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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年5月15日火曜日

不幸

あなたは、自分が不幸などと考えてはなりません。
あなたが置かれている状況や環境は、あなたの心を十分に満たすことができないかも知れません。
それどころか、あなたはそこに苦しみを感じてしまうかも知れません。
心が満たされず、苦しみを感じる時、人は自らを不幸であると考えてしまうでしょう。
それは仕方のないことではあります。
満たされない心や苦しみを抱えた時、人はそこに不幸を感じてしまうものです。
しかしながら、あなたの感じている自らの現状と、「本当の」現状の間には大きく隔たりが存在しているということを理解しておかなければなりません。
あなたの認識はどこまで届いているでしょう?
あなたが感じているものは、全体の何割程度のものでしょう?
あなたが見ているもの、触れているもの、感じているものは、とても小さな世界の中の話なのです。
それは、あなたの等身大の価値観の中の話です。
あなたが見ているもの、触れているもの、感じているものは、あなたの価値観の範囲内のものなのです。
あなたの価値観というものは、常に全体のほんの少しの部分にしか触れることはできません。
個人の価値観というものはどうしても自分を中心に考えられます。
あなたの価値観は自分を中心とした考えから切り離すことはできないのです。
あなたはいつの時も自分を中心として物事を見ています。
それは身勝手な自己中心的な考えということではありません。
どのような見解も、自分という主体から発生するものなのです。
「自分」という存在を無視してはどのような見解も生み出されるということはないのです。
そのため、あなたは自分を中心とした考えから切り離されるということはないのです。
いつの時も、あなたの中心には「自分」が在るということを覚えておかなければならないでしょう。
自分を中心とした見解は、どうしても小さくなり、歪みがちです。
そのため、自らの「本当」の現状を知るということは難しいことなのです。
他人の目(客観視)はあなたの真実を見抜いています。
どのように自分自身で客観的に判断したとしても、そこには私情が組み込まれてしまうのです。
自分が不幸だとする考えも、私情が入り込むことで生み出される考えであるということができるでしょう。
自分では不幸だと思えることも、他人にしてみれば羨ましいものであったりします。
あなたは自分の現状を嘆(なげ)き、他人を羨ましいと思ったことがあるでしょう。
しかしながら、他人はあなたを見て同じことを思っているということもあるのです。
あなたには既に様々なものが与えられています。
それを無視して自分が不幸であるなどと考えるものではありません。
あなたよりも(本当の)現状が厳しい者は数えきれない程いるのです。
あなたの不幸は他人の幸福であるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは自分が不幸などと考える必要はありません。
あなたはいつの時も必要で満たされています。
もしも、自分が不幸だと考えるようであれば、自らの贅沢さに恥じらいを覚えなければならないでしょう。

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