あなたは自分という存在を大切にしなければなりません。
これはあなたの人生であるのです。
あなたという自己の存在が重要であるのです。
自分という存在を蔑ろにするのであれば、豊かな人生は有り得ません。
それは、あなたの人生が自分という存在によって築かれているからなのです。
あなたは自分という存在が人生を決めているということを理解しなければならないのです。
そのことを理解していない人は、自分という存在を嫌っています。
顔の作りが嫌い、声が嫌い、性格が嫌い、身体的な特徴が嫌い・・・
自分自身に対して、それを傷付けるようなことばかりを考えているのです。
あなたは自分という存在に対して、どう考えていますか?
あなたは自分自身が好きですか?
それとも、嫌いですか?
あなたが自分を好きだと考えているのであれば問題ありません。
それはとても素晴らしいことでなので続けましょう。
あなたが自分のことを嫌っているのであれば、それは問題です。
あなたが自分自身のことをどのように考えようとも、それが悪いということを言っているのではありません。
あなたは自分のことを嫌っても構わないのです。
しかしながら、あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、その方法には問題があるということなのです。
この世界において、あなたが何をしようとも、あなたが実際にすることができることは許されています。
極論ではありますが、人を殺すことは法律や道徳が禁止してはいますが、実際にそれを行うことは可能です。
法律や道徳が禁止してはいますが、この世界がそれを禁止しているということはないのです。
行えることは選択肢の中にあるものなのです。
そのため、あなたが自分自身を嫌うことが悪いということではないのです。
それが実際に行えるからです。
しかし、許されている、実際に行えるからといって、それをやってしまえば、その報いを受けることになります。
実際に行えることは何をしても良いのですが、自らが行ったことに対しては報いが生じるということを覚えておかなければならないのです。
自分を嫌うことはできますが、自分を嫌うことによって生じる報いは必ず受けることになります。
それを避けることはどのような人物にもできません。
どのような方法を用いても、例え、どれだけのお金を支払ったとしても避けられないのです。
自分がやったことは必ず返ってきます。
自分がやったことは必ず受け取ります。
自分を嫌うということは、自分を蔑(さげす)むということです。
信頼できる誰かに嫌なことを言われ続けたとしましょう。
そうすると、あなたは忽(たちま)ちの内に嫌悪感や劣等感を抱いてしまうでしょう。
心は傷付き、歪んでしまうのです。
それはとても苦しいことであるということを理解しなければなりません。
あなたは自分自身の言葉を無視することはできません。
あなたが自分を嫌いだと言うのであれば、あなたの心は確実に傷付き、簡単に歪んでしまうのです。
しかしながら、その歪みを取り除くことは決して簡単なことではないのです。
どのようなものも、壊してしまうのは簡単です。
しかしながら、それを築いたり、直すということは難しいのです。
一度、壊れてしまった心は簡単には元通りにはなりません。
だから、壊れないように努めなければならないのです。
安易に自分を嫌う人がいます。
しかしながら、安易に覚せい剤に手を出して、豊かな人生を生きた者がいたでしょうか?
自分にとって良いことは難しいということを理解するのであれば、良いことの数を多くしなければならないということに気が付くはずです。
簡単なことはやらなくても良いのです。
それは、簡単にできてしまうからです。
難しいことほど練習しなければならないのです。
自分を嫌うことは簡単です。
しかし、自分を好きになることは簡単ではありません。
それは、そのような教育を受け続けてきたからです。
自分の嫌いなところに注目するような教育を受けてきたのです。
あなたは間違った教育に従って、間違った方法を多用してはなりません。
自分自身を大切にしない方法は、誰が何と言おうとも間違っているのです。
あなたの(現時点において)信頼する人が、自分を嫌いになるような教育をしてくるのであれば、その人が信頼に価するのかを改めて考えなければなりません。
あなたは必要な姿形、必要な能力によって生まれてきたのです。
鳥として生まれたのであれば、その翼を使って大空を行かなければならないのです。
あなたが「あなた」として生まれたのであれば、「あなた」として生きましょう。
自分を嫌うということは、鳥が自らの翼を嫌うようなものです。
飛ばない鳥は格好の餌食となるのです。
自分を嫌ってはなりません。
自分の好きなところを探し続けましょう。
先ずはそこからです。
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