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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年2月28日木曜日

特注の幸福

人生は、それぞれの目的です。
人は、それぞれの人生を生きているのです。
人は、それぞれの目的を生きているということを理解しなければなりません。
人は、それぞれに異なる目的を以(もっ)て生まれます。
人生というものは、それぞれの異なる目的です。
人生は、誰かと同じ生き方をする場所ではないのです。
人生における生き方は、それぞれが異なっているのが自然です。
生き方は、それぞれに異なっていなければ不自然なのです。
多くの人には、自然と不自然の区別が付きません。
多くの人には、自然と不自然は同じもののように思えるのです。
そのため、誰かと同じ生き方に対して違和感を持つこともなく、過ごすことが出来るのです。
すべての人は、幸福を求めます。
幸福とは、立場や状態によって異なります。
幸福というものは、決して固定されているようなものではないのです。
そのため、幸福を求めるにしても、現状に対する幸福の形を求めなければならないのです。
多くの人は、幸福を追い求める余り、自分に相応しい幸福の形を見失ってしまうのです。
そして、誰かのようになれば、自分も幸福が得られるなどという思い込みに取り憑(つ)かれてしまうのです。
誰かのようになっても、あなたに幸福が実現するとは限りません。
誰かのような幸福を追い求めるのであれば、あなたが幸福を得ることは出来ないでしょう。
それは、幸福というものが、世界に一つしか存在しないからです。
それは、あなたの現状によって作り出される特注の幸福だからです。
あなたに相応しい幸福は、世界に一つしか存在しないのです。
別の誰かの所有している幸福を手に入れたところで、あなたは幸福にはなれません。
あなたは、世界に一つしか存在しない幸福を探さなければならないのです。
例えば、誰かのように、他者に評価されることがあなたの幸福であるとは限りません。
例えば、誰かのように、誰もが羨(うらや)む才能を有することがあなたの幸福であるとも限りません。
例えば、誰かのように、多くの財産を蓄えることがあなたの幸福であるとは限らないのです。
それ等は、誰かの幸福であって、あなたの幸福ではないのです。
あなたにとってそれが必要であるというのであれば、それを得た時に幸福を感じることが出来るでしょう。
しかしながら、それが必要でなかった場合、幸福だと思い込んでいたものによって、苦悩を得ることになると覚えておきましょう。
あなたは、人生の目的を考えなければなりません。
目的は、それぞれに異なります。
決められた幸福の形など存在しないのです。
世界や人生に対する必要を満たすことが目的なのです。
他者からの評価や、誰もが羨む才能、そして、多くの財産によって、本来の目的を見失ってはなりません。
あなたは、世界や人生に対する必要を満たさなければなりません。
難しく考える必要はありません。
不足を動機として考えなければ良いだけです。
多くの人は、幸福の動機を不足によって考えています。
何かが足りないからこそ、それが満たされると幸福だと考えるのです。
不足を補(おぎな)うことは、幸福であるように思えます。
しかしながら、それは、マイナスをゼロにしたに過ぎません。
それは、不足に対して仕返しをしたに過ぎないのです。
それでは、幸福は得られません。
幸福とは、世界や人生の必要を満たすことです。
それは、誰かや何かの役に立つということなのです。
自分の不足を埋めることが幸福ではありません。
誰かや何かの役に立つことによって、自らの不足を埋めてもらうことが幸福なのです。
自分のために働くことでは、ゼロからプラスへと積み上げることは出来ません。
自分のために働いたところで、マイナスをゼロにするのが精一杯なのです。
しかしながら、それは、他者からの評価を得るためではありません。
それは、才能を見せびらかすためでもありません。
多くの財産を手に入れるためでもないのです。
ただ、役に立つことです。
ただ、必要を満たすことだけが目的なのです。
その結果として、他者からの評価を得ることや、才能を認められることや、財産を手に入れることは構わないでしょう。
それは、ただの結果に過ぎないからです。
結果を目的としてはならないということなのです。
道を誤ってはなりません。
誰かや何かの役に立つこと、世界や人生の必要を満たすことだけを考えていましょう。
そうすれば、人生の目的を果たすことが出来るでしょう。

2019年2月27日水曜日

歪み

すべての人は、心を無視することが出来ません。
すべての人は、自らの抱える心と共に生きているのです。
心とは、自分であり、自分ではない存在です。
あなたは、そのように奇妙な存在と共に生きているのです。
人生の目的は、心を改めることです。
残念ながら、心は生まれる前から歪んでいるのです。
この世界において、歪んでいない心は存在しません。
すべての心は、歪みを所有しているのです。
あなたの心は歪んでいます。
それは、未熟さとして現れます。
あなたの認識が歪んでいるのは、心が歪んでいるからです。
すべての人の認識は歪んでいます。
それは、偏見と誤解を生じさせるのです。
この世界において、偏見と誤解を所有しない人はいません。
すべての人が、偏見と誤解を生きているのです。
偏見と誤解は、世界に対する不理解を実現します。
それは、問題を引き起こすのです。
問題は、歪んだ認識によって苦しみへと変換されます。
すべての人は、心の歪みによって、苦しみを経験しなければならないのです。
人生において、苦しみを経験することのない人はいません。
どのような人物であろうとも、苦しみを経験しなければならないのです。
人生において、苦しみを無視することは出来ません。
あなたも、必ず苦しみます。
それは、避けられないことなのです。
心の歪みは、問題ではないことを問題にしてしまいます。
心の歪みは、自然を不自然として認識してしまうのです。
大切なのは、不自然を自然として認識することです。
この世界には、無駄は存在しません。
無意味も無価値も存在しないのです。
それは、この世界に存在するすべてが自然であるということを意味しています。
しかしながら、多くの人は、この世界に無駄や無意味や無価値が存在すると思い込んでいるのです。
そのような選択は、多くの問題と苦しみを引き起こすのです。
人生は、苦しむためにあるのではありません。
あなたは、苦しみのために生まれたのではないのです。
苦しみは、必要な過程ではあっても、目的地ではないのです。
あなたは、人生を豊かに生きるために生まれたのです。
それは、心の歪みを改めるということなのです。
あなたが豊かに生きるためには、心を改める以外には方法がありません。
歪んだ認識を改めることがなければ、問題や苦しみを手放すことは出来ないのです。
人生が苦しいのは、環境や状況や人間関係などの、外的な要因のせいではありません。
歪んだ心による、歪んだ認識こそが、人生を苦しくさせるのです。
しかしながら、人生が苦しいことにも大切な意味があります。
それは、苦しみによって、歪んだ心を改めることが出来るからです。
残念ながら、すべての人が未熟です。
未熟者の認識は歪んでいます。
喜びによって心を改めることは出来ないのです。
多くの人は、喜びによって自らを改めることは出来ません。
多くの人は、喜びによって自らを改めようとは思わないのです。
多くの人は、喜びが導かれている時、自分が正しい道を歩んでいると思うものなのです。
しかしながら、あなたは喜びすら歪んで認識しているということを忘れてはなりません。
歪んだ心においての喜びは、真(まこと)の喜びではないということなのです。
歪んだ心においては、苦しみこそが真の喜びである場合もあるということなのです。
人生の目的は、歪んだ心を改めることです。
あなたは、自らの認識が歪んでいるということを理解しましょう。
あなたが正しいと思い込んでいるものが正しいとは限りません。
あなたが喜びとして認識しているものが喜びであるとは限らないのです。
あなたが豊かさだと感じているものが、真の豊かさではないかも知れないと疑わなければならないのです。
苦しみが真実を教えてくれます。
安易に苦しみを嫌ってはなりません。
何のために苦しみが導かれているのか?と考えましょう。

2019年2月26日火曜日

感謝の先

人生の意味を理解することは、何よりも重要なことです。
人は、人生の意味を探さなければなりません。
そして、それを理解しなければならないのです。
人生の意味を理解することなく生きることは簡単です。
目の前の快楽や欲望や苦悩に根差して生きれば良いだけだからです。
多くの人が、目の前の快楽や欲望や苦悩に根差して生きているのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に根差すことによって、人生の意味を理解することが出来ません。
それは、目の前の快楽や欲望や苦悩という、人生の意味とは別のものを追い求めるからです。
あなたは、目の前の快楽や欲望や苦悩を貪(むさぼ)るために生まれたのではありません。
あなたは、そんなことのために生まれたのではないのです。
人生には、それぞれに目的が与えられています。
目の前の快楽や欲望や苦悩というものは、それぞれの目的を果たすための障壁(しょうへき)に過ぎません。
人は、快楽や欲望や苦悩の先に存在する人生の目的を果たすために生きているのです。
快楽や欲望や苦悩が人生の目的ではないのです。
多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩が人生の目的であると考えています。
多くの人は、目の前の快楽や欲望を貪るために生きているのです。
そして、苦悩に陥(おちい)ることを喜んでいるのです。
苦悩に陥った人は、苦悩から抜け出そうとはしません。
苦悩に陥ってしまった後も、苦悩に陥ってしまう原因となった価値観や生き方を変えないでいるのです。
そのため、多くの人は、苦しまなければなりません。
どのような人物であろうとも、人生の目的を無視して生きることは苦しいのです。
目の前の快楽や欲望を貪り、苦悩に陥るのは苦しいことなのです。
目的ではないものを目的として生きることは、辛いことなのです。
しかしながら、多くの人は、目の前の快楽や欲望や苦悩に根差して生きなければなりません。
多くの人は、そのような生き方しか出来ないのです。
それは、仕方のないことです。
なぜなら、人は苦しまなければならないからです。
すべての人は、苦しまなければなりません。
それは、感謝を忘れているからです。
残念ながら、多くの人は、感謝を忘れているのです。
自分にとって都合の良いことに感謝することは、真(まこと)の感謝ではありません。
自分の都合に関係なく、感謝することこそが、真の感謝なのです。
多くの人は、自分の都合によって物事を判断します。
自分の都合に良いものは良く、自分の都合に悪いものは悪いのです。
それが、”普通”なのです。
しかしながら、人生においては、無意味も無価値も存在しません。
人生には、無駄は存在しないのです。
目の前の”それ”の価値を、自分の都合によって計ることは出来ません。
自分にとって都合の悪いことであっても、この世界においては必要だからです。
この世界においては、すべてが必要なのです。
しかしながら、多くの人にはそうは思えません。
それは、目の前の快楽や欲望や苦悩に根差して生きているからです。
多くの人は、人生の目的を見失っているのです。
そして、感謝を忘れてしまいます。
苦しみは、あなたが感謝を思い出すために存在するのです。
そして、感謝は、あなたが人生の目的を思い出すために存在します。
あなたが感謝を思い出すのは、人生の目的を思い出すためです。
感謝によって、初めて人生の目的を思い出すことが出来るでしょう。
感謝がなければ、人生の意味を思い出すことは出来ないのです。
なぜなら、人生の意味を思い出すためには、知恵が必要だからです。
知恵とは、無知の自覚です。
無知を自覚している者だけが、感謝を扱うことが出来るのです。
知恵の無い者は、傲慢(ごうまん)に振る舞います。
無知を自覚することのない者は、自分が正しいと思い込んでしまうのです。
そして、思い上がってしまうのです。
その結果として、苦しみが導かれます。
苦しみによって、歩みは妨げられるのです。
大切なのは、謙虚(けんきょ)であることです。
知恵を以(もっ)て生きましょう。
あなたは、人生の意味を探さなければなりません。
無駄に生まれる者は存在しません。
あなたには、この人生に生まれた意味があるのです。
それを感謝の先に探しましょう。

2019年2月25日月曜日

本物の美しさ

豊かさとは、美しさのことです。
美しさとは、豊かさなのです。
あなたが求める豊かさは、美しさによって実現するのです。
美しさを得なければ、豊かさは実現しません。
しかしながら、それは外面的な美しさのことではありません。
外面がどれ程美しくても、内面が美しくなければ、それを美しさと呼ぶことは出来ないのです。
美しさとは、内面の輝きのことです。
内面が輝いていなければ、どれだけ外面を飾ろうとも、美しさを得ることは出来ないのです。
美しさは、人生を豊かにします。
美しさが存在しなければ、人生は決して豊かさを得ることは出来ないということを理解しなければなりません。
大切なのは、内を飾ることです。
内を飾ることなくして、豊かさを手にいれることは出来ないのです。
しかしながら、多くの人は、豊かさを誤解しています。
多くの人が、外面を飾ることによって、豊かさが得られると思い込んでいるのです。
しかしながら、豊かさに外面は関係ありません。
あなたにとっては、そのように見えているだけなのです。
大切なのは、内面の美しさです。
外面をどれだけ飾っても、いつかはそれが偽りであったと理解するのです。
それは、外面の美しさは、次第に剥(は)がれてしまうからです。
外面の美しさを保つためには、外面の美しさを飾り続けなければなりません。
それは、偽りに偽りを重ねるようなことなのです。
剥がれない本物の美しさによって、内面を飾らなければなりません。
本物の美しさとは、懸命のことなのです。
懸命こそが美しいのです。
手を抜いて、美しさを実現することは出来ません。
あなたは、何事に対しても、懸命に向き合わなければならないのです。
懸命な態度は、本物の美しさを内面に飾ります。
本物は、内面を飾った後に外面が飾られるのです。
本物は、外面が内面の結果であることを知っています。
そのため、例え上手くいかなかったとしても、懸命に向き合います。
それは、本物が、結果と理想を重ね合わせないからです。
懸命に向き合う者は、本物が、結果と理想が重なり合わないことを知っています。
本物の美しさとは、理想とは異なる結果を受け入れることの出来る寛容性(かんようせい)のことなのです。
どのような現状においても、それに懸命に向き合うことが出来る態度こそが、本物の美しさなのです。
あなたは、失敗を恐れずに懸命に向き合いましょう。
人生は、決して思い通りには展開しません。
残念ながら、人生には、理想にそぐわない問題ばかりが生じてしまいます。
それは、理想が実現することが、本物の美しさではないということを理解させるためです。
人生においては、必ずしも、理想が実現する必要はありません。
人生においては、理想が実現しなくても良いのです。
重要なのは、懸命に向き合うことです。
懸命に生きること以上に大切なことはないのです。
懸命に向き合うことこそが美しいのです。
あなたは、どのような状況に対しても、懸命に向き合いましょう。
周囲の人が、そこで怠(なま)けていたり、それを茶化(ちゃか)したり、不平不満を吐いていようとも、その態度に従ってはなりません。
あなたは、懸命に向き合うのです。
そうすれば、本物の美しさを得ることが出来ます。
懸命に向き合った者だけが、本物の美しさに辿り着きます。
結果のことを気にする必要はありません。
理想を追い求める必要はないのです。
懸命に向き合う態度によって、結果はどうあれ、あなたは、本物の美しさを得ることが出来るのです。
理想を実現している人であっても、本物の美しさを得ることが出来ない人がいます。
理想を実現していない人であっても、本物の美しさを得ることが出来る人がいるのです。
理想の実現は問題ではありません。
あなたの態度が問題なのです。
詰まらないことに対して、懸命に向き合うことの出来るのが上等です。
あなたは、懸命こそが美しいことを覚えておきましょう。
懸命に生きることの出来ない者の人生には、豊かさが実現しないということを理解しなければなりません。

2019年2月24日日曜日

すべては終わる

この世界に存在しているすべては、既に始まっているものです。
それは、終わりより始まります。
すべての始まりは、終わりを原因とした結果なのです。
終わりが存在するからこそ、始まりが存在を許されます。
もしも、終わりが存在しなければ、始まりが存在を許されることはないのです。
あなたは、すべての始まりが、終わりへと辿り着くことを理解しなければなりません。
すべての始まりは、現状を経過して終わりへと辿り着きます。
すべての始まりの目的は終わることなのです。
そのため、すべての始まりにとって重要なのは、終わることなのです。
どのように努めても、始まりは必ず終わります。
この世界において、終わりを食い止めることは出来ません。
永遠に思えるものであっても、必ず終わりへと辿り着くのです。
終わりへと辿り着く時が異なるだけなのです。
大切なのは、終わりを考えることです。
あなたは、終わらせるために始めるのです。
すべては、終わるのです。
この世界において、終わらないものは存在しないのです。
執着(しゅうちゃく)は、価値を持たないのです。
すべての始まりは、あなたの努力に関係なく終わりへと辿り着きます。
すべての始まりは、終わりへと辿り着くことが最善なのです。
それが、自然なのです。
あなたは、すべての始まりが終わることを考えましょう。
終わりから遡(さかのぼ)って考えるのです。
例えば、始まった命は必ず終わります。
命は、死に辿り着くのです。
それが自然であるということは、誰にでも理解することが出来ます。
命は、死を避けることが出来ません。
なぜなら、命は死ぬために生まれたからです。
死ぬために生まれた命は、”美しく”死に辿り着かなければならないのです。
迷うことなく死に辿り着くことが、命を美しく輝かせるのです。
死を覚悟して生きる人は、懸命です。
しかしながら、死を否定して生きる人は怠惰(たいだ)なのです。
命は、その生き方によって輝きを変えます。
懸命に生きれば強く美しく輝きます。
しかしながら、怠惰に生きれば、弱くくすんだ輝きにとどまるのです。
命の輝きは、人生を左右します。
その輝きが強く美しい程に、人生は豊かさを得るのです。
あなたは、様々な命を所有しています。
命とは、”時”のことなのです。
すべては、時です。
あなたに関わるものすべてが時なのです。
それは、縁(えん)と呼んでも良いでしょう。
他者や環境や状況や道具など、あなたは様々なものと縁を結びます。
そのすべてが時であり、命なのです。
すべては始まり、終わるのです。
それが自然です。
多くの人は、終わりを否定します。
それは、恐れているからです。
多くの人は、終わることを恐れているのです。
それは、自然を恐れるということなのです。
そのため、多くの人は不自然に生きています。
不自然に生きることは、多くの問題を引き起こします。
問題は苦しみを導くのです。
多くの人が苦しんでいるのは、不自然を生きているからです。
終わりを否定することによって苦しむのです。
終わりは、決して悪いことではありません。
終わりを恐れる必要はありません。
なぜなら、終わりは次の始まりだからです。
終わりから考えましょう。
あなたは、必ず死に辿り着きます。
いつかは必ず死に辿り着くことを覚悟して生きましょう。
そうすれば、あなたの生き方はより本質的なものへと変化するでしょう。

2019年2月23日土曜日

自分の道

人生は、それぞれの道です。
人は、それぞれの目的地へと通じる道を歩んでいるのです。
人は、それぞれの目的を果たさなければなりません。
これは、目的を果たすための人生なのです。
目的の存在しない人生は存在しません。
どのような人生であろうとも、目的が与えられているということを覚えておきましょう。
人生における目的は、それぞれに異なっています。
この世界においては、誰一人として、同じ目的地へと向かって歩んでいる者はいません。
人は、それぞれの目的地へと続くそれぞれの道を歩まなければならないのです。
あなたの道と、他者の道は異なっています。
同じように歩もうとしても、同じように歩むことは出来ません。
人は、自分の道を踏み外すと、上手く歩めないのです。
道を踏み外すと、問題を抱えなければなりません。
その問題は、あなたを自分の歩むべき道へと引き戻そうとする働きなのです。
どのような人物も、自分の道を無視して歩み続けることは出来ません。
自分の道に反していると、多くの問題を抱えることになり、苦しむことになるからです。
しかしながら、多くの人は、苦しみを好みます。
頭では、苦しみを嫌っていますが、心では、それを好んでいるのです。
人は、自分が実際に行っていることを好みます。
多くの人が、苦しみに陥(おちい)っているのは、苦しみを好んでいるからなのです。
苦しみを嫌っているのであれば、苦しんではいないのです。
あなたが問題によって苦しみを抱えているのであれば、それは、苦しみによって、自分の道へと戻ろうとしているということなのです。
どのように抵抗しようとも、人は、自分の道に引き戻されます。
それは、すべての人が、自分の道を歩まなければならないからです。
そのことは、あなたも本質的な部分では知っています。
しかしながら、すべての人は、自我という弱い自分を抱えて生まれるのです。
そして、自我を自分だと思い込んでいるのです。
自我は、あなたが自分の道から踏み外すことを手伝います。
それは、あなたのためなのです。
そのようには思えないかも知れません。
多くの人は、苦しみなどない方が良いと考えるのです。
しかしながら、苦しみが存在しなければ、人は自分の道を歩もうとは考えません。
人生が、喜びで満ち溢れるのであれば、本来の目的を果たそうなどとは思わないのです。
多くの人は、責任よりも自由を選ぶのです。
苦労よりも、気楽の方が良いと考えるからです。
喜びに浮かれてしまえば、目的地へと辿り着くことは出来ません。
喜びに浮かれてしまえば、その場に停滞してしまうからです。
人生において大切なのは、先へ進むことです。
喜びに陥ることなく、歩みを進めることなのです。
喜びは、あなたの問題となります。
喜びに従っているのであれば、その内に苦しみに陥るようになってしまうのです。
あなたは、喜びの誘惑(ゆうわく)に引かれてはなりません。
人生においては、歩みを止めてはならないのです。
苦しみとは、あなたを奮い立たせるための発破(はっぱ)なのです。
それは、あなたを喜びから救い出すための働きなのです。
喜びは、とても大切な感情です。
しかしながら、そこにいつまでもとどまっているのであれば、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
あなたは、喜びを一時の休憩と考えましょう。
人生の目的は、喜びを得ることではありません。
なぜなら、喜びも過ぎれば苦しみだからです。
人生はまるで、水泳のようなものなのです。
手足を動かさなければ、呼吸することも、前に進むことも出来ません。
停滞することは楽です。
しかしながら、そのままでは沈んでしまうのです。
呼吸しようと手足を動かせば、下手なりにも何とか前に進むことが出来るのです。
大切なのは、前進することです。
あなたは、自分の道を進まなければなりません。
自分の目的を果たしましょう。
喜びが苦しみを生み出しているということに気が付かなければなりません。
それとは反対に、苦しみが喜びを生み出しているということも忘れてはならないでしょう。
これは、あなたの人生です。
もがきながら、進みましょう。

2019年2月22日金曜日

独特な生き方

すべての人生には、目的が与えられています。
すべての人生は、目的を果たすための時間です。
すべての人は、人生において、与えられた目的を果たさなければならないのです。
目的を果たすために、役割が与えられます。
すべての人には、必要な役割が与えられているのです。
役割を果たすことによって、目的を果たすことが出来ます。
目的を果たすことがなければ、役割を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすことは、人生において重要な課題です。
すべての人は、自らの人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は完成しないのです。
人生が完成しなければ、繰り返さなければなりません。
それは、完成を迎えるまで、何度も繰り返されるのです。
大切なのは、次の段階へと進むことです。
人生の目的を果たすことによって、あなたは、次の段階へと移行することが出来るのです。
それは、とても幸福なことです。
しかしながら、あなたには、それを味わうことは出来ません。
あなたは、味わうことの出来ない幸福のために、人生の目的を果たさなければならないのです。
それは、子どもの幸福を願って、知恵を授ける親の態度に似ています。
知恵は、自分独りが抱えていても価値のないものです。
知恵は、誰かの役に立てることによって、価値が生まれるのです。
人生を完成させるためには、与えられた役割を果たさなければなりません。
与えられた役割を果たすということは、誰かの役に立つということなのです。
それは、あなたの能力を誰かに授けるということなのです。
親は、子の幸福を知ることが出来ません。
それは、子は他者であるからです。
誰にも、他者の幸福を知ることは出来ないのです。
しかしながら、親は子のために知恵を授けます。
それと同じように、あなたは、味わうことの出来ない幸福のために、自らの能力を費やして役割を果たすのです。
役割は、それぞれに異なります。
役割は、それぞれに異なっているのが自然なのです。
皆が同じことをしても、それは有益ではありません。
皆が同じことをしても、役に立つことはないのです。
それぞれが、他者とは異なる自分自身の特徴(とくちょう)を生かして生きなければなりません。
しかしながら、多くの人は、自分自身の特徴を生かすことをしません。
多くの人は、自分の能力を隠して生きるのです。
なぜなら、自分自身の特徴、能力を生かして生きるということは、他者と異なる特徴や能力を主張して生きるということだからです。
そのような生き方は、擦れ違いを生じさせます。
人生には、他者と異なる生き方によって摩擦(まさつ)が生じるのです。
人が理解し合えないのは、仕方のないことです。
人は、それぞれに与えられた能力、役割、目的が異なります。
そのため、擦れ違うのが自然なのです。
多くの人は、他者と擦れ違うことを恐れます。
もちろん、すべての人が仲良く生きる方が良いに決まっています。
しかしながら、それでは向上は望めないのです。
向上するためには、互いに牽制(けんせい)し合う必要もあります。
あなたが歩むことが出来るのは、地面からの反発が存在するからです。
地面が、あなたの蹴(け)る力を吸収してしまえば、それ以上に歩みを進めることは出来ないのです。
反発によって、あなたは歩みを進めることが出来るということを覚えておきましょう。
あなたが自分自身の特徴を生かして生きれば、必ず反発が起こります。
誰かが、あなたの独特な生き方を批判するようになるのです。
しかしながら、能力、役割、目的が異なる以上、それは仕方のないことなのです。
あなたが、他者に反発することも、同じように仕方のないことなのです。
互いが能力を生かし、役割を果たし、目的を実現するために反発するのです。
互いが憎み合うための反発ではありません。
そのことを理解しなければなりません。
人生には、独自の能力、役割、目的が与えられているということを覚えておきましょう。
そうすれば、互いを尊重することが出来るでしょう。
そして、自分自身の独特の生き方を許すことも出来るでしょう。

2019年2月21日木曜日

必要に応じた変化

すべての人生は、意味があって存在しています。
この世界には、意味のない人生は存在しません。
どのような人生にも、大切な意味があるということを理解しなければなりません。
人生に意味があるということを知らなければ、人生は退屈なものになってしまうのです。
あなたは、人生を退屈にしてはなりません。
退屈とは、目的を見失っている状態のことです。
人は、目的を見失っている時、退屈に陥(おちい)るのです。
大切なのは、人生の目的を見出すことです。
人生には、意味があります。
その意味が目的なのです。
人生の目的を知っている人は、人生を退屈に陥らせることはありません。
すべての人生に目的が存在するのです。
この世界には、目的のない人生は存在しないのです。
見出すことが出来ないことと、存在しないことは等しくはありません。
あなたが、人生に目的を見出すことが出来ないというのであれば、それは、現時点において目的を見出すことが出来ていないだけです。
それは、人生に目的が存在しないということではないのです。
探せば見付かります。
それは、存在しているからです。
存在していないものを見付け出すことは出来ませんが、存在しているものなら見付け出すことが出来るのです。
あなたは、人生の意味を知ることが出来ます。
あなたは、人生の目的を見出すことが出来るのです。
しかしながら、なんとなく生きているだけでは、人生の意味を知ることも、人生の目的を見出すことも出来ないのです。
探さなければ見付かりません。
見付からなければ苦しいのです。
人生の意味を知ることは、人生を豊かにすることです。
人生の目的を知らなければ、人生を豊かに生きることは出来ないのです。
当ても無く彷徨(さまよ)うことは、豊かさではないのです。
どのように険しい道のりであったとしても、目的を以(もっ)て歩むのであれば、それは幸福です。
しかしながら、穏やかな道のりであったとしても、当ても無く彷徨うのであれば、それは不幸なのです。
あなたは、一歩一歩の歩みに対して、人生の意味や目的を探しましょう。
すべての状況に、人生の意味や目的が潜在しています。
それは、簡単には見出すことが出来ないものです。
しかしながら、必ず存在するのです。
泥水の中を探しても、見付け出すことは出来ません。
なぜなら、見えないからです。
見えないのならば、水の澄んだ方へと移動すれば良いのです。
澄んだ水の中であれば、見付け出すことが出来ます。
しかしながら、あなたの移動に合わせて、水は濁(にご)ります。
その時には、再び移動しなければならないのです。
人生においては、変化が求められます。
あなたが頑(かたく)なに変化を拒(こば)んだとしても、それをいつまでも貫(つらぬ)き通すことは出来ません。
人生は、あなたが変化しなければならないように変化し続けるのです。
この世界において、変わらないものは存在しません。
変わらないことを許されるものは存在しないのです。
人生における必要は変わります。
あなたは、必要に応じて、自分自身を変化させなければなりません。
あなたは、必要を追って歩まなければならないのです。
必要の先に、人生の意味と目的が存在しているのです。
必要は、誰にでも理解することが出来ます。
目の前の問題こそが、あなたにとっての必要だからです。
あなたは、それを解決しなければなりません。
それが、あなたの一歩となるのです。
人生には意味が存在しています。
意味があって、人生は存在するのです。
無意味な人生は存在しません。
意味を追って、人生を歩みましょう。
必要に従いましょう。
必要に応じて変化しましょう。

2019年2月20日水曜日

装飾された偽り

あなたが人生を豊かなものにするためには、本質を得る必要があります。
人生に豊かさを実現するためには、本質を得なければならないのです。
本質を得ることがなければ、人生は豊かさを得ません。
本質こそが、人生に豊かさを実現するということを理解しなければならないのです。
すべての人は、人生に豊かさを求めています。
しかしながら、多くの人は人生に豊かさを実現することが出来ません。
多くの人は、乏しさと共に生きているのです。
乏しさとは、偽りのことです。
豊かさとは、真(まこと)のことなのです。
本質とは、真のことなのです。
偽りは、表面的な装飾(そうしょく)に過ぎません。
どれだけ、外面的に装(よそお)っても、豊かさを得ることは出来ません。
価値のあるように見えて、価値のないものには価値がありません。
価値のないように見えて、価値のあるものに価値があるのです。
”腐っても鯛”という言葉があります。
内面の美しいものは、表面が汚れていたとしても、価値があるのです。
しかしながら、内面が汚れているものであるのならば、表面をどれだけ美しく見せても価値はないのです。
宝石は、美しいために価値を与えられているのです。
宝石の原石にも、価値は与えられます。
しかしながら、宝石を取り除いた後の石には価値がありません。
それは、捨てられてしまうのです。
美しく塗装(とそう)された鍍金(めっき)も、剥(は)がれてしまえば価値を失います。
偽りの外面を美しく装ったとしても、いつかは剥がれてしまいます。
それでは、価値はないのです。
大切なのは、本質を得ることです。
しかしながら、本質には滅多に出会うことは出来ません。
本質を得るためには、努力と辛抱が必要です。
本質を得ることは難しいのです。
そのため、多くの人は簡単に手に入る装飾された偽り(乏しさ)に手を伸ばすのです。
それによって、一時の満足と安心を得ることが出来るからです。
多くの人は、価値のないものに価値を見出そうと努めます。
装飾された乏しさを、豊かさだと言い聞かせているのです。
すべての人は未熟に生まれます。
あなたも、未熟です。
未熟者は、努力と辛抱によって真(本質)を探すことが出来ません。
どうしても、答えを急いでしまうのです。
多くの人が、手っ取り早く豊かさを手に入れようとしているのです。
しかしながら、豊かさは簡単には手に入りません。
豊かさとは、原石から宝石を掘り出すような、地味で辛抱強い作業によって得られるものだからです。
豊かさは、簡単には手に入りません。
なぜなら、あなたは未熟であり、無知であり、歪んでいるからです。
未熟者は、豊かさを簡単に考えます。
例えば、未熟者は豊かさを買おうとするのです。
未熟者は、豊かさが買えると思い込んでいるのです。
残念ながら、豊かさを買うことは出来ません。
あなたが買うことが出来るのは、本質以外のものなのです。
本当に大切なものは買わなくても得られます。
例えば、命よりも大切な酸素は買わなくても得られます。
水も食料も、樹木も日光も、本来ならば、買わなくても得られるものです。
友情も愛情も、買わなくても得られます。
寧(むし)ろ、これ等の本質は買うことが出来ません。
豊かさは、買えるものではないのです。
何を買っても、それは偽りであり、乏しさです。
何を買っても、人生は変わりません。
ただ、所有物が増えただけの乏しいままの人生なのです。
大切なのは、本質を得ることです。
真は、買えません。
買えるのは偽りだけです。
乏しさを買うことは出来ますが、豊かさは買えません。
そのことを理解しておかなければなりません。
あなたが得なければならないのは、買うことの出来ないものです。
買うことで得られるものには、人生を豊かにする力はありません。
詰(つ)まらないもので自分を慰めてはなりません。
一時の快楽で自分に嘘を吐(つ)いてはなりません。
装飾された偽りに騙(だま)されてはなりません。
本質を見極めましょう。

2019年2月19日火曜日

相応しい展開

この世界には、無駄は存在しません。
この世界には、無意味は存在しないのです。
この世界には、無価値は存在しません。
すべてに意味が存在し、価値が存在するのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
多くの人は、この世界に無駄が存在すると考えます。
多くの人は、この世界に無意味が存在すると考えるのです。
多くの人は、この世界に無価値が存在すると考えます。
それが、”普通”なのです。
”普通”とは、偏見(へんけん)と誤解のことです。
多くの人は、”普通”を生きています。
それは、多くの人が、偏見と誤解を生きているということなのです。
偏見と誤解によって、人はこの世界に無駄を見出します。
偏見と誤解によって、人はこの世界に無意味を見出すのです。
偏見と誤解によって、人はこの世界に無価値を見出します。
多くの人は、それが正しいと思い込んでいるのです。
残念ながら、すべての人は未熟に生まれます。
未熟に生まれるために、偏見と誤解を生きるのです。
この世界には、正しい人は存在しません。
この世界においては、すべての人が間違っているのです。
そのため、認識は偽りを捉(とら)えます。
それは、この世界に無駄と無意味と無価値を認めるのです。
無駄と無意味と無価値を認めるのであれば、それ等はあなたの人生に存在を許されるのです。
その場合、あなたは苦しむことになります。
なぜなら、それは不自然を生み出すことだからです。
残念ながら、この世界には、無駄と無意味と無価値は存在しません。
すべてに意味と価値が存在するのです。
すべてに意味と価値があることが自然なのです。
自らの歪んだ認識を、正しいと理解してはなりません。
残念ながら、あなたは間違えているのです。
あなたの認識は、大きく歪んでいるということを覚えておかなければなりません。
人生は、自分に相応しく展開します。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自分に相応しい展開を逃れることは出来ないのです。
人生における展開は、そのすべてが自分に相応しいのです。
そのため、あなたがどのような展開を得ようとも、それが正しい道なのです。
人生には、都合の悪い展開が導かれます。
それは、あなたが未熟であるからです。
あなたが未熟であるために、それを都合の悪い展開だと考えるのです。
人生には、無駄も無意味も無価値も存在しません。
そのことを理解するのであれば、人生に都合の悪い展開は存在しないのです。
あなたは、都合の悪い展開を前にして、心を乱してはなりません。
都合の悪い展開に対しては、都合の悪いと思い込んでいる展開だと修正しましょう。
すべては、自分に相応しいのです。
正しく認識すれば、それが都合が良いことに気が付くでしょう。
安易(あんい)に答えを出してはなりません。
あなたには、偏見と誤解が生じているのです。
疑わなければなりません。
あなたは、決して正しくありません。
あなたの認識や考えは間違っているのです。
この世界には、無駄は存在しません。
この世界には、無意味は存在しないのです。
この世界には、無価値は存在しません。
そのことを覚えておきましょう。
人生を大切に扱う者だけが、人生を豊かに生きることが出来るでしょう。

2019年2月18日月曜日

青い果実

すべての人生には、目的が与えられています。
すべての人は、目的を果たさなければなりません。
目的を具体的な形では認識していなくても、目的が存在し、それを果たさなければならないことは知っているのです。
すべての人が、人生の目的を果たそうとしているのです。
そのような認識はなくても、そのように努めているのです。
すべての人が成果を求めます。
それは、人生の目的を果たすためには、小さな成果を積み重ねる必要があるからです。
辿り着く場所を理解してはいなくとも、どこかへと辿り着かなければならないことは知っているのです。
そのため、すべての人が成果を求めるのです。
成果とは答えです。
すべての人は、答えを求めているのです。
人は、答えを急ぎます。
それは、不安だからです。
人生には、果たさなければならない目的が存在しています。
それが人を不安に陥(おとしい)れるのです。
不安を抱える人は、より答えを急ぐことになるのです。
人が答えを急いでも、答えが導かれることはありません。
正しい答えは、自然によって導かれます。
自然は、理(ことわり)に従って答えを導くのです。
人には、成果を操作する力も権限もありません。
人は、自然によって導かれる答えを待たなければならないのです。
成果を引き出すことは出来ません。
自在に雨を降らすことが出来ないように、成果を好き勝手に得ることは出来ないのです。
成果は、思い掛け無い時に、思い掛け無い形で導かれるのです。
残念ながら、人は不自然な存在です。
すべての人が未熟であり、不自然なのです。
誰にも、成果の形と、それが導かれる時を計り知ることは出来ないのです。
あなたは、答えを待つしかありません。
しかしながら、不自然を生きている多くの人にとって、それは、”藁(わら)をも掴む”思いなのです。
答えを急いだとしても、答えが早く導かれる訳ではありません。
自然は、必要に応じて答えを導くのです。
必要を満たさなければ、答えは導かれません。
残念ながら、未熟であり、不自然な存在である人間には、必要を理解することは出来ないのです。
人は、答えを急ぎます。
しかしながら、自然は必要に応じて答えを導きます。
答えを急ぐことは、果実の収穫を急ぐのと同じです。
果実は、熟れるのを待って収穫するのが最善です。
収穫を急ぎ、青く堅(かた)い果実を口に運べば、人は苦しむことになるのです。
あなたが喜びを得るためには、収穫を急がずに、果実が熟すのを待たなければなりません。
急がずに待つことが大切なのです。
急いでも良いことはありません。
急いでは、誤るのです。
答えを求める必要はありません。
答えは、導かれるのを待てば良いのです。
残念ながら、あなたには、果実が熟すのを早める力も権限もありません。
人生は、都合の良いものではないのです。
未熟なあなたにとっては、都合の悪いことが多いのが現状なのです。
都合の悪い現状においては、不安は募(つの)ります。
しかしながら、人生において、無駄なものは存在しません。
都合の悪いと思える現状であっても、それは、必要であるということなのです。
すべての状況が、成果へと結び付くのです。
苦しみを生きていたとしても、必要な答えは必ず導かれます。
すべての人生には、目的が与えられているのです。
人生が、目的を無視して展開することなどないのです。
気持ちが焦ったとしても、答えを急いではなりません。
青く堅い果実を、無理に飲み込んではならないのです。
必要は満たされます。
不安に騙(だま)されてはなりません。
必要な答えは必ず得られます。
急がずに、安心して待ちましょう。

2019年2月17日日曜日

永遠の価値

すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人生には、目的が与えられているのです。
人生の目的は一つです。
それは、誰もが目指さなければならない目的なのです。
人生の目的とは、成長を実現することです。
それは、精神の成長であり、人格の成長であり、魂の成長のことなのです。
人は、精神や人格や魂を成長させることを目的として生まれます。
その目的を実現するために、様々な経験を必要とするのです。
精神や人格や魂を成長させるために必要な様々な経験は、それぞれに異なっています。
人は、それぞれの必要を経験しなければならないのです。
それぞれの必要と経験は異なりますが、目的は同じです。
あなたは、精神や人格や魂の成長を実現するために生きているのです。
それは、目には見えず、形の無いものです。
それは、意識的なものなのです。
あなたは、物質的な経験を通じて、意識的な成長を実現する必要があるのです。
あなたは、形によって、形の無いものを改めなければならないのです。
目的は、意識的なものです。
価値は、意識的なものにあるのです。
しかしながら、多くの人は、意識的なものの価値を知らずにいます。
この世界において、多くの人は、物質的なものに価値を見出すのです。
人が物質的な価値を求めるのは、それによって意識的なものを改めるためです。
すべての物質的な価値は、意識的な状態を改めるための道具に過ぎないのです。
物質的な価値を集めることが、人生の目的ではないのです。
物質的な価値によって、意識的な状態を改めることで導かれる価値を集めることが人生の目的なのです。
物質的な価値をどれだけ集めても意味がありません。
なぜなら、大切なのは、意識的な価値を集めることだからです。
物質は限定的です。
物質的なものに、永遠の価値はありません。
しかしながら、意識的なものには、永遠の価値が存在するのです。
すべての人は未熟に生まれます。
そのため、すべての人が無知です。
すべての人は、限定的な価値を求めるのです。
物質的な価値である肉体は、必ず死に行き着きます。
物質的な価値である肉体の目的は死であるのです。
肉体が死を得れば、すべての物質的な価値を失います。
肉体が死を得れば、あなたは、この世界すらも失ってしまうのです。
すべての物質的な価値が消え去ってしまいます。
しかしながら、意識は残るのです。
肉体は、物質的なものだけで動いている訳ではありません。
肉体を働かせているのは、目には見えない意識的なものの力なのです。
命が備わらなければ、肉体が熱を持ち、活動することは出来ません。
命とは、精神のことであり、人格のことであり、魂のことなのです。
肉体も、意識的なものが備わらなければ死肉です。
死肉に価値を見出す人は少ないのです。
死肉は、手放されるのです。
物質的なものに価値を見出す人は、死肉である肉体に価値を見出しているのと同じなのです。
肉体も、意識的なものが備わらなければ価値を持ちません。
それは、意識的なものに価値があるということを意味しているのです。
多くの人は、そのことを知りません。
そのため、物質的な価値を追い求めているのです。
物質的な価値のために、意識的な価値を犠牲(ぎせい)にするのは馬鹿げています。
命よりも、肉体の方に価値があると思いますか?
大抵の人が、肉体よりも、命の方に価値があると考えるのです。
あなたは、肉体を失っても、命を失ってはなりません。
物質的な価値によって、意識的な価値を損なってはならないのです。
人生の目的を考えなければなりません。
物質的な価値に翻弄(ほんろう)されてはなりません。
人生の目的を見失わないようにしておきましょう。
物質的な価値に目を奪われず、意識的な価値を見詰めましょう。
限定的なものに価値を見出してはなりません。
永遠に存在する価値を見出しましょう。

2019年2月16日土曜日

迷いの中

人は、それぞれに役割を与えられています。
それぞれの役割は、それぞれの道を教えます。
人は、役割に教えられた道を歩むことしか出来ません。
役割に反する道を進もうとしても、無理が生じて進むことは出来ないのです。
人は、自らの役割に相応しい道を進まなければならないのです。
道は、それぞれに異なります。
それは、役割がそれぞれに異なるからです。
人は、それぞれが異なる道を歩まなければならないのです。
自らの道を歩むことが、人生の目的です。
あなたは、自分の道を歩まなければなりません。
しかしながら、自分の道というものは、現時点でのあなたにとっては、都合の悪いものであるかも知れません。
自分の道というものが、現状において都合の悪いものであったとしても、あなたはその道を歩まなければならないのです。
なぜなら、それがあなたの道であるからです。
残念ながら、人生は思い通りには展開しません。
人生は、あなたの都合を考慮(こうりょ)しないのです。
人生は、必要を満たし続けます。
人生における必要と、あなたの都合は一致しないということを覚えておかなければなりません。
なぜなら、あなたは未熟に生まれ、無知を生きているからです。
人生における必要は、あなたには理解することが出来ないものなのです。
人生における必要は、人生を通じて少しずつ理解することが出来るでしょう。
人生は、迷いの道なのです。
誰もが、自らの人生に迷います。
すべての人は、迷いの中に生きなければならないのです。
誰一人として、自分の生き方に確信を抱いている人はいません。
人は、どれだけの経験を積んでも、人生に迷うものなのです。
あなたが、自らの生き方に迷っているのは、問題ではありません。
それは、自然なことだからです。
寧(むし)ろ、迷わないことが問題なのです。
迷わないということは、何かを盲信(もうしん)しているに過ぎないからです。
人は、それぞれに役割を与えられています。
この世界において、同じ役割を与えられている人はいません。
この世界においては、人の数だけ役割が存在するのです。
あなたに与えられているのは、あなただけの役割です。
そのため、誰にも教えてもらうことは出来ません。
誰も、あなたの役割を答えることは出来ないのです。
自分に与えられた役割は、自分で見出さなければならないのです。
そのため、人生は孤独な道です。
迷わないのは不自然なのです。
あなたが人生に迷っているというのであれば、それが正しい道です。
誰かに教わった(強制された)道は、あなたの進むべき道ではありません。
あなたは、現状の自分にとって都合が悪くても、自分の道を進まなければなりません。
自分の道とは、自分の進みたい道であることもあれば、それ以外に進むことが出来ない、進まなければならない道のことでもあります。
どちらにしても、道は開かれます。
行き詰(づ)まったとしても、開けるのが道なのです。
それは、思い描くのとは、随分(ずいぶん)と異なる道であるかも知れません。
しかしながら、それで良いのです。
あなたには、人生の目的が分かりません。
そのため、あなたは迷いながらも歩まなければならないのです。
心配せずに進みましょう。
人生を損得勘定で考えてはなりません。
他者と比較して答えが導かれるものでもありません。
自分は自分、他者は他者であるということを覚えておかなければなりません。
何が良いかは、誰にも分かりません。
一つの視点に執着すれば、優越感や劣等感を抱いてしまいます。
それぞれが異なる役割を与えらえているこの世界においては、比較は誤解でしかないのです。
詰まらない感情に縛られてはなりません。
あなたは、迷いの中に自分の道を探しましょう。

2019年2月15日金曜日

能力を磨く

すべての人は、必要によって生まれます。
すべての人は、この世界の役に立つために生まれるのです。
この世界に、無駄は存在しません。
すべての人が、この世界にとっての必要なのです。
あなたには、この世界の役に立つという役割が与えられています。
あなたは、自らの役割を果たし、この世界の役に立たなければならないのです。
あなたがこの世界の役に立つことは、理(ことわり)です。
あなたは、役に立つために生まれたのです。
人生は、そのように作られているのです。
人生は、思い通りには進みません。
多くの人は、それを悪いと考えます。
しかしながら、すべての人は未熟に生まれるのです。
未熟者の考えは、どうしても偏(かたよ)り、歪んでいるのです。
未熟者の思い通りに人生が展開すれば、それは多くの問題を引き起こしてしまいます。
人生が最善を実現するためには、未熟者にとっての、都合の悪い状況が必要であるということなのです。
人生は、思い通りには展開しません。
それは、あなたにとっての都合の悪い状況であるのです。
人生には、必ず問題が引き起こされます。
そして、それは、苦しみとなるのです。
この世界において、問題を抱えず、苦しまない人はいません。
すべての人が苦しむのです。
苦しみは避けられません。
それは、仕方のないことなのです。
あなたが未熟に生まれた時点において、苦しみは決定されているのです。
あなたは、人生において苦しむのが自然です。
苦しいことは、決して悪いことではないということなのです。
寧(むし)ろ、人生に苦しみが存在しないのは悪いことです。
なぜなら、それは不自然なことであるからです。
あなたが未熟に生まれた時点において、苦しみのない人生は不自然なものであるのです。
苦しみとは、思い通りにならない状況のことです。
人生は、思い通りにならない方が良いのです。
なぜなら、成長を実現するためには、思い通りにならない状況を経験する必要があるからです。
思い通りにならない状況から、多くのことを学ぶことが出来るのです。
あなたが自らの役割を果たし、この世界の役に立つためには、成長を実現しなければならないのです。
人生が思い通りに展開するのであれば、それ以上の成長は必要なく、それ以上の成長を求めることもないのです。
それでは、この世界の役に立つことは出来ません。
何もせずに、この世界の役に立つことは出来ません。
ただ、何となく生きるだけでは、この世界の役に立つことは出来ないのです。
この世界の役に立つことは重要です。
なぜなら、この世界の役に立つことがなければ、満足や豊かさを得ることが出来ないからです。
この世界の役に立つことがなければ、満たされることはありません。
この世界の役に立つことがなければ、不満を生きなければならないのです。
この世界の役に立つことは重要です。
あなたは、そのことを考えていなければなりません。
能力を磨きましょう。
あなたには、様々な能力が与えられています。
それを磨かなければならないのです。
その能力は、この世界に役立たせるために与えられたものです。
その能力は、この世界に必要なものなのです。
今は役に立たなくても、やがて役に立つ時が来ます。
理由を考える必要はありません。
なぜなら、そのようなことは、誰にも分からないからです。
人は、必要な役割を果たすために、必要な能力を授かって生まれます。
そのことを理解し、覚えておかなければなりません。
能力は、苦しみの中で磨かれます。
それはまるで、急流に身を削られる石のようなものです。
苦しみという過酷な状況が、可能性を生み出すのです。
もちろん、苦しめと言っているのではありません。
苦しみとは、自らの能力を磨きもせず、この世界の役にも立たないことです。
本当の苦しみとは、未熟者の考える苦しみとは異なるものなのです。
成長しないことが苦しみです。
この世界の役に立たないことが苦しみなのです。
与えられた能力を磨きましょう。
現状において、その能力を評価するのはやめましょう。
いつ、どのような形で役に立つか分かりません。
しかしながら、それは確実に役に立つものなのです。
いつでも役に立つことが出来るように、準備をしておかなければなりません。
怠(おこた)ってはなりません。
能力を磨きましょう。

2019年2月14日木曜日

覆い隠された真

すべての人が未熟に生まれます。
すべての人が無知であり、苦しみを受けなければなりません。
それは、人生の目的が成長を実現することであるからです。
すべての人は、成長を実現するために生まれるのです。
人生における様々な経験は、それぞれの成長を実現させるための、それぞれの必要です。
人は、自分に必要な経験を通じて、自分に必要な成長を実現することが出来るのです。
自分に必要な経験を経なければ、自分に必要な成長を実現することは出来ません。
そのため、すべての人は、自らの人生において、必要な経験を得ることになるのです。
それがどのような状況であろうとも、それを経験しているというのであれば、それがあなたにとっての必要です。
あなたにとっての必要は、あなたの都合には関係ありません。
あなたにとって都合の悪い経験であったとしても、それが必要であるのならば導かれます。
人生において、不要は実現しません。
それがどのようなことであっても、必要であるから実現するのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
多くの人は、現状に対して不平不満を吐きます。
現状に対して不平不満を吐くことが、当たり前のことだと思い込んでいるのです。
しかしながら、人生を俯瞰(ふかん)した時には、現状に対して不平不満を吐くことは不自然であるということに気が付くのです。
多くの人は、主観に縛られています。
多くの人は、自分自身の視点を離れられないでいるのです。
そのため、多くの人は、自分自身の視点を信用します。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるのです。
そのような思い込みは、主観に対する執着(しゅうちゃく)を強めてしまうのです。
多くの人は、主観を離れられずにいるのです。
主観に執着するということは、狭い視野で生きなければならないということです。
狭い視野で生きるということは、真(まこと)を知らずに生きなければならないということなのです。
真を知らなければ、偽りを知らなければなりません。
偽りによって、人が得るのは苦しみと乏しさです。
喜びと豊かさを得るためには、真を知らなければならないのです。
真を知るためには、偽りを手放さなければなりません。
なぜなら、真は、偽りによって覆い隠されているからです。
偽りとは、真を覆う汚れのようなものです。
汚れを洗い流すことによって、輝きを放つのです。
すべての人は、未熟に生まれ、無知を抱えています。
無知とは、偽りのことであり、知恵を覆う汚れのことです。
無知を所有しているということは、知恵という真の輝きに触れることが出来ないということなのです。
すべての人が、生まれながらに未熟と無知を所有しています。
すべての人は、既に余計なものを所有しているということなのです。
余計なものを所有しているために、苦しんでいるのです。
大切なのは、余計を手放すことです。
未熟や無知を手放さなければなりません。
未熟や無知を手放せば、知恵を得ることが出来るのです。
しかしながら、多くの人にとって、それは難しいことです。
なぜなら、恐れを抱いているからです。
恐れは、強力な”汚れ”です。
それは、鍋底にこびりついた焦(こ)げのように、心に堅(かた)く張り付いて離れないのです。
恐れを手放すことは容易ではありません。
そのためには、勇気が必要だからです。
勇気は、諦めによって生じます。
あなたが余計なものへの執着を諦めた時、そこに勇気が生じるのです。
勇気は、恐怖を乗り越えます。
一度、余計なものを手放すのであれば、次に余計なものを手放すのは、難しいことではなくなっているのです。
あなたは、勇気を以(もっ)て既知(きち)への執着を手放しましょう。
そして、未知への好奇心を抱くのです。
あなたには、手放さなければならないものがたくさんあります。
何を失っても、恐れることはありません。
何を得ても、恐れることはないのです。
余計を手放せば、必要が導かれます。
無理に欲する必要もありません。
必要は自然と導かれるのです。
安心して手放し、安心して待ちましょう。

2019年2月13日水曜日

腐敗

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人生には、果たさなければならない目的が存在するのです。
この世界には、何と無く生きることの出来る人は存在しません。
すべての人が、自らの果たすべき目的を抱え、その実現のために生きなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を忘れています。
多くの人は、自分が何であり、何のために生まれ、何のために生きているか?を忘れているのです。
あなたは、何と無く生まれたのではありません。
この世界に生じるためには、目的という理由が必要なのです。
理由も無く、この世界に存在するものはないのです。
この世界に存在するためには、理由を必要とするということを覚えておかなければなりません。
あなたがこの世界に存在しているのには、理由があるのです。
あなたの人生には、大切な理由があるということを理解しなければなりません。
人生とは、自分が生まれて来た理由を探す旅でもあるのです。
あなたは、人生を通じて、自分という存在の理由と、人生の理由を探し続けなければならないのです。
残念ながら、多くの人は自分という存在と、人生の理由を見失っています。
それ等を見失うことによって、道に迷っているのです。
ある者は、喜びを失います。
ある者は、希望を失います。
ある者は、暗闇に落ち込みます。
ある者は、苦悩に陥(おちい)るのです。
自分という存在と、人生の理由を見失った状態では、人は、輝きを保つことが出来ません。
それは、自分という存在と、人生を偽っていることに等しいからです。
自分という存在を偽り続けると腐敗してしまいます。
人生を偽り続けても同じように腐敗してしまうのです
腐敗とは、苦しみです。
あなたは、自分という存在と、人生が腐敗することに耐えることが出来ないのです。
自分という存在を偽ることは、自分という存在を殺すことです。
人生を偽るということは、人生を殺すということなのです。
自分という存在を殺して、豊かさを得ることが出来る人はいません。
自分という存在を殺すということは、自らの役割を放棄するということなのです。
人は、それぞれに役割が与えられています。
役割を果たすこともなく、豊かさを得られる人はいないのです。
豊かさを得るためには、自らに与えられた役割を果たす必要があるのです。
人が自らの役割を果たすためには、それに向き合い続ける必要があるのです。
残念ながら、誰にも自らに与えられた役割を理解することは出来ません。
人は、人生における挑戦を通じて、自らに与えられた役割を理解していかなければならないのです。
すべての人には、やりたいことがあります。
あなたにも、やってみたいことや、やりたいことがあるはずなのです。
人生に目的も無く生まれる人はいません。
それは、すべての人が目的を以て生まれるということなのです。
あなたにも、やってみたいことややりたいことがあるはずなのです。
やってみたいこと、やりたいことを実行することが、人生における挑戦なのです。
自分という存在と、人生を偽るというのは、やってみたいことややりたいことを放棄するということです。
やってみたいこと、やりたいことを放棄し、やりたくもないことをやっていれば、心は腐敗してしまうのです。
心が腐敗すれば、熱意は失われます。
熱意が失われるのであれば、不満を生きなければならないのです。
不満を生きるのであれば、不安や心配を抱えます。
不安や心配は、悩みへと変化するのです。
悩みは、やがて苦しみを引き起こすでしょう。
すべての人は、目的を以て生まれます。
あなたは、それを果たさなければなりません。
やってみたいこと、やりたいことに挑戦しましょう。
どのようなことでも構わないのです。
小さなことでも、大きなことでも構わないのです。
とにかく、自分に、人生に挑戦するべきです。
失敗は自然です。
挑戦は、失敗するのが当たり前なのです。
失敗を恐れる必要はありません。
人生は、あなたが考えているよりも早く終わってしまいます。
死へと辿り着くのは一瞬のことなのです。
腐らずに生きましょう。
あなたは、自分という存在と、人生を偽らずに生きなければなりません。

2019年2月12日火曜日

弱さ

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、無知を生きなければなりません。
それは、人生の目的である成長を実現するためです。
すべての人は、成長の実現を目的としています。
すべての人生は、成長のために存在しているのです。
あなたは成長を実現しなければなりません。
成長を実現しなければ、人生は苦しいままなのです。
すべての人生は苦しみです。
そして、すべての人は、苦しみと共に生きなければなりません。
自らの内に未熟さが存在し、無知を所有しているのであれば、人は人生を苦しまなければならないのです。
すべての苦しみは、成長を実現させるために導かれます。
苦しみは、あなたを苦しませるために導かれているのではないのです。
あなたに成長という目的がなければ、苦しみが導かれる必要はないのです。
あなたの目的が成長である限り、苦しみは導かれるのです。
多くの人は、偏見によって、誤解を生きています。
多くの人は、苦しみが悪いものだと考えているのです。
成長という目的が存在しなければ、苦しみは悪いものであるかも知れません。
しかしながら、成長という目的が存在する以上、苦しみが悪いものであるはずがないのです。
残念ながら、すべての人が未熟です。
すべての人が無知を生きているのです。
それは、認識が歪んでいるということでもあります。
認識が歪んでいるということは、正しい判断が出来ないということなのです。
苦しみが悪いものだとする判断は、残念ながら正しいものではありません。
なぜなら、人は、苦しみを経験することによって、自らを改め、成長を実現することが出来るからです。
人は未熟です。
苦しみを経験しなければ、自らを改めることが出来ません。
苦しみを経験しなければ、人は傲慢(ごうまん)を強めてしまうのです。
苦しみによって、人は矯正(きょうせい)されるということを覚えておかなければなりません。
多くの人は、弱さ故(ゆえ)に欲を抱えています。
欲は誰もが持つ感情ですが、それは弱さの現れなのです。
弱い者ほど、欲が強いのです。
欲とは、利己的な考えです。
弱さは、利己的な考えとして現れるのです。
欲が強い者ほど弱いということを理解しましょう。
あなたが利己的に生きる時、それは、弱さを体験しているのです。
弱さを抱えている者は、弱さを経験しなければなりません。
それは、自らの抱えている弱さを認識し、それを手放すためです。
自らの抱えている弱さを認識するために、自らの欲を経験しなければならないのです。
欲深いことは哀(あわ)れです。
それは、とても惨(みじ)めなことなのです。
欲深いことは、可哀相(かわいそう)なのです。
恵み与えることが出来れば、それはとても素晴らしいことです。
恵み与えることは、立派な行いなのです。
しかしながら、恵み与えることは、成長を実現しなければ出来ることではありません。
人は、自らの成長に相応しく与えることが出来るのです。
弱さを抱え、成長に乏しい者は、与えることが少ないのです。
そのような者は、受け取ることに精一杯です。
そのため、多くを求めるのです。
成長を実現している者が、欲深く求めることはありません。
それは、成長を実現している者には、利己的な考えは思い浮かびもしないからです。
成長を実現している者は、与えることをします。
成長に比例して、与えることが出来るのです。
与えるほどに、受け取ることが出来ます。
人は、差し出されたものだけを所有することが出来ます。
欲に従って奪い取ったものを所有することは出来ないのです。
弱い者は乏しくなり、強い者は豊かになります。
欲に根差して生きれば、徐々に乏しさを得るということを覚えておかなければなりません。
あなたは、相手に施(ほどこ)すこと、与えることを考え、行いましょう。
相手から施されることや、奪い取ることを考え、行ってはなりません。
苦しみに負けてはなりません。
欲に従ってはなりません。
自らの抱える弱さと向き合い、それを手放しましょう。
人生は、そのための時間なのです。

2019年2月11日月曜日

現状の意味や価値を探す

人生は、無駄な時間ではありません。
どのような人生にも、重要な意味と価値があるのです。
この世界には、意味や価値のないものは存在しません。
意味や価値のないように思えることやものであっても、重要な意味と価値が存在するということを理解しなければならないのです。
意味や価値が理解出来ないというのであれば、それは、あなたの認識が及んでいないだけです。
成長し、認識が及べば、そこに意味や価値を見出し、理解することが出来るでしょう。
自分の認識だけで意味や価値を判断してはなりません。
あなたの認識など、目の前の狭い範囲に向けられているだけだからです。
すべての人が、未熟に生まれます。
すべての人は、無知を生きているのです。
認識は限定されています。
あなたは、何も知らないのです。
あなたには、何も判断することが出来ません。
あなたの判断は、常に未熟であるということを覚えておく必要があるのです。
この世界に存在するすべてが、重要な意味と価値を持つのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
なぜなら、そこに意味や価値を見出すのであれば、懸命に生きることが出来るからです。
人は、精魂を込めて生きなければなりません。
無責任に生きる者には、現状に対する意味や価値を理解することは出来ないのです。
人生には、重要な意味と価値が存在しているのです。
あなたは、それを理解する必要があるのです。
人生を無駄に生きてはなりません。
目の前の欲望や快楽を貪(むさぼ)るために、労力と時間を費やしてはならないのです。
目の前の欲望や快楽を貪るために生きたとしても、苦悩が導かれるだけなのです。
目の前の欲望や快楽を貪っても、人生に豊かさや満足を得ることは出来ないのです。
多くの人が苦悩を抱えながら生きているのは、目の前の欲望や快楽を貪るために労力と時間を費やしているからです。
人生に満足を得るためには、人生の目的を果たす以外には方法がないのです。
人生の目的を果たすこと以外には、人生を豊かにする方法はないのです。
あなたは、自分の人生に対して、真剣に向き合わなければなりません。
人生に対して、本気で向き合う必要があるのです。
懸命に生きれば、人生が何であるか?という問いに答えを得ることも出来るでしょう。
人生が何であるか?ということは重要です。
多くの人が、人生において自分が何をしているのか?ということを知らないのです。
自分が何をしているかも分からないのに、どうやって人生を豊かなものにするのでしょうか?
自分が何をしているか?知らないのに、どうして人生が何であるか?ということを理解するのでしょうか?
自分が何をしているか?知らなければ、人生が何であるか?を理解することは出来ません。
人生に無駄な時間が存在すると思い込んでいる者には、苦悩が付き従うでしょう。
人生に対して真剣に向き合った時には、可能性の扉が開かれます。
可能性の扉を開くことによって、あなたは、人生の意味や価値へと近付くことが出来るのです。
人生の意味や価値に気が付くことがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生に対して、無責任に生きている者には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、真剣に人生と向き合い、その意味や価値を見極めましょう。
目の前の欲望や快楽を貪ることは、真剣に生きることではありません。
現状の意味や価値を探すことが、真剣に生きるということなのです。
あなたは、現状に対して、懸命に打ち込みましょう。
あなたは、人生を生きているのです。
目の前の欲望や快楽を貪るために生まれたのではありません。
人生には、大切な目的が与えられているのです。
与えらえた目的を無下(むげ)にしてはなりません。
与えらえた目的を無視して生きることは出来ません。
なぜなら、そこには耐え難い苦悩が導かれるからです。
与えられた目的を無視して生きることは、誰一人として耐えられるものではありません。
目の前の欲望や快楽を貪ることは出来ても、それを続けることの出来る者はいないのです。
それは、不自然な生き方であり、そこには無理があるからです。
不自然な生き方や無理をいつまでも続けることは出来ないのです。
現状がどのようなものであったとしても、あなたは懸命に生きなければなりません。
懸命に生きて、人生の意味や価値を見出すのです。
そうすれば、人生に満足し、豊かさを実現することも出来るでしょう。
あなたは、豊かな人生を生きなければなりません。

2019年2月10日日曜日

不条理

あなたは、成長を実現するために生まれました。
人生とは、成長を実現するための時間なのです。
あなたは、様々な経験を通じて成長を実現しなければなりません。
成長を実現することに勝ることはありません。
すべては、成長を実現するための経験なのです。
成長を実現するためには、学ばなければなりません。
学びを得なければ、成長を実現することは出来ないのです。
あなたは、学びによって成長を実現することが出来ます。
学びとは、あなたにとって都合の悪いものです。
あなたにとって都合の悪いものでなければ、成長を実現することは出来ないのです。
なぜなら、自分にとって都合が良ければ、それ以上のものを求めることはないからです。
都合が悪いからこそ、それ以上のものを必要とするのです。
それ以上のものを手に入れることが、成長を実現するということなのです。
残念ながら、人生は不条理なものです。
あなたの理想や憧れが実現することはありません。
人生は、あなたの都合に関係なく、必要を実現するのです。
それは、人生があなたにとっての必要を知っているからです。
しかしながら、あなたには、自分にとっての必要を理解することは出来ません。
すべての人に対して、自分にとっての必要は隠されているのです。
あなたにとっての必要を知るのは人生だけです。
あなた自身にも、どのような他者にも、あなたにとっての必要を理解することは出来ないのです。
あなたにとっての必要は、あなたの人生が教えてくれます。
如何(いか)なる人物によっても、あなたにとっての必要が教えられることはないのです。
あなたにとっての必要を教えるのは、あなたの人生だけなのです。
目の前に展開される状況は、それがどのようなものであれ、あなたにとっての最善です。
目の前の現実こそが、あなたの人生なのです。
あなたは、目の前の現実から学ばなければなりません。
すべての人は、未熟に生まれます。
未熟に生まれた人の認識は歪んでいるのです。
そのため、あなたの認識は歪んでいます。
歪んだ認識によって世界を捉えようとするからこそ、人生には誤解が生じてしまうのです。
多くの人にとって、人生は不条理な場所です。
多くの人の理想や憧れは、誤解に過ぎないのです。
人生は、決して思い通りにはいきません。
人生における必要は、あなたには隠されているのです。
理想や憧れを追い求めてはなりません。
それ等は誤解に過ぎないのです。
誤解を追い求めるのであれば、人生の不条理から離れることは出来ません。
人生の不条理から離れることが出来なければ、あなたは誤解と共に生き続けなければならないでしょう。
誤解とは、苦しみのことです。
すべての苦しみは、誤解によって生じます。
苦しみを解決するためには、誤解を手放す以外には方法がないのです。
自分が正しいという思い込みは誤解です。
残念ながら、あなたは正しくありません。
なぜなら、学びを得るために生まれたからです。
人生には、不要や無価値は存在しません。
すべてが必要であり、価値があるのです。
どのような他者にも、あなたにとっての必要を理解することは出来ません。
そのため、あなたは人を相手にしてはなりません。
あなたが相手にすべきは、そこに存在する学びなのです。
学びを得ることが重要であり、それ以外の目的を掲げる必要はないのです。
目の前の誰かや何かを相手にする必要はありません。
どのような状況に陥(おちい)っていようとも、それは問題ではありません。
そこに存在する学びを得られないことが問題なのです。
人生には、それ以外の問題は存在しないのです。
あなたは、成長を実現するために生まれました。
学びましょう。
人生は不条理なものです。
現実を置いて、理想や憧れを追い求めてはなりません。
不条理な現実を学ぶのです。

2019年2月9日土曜日

詰まらない人間

すべての人生には、目的が存在しています。
すべての人は、目的を果たすために人生に生まれたのです。
目的の存在しない人生は存在しません。
それが、どのような人生であろうとも、目的が存在するのです。
あなたには、あなただけの目的が与えられています。
あなたは、自分の人生において、自分の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは容易(ようい)なことではありません。
なぜなら、ただ生きるだけでは、人生の目的を果たすことは出来ないからです。
人生の目的を果たすためには、それに相応しい状態へと、自分を成長させる必要があるのです。
成長することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
雛鳥(ひなどり)には、大空を舞うことは出来ないのです。
鳥は、翼によって目的を果たすことが出来るのです。
人が目的を果たすためには、自らの能力を開発する必要があります。
自らの能力を活用することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
人生において大切なのは、成長を実現することです。
すべての人が、成長を実現しなければなりません。
あなたが成長を実現するためには、経験が必要です。
様々な経験を経ることがなければ、人が成長を実現することは出来ないのです。
成長のためには、多種多様な経験が必要です。
経験の形が偏(かたよ)ってしまえば、成長を実現することは出来ないのです。
偏見によって、誤解を手放すことは出来ません。
偏見によっては、誤解を増してしまうのです。
経験に対して、偏りを許してしまえば、見識は歪みます。
それでは、成長を実現することは出来ないのです。
成長とは、知恵を増すことです。
知恵を身に付けることによって、成長を実現することが出来るのです。
知恵とは、公平(こうへい)のことです。
偏りなく世界を眺めることによって、理(ことわり)を知ることが出来るのです。
知恵とは、理を見極めるための力なのです。
様々な経験を経なければ、理を見極め、知恵を身に付けることは出来ません。
大切なのは、偏見に陥(おちい)らないことです。
どのような経験も受け入れることの出来るような器でなければならないのです。
自分にとって、都合の悪いことや嫌いなこと、そして、苦しいことをただ拒絶するのには知恵がありません。
なぜなら、それ等も大切な経験であるからです。
知恵が、経験を無駄にすることはありません。
無知こそが、経験を無駄にするのです。
あなたは、偏りを抱いてはなりません。
そのような詰まらない人間に成ってはならないのです。
無知であること程、詰まらないことはありません。
自分が何であり、人生が何であるのか?ということを知らないこと程の苦しみは存在しないのです。
苦しみを楽しむことの出来る人でありましょう。
都合の悪いこと、嫌いなこと、苦しいことを安易に拒絶してはなりません。
都合の悪いことや嫌いなこと、そして、苦しいことも側に置いておきましょう。
それは、容易なことではありませんが、あなたが成長を実現するためには必要なことなのです。
都合の良いこと、好きなこと、嬉しいことだけを集めてしまえば、成長は滞ってしまうでしょう。
なぜなら、そこには発見がないからです。
発見というものは、都合の悪いこと、嫌いなこと、苦しいことによって導かれるのです。
なぜなら、それを良く知らないからです。
あなたは、知らないことの中から理を発見することが出来るのです。
知恵は、都合の悪いこと、嫌いなこと、苦しいことによってもたらされるのです。
都合の良いこと、好きなこと、嬉しいことの中では、それ以上に知恵を得ようとする気持ちは芽生えないのです。
都合が悪く、その状況と時間が嫌いであり、苦しいからこそ、そこから抜け出すための知恵を欲するのです。
あなたに知恵を与えるものに対して、拒絶を選択するのは詰まらないことなのです。
人生には、都合の悪いことや嫌いなこと、そして、苦しいことが溢れています。
あなたは、それ等を避けることは出来ません。
避けられないことを避けようと努めることに知恵の存在を見出すことは出来ません。
知恵は、避けられないことから成長を引き抜くための道具なのです。
あなたは、器を磨きましょう。
人生を楽しむのです。
どのような経験も、成長に変えましょう。

2019年2月8日金曜日

自分を生きる

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすためには、目的地へと辿り着かなければならないのです。
目的地へと辿り着くためには、歩まなければなりません。
一歩一歩を踏み出すことによって、人は目的地へと辿り着くことが出来るのです。
一歩を踏み出すことがなければ、誰も目的地へと辿り着くことは出来ません。
あなたが人生の目的を果たすためには、一歩を踏み出さなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、一歩を踏み出すことに躊躇(ちゅうちょ)してしまいます。
なぜなら、それは難しいからです。
目的地に向かって一歩を踏み出すことは、誰にとっても難しいことなのです。
なぜなら、人生の目的を果たす道程(みちのり)は、険しい道程だからです。
あなたにとって、人生の目的を果たすことは容易ではありません。
それは、人生の目的を果たすためには勇気が必要だからです。
勇気が無ければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
それは、自分を生きるということだからです。
自分を生きるというのは、自分の人生を生きるということです。
残念ながら、多くの人は、自分を生きることが出来ません。
多くの人は、自分を見失っているのです。
例えば、教育によって作られた虚像を自分だと思い込んでいます。
そして、自分以外の誰かに憧れを抱き、その人を真似ます。
あなたが果たさなければならないのは、自分の人生の目的です。
あなたは、自分を生き、自分の人生を生きなければならないのです。
そのためには、教育によって作られた自分だと思い込んでいる虚像と、誰かへの憧れを手放さなければならないのです。
自分を生きるためには、既存(きぞん)の生き方を手放さなければならないのです。
あなたは、自分を生きなければなりません。
勇気を出して、自分を生きることをしなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
あなたは、目的地に対して、一歩を踏み出さなければなりません。
別の方向に一歩を踏み出しては、目的へと辿り着くことは出来ないのです。
あなたには、やるべきことがあります。
それは、自らの役割を果たすことです。
人には、それぞれに必要な役割が与えられているのです。
それぞれの役割には、それぞれの仕事が与えられているということを知らなければなりません。
人には、それぞれにやるべきことがあります。
それは、貢献(こうけん)することです。
あなたは、誰かや何かに対して、貢献しなければなりません。
そのためには、自分に出来る最善を行わなければならないのです。
自分に出来る最善こそが、あなたのやるべきことです。
それは、どのような状況においても変わることがありません。
あなたは、やることをやりましょう。
やることをやった後に道は開けるのです。
自分を見失い、自分に出来る最善を行うことが出来なければ、道は閉ざされてしまうでしょう。
あなたは、最善を目指さなければなりません。
最善を行うことは、決して難しいことではないのです。
自分を偽ることなく、生きれば良いだけなのです。
しかしながら、多くの人にとって、自分を生きることは難しいのです。
それは、人の世にあっては、自分を偽ることが”普通”だからです。
あなたは、不自然に気が付かなければなりません。
不自然を自然だと思い込んではならないのです。
当たり前は当たり前ではありません。
”普通”は普通ではないのです。
自分を生きることは、真(まこと)を生きることです。
勇気を以て、真を生きましょう。
自分を偽ることなく、素直に生きなければなりません。
自分に出来る最善を行いましょう。
その先に道は開けるのです。