どのような人も、自分自身のことを大切にしなければなりません。
どのような人も、自分自身の人生を大切にしなければなりません。
どのような人も、自分自身のために生きなければならないのです。
それが人の生きる理由になります。
人は、自分自身の命を使い、自分自身の目的のために生きなければならないのです。
多くの人は自分自身の目的を見失っています。
誰かや何かにその目的を見出し、自分自身の目的を果たせずにいるのです。
誰かや何かに依存しても、その心が満たされることはありません。
あなたは自らの心を満たさなければならないのです。
そのために、あなたは自分自身のために生きなければならないということを覚えておきましょう。
しかしながら、自分自身の目的を果たし、自分自身の人生を生きるためには、自分自身のことだけをしていれば良いということにはなりません。
それは、あなたを取り巻く環境である「全体」というものが存在しているからです。
あなたは「全体」の中の一部であるということ、一部でしかないということを覚えておきましょう。
あなたは「全体」を無視することはできません。
あなたは「全体」から逃れることはできません。
あなたは「全体」のことを考えなければならないのです。
あなたが自分自身の人生を生きるためには、矛盾しているようではありますが、自分自身のことだけをやっている訳にはいかないのです。
あなたは「全体」のことを意識しながら、自分自身の人生を生きなければならないのです。
意識の中に「全体」があるのとないのでは、あなたが受け取るものには大きな違いが生じるということを覚えておかなければならないでしょう。
「全体」のことを微塵(みじん)も考えることなく、すべてが自分自身のためであれば、それは欲望としてあなたに必要(破滅的)な結果を導くでしょう。
欲望に根差した行いによって得るものが、本当の意味で優れていることはありません。
それは、欲望がその強欲によって奪い取る行為であるからなのです。
何かを奪い取れば、何かを奪い取られます。
この世界においては、自らの行いと同等もしくはそれ以上の対価を得ることができるのです。
良いことをすれば良いことがあり、悪いことをすれば悪いことがあるのです。
与えれば与えられ、奪えば奪われるのです。
自分自身のことだけを考えて自分自身のことに専念するのであれば、「全体」に対して疎かになってしまいます。
あなたは自らに対して、誰が豊かさを与えてくれるのかを考えなければなりません。
あなたは「全体」のことを考えて自分自身のことに専念しなければならないのです。
あなたが「全体」のために自分自身のことを行えば、それは「全体」に対しての貢献になるということです。
貢献すれば必ず豊かさが与えられるということを覚えておきましょう。
あなたは自分自身の目的を果たさなければなりませんが、それが自分自身のためだけのものになってはなりません。
それが「全体」のためになる自分自身の目的でなければならないということを覚えておきましょう。
あなたの済んでいる街が経済的な力を失えば、あなたの生活が豊かになることはありません。
街のことを考えて行動する人があれば、街は経済的な力を得ることができるでしょう。
しかしながら、街のことを考えずに自分自身の保身ばかりを考えているのであれば、街が経済的に発展することはないでしょう。
街が機能しなければ、あなたの生活など存在しないということを覚えておかなければならないのです。
自然環境が悪化すれば、そこに生きる命が存在することができないのと同じです。
そこで生きる命は(結果的に)全体という自然環境のために働かなければならないのです。
あなたは「全体」ために自分自身の目的を果たさなければなりません。
どのような目的に対しても、その根底には「全体」に対する貢献を持っていなければならないのです。
あなたが何を志していようとも、「全体」に対して貢献しようとする気持ちを決して忘れてはなりません。
自分自身のためだけに、自分自身の目的を果たそうとしてはなりません。
あなたは「全体」によって生かされています。
あなたは「全体」があってのものだということを決して忘れてはならないのです。
あなたは「全体」に対してどのような貢献ができるでしょうか?
あなたは、あなたにとっての「全体」の重要性を理解しましょう。
「全体」が存在しなければ、あなたは存在することができません。
「全体」が豊かなものでなければ、あなたが豊かであることはありません。
あなたは「全体」と深く関わっています。
その繋がりを振りほどくことなどできないということを知らなければならないでしょう。
あなたは自分自身のことを大切にしなければなりません。
あなたは自分自身の人生を大切にしなければなりません。
あなたは自分自身のために生きなければなりません。
しかし、その根底には「全体」のためという意識が存在しなければなりません。
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