すべての人は価値観を所有しています。
価値観は生まれ持ったものと、経験によって培われたものとがあります。
すべての人は未熟さを抱えています。
生まれ持った価値観も、経験によって培われた価値観も未熟さを抱えています。
完全な価値観など存在しません。
存在しないものを所有することなどできはしないのです。
どのように成熟しようとも、人はどこかには必ず未熟さや至らなさを抱えているのです。
あなたが人である以上、それは避けられないことなのです。
価値観というものは、好き嫌いを所有しています。
好き嫌いとは偏見によって生み出される価値観の歪みです。
価値観に歪みが生じているからこそ、偏見が生み出されるのです。
物事を正しく見ることができる状態には、偏見が生み出されることはありません。
物事を正しく見ることができている状態ならば、そこには偏見ではなく思いやりが生み出されるはずなのです。
偏見は、自らの価値観とは対極の価値観を「敵」とします。
それは価値観を所有しているからこそ生み出される「敵」なのです。
特定の価値観が存在していなければ、そこに対極の価値観が見出されることはなく、「敵」が生み出されることもないのです。
どのような人も価値観によって物事を判断しています。
価値観に賛同するものを味方とし、価値観に逆らうものを敵とするのです。
それは、持って生まれた価値観や経験によって培われた価値観によって生み出されたものであるということを忘れてはならないでしょう。
価値観にそぐわないものを嫌い、排除していくのであれば、あなたの目の前に広がるであろう可能性は潰れてしまうことになってしまうのです。
好き嫌い、敵味方、善し悪し・・・
価値観が抱える偏見は数知れません。
偏見こそが価値観の歪みであり、未熟さです。
人はその歪みを正すために経験を重ねているのです。
より成長し、向上するために生きているのです。
あなたがなさなければなれないことは偏見をなくすことです。
好き嫌いによって縛られない大きな価値観を育てることです。
存在するすべては必要性を所有しています。
その必要性を偏見によって安易に否定してはならないのです。
あなたがもしも可能性を求めているのであれば、小さな価値観に捕われないよう、寛大な価値観を育てるという努めを忘れてはなりません。
0 件のコメント:
コメントを投稿