あなたは、「このままで良いのか?」と自問しなければなりません。
あなたは常に自分自身の道を模索(もさく)しなければならないのです。
自分自身にその道の是非を問い、それが人生の豊かさへと繋がる選択なのかを考えなければならないのです。
あなたはことあるごとに、「このままで良いのか?」と自問しましょう。
その時に、己がこれからしようとしている選択というものに迷いが無いのであれば、その道をひたすらに進めば良いでしょう。
あなたがこのままで良い訳がないと迷うのであれば、違う道を探すことも良いでしょう。
人生において大切なことは、自らの人生を達成するということです。
自分自身の成すべきこと成すことなく、人生を終えるのは苦しみです。
あなたはこの人生において、自分自身の成すべきことを成す必要があるのです。
それを成さない限りは、人生が豊かなものであったという思いに至ることはできないでしょう。
この人生を良いものにするためには、自分自身の成すべきことを成さなければならないのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
自分自身の成すべきことをなおざりにし、その命と時間を浪費するのであれば、あなたはいつの日か自らを責めることになってしまうでしょう。
人生が苦しいものであると理解し、それが既にどうしようもない状況であると理解した時には、手の施しようがないのです。
どのような知恵や方法を所有していたとしても、それではどうすることもできない状況というものがこの世界には存在しているのです。
どれだけ医療が発展していようとも、治すことのできない病は存在するのです。
死から逃れることのできる人間が存在しないように、苦しみから逃れることのできる人間は存在しないのです。
あなたは自らの道を自らの判断によって選ばなければなりません。
その判断を正しいものとしなければなりません。
あなたが自らの判断を正しいものにすることができるならば、あなたはこの人生において自分自身の成すべきことを成すこともできるでしょう。
その判断がいつまで経っても正されないのであれば、あなたが自らの人生において自分自身の成すべきことを成すことは叶わないのです。
何もしていなくても人生がどうにかなると、浅はかな者は考えます。
しかしながら、何もしていないのに、必要な結果に結び付く原因を所有していないのに、人生がどうにかなるということは有り得ないのです。
人生というものは、自分が行ったことが原因となり、その原因がそれに従って結果を導くのです。
あなたが必要とする結果に対しての原因を自ら準備することがないのであれば、必要な結果は得られないのです。
あなたはその理(ことわり)を決して忘れてはなりません。
理に従って生きなければなりません。
理を無視して、必要が満たされることは有り得ないのです。
あなたは常に「このままで良いのか?」と自問していましょう。
ある意味では、疑いを以て自らの選択を見極めなければなりません。
自らの選択のすべてが正しいと思い做(な)し、何の疑いも持たないのであれば、あなたは正しい道を選ぶことができないでしょう。
正しい道を選ぶためには、考え得るすべての力を利用しなければなりません。
すべてがあなたの力となります。
それがどのようなものであったとしても、あなたの使い用によって毒ともなり薬ともなるのです。
他人が正しく、あなたが間違っているかもしれません。
あなたが正しく、他人が間違っているかもしれません。
その判断を正しくしていなければ、あなたが正しい道を歩み、自らの求める必要へと辿り着くことはできないのです。
何が正しく、何が正しくはないのか?
その見極めをするために、あなたは「このままで良いのか?」という自問を持っていなければならないのです。
他人の言うようにして、良い結果が得られるという保証はありません。
自分自身を信じてもそれが得られるとは限りません。
時には他人を信じなければなりませんし、時には自分自身を信じなければならないのです。
あなたは、このままで良いのですか?
あなたの進んでいる道が、あなたを人生の豊かさに辿り着かせるでしょうか?
その道は本当に正しいのでしょうか?
それで自分自身の成すべきことを成すことができるのでしょうか?
あなたは考えなければなりません。
どの道を行くのもあなた次第です。
人生は自由に選ぶことができます。
あなたがどのように選んでも、それはあなたの責任です。
誰も、あなたを食い止めることはできません。
あなたが自由に選ぶことができるのです。
自由に選ぶことができるということは、誰もあなたの代わりに選択することはできないということです。
あなたには責任があります。
自らの人生を選ぶという責任が。
あなたは「このままで良いのか?」と自問しましょう。
「このままで良いのか?」と考えましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿