すべての人は、人生に目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人は、人生の目的を果たさなければなりません。
人生に目的を以て生まれるのは、人生に理由が必要だからです。
この世界に対して、無意味に生まれることの出来る人はいません。
どのような人物であろうとも、人生に対しては、意味を以て、理由を以て、目的を以て生まれるのです。
あなたがどのような現状を生きていようとも、その人生には目的が存在しています。
そして、理由が存在し、意味が存在しているのです。
どのような現状を生きていようとも、あなたは、そのことを知らなければならないのです。
人生に目的が存在することを知らないのは不幸です。
人生に理由や意味を見出すことが出来ないのは空しいのです。
あなたは、不幸を生きてはなりません。
空しく生きてはならないのです。
大切なのは、幸せに生きることです。
あなたは、豊かに生きなければならないのです。
この世界も、人生も、外に存在する巨大なもののように思えます。
多くの人は、この世界や人生が外に存在すると思っているのです。
常識を信じている人には、この世界や人生が外に存在するように思えるのは仕方のないことです。
多くの人は、肉体を自分自身の範囲と考えています。
もしくは、意識をその範囲だと考えているのです。
多くの人は、肉体の内に意識が収まっていると考えています。
そのため、肉体の外にこの世界や人生が存在すると思い込むのです。
例えば、他者は、この世界や人生と同じように、外に存在するでしょうか?
残念ながら、他者は、あなたの反映に過ぎません。
他者は、あなたの内に存在するのです。
なぜなら、あなたは、他者を通じて自分自身を知ることが出来るからです。
自分の内に他者が存在しなければ、他者によって自分自身を知り、改めることは出来ないのです。
思い通りにすることが出来ない他者も、自分の内に存在します。
より思い通りにすることが出来ないこの世界や人生であっても、あなたの内に存在しているのです。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
この世界や人生が外に存在すると思い込んでいると、あなたの視野は外へ向かってしまいます。
残念ながら、外には何も存在しません。
何も存在しないというのは語弊(ごへい)がありますが、外には、結果が存在するだけなのです。
結果とは、スクリーンに映された映像のようなものです。
多くの人は、スクリーンに映し出された映像を現実だと思い込み、信じているのです。
残念ながら、スクリーンに映し出された映像は虚像(きょぞう)です。
現実は、フィルムや映写機なのです。
他者やこの世界や人生というものは、自分自身を映し出すスクリーンに過ぎません。
多くの人は、スクリーンに映し出された映像に翻弄(ほんろう)されているのです。
多くの人は、他者やこの世界や人生に翻弄されています。
それは、それ等が内に存在することを知らないからです。
映画を観ていると、その世界観にのめり込み、幻想と現実との区別が難しくなります。
他者やこの世界や人生と向き合っていると、それが自分の内に存在しているということを忘れてしまうのです。
残念ながら、他者やこの世界や人生を変えることは出来ません。
あなたがどのように努めても他者やこの世界や人生が変わることはありません。
スクリーンの前で何をしても、映像は流れ続けるのです。
あなたは、他者やこの世界や人生が何のために存在するのか?を考えましょう。
あなたは、目的を以て生まれたのです。
人生において、目的を果たす以上に重要なことはありません。
それは、他者やこの世界や人生というものが、あなたが人生の目的を果たすために存在するということを意味しているのです。
すべては、あなたが人生の目的を果たすための必要です。
この世界には、無駄は存在しません。
無意味は存在しないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければならないのです。
すべては内に存在しています。
あなたが変えることが出来るのは、自分自身だけなのです。
自分自身以外を変えようとするのは間違っているのです。
自分自身が変わらなければ、何も意味がありません。
スクリーンに映し出された映像を変えるためには、フィルムや映写機を変えるしかないのです。
他者やこの世界や人生を変えようと努める必要はありません。
他者やこの世界や人生を変える必要はありません。
自分自身を改めることだけで十分なのです。
それで、人生の目的を果たすことが出来るのです。
あなたは、自分自身を変えましょう。
どのような現状においても、あなたに出来るのはそれだけなのです。
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