すべての人生には、目的が与えられています。
すべての人生は、目的を果たすための時間です。
すべての人は、人生において、与えられた目的を果たさなければならないのです。
目的を果たすために、役割が与えられます。
すべての人には、必要な役割が与えられているのです。
役割を果たすことによって、目的を果たすことが出来ます。
目的を果たすことがなければ、役割を果たすことは出来ないのです。
人生の目的を果たすことは、人生において重要な課題です。
すべての人は、自らの人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことがなければ、人生は完成しないのです。
人生が完成しなければ、繰り返さなければなりません。
それは、完成を迎えるまで、何度も繰り返されるのです。
大切なのは、次の段階へと進むことです。
人生の目的を果たすことによって、あなたは、次の段階へと移行することが出来るのです。
それは、とても幸福なことです。
しかしながら、あなたには、それを味わうことは出来ません。
あなたは、味わうことの出来ない幸福のために、人生の目的を果たさなければならないのです。
それは、子どもの幸福を願って、知恵を授ける親の態度に似ています。
知恵は、自分独りが抱えていても価値のないものです。
知恵は、誰かの役に立てることによって、価値が生まれるのです。
人生を完成させるためには、与えられた役割を果たさなければなりません。
与えられた役割を果たすということは、誰かの役に立つということなのです。
それは、あなたの能力を誰かに授けるということなのです。
親は、子の幸福を知ることが出来ません。
それは、子は他者であるからです。
誰にも、他者の幸福を知ることは出来ないのです。
しかしながら、親は子のために知恵を授けます。
それと同じように、あなたは、味わうことの出来ない幸福のために、自らの能力を費やして役割を果たすのです。
役割は、それぞれに異なります。
役割は、それぞれに異なっているのが自然なのです。
皆が同じことをしても、それは有益ではありません。
皆が同じことをしても、役に立つことはないのです。
それぞれが、他者とは異なる自分自身の特徴(とくちょう)を生かして生きなければなりません。
しかしながら、多くの人は、自分自身の特徴を生かすことをしません。
多くの人は、自分の能力を隠して生きるのです。
なぜなら、自分自身の特徴、能力を生かして生きるということは、他者と異なる特徴や能力を主張して生きるということだからです。
そのような生き方は、擦れ違いを生じさせます。
人生には、他者と異なる生き方によって摩擦(まさつ)が生じるのです。
人が理解し合えないのは、仕方のないことです。
人は、それぞれに与えられた能力、役割、目的が異なります。
そのため、擦れ違うのが自然なのです。
多くの人は、他者と擦れ違うことを恐れます。
もちろん、すべての人が仲良く生きる方が良いに決まっています。
しかしながら、それでは向上は望めないのです。
向上するためには、互いに牽制(けんせい)し合う必要もあります。
あなたが歩むことが出来るのは、地面からの反発が存在するからです。
地面が、あなたの蹴(け)る力を吸収してしまえば、それ以上に歩みを進めることは出来ないのです。
反発によって、あなたは歩みを進めることが出来るということを覚えておきましょう。
あなたが自分自身の特徴を生かして生きれば、必ず反発が起こります。
誰かが、あなたの独特な生き方を批判するようになるのです。
しかしながら、能力、役割、目的が異なる以上、それは仕方のないことなのです。
あなたが、他者に反発することも、同じように仕方のないことなのです。
互いが能力を生かし、役割を果たし、目的を実現するために反発するのです。
互いが憎み合うための反発ではありません。
そのことを理解しなければなりません。
人生には、独自の能力、役割、目的が与えられているということを覚えておきましょう。
そうすれば、互いを尊重することが出来るでしょう。
そして、自分自身の独特の生き方を許すことも出来るでしょう。
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