このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2019年2月1日金曜日

理への理解

人生は、選択によって築かれます。
目の前に展開する状況は、自らの選択の結果です。
人生の原因は自分自身です。
誰かや何かが、あなたの人生を築いている訳ではないのです。
あなたの現状がどのようなものであったとしても、それを選択したのは自分自身であるということを理解し、それを覚えておかなければならないのです。
多くの人は、人生が外的要因によって築かれていると思っています。
誰かや何かによって人生が左右されていると思っているのです。
人生を考えなければ、そのように見えるかも知れません。
人生に対する理解が浅ければ、そのような誤解が生じるのは当然なのです。
多くの人は、誤解を生きています。
多くの人が人生を間違って認識しているのです。
残念ながら、あなたは偏見によって人生を見ています。
偏見は、考えることを放棄させます。
偏見は、物事を歪めて捕らえるのです。
人は、偏見によって誤った認識へと至ります。
その認識が間違っているにもかかわらず、それを正しいと思い込んでしまうのです。
残念ながら、あなたは未熟な存在です。
あなたは何も知りません。
そして、あなたは何も出来ないのです。
あなたは、自分が未熟であること、自分が無知であり、何も出来ないということを理解しなければならないのです。
そのことを理解することが出来なければ、人生を誤ってしまうでしょう。
人生を誤るというのは、理(ことわり)に反するということなのです。
どのような理由があろうとも、理に反するのであれば、人生を誤ってしまうということを覚えておかなければなりません。
人生を誤れば、問題が生じます。
問題が生じれば、悩みが生じます。
悩みが生じれば、苦しみが生じるのです。
苦しみは乏しさを導くでしょう。
乏しさは、喜びを生み出すことが出来ません。
喜びを感じることが出来ない状態を乏しさというからです。
あなたは、乏しく生きてはなりません。
人生は、豊かであるべきなのです。
それは、理に従って生きるということなのです。
人生を豊かに生きるためには、理に従って生きなければなりません。
それ以外の方法では、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたが守らなければならないのは、人の定めた法ではありません。
社会を円滑(えんかつ)に進めるためには、人の定めた法を守らなければならない場合もあります。
しかしながら、それは、理に勝るものではないのです。
人は、理の中に生きています。
理を無視することの出来る人は存在しません。
すべての人は、理に従わなければならないのです。
人の法も理の中に存在する偏見に過ぎません。
偏見に過ぎないからこそ、改変されるということを覚えておかなければなりません。
改変する必要があるということは、未熟であるということです。
そのため、人の法に頼り切ることにはリスクがあるのです。
人の法には限界があります。
しかしながら、理には限界がありません。
それは、真(まこと)であるからです。
本物には限界がないのです。
あなたは、理に従って生きなければなりません。
理に対する選択と行為によって、人生は決まります。
悪気が無くても関係ありません。
悪意も関係ないのです。
悪気や悪意があろうが、理に従っているのであれば、喜びが導かれ、豊かさを得ることが出来るのです。
しかしながら、理に従っているのであれば、悪気や悪意を所有することは出来ません。
人生は、自分自身で決めなければなりません。
自らの選択によって、どのような状況が導かれるのか?ということが決まるのです。
豊かに生きるためには、理に従って生きる他ありません。
理を無視して、豊かさを手にした者はいません。
理は、自らの現状から判断しましょう。
現状は自らの選択の結果なのです。
現状に乏しさを感じているのであれば、それは理に反した行為を選択したということなのです。
その時には、選択と行為を改めなければなりません。
そうやって、地道に理への理解を深めていきましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿