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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2020年3月31日火曜日

自分自身であること

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことが、あなたが人生に生まれた理由です。
人生を始めるためには、理由が必要です。
理由とは、原因のことです。
人生という結果を実現するためには、人生の目的という理由と原因が必要なのです。
人生に目的がなければ、人生を始めることは出来ません。
何の目的もなく、人生を経験することの出来る人はいないのです。
どのような人物の、どのような人生であろうとも、果たすべき目的が存在するということを理解しましょう。
人生の目的を無視して生きることは、人生を乏しく生きるということなのです。
目的も分からずに歩むのであれば、その歩みは空しいのです。
人生の目的を知らずに生きることは、人生を空しくさせるのです。
残念ながら、多くの人は、人生に空しさを感じています。
多くの人は、何をしても満たされないのです。
何をしても満たされないから、より多くを求めるのです。
満たされないことは気の毒なのです。
多くの人が気の毒です。
それは、多くの人が空しさを生きているからです。
多くの人は、満たされないのです。
それは、気の毒なのです。
大切なのは、人生の目的を考えることです。
人生の目的を考え、人生に意味を持たせるべきなのです。
多くの人は、意味のない人生(意義を見出すことの出来ない状態)を生きています。
意味がない(意義が見出せない)から空しいのです。
人生の意味は、自分勝手に決めることは出来ません。
人生の意味とは、人生の目的です。
あなたは、人生の目的を、人生を始める前に決めているのです。
人生の目的という原因が存在しなければ、人生というものは実現しないのです。
そのため、人生の目的や意味は、自分勝手に決めることは出来ないのです。
大切なのは、人生の意味を探すことにあります。
人生の意味を探そうとしなければ、人生に意味は生じないのです。
あなたは、人生を意味のあるものにしなければなりません。
人生の目的を果たすための必要は、どのような理由があろうとも、自分自身であることなのです。
あなたが、人生の目的を果たすためには、どのよな理由があろうとも、自分の道を行かなければなりません。
自分自身の道を行かず、自分自身でなければ、人生に豊かさを求めることは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、自分自身であることを放棄(ほうき)します。
多くの人は、自分以外の何者かに成ろうとしているのです。
残念ながら、自分以外の何者かに成ることは、豊かさと栄光を手放すことであるのです。
自分自身であることを放棄して、良いことは何一つありません。
自分自身であることを放棄して得られるものは、乏しさと後悔だけなのです。
自分自身であることを放棄して、良いものを得ようとしても出来ないのです。
どれだけの努力を重ねても、あなたが自分自身であろうとしなければ、すべての努力が無駄に終わるのです。
人生において、自分自身であることは最重要課題です。
あなたが、自分自身であることは、人生における前提なのです。
自分自身でなければ、人生は始まりはしないのです。
自分自身であることを放棄している者の人生は、何の展開も示さないのです。
自分自身であることを放棄している者の人生は、同じことを繰り返します。
そこでは、空しさだけが募(つの)っていくのです。
どのような理由があろうとも、あなたは、自分の道を行かなければなりません。
あなたは、自分自身であることを放棄してはならないのです。
しかしながら、自分自身であることは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、自分自身であることは、人生において最も難しいことだからです。
自分自身であることは、純粋であることです。
自分自身であることは、真っ直ぐであることです。
自分自身であることは、賢明(けんめい)であることです。
自分自身であることは、謙虚(けんきょ)であることです。
自分自身であることは、強くあることです。
自分自身であることは、愛することが出来ることなのです。
自分自身であることは、それを放棄することよりも難しいのです。
何事も、維持することは難しいですが、放棄することは簡単なのです。
積み重ねることは難しいですが、崩すことは簡単なのです。
あなたは、簡単な道を選んではなりません。
敢(あ)えて、難しい道を選ぶべきなのです。
あなたは自分自身でありましょう。
そして、人生の目的を果たしましょう。
自分自身であることが、人生の目的を果たすことの条件です。
真っ直ぐに歩みましょう。
人生においては、ただ真っ直ぐに歩むことが最も難しいということを覚えておきましょう。

2020年3月30日月曜日

美しい偏り

すべての人は、目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に目的を与えられているのです。
どのような人生にも、果たすべき目的が存在します。
どのような人物にも、果たすべき目的が存在するのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことよりも大切なことはありません。
あなたが、どのような理想を掲(かか)げてようとも、人生の目的よりも重要ではありません。
覚えておかなければならないのは、理想というものは人生の目的ではありません。
なぜなら、理想とは、未熟な人間の誤解によって導き出された目的地であるからです。
残念ながら、すべての人は未熟に生まれます。
残念ながら、すべての人が無知なのです。
無知は、誤解を生じさせます。
あなたは、自分が何か?分からないはずなのです。
自分が何か?分からない者の理想が、どうして人生における目的だと断言することが出来るのでしょうか?
残念ながら、自分が何か?ということすら分からない者には、自らの掲げる理想が人生の目的であるかどうかは分からないのです。
自分が何か?分からない者には、人生の目的は分かりません。
残念ながら、すべての人には、人生の目的が分からないのです。
そのため、多くの人は、理想を実現することが正しい道だと考えるのです。
多くの人にとって、理想とは、現時点において考え得る完全なものです。
多くの人は、理想という完全を追い求めているのです。
未熟な者は、完全に成ることを良いことだと考えます。
そして、完全であるべきだと信じているのです。
しかしながら、すべての人には人生の目的が与えられているのです。
人生の目的を果たすためには、それを果たすに相応しい役割を果たさなければなりません。
役割を果たすことによって、人生の目的を果たすことが出来るのです。
あなたが人生の役割を果たすためには、その役割に相応しい自分に成る必要があります。
役割とは、部品のようなものです。
どのような品物も、それを完成させるためには部品を必要とします。
どのような品物も、様々な材料を組み合わせることによって生み出されるのです。
世界は、あなたという部品を必要としています。
人生は、世界に対して、あなたという部品を受け渡す職人なのです。
人生は、様々な経験を通じてあなたを磨きます。
あなたは、人生における様々な経験を通じて、自分へと近付くのです。
自分に成るということは、洗練された偏(かたよ)りに成るということです。
偏りこそが、個性なのです。
人が、誰かのように成ることは、個性でもなければ、自分でもないのです。
あなたは、偏ることによって、自分に成らなければなりません。
あなたは、完全に成るために生きているのではありません。
完全に成るということは、個性を殺すということなのです。
あなたは、柔軟に考えなければなりません。
無駄が面白いのです。
そして、歪(いびつ)が面白いのです。
個性とは、決して完全のことではありません。
偏りこそが個性なのです。
あなたは、成長しなければなりませんが、成長とは、個性の完成のことです。
それは、決して、完全に成るということではないのです。
美しく偏ることによって、あなたは個性を完成させることが出来るでしょう。
偏りを恐れてはなりません。
美しく偏るのであれば、それは却(かえ)って目的へと近付くのです。
あなたには、個性や偏りを大切にしましょう。
成長しなければなりませんが、成長とは、完全に成ることではありません。
成長とは、個性の完成のことであるのです。
あなたは、美しく偏りましょう。
それは、無駄に思えるかも知れませんが、無駄が面白いのです。
それは、歪に思えるかも知れませんが、歪が面白いのです。
あなたは、理想を追い求めて、完全に成る必要はありません。
成長を誤解してはなりません。
あなたは、個性へと向かって歩みを進める必要があるのです。
美しく偏りましょう。
美しく歪みましょう。
あなたは、成長することによって、美しい個性を完成させるのです。

2020年3月29日日曜日

すべてが自分自身

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生に目的も無く生まれることは出来ないのです。
どのような人物の人生にも、果たすべき目的が存在するのです。
人生に目的を持たない人は存在しないのです。
あなたには、人生において果たさなければならない目的があるのです。
そのことを理解しなければなりません。
人生に目的が存在することを知らなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
それは、人生に目的が存在することを忘れ、無気力に生きているからです。
無気力に生きることは、何も無反応に生きることだけではありません。
例えば、苦しみに歪むことも、無気力という状態であるのです。
大切なのは、意欲的に生きることです。
あなたは、人生において、人生の目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすという目的を忘れてしまうと、人は、意欲を失ってしまうのです。
意欲は、目の前の状況を学びにします。
それがどのような状況であれ、意欲によって学びとなり、意味のあるものになるのです。
人が学ぶ時、そこには意味が生じます。
学ぶつもりが無ければ、それがどのような状況であろうとも意味の無いものとなってしまうのです。
状況の意味は、自分自身の中に生じるということなのです。
状況が意味をもたらすのではありません。
あなたが状況を通じて、自分自身に意味を見い出すのです。
あなたは、人生において自分自身を学びます。
人生には、自分自身しか存在していないのです。
自分以外のものは、自分自身を教える自分自身なのです。
あなたは、すべてが自分自身であるということを理解しなければなりません。
すべてが自分自身であるということを理解して、人生に対して意欲を持たなければならないのです。
外に現れるものは、自分自身とは関係の無いもののように思えます。
目の前の状況も、目の前の他者も、自分自身の意思を斟酌(しんしゃく)しているとは到底思えないでしょう。
あなたが外に現れるものを自分自身とは関係の無いものに思うことは仕方の無いことです。
なぜなら、あなたは自分自身を知らないからです。
自分自身を理解していないから、外に現れる自分自身を理解することが出来ないのです。
目の前の状況も、目の前の他者も、あなたに相応(ふさわ)しいのです。
あなたが意欲を以て学べば、そのことが分かって来るでしょう。
意欲を以て学ぶまでは、理解を深めることが出来ません。
理解を深めることが出来なければ、苦しまなければならないのです。
理解が浅ければ、苦しみは深いのです。
理解の深さによって、苦しみは浅くなります。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
あなたが苦しむのは、目の前の状況や目の前の他者に対する理解が浅いからです。
それは、自分自身に対する理解が浅いということなのです。
理由は、それ以外にはありません。
大切なのは、意欲を以て学ぶことです。
不満や不安を選択して不貞腐(ふてくさ)れてはなりません。
あなたは、どのような状況や他者からも学ぶ必要があるのです。
苦しみを取り除くためには、理解を必要とします。
理解を得るためには、苦しまなければなりません。
その樹が何であるかは、その樹の付ける果実によって分かります。
果実を収穫するまでは、その樹が何か分からないのです。
あなたは、十分に苦しまなければなりません。
あなたが十分に苦しむ必要があるのは、十分に苦しまなければ、学ぶ意欲を持たないからです。
人生は、あなたが意欲を持つまでいつまでも気長に待ちます。
あなたが十分に苦しむことが出来るようにするのです。
果実は熟するまで収穫してはならないのです。
あなたは、苦しみを最も”美味しい”時に味わう必要があるのです。
それは、あなたにとって最も辛(つら)い経験となるでしょう。
しかしながら、あなたにとっては、それが必要なのです。
すべては、あなたが学ぶ意欲を持つための演出です。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
すべては自分自身です。
あなたは、目の前の状況や他者に対して、いつまでも否定的な態度を続けてはなりません。
すべてが自分自身であるということを理解して、歩み寄らなければなりません。
人生を無意味なものにしてはなりません。
あなたは、意欲によって人生を意味のあるものにしましょう。
人生には果たすべき目的が存在しています。
それを果たすためには、自分自身である必要があるのです。
無気力に生きてはなりません。
苦しみも、人生における一つの趣(おもむき)と理解しましょう。

2020年3月28日土曜日

常識の樹

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的を果たす以外の目的のために生まれる人はいません。
どのような人物の、どのような人生にも、果たすべき目的が存在しているのです。
あなたは、果たすべき人生の目的が存在することを理解しなければなりません。
そして、それを覚えておかなければなりません。
人生の目的を見失い、空しく生きてはならないのです。
人生の目的を見失うことは空しいのです。
なぜなら、人生の目的を見失うことによって、目の前の快楽や欲望や富や苦悩を貪(むさぼ)るように生きなければならないからです。
目の前の快楽や欲望や富や苦悩を貪る生き方には価値がありません。
そのような生き方を百年続けたとしても、人生に意味を見出すことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は、人生に意味を見出すことが出来ません。
それは、人生の目的を見失い、その代わりに目の前の快楽や欲望や富や苦悩を貪っているからです。
残念ながら、そのような生き方では、人生の意味を見出すことは出来ないのです。
ただ、生きるだけでは、人生が何か?分かりません。
空しさを抱えずに生きている人がどれだけいるでしょうか?
有り余る富を所有していようとも、人生の目的を見失っているのであれば空しいのです。
人生の目的を見出すことをしなければ、何を手に入れても空しいということなのです。
大切なのは、人生の目的を探すことです。
そして、それを見出すことなのです。
しかしながら、多くの人にとって、それは難しいことです。
なぜなら、多くの人は、不自然を信仰(しんこう)しているからです。
不自然とは、誤解のことです。
多くの人は、誤解を信じているのです。
誤解とは、常識のことです。
誤解とは、人の考えのことなのです。
人の考えは、どれもが誤解です。
自分が何か?ということを知っている人がいるでしょうか?
残念ながら、多くの人は、自分が何か?分からないのです。
自分が何か?分からなければ、その他の何も理解することは出来ないのです。
多くの人が信仰している常識という名の不自然は、あなたが生まれる前からこの世界に存在しているのです。
あなたは、常識という名の不自然の中に生まれたのです。
人の世は不自然なのです。
残念ながら、何一つ自然は存在しません。
もしも、人の世が自然であるのならば、あなたは、自分が何か?知っているはずなのです。
そして、人生の目的を知っているはずなのです。
しかしながら、あなたには、その大事なことが分からないのです。
大切なのは、自らの信仰が不自然であると理解することです。
あなたの信じている常識は、不自然なのです。
残念ながら、常識を信仰しても報(むく)われません。
不自然を生きても、満足を得ることは出来ないのです。
あなたが、満足を得るためには、常識に対する信仰を手放し、非常識に生きる必要があるのです。
非常識とは、自分自身であることです。
それは、利己的であるということではありません。
自分自身として、誰かや社会に貢献(こうけん)することの出来る状態が、非常識というものなのです。
常識に従(したが)って生きることは、自分自身を失うことです。
それでは、貢献することは出来ません。
あなたは、自分自身でなければ、貢献することは出来ないのです。
自分自身とは、自然のことです。
自然とは、不自然という常識から見れば、非常識であるということを理解しましょう。
あなたは、非常識に生きなければなりません。
皆と同じように生きてはならないのです。
それでは、役に立ちません。
しかしながら、簡単には、非常識に生きることが出来ません。
なぜなら、常識という名の不自然の根は深いからです。
あなたは、長い時間常識を信じて生きて来ました。
それは、あなたの価値観に常識という名の不自然を育てたということなのです。
小さな樹でも、根は思うよりも深く、容易(ようい)に引き抜くことは出来ません。
残念ながら、あなたは簡単には、常識を手放すことが出来ません。
大切に育てた常識を手放すことが出来ないのです。
しかしながら、常識を育て続けることは、人生を乏しくするのです。
あなたは、常識の根に栄養を吸い取られてしまうのです。
大切なのは、毎日少しずつ学ぶことです。
自分自身や人生というものは、簡単には理解することが出来ないのです。
理解を深めるために、あなたには時間が与えられているのです。
繰り返す日々は、常識という名の不自然を育てるための時間ではありません。
それは、不自然の根を取り除き、自然を育てるための時間なのです。
あなたが考えている以上に、常識という名の不自然への信仰は根深いということを理解しましょう。
それは、簡単には引き抜くことが出来ません。
自分の年齢と同じ樹齢の樹を抜こうとすれば、それがどれだけ難しいことか分かるでしょう。
あなたは、毎日少しずつ学び、毎日少しずつ常識を取り除きましょう。
そして、非常識を生きましょう。

2020年3月27日金曜日

魂への挑戦

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生に果たすべき目的があるのです。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
どのような人物にも、果たすべき人生の目的が存在します。
しかしながら、人生の目的は人それぞれに異なります。
あなたには、あなたの果たすべき人生の目的が存在するのです。
人は、自分の人生の目的を果たす必要があるのです。
あなたは、自分の人生の、自分に与えられた目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことが、人生の目的です。
人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生の目的を果たすことが、あなたが生まれた理由なのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
なぜなら、多くの人が、人生には果たさなければならない目的が存在することを知らないからです。
多くの人は、人生に目的が存在することを知らず、目の前の快楽や欲望、富や苦悩を貪(むさぼ)ることに努めるのです。
残念ながら、人生の目的は、目の前の快楽や欲望、富や苦悩を貪ることではありません。
それは、常識としては正しい生き方であるように思えます。
なぜなら、多くの”大人”がそのように生きているからです。
幼い子どもは、”大人”の生き方を見て、それが正しい生き方だと信じるのです。
尊敬する”大人”の生き方であれば、間違いはないと思い込むのです。
しかしながら、多くの人を真似(まね)て、目の前の快楽や欲望、富や苦悩を貪ったところで、人生に豊かさを得ることは出来ません。
そのような生き方を続けても、心が満たされることはないのです。
人生の目的に反するような生き方を続けたとしても、得られるのは空しさだけなのです。
多くの人は、空しく生きているのです。
大半の”大人”は、空しさに気が付いています。
しかしながら、それを認めることを恐れて、更なる快楽や欲望や富や苦悩を貪ることによって、自己を正当化し、空しさを退(しりぞ)けようと努めているのです。
大半の”大人”は、空しさを見ないように生活しているのです。
大半の”大人”は、自分を騙(だま)しているのです。
人生には目的が存在していますが、それを探そうとはしません。
なぜなら、人生の目的を探すことはとても骨の折れる仕事だからです。
目の前の快楽や欲望や富や苦悩を貪るように生きる方が楽なのです。
それは、崖(がけ)を転げ落ちるような生き方なのです。
大半の”大人”は、人生の目的を探すこともなく堕落(だらく)するのです。
人生に理由を探すこともなく、生き長らえることは堕落なのです。
残念ながら、ただ生きることには価値がありません。
そのような人生には価値を見出すことが出来ないのです。
大半の”大人”は、人生に後悔を残します。
それは、人生の理由を探すことをせず、目の前の快楽や欲望や富や苦悩を貪り続けたからです。
すべての人には、果たさなければならない目的が与えられていますが、人生の理由を探すことをしなければ、それを果たすことは出来ないのです。
残念ながら、大半の”大人”は、人生の目的を果たすことが出来ません。
あなたは、人生に後悔を残してはなりません。
あなたは、人生に後悔を残さないように生きなければならないのです。
あなたは、人生の理由を探しましょう。
自分が何のために生まれたのか?ということを探求し続けるのです。
人生を無意味なものにしてはなりません。
生きることを人生の目的にしてはならないのです。
大切なのは、魂の喜ぶ生き方をすることです。
魂は、あなたの中心に存在する純粋性のことです。
あなたが純粋に嬉しいことが、人生においては大切なのです。
後悔しないように生きるためには、人生において、あなたがやりたいことをしなければなりません。
常識や周囲の”大人”によって築かれた偽りの喜びを目指してはなりません。
あなたは、誰のことも気にすることなく、自分が本当に好きなことをするのです。
もちろん、人生は思い通りにはならず、やりたいことや好きなことをして生きることが出来るとは限りません。
しかしながら、自らの純粋性に挑戦することをせず、やりたいことや好きなことに挑戦することがなければ、必ず後悔するのです。
結果を気にする必要はありません。
大切なのは、自らの魂に挑戦したかどうか?ということが重要なのです。
残念ながら、あなたが自らの魂に挑戦することは、常識に反する生き方であるかも知れません。
残念ながら、大抵の場合、魂に挑戦することは、非常識に挑戦することなのです。
あなたが、自分らしく生きることは、常識を否定するということです。
重要なのは、常識を否定する勇気があるか?ということなのです。
あなたは、魂に挑戦しましょう。
後悔の残る詰(つ)まらない生涯(しょうがい)にしてはなりません。
あなたは、無意味に生まれたのでも、無意味に生きているのでもありません。
あなたには、果たすべき目的が存在するのです。
今の生き方で、あなたの魂は喜んでいますか?
あなたには、それが分かるはずです。
人生は、瞬(またた)く間に過ぎ去ってしまいます。
あなたはすぐに”大人”に成ってしまうのです。
”老人”に成っては取り返しが付きません。
どう生きるか?を考えましょう。

2020年3月26日木曜日

問題の世界

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
それは、人生に意味を持たせるためです。
人は、未熟に生まれることによって、人生に意味が生じるのです。
人が、人生に生まれるのは、成長を実現するためです。
人生は、成長を実現するために最適な時間なのです。
すべての人は、成長を実現するために人生を生きるのです。
人が成長を実現するためには、ただ生きるだけではなりません。
人生に目的を以(もっ)て生きることによって、成長を実現することが出来るのです。
ただ生きるだけでは、人は堕落(だらく)してしまうのです。
果たすべき目的が存在しなければ、崇高(すうこう)な意識を保つことは出来ないのです。
果たすべき目的が存在しなければ、人は欲望のままに生きることになります。
目の前の快楽や富を貪(むさぼ)るように生きるようになってしまうのです。
すべての人は、弱さを抱えているのです。
それは、歪(ゆが)みであり、汚れであり、醜(みにく)いものなのです。
人は、それ等の弱さを克服(こくふく)することによって、成長を実現することが出来るのです。
弱さを克服することが出来なければ、成長を実現することは出来ないのです。
大切なのは、弱さを克服することです。
あなたが、弱さを克服するためには、弱さに向き合う必要があります。
弱さに向き合うことがなければ、それを克服することは出来ないのです。
あなたが、弱さと向き合うためには、弱さから生じる問題と向き合えば良いのです。
すべての人が弱さと向き合わなければなりません。
しかしながら、弱さと向き合うことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、弱さと向き合うためには、問題と向き合わなければならないからです。
弱さは、問題を引き起こします。
あなたは、問題と向き合うことによって、間接的に自らの弱さと向き合うことが出来るのです。
問題と向き合うことが難しいのは、問題が自らの醜さを露(あらわ)にするからです。
自分の醜さと向き合うことは、誰にとっても容易ではないのです。
誰もが、自らの醜さを認めたくはありません。
それは、誰もが自分が正しいと思いたいからです。
自分が正しく、自分以外が間違っていると思いたいのです。
すべての人は、弱さを克服しなければなりませんが、弱さを克服するためには、それを認めなければなりません。
弱さは同時に自尊心(じそんしん)を生み出してしまいます。
そのため、多くの人は、自尊心によって、弱さを否定(ひてい)するのです。
弱さは、自己防衛のために自尊心を生み出します。
多くの人は、弱さに翻弄(ほんろう)されているのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、自尊心を手放さなければなりません。
自尊心を抱えている内は、問題が露にする醜さを受け入れることが出来ません。
自尊心が、自らの醜さを否定してしまうのです。
あなたは、自らの醜さと向き合い、それを受け入れなければなりません。
人生は、思い通りにはなりません。
人生は、思い通りにしなくても良いのです。
あなたが進むべき道は、思い通りにならない道なのです。
それは、自らの醜さと向き合う生き方なのです。
残念ながら、問題を避けることの出来る人はいません。
問題を避けよとして別の選択をしても、その先で問題が生じるのです。
問題は、外には存在しません。
誰かや何かによって問題が引き起こされている訳ではないのです。
自尊心が、誰かや何かが問題を引き起こしていると自己を正当化しているのです。
あなたは、自尊心に騙(だま)されているのです。
自尊心に従(したが)って、問題を否定してはなりません。
それでは、いつまでも自らの醜さを抱えていなければならないのです。
それでは、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
あなたは、人生の目的を果たし、成長を実現するために生まれたのです。
問題を否定して、人生を空しいものにしてはなりません。
あなたは崇高な意識に従って生きて、人生を意味のあるものにしなければならないのです。
自らの醜さと向き合うことは辛いものです。
しかしながら、それを嫌えば堕落してしまうでしょう。
それでは、苦しいのです。
あなたは、弱さを克服するために生まれたのです。
問題と向き合うことが出来るのは、幸いなことだと理解しましょう。
問題の存在しない人生は空しいのです。
なぜなら、問題の存在しない世界では、成長を実現することが出来ないからです。
成長を実現することの出来ない世界など、生きる価値は無いのです。
問題の存在しない世界を生きる価値はありません。
人生は、問題が存在するからこそ生きる価値があるのです。
問題を楽しみましょう。
問題は、決して悪いものではありません。

2020年3月25日水曜日

水面の月

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に目的を持たずに生まれる人はいません。
どのような人物にも、果たすべき目的が与えられているのです。
人生の目的は、自分自身に相応しいものが与えられます。
あなたは、人生の目的を果たすことが出来るのです。
果たすことの出来ない目的は与えられないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすために生きなければなりません。
人生の目的を果たすつもりがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、自らに与えられた人生の目的を理解する必要があるのです。
しかしながら、人生の目的を理解することは出来ません。
そこで、余計を手放すことをしなければならないのです。
すべての人は、本質を見失っています。
快楽や富などの様々な思い煩(わずら)いによって、本質を覆(おお)い隠してしまうのです。
大切なのは、余計を手放し、本質的に生きることです。
本質的に生きることによって、結果的に人生の目的を思い出すという算段(さんだん)なのです。
人生を展開(てんかい)させるためには、直接的にアプローチしてはなりません。
あなたは、間接的にアプローチすることによって、目的を果たすべきなのです。
例えば、目の前の問題を解決するためには、目の前の問題と向き合うことではありません。
目の前の問題を解決したければ、あなたは、自分自身と向き合う必要があるのです。
目の前の問題は、自分自身の歪みの反映です。
外にあるものは、内にあるのです。
外にあるものをどうにかしようとして、外をどうにかしてはならないのです。
スクリーンに映し出された映像をどうにかするためには、それを映し出している映写機をどうにかする必要があるのです。
スクリーンに映し出された映像をどうにかしようとして、スクリーンをどうにかしようとしても、問題の解決にはなりません。
直接的に問題を解決しようとしても、それを解決することが出来ないということを理解しなければならないのです。
あなたの目の前に存在する人生とは、自分自身の反映です。
それは、水面(みなも)に映る月のようなものなのです。
それは、とても美しく映りますが、決して実体ではありません。
水面に映る月は幻想なのです。
水面に映る月に触れようとして水面に手を伸ばすと、月は揺らめいて消えてしまうのです。
あなたは、水面に映る月に触れることは出来ません。
目の前の様々な問題は、自分自身の歪みです。
それは、内に存在しており、決して外には存在しません。
どのような問題であろうとも、それが幻想であるということを覚えておきましょう。
誰かや何かに問題が存在するのではありません。
問題は、自分の内に存在するのです。
人生とは、幻想です。
あなたは、幻想に熱くなってはなりません。
幻想に踊らされてはならないのです。
多くの人は、目の前の問題に対して冷静さを見失います。
多くの人は、幻想によって、感情を揺(ゆ)さぶられ、翻弄(ほんろう)されるのです。
あなたは、感情に飲み込まれてはなりません。
感情に飲み込まれてしまえば、更なる歪みによって、更なる問題を引き起こすからです。
水面を揺らす程、月は姿を隠してしまいます。
あなたは、掌(てのひら)で水を掬(すく)い、そこに月を映しましょう。
そして、それが幻想であることを理解するのです。
目の前の問題に対して感情的に向き合ったとしても、何の解決にも成りません。
人生に対して、癇癪(かんしゃく)を起こしても、何にも成らないのです。
冷静に生きることです。
あなたは、目の前の問題を受け入れなければならないのです。
それは、内に存在する歪みの反映に過ぎないのだから、内に目を向ける必要があるのです。
受け入れることをしなければ、目は外を向いたままなのです。
それでは、水面を掻(か)き乱すだけです。
水面を掻き乱して月を消しても、すぐに月は戻るのです。
誰かや何かに訴(うった)えても、問題が解決することはないのです。
すべての問題は、自分自身に相応しいのです。
その問題に相応しい自分であるということなのです。
問題を解決するためには、自分自身が変わらなければなりません。
その問題に相応しくない自分であれば、問題は解決するのです。
あなたは、考え方や生き方を変えなければなりません。
内に存在する問題は、内を変えることで解決するのです。
目の前の問題が幻想であることを理解しましょう。
幻想を生きてはなりません。
外を生きず、内を生きなければなりません。

2020年3月24日火曜日

学ぶ姿勢

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人には、人生に果たすべき目的があるのです。
人生に目的を待たずに生まれることは出来ません。
それが、どのような目的であろうとも、果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすことは、人生の意味を果たすことです。
人生の目的を果たすことによって、人生は意味のあるものに成るのです。
残念ながら、人生の目的を果たすことがなければ、人生に意味を見出すことは出来ません。
何気なく生きれば良いというものではありません。
誰かに与えられた作業をこなしていけば良いというものでもないのです。
あなたは、自分自身の人生を生きなければなりません。
自分自身の人生は、自分自身の意思によって生きなければならないのです。
人生において重要なのは動機です。
何のために生きるのか?ということが重要なのです。
あなたは、人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
人生の目的を果たすために生きることがなければ、人生は空しいのです。
人生の目的を果たすために生きることがなければ、何を得ても、何を失っても空しいのです。
人生を豊かなものにするためには、人生の目的を果たそうとする動機が必要だということを理解しましょう。
人生の目的を果たそうという動機を以て生きたとしても、人生が思い通りに成る訳ではありません。
残念ながら、人生が思い通りに成ることはありません。
あなたは、自分の思い通りに生きることは出来ないのです。
それは、あなたが人生の目的を果たすための必要を理解することが出来ないからです。
どのような必要を経れば、人生の目的を果たすことが出来るのか?あなたは知らないのです。
それは、すべての人が、未熟に生まれるからです。
残念ながら、すべての人は、未熟に生まれなければならないのです。
なぜなら、人が人生を生きるためには、果たすべき目的が必要だからです。
目的を果たすためには、未熟でなければならないのです。
もしも、完璧に生まれるのであれば、目的を持つことが出来ないのです。
果たすべき目的は、未熟であるからこそ持つことが出来るのです。
すべての人は、目的を果たすために未熟に生まれる必要があるのです。
あなたは未熟です。
残念ながら、あなたは何も知りません。
あなたには、自分が何であるのか?も分からないのです。
自分が何であるのか?分からない者には、人生の目的など分かるはずもないのです。
あなたが人生の目的を果たすためには、人生の目的を理解する必要があります。
人生の目的を理解することがなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
しかしながら、人生の目的を理解することは容易(ようい)ではありません。
あなたが人生の目的を理解するためには、人生の目的を教えてもらう必要があるのです。
あなたの果たすべき人生の目的を知っているのは、人生そのものです。
あなたは、人生から人生の目的を教わる必要があるということなのです。
人生は、あなたが聞かなくても、常に人生の目的を教えています。
人生は、あなたに人生の目的を果たさせようとしているのです。
人生は、宿命を使って、あなたに自らの果たすべき目的を教えるのです。
あなたが人生の目的を理解するためには、宿命から悟らなければならないということなのです。
自分自身で悟らなければ、人生の目的を理解することは出来ません。
残念ながら、人生はあなたが理解するようには教えません。
人生は、人生のやり方で教えるのです。
それは、あなたが未熟であるからです。
未熟な者に合わせるのであれば、必要を満たすことは出来ません。
大切なことを理解させるためには、簡単な方法では不可能なのです。
未熟な者に合わせるのであれば、理解を実現することは出来ません。
未熟な者にとっては難しい方法であったとしても、それが必要であるのならば、それ以外の方法は最善ではないのです。
理解することが出来ないのは、理解しなければならない者が未熟であるからです。
問題は、理解しなければならない者にあるのです。
人生に空しさを覚えるというのであれば、あなたに問題と原因があるのです。
人生に問題や原因があるのではありません。
誰かや何かに問題や原因があるのでもないのです。
あなたは、自分自身が未熟であることを理解しましょう。
そして、学ぶ姿勢を整えましょう。
人生は、思い通りにならなくて良いのです。
必要は、人生が宿命によって導きます。
必要は、自分自身で決めることは出来ません。
人生は、決して思い通りにはなりませんが、それも必要と思い楽しみましょう。
必要を受け入れることが出来なければ、人生の目的を果たすことなど出来ないのです。

2020年3月23日月曜日

損得の秤

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことなく生きてはならないのです。
なぜなら、人生の目的とは、あなたが生まれた理由だからです。
人生の目的は、人生を始める前に決めたものです。
因果の仕組みの支配するこの世界においては、人生という結果を実現するためには、目的という原因を必要とするのです。
あなたは、生まれる前に決めた目的を果たす必要があるのです。
当然、あなたは人生の目的を忘れています。
多くの人は、人生に目的が存在することすらも忘れているのです。
大抵の人は、目の前の快楽や欲望、そして、富や苦悩によって曇ります。
目の前の快楽や欲望や富や苦悩によって、果たすべき人生の目的が覆(おお)われてしまうのです。
人生の目的が分からなければ、人は、迷いの生存を続けなければなりません。
目の前の快楽や欲望や富や苦悩を追い求める生き方は、必ず迷いを生じさせます。
そのような生き方では、人生の目的など決して分からないために迷うことになるのです。
目の前の快楽や欲望や富や苦悩を追い求める生き方を百年続けたとしても、人生に満足を得ることは出来ません。
そのような生き方を先年続けたとしても、人生は豊かなものにはならないのです。
人生に満足や豊かさを得るためには、人生の目的を果たす以外には方法がありません。
人生に満足や豊かさを得るためには、人生の目的を果たせば良いのです。
人生に満足や豊かさを得る方法はとても単純です。
人生の目的を果たすだけなのです。
人生の目的を果たすためには、ただ真っ直ぐに歩めば良いのです。
人生の目的地は、真っ直ぐ先にあります。
迷うことなく、ただ真っ直ぐに歩めば辿り着くことが出来るのです。
道は真っ直ぐに続いています。
しかしながら、多くの人は、ただ真っ直ぐに歩むことが出来ません。
多くの人は、その歩みを歪めてしまうのです。
人が真っ直ぐに歩むためには、純粋(じゅんすい)でなければなりません。
純粋とは、自然のことです。
自然とは、自分自身のことなのです。
しかしながら、多くの人は、自分自身でいることが出来ません。
多くの人は、自分自身でいることよりも、目の前の快楽や欲望や富や苦悩を貪(むさぼ)ることを選んでしまうのです。
それは、人を不自然にしてしまいます。
それは、人から純粋を取り去ってしまうのです。
自分自身を手放した人は歪みます。
歪んでしまえば、その歩みも歪むのです。
あなたが真っ直ぐに歩み、人生の目的を果たすためには、目の前の快楽や欲望や富や苦悩を貪るような生き方を手放さなければならないのです。
そのような生き方は、人生の目的ではないのです。
あなたは、目の前の快楽や欲望や富や苦悩というような詰(つ)まらないことのために生まれたと思いますか?
人生を始めるということは、容易(ようい)なことではないのです。
人生を生きられるということは、何よりも尊(とうと)いことなのです。
命というものは、とても価値のあるものです。
あなたは、とても価値のある命を使い、目の前の快楽や欲望や富や苦悩を得るのですか?
命よりも価値の乏しいものを、命を使って得る価値はないのです。
あなたは、命よりも価値のあるものを、命を使って得なければならないのです。
あなたは、命よりも価値のあるものを考えましょう。
そして、命よりも価値のあるものを探しましょう。
命を、詰まらないものと交換してはなりません。
命を、命よりも詰まらないものと交換すれば空しいのは当然のことなのです。
多くの人は、人生に空しさを覚えます。
それは、命の使い方を間違えているからです。
あなたは、命よりも価値のあるものを得なければならないのです。
それを理解するためには、純粋でなければなりません。
自然であり、自分自身でなければならないのです。
あなたは、ただ真っ直ぐに歩みましょう。
自らの純粋な欲求に従って歩むのです。
損得の秤(はかり)に掛けられるものは、命の価値を超えません。
あなたが損得を気にすることは、詰まらないものなのです。
損得を気にすることのない道を探しましょう。
それが、あなたの進むべき道です。
迷いとは、損得の迷いなのです。
それ以外の迷いは存在しません。
いつまでも、迷いの生存を続けていてはなりません。
損得を気にすることのない道を歩みましょう。

2020年3月22日日曜日

悪路

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生に果たすべき目的があるのです。
あなたは、自分の人生の目的を果たす必要があるのです。
それは、人生の目的を果たすことが、人生に生まれた理由だからです。
どのような人物も、人生の目的を果たすために生まれるのです。
人生において、目的もなく生まれる人はいません。
どのような人物の、どのような人生であろうとも、果たすべき目的が存在するのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
すべての人生は、目的を果たすために存在しています。
あなたは、どのような理由があろうとも、人生の目的を果たす必要があるのです。
人生の目的は、何よりも重要です。
なぜなら、因果の仕組みの支配するこの世界において、人生という結果を実現するためには、人生の目的という原因が必要不可欠であるからです。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれるのです。
それ以外の目的は存在しないということを理解する必要があるのです。
しかしながら、多くの人は、そのことを忘れています。
人生の目的は、あなたが人生を始める前に決めた目的です。
人生という結果を実現するためには、人生を始める前に目的を決めておく必要があるのです。
しかしながら、多くの人は、そのことを忘れています。
多くの人は、後天的な目的を重要だと考えるのです。
例えば、理想を実現することを人生の目的として考えます。
多くの人は、理想を実現することが重要だと思い込むのです。
多くの人は、理想を実現するために努めています。
多くの人は、理想を実現することが正しいと思い込んでいるのです。
しかしながら、人生の目的と理想は異なります。
人生の目的というものは先天的なものであり、理想というものは後天的なものなのです。
あなたが、理想ではなく、人生の目的を実現しなければならないのは、理想というものを生み出したのが”あなた”であるからです。
”あなた”は、未熟に生まれなければなりません。
”あなた”とは、弱さや歪(ゆが)みを含(ふく)めた状態のことです。
それは、あなたの本質ではありません。
理想とは、弱さや歪みも含めた目的なのです。
それは、純粋な目的ではありません。
純粋な目的とは、あなたが純粋な状態で決めた目的です。
純粋な状態とは、肉体を以て生まれる前の状態のことなのです。
先天的な人生の目的こそが、純粋な目的なのです。
あなたが果たすべきは理想ではありません。
理想とは、不純物の混ざった目的であると理解しましょう。
理想を実現したとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすことがなければ、あなたが満足を得ることは出来ないのです。
理想を実現したとしても、すぐに次の理想が生じます。
理想には、限界がありません。
理想は、あなたにより良い理想を教えるのです。
それは、理想によっては、いつまでも満足することが出来ないということを意味しているのです。
大切なのは、人生に満足を得ることです。
この人生で良かったと思えるのが、良い生き方なのです。
あなたは、先天的な人生の目的を果たさなければなりません。
残念ながら、あなたは人生の目的を見失っているでしょう。
様々な快楽や欲望や苦悩が視界を塞(ふさ)ぎ、人生の目的を見失うのです。
快楽や欲望や苦悩によって視界を塞がれようとも、理想は見えるのです。
どのような状態に陥(おちい)ったとしても、理想は見えるということを理解しましょう。
あなたは、安易(あんい)に理想を追い求めてはなりません。
それは、あなたの心を曇らせます。
あなたは、理想によって惑(まど)わされ、悪い道へと誘(さそ)い込まれてしまうのです。
悪い道とは、人生の目的に反する道のことです。
人生の目的に反する道は、それがどのような道であれ、あなたにとっては悪路(あくろ)なのです。
理想を追い求めることは、喜びに溢れた道のように思えます。
しかしながら、それは目的地から離れる道であり、あなたにとっては悪い道なのです。
目的を果たすことなく、満足や豊かさを得ることは出来ません。
理想を追い求める歩みは、不足や乏しさを得るための行為であるということを理解しなければならないのです。
多くの人が良いと思い込んでいることは、残念ながら、良いものではありません。
人生に対して、満足を得ている人よりも、不足を得ている人の方が多いのです。
多くの人は、人生に乏しさを感じているのです。
あなたが多くの人のように生きれば、不足や乏しさを得ることは間違いではないのです。
多くの人は、理想を追い求めます。
あなたが人生に不足や乏しさを必要とするのであれば、多くの人と同じように理想を追い求めましょう。
しかしながら、人生に満足や豊かさを必要とするのであれば、理想を手放しましょう。
理想を手放し、目の前の現実を受け入れ、そこから学びましょう。
目の前の現実は、あなたに避けることの出来ない宿命を教えます。
そして、宿命によって、人生の目的を教えるのです。
理想を追い求めているような状態では、人生の目的を理解することは出来ないということを覚えておきましょう。

2020年3月21日土曜日

自分自身の範囲

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に目的を以て生まれるのは、人生に理由が必要だからです。
この世界に対して、無意味に生まれることの出来る人はいません。
どのような人物であろうとも、人生に対しては、意味を以て、理由を以て、目的を以て生まれるのです。
あなたがどのような現状を生きていようとも、その人生には目的が存在しています。
そして、理由が存在し、意味が存在しているのです。
どのような現状を生きていようとも、あなたは、そのことを知らなければならないのです。
人生に目的が存在することを知らないのは不幸です。
人生に理由や意味を見出すことが出来ないのは空しいのです。
あなたは、不幸を生きてはなりません。
空しく生きてはならないのです。
大切なのは、幸せに生きることです。
あなたは、豊かに生きなければならないのです。
この世界も、人生も、外に存在する巨大なもののように思えます。
多くの人は、この世界や人生が外に存在すると思っているのです。
常識を信じている人には、この世界や人生が外に存在するように思えるのは仕方のないことです。
多くの人は、肉体を自分自身の範囲と考えています。
もしくは、意識をその範囲だと考えているのです。
多くの人は、肉体の内に意識が収まっていると考えています。
そのため、肉体の外にこの世界や人生が存在すると思い込むのです。
例えば、他者は、この世界や人生と同じように、外に存在するでしょうか?
残念ながら、他者は、あなたの反映に過ぎません。
他者は、あなたの内に存在するのです。
なぜなら、あなたは、他者を通じて自分自身を知ることが出来るからです。
自分の内に他者が存在しなければ、他者によって自分自身を知り、改めることは出来ないのです。
思い通りにすることが出来ない他者も、自分の内に存在します。
より思い通りにすることが出来ないこの世界や人生であっても、あなたの内に存在しているのです。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
この世界や人生が外に存在すると思い込んでいると、あなたの視野は外へ向かってしまいます。
残念ながら、外には何も存在しません。
何も存在しないというのは語弊(ごへい)がありますが、外には、結果が存在するだけなのです。
結果とは、スクリーンに映された映像のようなものです。
多くの人は、スクリーンに映し出された映像を現実だと思い込み、信じているのです。
残念ながら、スクリーンに映し出された映像は虚像(きょぞう)です。
現実は、フィルムや映写機なのです。
他者やこの世界や人生というものは、自分自身を映し出すスクリーンに過ぎません。
多くの人は、スクリーンに映し出された映像に翻弄(ほんろう)されているのです。
多くの人は、他者やこの世界や人生に翻弄されています。
それは、それ等が内に存在することを知らないからです。
映画を観ていると、その世界観にのめり込み、幻想と現実との区別が難しくなります。
他者やこの世界や人生と向き合っていると、それが自分の内に存在しているということを忘れてしまうのです。
残念ながら、他者やこの世界や人生を変えることは出来ません。
あなたがどのように努めても他者やこの世界や人生が変わることはありません。
スクリーンの前で何をしても、映像は流れ続けるのです。
あなたは、他者やこの世界や人生が何のために存在するのか?を考えましょう。
あなたは、目的を以て生まれたのです。
人生において、目的を果たす以上に重要なことはありません。
それは、他者やこの世界や人生というものが、あなたが人生の目的を果たすために存在するということを意味しているのです。
すべては、あなたが人生の目的を果たすための必要です。
この世界には、無駄は存在しません。
無意味は存在しないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないのです。
すべては内に存在しています。
あなたが変えることが出来るのは、自分自身だけなのです。
自分自身以外を変えようとするのは間違っているのです。
自分自身が変わらなければ、何も意味がありません。
スクリーンに映し出された映像を変えるためには、フィルムや映写機を変えるしかないのです。
他者やこの世界や人生を変えようと努める必要はありません。
他者やこの世界や人生を変える必要はありません。
自分自身を改めることだけで十分なのです。
それで、人生の目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、自分自身を変えましょう。
どのような現状においても、あなたに出来るのはそれだけなのです。

2020年3月20日金曜日

人生に対する判断

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
この世に、無駄に生まれる人はいません。
無意味に生きている人など存在しないのです。
どのような人物であろうとも、果たすべき目的が与えられているということを理解しなければなりません。
あなたには、あなたの果たすべき目的が存在します。
人生において、果たすべき目的はそれぞれに異なります。
人は、それぞれの目的を果たさなければならないのです。
それが、あなたの生まれた理由なのです。
残念ながら、多くの人は、人生に目的が存在することを知りません。
多くの人は、人生に意義(いぎ)を見出すことが出来ないでいるのです。
あなたは、人生を無意味なものにしてはなりません。
あなたが、どのような状況に置かれていようとも、それでも人生には意味があるのです。
そして、あなたには、果たすべき目的が与えられているのです。
目的を持たずに生まれることの出来る人はいません。
この世に無意味に生まれることの出来る人はいないのです。
生まれてくる意味など無いと考えている人は多くいます。
そのような人達は、人生に目的が存在しないと考えるのです。
しかしながら、すべての人生には、果たさなければならない目的が存在するのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
この世界においては、原因は、それに相応しい結果を実現します。
どのような原因も、それに相応しい結果を実現することになっているのです。
しかしながら、何を以て結果とするかは、あなたには分からないことなのです。
分からない結果をいつまでも探し続けることはやめましょう。
どれだけ探しても、結果は分からないのです。
あなたが結果だと考えているものは、経過です。
すべてはとどまることなく流転(るてん)します。
何一つ、結果としてとどまることはないのです。
経過を結果として考えてはなりません。
結果は、最後の最後まで分からないものなのです。
多くの人は、結果を理解したつもりでいます。
そして、結果だと思い込んでいる経過に対して、一喜一憂(いっきいちゆう)しているのです。
経過に対して、あれこれと評価することに価値を見出してはなりません。
あなたは、原因を用意することは出来ます。
しかしながら、結果を用意することは出来ないのです。
結果は、人生のみが知っているのです。
あなたは、結果を人生に任せているのです。
人生を分かった気になって、あれこれと決め付けてはなりません。
その状況が良いか悪いかなんて、あなたには分からないことなのです。
良いと思っても、悪いことがあります。
良いと思って、良いことがあります。
悪いと思っても、良いことがあります。
悪いと思って、悪いことがあるのです。
あなたには、人生(状況)の判断はつかないということを理解しましょう。
何が良くて、何が悪いか?を判断することが出来ないのです。
すべては経過です。
すべては途中なのです。
あなたは、人生(状況)を評価することなく、心に従って行いましょう。
あなたの下す評価は、既存(きそん)の知識から下される判断に過ぎません。
既存の知識とは、偏見(へんけん)のことです。
あなたは知らないのです。
知らないことの方が多いのです。
あなたは、”頭”に惑(まど)わされてはなりません。
”頭”は、偏見によって判断します。
しかしながら、それは正しい判断ではないのです。
”頭”は必ず間違えます。
あなたは、自分自身を信用してはなりません。
あなたが信用すべきは、”心”であり、人生なのです。
”頭”は、人生を判断しようとします。
それは、損得勘定(そんとくかんじょう)に繋がるのです。
都合の悪いことが良い状況を導くこともあります。
一概(いちがい)には判断することが出来ないのです。
あなたは、”頭”に縛られずに、”心”に従って自由に生きましょう。
人生は、最後の最後までどうなるか分からないということを覚えておきましょう。

2020年3月19日木曜日

本質を照らす光

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、この世界に未熟に生まれなければなりません。
それは、人生には目的が存在するからです。
目的が存在しなければ、人生は存在しません。
あなたは、この世界に生まれるのではありません。
あなたの果たすべき目的が、この世界を生むのです。
原因が先に存在し、結果は後に存在するのです。
原因の無い結果は存在しません。
結果の無い原因も存在しないのです。
この世界に生まれたということは、人生に果たすべき目的が存在するということなのです。
あなたは、人生には、果たすべき目的が存在するということを理解しましょう。
そして、あなたはその目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、あなたは未熟に生まれるからです。
未熟であるあなたには、人生の目的を理解する力がありません。
すべての人は、盲目(もうもく)なのです。
見ても見えないのです。
そのため、すべての人が暗闇の中に人生の理由を探しているのです。
未熟者は、認識が歪(ゆが)んでいます。
歪んだ認識によっては、歪んだ判断が生じるのです。
それは、歪んだ行為に及びます。
歪んだ行為は、歪んだ原因と成り、歪んだ結果を導くのです。
人生に問題が尽きないのは、自らが未熟であるからです。
すべての人が問題と向き合わなければなりません。
人生において、問題と向き合うことの無い人は存在しないのです。
どのような人物であろうとも、問題を抱えるということを理解しなければなりません。
人生において、人が問題を抱えるのは、自らの方法が間違っているということの暗示(あんじ)です。
自らの方法が間違っているからこそ、問題が生じるのです。
あなたは、自らの方法が間違っていなければ、人生に問題が生じることはないということを覚えておきましょう。
問題は、苦しみとして認識されます。
残念ながら、問題を苦しみとする認識も歪んでいます。
なぜなら、問題は自らの方法が間違っていることを知らせ、それを改善するための気付きであるからです。
問題は、良いものであって、悪いものではないのです。
あなたは、問題に対する認識を改めましょう。
多くの人は、苦しい時に心を曇らせてしまいます。
それでは、視野を狭(せば)めてしまうのです。
苦しい時に心を曇らせている人には、問題の本質が見えません。
”光量”が足りないために、問題の本質に気が付かないのです。
大切なのは、問題に対して光を当てることです。
光とは、好意のことです。
問題を建設的に捉(とら)えることをしなければ、その本質に気が付くことは出来ないのです。
多くの人は、問題を悪いものとして破滅的に捉えるのです。
それでは、問題に背を向けることになり、その本質に気が付くことは出来ません。
透(す)き通った心で見れば、光が本質を照らし出すでしょう。
美しい心は、本質を照らす光なのです。
苦しい時に不平不満や恐怖を抱えているのであれば、いつまで経っても本質に気が付くことが出来ないのです。
本質を理解することがなければ、それを上手く扱うことが出来ません。
問題を前にした時、美しい心で迎(むか)えなければ、苦しみを乗り越えることが出来ないのです。
苦しみは、乗り越えなければなりません。
苦しみは乗り越えるために導かれたのです。
苦しみは、心を浄化するための学びです。
それは、あなたを苦しめることではないということを理解しなければなりません。
苦しい時程、心を磨く機会を得ることが出来ます。
あなたは、苦しみによって心を磨きましょう。
そうすれば、あなたは本質を見極めることが出来るのです。
本質を見極めることが出来れば、納得することが出来るでしょう。
人生においては、納得することが重要です。
納得することが出来なければ、空しさを生きなければならないからです。
空しさを生きることは問題です。
そして、それは苦しみなのです。
あなたは、美しい心で道を照らしましょう。
そして、その本質を見極め、人生を完成させましょう。
本質を見失ってはなりません。
迷いの生存を続けてはなりません。
あなたは、人生に納得する理由を探すのです。

2020年3月18日水曜日

歪みを直す

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は歪んでいるのです。
そして、すべての人は足りません。
しかしながら、すべての人は多く持ち過ぎているのです。
すべての人は、バランスを欠いた状態です。
それは、とても不安定なものなのです。
あなたは、人が未熟であることを理解しましょう。
未熟さは、問題を引き起こします。
人生に様々な問題が生じるのは、自分自身が未熟であるからです。
人生に生じる様々な問題は、自分自身の未熟さの体験です。
これは、あなたの人生です。
人は、それぞれの人生を生きています。
誰一人として、同じ世界には存在しません。
同じに見えるだけです。
それは、あなたが未熟であるからです。
どのような問題も、それが自分自身の歪みの体験であるということを理解しましょう。
人は、それぞれの体験をしているのです。
同じ場所にいて、同じ経験をしたと思っていても、それぞれに異なる体験をするのです。
それは、体験というものが、自分自身の内側で生じているからです。
同じ経験をしても、体験はそれぞれなのです。
人生は、外に存在するように見えますが、内側にこそ存在しています。
あなたが知覚した時に、人生は始まるのです。
あなたが知覚しなければ、何も存在しません。
あなたが知覚しているものは、それがどのようなものであれ存在するのです。
例えば、あなたの抱えている問題は、あなたの内側に存在しています。
あなたは、自らの抱える歪みを知覚するのです。
そして、それを人生を通じて体験しているのです。
内は外であり、外は内なのです。
しかしながら、多くの人は、外は外、内は内と考えるのです。
それが歪みなのです。
あなたは、外を見て、内を考えましょう。
そして、内を見て、外を考えるのです。
外を見て外を考え、内を見て内を考えてはなりません。
そのような考えによって、歪んだものが更に歪むのです。
それでは、人生は空しいのです。
あなたは、歪みを直さなければなりません。
しかしながら、歪みを直すのは容易(ようい)ではありません。
歪みを直すには、それに相応しい覚悟と犠牲(ぎせい)が必要なのです。
歪みを直すためには、壊さなければならないのです。
歪みとは、一つの価値観のことです。
価値観が、理(ことわり)に対して歪んでいるのです。
それを直すためには、歪みの原因を手放す必要があるのです。
それは、現状の価値観の崩壊を意味しています。
現状の価値観に執着し続けているのであれば、歪みを直すことは出来ないのです。
歪みを直すためには、壊さなければならないということを理解しましょう。
あなたが人生に豊かさを求めるのであれば、歪みを直す必要があります。
歪んだままでは、人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたは、大切なものを手放さなければなりません。
大切なものに執着し続けているのであれば、人生に豊かさを実現することが出来ないのです。
現状において、あなたが大切だと思っているものは、残念ながら、誤解に過ぎません。
大切に思っていたものも、後に大切ではなくなります。
後に大切でなくなるものは、大切なものではないのです。
本当に大切なものは、後にもやはり大切なのです。
あなたには、本当に大切なものは分かりません。
それは、未熟であり、歪んでいるからです。
人生は、本当に大切なものを探す時間なのです。
そのために、あなたは大切と思うものを手放さなければなりません。
大切に築き上げた現状の価値観を壊さなければならないのです。
あなたが、何かを手放さなければならない時には喜びましょう。
何かが壊れる時にも喜ぶのです。
それは、より良いものが手に入る兆(きざ)しであり、より本質的なものが生じる兆しなのです。
人生は、悪いように変化しているように見えたとしても、必ず良い方向へと向かっています。
なぜなら、人生の目的は成長であるからです。
どのような変化も、成長へと繋(つな)がっています。
すべては、良い変化であり、良い経験なのです。
あなたは、そのようなことを体験しているのです。
変化を恐れてはなりません。
変化こそが、人生に豊かさを実現するのです。

2020年3月17日火曜日

力の使い方

すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
誰一人として、未熟を否定することは出来ません。
どのような人物も、未熟に生まれるのです。
あなたは、自分自身が未熟であるということを理解しましょう。
自分自身が未熟であるという事実を認めなければ、あなたが未熟を手放すことは出来ません。
手放すためには、それを所有していることを認めなければならないのです。
所有に気が付かなければ、それを手放すことは出来ないのです。
すべての人が未熟です。
それは、無知によって理解することが出来るでしょう。
残念ながら、あなたは知りません。
あなたには、理解していることよりも、知らないことの方が多いのです。
しかしながら、多くの人は、自分が知っていると思い込んでいます。
多くの人は、何かを知ったつもりでいるのです。
残念ながら、あなたは何も知らないのです。
あなたは、”自分が何か?”ということすら知らないでいるのです。
あなたは、”人生が何か?”分かりますか?
残念ながら、あなたには、それ等のことが分からないでしょう。
”自分とは何か?”、”人生とは何か?”というのは、最も根源的な問いです。
自分や人生というものは、根源であるのです。
それを知らずにいるということは、何も知らないということなのです。
大切なのは、自分が何も知らないということを受け入れることです。
あなたは、自分が何も知らないということを知らなければならないのです。
あなたには、自分が何で、人生が何か分かりません。
残念ながら、すべての人がそのような状態に陥(おちい)っているのです。
すべての人は、知りません。
あなたは、自分が知らないこと、そして、未熟であることを理解しましょう。
そうすれば、傲慢(ごうまん)を手放すことも出来るかも知れないのです。
自分が何かを知っていると思い込み、何かが出来ると付け上がってはなりません。
あなたは何も知らず、何も出来ないのです。
何かを知っているなどと思い込んではなりません。
何かが出来るなどと思い込んではならないのです。
あなたは、思い上がりによって、何かを知っているつもりになったり、何でも出来ると思い込んではなりません。
残念ながら、あなたは無知に、未熟に生まれなければならないのです。
なぜなら、無知で未熟でなければ、この世界に生まれることが出来ないからです。
この世界においては、すべての人が未熟であり、無知であるのです。
すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
目的を以て生まれるためには、未熟であり、無知でなければならないのです。
残念ながら、あなたの力は及(およ)びません。
あなたは、状況を前にして無力なのです。
あなたは、問題を前にして自らの非力に嘆(なげ)くでしょう。
あなたは、未熟であり、無知であり、無力なのです。
そのため、理想を実現するだけの力はありません。
あなたに出来ることは限られているのです。
あなたの力が及ぶ範囲は狭いということを覚えておきましょう。
中には、自らの力量を見誤り、理想を実現しようと努める者がいます。
しかしながら、理想に対して、力量は遠く及びません。
あなたは、出来ることしか出来ないのです。
あなたは、出来ないことを出来ると思い込んではなりません。
出来ないことは出来ないのです。
あなたは、出来ることを確実に実行すれば良いのです。
すべての人を愛そうと努める人がいます。
それは、とても立派な理想です。
しかしながら、独りの人が生み出せる愛は、すべての人に及ぶ程、強大なものではありません。
あなたの力は、遠くには届かないのです。
残念ながら、すべての人を愛することは出来ません。
しかしながら、それで良いのです。
愛せないのに愛そうとすれば、苦しまなければなりません。
それでは、消耗してしまうのです。
あなたは、愛することの出来る人を愛しましょう。
最も近くにいる一人に対して、確実に愛を送ることが出来ればそれで良いのです。
偽善(ぎぜん)を続けることは、力を腐らせてしまうのです。
力は素直に使いましょう。
無理をしてはなりません。
愛せない人を愛する必要はありません。
愛せる人を確実に愛することの方が重要なのです。
力の使い方を間違えてはなりません。

2020年3月16日月曜日

真を理解する

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人にとって、人生とは、目的を果たすための場所です。
目的を果たす必要があるからこそ、人生が必要であったのです。
目的が存在しなければ、人生が存在する必要がないのです。
どのような人生にも、目的が存在しています。
例外はありません。
あなたは、どのような理由があろうとも、目的を果たさなければなりません。
目的を果たす以外に、人生を生きる理由は存在しないのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはありません。
それがどのような目的であろうとも、それ以上に重要なことは存在しないのです。
あなたは、人生の目的を果たす必要があるということを理解しましょう。
人生には、それ以外の理由は無いのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、あなたは未熟に生まれなければならないからです。
あなたは、未熟に生まれます。
あなたは、無知を生きているのです。
そのため、あなたには、”自分とは何か?”ということが分かりません。
しかも、あなたには、”人生とは何か?”ということが分からないのです。
自分が何か分からず、人生が何か分からなければ、あなたには人生の目的は分からないのです。
多くの人は、人生の目的が分かりません。
多くの人は、何をすれば良いか分からないのです。
多くの人は、真(まこと)を知らないのです。
多くの人は、偽りを知ります。
そして、偽りを信じ、それを人生の目的だと思い込んでいるのです。
残念ながら、多くの人は哀(あわ)れです。
それは、価値の無いものに価値を見出し、必要のないものに執着(しゅうちゃく)しているからです。
それが、時間と労力の浪費であることには気が付かないのです。
多くの人は、必要である真を見失い、偽りを真であると思い込んでいるのです。
そのため、多くの人は人生の目的を見失います。
多くの人は、人生の目的を果たすことが出来ないのです。
人生の目的は、人生の理由です。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由を以て生まれる人は存在しないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすこと以上に重要なことはないのです。
人生の目的を果たすためには、真を理解する必要があります。
真を理解しなければ、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
偽りに従(したが)ったとしても、人生の目的を果たすことは出来ません。
偽りに従うのであれば、人生の目的からは遠ざかってしまうのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすことがなければ、人生に満足することは出来ないのです。
人生を満足するためには、真への理解が必要なのです。
真とは、自らに対する必要のことであり、最善のことです。
あなたに対する必要や最善は、それがどのようなものであろうとも真になるのです。
しかしながら、真を見出すことは容易ではありません。
なぜなら、多くの人の心は、歪み、汚れているからです。
多くの人は、真を見失い、偽りと共に生きています。
真を見失うことによって、目の前には問題や苦しみが引き起こされるのです。
真と共に生きることのない者は、問題や苦しみと共に生きなければなりません。
あなたが真を理解するためには、苦しみの中で大切なものを失わなければなりません。
残念ながら、苦しみの中で大切なものを失わなければ、真を理解することが出来ないのです。
人は、失って初めて気が付くのです。
真を理解する力を養うために、あなたは偽りを体験しなければなりません。
問題や苦しみは避けられないことを理解しましょう。
目の前の問題や苦しみは、自分自身が引き起こしているのです。
それは、真を理解するためです。
あなたは、真を理解するために、問題でも苦しみでもないことを、問題や苦しみとして定めているのです。
すべては、真を理解するためです。
あなたは、そのことを理解しましょう。
そうすれば、問題や苦しみに対して、心を乱すことはないのです。
あなたは、自分の人生を生きましょう。
そして、人生の目的を果たすのです。

2020年3月15日日曜日

美しい手

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を無視することの出来る人はいません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を果たすことは重要です。
なぜなら、それ以外に人生に実現すべきことは存在しないからです。
人生の目的を果たすことがなければ、他に何をしても人生は空しいのです。
人生の目的を果たすことがなければ、あなたの内から空しさを取り除くことは出来ないのです。
すべての人が、空しさを抱えています。
ただ生きるだけでは、人生は空しいのです。
”当たり前”に生きたり、迎合(げいごう)するような生き方では、空しさは避けられないのです。
人は、平穏(へいおん)に暮らすために生まれたのではありません。
残念ながら、平穏に生きることは空しいということを覚えておきましょう。
人生に対して、人生の目的を果たさなければ、後悔することになると理解しましょう。
自分が何のために生まれたのかも分からず、何のために生きるのかも分からず、何のために死ぬかも分からないのに、どうやって人生に満足するというのでしょうか?
残念ながら、人生が何かも分からない者には、それを満足することは出来ないのです。
あなたが果たさなければならないのは、与えられた人生の目的です。
あなたは、人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
人生の目的を果たすために時間と労力を費やさなければ、人生は空しいということを覚えておきましょう。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自力によって、人生を組み立てなければならないのです。
人生の目的を探し、それを果たそうという気概(きがい)がなければ、人生を完成させることは出来ません。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を探しません。
そして、人生の目的を果たそうとはしないのです。
なぜなら、人生の目的を探すことも、それを果たすことも、苦労の道だからです。
人生の目的を探すためには、常識や信仰(しんこう)を手放さなければなりません。
人生の目的を探すためには、所有を離れなければならないのです。
所有とは、現状のことです。
あなたは、現状を所有しているのです。
現状に執着(しゅうちゃく)すれば、それよりも良いものを手に入れることは出来ません。
人生の目的を見付けるためには、現状を離れなければなりません。
現状を離れなければ、現状を継続しなければならないのです。
残念ながら、多くの人は、人生の目的を知りません。
人生の目的を知らないにもかかわらず、それが平穏であるために安心しています。
今はそれで良いと思えるでしょうが、後にそれが悪いことを知るのです。
時間と労力は、取り返すことが出来ません。
一度消費してしまえば、二度と戻らないのです。
あなたは、時間と労力が尊(とうと)いということを理解しましょう。
そして、人生は短いということも理解しなければなりません。
残念ながら、あなたに残された時間は僅(わず)かなものです。
それを軽んじてはならないのです。
人生をどのように生きるのも、自分次第です。
誰にも、あなたの人生を妨げる力はありません。
これは、あなたの人生なのです。
あなたは、自力で組み立てなければなりません。
多くの人は、他力に頼ります。
”当たり前”に生きることも、迎合する生き方も、他力に頼った生き方なのです。
残念ながら、あなたの人生の目的は、あなた以外の誰にも分かりません。
誰も、あなたの人生の目的を知らされてはいないのです。
親にも、兄弟にも、恋人にも、教師にも、あなたの人生の目的は知らされてはいないのです。
人生の目的は、自力によって見付け出し、自力によって果たさなければならないのです。
そのような気概の無い者には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、これが自分の人生であることを理解しましょう。
誰にも、あなたに満足を与えることは出来ません。
誰も、あなたを満足させることは出来ないのです。
人生に満足を得るためには、人生の目的を果たす以外に方法はないのです。
残念ながら、誰も頼ることは出来ません。
”神”も頼ることは出来ないのです。
多くの人は、”神”を信じています。
なぜなら、”神”を信じることによって、救われたり、豊かさが得られると思い込んでいるからです。
しかしながら、”神”を信じたところで、あなたが救われることも、豊かさが得られることもありません。
残念ながら、”神”を信じることには価値が無いのです。
大切なのは、徳を積むことです。
徳とは、貢献(こうけん)のことだと理解しましょう。
あなたは、この世界や誰かに対して、貢献する必要があるのです。
”神”を信じていることでは、徳を積むことは出来ません。
なぜなら、貢献は行為によって実現するからです。
”神”を信じていたとしても、徳を積むことがなければ価値はありません。
”神”を信じていなくても、徳を積む者が尊いのです。
口は美しいが、手が汚い者に成ってはなりません。
口が汚くても、手が美しい者に成りましょう。
偽善(ぎぜん)に価値はありません。

2020年3月14日土曜日

苦しみの中

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
それ以外の理由で生まれる人はいないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
あなたは、あなただけの目的を果たさなければならないのです。
他の誰とも同じ目的を以て生まれることはありません。
どのような人物にも、必要な役割が与えられているのです。
人生の目的は、役割を隔(へだ)てます。
人は、目的に従った役割を担(にな)うのです。
人は、それぞれの役割に従って行動しなければなりません。
生き方は、それぞれの役割によって決まるのです。
そして、幸福の形もそれぞれに異なります。
人は、同じことを幸福とは思えません。
幸福と感じることは、人それぞれに異なるのが自然なのです。
それは、生き方が異なり、役割が異なり、目的が異なるからです。
幸福の形は、人生の目的に相応(ふさわ)しいものであるのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
人生の目的に相応しい幸福の形でなければ、あなたが幸福として認識することは出来ません。
人生の目的に不相応(ふそうおう)な幸福の形を宛(あ)てがったところで、幸福を認識することは出来ないのです。
すべての人が幸福を求めています。
すべての人が、幸福を探し続けるのです。
しかしながら、多くの人の手にしている幸福の形は、自らの人生の目的に相応しいものではありません。
そのため、多くの人は、幸福を認識することが出来ずに、不幸を感じているのです。
多くの人は、人生に不幸や乏しさ、そして空しさを感じています。
多くの人は、満たされないでいるのです。
そのため、多くのものを求め続けます。
欲求が疼(うず)くのです。
欲求が疼く間は、満たされることはありません。
満たされないでいれば、苦しみに陥(おちい)ってしまうのです。
残念ながら、多くの人は苦しみを生きています。
多くの人は、満たされないでいるのです。
それは、人生の目的を知らないからです。
人生の目的を知らなければ、人は、苦しみに陥ってしまうのです。
人生に豊かさを導き、幸福を得るためには、人生の目的を知る必要があります。
人生の目的を知っている人は、人生に豊かさを導き、幸福を得ることが出来るのです。
すべての人が、幸福を求めています。
しかしながら、苦しみに陥ってしまうのです。
そこで、人は苦しみの中から人生の目的を探すことになります。
苦しみに陥っている人は、苦しみの中からでなければ、人生の目的を探すことは出来ないのです。
残念ながら、すべての人が苦しみに陥ります。
それは、人生の目的を理解している人がいないからです。
すべての人は未熟であり、無知です。
そのため、苦しみに陥るのです。
しかしながら、苦しみは決して悪いものではありません。
なぜなら、未熟であり、無知であるあなたには、苦しみの中でしか大切なものは見えてこないからです。
人が苦しみに陥った時、自分にとって本当に大切なもの以外に構(かま)っている余裕がなくなります。
人は苦しみに陥った時には、大切なことを優先しなければならないのです。
苦しみの中でなければ、大切なものは見えて来ません。
平穏(へいおん)の中にいる時には、人生の目的を考えることもないのです。
未熟であり、無知な存在である人は、そのように振る舞うのです。
あなたは、苦しみに陥ります。
それは、避けることが出来ません。
しかしながら、苦しみを嫌ってはなりません。
苦しみを嫌えば、大切なものを知らずに生きることになるからです。
人生の目的を知らずに生きることは不幸です。
何を得ても、人生の目的を知らなければ不幸なのです。
あなたは、そのことに気が付かなければなりません。
人生の目的とは、人生の理由です。
人生の理由を知らないのに、どうやって幸福を実現するというのでしょうか?
残念ながら、人生の理由を知らずに、幸福を実現することは出来ません。
苦しみを避けることは出来ません。
しかしながら、それは、大切なものに気が付くために必要な過程であるということを理解しましょう。
あなたは、余計なものを抱えています。
余計なものによって、本当に大切なものを見失っているのです。
本当に大切なものは、あなたの想像とは異なるということを知りましょう。
あなたが大切に思っているものなど、残念ながら、大切なものではないのです。

2020年3月13日金曜日

争いの先に勝利は無い

すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
すべての人は、人生の目的を果たすために生まれたのです。
人生の目的を無視するのであれば、人生を完成することは出来ないと理解しなければならないでしょう。
あなたは、人生の目的を果たし、人生を完成しなければなりません。
そうでなければ、あなたは生まれた意味を理解することが出来ないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たさなければ、人生に満足することは出来ないのです。
人生に満足することがなければ、空しさを生きなければなりません。
空しさを生きることは辛(つら)いのです。
あなたは、空しさを生きるために生まれたのではありません。
人生の目的を果たし、豊かに生きるために生まれたのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
しかしながら、多くの人は、人生の目的を果たすことが出来ません。
なぜなら、人生の目的を理解することが出来ないからです。
多くの人は、人生に何をすれば良いか分からないのです。
それは、人が未熟に生まれるためです。
すべての人は、未熟に生まれなければなりません。
未熟とは無知のことです。
すべての人は、知らないのです。
多くの人は、自分が何であるか?を知りません。
そして、人生の目的が何であるか?分からないのです。
あなたは、自分が未熟であるということを理解しなければなりません。
自分が未熟であることを理解しなければ、人生の目的を理解することが出来ないのです。
多くの人は、知りません。
そのため、認識は歪んでしまいます。
そのため、人生の目的に対して誤解を抱えているのです。
多くの人は、理想を実現することが人生の目的であるかのように思っています。
しかしながら、あなたは、それが誤解であるということを理解する必要があるでしょう。
あなたは未熟であり、無知なのです。
そのような者の理想が人生の目的であるはずがないのです。
あなたは、未熟者の理想が正しい道だと思いますか?
残念ながら、あなたにはそうは思えないでしょう。
未熟者の理想が歪んでいることを理解して、考えを改めさせるのではないでしょうか?
すべての理想は歪んでいます。
なぜなら、理想は争いを生じさせるからです。
すべての理想が争いを生じさせます。
それは、すべての理想が未熟によって生じた誤解だからです。
理想を追い求める者は、遅かれ早かれ争いに陥(おちい)ります。
平和を理想とする者も、理想を掲げているのであれば、やがては争ってしまうのです。
あなたは、そのことを理解しなければなりません。
すべての理想は、未熟さが生み出す誤解です。
それは、すべての理想が間違っていることを意味しているのです。
残念ながら、多くの人はそのことを理解することが出来ないでしょう。
それは、仕方のないことです。
しかしながら、あなたは、理想が間違っていることを知らなければなりません。
理想を手放す時、あなたは争いを手放すことが出来るでしょう。
争いを手放しましょう。
理想は勝利を追い求めます。
理想を実現するためには、勝たなければならないのです。
しかしながら、争いの先に勝利は存在しません。
どのように争っても、勝者はいないのです。
争いによっては、両者が負けます。
遅かれ早かれ、互いに負けるのです。
あなたは、理想を実現するために争ってはなりません。
争うくらいなら、理想を手放しましょう。
争って理想を実現したとしても、満足や豊かさを得ることは出来ません。
それは、争った時点において、両者が敗者であるからです。
勝利を得るためには、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的は、この世界に唯一(ゆいいつ)のものです。
人生の目的を果たすためには、誰とも争う必要がないのです。
人生の目的を果たすためには、宿命に従わなければなりません。
宿命に従うということは、目の前の状況から学びを得るということなのです。
理不尽に思えることや、都合の悪いことからも学びを得る態度こそが、宿命に従う態度なのです。
理想は、宿命に反します。
理想は、理不尽に思えることや、都合の悪いことを否定するのです。
それでは、人生の目的を果たすことが出来ないということを理解しましょう。
理想に従って争ってはなりません。
争ったところで、勝利を得ることは出来ません。
争いの先に勝者はいないのです。
理想を手放しましょう。