すべての人は、心を無視することが出来ません。
すべての人は、自らの抱える心と共に生きているのです。
心とは、自分であり、自分ではない存在です。
あなたは、そのように奇妙な存在と共に生きているのです。
人生の目的は、心を改めることです。
残念ながら、心は生まれる前から歪んでいるのです。
この世界において、歪んでいない心は存在しません。
すべての心は、歪みを所有しているのです。
あなたの心は歪んでいます。
それは、未熟さとして現れます。
あなたの認識が歪んでいるのは、心が歪んでいるからです。
すべての人の認識は歪んでいます。
それは、偏見と誤解を生じさせるのです。
この世界において、偏見と誤解を所有しない人はいません。
すべての人が、偏見と誤解を生きているのです。
偏見と誤解は、世界に対する不理解を実現します。
それは、問題を引き起こすのです。
問題は、歪んだ認識によって苦しみへと変換されます。
すべての人は、心の歪みによって、苦しみを経験しなければならないのです。
人生において、苦しみを経験することのない人はいません。
どのような人物であろうとも、苦しみを経験しなければならないのです。
人生において、苦しみを無視することは出来ません。
あなたも、必ず苦しみます。
それは、避けられないことなのです。
心の歪みは、問題ではないことを問題にしてしまいます。
心の歪みは、自然を不自然として認識してしまうのです。
大切なのは、不自然を自然として認識することです。
この世界には、無駄は存在しません。
無意味も無価値も存在しないのです。
それは、この世界に存在するすべてが自然であるということを意味しています。
しかしながら、多くの人は、この世界に無駄や無意味や無価値が存在すると思い込んでいるのです。
そのような選択は、多くの問題と苦しみを引き起こすのです。
人生は、苦しむためにあるのではありません。
あなたは、苦しみのために生まれたのではないのです。
苦しみは、必要な過程ではあっても、目的地ではないのです。
あなたは、人生を豊かに生きるために生まれたのです。
それは、心の歪みを改めるということなのです。
あなたが豊かに生きるためには、心を改める以外には方法がありません。
歪んだ認識を改めることがなければ、問題や苦しみを手放すことは出来ないのです。
人生が苦しいのは、環境や状況や人間関係などの、外的な要因のせいではありません。
歪んだ心による、歪んだ認識こそが、人生を苦しくさせるのです。
しかしながら、人生が苦しいことにも大切な意味があります。
それは、苦しみによって、歪んだ心を改めることが出来るからです。
残念ながら、すべての人が未熟です。
未熟者の認識は歪んでいます。
喜びによって心を改めることは出来ないのです。
多くの人は、喜びによって自らを改めることは出来ません。
多くの人は、喜びによって自らを改めようとは思わないのです。
多くの人は、喜びが導かれている時、自分が正しい道を歩んでいると思うものなのです。
しかしながら、あなたは喜びすら歪んで認識しているということを忘れてはなりません。
歪んだ心においての喜びは、真(まこと)の喜びではないということなのです。
歪んだ心においては、苦しみこそが真の喜びである場合もあるということなのです。
人生の目的は、歪んだ心を改めることです。
あなたは、自らの認識が歪んでいるということを理解しましょう。
あなたが正しいと思い込んでいるものが正しいとは限りません。
あなたが喜びとして認識しているものが喜びであるとは限らないのです。
あなたが豊かさだと感じているものが、真の豊かさではないかも知れないと疑わなければならないのです。
苦しみが真実を教えてくれます。
安易に苦しみを嫌ってはなりません。
何のために苦しみが導かれているのか?と考えましょう。
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