人生にはどうにもならないことがあります。
それは避けられない結果です。
すべては原因によって導き出される結果でありますが、それは原因を所有した時点において決まることなのです。
受け取る結果を変えることはできません。
それは、原因が既に存在しているからです。
原因が導き出す結果は絶対なのです。
あなたはそれを受け取らなければならないのです。
あなたは、人生には避けられない状況が存在しているということを理解しましょう。
例えば、死を避けることのできる命は存在しません。
どのような命も必ず死を迎えます。
それは、命が生という原因を所有したからです。
生という原因は、死という結果に向かうのです。
死を避けることのできる命は存在しません。
始まりがあれば終わりがあるように、どのような命もやがては燃え尽きるのです。
あなたが抱えている原因は、あなたに対して確実に結果をもたらします。
あなたはそれを受け取らなければなりません。
それは避けられないことです。
状況を否定し、拒絶する人がいます。
そのような人には、自らの受け取る結果の理由が分からないでしょう。
その問題や苦しみに対して、理解が足りないから苦悩するのです。
すべての理由は原因にあります。
あなたが自ら選択した原因こそが、結果を導く理由であるのです。
あなたはそれを自らが招き入れたという事実を知らなければなりません。
あなたが扉を開かなければ、その客は門前によって払われるのです。
あなたは自分自身の意思によって、どのような客を招き入れるのかを決めることができるのです。
結果を理解するためには、原因を理解する必要があります。
自らのどのような選択が、状況に対してどのような結果を導き出すのかを理解しなければなりません。
あなたには無限の選択肢が与えられていたのです。
数ある選択肢の中から、あなたがその結果を導く選択をしたのです。
あなたが受け取る状況は、あなたが選択した時点において決まっていることであるのです。
自らが決めたことを変えることはできません。
招待状を出したのであれば、招かれた客人を馳走(ちそう)しなければならないのです。
あなたが自ら出した招待状を持っている客人に対して「それはわたしが出した招待状ではありません」と弁解したところで、客人は事実(証拠)を所有しているのです。
あなたが自らの招待状で招いた客人をもて成すことなく追い返したとあらば、あなたの信用は地に落ちるのです。
それがとても苦しいということを理解しなければならないでしょう。
客人が招待状を持参して訪れるのであれば、あなたは快く扉を開いて馳走しなければなりません。
それが、あなたにとって嫌な相手であっても、あなたが招待状を出した事実が覆ることはないのです。
人生の苦しみに対して、あなたは「わたしは知らない」と言うでしょう。
「わたしには関係ない」と白を切るでしょう。
しかしながら、人生の苦しみはあなたに招待状を突き付けて「これが証拠です」と我が物顔で屋内に上がり込み、自慢げに寛(くつろ)ぐのです。
あなたはそれをどうすることもできません。
すべては自分自身のやったことだからです。
あなたは忘れてはなりません。
あなたの出した招待状を持って客人が訪ねてくるのです。
招待状を持たない者は屋内に上がる権利を持ちません。
招待状を持たない者は招かれません。
あなたの状況は、あなたが自分で招いたものであるということを理解しましょう。
人生にはどうしようもないことがあります。
人生には避けられないことがあるのです。
あなたは観念し、受け入れましょう。
招待状を持つ客人を追い返せば、それよりも大きな苦しみが待つということを理解しなければなりません。
反省するべきことに対しては、反省するのが人の生き方です。
自分がやったことに対する責任くらいは持ちましょう。
当たり前のことを当たり前にしなければなりません。
道理に従っているのはあなたですか?
それとも、あなたの人生でしょうか?
あなたは考えなければならないでしょう。
どのような客人を招くのか?それはあなた自身が決めることです。
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