人は、成長するために人生を生きています。
人が人生を生きているのは、人生を通じて得ることのできる経験を糧(かて)にして、自らを高めるためであるということを理解しましょう。
成長することがなければ、人生は有意義なものにはならないのです。
同じレベルで、同じ内容のことを続けていたとしても、そこに喜びが生まれるでしょうか?
同じことをただ続けているのであれば、そこには退屈と苦しみが生まれるのです。
レベルアップしていくから楽しいのです。
人生を勘違いしている人がいます。
安全だと素晴らしい人生である。
安定していれば豊かな人生である。
そのような消極的、否定的な考えによっては、人生が素晴らしいものになることも豊かなものになることも有り得ないのです。
我慢して、退屈して、苦しんで生きる人生のどこが素晴らしく、どこが豊かなのでしょう?
少し考えれば分かることですが、その少しも考えない人が多いのです。
多くの人は自分自身で考えていません。
自分では考えていると思い込んでいますが、残念ながら考えていません。
多くの人は、親だとか、周囲の人間から言われた言葉に縛られて生きているのです。
多くの人は、親だとか、周囲の人間が言うことが正しいと思い込んでいるのです。
そのため、そこで思考停止が起こり、何かに挑戦することもしなければ、良い訳ばかりの人生を美化したり、正当化して自分を慰めているのです。
人の成長は、その人がどれだけの人に感謝され、必要とされるのかで分かります。
その人が他人に感謝され、必要とされるのであれば、成長しているということです。
人に感謝されることもなく、必要とされることもないのであれば、成長しているとは言い難いでしょう。
人に感謝されるためには、人が求める必要を満たす力が必要です。
相手の不足を補うことができないのに、どうやって感謝されたり必要とされるのでしょう。
人の不足を補うということは、決して簡単なことではないのです。
自分自身の保身を望んでいる者には決して叶わないことなのです。
人の不足を補うことは、自らを危険にさらすということです。
人の苦労を背負い、人の苦悩を抱える訳なので、危険は当たり前なのです。
その覚悟がなければ、人の不足を補うことなどできないのです。
安全や安定といったものに価値を見出し、そこから出てこない者には、人を助けることなど絶対にできないことなのです。
そのような人は、人に感謝されることもなければ、必要とされることもありません。
断言します。
そのような人は、人に感謝されることもなければ、必要とされることもないのです。
人は成長しなければなりません。
どのような人も、成長するために人生を生きているのです。
成長するためには「上」を見なければなりません。
「下」を向いて成長することのできる人はいません。
向上意欲を持たなければならないのです。
上方を見上げる時、人は恐怖心を持ちません。
それは、人がそのようにできているからです。
下方を見下ろす時、人は恐怖心を覚えます。
高所に登る時に見上げている分には平気です。
しかし、見下ろした途端に身体が震えるでしょう。
人は「下」を見た時に恐怖するのです。
「上手くいかなかったらどうしよう」「病気になりたくない」「損をしたら生活できない」
このように「下」を見る人は不安と心配によって満たされています。
そのような人がやることは、何だって上手くいかないのです。
下を見た時には、恐怖に震えてその場から動けなくなってしまうでしょう。
安全や安定に価値を見出す人は、「下」を見ている人たちなのです。
そのような人の言うことが当てになるでしょうか?
そのような人の話を鵜呑みにしていると、退屈で苦しい人生を我慢して生きることになるでしょう。
人が成長するために生きているということを理解しなければなりません。
立ち止まっているのであれば、体力の限界がきて死んでしまいます。
体力が限界に至るまでに梯子(はしご)を登り切り、そこでゆっくりと休憩するのです。
人生は梯子を登り続ける作業です。
安全や安定という停滞を求めている者が豊かさという価値を得ることはできません。
危険でも、不安定でも、恐くても「上」だけを見て進むのです。
高所が恐い作りになっているのに、「下」を眺めなくても良いのです。
あなたは成長しなければなりません。
親であろうが、周囲の人間であろうが、その人が「下」を見ながら安全や安定の素晴らしさを説くなら、その人を乗り越えて行きましょう。
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