すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に目的を持たずに生まれる人はいません。
どのような人物にも、果たすべき目的が与えられているのです。
人生の目的は、自分自身に相応しいものが与えられます。
あなたは、人生の目的を果たすことが出来るのです。
果たすことの出来ない目的は与えられないのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
人生の目的を果たすために生きなければなりません。
人生の目的を果たすつもりがなければ、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生の目的を果たすためには、自らに与えられた人生の目的を理解する必要があるのです。
しかしながら、人生の目的を理解することは出来ません。
そこで、余計を手放すことをしなければならないのです。
すべての人は、本質を見失っています。
快楽や富などの様々な思い煩(わずら)いによって、本質を覆(おお)い隠してしまうのです。
大切なのは、余計を手放し、本質的に生きることです。
本質的に生きることによって、結果的に人生の目的を思い出すという算段(さんだん)なのです。
人生を展開(てんかい)させるためには、直接的にアプローチしてはなりません。
あなたは、間接的にアプローチすることによって、目的を果たすべきなのです。
例えば、目の前の問題を解決するためには、目の前の問題と向き合うことではありません。
目の前の問題を解決したければ、あなたは、自分自身と向き合う必要があるのです。
目の前の問題は、自分自身の歪みの反映です。
外にあるものは、内にあるのです。
外にあるものをどうにかしようとして、外をどうにかしてはならないのです。
スクリーンに映し出された映像をどうにかするためには、それを映し出している映写機をどうにかする必要があるのです。
スクリーンに映し出された映像をどうにかしようとして、スクリーンをどうにかしようとしても、問題の解決にはなりません。
直接的に問題を解決しようとしても、それを解決することが出来ないということを理解しなければならないのです。
あなたの目の前に存在する人生とは、自分自身の反映です。
それは、水面(みなも)に映る月のようなものなのです。
それは、とても美しく映りますが、決して実体ではありません。
水面に映る月は幻想なのです。
水面に映る月に触れようとして水面に手を伸ばすと、月は揺らめいて消えてしまうのです。
あなたは、水面に映る月に触れることは出来ません。
目の前の様々な問題は、自分自身の歪みです。
それは、内に存在しており、決して外には存在しません。
どのような問題であろうとも、それが幻想であるということを覚えておきましょう。
誰かや何かに問題が存在するのではありません。
問題は、自分の内に存在するのです。
人生とは、幻想です。
あなたは、幻想に熱くなってはなりません。
幻想に踊らされてはならないのです。
多くの人は、目の前の問題に対して冷静さを見失います。
多くの人は、幻想によって、感情を揺(ゆ)さぶられ、翻弄(ほんろう)されるのです。
あなたは、感情に飲み込まれてはなりません。
感情に飲み込まれてしまえば、更なる歪みによって、更なる問題を引き起こすからです。
水面を揺らす程、月は姿を隠してしまいます。
あなたは、掌(てのひら)で水を掬(すく)い、そこに月を映しましょう。
そして、それが幻想であることを理解するのです。
目の前の問題に対して感情的に向き合ったとしても、何の解決にも成りません。
人生に対して、癇癪(かんしゃく)を起こしても、何にも成らないのです。
冷静に生きることです。
あなたは、目の前の問題を受け入れなければならないのです。
それは、内に存在する歪みの反映に過ぎないのだから、内に目を向ける必要があるのです。
受け入れることをしなければ、目は外を向いたままなのです。
それでは、水面を掻(か)き乱すだけです。
水面を掻き乱して月を消しても、すぐに月は戻るのです。
誰かや何かに訴(うった)えても、問題が解決することはないのです。
すべての問題は、自分自身に相応しいのです。
その問題に相応しい自分であるということなのです。
問題を解決するためには、自分自身が変わらなければなりません。
その問題に相応しくない自分であれば、問題は解決するのです。
あなたは、考え方や生き方を変えなければなりません。
内に存在する問題は、内を変えることで解決するのです。
目の前の問題が幻想であることを理解しましょう。
幻想を生きてはなりません。
外を生きず、内を生きなければなりません。
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