や心境に停滞を生み出します。
先へと進む以外には、自らに与えられた役割や「仕事」に触れることは出来ないのです。
過去を悔やんだところで、あなたにはどうすることも出来ません。
あなたの役割や「仕事」は過去には存在しないのです。
過去に縛られるあなたの目の前には苦しみが存在し、その心の中には後悔が幅を利かせていることでしょう。
どのような状況に在ろうとも、あなたにはその状況においても与えられた役割とこなさなければならない「仕事」があるのです。
生きることは苦しいことです。
どのような状況においても人は前進しなければなりません。
常に前だけを見据えて進まなければ、与えられた役割と人生における仕事を果たすことは出来ません。
あなたにはどのような役割と仕事が与えられていますか?
あなたが出来ることは何でしょう?
あなたがするべきことは何ですか?
あなたを高めてくれる選択はどれでしょう?
あなたの志はどこへ向かえと促していますか?
あなたは自らにとって建設的な方向へと進み、建設的な方法を用いて歩まなければなりません。
何があろうとも、振り返らずに前だけを見据えて進まなければなりません。

2012年4月2日月曜日

選択への迷い

迷いは人の足を食い止めます。
足が止まってしまった先に可能性は存在しません。
すべての可能性は変化の中に存在し、変化はあなたが自らの足で歩むことで得ることの出来る素晴らしい財産です。
自らの足で歩むことをしないものには、どのような変化も受け取ることは出来ません。
自らの足で歩み、自らの足で変化を生み出すことが出来ない者は、どのような可能性も受け取ることは出来ないのです。
可能性は豊かさへと繋がっています。
豊かさを得るためには可能性をもたらす変化を生み出す必要があるのです。
それを生み出すことが出来るのは、あなた自身であることを忘れてはならないでしょう。
あなたが歩む時、そこでは選択が迫られます。
人は誰しも選ばなければなりません。
選択することなく、可能性を生み出すことは出来ません。
しかしながら、選択することは簡単なことではありません。
それは、選択によってもたらされる可能性がどのようなものであるのかを、事前に知ることは出来ないからです。
事前に知ることが出来ないことに対して人は不安を抱きます。
不安を抱けば、そこには当然の如く悩みが生み出されます。
悩みを所有すれば、人は一歩を踏み出すことに躊躇(ちゅうちょ)することになります。
一歩を踏み出すことが出来なければ、歩むことは出来ません。
歩むことが出来なければ、変化を生み出すことは出来ません。
変化こそが可能性を生み出すため、それを生み出せない状況はあなたに苦しみを与えるのです。
それでは人生が豊かなものにはなりません。
人生を豊かなものにするためには、変化を求めて歩むことが重要なのです。
迷いはあなたの歩みを食い止めてしまいます。
もしも、あなたの前にやるか?やらないか?の選択が存在しているのならば、それに挑戦することによって得られる可能性と、それに挑戦することなく得られる可能性とを比較することに努めなければならないでしょう。
どちらがより自らを理想へと近付けてくれるか?
どちらがより深い後悔を受け取ることになるのか?
それを考えなければならないでしょう。
そうすれば、あなたは自分自身が何を選択することが最善なのかを理解することが出来るでしょう。
迷ったらやる。
迷ったらやらない。
状況によってどちらが最善なのかは違うでしょうが、可能性を広げたいと考えているのであれば、行動するという選択をするべきでしょう。

2012年4月1日日曜日

自己の未熟さ

人生とは、自己の未熟さを知る場所です。
あなたが人生に知るのは自らの未熟さなのです。
人生に入り込む程に、人は自らの未熟さを知らなければならないのです。
様々な経験はあなたに自己の未熟さを伝えます。
様々な経験を通して、あなたは自己の未熟さを痛感するのです。
それはとても苦しく、とても悲しく、とても恥ずかしく、自己の未熟さを痛感する度にあなたは自らに嫌気が差すことでしょう。
未熟さを痛感することは誰にとっても嫌なことです。
それは誰もが成長を求めているために、自らを否定されたようで苦しいのです。
誰もが自己の成長を認めて欲しいと願い、自己の成長を目指しています。
しかしながら、人生に痛感するのは自己の成長ではなく、その未熟さです。
そのため、誰もが問題や壁に突き当たります。
誰もが悩みを抱え、苦しみを感じるのです。
それはあなたが成長するためには必要な痛みであり、苦しみなのです。
人は成長するために未熟さを知らなければなりません。
自らの未熟さを知らない者は成長することは出来ません。
自らの未熟さを知らなければ、向上心を以て成長しようとすることもないでしょう。
自らの未熟さを痛感するからこそ、人はその苦しみを取り除こうと努力するのです。
自らの未熟さを痛感しない者、自らの未熟さを認めようとしない者は向上心に欠けてしまいます。
向上心に欠けるのであれば、人は成長することは出来ないのです。
あなたが自己の未熟さを痛感するというのであれば、あなたの中には向上心が存在しています。
その苦しみを成長するための力に変えるように努めることが出来るでしょう。
しかしながら、苦しみを前にした時、あなたは焦りを覚えてしまうかも知れません。
自己の未熟さを痛感する時、あなたは焦ることでしょう。
焦りは無条件にあなたの心を乱してしまいます。
焦りこそが未熟さであるため、焦りを用いてしまえば成長は望めないのです。
未熟さを前にしても、あなたは焦りを用いてはなりません。
どのように苦しい状況にあっても、焦らず確実に一歩を踏み出しましょう。
あなたが人生に知るのは自己の未熟さです。
しかしながら、それは自らが成長するために必要なことであるということを覚えておかなならないでしょう。
もがき苦しみ、自己の未熟さを痛感しなければならないでしょう。