すべての人は、未熟に生まれます。
すべての人は、この世界に未熟に生まれなければなりません。
それは、人生には目的が存在するからです。
目的が存在しなければ、人生は存在しません。
あなたは、この世界に生まれるのではありません。
あなたの果たすべき目的が、この世界を生むのです。
原因が先に存在し、結果は後に存在するのです。
原因の無い結果は存在しません。
結果の無い原因も存在しないのです。
この世界に生まれたということは、人生に果たすべき目的が存在するということなのです。
あなたは、人生には、果たすべき目的が存在するということを理解しましょう。
そして、あなたはその目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を果たすために生きなければならないのです。
しかしながら、人生の目的を果たすことは容易(ようい)ではありません。
なぜなら、あなたは未熟に生まれるからです。
未熟であるあなたには、人生の目的を理解する力がありません。
すべての人は、盲目(もうもく)なのです。
見ても見えないのです。
そのため、すべての人が暗闇の中に人生の理由を探しているのです。
未熟者は、認識が歪(ゆが)んでいます。
歪んだ認識によっては、歪んだ判断が生じるのです。
それは、歪んだ行為に及びます。
歪んだ行為は、歪んだ原因と成り、歪んだ結果を導くのです。
人生に問題が尽きないのは、自らが未熟であるからです。
すべての人が問題と向き合わなければなりません。
人生において、問題と向き合うことの無い人は存在しないのです。
どのような人物であろうとも、問題を抱えるということを理解しなければなりません。
人生において、人が問題を抱えるのは、自らの方法が間違っているということの暗示(あんじ)です。
自らの方法が間違っているからこそ、問題が生じるのです。
あなたは、自らの方法が間違っていなければ、人生に問題が生じることはないということを覚えておきましょう。
問題は、苦しみとして認識されます。
残念ながら、問題を苦しみとする認識も歪んでいます。
なぜなら、問題は自らの方法が間違っていることを知らせ、それを改善するための気付きであるからです。
問題は、良いものであって、悪いものではないのです。
あなたは、問題に対する認識を改めましょう。
多くの人は、苦しい時に心を曇らせてしまいます。
それでは、視野を狭(せば)めてしまうのです。
苦しい時に心を曇らせている人には、問題の本質が見えません。
”光量”が足りないために、問題の本質に気が付かないのです。
大切なのは、問題に対して光を当てることです。
光とは、好意のことです。
問題を建設的に捉(とら)えることをしなければ、その本質に気が付くことは出来ないのです。
多くの人は、問題を悪いものとして破滅的に捉えるのです。
それでは、問題に背を向けることになり、その本質に気が付くことは出来ません。
透(す)き通った心で見れば、光が本質を照らし出すでしょう。
美しい心は、本質を照らす光なのです。
苦しい時に不平不満や恐怖を抱えているのであれば、いつまで経っても本質に気が付くことが出来ないのです。
本質を理解することがなければ、それを上手く扱うことが出来ません。
問題を前にした時、美しい心で迎(むか)えなければ、苦しみを乗り越えることが出来ないのです。
苦しみは、乗り越えなければなりません。
苦しみは乗り越えるために導かれたのです。
苦しみは、心を浄化するための学びです。
それは、あなたを苦しめることではないということを理解しなければなりません。
苦しい時程、心を磨く機会を得ることが出来ます。
あなたは、苦しみによって心を磨きましょう。
そうすれば、あなたは本質を見極めることが出来るのです。
本質を見極めることが出来れば、納得することが出来るでしょう。
人生においては、納得することが重要です。
納得することが出来なければ、空しさを生きなければならないからです。
空しさを生きることは問題です。
そして、それは苦しみなのです。
あなたは、美しい心で道を照らしましょう。
そして、その本質を見極め、人生を完成させましょう。
本質を見失ってはなりません。
迷いの生存を続けてはなりません。
あなたは、人生に納得する理由を探すのです。
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