すべての人は、幸福を求めます。
すべての人が、人生に幸福を実現したいと考えているのです。
しかしながら、幸福というものが人生の目的であるということはありません。
残念ながら、幸福を実現したとしても、それが人生の目的であるということはないのです。
人は、幸福を実現するために生きている訳ではないということなのです。
人生に対して、幸福を実現するのは簡単です。
なぜなら、多くの人の考える幸福とは、思考の偏(かたよ)りに過ぎないからです。
人の世においては、偏見こそが幸福なのです。
多くの人は、自己満足を幸福と考えています。
幸福というものは、自分の内側で好きに作り出せるものなのです。
そのため、幸福を実現するためには、偏見に対する執着を強めれば良いのです。
自己満足に執着すれば、人は簡単に幸福を手に入れることが出来るのです。
しかしながら、偏見を抱えることが人生の目的ではありません。
そのため、幸福を手に入れることが出来たとしても、それだけでは人生に納得することが出来ないのです。
多くの人が、幸福を手にすることが出来ます。
すべての人が、人生において何等かの幸福を手にした経験があるのです。
しかしながら、それでは納得がいかないのです。
そのため、自分を納得させるために、より大きな幸福を求めるようになるのです。
より大きな幸福を追い求めても、残念ながら、人生に納得はいきません。
なぜなら、人生の目的が幸福を手に入れることではないからです。
残念ながら、すべての人が無知を生きています。
すべての人は、自分が何のために生まれ、何のために生きているのか?を知らないのです。
そのため、”幸福を手にすることが人生の目的”だと思い込んでしまうのです。
それは、皆がそうしているからです。
皆が誤解していると、それが正しいと思い込んでしまうのです。
幸福を追い求めることは決して悪いことではありません。
不幸を生きるよりは、幸福を生きた方が良いでしょう。
しかしながら、人生の目的というものは、あなたの思考の偏りである幸福や不幸には関係のないものであるのです。
幸福であれ、不幸であれ、人生の目的は変わらずに存在しているのです。
それは、雨が降っていても、星々が天空を支配していても、あなたが眠っていたとしても、太陽が輝き続けているのと同じです。
人生の目的は、あなたの現状に関係なく、存在し続けているのです。
多くの人は、思考が幸福へと傾くことに専念しています。
幸福を生きることが、正しいことだと思い込んでいるのです。
しかしながら、人生は幸福ばかりではありません。
多くの場合、人生は不幸を導くのです。
あなたの目的は、人生の目的を果たすことです。
そのことを覚えていなければなりません。
現状に幸福を感じていようとも、不幸を感じていようとも、それは問題ではありません。
幸福を得ることや、不幸を避けることに翻弄(ほんろう)され、本来の目的を見失っていることが問題なのです。
人生は、幸福であっても、不幸であっても、どちらでも良いのです。
幸福であっても、納得のいかない生き方をしてはなりません。
不幸であったとしても、納得のいく生き方をするべきなのです。
幸福や不幸のことを考えている内は、人生の目的に気が付くことは出来ません。
人生の目的は、幸福や不幸を超越(ちょうえつ)した所に存在しているのです。
目先のことを考えていては、大切なことを見失ってしまいます。
大切なのは、人生の目的を果たすことです。
あなたが人生の目的を果たすためには、不幸でなければならないということもあるのです。
幸福な者だけが、人生の目的を果たすことが出来るという訳ではないのです。
人生の目的は、それぞれに異なっています。
人生の目的は、決して同じものではないのです。
誰もが追い求める幸福が、人生の目的であるはずがないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
幸福や不幸に惑(まど)わされてはなりません。
それは、思考の偏りに過ぎないからです。
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